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御幸橋停留場 広島電鉄宇品線

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御幸橋停留場(みゆきばしていりゅうじょう、御幸橋電停)は、広島市中区千田町三丁目にある広島電鉄宇品線の路面電車停留場。


構造
宇品線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが置かれている。ホームは低床式で2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームである。路線の起点から見て左側に広島港方面へ向かう下りホームが、右側に紙屋町・本線方面へ向かう上りホームがある。
ホーム長は3両・5両連接車に対応している。上りホームはホーム全長にわたって屋根が設けられているが、下りホームは1両単車の乗車口付近にしか屋根が設けられていない。

運行系統
「広島電鉄#運行系統」も参照
当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、1号線、3号線、それに0号線が乗り入れる。
下りホーム 1号線3号線 広島港ゆき
3号線 宇品二丁目ゆき
上りホーム 0号線 広電前ゆき
1号線 広島駅ゆき
3号線 広電西広島ゆき
周辺
停留場は京橋川に架かる御幸橋の西詰にあり、付近はおおむね住宅街である。西側には中区の文化施設が集積している。停留場のある御幸橋西詰交差点は広島市道霞庚午線、広島県道243号広島港線、広島市道御幸橋三篠線が交差する交通量の多い場所である。
修道中学校・修道高等学校
広島美容専門学校(学校法人上野学園系列)
中区スポーツセンター
広島市役所工業技術センター
平野公園
南千田公園
千田下水処理場
広電バス12号線 御幸橋バス停
広島バス21-1号線、50号線 御幸橋バス停
広島バス50号線 修道学園前バス停

 

 

御幸橋の西詰に位置する御幸橋停留場は1912年(大正元年)、宇品線の開業と同時に紙屋町方面から来た路線の終点として開設された。当停留場から先、宇品地区へ向かう区間も次いで建設が企図されたが、そのためにはまず御幸橋が架かる京橋川を越えなければならなかった。当時の御幸橋には軌道を敷設する余裕がなく、また新しく軌道専用橋を架けるにも川幅の広い京橋川を渡るためには長大な橋が必要であったため、ひとまず京橋川への架橋は後回しにしてまず御幸橋の東詰から宇品までの区間で路線が敷設された。この区間は1915年(大正4年)に開通し、当停留場と御幸橋東詰にある停留場(皆実町六丁目停留場を参照)の間は御幸橋を介する徒歩連絡で結ばれた。
架橋を後回しにしてまで宇品までの路線建設を急いだのは、同年に紙屋町および宇品周辺で開催が予定されていた広島県物産共進会までに開通を間に合わせたいという事情があったためで、実際に宇品までの区間が開通したのも共進会の開会3日前のことであった。懸案であった京橋川への架橋は4年後の1919年(大正8年)に達成され、ここに至ってはじめて広島駅前から宇品までが電車で直接結ばれた。これは軌道専用橋によるものであったが、1931年(昭和6年)には架け替えにより道路と軌道の併用橋になった2代目の御幸橋に取って代わられた。
太平洋戦争下の1944年(昭和19年)になると御幸橋停留場は営業を休止する。そして1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により宇品線をはじめとして市内電車は全線が不通となった。それでも宇品線は電鉄前から向宇品までの区間が同月18日には復旧、当停留場もこのとき営業を再開した。なお御幸橋については被爆後も2代目の橋が使用されていたが、老朽化や橋上の交通量の増加の影響もあって1990年(平成2年)に新しい橋へ架け替えられている。
1912年(大正元年)11月23日 - 開業。
1915年(大正4年)4月3日 - 宇品線の御幸橋東詰 - 宇品間開業[6]。御幸橋 - 御幸橋東詰間は御幸橋を介する徒歩連絡となる。
1919年(大正8年)5月25日 - 御幸橋 - 御幸橋東詰間の京橋川に電車専用橋が完成。宇品線全線で直通運転となる。
1944年(昭和19年)6月10日 - 停留場の営業を休止。
1945年(昭和20年)8月18日 - 停留場の営業が復旧。


駅番号 U8
所属事業者 広島電鉄
所属路線 宇品線
キロ程 2.3km(紙屋町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1912年(大正元年)11月23日


勅旨駅(信楽高原鐵道信楽線)

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勅旨駅(ちょくしえき)は、滋賀県甲賀市信楽町勅旨にある信楽高原鐵道信楽線の駅。戦後に設置された駅です。

片面ホーム1面1線で、無人駅。

駅舎はなく、ホームに待合所が設置されています。ホームは嵩上げされている。

駅のは切符販売機などの設備はありません。

ホーム待合所には造り付けの長椅子が設置されています。

駅前には駐輪場がホーム脇に設置されています

駅周辺は山が迫ってなく開けている。
八幡神社
国道307号

1963年(昭和38年)6月1日 - 開業。
1987年(昭和62年)
4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。
7月13日 - 信楽高原鐵道の駅となる。

