Image may be NSFW. Clik here to view. 公衆電話 - 改札外に1台設置。 自動販売機(飲料) - 改札外に2台(内1台は車椅子対応)、改札内に1台、ホームに2台設置。 トイレ - 改札内に設置。
Image may be NSFW. Clik here to view. 駅周辺 駅名が示すように沖縄県庁の最寄り駅であるとともに、沖縄県庁に隣接する那覇市役所の最寄り駅でもあり、那覇市のみならず、沖縄県の経済・行政の中心ともいうべき地域である。駅の南側約80mにある県庁北口交差点から東進すると国際通りに入る。
Image may be NSFW. Clik here to view. 司令部壕は1944年8月10日に着工されたが、本格的な工事は10月10日の十・十空襲以降に始められ同年12月に完成した。海軍第226設営隊(山根部隊)の約3000名が設営にあたり、ほとんどの工事はつるはしなどを用いた手作業で行われた。小禄地区周辺にはこの他にも多数の防空壕が建設され多くの住民が動員されたが、海軍司令部壕は最高軍事機密であったため民間人は近付くことも許されず工事は軍隊の手のみによって行われている。
Image may be NSFW. Clik here to view. 作戦室:7.5m2 の広さがあり作戦を立てるために使われた。幕僚室:10m2 の広さがあり幕僚が手榴弾で自決した痕跡が残されている。司令官室:壁面に大田司令官の愛唱歌「大君の御はたのもとに・・・」の墨書が残されている。暗号室:17m2 の広さがあり、ここから約2,900通の電報が発信された。医療室:7.5m2 の広さがあり負傷兵用の2段ベッドが置かれていた。下士官室、兵員室:壕内に2ヶ所、それぞれ13m2 の広さがあり兵士が休息するために使われた。戦闘が激化した時期には壕内に4,000名もの兵が集まり坑道も事実上の兵員室となっていた。このような中で多くの兵士は立ったまま睡眠を取る有様であった。発電室:壕内に3ヶ所、それぞれ5m2 の広さがあり発電機が置かれていた。
Image may be NSFW. Clik here to view. 6月4日午前5時、アメリカ軍は小禄飛行場の北部に上陸し司令部壕のある那覇市南西部を包囲した。大田司令官は6日夕方に辞世の句とともに訣別の電報を打って自らの覚悟を伝え、同日夜には「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を打って後事を託している。包囲が次第に狭められていく中で壕内に重火器はほとんど残っておらず、歩兵による突撃で応戦するのが精一杯の状況となった。 11日午前7時、司令部壕に集中攻撃が加えられた。同日夜には司令部壕からの最後の報告として海軍根拠地隊が玉砕したとの電報が発せられている。13日午前1時、大田司令官は自決を遂げ小禄地区における組織的な戦闘は終結した。
Image may be NSFW. Clik here to view. 1890年(明治23年)9月28日 - 九州鉄道(初代)が開設。 1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道(初代)が国有化され帝国鉄道庁が所管。 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
Image may be NSFW. Clik here to view. 2002年(平成14年)12月1日 - 下り線が高架化され箱崎駅が約440メートル香椎側に移転(上り線は仮ホーム) 2004年(平成16年)3月13日 - 上り線高架化され高架事業完成。 2008年(平成20年)3月15日 - ダイヤ改正により当駅終着の普通列車が2本新設される。 2009年(平成21年)3月1日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
Image may be NSFW. Clik here to view. 特急を含む全列車が停車するため一線スルー式配線にはなっておらず、原則として左側通行である。但し折り返し列車もあるため、肥前竜王方から見て右側にも入線できる。最終の下り普通列車の多良行きは右側に入線した後、同じく最終の下り特急「かもめ49号」を先行させた後に発車する。
