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牧志駅 沖縄都市モノレール線(ゆいレール)

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牧志駅(まきしえき)は、沖縄県那覇市牧志三丁目にある沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は9。


国際通りの北側の入口に当たり、複合商業施設さいおんスクエアとデッキで直結する。牧志公設市場」の最寄り駅です。

牧志公設市場は沖縄県那覇市にある公設市場。別の場所に「雑貨部」「衣料部」があるが、通常「牧志公設市場」といえば魚介類・食肉類をはじめとした食料品の販売を中心とした「第一牧志公設市場」を指す。周囲の商店街は入り組んでおり、出入り口など位置関係がわかりにくいが、その分凝縮されているとみることができる。


現在は約200の店舗が入居しており、原則すべて独立業者である。同一業種の業者ごとに密集する市場形態は沖縄県外ではあまり見られないが、これは戦前あった東町市場の配列を参考にしたためといわれる。

駅構造
島式ホーム1面2線。エスカレーター・エレベーターあり。当駅の東側には、ポイントが設置されている。駅部分は周囲より一段低くなっています。


のりば
牧志駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
1 ■沖縄都市モノレール線 おもろまち・首里方面


2 県庁前・小禄・那覇空港方面

駅設備
コインロッカー - 改札内に設置。
中型(最初の8時間400円、以後2時間毎に200円追加)24個
公衆電話 - 改札外に1台設置。
自動販売機(飲料) - 改札外に1台(車椅子対応)、ホームに2台設置。
トイレ - 改札内に設置。


駅周辺
マンション
プレミスト牧志タワー国際通り
プレサンスロジェ牧志レーヴ
Fステージ牧志駅前
ワイズエステムコート安里国際通り
複合商業施設
さいおんスクエア - デッキで直結 2011年(平成23年)7月8日(那覇の日)オープン


バス停
牧志バス停(市外線専用) - 「自悠空間」喫茶店前
三越前バス停(市内線専用) - 沖縄三越前
牧志駅前バス停 - 「シー」バイク店前
教育機関
那覇市立壺屋小学校 - 駅前
金融機関
沖縄海邦銀行牧志出張所(ATMのみ) - 徒歩2分
琉球銀行壺屋支店 - 徒歩4分
郵便局
牧志郵便局
店舗
マックスバリュ牧志店 - 徒歩3分
サンエー那覇店 - 徒歩3分
りうぼう安里駅前店 - 徒歩4分
沖縄三越→HAPiNAHA - 徒歩約5分
農連市場(ぬーれんいちば) - 徒歩8分 青果店が数軒集まっており、水前寺菜、島にんじんなどの野菜が買える。
どん亭 - 徒歩1分 軽食
かつて存在した施設
COMO CONCEPT(雑貨・家具) - 徒歩1分、元大川家具(沖縄)、さいおんスクエア再開発により、古島駅近くの同家具店経営のMaxPlusと統合。
娯楽施設
桜坂劇場(映画館) - 徒歩約10分


観光
国際通り - 駅前
那覇市伝統工芸館(てんぶす那覇) - 徒歩約5分
第一牧志公設市場 - 徒歩約10分
宿泊施設
ダイワロイネットホテル那覇国際通り(さいおんスクエア内) - 徒歩2分
南西観光ホテル - 駅前
ステーションホテル牧志 - 徒歩1分
ホテルロイヤルオリオン - 徒歩2分
ホテルパームロイヤルNAHA - 徒歩約5分
ハイアットリージェンシー那覇沖縄 - 徒歩約7分


バス路線
牧志バス停、三越前バス停、牧志駅前バス停
国際通りの牧志バス停、三越前バス停、牧志駅前バス停を利用。牧志バス停は那覇市外線(系統番号20番以降、但し101番を除く)のみ、三越前バス停は那覇市内線(系統番号1番 - 17番、101番)のみ、牧志駅前バス停(「シー」バイク店前)は30番・泡瀬東線のみが停車する。当駅の駅前大通りは、バスレーンとしても有名な国際通りであるため、路線バスとの乗り換えは比較的楽である。(ただし、日曜日の12:00 - 18:00はトランジットモールが実施され、牧志バス停、三越前バス停は10番・牧志新都心線のみの発着となる。その他の路線の大半は牧志駅前バス停を利用する。)
牧志バス停、三越前バス停は最寄りの信号(南西観光ホテル前)を左折したところにあり、牧志駅前バス停は駅直下にある。
なお、信号を右折すると安里バス停もある。那覇市外に向かう場合は安里バス停から乗車する方が運賃が安くなる。

駅到着時の車内チャイムは、沖縄民謡「いちゅび小節(いちゅびぐゎーぶし)」を編曲したものが流れる。
安里駅とは直線距離で300mしか離れておらず、開業当初間に高い建物がなかったため目視できたが、牧志・安里再開発事業によるマンション建設のため現在は目視不可となった。
安里駅との間にはポイントがあり、2007年(平成19年)10月21日に儀保駅付近で行われた不発弾処理の際、朝8時頃〜処理完了までゆいレール史上初の那覇空港 - 当駅間での折り返し運転が実施された。
改札付近での沖縄方言による案内放送では「まちし」と発音される。

歴史
2003年(平成15年)8月10日 - 開業。

駅番号 9
所属事業者 Okinawa City Monorail Logo.png 沖縄都市モノレール
所属路線 ■沖縄都市モノレール線
キロ程 7.61km(那覇空港起点)


駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 3,038人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 2003年(平成15年)8月10日


E-3早期警戒管制機(AWACS機)アメリカ空軍

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E-3はボーイング社が製造した早期警戒管制機(AWACS機)。愛称は歩哨・哨兵・見張りの意味をもつセントリー (Sentry)。初飛行は1975年。

アメリカ軍は、大型の航空機にレーダーを搭載した空中早期警戒に高い関心を持っており、早い時期から早期警戒機を運用していた。ベトナム戦争の時期には、早期警戒(空載レーダー)にはEC-121(英語版)(ロッキード コンステレーションの派生型)を運用していたが、EC-121の管制能力は限定されており、指揮統制用のC-130Eの運用のほか、SAGEではデータリンクを通じて地上施設が指揮統制を行なったりしていた。技術発展に伴い、早期警戒のみならず指揮統制についても、同じ機体で行えることが求められるようになり、1963年には、EC-121の後継機の検討が開始されている[2]。技術発展を鑑み、新型機のレーダーにはグランドクラッターの影響を受ける低空飛行機体をも探知できるルックダウン能力も求められた。開発にはボーイング社、マクドネル・ダグラス社、ロッキード社が候補となり、1966年7月にはロッキード社が外されている。1967年にはレーダーが並行して開発されることとなり、ウエスチングハウス社とヒューズ社が競争開発にあたることとなった。陸地上空におけるレーダー(Overland Radar Technology,ORT)の開発は、EC-121Qを改装し、搭載・試験を行っている。ボーイング社は当初、専用の機体開発を検討していたが、十分な性能を有していた707の改設計機を用いることとした。改設計案としては、前傾した垂直尾翼の先端に円盤状のレドームを設置、航続時間延長のため、エンジンはTF34を8基装備する案も検討されている。1970年7月にマクドネル・ダグラス社のDC-8改造案を破り、ボーイング社の707改造案が採用されている。まず、競争開発されている空載レーダーを比較するため、2機の試作機(EC-137D)を製造することとした。試作機は、量産型の要求である14時間の航続時間を必要としなかったため、搭載エンジン数は707と同じJT3D4基のままとなった。
試作機EC-137は1972年2月9日に初飛行している。3月から7月にかけて、2種のレーダーの搭載飛行試験を行っている。試験の結果、1972年11月にウエスチングハウス社製のレーダーが採用されることとなった。ヒューズ社もF-15搭載のAN/APG-63を開発するなど優秀な技術を有していたが、ウエスチングハウス社はデジタル・パルスドップラーレーダーを開発し、実用化させた。このレーダーは、クラッター処理に優れており、低空飛行物体の探知も可能であるほか、水平線越えモード(BTHモード)では長距離捜索のみならず船舶の探知も可能である。
1973年1月26日より全規模開発に移行し、前量産型3機の発注が行われた。コスト削減のため、航続性能要求が緩和されており、エンジンはJT3Dが4基のままとなった。これらの初飛行は1975年2月である。
量産型の完成は1976年。アメリカ空軍では1977年から就役している。アメリカ空軍のほかは、NATOの共同運用のほか、エンジンをゼネラル・エレクトリックとスネクマ共同開発による新世代のCFM56に換装した機体がイギリス空軍、フランス空軍、サウジアラビア空軍で使用されている。このほか、パーレビ体制下のイランが1977年にE-3を7機発注し、1981年までに配備を完了させる計画だったが、1979年のイラン革命によってパーレビ体制が崩壊したため、契約は全てキャンセルされた。
改造母機として利用しているボーイング707の生産数にはこのE-3として製造されたものも含まれており、1981年以降はアメリカ海軍向けのE-6と共に軍用型しか生産されなくなっていたが、同機は1991年をもって生産終了となった。そのため1991年にE-3導入を検討していた日本の航空自衛隊はAWACS導入に別の母機が必要になり、翌1992年ボーイング社が提案したボーイング767を採用し、E-767として4機製造された。

機体
機体は、ボーイング707-320Bを母体として利用している。強力な電磁波を発生させるレーダーを装備する特性上機体には窓がほとんどなく、数少ない開口部である操縦席の前面風防には対電磁波防護を施したものが使用され、機体外壁や乗降ハッチ(ドア)等も対電磁波防護の施された分厚いものになっている。その他には、空中給油装置の付加や発電機の能力向上が行われている。後部胴体の上に二本の支柱に支持された円盤状のレーダードーム(レドーム。直径9.1m、厚さ1.8m)を搭載していることが外見上の大きな特徴である。大きなレーダードームを追加しながら、特に垂直尾翼の形状変更などの飛行安定性向上策は特に取られておらず、実際に飛行特性への影響もほとんどないといわれる。支柱の高さは3.4mあり、また、空気抵抗軽減のため、離陸時にはレーダードームは前下方に6度傾けられる。
アメリカとNATOのE-3は6,400kmの距離を飛行し、無給油で最大8時間滞空できる。フランス、サウジアラビア、イギリスが購入したE-3は、CFM56-2ターボファンに換装されており、8,000kmを飛行し、約11時間滞空することができる。空中給油を実施することでさらに航続距離を延長することも可能である。機内には、休憩スペースや食事スペースが設けられており、長時間の任務時に乗務員が交代で作業を実施することができる。
コックピットは、アメリカ空軍向けは707と同じだがNATOやそのほかの国へ輸出されたE-3は計器の一部がCRTディスプレイに差し替えられている。