所属事業者 信楽高原鐵道
所属路線 信楽線
キロ程 12.4km(貴生川起点)


電報略号 チヨ
駅構造 地上駅


ホーム 単式1面1線
開業年月日 1963年(昭和38年)6月1日

 

M-Gator™A3-軍用車 (Deere & Company)

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M-Gator™A3-軍用車
John Deereは、国際自動システム(IAS)と協力して、M-Gator A3-T、航空ライトユーティリティモバイルメンテナンスカート(ALUMMC)を発表しました。この車両は、飛行場を横切って人員、道具、テスト機器、貨物を効率的に運搬できる、標準化された、ロジスティックに持続可能な、軽量で、全地形のメンテナンス・ビークルを米国陸軍航空ユニットに提供します。GatorはHoricon、WIに建設され、米国陸軍の要件を満たすためにBaldwin WIのIASによってカスタム変更されています。



ENGINE
Type
4-cycle diesel
Displacement
854 cc


Power
24.6* hp
18.3* kW
Cooling system
Liquid
DRIVETRAIN
Transmission
Continuously Variable Transmission (CVT) with fully enclosed clutch
Final drive
Two speed, oil bath
Four wheel drive
Traction assist
Descent control

Maximum traveling speed
0-32 (0-51.5) Hi Forward, 0-15 (0-24.1) Lo Forward, 0-17 (0-27) Reverse
SUSPENSION
Front
Fully Independent Dual A-Arm with adjustable coils
Rear
Fully Independent Dual A-Arm with adjustable coils and sway bar
BRAKES
Type
Park brake
TIRES / WHEELS
Front
26x9-12 Ancla M-T (Extreme Terrain)
Rear
26x11-12 Ancla M-T (Extreme Terrain)
DIMENSIONS / CAPACITIES
Wheelbase
79 (2007)
Dry weight
Length
119 (3021)
Width
62 (1571)
Height
75 (1903)
Tread centers
44.8 (1137)
Ground clearance
Fuel capacity
Cargo box dimensions
Cargo box capacity (weight)
Payload capacity
1400 (635)
Towing capacity
1500 (680)
Hitch
FEATURES
Color
power steering
Battery / Alternator / Power port
Instrumentation
Storage
Seating
ADDITIONAL INFORMATION
Country of Manufacture
U.S.
Date collected



ディア・アンド・カンパニー (Deere & Company) は、アメリカ合衆国イリノイ州モリーン市(アイオワ州ダベンポート郊外)に本社を置く農業機械、および建設機械のメーカー。1837年に創設。
世界最大の農業機械メーカーである。社名より創業者の名を冠したブランド名であるジョン・ディア (John Deere) がよく知られている。

Meil MIL-STD 209K
アバディーンの航空輸送能力テスト(CH47D&C130)
液体冷却ディーゼルエンジン(854cc)
ペイロードの容量1400 lbs

C-12 (航空機)

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ビーチ C-12 ヒューロン (Beech C-12 Huron) は、ターボプロップビジネス機キングエア200をアメリカ軍向けに改修した軽輸送機。現在はホーカー・ビーチクラフト社が販売を請け負っている。ベースとなったタイプに応じてサブタイプも多くあり、同じC-12でもC-12Sはキングエア350を、C-12Jはビーチクラフト 1900をベースにしたものとなっている。

キングエアは人員輸送、連絡用として適した機体であることからアメリカばかりでなく多くの国の軍で採用されているが、その大部分は民間型(民生用)として製造された機体であり、アメリカ以外でC-12を採用したのはイスラエルのみである。
なお、アメリカ空軍ではヒューロンの愛称を使用していない。また、電子偵察機型RC-12は搭載システムの名称からガードレール(Guardrail)とも呼ばれる。

アメリカ海兵隊は1979年から1982年にアメリカ海軍が導入したUC-12B、66機のうち17機を受領し、アンドリューズの海兵隊総司令部やビューフォート、エルトロ、ユマ、ニューリバーといったアメリカ本国のMCAS(海兵隊航空基地)に配備した。これらの機体には数字の5とアルファベットを組み合わせたテールコードが与えられている。例えばアンドリューズは5A、ユマは5Y、エルトロは5Tである。
1986年にはエンジン改良型のUC-12F、12機をアメリカ海軍が調達したがうち4機は海兵隊に引き渡され、3機は岩国、1機はアンドリューズに配備された。
アメリカ空軍の運用例では2007年7月1日C-12J、3機が横田基地に到着、第459空輸飛行隊に配属され前任のC-21と交代し要人輸送の任務に就いている。
現在アメリカ空軍では4機のC-12Jを運用しており、3機はの横田基地、残りの1機はニューメキシコ州ホロマン空軍基地(英語版)で運用されている。