Image may be NSFW. Clik here to view. 総武本線の乗り入れ工事 1923年(大正12年)9月1日には関東大震災に見舞われ、御茶ノ水駅は駅舎が一部焼失する被害を受けた。しかしこれは応急復旧されてそのまま使用された。また神田川に面した崖が大規模に崩落し、この箇所を復旧した形跡は2010年代に入ってもなお残されている。 それまであまり輸送量の大きな路線ではなかった中央本線は関東大震災後、復興資材となる砂利の輸送が拡大し、通勤輸送についても輸送量が急増した。さらに失業対策事業の一環もあって、大正末期に御茶ノ水 - 中野間の複々線化工事に着手することになった[7]。またこの頃、総武本線は両国駅が起点だったため、旅客はバスに乗り換えて他の路線の駅に向かわなければならなかった。総武本線を市街中心地まで延長して他の路線と連絡させる計画は古くからあったが、関東大震災で市街地が焼失したことを契機とする区画整理の一環として線路用地を買収し、両国と御茶ノ水を結ぶ高架路線を建設することになった。 この工事に伴い、御茶ノ水駅はそれまでの所在地より東側の、お茶の水橋と聖橋の間に移転した。出入口は御茶ノ水橋と聖橋の双方のたもとに設けられた。プラットホームは島式ホームを2面設置して、両国と連絡する総武本線の線路を内側、中央本線の線路を外側にした方向別配置とした。総武本線の線路は御茶ノ水を出ると、33パーミルの上り勾配で登って中央本線の上り線を跨ぎ越す構造とされた。総武本線は中央本線の緩行線・急行線の双方ともに連絡でき、かつ折り返しもできる配線とされた。プラットホームは完成時点では全長152.2メートル、幅は川側の中央本線上り・総武本線下りホームが6.5メートル、山側の総武本線上り・中央本線下りホームが5.8メートルとなった。 工事は、中央本線の電車が行き交う脇で、しかも駿河台の民家に近接して高さ12メートルにおよぶ擁壁を構築する必要があるなど、困難なものとなった。施工は大倉土木(現在の大成建設)が請け負った。総武本線側の工事が完成して1932年(昭和7年)7月1日から御茶ノ水駅に総武本線の電車が乗り入れを開始し、続いて1933年(昭和8年)9月15日に御茶ノ水 - 飯田町間の複々線化工事が完成して中央線急行電車(現在の中央線快速)が運転を開始した。 総武本線の乗り入れ工事に合わせて、2代目の御茶ノ水駅舎の建築が行われた。この頃の建築界では、過去の様式にとらわれずに新しい建築材料にもっとも適した建築をしようというウィーン分離派(ウィンナー・セセッション)の動きが出ていた。そして鉄・ガラス・コンクリートといった材料を使って、無装飾で実用本位な建築を行うインターナショナル・スタイルが誕生し、日本においてもこうしたモダニズム建築の動きが見られるようになった。こうしたモダニズム建築の様式による駅舎の設計を行ったのは、東京帝国大学建築学科を卒業して鉄道省に入省した、建築家の伊藤滋であった。設計に際しては、湯島聖堂の近くにあるから東洋趣味を重んじたものにするように、との外部団体からの要望も寄せられたが、伊藤はこれを一蹴し、震災復興橋梁として先に完成していた聖橋(1927年完成)、御茶ノ水橋(1931年完成)との調和を重視した設計を行った。それまでの駅はいったん乗客を待合室に滞留させてからプラットホームへ導くものであったが、伊藤は駅は道路の一部であるとして旅客流動を重視した設計を行い、やってくる乗客を次々に捌く新しい電車時代の駅を設計した。これは駅舎設計の根本的な転換で、以降の通勤電車の駅の設計の基本となった。これ以降、乗降客数は比べ物にならないほど増加したものの、御茶ノ水駅はその機能を果たし続けている。
