Image may be NSFW. Clik here to view. 駅長は配置されない駅員配置駅(直営駅)であり、多治見駅が当駅を管理する。構内南側、単式ホームに隣接して設置された駅舎の内部にはみどりの窓口などが置かれている。切符売場にはICカード対応のタッチパネル式券売機が2台設置されています。
Image may be NSFW. Clik here to view. 1922年(大正11年)1月11日 - 駄知鉄道の新土岐津駅が開業。 1928年(昭和3年)3月1日 - 駄知鉄道の新土岐津駅を国鉄土岐津駅に統合、両社の共同使用駅となる。 1944年(昭和19年)3月20日 - 駄知鉄道が東濃鉄道駄知線となる。
Image may be NSFW. Clik here to view. 1965年(昭和40年)7月1日 - 土岐市駅に改称。 1974年(昭和49年)10月20日 - 東濃鉄道駄知線廃止(昭和47年7月豪雨により休止)。 1984年(昭和59年)1月10日 - 車扱貨物の取扱いを廃止。
Image may be NSFW. Clik here to view. 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取扱いを廃止。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。 2006年(平成18年)11月25日 -TOICA導入。
Image may be NSFW. Clik here to view. 電報略号 トシ トツ(改称前) 駅構造 地上駅 ホーム 2面3線
Image may be NSFW. Clik here to view. 乗車人員 -統計年度- 5,589人/日(降車客含まず) -2013年- 開業年月日 1902年(明治35年)12月21日 備考 駅員配置駅 みどりの窓口 有 * 1965年に土岐津駅から改称
Image may be NSFW. Clik here to view. 戦後の1947年(昭和22年)7月、日向の解体が完了して艦歴を閉じた。なお、情島で着底した日向の様子を戦後にアメリカ軍が撮影したカラー映像が残っており、今日でもその被害の凄まじさを観察することができる。日向に装備されていた航海灯と軍艦旗が広島県呉市の大和ミュージアムに所蔵されている。
Image may be NSFW. Clik here to view. この後の伊勢は燃料不足のため「呉鎮守府第1予備艦(浮き砲台)」に指定され、燃料不足とアメリカ軍の機雷封鎖で行動不能な状態のまま呉港外・音戸町坪井沖に停泊した。7月24日、アメリカ軍機動部隊艦載機による呉軍港空襲により艦橋に直撃弾を受け、牟田口艦長はじめ艦の主だった指揮官20名ほどが戦死、浸水は5000tに達した。師岡勇高射長が艦長代理となり呉工廠第四ドックに曳航しようと作業中の7月28日、再びアメリカ軍艦載機の空襲により直撃弾11発を受けて大破着底、戦死者は573名に及んだ。空襲後、伊勢の二番砲塔は三式弾が装填されたまま最大仰角で停止した。火災もひどく暴発の恐れもあったため呉市街を向いたまま発射、発射後は砲塔が仰角を保ったまま艦の正中位置まで旋回したところで伊勢は完全に動力を失い停止した。このときの主砲発射が奇しくも日本海軍戦艦の最後の大口径砲の発砲となった。 終戦後、伊勢は引き揚げられて解体されスクラップとなった。
Image may be NSFW. Clik here to view. 1982年(昭和57年)に橋上駅舎となり、2004年(平成16年)に南口駅前広場完成し、2009年(平成21年)2月25日に北口駅前広場と自由通路などが完成して供用開始となった。 2009年(平成21年)に完成した自由通路南北線は北口と南口の双方に上りエスカレーターとエレベーターがあるガラス張りの通路で、長さが約110mあり、多目的トイレなども併設されている。