MDS指定(Mission Design Series)
1962年に国防省によって導入された共同命名規則で、軍用機だけでなく航空機やミサイルなど飛翔体に付けられている。

主な軍用機の構成要素は6つ!!
航空機の種類 Vehicle Type(機体種別記号)
航空機の基本的な使命  Basic Mission(基本任務記号)
航空機の変更された任務 Modified Mission(任務変更記号)
設計番号 Design Number(設計番号)(D)
シリーズレター Series(シリーズ)(S)
ステータスプレフィックス Status Prefix(現状接頭記号)
正式名称は、MDSのM (Mission) が示す現状 / 任務 / 機体種別(任務記号)とD (Design) が示す設計番号、 S (Series) が示すシリーズの3つの基本的な部分によって付けられています。


G:Glider – グライダー
H:Helicopter – ヘリコプター(回転翼航空機)
Q:Unmanned Aerial Vehicle – UAV(無人航空機)
S:Spaceplane – スペースプレーン(宇宙飛行機)
V:VTOL / STOL – VTOL機(垂直離着陸機)・STOL機(短距離離着陸機)
Z:Lighter-Than-Air Vehicle – 軽航空機(飛行船・気球)
D – UAVコントロールセグメント(無人航空機用の地上統合制御装置)

航空機の基本的な任務  Basic Mission(基本任務記号)

A:Ground Attack – 攻撃機
B:Bomber – 爆撃機
C:Transport – 輸送機
E:Special Electronic Mission – 特殊電子装備(電子戦機、早期警戒機など)
F:Fighter – 戦闘機
L:Laser-Equipped – レーザー装備
O:Observation – 観測機
P:Maritime Patrol – 哨戒機(海上巡視)
R:Reconnaissance – 偵察機
S:Antisubmarine Warfare – 対潜機
T:Trainer – 練習機
U:Utility – 汎用機
X:Special Research – 研究機(Xプレーン)

航空機の変更された任務 Modified Mission(任務変更記号)

A:Attack – 攻撃(グラウンドアタック)
C:Transport – 輸送(貨物)
D:Director – 指揮(ドローンのような無人航空機の制御用に改造されたもの)
E:Special Electronic Installation – 特殊電子装備(大規模な電子機器の追加)
F:Fighter – 戦闘(空戦)
H:Search and Rescue/Medevac – 捜索・救難 / 航空救急
K:Tanker – タンカー(空中給油)
L:Cold Weather – 寒冷地仕様(北極または南極の環境)
M:Multimission – 多用途
O:Observation – 観測(敵や潜在的な敵の位置の観測)
P:Patrol – 哨戒(海事パトロール)
Q:Drone – ドローン(UAVまたは無人機)
R:Reconnaissance – 偵察(敵軍、領土、施設の航空偵察)
S:Antisubmarine – 対潜(敵の潜水艦の探索、配置、攻撃)
T:Trainer – 練習
U:Utility – 汎用(ベースサポート航空機)
V:Staff – 要人輸送( VIP /米国大統領が使用する航空機に限定)
W:Weather – 天気予報(気象観測と空気サンプリング)
変更された任務はある?(設計目的とは違う任務に変更されているか)

ステータスプレフィックス Status Prefix(現状接頭記号)

 通常、正規の軍務に運行されている機体には使用しません

C:Captive- 打ち上げができないロケットとミサイル。
D:Dummy- ダミー。非飛行ロケットとミサイル、通常は地上訓練用。
G:Permanently Grounded – 地上設置。通常、乗組員の地上訓練と支援のため。
J:Special Test (Temporary) – 特別試験(臨時)試験のために一時的に設備が整備された航空機。
N:Special Test (Permanent) – 特別試験(永久)常設。試験のために装備され、元の構成に戻すことができない航空機。
X:Experimental – 実験的。まだ軍が受領していない航空機又は標準構成が確定していない試作機に適用される。
Y:Prototype -プロトタイプ。試作。(当初は構成が決定されたデモンストレーション機に適用されたが、最近は、生産を意図する全ての航空機のプロトタイプに適用される。“Y”記号が伝統的な“X”記号より危険が少ないことを意味したため、1970年代から大部分のプログラムにおいて政治的理由のために“Y”記号が好まれている。)
Z:Planning – 計画フェーズ。計画段階/開発前段階。実際の航空機ではありません。