アビオニクス
レドームは運用時は油圧により水平方向に毎分6回転し、非運用時でもロートドームの基部にある軸受けにオイルを循環させるために毎分1/4回転している。レーダーは大量の熱を発するため冷却のためにレーダードームには機器冷却用の通風孔が設けられている。
レドームの片方に搭載されるAN/APY-1レーダーは、Sバンドを使用するパッシブフェーズドアレイレーダーであり、機体の傾きを検出して走査を自動的に補正する機能を備えている。動作モードはパルス・ドップラー非高度走査、パルス・ドップラー高度走査、水平線以遠、洋上モード、インターリーブド、パッシブモードの6種類がある。探知距離は250mi(400km)以上[11]、低空を飛行している目標に対し200マイル(320km)で、同時に600個以上の目標を探知、200個以上の目標を追尾できる。ルックダウン時に、グランドクラッター(英語版)を排除しつつ低空を飛行している目標を識別、追尾するために二次レーダーも統合されている。後に、レーダーは海上監視能力を強化したAN/APY-2となった。もう片方には、AN/APX-103敵味方識別装置が装備される。なお、IFFを補完するため、レーダー自体も非協力的目標識別(NCTR)と呼ばれるレーダー反射波を解析することで目標識別が行うモードを備えている。
レーダーが収集した情報はコンピュータ処理され、11台(メイン9台と補助2台)設けられたコンソールのビデオスクリーン上にはデータがグラフィックや表形式で表示される。オペレータは、この情報をもとに監視、識別、武器制御、戦闘管理と通信を実施する。また、これらの情報はデータリンクを通じて、味方の艦船や管制所に送信することができ、緊急時には、RC-135またはタスクフォースを経由して国家指揮権限に転送することができる。これらの電子・機械設備で発生した熱は、ブレードエア(英語版)によって冷却される。

諸元
乗員:
E-3A: 操縦士4名、機器操作員13名
E-3B/C: 操縦士4名、機器操作員17名
全長: 46.62 m (152 ft 11 in)
全高: 12.73 m (41 ft 9 in)
翼幅: 44.42 m (145 ft 9 in)
翼面積: 268.7 m2 (2,892 ft2)
水平尾翼幅: 13.92 m (45 ft 8 in)
ロートドーム直径: 9.14 m (30 ft)
ロートドーム厚: 1.83 m (6 ft)
機首-ロートドーム中心間隔: 30.20 m (99 ft 1 in)
胴体上面-ロートドーム中心間隔: 4.27 m (14 ft)
胴体上面-ロートドーム下面間隔: 3.35 m (11 ft)
空虚重量: 73,480 kg (162,000 lb)
運用時重量: 147,400 kg (325,000 lb)
最大離陸重量: 156,000 kg (347,000 lb)
動力:
アメリカ空軍 / NATO
P&W TF33-PW-100A ターボファン, 93.4 kN (21,000 lbf) × 4
イギリス空軍 / フランス空軍 / サウジアラビア空軍
CFMI CFM56-2A-2/3 ターボファン, 106.8 kN (24,000 lbf) × 4
燃料容量: 22,936 U.S.gal (84,769 L)


性能
最大速度: 855 km/h=M0.70 (461 knots)
巡航速度: 940 km/h=M0.77 (506 knots)?
航続距離: 9,250 km (5,000 nm)
実用上昇限度: 9,300 m (29,000 ft)
連続警戒対空時間: 8~12時間
離陸距離: 2,420 m (7,940 ft)
離陸滑走距離: 1,945 m (6,380 ft)
着陸距離: 1,280 m (4,200 ft)
着陸滑走距離: 670 m (2,200 ft)
武装
搭載不可
チャフ・ディスペンサー 4基(エンジンパイロン部に各1基。スタンダードE-3A、E-3C)

「吉備之国くまなく旅し隊」国鉄115系電車 ラッピング列車

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伯備線『ふるさとおこし2号』全車両異なるラッピングがされています。

くまなく・たびにゃん

岡山支社では、平成28年春開催の「晴れの国おかやまデスティネーションキャンペーン」を契機に、「吉備之国くまなく旅し隊」を結成し、「ふるさとおこしプロジェクト」と「ふるさとの魅力発信」を地域の皆様とともに展開しています。
この取り組みの一環として、「くまなく・たびにゃん」をデザインしたラッピング列車を運行。また、車内には、「ふるさとあっ晴れ認定委員会」で認定された「えぇとこ」「えぇもん」「うめぇもん」などを紹介するポスターを重点的に掲出。


1 列車・運行期間
(1)ふるさとおこし1号(対象エリア:新見市、高梁市、総社市、矢掛町、井原市)
平成27年11月下旬から平成28年10月ごろ
(2)ふるさとおこし2号(対象エリア:真庭市、新庄村)
平成27年12月下旬から平成28年11月ごろ
※注釈ふるさとおこし3号以降、エリアをかえて全8編成を順次運転いたします。
2 列車デザイン(イメージ)
ラッピング列車デザインイメージ
3 運行区間
主に山陽線、伯備線、赤穂線で運行いたします。
4 列車車両
115系3両編成計8編成
5 その他
地元の観光地と「くまなく・たびにゃん」をデザインし、記念撮影にもご利用いただける歓迎ボードを岡山・福山エリア内の12駅に設置します。

国鉄115系電車は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した近郊形直流電車である。寒冷地区・急勾配路線での運用を目的にした近郊形車両で1963年(昭和38年)から1983年(昭和58年)まで改良を重ねながら1,921両が製造された。

同時期に製造された113系が暖地・平坦地向けであるのに対して、本系列は113系と基本的な部品の共通化をしつつも山間部・寒冷地・急勾配路線での運用を考慮し耐寒耐雪構造・勾配対策が施工された。またローカル線への投入が想定されたためクハ115形2両+モハ115形・114形ユニットで組成される4両編成を最小単位として運用できる構造を採用。1966年にはクモハ115形の製造開始により3両編成での組成も可能となった。

1000番台
上越線・信越本線などの寒冷地ならびに冬期降雪の多い地域での運用を考慮した耐寒耐雪強化構造が施工されたた区分で1977年から1982年(昭和57年)まで製造された。300番台をベースとするが、以下の設計変更・改良が行われた。
4人掛クロスシートが狭く評判も悪かったため417系電車と設計思想を統一し、座席幅930→1,040mm、間隔(シートピッチ)1,420→1,490mmとする従来の急行形車両並に拡大を行った「シートピッチ改善車」とした。これにともない側出入口間間隔の寸法と窓配置を変更した。
普通列車の冷房化が推進されていた時期にも関わらず長野・新潟地区向け車は、夏期でも酷暑となりにくい気候であること、および当時の国鉄が財政難で経費節減の観点から、冷房装置は搭載しないものの将来の搭載改造の際には工事簡略化ならびに工期短縮化を考慮した「冷房準備工事車」で落成した。
AU75形集中式冷房装置取付部にふさぎ板を取付。車体天井部にも切欠部を化粧板でネジ止めした。在来車では6基だった扇風機・通風器を7基(モハ114形は6基)に増設。
後に全車冷房化されたが、JR化後の施工車両は冷房装置が継承された会社で異なる。
客室暖房容量向上が実施されたことから冷房準備工事車も新造時から160kVA MGを搭載。
415系0'番台で試行された運転室開戸の膨張性シールゴムを使用した。
客用扉は戸締機構の改良により半自動時の人力による開閉時負担を低減。
極寒冷地での夜間滞泊による水管割損を避けるため485系1000番台で採用された自動給排水装置を搭載。伯備線電化名目で製造された昭和55年度第2次債務車(クハ115-1233- ・1149 - /モハ115-1107- /モハ114-1191- )からは屋根布がポリウレタン樹脂塗屋根に設計変更された。
従来の絶縁屋根布は剥がれた箇所から雨水が入り込み腐食するという問題点があったが、185系電車で試験的に採用されたポリウレタン樹脂を重ね塗りし滑り止めの珪砂を付ける塗屋根方式が効果を示したためである。この方法は車両重量増加やコスト増大を招くが、腐食防止の点で優れていたことから、201系電車などの新形式車や後に行われる特別保全工事車でも採用された。
引き続き伯備線増備目的で製造された昭和56年度第1次債務落成車(クハ115-1236- ・1152- /モハ115-1113- /モハ114-1197- )では、外板腰板部やAU75G形集中式冷房装置キセのステンレス化などさらなる腐食防止対策が施工された。
JR東日本・JR西日本では仕様が異なるが、内・外装のリニューアル工事も実施しているが、JR東海では313系3次車への置換えによって後述の2000番台車も含めて全車廃車された。

岡山電車区(岡オカ)
三鷹区から転入直後の横須賀色車1987年 岡山
三鷹区から転入直後の横須賀色車
1987年 岡山
2017年4月1日現在300番台・1000番台を中心に157両が配置され、山陽本線姫路 - 広島間[注釈 68]・伯備線・福塩線福山 - 府中間[注釈 69]・赤穂線播州赤穂 - 東岡山間・宇野線[注釈 70]・本四備讃線・予讃線宇多津 - 多度津間・土讃線多度津 - 琴平間[241]で運用される。
1990年代中期までは基本番台・800番台の非冷房車も所属しており、非冷房のまま1992年に廃車されたモハユニット・クハ115形トップナンバーの最終配置も当区所属であった。
300番台は1986年に三鷹電車区から転入のMc+M'+Tc元横須賀色車と小山電車区から下関転出後の1993年に岡山へ再転入してきた車両で当区新製配置車両は1000番台のみである。
2007年よりATS-P搭載工事が施工開始され2009年度にG編成を除き完了した。

大村駅九州旅客鉄道(JR九州)大村線

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大村駅(おおむらえき)は、長崎県大村市東本町にある、九州旅客鉄道(JR九州)大村線の駅である。快速「シーサイドライナー」と普通列車が停車する。

大村市は、長崎県の中央に位置する市。東は多良岳県立公園、西は大村湾を望む自然豊かな市である。また、長崎空港があることから、長崎県の玄関口としての面も併せ持つ。1897年に熊本の歩兵第46連隊(日本陸軍)が放虎原(ほうこばる)に駐屯し、各種サービス業者が営業を開始したことにより状況は一変する。1923年には海軍航空隊が、1941年にはアジア最大ともいわれた第21海軍航空廠が開設され、大村は「軍都」として発展した。1941年の人口は3万3千人ほどであったが、1943年には6万7千人と倍増し、1942年2月11日に大村町、三浦村、萱瀬(かやぜ)村、福重(ふくしげ)村、鈴田村、松原村の1町5村が合併し市制施行した。


第21海軍航空廠は1944年10月25日の大空襲で壊滅し、その後も度々米軍の艦載機等の攻撃に晒されている。長崎市への原子爆弾投下の際には海軍や陸軍の病院があったため(前者は現在の国立病院機構長崎医療センター、後者は現在の市立大村市民病院)多くの被爆者が搬送されてきた。一時期、長崎師範学校(現: 長崎大学教育学部)や長崎医科大学基礎医学部などが大村市内に移転しており学園都市としての発展も期待されていたが、いずれも1949年から1953年にかけて長崎市に再移転している。
戦後は世界初の海上空港である長崎空港や高速道路などのアクセスの利便性を活かしたハイテク産業などの面でも発展を続けている。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。かつて長崎本線の一部であった名残で、上下線とも構内配線が非常に長くなっている。互いのホームは跨線橋で連絡している。大きな木造駅舎をもつ。