Image may be NSFW. Clik here to view. 島式ホーム2面4線を持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。御茶ノ水橋と聖橋の間にホームがあり、それぞれの橋の南側に出口がある。それぞれ御茶ノ水橋口と聖橋口と称する。駅本屋は御茶ノ水橋側(水道橋側)にある。さらに聖橋口より東側(秋葉原側)に平日の朝のみ機能している出口専用の臨時改札口がある。高台の擁壁と神田川の間に線路が敷かれているため、ホームの幅が非常に狭い。トイレは御茶ノ水橋口と聖橋口の改札口内にあるが、ともに多機能トイレはない。 御茶ノ水橋口駅舎は、1932年(昭和7年)7月の総武本線乗り入れに合わせて使用開始された、伊藤滋設計によるモダニズム建築であり、それまでの乗客を待合室に滞留させてからプラットホームに導く駅から、旅客流動を重視して次々に乗客を電車に流し込む、新しい通勤電車の駅のスタイルを初めて確立した[13]。西側の聖橋口駅舎は大きく改築されており原形を留めていないが、御茶ノ水橋口駅舎は建設以来大きく手を入れられていない[31]。しかしバリアフリー対策工事に2013年度から着手することになっていることは前記した。 外側2線を中央線快速が、内側2線を中央・総武線各駅停車がそれぞれ使用し、同じ方向の列車を同じホームで乗り換えできる、方向別複々線となっている。これを実現するために御茶ノ水駅の前後に立体交差が設置されている。並走する三鷹 - 御茶ノ水間のうち同方向であれば、階段を使わずに乗り換えが可能な唯一の駅である。 当駅を境に中央線と総武線の各駅停車の列車が相互直通運転を行う。ただし、早朝と深夜は中央線・総武線は分離して運転を行う。総武線は当駅で折り返すが、中央線は当駅の水道橋方で快速電車が走る急行線と緩行線との間を転線して東京駅発着で運転され、快速用のE233系電車が使用される。総武線の上り列車は2番線に到着し、そのまま中央緩行線下り本線に引き上げ、その後3番線に入線して総武線下り列車となる。この時間帯には、千葉方面から新宿・中野・三鷹方面、その逆の三鷹方面から錦糸町・津田沼・千葉方面へ行く場合は、どちらも当駅での乗り換えが必要となる。
Image may be NSFW. Clik here to view. これら2隻は1隻の建造費が74億円と高騰したことから、翌年度以降は、スペックダウンによって価格低減を図ったいわみ型に移行した。しかし2013年1月に、尖閣諸島の警備に専従する部隊の創設が決定されると、この任務にはいわみ型では機能的に不足であると判断されたことから、本型の建造を再開してこれに充当することとなった。平成24年度予備費および補正計画、更に平成25年度補正計画で、計16隻が追加建造される計画となった。この建造再開後の建造費は57億円まで低減された。
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設計:本型は、船型は排水量型、船質は鋼(主船体は高張力鋼および軟鋼、上部構造物はアルミニウム合金)と、いずれも従来の方式に回帰している。また低速航行時の安定性改善のため、減揺装置としては、フィンスタビライザー1組とともに、上部構造物後方に減揺タンク(ART)を備えている。これらの施策により、乗員の負担は大幅に軽減された。なお船尾甲板は発着甲板(ヘリコプター甲板)とされており、ヘリコプターに対して電源や燃料を供給できる。 同世代の巡視船と同様に指揮機能の集約を図っており、船橋に機関管制盤2基を配置したほか、操舵室の後方にはOIC(Operation Information Center)室が配置され、通信区画や武器管制区画が設けられている。なお窓は防弾ガラス、囲壁も防弾仕様とされている。また操舵室の下には電気機器室(OAフロア)も設けられた。 主機関は、強力なV型12気筒ディーゼルエンジンを2基搭載しており、機種としては、PLHでも採用実績のあるSEMT ピルスティク社製12PC2-6V型(6,600 kW/8,900 hp)と考えられている。推進器は、やはり従来の方式に回帰して、スクリュープロペラが採用された。速力の要求は緩和されたとはいえ、それでも23ノットの速力は確保された。なお、高速高機能大型巡視船やはてるま型で不評だった舷側排気は廃止され、従来通りの煙突が復活している。