設計番号 Design Number(設計番号)(D)
同じ任務を持つ航空機の各々の設計に割り当てられるシリアル番号。任務記号と設計番号をダッシュ(-)によって分けて記述されています。

命名システムによると、航空機の機体種別又は標準機体の基本任務ごとに連続して番号を振られることになっているが、最近は例外も多いようです。

たとえばF-14、F-15、F-16など、米国の飛行機のFighterクラスに従ってつけられましたが、研究機であったX-35は、戦闘機の次の番号がF-24であったにもかかわらず、戦闘機になるとF-35に改名されました。


シリーズレター Series(シリーズ)(S) –
同型の航空機の異なるバージョンは、“A”から始まり順に増えていく1文字のシリーズ記号 (Series) を使って詳細に示されることになっています。

ただし、数字の“1”及び“0”との混同を避けるために“I”及び“O”は使用されません。しかし、どれだけの変更や時間の経過があればバージョンが変わるのかは明らかにされていませんし、F-16Nの「N」のような特定の顧客を指定するための「Navy」などの例外も多いようです。


その他
愛称・・・FA-18ホーネットやC-130ハーキュリーズなどニックネームがついているものが多いです。ただし、軍用機の場合は正式名称ではありません。
Block(ブロック)・・・航空機専用。シリーズ又は設計の範囲内で定義された構成(
メーカー記号・・・製造元のメーカーを表すアルファベット記号
 F/A-18ホーネットは、AF-18(攻撃戦闘機)という名称になるはずだけれど、多用途任務能力が最も初期の段階から組み込まれたという事実を強調するために非公式の名称がつけられました。(なお、公文書ではFA-18)
しかし、他にこれに該当する航空機、例えばF-16やF-15Eは任務変更記号“A”を与えられることさえなく、それらの“F”記号がそのままになっています。軍用機の名称には例外も多い。

 

鷹野橋停留場 広島電鉄宇品線

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鷹野橋停留場(たかのばしていりゅうじょう、鷹野橋電停)は、広島市中区国泰寺町二丁目および千田町一丁目にある広島電鉄宇品線の路面電車停留場。

構造
宇品線はほぼすべての区間で軌道が道路上に敷かれた併用軌道であり、当停留場も鷹野橋交差点から南東に伸びる千田通り上にホームを有する。ホームは低床式で2面あり、2本の線路を挟み込むように配置されている。ただ互いのホームは斜向かいに位置しており、西側(紙屋町寄り)に広島港方面へ向かう下りホームが、東側(広島港寄り)に紙屋町・本線方面へ向かう上りホームがある。


2000年(平成12年)に行われた停留場付近の軌道移設工事に伴い、場所を移動するとともにホームの幅が広くなり、全長にわたって屋根が取り付けられた。またそれに伴い停留場横の横断歩道の幅が拡げられている。


運行系統
当停留場には広島電鉄で運行される系統のうち、1号線、3号線、7号線、それに0号線が乗り入れる。
下りホーム 1号線3号線 広島港ゆき
3号線 宇品二丁目ゆき
0号線7号線 広電前ゆき
0号線 日赤病院前ゆき
ホームには簡易な椅子が設置されています。


上りホーム 1号線 広島駅ゆき
3号線 広電西広島ゆき
7号線 横川駅ゆき
ホームには横断歩道からバリアフリー対応のスロープで連絡します。

周辺
タカノ橋商店街
広島会計学院電子専門学校(学校法人上野学園系列)
広島ビジネス専門学校(学校法人上野学園系列)
広島外語専門学校(学校法人上野学園系列)
広島バス21号線、21-1号線 鷹の橋バス停
広島バス21-1号線 南鷹の橋バス停
広島バス21-2号線 鷹の橋商店街バス停
介護老人保健施設陽だまり

トミーテックから発売している「鉄道むすめ」シリーズのキャラクター、「鷹野みゆき」の名字の由来となった駅である。

 

鷹野橋停留場は1912年(大正元年)、宇品線が紙屋町から御幸橋までの区間で開通した際に開業した。当時は当停留場を境に紙屋町方面が西塔川線、御幸橋方面が御幸橋線と呼ばれた。停留場名の鷹野橋はかつて当地に流れていた西塔川(西堂川)に架かっていた橋の名前である。西塔川にはほかにも西塔橋、真菰橋という橋が架かっており、これら橋の名も宇品線の停留場名に採用されていたが、のちに西塔橋停留場は中電前停留場、真菰橋停留場は市役所前停留場に改称されたため、かつての橋の名を残すのは鷹野橋停留場のみになっている。
広島電鉄の市内線は1945年(昭和20年)8月6日に原爆投下で被害を受け休止されるが、当停留場を含む宇品線の紙屋町から電鉄前までの区間は同年の9月には復旧を果たしている。
1912年(大正元年)11月23日 - 開業。
1945年(昭和20年)
8月6日 - 原爆投下により、運行休止。
9月12日 - 電鉄前 - 紙屋町が単線で復旧。12月中旬に複線にて復旧。
2000年(平成12年) - 停留場付近の軌道移設工事に伴い、停留場を移設。