Image may be NSFW. Clik here to view. 島式ホーム2面4線を有する地上駅である。改札口は中央に1ヶ所。駅舎内にはコンビニやパン屋があり、日用品に関しては駅構内で調達できる。コンビニ設置の際に駅本屋の増床もされ、改築直後の2倍程の面積になった。
Image may be NSFW. Clik here to view. 以前は北側より対向式1番のりば、島式2番・3番のりば、対向式4番のりばの構造で、1番のりばが上り本線、3番のりばが下り本線であったが、1988年(昭和63年)3月13日付ダイヤ改正で快速・普通列車の緩急結合が当駅に集約されてホーム構造を変更。1番のりばがあった対向式ホームを島式に改修して新1番のりばを新設、北側から順に改称。対向式ホーム5番のりば(旧4番のりば)は不使用となった。今は線路・架線が撤去されホームのみ残る。2004年(平成16年)のダイヤ改正で赤間駅発着の普通列車が設定されるも5番のりばは再利用はせず、構内より西側に留置線を設置した。
Image may be NSFW. Clik here to view. 直営駅で、みどりの窓口・自動改札機・自動精算機が設置されている。トイレは改札内に1つ(改札口より入場して右手)、南口階段下に1ヶ所(身障者用トイレ有り)、北口階段下に1ヶ所(身障者用トイレ有り)。南・北口のトイレは自由に利用可能。エレベーターは改札内も全ホームに完備されている。
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のりば 番線 路線 方向 行先 1・2 ■鹿児島本線 上り 小倉・門司港方面
Image may be NSFW. Clik here to view. 3・4 下り 香椎・博多方面
Image may be NSFW. Clik here to view. 南口側は、田久地区の約100万坪の用地を取得して「宗像森林都市」が民間企業により開発され、その一角には1966年(昭和41年)4月に東海大学と付属高校が開校した。 1999年(平成11年)度から「赤間駅周辺整備事業」が進められ、エレベーターとエスカレーターのある自由通路、北口と南口にバス・タクシー乗降場やロータリーのある駅前広場、駐車場や駐輪場、公園などを整備した。
Image may be NSFW. Clik here to view. しかし、この間の1999年(平成11年)11月にゆめタウン宗像、2000年(平成12年)11月にくりえいと宗像[24]と大型商業施設の進出が相次いだ。 こうした大型商業施設の影響を受け、老朽化が進んでいた北口周辺地区は商業地としての機能が衰退する形となった。 そのため、駅周辺整備事業の一環として北口では約3.6haの土地区画整理事業も実施され、道路整備と宅地造成が行われた。
Image may be NSFW. Clik here to view. アーチ形の開口部両脇に柱型を現した丁寧なつくりで,わが国初期の水道施設の一つとして貴重な施設です。歴史的価値と取水場周囲のすぐれた景観もあって「近代水道100選」に選定されている。現在は,工業用水道水源として利用。 1日最大取水量:12,000㎥
Nロケットに引き続き、一部がブラックボックスの条件で米国のデルタロケットの技術を導入して作られた。第2段と第3段ロケットや慣性誘導装置を国産化しており、デルタロケットの技術導入を行った3種類のロケットの中では国産比率が最も高く、N-IIでは54%から61%だった国産化率がH-Iでは78%から98%まで向上した。次世代のH-IIロケットへの重要なステップとなったが、第1段が自主技術で開発したものではないために、N-IやN-IIと同様にデルタロケットの亜種として分類される。名称のためにH-IIとの類似点がN-IIよりも多いと勘違いされることが多いが、N-IIと共通の第1段を用いている等、技術的な類似点はN-IIの方が多い。 