Image may be NSFW. Clik here to view. 搭載艇としては、煙突の右舷側には高速警備救難艇を、左舷側と後方には複合艇を、それぞれ1隻ずつ搭載した。はてるま型では搭載艇を増やす必要から複合艇のみを積んでいたが、高速警備救難艇は複合艇よりも速度は劣るものの、救難用途の場合はかえって優れている場合もあることから、本型では高速警備救難艇も復活することになった。PL01「おき」及び02「えりも」においては救難仕様として小改正が実施されており、救難資器材庫が設置されているため、複合艇は1艇の搭載となる。
車体は『人と地球の未来にやさしい』をコンセプトとし、817系をベースに305系で採用された電気式戸閉装置「スマートドア」(押しボタン式半自動ドア)や「マルチサポートビジョン」(大型液晶ディスプレイ)を導入しており。外装には817系2000番台の白色をベースに乗降扉に「地球をイメージ」した青色を配色しており、乗降扉の脇には817系と同様の「CT」のシンボルマーク(水色)と「819 DENCHA DUAL ENERGY CHANGE TRAIN」のロゴが青色で描かれている。編成記号はZが用いられている。1編成(2両)当たりの重量は70 t で、設計最高速度は120 km/h。 817系と同様のアルミ合金製車体で、前面は貫通形(クハBEC818形に貫通幌設置)であり、前照灯はLED化されており、817系1100番台以降と同じく大型のLED行先表示器を前面と側面に設置している。
Image may be NSFW. Clik here to view. 主回路用蓄電池は主回路用蓄電池箱に収められており、クハBEC818形にマンガン酸リチウムイオン電池CH75-6を搭載している。それを72個直列に接続されたモジュールを3並列とした構成としており、モジュール自体を1つの主回路用蓄電池箱にまとめて、それを3つ床下に搭載した「3バンク」の構成としている。各バンク入力部には電磁接触器を設置しており、バンク内の主回路用蓄電池に異常が発生しても、主変換装置からの指令により異常が発生したバンクの電磁接触器を開放することで、残りの正常なバンクでの運転継続が可能となっている。各バンクの主回路用蓄電池箱は、箱内の温度の均一化や冷却のため、箱にファンを搭載しており、817系の識別を目的に青色に塗装され、その上部に緑色表示灯を6つずつ装備して点灯させることで、夜間での識別を可能としている。搭載されている主回路用蓄電池の総容量は、定格電圧1600V(最大1814V)、定格容量383.6kWh(新製時点)となっており、817系試作車よりも高電圧大容量となっている。そのため、制御車の車両重量は817系よりも約7.5t増加しており、主回路用蓄電池が床下のスペースをほぼ占めているため、非常用空気タンクなどの機器配置を見直しており、817系で搭載されていた補助電源装置や電動空気圧縮機などはクモハBEC819形に搭載されている。その他にも、床上に設置されていた客室サービスや安全を損なうことがない機器類を連結側の車体妻面に配置した機器室に収納している。
Image may be NSFW. Clik here to view. 主回路システムにおいては、「架線走行モード」と「蓄電地走行モード」の2つの走行モードがあり、架線走行モードでは、電化区間はパンタグラフを上げて、屋根上にある交流遮断機の真空遮断機(VCB)を入りの状態とするモード、蓄電地走行モードでは、非電化区間はパンタグラフを下げて、屋根上にある交流遮断機の真空遮断機(VCB)を切りの状態とするモードであり、ともに主回路用蓄電池は主回路に接続されている。電化区間では、架線走行モードとし、加速中は通常の交流形電車同様に架線からの給電により主電動機を駆動させ、惰力時ならびに減速時には、架線から設定された充電率に到達するまで、主回路用蓄電池に小電流での充電を自動的に行い、非電化区間では、蓄電地走行モードとし、主回路蓄電池からの給電により走行、減速時には回生ブレーキから発生した電力を主回路充電池に充電を行う方式となっており、非電化区間の走行後の電化された駅での停車中において、主回路用蓄電池に短時間で大容量の電力を供給する急速充電を行うことで充電時間の短縮を図ることが可能であり、10分間の充電で約90kmの走行が可能である。これにより、気動車からの置き換えにより動力費を5割削減することを目標とするという。 補助電源装置は出力80kVAの静止形インバータを採用しており、PWMコンバータで変換した直流1600Vの電力を三相交流440Vに変換して電力を供給している。電動空気圧縮機はメンテナンスの省力化を図るため吐出量が約700L/minのオイルフリーコンプレッサを採用している。