直営駅で、みどりの窓口・自動券売機が設置されている。2012年2月にバリアフリー化工事が行われ、3月1日よりエレベーターが稼動した。2012年12月よりICカード「SUGOCA」に対応し、専用の改札機とチャージ装置が設置された。


放送は駅員による肉声放送だが、カラカラベルがあり大村夏越祭りなどの多客時に使用されていた。現在は常に列車接近時にベルが鳴るようになった。
2010年3月14日にFMおおむら(コミュニティFM)が開局した。

のりば
ホーム 路線 方向 行先
1 ■大村線 上り 竹松・ハウステンボス・早岐・佐世保方面


2 下り 諫早・長与/市布・長崎方面

駅周辺には長崎県交通局大村バスターミナル、大村駅前郵便局、ヤマダ電機テックランド大村店、イオン大村店、シーハットおおむら、大村市役所、大村市民会館、大村市立図書館、長崎空港(当駅よりバスに乗り換え)、まるたか生鮮市場三城店、ヒマラヤ、ガスト、マルキョウ

バス路線:長崎県交通局が長崎空港や諫早駅前などへ向かうバスを運行している。最寄りバス停は大村ターミナルまたは大村駅前。

1898年(明治31年)
1月20日:九州鉄道長崎線 早岐駅 - 大村駅間が開通し、同線の終着駅として開業。
11月27日:九州鉄道長崎線 大村駅 - 諫早駅 - 長与駅間が開通し、途中駅となる。
1907年(明治40年)7月1日:九州鉄道の国有化に伴い、国有鉄道長崎線の駅となる。


1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い、鳥栖駅 - 早岐駅 - 長崎駅間が長崎本線に改称。
1918年(大正7年)8月:シロアリ被害のため、現在の駅舎に改築。
1934年(昭和9年)12月1日:線路名称変更に伴い、長崎本線 早岐駅 - 大村駅 - 諫早駅間が大村線に改称。


1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)に継承。
2012年(平成24年)12月1日:同駅を含む長崎地区19駅にSUGOCAを導入

所属路線 大村線
キロ程 36.2km(早岐起点)
電報略号 ムラ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線


乗車人員
-統計年度- 2,564人/日(降車客含まず)
-2014年-


開業年月日 1898年(明治31年)1月20日
備考 直営駅
みどりの窓口 有

 

AV-8B ハリアー II 米国海兵隊

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AV-8B ハリアー II
AV-8B ハリアー II(AV-8B Harrier II)は、マクドネル・ダグラス(現ボーイング)社が短距離離陸垂直着陸機のホーカー・シドレー ハリアーを基にスーパークリティカル翼や揚力強化装置を組み合わせて開発した攻撃機である。
すでにイギリス軍での運用は終了したが、軽空母や強襲揚陸艦、小規模な飛行場といった他機の活動が制約される環境下で近接航空支援と戦場航空阻止をこなすことができる唯一の攻撃機として、現在もアメリカを始め、数ヶ国で運用されている。

VMA-214:Marine Attack Squadron 214 (VMA-214)は、米国海兵隊の戦闘機中隊からなるAV-8Bハリアー(V / STOL)ジェット。艦隊は、アリゾナ州の海兵隊航空基地ユマに拠点を置いており、海兵航空機グループ13(MAG-13)と第3海兵航空翼(第3MWW)の指揮下にある。

艦隊は、最もよくとして知られているブラックシープの第二次世界大戦の名声とその指揮官の1のために、大佐グレゴリー「Pappy」Boyingtonその回顧録は、また、1970年代のテレビ番組のインスピレーションを得たバアBaaの黒羊、後でとしてシンジケートブラックシープの戦隊を、どの戦争中の飛行隊の悪用を劇的に描いた。

アメリカ海兵隊ではハリアー GR.1の改良型であるAV-8A ハリアーを1971年より部隊配備し、ホーカー・シドレー(現BAEシステムズ)社とマクドネル・ダグラス社はハリアー第二世代の開発に向けてパートナー・シップを結んだ。しかし、イギリス軍とアメリカ軍は、打撃・航空阻止の任務においてはF-4、F/A-18やトーネード IDSといった攻撃機が必要であると考えていた。ハリアーは亜音速機の上、航続距離が短く、視程外射程(BVR)ミサイルを搭載できない。そのため、敵戦闘機と渡り合うことが困難で、電子機器が貧弱であり昼間攻撃しか行えず、対地攻撃任務の投入もその危険性を指摘されていた。
イギリス政府の支持を得られなかったホーカー・シドレー社は脱落したが、アメリカ海兵隊の認識は異なっていた。世界中に部隊を展開する上で滑走路や航空機用シェルターなどコンクリートで守りを固められた基地は数が限られており、兵器庫や燃料庫は攻撃目標として選定されやすいうえに攻撃に対して脆弱であった。また、上陸侵攻直後には滑走路の確保自体に問題が生じる可能性があった。垂直離着陸機は、規模が小さく設備の不十分な飛行場でも活動でき、そこが利点となる。
アメリカ海兵隊は、武装搭載量の増大など、より実用的な垂直離着陸攻撃機を求めており、1975年にマクドネル・ダグラス社から提出されたハリアー改良案を了承した。これにより、オリジナルのハリアーに複合材料の導入などの軽量化策を施し、実質的な兵装搭載量を増大させたAV-8B ハリアー II(ハリアー・ツー)を開発することとなった。ハリアー IIは、AV-8A改造の試作機YAV-8Bが1978年11月9日に初飛行を行っている。量産開始は1982年。
この機種をイギリス軍はGR.5として逆輸入し、さらに改良を加えたGR.7、電子機器の更新と兵装の強化を行ったGR.9を、2010年11月24日の退役まで使用した。こうした経緯のため、ハリアー IIの製造者はBAEシステムズ社とボーイング社の英米2社であるが、アメリカとイギリスのハリアーII自体の能力は異なる。
現在までに精密爆撃と夜間攻撃能力を備えたハリアー IIは、300機以上生産されている。

機体
ハリアーの発展型であり、基本的な機体形状はほぼ同等である。高翼配置の主翼を持ち、機首下部・左右主翼の端部・機体後部に、姿勢制御用のバルブ付の補助ノズルが取付けられているが、胴体幅が拡大されており、推力が20%向上しているロールス・ロイス ペガサスエンジンを搭載している。そのため、垂直離陸時の最大離陸重量が増加している。胴体脇の計4ヶ所の排気口の形状は、斜めにテーパーを付けて切られていた形状をゼロスカーフ・ノズルと呼ばれるダクト形状に変更され、排気口が下向きになった際に、排気が地面で拡散されず上向きの推力が効率よく得られるようになっている。また、エンジンの空気取入れ口の改善を行い、1%のリカバリー向上とエンジン巡航時での効率の改善がなされている。
コックピットの座席を30cm高い位置に移動し、キャノピーは水滴型に変更して大型化され、下方視界が拡大している。コックピットには、前方中央上部にHUD(ヘッドアップディスプレイ)があり、その下にはテンキーとコマンド・ボタンを組合わせて、無線周波数や航法モードの操作を行うUFC(アップ・フロント・コントロール)がある。左側計器盤には、単色の多機能CRT表示装置があり、兵装状況やAN/ASB-19 ARBS(英語版)(Angle Rate Bombing System:角度率爆撃システム)の情報などを選択して表示でき、右側計器盤にはエンジン回転数・排気温度・排気ノズルの排気口角度などのエンジンに関係する計器がまとめて取付けてある。また、操縦桿とエンジンの出力を制御するスロットル・レバーには、HOTAS概念を導入している。
主翼にはスーパークリティカル翼を採用して、翼幅が増加して翼面積も14%拡大しており、翼厚を厚くして翼内の燃料の搭載量が増加している。また、主翼付け根前縁にはLERXと呼ばれる小さな延長部が取付けられている。これは、空戦での機動性を向上させるもので、イギリス空軍のGR.5に装着されていたのだが、後に本機にも装着された。機体重量の軽量化を図るため、主翼・水平安定板・機首部には炭素繊維強化プラスチック(CFRP)複合材料を使用しており、本機の機体構造重量におけるCFRPの使用比率は26%を占めている、主翼のハードポイントも2ヶ所増設され、翼端にあった補助車輪が内側に移動している。また、ハリアーまたはAV-8とシーハリアーで使用されていたフェリー用翼端は使用されていない。
胴体下のガンポッドにストレーキが設けられ、VTOL時の揚力向上に寄与している。また、ガンポッドを使わない時は代わりに2枚のフェンスを装着し、胴体下部の中央に装備されている引き込み式のフェンスを組み合わせて囲い部分を構成する。左右のフェンスは、地面に当たって跳ね返ったエンジン噴流を効率良く反射して機体の揚力に変換し、引き込み式のフェンスは、排気がエンジンの空気取入れ口に入り込まないようにする[3]、LIDSと呼ばれる胴体揚力増強装置に取り替えることができる。そのため、垂直離陸での揚力が増加している。

湾岸戦争では5機が撃墜され、2名が戦死し、1,000ソーティあたりの被撃墜は1.5機となっている。これは、同戦争に参加したA-10攻撃機の3倍、F-16多用途戦闘機の7倍の損耗率である。アフガニスタン侵攻やイラク戦争では湾岸戦争での経験を生かし、高高度からのレーザー誘導爆弾による爆撃に戦術を切り替えたため、損失が格段に少なくなっている。
初期に開発されたハリアーはレーダーを装備しておらず、空対空ミサイルは赤外線誘導の短射程ミサイルのみだったが、AN/APG-65を搭載したAV-8B+ ハリアー II プラス(Harrier II Plus)は、AIM-7 スパローならびにAIM-120 AMRAAM中距離空対空ミサイルの搭載が可能であり、イタリア海軍とスペイン海軍は、本機を艦隊防空戦闘機としても運用している。
垂直離着陸機の実用性を示したという点で、ハリアーは一時代を築いた航空機だが、構造上、エンジンによって性能が確定してしまうにも関わらず、現実にはVTO時の余剰推力に乏しく、搭載量を向上させるために離陸時に後方斜め下にノズルを向けて滑走するSTO方式が併用されるようになった。また、陸上基地から運用される空軍型や、大型の強襲揚陸艦から運用するアメリカ海兵隊に比べて、滑走距離をとれない艦艇でのSTO運用時の効率を高める方法としてイギリス海軍においてスキージャンプ方式が開発され、他のハリアーユーザーであるイタリア海軍、スペイン海軍の軽空母にも採用されている。
また、通常のターボファン機とは異なり、熱排気が低温のバイパス流と混和冷却されずに純ジェット同様に直接排出されることから、赤外線誘導ミサイルの追尾を受けやすいと言われるなどの生残性の問題や、性能向上にはエンジンの改良が必須でありながらその開発費が莫大であることから(そもそもハリアーのペイロードレンジを2倍にするAV-16計画から、エンジン推力を2割強化するエンジン開発を費用の問題から断念して翼型などの要素研究をフィッティングしたものがハリアーIIである)、ハリアーを運用する各国もこれ以上の改良型の計画を持っていない。
ただ、垂直離着陸機ないし短距離離着陸機のもつ運用上の利点は十分に認識されているため、ハリアーの占めてきたポジションの後継には統合打撃戦闘機(JSF)計画に基づくF-35B ライトニング IIが占める予定であり、アメリカを中心とした国際共同による開発が行われている。