第2段用に液体酸素と液体水素を推進剤とするLE-5型エンジンを自主技術で開発できたことは、次世代のH-IIロケットの第1段用LE-7型エンジンの実現に道筋をつけた点で意義が大きい。LE-7の実用化にはそれにもかかわらず大変な努力を要したわけであるが、LE-5の経験が無ければさらに難易度が高くなったといえる。 1981年(昭和56年)に開発が開始され、1986年(昭和61年)8月13日にH-I試験機(第1号機)の打ち上げに成功、1992年(平成4年)まで合計9機を打ち上げ、すべて成功した。これにより「さくら」「ひまわり」「ゆり」など実用静止衛星の打上げを順調にこなし、さらに複数衛星の同時打上げの技術習得も行った。 関係機関の一部ではH-IAとも呼称されていたこともあり、後継として静止軌道に800kgの打上げ能力をもつH-IBロケット(後述)を開発する予定であった。しかし、2t級静止衛星の需要増加や国内技術の進歩のために計画を発展的に解消し、H-IIロケットの開発へと移行することになった。 Image may be NSFW. Clik here to view. Nロケットの打ち上げ能力不足を背景として1975年(昭和50年)から以下のような基本的な枠組みの元に調査研究が開始された。 昭和60年代初頭から10年以上主力機として使用することが可能であること。 静止軌道上に500から800kgの人工衛星を打ち上げることが可能であること。 昭和60年代後半の宇宙輸送系の技術基盤を蓄積できるものであること。 原則として自主技術を用いること。 この研究において上段の構成要素はほぼ決定されていたが、第1段をどういったものにするかが争点となった。第1段を新規開発するのであれば開発計画に間に合わず、N-IIの流用とすると新規開発要素が少ないために開発計画には間に合うが打ち上げ能力が計画値の下限にとなる等、それぞれ問題があった。最終的にはN-IIの第1段を流用した500kg級のロケットH-IA(後のH-Iに該当)をまず開発し、その後800kgまで能力を増強したH-IBを開発するという計画に落ち着いた(後にH-IBは計画中止)
Image may be NSFW. Clik here to view. 主要諸元一覧 諸元\各段 第1段 補助ロケット 第2段 第3段 フェアリング
Image may be NSFW. Clik here to view. A 5号線 比治山下経由広島駅ゆき B・C 0号線 広電前ゆき 1号線 紙屋町経由広島駅ゆき 3号線 西広島ゆき(朝ラッシュ時のみ) 通常5号線はAホームから発車するが、一部Cホームから発車する場合がある。 巨大な上屋があり他の電車停留所に見られない造りになっています。
Image may be NSFW. Clik here to view. ソーキとは、沖縄で一般的に豚の骨付きあばら肉(スペアリブ)のことをさす。 「ソーキ」とは梳(すき)の訛りで、豚の肋骨が櫛に似た形状であるため、あばら肉もソーキと呼び習わすようになった。骨付きであるため「ソーキ骨(ブニ)」とも呼ばれ、昆布や大根・冬瓜などと煮込んだ汁物「ソーキ汁」にしたり、昆布、大根、豆腐などと共に「煮付け」として食される。 また、沖縄そばの具材としても用いられ、ソーキがのった沖縄そばを「ソーキそば」と呼ぶ。 他にも、柔らかく煮込んで下処理したものを焼いた網焼きソーキや、アメリカ文化の影響によるバーベキュー、中華風の炒め物など、様々な料理に利用されている。 伝統的な調理法としては、豚あばら肉を水からゆっくり長時間ゆで、煮汁を捨てて肉を洗い、再度新たに醤油、泡盛、黒糖、昆布、鰹だしなどを調合した煮汁で長時間煮込み、味を浸み込ませる。近年では圧力鍋が使用されることも一般的である。 「ソーキそば」に用いる豚あばら肉は、軟骨を含む肉(軟骨ソーキ)を使う場合が多いが、本来は固い骨を含む肉(本ソーキ、いわゆるスペアリブ)を用いる。本ソーキのことをAソーキ、軟骨ソーキをBソーキと呼ぶこともある。本ソーキの骨は食べられないが、長時間煮込まれた軟骨は柔らかく、肉と一緒に食べることができる。本ソーキを用いたソーキそばには、骨入れにするための空の椀が添えられていることが多い。