Image may be NSFW. Clik here to view. 集電装置(パンタグラフ)は下げ定位の空気上昇式のシングルアーム式を採用しており、クモハBEC819形の屋根上に設置されている。設置されている部分を低屋根構造とすることで、狭小断面トンネルでも走行可能としており、パンタブラフの折り畳み高さ3980mmに抑えている。また、上部のすり板を4枚とすることで、架線からの急速充電中において、すり板1枚当たりに流れる電流値を抑制している。 台車は空気ばね式のボルスタレス台車であるDT409K(制御動力車)・TR409K(制御車)であり、車輪直径等の寸法・歯車比は817系のDT404K・TR404Kと同じである。前者は電動機の形式変更に伴って電動機の取付け部分の構造が変更されており、後者は制御車の床下に大容量の主回路蓄電池箱を搭載したことによる重量増(約7.5t)となったため、軸箱支持装置に電動車用の円錐積層ゴム式に変更されており、台車枠に取付けられている差圧弁やユニットブレーキも電動車用のものが使用されている。 ATSは新製時から、JR九州が2011年頃から設置を進めているATS-DK形を装備。ATS-SK形の機能に加えて、省令に基づくパターン連続照査に対応した形になっている。
Image may be NSFW. Clik here to view. 非電化区間突入の際は、IDタグ(上り、パンタグラフ下げ)により、パンタグラフ下げの指令をモニターに注意喚起を出すとともに、その後に運転停車してパンタグラフを降下させずに力行(加速)させても、力行禁止の指令が働き車両を停止させ続ける。運転士が停車中にパンタグラフを手動操作で下げることで、力行禁止が解除されるが。万が一、パンタグラフを上げたまま非電化区間に突入した場合は、建築限界などによりパンタグラフを損傷しないよう、別のIDタグにより非常制動および、強制パンタ下げが行われる。
Image may be NSFW. Clik here to view. 一方電化区間突入の際は、IDタグ(下り、パンタグラフ上げ)により、パンタグラフ上げの指令をモニターに注意喚起を出すとともに、その後に運転停車してパンタグラフを上昇させずに力行(加速)させても、力行禁止の指令が働き車両を停止させ続ける。運転士が停車中にパンタグラフを手動操作で上げることで、力行禁止が解除されるが。万が一、パンタグラフを下げたまま電化区間に突入した場合でも、走行中にはパンタグラフは損傷しないため、損傷の心配はない。
Image may be NSFW. Clik here to view. トイレはクハBEC818形の3位側に設置されており、汚物処理装置には清水加圧式が採用されている。 側扉上にはこれも305系と同様の次駅等の案内を行う案内表示器(マルチサポートビジョン)が千鳥状に設置されている。また、各車両1台ずつ設置されている車端部の機器室壁面にあるMSVには、次駅等の案内と合わせて架線・蓄電池・主電動機等の間のエネルギーの流れが表示される。ワンマン運転対応であるが運行予定区間では駅収受式が採用されており、整理券発行機・や表示器等の車内収受式ワンマン運転用機器は準備工事のみ行われている。
Image may be NSFW. Clik here to view. 1909年、この鉄道の新駅として、田町駅が芝田町一丁目に設置された。現在の芝浦口(東口)周辺一帯は当時まだ陸地ではなく、1913年に埋め立てられてから工業地帯へと変貌を遂げた。この芝浦口周辺は新芝町(後の西芝浦一丁目)と名付けられた。 駅名に採用された田町は、港区の発足した1947年に再び芝田町に町名変更となった。その後、住居表示実施に伴う町名・町域の変更により、1964年7月に一部が芝五丁目に、1967年4月に残りの全域が三田三丁目になり、地名としての田町は消滅した。