駅番号 U5
所属事業者 広島電鉄
所属路線 宇品線
キロ程 1.4km(紙屋町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1912年(大正元年)11月23日

 

TUG MR トーバー・トラクター(米軍)

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TUG MR トーバー・トラクター(米軍)

トーバー((英: Tow bar、トウバーとも)という棒を、航空機の前脚と車両の間に接続する方式でトーバー自体は手動で機体と連結し、外す必要があり時間がかかり、航空機との連結点と車両との連結点との両方が屈折する。構造上日本国内では基本的に、最高速度は時速15キロメートルと決められている。大きな荷重が加わった際、破断することでトラクターと航空機の双方をダメージから守る、シェアピン/シアピン(シェアボルト/シアボルト、ヒューズピン)が用いられる。

シェアピンのせん断限界は、機体ごとに異なるノーズランディングギアのストラクチャーダメージ許容度に合わせ、数種類設定されている。同様に、ランディングギア側のトーバー取り付け部も、機種により形状が異なる場合が多い(B767、B777、DC10、A330、A340等は、オプションにより形状が統一されているエアラインもある)。

そのため、機種によりトーバーを付け替える必要があり、複数の機種をもつ航空会社は、必要な種類のトーバーを用意しなければならなかったり、運用時には航空機側のコックピットにブレーキマン(運航時はパイロット)が乗り込み、機体を円滑に停止させ、機体へのダメージ軽減のため、車両と航空機の双方が同じタイミングでブレーキを操作する必要もある。

例えばトラクター側だけでブレーキをかけた場合、飛行機の惰性によってノーズランディングギアに慣性力が集中してジャックナイフ現象を起こし、破断するが破断方向によっては、トーバー本体に応力が作用し、結果的にノーズランディングギアが損傷してしまうなど人員や技術が必要で育成する費用や時間もかかり、トーバレスや電気自走タキシングシステムと比較しても航空機の燃費にも良くなく効率が悪いため、今後は減少していく可能性がある。

この牽引トラクターの低姿勢は、安全な操作のためにあらゆる方向への視認性を高めます。MR-10は、ドゥーツバーの引っ張り力が10,000ポンド(4,536 kg)で、Deutz Tier IIエンジン、Kubota Tier IIIエンジン、またはDeutz Tier 4iエンジンのいずれかによって駆動されます。他の機能には、四輪サスペンションとディスクブレーキ、パワーステアリング、ユニボディーフレーム構造などがあります。同梱のキャビンとヒッチのオプションも用意されています。

キハ200形 200-7 NANOHANA

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キハ200系気動車(キハ200けいきどうしゃ)は、九州旅客鉄道(JR九州)の一般形気動車[注 1]。日本国有鉄道(国鉄)時代に製造され筑豊地区に集中配置された、キハ66形・キハ67形の後継的存在に当たる。
1991年(平成3年)に開発され、JR九州の地方路線用大型気動車として現在まで増備されている。

まず片運転台で2両編成のキハ200形0番台・1000番台が、1991年(平成3年)に直方気動車区(現・筑豊篠栗鉄道事業部)に配置され、筑豊本線・篠栗線の快速列車に投入された[注 2]。この際、車体色に因んで「赤い快速」の列車愛称が命名された。その後、1992年(平成4年)7月15日改正で指宿枕崎線の快速「なのはな」用として同番台が投入され、1994年(平成6年)3月1日改正では大村線経由で佐世保 - 長崎間を運行する快速「シーサイドライナー」にも投入された。
1997年(平成9年)には、豊肥本線熊本近郊の輸送改善を目的に増備が再開された。この際従来の0番台・1000番台に代わりワンマン運転対応の100番台・1100番台、および両運転台のキハ220形1100番台が登場し、一部は三角線や鹿児島本線の普通列車でも使用された。また、同年夏にはキハ200形のトイレなし・ロングシート仕様である500番台・1500番台およびキハ220形1500番台が香椎線に投入された。
1999年(平成11年)10月に豊肥本線熊本 - 肥後大津間電化にともない、豊肥本線熊本口で運用されていた車両は、阿蘇地方や香椎線、筑豊・篠栗線に転用された。ただし、豊肥本線の電化区間と非電化区間との直通列車には引き続きキハ200形が運用されている列車がある。
2001年(平成13年)に篠栗線・筑豊本線(福北ゆたか線)電化により筑豊地区配属車は長崎、鹿児島、大分などに転属し、大村線や豊肥本線・久大本線のローカル運用に使用されるようになった。その後、2003年(平成15年)3月に香椎線からキハ200系は全面撤退し、大分地区や指宿枕崎線へ転用された。
また、鹿児島地区では2004年(平成16年)の九州新幹線開業にあわせ、キハ220-1102の車両中間部に展望スペースを設けた指定席車両を連結した特別快速「なのはなDX」に改造、リニューアルされた車両が登場した。
2006年(平成18年)には、転換クロスシートとロングシートを折衷し、車体をマイナーチェンジしたキハ220形200番台が増備され、同年7月29日から大分地区で運行を開始した。
2014年(平成26年)には、キハ200形、キハ220形1100・1500番台で、従来のLED式運賃表示板から、キハ220形200番台に類似した液晶表示板に変更されている。
2016年(平成28年)6月までに、全車両がATS-DK形に更新された。なお、ATS-DK未対応路線では従来通り、ATS-SK形のみ動作する。