乗員: 1名
全長: 14.12m (46ft 4in)
全高: 3.55m (11ft 8in)
翼幅: 9.25m(30ft 4in)
翼面積: 22.61m2 (243.4ft2)
空虚重量: 6,742kg (14,865lb)
運用時重量: 10,409kg (22,950lb)
最大離陸重量:  
滑走離陸時:14,061kg(31,000lb)
垂直離陸時:9,414kg(20,755lb)
動力: ロールス・ロイス製 ペガサス 105 ターボファンエンジン、96.75kN (9,870kg) × 1
性能
最大速度: M0.89 (1,085km/h, 675mph)
フェリー飛行時航続距離: 3,300km (1,800nm)
航続距離: 2,250km (1,400mi, 1,200nm)
上昇率: 4,485m/min (14,700ft/min)
翼面荷重: 460.4kg/m2 (94.29lb/ft2)
推力重量比: 0.95
武装
ハードポイント×7箇所、計5,986kg(13,200lb)
固定武装: GAU-12U イコライザー 25mm機関砲ポッド(300発)
ミサイル:  
空対空ミサイル
AIM-9 サイドワインダー
AIM-120 AMRAAM
空対地ミサイル
AGM-65 マーベリック
空対艦ミサイル
AGM-84 ハープーン
対レーダーミサイル
AGM-88 HARM
爆弾:  
ペイブウェイ
Mark77
クラスター爆弾
レーザー誘導爆弾
自由落下爆弾
アビオニクス:  
AN/APG-65 火器管制レーダー

柚木駅 静岡鉄道静岡清水線

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柚木駅(ゆのきえき)は、静岡県静岡市葵区宮前町にある静岡鉄道静岡清水線の駅である。駅番号はS05。

駅舎はアーチを描いた屋根とブルーの駅名つき壁面を持つ、鉄骨造です。

対向式ホーム2面2線だが、ホームはそれぞれ線路の北側にある。よって上り(新静岡方面)のホームは上下線に挟まれた形になっている。上下ホーム間は地下道で結ばれている。

かつては島式ホームであったが、老朽化に伴う改築によって対向式ホーム2面2線、上下線分離式に改められた。

尚改築工事中は、踏切を挟んだ新静岡駅側に仮設ホームが設けられた。
自動改札機(3台)、自動券売機(2台)があり、駅係員が配置されている時間帯もある。
上下線それぞれにスロープがあり、バリアフリーに対応しているが、新静岡方面ホームのスロープを使用する際は駅員に声を掛けて、スロープを開錠してもらう必要がある。またその為駅本屋から本線を渡る必要があり、駅員不在の時間帯の利用も含めて不便となっている。


のりば
1 ■静岡清水線(下り) 草薙・新清水方面
2 ■静岡清水線(上り) 音羽町・新静岡方面

近隣には東海大学短期大学部や専門学校があり、学生の利用が多い。朝夕通勤時間帯の前後に柚木発新静岡行き、新静岡発柚木行きの区間列車が運転される。車両基地である長沼工場への引き込み線が、長沼駅手前の新静岡寄りにあることから、同駅のホームに入らずにそのまま入出庫するためである。

駅前には駐輪場があります。

1908年 - 曲金駅として開業。
1930年3月31日 - 移転する。
1942年 - 護国神社前駅に改称。
年月日不詳 - 柚木駅に改称
現在でも「護国神社前」は副称として残り、「柚木(護国神社前)」と案内されている。
2008年2月27日 - ホームに転落防止柵取り付け

駅番号 S05
所属事業者 静岡鉄道
所属路線 静岡清水線
キロ程 2.0km(新静岡起点)
駅構造 地上駅
ホーム 対向式 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,497人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1908年(明治41年)12月9日

桜橋駅 静岡鉄道静岡清水線

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桜橋駅(さくらばしえき)は、静岡県静岡市清水区春日一丁目にある静岡鉄道静岡清水線の駅。駅番号はS13。隣駅狐ヶ崎との駅間距離が線内平均の倍以上と離れているために駅勢圏が広く、利用客数が多い駅です。

駅構造
対向式ホーム2面2線だが、新清水方面のホームは上下線に挟まれて作られている。その構造は同じ静岡鉄道の柚木駅に似ているが、桜橋駅では上下ホームが踏切で結ばれている。 また、上下ホームはずれている。

これはかつて新清水方面のホームを島式ホームとして使用していたものを、ラッシュ時のホーム上の混雑軽減を図る為に、新静岡方面のホームを新たに設置し、上下線ホームを対向式ホームに分離するという苦肉の策による。但し、この改良は同駅が先に行っている。その名残で、新清水方面行きのホーム上屋はホームの中央に支柱がある両流れ屋根となっている。鉄骨造の駅舎です。並走する道路高架橋沿いの狭い立地で、駅前広場はありません。


かつては当駅から駒越を経由して三保へ至る支線「三保線」が計画され、一部で着工されたが、第二次世界大戦による空襲によって旧清水市が甚大な被害を蒙ったことから建設を断念、その後1955年に建設免許失効となった。
新清水方に非常用の上下渡り線が設置されている。この渡り線は東海地震発生時に海抜が低くて津波被害が予想される桜橋 - 新清水間が抑止されるのを想定して2006年に設置されたもので、隣の入江岡駅とのほぼ中間地点に設けられている。

東海地震の警戒宣言などで桜橋 - 新清水間の運行が抑止された場合は当駅で旅客営業を打ち切り、隣の入江岡駅まで回送運転して折り返し、この渡り線で新静岡方面に転線させた後に再び桜橋駅まで回送運転し、桜橋始発列車として運行される。この場合、入江岡駅は係員を配置の上で閉鎖される。設置後はほとんど使用されなかったが、2011年3月11日に発生した東日本大震災で津波警報が発令された影響で12日まで当駅から新清水駅間までが抑止され、設置後初めてこの渡り線を用いた本格的な営業運転が行われた。この時は行き先幕が無かったため、行き先幕を「臨時」にした上でフロントガラスに「新静岡 - 桜橋」と書かれた紙を貼って運行されたが、2011年10月1日のダイヤ改正で幕が一新されて「新静岡 - 桜橋」の行き先幕が用意された。

のりば
1 ■静岡清水線(下り) 入江岡・新清水方面
2 ■静岡清水線(上り) 草薙・新静岡方面


利用状況
「静岡市統計書」によれば、2014年度の一日平均乗車人員は2,116人、降車人員は2,186人であった。この乗降人員数は、静岡清水線全15駅中5番目である。

ちびまる子ちゃん - 駅名はないが、物語に一回当駅らしき駅が描かれていた。


駅周辺
静岡市立清水入江小学校(ちびまる子ちゃんに登場するまる子たちが通う小学校と同じ、当時は「清水市立入江小学校」であった。)
市立清水桜が丘高校
市立清水中央図書館
岡生涯学習交流館
社会保険桜ヶ丘総合病院

 


歴史
1950年(昭和25年)、当駅付近で並走している国鉄東海道本線で貨物列車の脱線事故が発生、脱線した車両で同上下線が不通となる事態となり、静岡清水線も下り線が塞がれた。この時、静岡鉄道は静岡清水線を遊園前(現:狐ヶ崎)駅以東を運休とし、残った上り線を国鉄の線路と連結・供用して、旅客・貨物ともに大動脈である国鉄東海道本線の長期不通の回避を図った。この件では、運輸省(現:国土交通省)から静岡鉄道へ感謝状が贈られている。
1996年(平成8年)3月31日以前のダイヤにおいても急行停車駅であった。
1908年(明治41年)12月9日 - 開業。

駅番号 S13
所属事業者 静岡鉄道
所属路線 静岡清水線
キロ程 10.0km(新静岡起点)
駅構造 地上駅
ホーム 相対式 2面2線
乗車人員
-統計年度- 2,116人/日(降車客含まず)

-2014年-
開業年月日 1908年(明治41年)12月9日

 

Beechcraft E33 Bonanza(単発レシプロ軽飛行機)

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ビーチクラフト ボナンザ (Beechcraft Bonanza) は、ビーチ・エアクラフト社(現ホーカー・ビーチクラフト社)が開発した単発レシプロ軽飛行機シリーズ。

堅牢な訓練機、高級な自家用機として高く評価されている。1947年から生産開始されたが、時代に合わせて改良され続け、現在も生産が続く長寿な機体。現在のビーチクラフト社の発展の基礎を築いた、商業的にも技術的にも重要なモデルである。
技術的には、戦後のビーチ社の双発機シリーズの出発点でもあり、ボナンザをベースに双発化したものとしてモデル95 トラベルエア、モデル50 ツイン・ボナンザがあるが、前者は後にバロンシリーズに発展、後者もモデル65 クイーンエアを経てキングエアシリーズへと発展し、それぞれ現在も生産が続く。
軍用機としてはT-34およびその派生型の使用国が多いが、ボナンザも各国の軍隊・公的機関・航空会社などで練習機や連絡機として使用されている。特殊な例として無人電子偵察信号中継機のQU-22が存在する。

モデル33 デボネア / ボナンザ
モデル35のV型尾翼配置を、通常の単尾翼形式に改めたモデル。ビーチ社はモデル35とは異なる顧客層(パイパー社製コマンチを好むような)をターゲットに標準的な尾翼のモデル33を開発した。モデル35ベースであるが、より廉価なマーケットを狙ったため当初は内装等の装備も簡素であった。
V字尾翼のモデル35は上級機種という位置付けで、これと区別してデボネア(Debonair)と呼ばれたが、市場の要望により次第に高級化されてゆき、1968年のモデル36の登場を機に、33・35・36の各型でひとつのボナンザシリーズを形成するということで、デボネアからボナンザに改名された。

モデルE33(1968年)
116機生産。IO-470-K(225hp)装備。前面風防がより空気抵抗の少ない形状("Speed Sweep" windshield)に形状変更、この年から愛称がボナンザに変更となる。 
)

用途:軽飛行機
製造者:ビーチクラフト(現ホーカー・ビーチクラフト)
運用者:多数の個人ユーザー、事業者、政府機関
初飛行:1945年12月22日
生産開始:1947年2月