Image may be NSFW. Clik here to view. 当駅には北改札口と南改札口の2ヶ所があるが、両改札口は自由通路を挟んで相対している。 改良工事が行われる前は、各ホーム品川寄り階段通路から接続する臨時改札口(出口専用)が三田口側地上に設置されていた[4]他、ペデストリアンデッキ側に20台以上の自動改札機が並ぶ三田口、三田口のすぐ脇の陸橋側に自動改札機数台が並ぶ芝浦口があった。 三田口側にみどりの窓口と指定席券売機が設置されている。
Image may be NSFW. Clik here to view. 「三田口(西口)」と「芝浦口(東口)」の2ヶ所が設置されている。 三田口 駅前を交通量の多い第一京浜(国道15号)が通っており、さらに日比谷通りとの交差点にも隣接している他、都営三田線や浅草線の三田駅も存在するなど交通の便がいいことから、森永製菓、森永乳業や三菱自動車工業、日本電気、バンダイナムコホールディングスなど幾つかの大企業の本社や、FCAジャパンやアボットジャパン、SBJ銀行などの外資系企業のオフィス、官公施設が点在しており、高層・超高層のビルが多い。とりわけ、日本電気は本社がある「NECスーパータワー」だけでなく、当駅周辺のビルに数多く分散して入居している。
Image may be NSFW. Clik here to view. 三田口周辺には、慶應義塾大学や戸板女子短期大学、普連土学園中学校・高等学校や東京女子学園中学校・高等学校を始めとして教育施設も多いため、学生街の様相も呈しており、飲食店など商業施設も集積している。そのためか、都市銀行の大部分の支店は三田口側に集約されている。 また、港区内の他地域と同様にボツワナやハンガリー、イタリアやクウェートなど多数の国の大使館、芝税務署や三田労働基準監督署、港勤労福祉会館や障害者福祉会館などの官公庁及び公共施設の他にも、寺や神社、教会などの宗教施設が多数存在する。地形的には、20世紀に入り芝浦口側が埋め立てられるまでは海辺であった駅周辺を離れると丘が多く起伏に富んでおり、やや離れた丘陵地には高級住宅やマンションが多く建っている他、さらに近年は三田口側駅近辺にも高層高級マンションがいくつか建設されている。 なお、駅前のロータリーは構造上非常に狭くなっている。その中にタクシー乗り場があるので、一般車両の進入はあまり見られない他、バス乗り場も第一京浜に面してのみ設けられている。
Image may be NSFW. Clik here to view. こうしたことから三田口に比べると商業施設も少なく、かつては1990年代にはジュリアナ東京やゴールドなどの「ベイサイドエリア」へ向かう人々で賑わっていた芝浦口側も週末はやや閑散としている。一方で、工場や倉庫の跡地、新規埋立地に大規模な再開発も進んだことから状況は変わりつつあり、新三井製糖の工場や都電操車場の跡地に建設された芝浦アイランドなどの大規模な高層マンション群の分譲や、その他の中小マンションの建設が進んだことから住人の数が急激に増えている。 これらの変化を受けて、駅前は2004年に路線バスの乗り入れができるように整備され、都営バスとちぃばすのターミナルとして機能している[注釈 1]。また、駅前にあった港区立芝浦小学校は芝浦4丁目へ移転し、東京ガスの跡地にできたみなとパーク芝浦内に、スポーツセンターと芝浦港南地区総合支所(2015年に閉鎖)等が移転した。2008年5月29日には、自由通路先のペデストリアンデッキに、視覚障害者向けの電子情報案内盤をNPOと港区が共同設置した。案内盤はタッチパネル式で、地図のボタンを押すと目的地までの道順を音声で案内する。また、各種イベント情報なども表示する。