Image may be NSFW. Clik here to view. 錦糸町や上野といったかつてからの歓楽街で、暴力団の力が強い地域を避けて当駅周辺に出店する店もある。 夜になると、多い日にはかつて30人近くの外国人売春婦が客引きを行っていたが、地元住民によるパトロールの効果で最近は減少して来ている。また、周辺に出店していた消費者金融の店舗は撤退し、安心して歩ける街となって来た(ただし、消費者金融の自動契約機は周辺に設置されている)。 また、周辺には戦時中に焼け残った大正 - 昭和初期に建てられた一軒家などもかなり存在している。 西口周辺には、東京都内で最初に建設された下水道(神田下水)の一部が現在も機能している。
Image may be NSFW. Clik here to view. 動力は自身の船体を動かすだけでなく、自身よりはるかに大きく重い他船や構造物をも動かす必要があるため、自身の船体サイズには不相応な強力なエンジンを搭載している(たとえば、2000トン級では10000馬力程度のエンジンを搭載していることが普通である)。ただし、エンジンやスクリューは速度よりもトルクを重視した低速型のセッティングになっており、馬力の割に速度は出ない。 港湾内などで使われるタグボートの場合、小さな船体に機動性が求められるため、スクリューには特殊な構造が用いられ、舵の機能を持たせたものが多い。 アジマススラスター プロペラが水平方向に360度回転する。アヒルが水中で脚を動かす状態を連想するためダックペラともいわれる。代表的なものとしては新潟鐵工所製ゼットペラ (Z-peller)、IHI製ダックペラ (Duckpeller) がある。 フォイトシュナイダープロペラ (Voith-Schneider Propeller, VSP) 円周上に配置された複数の羽を水平方向に回転させて推進力を得る方式。
Image may be NSFW. Clik here to view. 以前は、運行管理上は、現0番線が2番線、現2番線が4番線、現7番線が11番線と呼ばれていたが、2002年の運行管理システムの導入の際に線路呼称を変え、運転線路名と旅客案内上ののりば名を一致させた。これに伴い、東海道本線上り通過線である1番線は、ホームとしては空番になっている。また、東海道本線の下り通過線は2002年の運行管理システムの導入の際に廃止されており、当駅を通過する吹田方面行きの貨物列車は6番または7番のりばを通過する。
Image may be NSFW. Clik here to view. 西側にある山陰本線ホームは、以前は「山陰1・2番のりば」、1989年の増設後は「山陰1 - 4番のりば」と呼ばれており、機回し線(電化後に撤去)が敷設されていたが、1994年12月にホーム番号の呼び名が整理され、「はるかホーム」を含めて30 - 34番のりばと呼ぶようになった。30番台にしたのは、山陰本線の「さん」にかけたものである[12][。34番のりばは、日本一大きい数字のホーム番号である。 旧駅ビル時代は待合室が存在したが、その後長らくは、6・7番のりばにある小さな列車待ちスペース以外は、待合室は存在しなかった。2008年3月中旬、長距離列車の発着の多い0番のりばにも待合室が設置された。