新静岡駅 静岡鉄道静岡清水線

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新静岡駅(しんしずおかえき)は静岡市葵区鷹匠一丁目にある静岡鉄道静岡清水線の駅である。旧駅名は「鷹匠町(たかじょうまち)」。同線の起点である。駅番号はS01。JR静岡駅の北方500mに位置します。
静岡清水線の車両工場が長沼駅に移転するまでは同所に車両工場があり、静岡清水線並びに軌道線車両(静岡市内線・清水市内線)の車両を受け持っていた。また、JR静岡駅と連絡していた静岡市内線は廃止されましたが静岡市内線が健在だったころは同駅が静岡清水線との乗り換えターミナルとなっていた。線内最大の乗降客数を誇る中枢駅です。

駅構造
島式ホーム2面3線(頭端式)を有する地上駅。 静鉄プロパティマネジメントが管理・運営する9階建ての商業施設「新静岡セノバ」が併設されている。
改修工事前は、新静岡センターの立体駐車場が覆いかぶさり、高さが低い3番線は剛体架線となっていたが、新静岡センターの建て替えと立体駐車場解体工事に伴い、3番線ホームと共に撤去された。
電車乗り場は、改修工事前は新静岡センター地下1階(食料品フロア)に設けられた出改札口から階段を利用してプラットホームに向かうようになっていたが、その後、新静岡セノバ竣工後は1階の鷹匠町側からけやき通り側へ連なる自由通路から段差なく直接プラットホームにアクセス可能な構造に改められて、バリアフリーに対応した。

切符売場に券売機はタッチパネル式2台を含め計3台。改札口の改札機はICカード専用機を含め計5台が設置されています。

のりば
1・2 ■静岡清水線 草薙・新清水方面(日中はこちらへのみ入線)


3 ■静岡清水線 草薙・新清水方面(2番線降車ホーム兼用)
当駅は、静岡市の中心市街地に位置し、静岡清水線全15駅の中で最も利用者が多い。


駅周辺
静岡市静岡地区の中心部にある。
静岡駅 - 東海旅客鉄道 徒歩7分
静岡県庁
静岡市役所静岡庁舎
葵区役所
駿府城公園(駿府城址)
丸井静岡店
松坂屋静岡店
静岡伊勢丹
SHIZUOKA109
静岡PARCO

バス路線
しずてつジャストラインが運行している(バス停の名称は「新静岡」「新静岡伝馬町」「新静岡御幸町」)。
高速バス
静岡横浜線(横浜ライナー号)
新静岡新宿線(駿府ライナー号)※JRバス関東と共同運行
静岡成田空港線(成田空港行)
静岡大阪線(京都大阪ライナー号)※阪急バスと共同運行
静岡甲府線 ※山梨交通と共同運行
空港リムジンバス
静岡成田空港線(成田空港行)
富士山静岡空港線(富士山静岡空港行)


新静岡バスターミナル
当駅のある新静岡セノバ1階にあるバスターミナル。
ターミナル開放時間 5:35-1:00
しずてつジャストラインが運営している。
運行の都合上、ターミナル内に乗り入れない路線もある。
10番は欠番
新静岡バス停(新静岡バスターミナル内)
1番
中部国道線 (本通・丸子営業所・藤枝市岡部支所前・藤枝大手経由 藤枝駅前行き)
深夜急行藤枝号 藤枝駅前行き ※金曜日のみ運行(但し、祝日は運休)
丸子(まりこ)線
丸子小坂(おさか)線
牧ヶ谷線
丸子清閑町線
2番
東新田下川原線
用宗(もちむね)線
藁科線
西ヶ谷線
千代慈悲尾(せんだいしいのお)線
小鹿線
3番
こども病院線
唐瀬線
上足洗線
安東循環線(水落まわり)
駿府浪漫バス
4番
水梨東高線
竜爪山線
東部団地線
北街道線
5番
中原池ヶ谷線(新静岡→徳洲会病院)
日本平線
県立美術館線
安倍線(運転免許センター・油山・上落合 他方面)
6番(高速バス・空港リムジンバス・夜行バス系統)
富士山静岡空港線(富士山静岡空港行)
特急静岡相良線
静岡横浜線(横浜ライナー号)
新静岡新宿線(駿府ライナー号)
静岡成田空港線(成田空港行)
静岡大阪線(京都大阪ライナー号)
静岡甲府線
7番
降車専用
8番
降車専用
新静岡バス停(北街道沿い)
9番
安東循環線(中町まわり)
降車(北街道からの各線)
新静岡伝馬町バス停(ペガサート前)
11番
美和大谷線(東大谷方面)
県立病院高松線(登呂コープタウン方面)
大浜麻機(おおはまあさばた)線(大浜方面)
中原池ヶ谷線(徳洲会病院方面)
井の宮線
西部循環線(駒形まわり)
新静岡御幸町バス停(電電ビル前)
12番
美和大谷線(美和方面)
県立病院高松線(県立病院方面)
大浜麻機線(麻機方面)
中原池ヶ谷線(唐瀬方面)
西部循環線(中町まわり)

駅ビルの改築
年間800万人以上の来客と100億円を超える売り上げのある新静岡センターであったが、開業から40年以上が経ち、ビル自体も老朽化しており、バリアフリー化が遅れている事や、敷地面積の3分の1程度しか建物として高度利用されておらず、専門チームを編成し、大掛かりな改築プロジェクトを進めた。設置者の静岡鉄道は、2009年1月31日の営業をもって新静岡センターを一時営業休止とする方向で、現在の入居テナントに退店又は契約継続の協議を進めている事を発表した。
現在のビルとバスターミナルを解体した上で新たに建設する計画であり、2011年度までに完了させる予定としていた。
改築後は地上11階・地下1階建て、店舗面積約32000平方メートル(改築前のビルは約13000平方メートル)、延床面積約93000平方メートル。地下1階は食料品フロア、地上1階はバスターミナル、鉄道駅、コンコース、衣料品店、地上2~5階は衣料品や雑貨店などの商業施設、6~8階は駐車場、9階以上は複合映画館などとなる。東急ハンズ、しずてつストア、静活系シネマコンプレックス「シネシティ・ザート」を核テナントとした。また隣接地に「静鉄鷹匠ビル」も建てられ静岡鉄道の本社事務所となり「新静岡セノバ」と道路を跨いだ連絡通路も設置された。

改築工事のスケジュール
2009年1月31日をもって新静岡センターの営業を休止。
但し、地下1階のしずてつストアは3月2日までは店舗スペースを縮小の上、現在地で営業を継続。
新静岡駅3番線ホームも閉鎖。これに伴い、2月1日からダイヤを修正。4月1日に改札が地上に移転。
バスターミナルは3月31日まで変更されなかった。
2009年
3月3日 - しずてつストアが葵区鷹匠2丁目に移転。
3月9日 - 静岡鉄道本社が追手町3丁目に移転。
3月31日をもって現在のバスターミナルを閉鎖。周辺に設置する仮停留所または静岡駅に移転。
2009年4月1日からバスターミナルが閉鎖、静岡清水線電車の仮設改札口が開設される。
11月25日 - 仮設改札口が移転する。
2010年3月5日 - 新ターミナルビル本体起工式を行う。
2011年
3月26日 - 仮設改札口が再度移転する。
9月26日 - 静岡鉄道本社が静鉄鷹匠ビルに移転。
10月5日 - 新ターミナルビル「新静岡セノバ」が開業。
10月11日 - 新静岡バスターミナル、供用再開。

パサールカードには、「静岡」と表示される。
駅の新清水寄りに設置されている両渡り線には、かつて走行時に発生するレールと車輪が軋む音を低減させる目的で散水装置が設置されていたが、新清水駅共々程なく撤去された。
2008年に、プラットホームで「杉ちゃん&鉄平」のコンサートが開催されている。


歴史
2009年1月3日
1908年(明治41年)12月9日 - 鷹匠町一丁目71番地(現鷹匠一丁目1番)に鷹匠町(たかじょうまち)駅として開業。
1954年(昭和29年)10月1日 - 新静岡駅に改称。
1962年(昭和37年)9月15日 - 静岡市内線廃止。
1966年(昭和41年)
5月10日 - 新静岡バスターミナルが完成。
5月15日 - 駅ビル型ショッピングセンター「新静岡センター」完成。
1992年(平成4年)9月1日 - 自動改札機設置。
2009年(平成21年)
1月31日 - 新静岡センター、建て替えに伴い営業終了。
3月31日 - 同日をもってバスターミナルを閉鎖。周辺に設置する仮停留所または静岡駅に移転。
2010年(平成22年)3月5日 - 新ターミナルビル本体起工式を行う。
2011年(平成23年)
10月5日 - 新ターミナルビル「新静岡セノバ」が開業。
10月11日 - 新静岡バスターミナル、供用再開。
2012年(平成24年)10月上旬 - 改札機の1レーンをIC専用機とする。

駅番号 S01
所属事業者 静岡鉄道
所属路線 静岡清水線
キロ程 0.0km(当駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 櫛形 2面3線
乗車人員
-統計年度- 9,240人/日(降車客含まず)
-2015年-
乗降人員
-統計年度- 18,337人/日
-2015年-
開業年月日 1908年(明治41年)12月9日
乗換 静岡駅 - 東海旅客鉄道 徒歩7分

SHUN TAI No.6 一般貨物船(鉄くず船)

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SHUN TAI No.6は一般貨物船で本田重工業株式会社 が1990年に建造した船舶です。一般貨物船は内航貨物船の標準的な船型で、いろいろな貨物に対応した汎用性のある構造になっています。

この船は、鉄鋼製品を輸送するため、荷傷み防止と積み付け効率をよくするように、 艙内を総板張りにしています。

国土交通省海事局の我が国で拘留された船舶一覧(2016年1月)に船名がありました。

拘留港:Osaka 拘留年月日 :2016-01-18 拘留解除年月日 :2016-01-19 拘留理由となった欠陥の概要:Closing device of ventilator.換気口に不具合があったのでしょうか。

IMO: 8921729
MMSI: 514221000
呼出符号: XUVG3
船籍国: Cambodia [KH]
AIS Type: Cargo
総トン数: 1467
載貨重量トン: 1400 t
全長 x 幅: 70m × 12m
造船:本田造船製
建造年: 1990
母港: PHNOM PENH

LVS (軍用車両)アメリカ海兵隊

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LVS(Logistics Vehicle System)は、アメリカ合衆国のオシュコシュ社によって開発され、アメリカ海兵隊で運用されている8輪構造(トラクターユニット4輪、トレーラーユニット4輪)、積載量10~20tクラスの輸送用大型軍用車両シリーズの名称である。
2009年に登場した改良型のLVSR(Logistics Vehicle System Replacement)は連結機構を廃し、10×10輪駆動の車両となっている。

LVSは1985年にM123 10tトラクター(英語版)の後継としてアメリカ海兵隊に採用された輸送用の大型車両で、アメリカ陸軍で採用されているHEMTT(Heavy Expanded Mobility Tactical Truck)やPLS(英語版)(Palletized Load System)と類似する車両であるが、これらの車種との大きな違いとして、前部のトラクターユニットと後部のトレーラーユニットが連結されて運用される構造になっている事が挙げられる。