Image may be NSFW. Clik here to view. 2010年時点では駅構内の改良工事を実施している。改札内のトイレと改札外のみどりの窓口・自動券売機(いずれも移転)はそれぞれリニューアルが実施された上に、ホームと1階改札口を連絡するエレベーターが新設された。その後も、東口には改良工事のための建材を置くスペースが広く確保されている。 2008年(平成20年)3月14日には、駅西側に直結した複合商業施設「アトレヴィ五反田」が開業した。高級スーパーマーケット「成城石井」や飲食店などが入居している[5]。さらに改札内にはドラッグストアが、改札を出た正面(ホームの真下)にはNEWDAYSやベーカリーなどが開業した。 東急五反田ビル口の自動券売機は東急仕様となっており、入場券の口座を有していない。そのため、JR駅の入場券は「精算書」と書いた紙片を販売している。
Image may be NSFW. Clik here to view. 1957年7月 - 発売。ボディは4ドアセダン(ST10型)と、トヨペット・コロナラインとして別モデル扱いされた2ドアバン(ST10V型)があった。その丸みを帯びたスタイルから、「ダルマコロナ」の愛称で親しまれたが、前輪独立懸架で乗り心地が良い点を除くと、ライセンス生産していたオースチンのノウハウでOHV1,000ccエンジンを既に開発・搭載していたダットサン1000セダン(210系)と比較し、開発費がかけられなかったこともあって、ハード面の評価は低かった。 1958年4月 - マイナーチェンジを受け、車体の側面にモールが追加された。フロントフード先端のエンブレム、ドアハンドルの意匠を変更した。 1959年10月 - 再びマイナーチェンジを受け、型式がST10型からPT10型に変更される。懸案であったエンジンをより強力なOHV式水冷直列4気筒997ccのP型に変更し、最高出力45PS/5000rpm、最大トルク7.0kgm/3200rpm(グロス値)とした。最高速度も105km/hと、ようやく100km/hが可能となった。フロントグリルもメッシュタイプに変更され、後席寸法を拡大し、乗車定員は4名から5名に増加した。
Image may be NSFW. Clik here to view. カローラ、クラウンとともに トヨタの伝統的なセダンであり、中核的な位置づけになる車種である。高度経済成長期には日本のマイカー代表車種として、広く親しまれたクルマである。 特に地方都市では 小型タクシーとしても多く用いられた。1960年代から1970年代 コロナの競合車種は 日産のダットサン・ブルーバードであった。このブルーバードとコロナが繰り広げた 熾烈な販売合戦が「BC戦争」と呼ばれるものである。 1957年7月の初代以来11代の系譜をたどったが、2001年以降はコロナ名称は消滅。後継モデルは「プレミオ」の名とともに系統を継承している。
Image may be NSFW. Clik here to view. JR東日本 3面5線のホームを持つ地上駅で、橋上駅舎を有している。1 - 3番線を横浜線、4・5番線を相模線が使用している。ただし、直通運転の関係上、茅ヶ崎方面からの八王子行の列車は5番線から発車する。1番線が単式ホーム、2・3番線、4・5番線は島式ホームである。 ホームの相模原・南橋本寄りにもう一方の連絡通路があり、エスカレーターとエレベーターが設置されている。
Image may be NSFW. Clik here to view. のりば 北口側を1番線として、以下の通りである。 番線 路線 方向 行先 備考 1 JH 横浜線 上り 町田・新横浜・東神奈川・桜木町方面 2 当駅始発
Image may be NSFW. Clik here to view. 3 下り 相原・八王子方面 朝の始発1本のみ2番線 4 ■ 相模線 - 海老名・厚木・茅ケ崎方面 5 JH 横浜線 下り 相原・八王子方面 相模線からの直通のみ