運転席
車体は普通鋼製20m車体で、片側3箇所にステップ付きの両開き扉を設置しており、前面は貫通扉を設けた構造となっている。ブレーキシステムを電気指令式とし、自動空気ブレーキの在来車両との併結は考慮していないため、連結器は電車と同じ密着式のものを採用しているが、非常時に在来車と連結するための中間連結器を装備している。走行用機関は新潟鉄工(現:新潟原動機)またはコマツ(220形200番台)の331Kw(450PS)の出力のものを2エンド側に1基装備して連結面側台車の2軸を駆動する。これに伴い排気管を車体外部の連結面に設置して室内スペースを確保しているが、両運転台付きのキハ220形では従来通り室内に排気管を貫通させている。
本系列の都市圏・ローカル双方に対応した大型車体の3扉転換シート(基本番台)、車体後方に集約した1基の450PS級機関による必要十分な走行性能や2両ユニットなどの特徴は2011年に登場したJR東海キハ25形気動車と非常に類似している。
側窓のうち開閉可能な窓は一部のみで、固定窓については中央にあるロールカーテン縦桟のために一見2連窓に見えるが、実際には大型の1枚窓となっている。
室内の仕様は番台により異なるため、「個別形式」の節で記述する。また以下は各番台に共通するものとして、天井付近の室内見付はJR九州811・813系電車と共通の、曲面を使用せず傾斜した幕板で構成したものとなっている。室内の壁と床面、座席モケットには当初からドーンデザイン研究所のテキスタイルデザインが展開され、同研究所のテキスタイルカタログによると例えば0・1000番台初期車では壁は「雪」、床は「モザイク」、座席(使用地区により差異やモケット交換時に柄変更された例もある)は「ピエロ」の各柄である。
冷房装置は走行用機関直結のものと1エンド側に搭載したバス用の機関直結式(デンソー製パッケージクーラー)の2系統を備える。走行機関直結のものは冷房使用時はアイドルアップされるためエンジン音が高くなるが、運転士が力行の操作をすれば停車中や低速走行時では一旦エンジンのアイドル状態を経てから加速が始まり、中速以上ではアイドル状態を経ず直ちに加速状態となるなど力行指令との協調が図られている。
また旧来の旅客用気動車では、入力軸と出力軸の回転を合わせる事が難しい等の技術的課題があり、直結段での変速は主流でなかった。 本形式においては凹凸形のクラッチ(爪クラッチ)と軸の回転制御を組み合わせ、直結段を2段とした新型液体式変速機を採用している。この爪クラッチ使用による変速機はJR九州の大型気動車独特のもので[、特徴として動力損失が低いほか、再加速時に無駄な空ぶかしを経ずに即時に動力直結が可能なため、在来気動車で困難だった「のこぎり運転」が容易になり、勾配や曲線が多い区間において運転時分短縮の効果がある。さらに331kW(450ps)の高出力エンジンを搭載し、キハ40系に代表される在来型気動車に比べて走行性能を向上させている。また、この変速機は自動・手動を切り替えることができる。営業運転での最高速度は110km/hであるが、最高速度が85km/h程度であることが多いローカル路線に最適化するため自動変速での各段切替え速度は低目に設定されており、1・2段目の切替え速度はフルノッチの場合それぞれ50km/hと70km/h程度であるが、低いノッチ位置での力行時ではそれよりも低速で進段を行う。
車体塗装
車体デザインは水戸岡鋭治率いるドーンデザイン研究所が手がけており、基本的には赤色一色で客用ドアのみステンレス無塗装の銀色である。長崎地区の車両は、青一色に客用ドアを赤色として側窓の下等に「SEA SIDE LINER」のロゴが標記されている。鹿児島地区の車両は製造当初は他地域と同じ赤色であったが、1995年(平成7年)にキハ200-7・5007が「いぶすきキャンペーン」の一環として黄色一色に客用ドアを赤色と同じ、ステンレス無塗装の銀色として側窓の下等に「NANOHANA」のロゴを入れたものに変更され、1997年から他の車両も順次同じ色に塗り替えられた。
鹿児島地区の車両のうち特別快速「なのはなDX」用のキハ220-1102は車体に表記されているロゴが他の車両と異なっていた。
個別形式
キハ200系気動車には、片運転台車キハ200形、両運転台車キハ220形の2形式がある