改良型のLVSRは2009年に実践配備された新型車両で、前部・後部の連結機構を廃止し10×10輪駆動の通常のトラックの構造となり、陸軍のPLS(英語版)とほぼ同様の車両になっている他、MTVRと同様のTAK-4サスペンションシステムの採用、装甲銃塔(MCTAGS)の搭載、追加装甲キット適用などの改良が行われており、アメリカ海兵隊のアフガニスタン紛争への作戦にMTVRやMRAP、M-ATVと共に派遣され実戦で使用されている。
LVS・LVSRは、第二次世界大戦で使用されたM25戦車運搬車と同様、"ドラゴンワゴン"と呼ばれる事もある。


LVSのバリエーション
LVSのトラクターユニットはFront Power Unit, FPUと呼ばれ、後部トレーラーユニットはRear Body Unit, RBUと呼ばれる。RBUは用途に応じ、何種類かのタイプが用意されている。
FPU
Mk48 FPU
基本型のFPU。450馬力のデトロイトディーゼル製V8エンジンとアリソン製オートマチック変速機を搭載している。キャブ部分はHEMTTとほぼ同様の形状である。
Mk48A1 FPU
Mk48の小改良型で、バッテリーボックスの改良、吸気口カバー改良、手すりや足掛けの追加などが行われている。
RBU
Mk14 Trailer, Container Transporter
ISO規格の20フィートコンテナを搭載可能なフラットベッドトレーラー。1台のMk48に2両のMK14を連結して使用する事も可能である。


Mk15 Trailer, Wrecker-Recovery
LVSを軍用回収車/レッカー車として使用するためのユニットで、ウィンチおよびブームクレーンを装備している。
Mk16 Trailer, Semitrailer Adapter
Mk16を連結したLVS全体を大型のトラクターユニットとし、より長いM870セミトレーラーを連結するために使用される連結器搭載のトレーラーユニット。


Mk17 Dropside Cargo With Material Handling Crane
通常のカーゴトラックのような、起倒式の側面板を持ったトラクターユニット。Mk14と同様に20フィートのISOコンテナを搭載する事も可能である。また、荷台後部に荷物の積み降ろしに使用できるクレーン(Material Handling Crane, MHC)が装備されている。


Mk18 Trailer, Ribbon Bridge/Container Transporter
リボンブリッジ(ポンツーン)やコンテナの積み下ろしのため、荷台部分に積み下ろし機構を備えたトレーラーユニット。荷台全体を後ろに傾け、大型のアームで荷物の積み下ろしが可能。
LVSRのバリエーション
LVSRではFPU、RBUの分割構造は無くなり、10×10輪駆動トラックとなっている。従来のLVSと同様、カーゴ型・回収車型・トラクター型が開発されている。


MKR15 TRUCK WRECKER, 10X10
MK15の後継に相当する軍用回収車/レッカー車仕様で、回収用ウィンチ、クレーンを装備している。2011年より実戦配備。


MKR16 TRUCK TRACTOR, 10X10
MK16の後継に相当する、M870セミトレーラー連結用の連結器搭載ユニット。2011年より実戦配備。
MKR18 TRUCK, CARGO, 10X10
LVSRでは最初に配備されたタイプで、従来のLVSのMK14・MK17・MK18の後継に相当するコンテナ搭載用カーゴトラック。MK18と同様の積み下ろし機構を備えている。


運用史
配備期間 1985年~ (LVS)
2009年~ (LVSR)
配備先 アメリカ海兵隊
関連戦争・紛争 イラク戦争、アフガニスタン紛争、他
開発史
開発者 オシュコシュ社
製造業者 オシュコシュ社
製造期間 1985年~ (LVS)
2009年~ (LVSR)


諸元
全幅 2.40 m
全高 2.60 m
要員数 2名
装甲 追加装甲キット装着可能(LVSR)
主兵装 MCTAGS(LVSR)
エンジン デトロイトディーゼル製V8ディーゼル、450hp(LVS)
CAT C15 ディーゼル、600hp(LVSR)
変速機 アリソン4速オートマチック(LVS)
アリソン7速オートマチック(LVSR)
行動距離 480 km
速度 92km/h(LVS)
105km/h(LVSR)

 

新神戸駅 (神戸市営地下鉄)・北神急行電鉄

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新神戸駅(しんこうべえき)は、兵庫県神戸市中央区加納町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・神戸市交通局(神戸市営地下鉄)・北神急行電鉄の駅である。

神戸市の新幹線における玄関駅であり、駅南側市街地の地域名「新神戸」の語源ともなっている(ただし「新神戸」という地名は存在しない)。新幹線の全営業列車が停車する主要駅の一つである。
当駅は神戸市街地北端の六甲山の山裾に位置し、JRの駅においては新幹線単独駅となっており、在来線の接続は無い。これは新幹線が東西に細長い神戸市街地を避けて、六甲山の麓をトンネルで通過しているためである。長大な六甲トンネルと神戸トンネルの狭間のわずかな地上区間に新幹線のホームがあり、ホームの両端からは両トンネルの坑口が容易に確認できる。なおこの地形上の制約により、待避線を設置することが出来ず本線に直接ホームが設置されている。これは東海道・山陽新幹線の「のぞみ」停車駅では唯一である(のぞみ非停車駅も含めれば東海道新幹線の熱海駅も同様の構造である)。
三宮などの中心市街地へは地下鉄や路線バスで連絡しているほか、北神急行電鉄(終点の谷上駅で神戸電鉄有馬線と接続)で有馬温泉など神戸市北部や三田市といった裏六甲地域とも連絡している。また淡路島や徳島方面への高速バス(西日本JRバス・JR四国バス・本四海峡バス)と新幹線との乗換駅としての役割を担う。
なお路線戸籍上、当駅は基本的に神戸駅と同一扱いであり山陽新幹線は当駅を境に新大阪方面は東海道本線、西明石方面は山陽本線の別線扱いとなっている。
事務管コードは▲610156を使用している。
乗り入れ路線
JR西日本の山陽新幹線、神戸市営地下鉄の山手線、北神急行電鉄の北神線の3社局3路線が乗り入れている。なお地下鉄山手線は直通先の西神線と合わせて「西神・山手線」と案内されている。西神・山手線は一部列車が当駅を境に北神線と直通運転を実施しているため、この2社局は同一の駅構内に発着し、駅番号も共通の「S02」が付与されている。
JR西日本の駅は特定都区市内制度における「神戸市内」に属する。


神戸市営地下鉄・北神急行電鉄
ホームは新神戸オリエンタルシティの地下にあり、新幹線の駅と新神戸オリエンタルシティはペデストリアンデッキと連絡地下道で結ばれている。
地下3階にコンコース、改札口があり、地下4階に相対式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有する地下駅。

谷上駅発着の電車は当駅で神戸市交通局と北神急行の乗務員が交代する。神戸市交通局は運転士と車掌が乗務するツーマン運転、北神急行は運転士のみのワンマン運転である。改札口は神戸布引ロープウェイ方面と山陽新幹線方面の2か所に分かれている。


神戸市営地下鉄・北神急行とともにPiTaPaに加盟しており、両社局とも全国交通系ICカードの相互利用に対応している。但し、2013年(平成25年)3月23日から2015年(平成27年)3月2日までは谷上方面へは全国交通系ICカードの相互利用の対象外で、神戸市営地下鉄での利用は可能であったが、2015年(平成27年)3月3日以降は谷上方面へもSuicaやPASMOなど、PiTaPa・ICOCA以外のカードで入場して利用できるように対応がなされた。


当駅のイメージテーマは「滝」。
地下鉄・北神急行 新神戸駅プラットホーム
ホーム 路線 行先 備考
1 ■北神急行北神線 谷上行き・有馬温泉・三田方面 有馬温泉・三田方面は谷上で神戸電鉄線に乗り換え
Subway KobeSeishin.svg西神・山手線 三宮・名谷・西神中央方面 一部の当駅折返し


2 谷上発
3 当駅折返し


谷上方面へ繋がっているのは1・2番線のみであるため、北神線より直通する列車は2番線に入線する。当駅で折返す列車は原則として3番線から発車するが、朝ラッシュ時には1番線で折り返す西神中央方面行き列車もある。夜間滞泊の運用も設定されている。
谷上方面への折り返しが可能な配線となっているが、当駅で谷上方面に折り返す列車は定期列車では存在しない。

神戸市営地下鉄・北神急行電鉄
1985年(昭和60年)6月18日 - 神戸市営地下鉄山手線の大倉山駅 - 当駅間が開業。
1988年(昭和63年)4月2日 - 北神急行電鉄北神線の当駅 - 谷上駅間が開業、相互直通運転を開始。
1995年(平成7年)
1月17日 - 阪神・淡路大震災発生により神戸市営地下鉄は全線で不通になる。
2月16日 - 神戸市営地下鉄が全線で運行再開。
2015年(平成27年)
2月25日 - 神戸市が、新幹線新神戸駅とを結ぶ連絡通路のリニューアルにあたりデザインイメージを発表。
2016年(平成28年)
11月24日 - 新幹線新神戸駅とを結ぶ連絡通路のリニューアルセレモニーを開催

地下鉄・北神急行 新神戸駅
駅番号 S02
所属事業者 神戸市交通局(Kobe Municipal Subway Logo.svg 神戸市営地下鉄)
Hokushinkyuko-logo.svg北神急行電鉄
所属路線 Subway KobeSeishin.svg 神戸市営地下鉄西神・山手線
(正式路線名は山手線)
北神急行電鉄北神線
キロ程 西神・山手線 - 0.0km(新神戸起点)
北神線 - 7.5km(谷上]起点)


駅構造 地下駅
ホーム 2面3線
乗車人員
-統計年度- 22,750人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1985年(昭和60年)6月18日
備考 共同使用駅(神戸市交通局の管轄駅)

県立美術館前駅 静岡鉄道静岡清水線

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県立美術館前駅(けんりつびじゅつかんまええき)は、静岡市清水区中之郷二丁目にある静岡鉄道静岡清水線の駅である。駅番号はS09。

県立美術館前の駅名ですが県立美術館は坂をひたすら上って約1km先にあります。

相対式ホーム2面2線を有する。新静岡側の線路を跨ぐ形で駅ビルが建っている。

県立美術館の最寄り駅という事で、ホーム上にはロダンの「考える人」など彫刻像のミニチュアレプリカが飾られている。

ホーム全面に上屋が設置されています。駅舎は駅ビルを併設した地上駅ですが一見、橋上駅に見えるデザインです。駅前広場はありません。

便所は改札内、下りホーム踏切脇にある男女共用の水洗式。


のりば
1 ■静岡清水線(下り) 草薙・新清水方面


2 ■静岡清水線(上り) 長沼・新静岡方面

切符売場には券売機が2台。改札口には改札機は2台あります。


駅周辺には静岡県立美術館、静岡県立大学、静岡県立中央図書館、南幹線、やぶきた種原樹がある。

バス路線:しずてつジャストライン草薙瀬名新田線(静鉄美術館駅前バス停)