Image may be NSFW. Clik here to view. 特急列車については関空特急「はるか」を除き、「サンダーバード」・「びわこエクスプレス」は0番のりば、「スーパーはくと」・「くろしお」・大阪行きの「サンダーバード」は6・7番のりばを使用する。 関空特急「はるか」は通常、行き止まりの30番のりばを使用するが、米原・草津発の列車に限り6・7番のりばを使用する。 0番のりばは、「スーパーはくと」・「くろしお」などの当駅終着列車も到着し、列車によっては「はるか」用の30番のりばに到着するものもある。 6・7番のりばは琵琶湖線・湖西線・草津線・奈良線からの当駅終着列車も到着する。その多くは京都総合運転所への回送になる。 2006年まで運行された東京発の寝台特急「出雲」は、東海道本線から山陰本線への直通が2番線以外では不可能なため、2番のりばを発着した。また、大阪方面から奈良線へ直通する臨時列車は、2・3番のりばを使用する。
Image may be NSFW. Clik here to view. 京都駅ビルの設計 京都駅ビル(JR西日本)は、日本の鉄道駅舎としては異例の国際指名コンペ方式で行われ、新駅ビル設計者には原広司、安藤忠雄、池原義郎、黒川紀章、ジェームス・スターリング、ベルナール・チュミ、ペーター・ブスマンの7名の複数の建築家が指名された。設計審査の結果、先ず原広司案、安藤案、スターリング案の3案に絞り込まれ、さらなる協議を経て、原広司案が最終案として採用された。京都駅周辺は高さ120mまでの建築物が建築可能となる特例措置が設けられているが、高さ制限の緩和は古都の景観を損なうものとして反対意見も根強かったため、建物の巨大さ、高さに起因する圧迫感を回避し、いかに周辺環境との調和を図るかが作品の評価のポイントとなった。採用された原広司案は、最大高さを60mに抑えた上で、南北方向の道路に合わせて建物を分割して視線を通すなど、圧迫感を回避するような配慮が随所に見られる。 採用にいたらなかった諸案の概要は次の通り。
Image may be NSFW. Clik here to view. 安藤忠雄案:線路上に巨大な屋根を架けてその上を広大な広場とし、さらにそこをまたぐようにして羅城門をイメージした逆凹字形の駅舎を建設する。 ペーター・ブスマン案:屋根部分を長大な弓形に湾曲させ、北面には京都の町屋を意識して高さ31mに揃えた軒先線を設ける。 池原義郎案:烏丸通の正面側を巨大な門形とし、そこから中央部に向かって階段状に高さを下げ、さらに西側に向かって上昇させる。 黒川紀章案:羅城門を意識した高さ120mの門型の超高層建築。圧倒的な重量感と黒色の配色の威圧感が賛否両論を呼んだ。 ジェームズ・スターリング案:空間を3分割し、西側に高さ120mの円筒形のホテルを建てる。 ベルナール・チュミ案:駅舎を南北に分割し、北側は31mのスカイラインを強調してその上に「京の七口」を意識した7本のタワーを建てる。南側は45mのスカイラインで揃える。
Image may be NSFW. Clik here to view. 京都駅ビルの延床面積238,000m2の内訳は、駅施設が約12,000m2、ホテルグランヴィア京都が約70,000m2、百貨店などの商業施設が約88,000m2、「美術館・えきKYOTO」などの文化施設が約11,000m2、駐車場が約37,000m2、行政関係施設などが約38,000m2、となっている。他都市の大規模な駅ビルの場合、面積のかなりの部分を企業向けの賃貸オフィスに割いていることが多いのに対して、京都駅ビルはそうした部分をほとんど持たない。 その後、嵯峨野線ホーム亀岡寄り側付近は京都駅NKビルが増築され、新しく改札口(西洞院口)を設けた。この改札口は、同ビルに出店した家電量販店ビックカメラ京都店の内部に取り込まれている。
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建築・設計 建築設計:原広司 / アトリエファイ建築研究所 施工:京都駅ビル建設工事JV(大林・鉄建・大鉄他JV) 竣工:1997年 用途:駅舎・複合施設 構造:鉄骨造+鉄骨鉄筋コンクリート造 階数:地上16階、地下3階 (高さ60m、横幅470m、奥行80m) 敷地面積:38,000m2 建築面積:32,400m2 延床面積:238,000m2 Image may be NSFW. Clik here to view.