 

0番台・1000番台
キハ200-7
1991年から製造されている基本番台で、トイレ付きの0番台とトイレなしの1000番台の2両で1本の編成を組成する。座席は転換クロスシート(車端部および客用扉寄りは固定式、以下他の転換クロスシート車も同様)である。最初に投入された筑豊本線・篠栗線からは撤退し、大村線(同線から長崎本線および佐世保線乗り入れ)・豊肥本線・久大本線・指宿枕崎線で使用されている。
15編成が製造された。このうち、1007は1993年(平成5年)8月6日に日豊本線竜ヶ水駅構内で豪雨による土石流によって、1011は2003年3月31日に大村線川棚駅 - 小串郷駅間で発生した踏切障害に伴う脱線事故によって廃車された。
このグループのみ、製造当初は全車両の座席肘掛けに灰皿が設置されていた。1995年9月にJR九州の快速・普通列車が全面禁煙となったため、現在は撤去されている。
登場時はワンマン運転に対応していなかったが、2000年(平成12年)までに全車がワンマン運転対応とされ、その際にレシップ製運賃表示器も設置された。さらに乗客への視認性を高めるため2006年末より「優先席」表示がされたシート枕カバー(白色)が装着されている。
なお長崎地区での本系列の検査等による車両不足時にはキハ220形を代わりに連結することがある他、大分鉄道事業部所属(旧長崎所属 元SSL色)のキハ200-11+キハ200-5011の編成が貸し出されることがある。また、キハ200-14+キハ200-1014はハウステンボス色となっている。これらの他にも一時期NTTや龍馬伝などのラッピングを施した車両があったほか、2011年8月からキハ200-13+キハ200-1013の編成がV・ファーレン長崎のラッピングを纏っていた。
2010年3月にはキハ220-208とキハ220-209の2両が長崎地区へ転属したため、代わりにキハ200-5+キハ200-1005の編成が大分地区へ転属した。転属後もしばらくは赤色にはならず、シーサイドライナーカラーのまま豊肥本線、久大本線で運用されていたが、後に赤色に変更された。
2014年3月にはキハ200-6+キハ200-1006がロングシート化改造を受け、車番もキハ200-556+キハ200-1556へ改番された。原番に+550を足す形となっている。

キハ200-14+キハ200-1014 ・ハウステンボス色
2015年3月には、大分と長崎でキハ220-207と、キハ200-13・キハ200-1013のトレードが行われた。大分へ転属したキハ200-13とキハ200-1013は、転属後も先述のラッピングを行っていたが、赤色に変更された。なお、キハ220-207は赤色のままである。
2016年3月には、キハ200-10+キハ200-1010がロングシート化改造を受け、車番もキハ200-560+キハ200-1560へ改番された。なお、これでロングシート化改造はキハ200-556+キハ200-1556に次いで2例目となる


鹿児島車両センター
車両はなのはな色(黄色)となっている。
鹿児島本線
 鹿児島駅~鹿児島中央駅
指宿枕崎線
 鹿児島中央駅~山川駅

製造所 新潟鐵工所
日本車輌製造
九州旅客鉄道小倉工場
主要諸元
編成 2両編成(キハ200形)
両運転台付単行車(キハ220形)
最高速度 110km/h
車両定員 52(席)+70(立)=122名(0番台)
56(席)+70(立)=126名(1000番台)
最大寸法
(長・幅・高) 21,300×2,994×4,050(mm)
台車 ロールゴム式ボルスタレス台車
DT600K・TR600K
円錐積層ゴム式ボルスタレス台車
DT600KA・TR600KA(キハ220形)
機関出力 DMF13HZA 331kW(450PS)×1
駆動方式 液体式
制動装置 電気指令式空気ブレーキ
(直通予備ブレーキ付き)
排気ブレーキ
保安装置 ATS-SK形、ATS-DK形、EB装置、防護無線
備考
第32回(1992年)
ローレル賞受賞車両