1986年(昭和61年)3月25日 開業。
2011年(平成23年)10月1日 駅名標・電車内掲出路線案内の英文表記を"Pref.Art Museum"に変更。


静岡清水線で最も新しい駅である。

県立美術館までは当駅から坂道を登り続け、徒歩でおよそ15分、バス利用ならば4分ほどかかる。パサールカードには、「美術」と印字される。

駅番号 S09
所属事業者 静岡鉄道
所属路線 静岡清水線
キロ程 5.7km(新静岡起点)
駅構造 地上駅


ホーム 相対式 2面2線
乗車人員
-統計年度- 916人/日(降車客含まず)
-2014年-


開業年月日 1986年(昭和61年)3月25日

島根県漁業取締船 「せいふう」

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島根県漁業取締船 「せいふう」は平成9年に老朽化したそれまでの取締船「清風」の代船として新造されました。
知事により「せいふう」と命名。
(船名の系譜:「島風」→「清風丸」→「清風」→「せいふう」)

島根県条例(水産関連法規)違反の取締で、東西に細長く、隠岐諸島を有する島根県沖海域の取締を一手に引き受けています。EEZ(排他的経済水域)時代の業務の遂行のために、いろいろな装備が施されています。島根県沿岸沖合海域における違反操業の防止指導。島根県沿岸沖合海域における違反操業の検挙。国の取締船と連携した島根県沿岸沖合海域における外国漁船の違反操業の防止。

高速力:軽合金製滑走型の船体と2サイクル高速ディーゼル機関を採用し、近年高速化(15〜25ノット)している漁船に対応する。長い航続距離:本県は東西に長い海岸線を有していることに加え、排他的経済水域の設定に伴い沖合化する取締海域に対応する。高い凌波性能:120トンの船体と船体減揺装置により、冬期の北西季節風が強くしけの多い本県周辺海域における取締行動に対応する。

自衛艦艇のような塗装色で、漁船の高速化時代に対応し、船体の軽量化のため軽合金製の船体の採用し5翼プロペラの採用などで高速化対策技術が施されている。また、スタビライザや、高速走行時のピッチング対策としてアンチピッチングフィンの採用など、荒天候時の対策が施され船体の揺動の減少につとめている。


所有者:島根県
船質・船型
 軽合金・滑走型
全長×幅×深さ
 36m×6.5m×3.14m
総トン数
 120トン
竣工
 平成9年2月21日

猿猴橋町停留場 広島電鉄(本線)

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猿猴橋町停留場(通称:猿猴橋町電停)は、広島駅から南にわずか200mに位置します。広島市南区猿猴橋町にある広島電鉄の路面電車停留場です。駅番号はM2。

駅名由来の猿猴橋の猿猴は広島県及び中国・四国地方に古くから伝わる伝説上の生き物。河童の一種。一般的にいう河童と異なる点は、姿が毛むくじゃらで猿に似ているところ。金属を嫌う性質があり、海又は川に住み、泳いでいる人間を襲い、肛門から手を入れて生き胆を抜き取るとされている。女性に化ける事ができる、という伝承もあるようである。

広島市は2014年(平成26年)9月2日 、「広島駅南口広場の再整備等に係る基本方針」を策定し公表した。本線は駅前大橋経由にルートが変更される予定で、猿猴橋町電停を含む広島駅 - 的場町間の現行ルートが廃止になる見込みである。


2面2線。隣の広島駅停留場とは至近距離に位置する。ホームは短く小さめの電停のため、3両または5両の連接車の場合、下車の際は、運転席隣りの扉のみが開く場合もある。また、屋根が無い簡素な停留所で接近表示器もないが、放送案内設備は完備しています。 ホームが狭いため次駅案内と共に下車時の注意放送もされる。バリアフリーには未対応です。

運行路線
南行きホーム 0号線 紙屋町経由日赤前ゆき・広電前ゆき
1号線 紙屋町経由広島港ゆき
2号線 広電宮島口ゆき・広電西広島ゆき
5号線 比治山下経由広島港ゆき・宇品二丁目ゆき・皆実町六丁目ゆき
6号線 江波ゆき
北行きホーム 1号線2号線5号線6号線 広島駅ゆき

駅周辺には広島信用金庫広島駅前支店、オリタ薬局、大阪屋、猿猴橋、留学生会館、アークホテル広島があります。


1912年(大正元年)11月23日 - 猿猴橋停留場として開業。
1942年(昭和17年)5月 - 廃止。
1949年(昭和24年)3月1日 - 復活。
1955年(昭和30年)10月17日から12月22日 - 一旦休止。
1960年(昭和35年)3月30日 - 現在の猿猴橋町に改称。

所在地 広島市南区猿猴橋町
北緯34度23分41.26秒 東経132度28分33.72秒
駅番号 M2
所属事業者 広島電鉄
所属路線 本線
キロ程 0.2km(広島駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1912年(大正元年)11月23日


四一式山砲 大日本帝国陸軍の山砲

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四一式山砲は、1910年(明治43年)前後に開発・採用された大日本帝国陸軍の山砲。1930年代中期からは歩兵砲として、小改修を施した本砲が歩兵連隊に配備されたため、連隊砲(聯隊砲)とも称された。写真は防長尚武館(史料館)に展示されてる砲で、サイパンから持ち帰ったものだそうです。

四一式山砲は日露戦争における主力山砲であった三十一年式速射山砲の射程不足、発射速度不足、方向射界皆無といった欠点の解消のために開発された。三十一年式速射山砲は本格的な駐退復座機を備えていなかったため、発射のたびに反動で射撃位置から後退した砲を元の位置に戻す必要があり、当然照準も1発撃つごとにやりなおすものであった。故に「速射砲」という名称を持ちながらも実際の射撃速度は2 - 3発/分程度であった。日露戦争後、陸軍技術審査部は同審査官・島川文八郎陸軍砲兵大佐に対し後続山砲の開発を命じ、1908年(明治41年)に大阪砲兵工廠で試製砲が完成、1911年(明治44年)に四一式山砲として制式制定された。四一式山砲は駐退復座機を備えていたため射撃速度は10発/分程度まで上げることに成功した。また、当初の分離薬筒方式を完全弾薬筒方式に改めてからは、最大20発/分が可能となった。
重量540kg、馬6頭で分解運搬(駄馬)ないし、馬2頭で牽引運搬(輓馬)可能。山砲として開発されたため人力による分解運搬も可能であり、山岳戦や森林・密林地帯で威力が発揮された。また、構造が比較的簡単であるため組み立てや操作が容易であった。-23℃でも使用可能。
採用・配備以降、帝国陸軍の主力山砲として主に師団砲兵たる山砲兵連隊で運用された。1920年(大正9年)には本砲の欠点であった威力と安定性を向上させた後続山砲の開発を研究開始、1930年代初中期には(四一式山砲と比べ)さらに組み立てや操作が容易かつ細かく分解でき、近代的な開脚式砲脚を備える高性能山砲である九四式山砲が開発・採用された。九四式山砲は旧式となった四一式山砲を順次更新していったが、戦前日本の国力の低さから完全に置き換えるまでには至らず、第二次世界大戦においては九四式山砲とともに主力山砲のひとつとして終戦まで運用が続けられ、また、太平洋戦争(大東亜戦争)では作戦地の地形や道路の状況から九四式山砲ともども野砲兵連隊などに配備される例も多く、各戦線に投入された。なお、本砲は海軍陸戦隊でも使用されている。
また、本砲をベースとする戦車砲・九九式七糎半戦車砲を搭載する砲戦車(自走砲)として、二式砲戦車 ホイが開発・生産されている。

満州事変において歩兵連隊に配備し実戦投入された際の戦訓などから、歩兵(歩兵連隊)が運用する歩兵砲(連隊砲、歩兵連隊砲)として射撃効力に優れた本砲を四一式山砲(歩兵用)として転用することになり、1936年(昭和11年)にはほぼ全ての歩兵連隊に配備された(1個連隊にはほぼ4門ずつ)。この用途に使用するため1935年(昭和10年)から生産が再開され、日中戦争(支那事変)・ノモンハン事件・太平洋戦争を経て終戦に至るまで主力連隊砲として運用された。
転用に際して外観や属品に小改修が行われており、大きな点として歩兵用では砲手を防護する防盾(防楯)の横幅が車輪内へと狭くなり(山砲兵用は車輪外へ伸びる幅広)、下部に延伸されている。

歩兵連隊では本砲の75mmの大口径と短砲身18.4口径(口径長)ながら低伸性に優れた弾道を生かし、対戦車砲として使用されることもあり、徹甲弾(鋼板貫通限界厚は射距離100mで50mm、射距離500mで46mm、射距離1000mで43mm[6])も配備されていた。大戦後期にはタ弾(対戦車用成型炸薬弾)である二式穿甲榴弾も配備された。タ弾は射程距離に関わらず75~100mmの装甲を貫徹することができた。
1944年4月、ニューギニアにて豪州陸軍による鹵獲された四一式山砲の射撃試験が行われており、射距離150ヤード(137.16m)からマチルダII歩兵戦車の車体正面(装甲厚75mm)を射撃している。四一式山砲の徹甲弾ではマチルダII戦車の車体正面を貫通できなかったが、二式穿甲榴弾(タ弾)と思われる成形炸薬弾では車内まで貫通した。

四一式山砲用の二式穿甲榴弾(タ弾)は、終戦時に完成品及び半途品を含めて合計55000発以上存在していた。終戦時には外装式のタ弾も試作されていた。試製外装式タ弾は弾頭直径が大きい分、貫徹能力も向上し、最大で300mmの装甲を貫徹可能であったという。
中華民国の国民革命軍は自軍の重火器運搬能力が低かったため、本砲を大量に輸入した。さらに輸入に留まらず国内の漢陽兵工廠・太原兵工廠・瀋陽兵工廠が独自に模倣品を製作、各部隊に配備した。それぞれ漢十式七五山炮(漢陽製)・晋十三式山炮(太原製)・遼十四式山炮(瀋陽製)と称される。しかし中国国内における圧延鋼の製造技術不足のため、太平洋戦争終結以前に製造された砲は砲身を輸入して製造していた。日中戦争勃発により輸入が途絶え、生産継続が不可能となった後も多数製造された模倣品は日中戦争や国共内戦、朝鮮戦争まで使用されていた。


比治山下停留場 広島電鉄(皆実線)

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比治山下停留場(通称:比治山下電停)は、広島県広島市南区比治山本町にある広島電鉄皆実線の路面電車停留場。

付近はおおむね住宅街である。すぐ西には京橋川が流れ、東には比治山がそびえる。電停のある交差点は比治山への主要な入り口で、比治山には、広島市現代美術館、広島市立まんが図書館、多聞院などがある。電停の北側を平和大通りが貫き、西側は鶴見橋、東側は比治山トンネルがあり、抜けた所に広島イースト(旧・広島サティ)がある。駅周辺には比治山下バス停があり、広島バス23・31号線が停車する。