Image may be NSFW. Clik here to view. 2番線は主に、早朝の下り当駅始発と特急はまかいじを待ち合わせる土・休日8時台の八王子行を除きすべてが町田・東神奈川方面へ向かう電車である。朝夕ラッシュ時などの一部時間帯は、出入庫の関係で当駅始発や当駅止まり、折り返し電車が存在する。快速運転時間帯の日中は下りの場合、当駅止まりの後に折り返しとなり、降りた同じホームで後続の快速電車に乗り換えることができる。一方、上りの場合、快速は隣のホーム1番線に停車するため、階段を使って乗り換える必要がある。通過駅の矢部駅・淵野辺駅・古淵駅を利用する場合は、当駅ではなく次の相模原駅で乗り換えた方が便利である。 南東方向には、主に横浜線の車両を留置している鎌倉車両センター橋本派出所がある。 1番線ホームと2番線ホームの間にホームがない線路がある。旅客案内以外ではこのホームがない線路を2番線と呼び、2番線ホームを3番線・3番線ホームを4番線…とホームに対し線路の番号を1つ大きくした番号を用いることがある。この線路はかつて貨物の取り扱いをしていた頃に貨車や機関車の入換線や待避線として使用されたり、臨時列車の一時留置などに使用されていたが、近年ではあまり使用されていない。ただし、南東の車両留置線が工事などで使用できない場合はまれに横浜線の車両が留置されることがある。 相模線ホーム側隣の2線は留置線と八王子寄りの引き上げ線1本があり、主に相模線の車両が使用している。なお、八王子寄りの引き上げ線は1984年まで存在していた国鉄橋本工場の専用線の一部を転用したものである。 発車メロディーは、1番線が「Verde Rayo」、2番線が「Mellow time」、3番線が「Water Crown」、4・5番線が「近郊地域20番」(2番線のみ櫻井音楽工房製、それ以外東洋メディアリンクス製)となっている。4・5番線はスイッチを押すと必ず1コーラス流れるシステムである。 2015年5月29日より、JRのホームすべての番線でATOS放送が導入された。こちらは当初より上野東京ライン・宇都宮線などで使用している最新型アナウンスである。
Image may be NSFW. Clik here to view. 駅構内設備 KIOSK - 改札階改札入って右手ほか。 飲食店 - 1番線隣接の「味の食彩館はしもと」内にあり、一部店舗は改札内からの利用が可能。 みどりの窓口(営業時間 7:00 - 20:00)は1か所2窓口。過去には自動券売機コーナーの隣に窓口が一つあるのみで、周辺に大学が多い上に京王線との乗換駅であることから、新年度初めには通学定期券の購入者が長蛇の列をなす光景が見られたが、2007年3月15日に自動券売機コーナーに指定席券売機が1台設置されたことにより、若干の混雑の緩和がなされ、2008年11月にびゅうプラザ併設型に改装した際に窓口や指定席券売機の設置数を増やした。なお、びゅうプラザに関しては現在は営業を終了している。 JR改札前の通路は、京王線コンコースと接続し南北自由通路となっている。JR利用者だけでなく、京王線やバスの利用者も通行するため、非常に混雑する。この通路沿いにいわゆる駅ナカ店舗がある。下記に一覧を示す。 NEWDAYS(コンビニエンスストア) BECK'S COFFEE SHOP UNIQLO ビューアルッテ (ATM)
のりば 番線 路線 行先 1・2 KO 相模原線 京王多摩センター・調布・明大前・笹塚・新宿・都営新宿線方面
Image may be NSFW. Clik here to view. 駅構内設備 京王リテールサービス(売店「A LoT」、2・3階) 構内ではないがJR・北口方面への通路に次のような施設がある(いわゆる駅ナカ施設) 京王クラウン街 - 京王ストア・啓文堂書店などのテナントがある。 2階(改札階)コンコース(京王ストア前に出る出口前)に三菱東京UFJ銀行のATMが、コンコース(京王ストア口前付近)と改札内に東京都民銀行のATMが、TSUTAYAの前にみずほ銀行のATMが設置されている。
Image may be NSFW. Clik here to view. 京王電鉄 はしもと Hashimoto ◄KO44 多摩境 (2.5km) 所在地 神奈川県相模原市緑区橋本二丁目3番2号 Image may be NSFW. Clik here to view. 駅番号 KO 45 所属事業者 京王電鉄 所属路線 KO 相模原線 キロ程 22.6km(調布起点) 新宿から38.1km 駅構造 高架駅 ホーム 1面2線 乗降人員 -統計年度- 94,129人/日 -2015年- 開業年月日 1990年(平成2年)3月30日