Image may be NSFW. Clik here to view. 東海道新幹線の計画当初は、当駅を経由せずに京都府南部を短絡させて同地に新幹線の駅を設け、速達列車の「ひかり」は同駅を通過させる案となっていたが、自治体や地元財界、地元住民などの猛反発を受けたことから、当駅に新幹線ホームを併設して全営業列車停車に落ち着いた経緯がある。また「のぞみ」が登場した1992年(平成4年)3月、東京発の一番列車「のぞみ301号」は名古屋駅と当駅を通過していた。JR東海の本社所在地である名古屋では「名古屋飛ばし」として問題となったが、京都では観光に適さない時間帯の列車であることから、ほとんど問題視されなかった。
Image may be NSFW. Clik here to view.1998年(平成10年)11月4日:新幹線改札口に自動改札機を導入。 2002年(平成14年):1番のりばを0番のりばに呼称変更。 2003年(平成15年)11月1日:JR西日本でICカードICOCA供用開始。 2007年(平成19年)8月23日:JR京都駅NKビル開業。ビックカメラJR京都駅店が入店。店内に嵯峨野線ホームと直結する改札口の西洞院口を開設。 2008年(平成20年)2月13日:南北自由通路の西側橋上(西口改札前)に「スバコ(SUVACO)・ジェイアール京都伊勢丹」開業。 2009年(平成21年)7月20日:嵯峨野線当駅 - 丹波口駅間(京都駅構内は単線)が複線化。
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電報略号 キト 駅構造 高架駅(新幹線) 地上駅(橋上駅)(在来線) ホーム 2面4線(新幹線) 9面14線(在来線) 乗車人員 -統計年度- (JR西日本)-2014年- 193,972人/日(降車客含まず) (JR東海)-2014年- 35,000人/日(降車客含まず) 開業年月日 1877年(明治10年)2月6日 乗入路線 5 路線 所属路線 ■東海道新幹線 キロ程 513.6km(東京起点) ◄米原 (67.7km)(39.0km) 新大阪► 所属路線 A 東海道本線(琵琶湖線・JR京都線) (B 湖西線直通含む) キロ程 513.6km(東京起点) ◄**山科 (5.5km)(2.5km) 西大路**► 所属路線 E 山陰本線(嵯峨野線) キロ程 0.0km(京都起点) (2.5km) 丹波口► 所属路線 D 奈良線 キロ程 0.0km(***京都起点) (1.1km) 東福寺► 備考 JR西日本:直営駅(管理駅) JR東海:駅長配置駅(管理駅) みどりの窓口 有 Image may be NSFW. Clik here to view.Image may be NSFW. Clik here to view.
Image may be NSFW. Clik here to view. 現在のゴンドラは3代目で、愛称は初代・2代目と同じ「かもめ」と「さくら」。 1982年12月に導入された2代目は、2003年に当時の尾道市長の発案でそれまでの赤い車体から、公園の木々の緑に合わせたパステルグリーンに塗り替えられた。また、ゴンドラの前後には尾道市のシンポルマークが付けられ、車体名はアルファベット文字に書き換えられた。同年12月19日より通常運行が行われた。なお、この2代目の車両はは2011年1月30日午後5:15に運行を終了し、翌日から2月9日までは3代目車両への交換工事が行われた。
Image may be NSFW. Clik here to view. 3代目の車両は大阪車輌工業製。一般からデザインが公募され、福岡県のフリーデザイナーによるものが採用された。車体はダークブラウンで「さくら」は山をイメージした緑色のドア、「かもめ」は海をイメージした青色のドアがつけられている。車体名はひらがなに戻っている。また、新しい客車は窓の面積が旧客車に比べ約3割大きくなっており、窓外の景色が撮影しやすくなっている。3代目車両は、2月10日、試運転、試乗会と撮影会の後、午前10時より通常運転が開始された。
Image may be NSFW. Clik here to view. 2003年10月には、39年間無事故が続いたとして中国運輸局長表彰を受け、2007年3月26日に運行開始から50周年を迎えた。 2011年4月1日よりおのみちバスが運行を受託。おのみちバスとロープウェイのセット券「おのみちフリーパス」の販売も開始された。 2014年4月1日よりおのみちバスが指定管理者として引き続き管理・運営にあたることとなり、1月27日から3月7日まで2億2740万円をかけて開業以来使われていた原動機械装置を交換するなど大規模な改修が行われた。