比治山(ひじやま)は、広島県広島市南区に位置する標高約70mの小高い丘である。この項目では比治山を中心とした公園。名前の由来:比治山の名前の由来は諸説あり、比治某という人物が住んでいたためとも、山の姿が肘を横にした形に似ているからとも、言われている。また虎が伏せている様に見て「臥虎山」(がこさん)とも呼ばれていた

2面2線の相対式ホーム。3両、5両連接車に対応している。

駅前大橋ルート開業後は、大幅な見直しが行われる。
南行きホーム 5号線 広島港(宇品)ゆき・宇品二丁目ゆき・皆実町六丁目ゆき
北行きホーム 5号線 広島駅ゆき

広島港方面ホーム入口に安全地帯標識が設置されホームには横断歩道からスロープで連絡します。ホームの上屋は他の電停に比べ若干大きめです。


1944年(昭和19年)12月27日 - 開業

所在地 広島市南区比治山本町
北緯34度23分12.99秒 東経132度28分15.59秒
駅番号 H5
所属事業者 広島電鉄
所属路線 皆実線
キロ程 0.9km(的場町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1944年(昭和19年)12月27日

 

 

 

南区役所前停留場 広島電鉄(皆実線)

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南区役所前停留場(通称:南区役所前電停)は、広島市の国道2号線との交差地点に位置し広島県広島市南区比治山本町および皆実町一丁目にある広島電鉄皆実線の路面電車停留場です。

西側に少し行くと京橋川が流れる。東側は南区役所など、行政関連の施設が集まる。南区役所周辺には「南区役所前」バス停があるが、広電バス 熊野線、芸陽バス 東雲線など停車するバスは限られる。しかし、近くに「皆実町一丁目」バス停があり、そちらには広島バス23・26号線や広電バス7号線などが停車する。

2面2線の相対式ホームだが、国道2号をはさんで交差点の南側に下り線(広島港方面)・北側に上り線(広島駅方面)のホームがある。下り線・上り線ともに連接車に対応し3両連接車のすべてのドアから乗降可能です。

運行路線
南行きホーム 5号線 広島港(宇品)ゆき・宇品二丁目ゆき・皆実町六丁目ゆき
北行きホーム 5号線 広島駅ゆき
両ホームも全面に上屋が整備されていますがホーム幅は狭い。

1982年(昭和57年)3月1日 - 開業

所在地 広島市南区比治山本町・皆実町一丁目
北緯34度22分52.12秒 東経132度28分2.4秒
駅番号 H7
所属事業者 広島電鉄
所属路線 皆実線
キロ程 1.7km(的場町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1982年(昭和57年)3月1日

 

マツダ・ボンゴフレンディ(アメリカ海兵隊・在日米軍再編協議)

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ボンゴ フレンディ(BONGO FRIENDEE )はマツダがかつて発売していたミニバンである。車名が長いので、通称「フレンディ」と呼ばれることが多い。

前軸を前進させクラッシャブルゾーンを確保したため、外見上はセミキャブオーバーであるが、エンジン搭載位置は運転席下のため、構造的にはキャブオーバーである。
エンジンは4気筒2,000ccのガソリンエンジン、または2,500ccのディーゼルエンジンである。かつてはV型6気筒2,500ccモデルもあったが廃止された。また、ディーゼルエンジンは自動車排出ガス規制に適合しないため、規制地域では新規登録ができない。
プラットフォームはマツダ・SGプラットフォームを用いている。後輪駆動であるため、前述のエンジン位置とも併せ、キャブオーバーFRということになる。
初期型には、3列目シートの部分を一部仕様変更しギャレーなどを標準装備した「RF-Vキャンパー」というグレードが存在した。このグレードは特殊用途の車両に該当するため、8ナンバーが適用された。

オートフリートップ
この車の最大の特徴は、ルーフ部分が電動で持ち上がる、ダイキョー・ベバスト(現ベバストジャパン)製の「オートフリートップ、英語表記Auto Free Top(略称:AFT) 」の採用である。
展開させるとキャンピングカーのポップアップ式テント同様、新たな「部屋」が出現する。「2階席」の広さは、身長の低い子供であれば中で立つことができ、大人二人の就寝スペースにも十分なものとなっている。床はクッション敷きで、テントの窓には虫除け網も備わる。
テント部分との昇降は、1、2列目シート間天井のアクセスホールで行う。オートフリートップ上面には固定式のサンルーフがあり、AFTを開いている場合はテント内部、閉じている場合は車内の明かり取りとしても機能する。この他、就寝時など、アクセスホールが使えないときのため、飲み物などの受け渡しに使える小窓も用意されるなど、その使い勝手には抜かりがない。
5ナンバーサイズの車体であるが、AFT装備車は全高が5ナンバーサイズの上限である2mを超えるため、全長や排気量にかかわらず3ナンバーとなる。


AFTは全車に装備されていた訳ではなく、通常ルーフのグレードも設定されていた。その場合、通常のスライド式サンルーフが選べる。類似の機構を持つ他社メーカーの車の例として、ホンダ・ステップワゴン、ホンダ・オデッセイ (いずれも初代)にフィールドデッキというグレードがラインナップされていた。なおAFT車に関してはサンルーフが全グレードに標準装備となっていたが、安全上の問題で窓の開閉はできないようになっていた。AFT車はキャンプや車中泊での使い勝手が非常に優れていたため、当時はアウトドア派のユーザーに人気があった。

1995年6月 - ボンゴワゴンとブローニィワゴンの後継モデルとして発売。なお、ボンゴワゴンは1998年まで継続生産され、一時期併売されていた。
1997年11月 - 一部改良。
1999年2月 - マイナーチェンジ。エクステリアが一部改良される。6月、ボンゴが4代目へフルモデルチェンジ。
2001年9月 - マイナーチェンジ。
2005年12月 - 生産終了。これにより、2008年7月にビアンテが登場するまでマツダからセミキャブオーバー型ミニバンのラインナップがなくなる。また、マツダ最後の5ナンバー幅ミニバンでもあった。

販売期間 1995年6月-
2005年12月(生産終了)
乗車定員 6人(RF-Vキャンパー)/ 7人 / 8人
ボディタイプ 4ドア ミニバン
(セミキャブオーバー型)
エンジン 2.0L OHC水冷直4 (FE)
2.5L OHC水冷V6(J5-D)
2.5L OHC水冷直4渦流室式ディーゼル (WL)
駆動方式 FR / 4WD
変速機 4速AT(トルクコンバータ式)
5速MT(初期型のディーゼル仕様のみ)
全長 4,620-4,655mm
全幅 1,690mm
全高 1,960-2,090mm
車両重量 1,600-1,940kg
後継 マツダ・ビアンテ
※事実上。ただし、登場まで2年7ヶ月間の空白期間あり。
プラットフォーム SGプラットフォーム

アメリカ海兵隊
アメリカ海兵隊(アメリカかいへいたい、英語: United States Marine Corps、略称:USMC)は、アメリカ合衆国の海兵隊。沿岸警備隊を含めたアメリカ軍を構成する5軍では2番目に小さく、最高位の軍人を統合参謀本部の構成員として送り込む4軍の中では最も小さい組織である。2017年6月の時点で約18万人の現役将兵と4万人の予備役を擁している。Marines, Devil Dogs とも呼ばれることがある。

 在日米軍再編協議(DPRI)
日米間で行われている在日米軍再編協議は「防衛政策見直し協議」
(Defense Policy Review Initiative:DPRI)と呼ばれ、米国の地球規模での米軍再
編(Global Posture Review:GPR)の一部である。GPRは2001年11月の米国同時
多発テロ(以下、9.11テロ)以後の戦略環境に適応させるための米軍のトランス
フォーメーションの一環として行われているものである

 

一般公開 PC-52 ことびき(よど型巡視艇)海上保安庁

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よど型巡視艇(よどがたじゅんしてい、英語: Yodo-class patrol craft)は海上保安庁の巡視艇の船級。区分上はPC(Patrol Craft)型、公称船型は35メートル型。「消防機能強化型巡視艇」また消防巡視艇とも通称される。建造費は1隻あたり17.5億円(平成23年度第3次補正予算)


本型は、先行するはまぐも型をもとに、消防能力を更に強化したものである。船型は角型を基本とし、また高さのある放水塔を備えるため、復原性能に配慮した船型としている。

船体は高張力鋼を用いた軽構造、上部構造物はアルミニウム合金製である。


主機関としては高速ディーゼルエンジン2基を搭載している。放水時の操船・船位保持性能確保のため、推進器としては=ウォータージェット推進器とされているほか、船首吃水線下にはバウジェットも装備されている。

また主機関は、推進器を駆動するとともに、増速機を介して消防ポンプ(毎分11,300リットル)2基も駆動する。

なお機関室の吸気は、消火活動時には防爆ラインより上方の船体上部構造物より取り入れる。排気は注水によって充分冷却したあとで行われる。


主電源としてはディーゼル発電機2基を搭載し、航海時には1基、出入港および消火活動時には2基で運転する。また予備電源としてシール型蓄電池を搭載している。


火災状況監視および効率的な放水のため、赤外線捜索監視装置が搭載された。なお操舵室の操船コンソールは操舵装置・主機操縦装置・機関状態表示装置・航海装置・通信装置を組み込んだものである。

消防装置。
放水銃
伸縮式放水塔(毎分4,400リットル; 泡消火液・水兼用)×2基


操舵室上(毎分6,000リットル; 泡消火液・水兼用)×1基
船首甲板上(毎分2,000リットル; 泡消火液・水兼用)×1基


粉末放射銃(毎秒45キログラム)×1基
自衛噴霧ノズル
毎分200リットル×5本
毎分150リットル×4本


このうち、伸縮式放水塔は、最大伸張時には海面上約17メートルに達する。また自衛噴霧ノズルは操舵室前面を重点として、甲板室周囲に配置されているが、消火活動時の視界確保のため、噴霧高さを高低2段に切り替え可能である。

主機関の出力増強によって、放水量は毎分16,800リットルに達したが、これは消防艇として建造されたぬのびき型消防艇をも上回る能力である。なお消火剤としては、泡原液を約13,400リットル、粉末消火剤を約2,000 kg搭載する。


操船コンソールの直後、操舵室のほぼ中央部に消防システムの集中監視盤が設置されており、放水銃の連動制御を行うとともに、監視カメラを通じて火災状況を監視できる。また可燃性ガスや有毒ガスを検出するためのガス検知装置を装備している。

PC-52 ことびき 2003年(平成15年)3月27日 岩国(第六管区)
種別 35メートル型PC
命名基準 滝の名前
就役期間 2002年 - 現在
前級 はまぐも型
ぬのびき型 (消防艇)


要目
総トン数 125トン
全長 37.0m
全幅 6.7m
深さ 3.4m


主機関 ディーゼルエンジン×2基
推進器 ウォータージェット推進器×2基
出力 5,200馬力
速力 25ノット以上
レーダー 航海用×1基
光学機器 赤外線捜索監視装置

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