水口松尾駅(近江鉄道本線)

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水口松尾駅(みなくちまつおえき)は、滋賀県甲賀市水口町水口にある近江鉄道本線の駅。
エホバの証人の関西大会ホールが近くにあるので、甲賀市水口町と同宗教団体との請願駅として開設された。宗教法人格を取得していない宗教団体が駅設置を請願するのは当時でも極めて異例であった。

日野駅との駅間距離は4.9kmあり、近江鉄道では最も長い。当駅の開業前は当駅所在地を挟む日野駅・水口駅間が6.0kmと、やはり最長区間であった。駅周辺には人家もほとんどありません。

駅構造
単式ホーム1面1線の地上駅で、無人駅である。ホームの幅は狭い。駅舎は無く、簡単なベンチの雨避けが入口の駅名表示板を兼ねている。公衆電話が設置されている。トイレはないが近くにコンビニがある。 無料の駐輪場がある。

駅構内施設
誘導ブロック
転落防止柵
アプローチの階段右端にはサイクルトレイン対応の板が設置されています。

駅周辺
国道307号
国道1号
公立甲賀病院
水口北保育園
保育園所ひまわり園
アヤハ自動車練習所水口校

1989年(平成元年)4月5日 - 開業。

所属事業者 近江鉄道
所属路線 ■本線(水口・蒲生野線)
キロ程 42.7km(米原駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 55人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1989年(平成元年)4月5日
備考 駅に駐輪場がある。

 


UC-12W ヒューロン

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ビーチ C-12 ヒューロン (Beech C-12 Huron) は、ターボプロップビジネス機キングエア200をアメリカ軍向けに改修した軽輸送機。現在はホーカー・ビーチクラフト社が販売を請け負っている。ベースとなったタイプに応じてサブタイプも多くあり、同じC-12でもC-12Sはキングエア350を、C-12Jはビーチクラフト 1900をベースにしたものとなっている。
キングエアは人員輸送、連絡用として適した機体であることからアメリカばかりでなく多くの国の軍で採用されているが、その大部分は民間型(民生用)として製造された機体であり、アメリカ以外でC-12を採用したのはイスラエルのみである。
なお、アメリカ空軍ではヒューロンの愛称を使用していない。また、電子偵察機型RC-12は搭載システムの名称からガードレール(Guardrail)とも呼ばれる。

アメリカ海兵隊は1979年から1982年にアメリカ海軍が導入したUC-12B、66機のうち17機を受領し、アンドリューズの海兵隊総司令部やビューフォート、エルトロ、ユマ、ニューリバーといったアメリカ本国のMCAS(海兵隊航空基地)に配備した。これらの機体には数字の5とアルファベットを組み合わせたテールコードが与えられている。例えばアンドリューズは5A、ユマは5Y、エルトロは5Tである。
1986年にはエンジン改良型のUC-12F、12機をアメリカ海軍が調達したがうち4機は海兵隊に引き渡され、3機は岩国、1機はアンドリューズに配備された。
アメリカ空軍の運用例では2007年7月1日C-12J、3機が横田基地に到着、第459空輸飛行隊に配属され前任のC-21と交代し要人輸送の任務に就いている。
現在アメリカ空軍では4機のC-12Jを運用しており、3機は前述の横田基地、残りの1機はニューメキシコ州ホロマン空軍基地(英語版)で運用されている。

派生型
C-12A
アメリカ陸軍/空軍向けの汎用輸送機。エンジンはプラット・アンド・ホイットニー・カナダ PT6A-38だが、後にC-12Cとの共通性を確保するためPT6A-41に換装された。1975年7月に就役開始。
UC-12B

UC-12B
アメリカ海軍/海兵隊向け。PT6A-41エンジン、高圧タイヤ、貨物ドアを装備している。
TC-12B
UC-12Bの練習機型。
C-12C
C-12Aの改良型。PT6A-41エンジンを装備。
C-12D/UC-12D
C-12Cに高圧タイヤと貨物ドアを装備した機体で、主翼端燃料タンクも装備できる。C-12Dはアメリカ空軍向け、UC-12Dはアメリカ陸軍向け。
RC-12D
陸軍向けの特殊任務/通信情報収集機。イスラエルにも引き渡されている。
C-12E
PT6A-42エンジンに換装したアメリカ空軍のC-12A。
C-12F
1984年から引き渡されたアメリカ陸軍/空軍向けの機体。キングエアB200C相当。
UC-12F
C-12Fのアメリカ海軍向け。
RC-12F
太平洋ミサイル射場施設の監視用として使用できるよう改造されたUC-12F。
RC-12G
RC-12Dの改良型。低強度紛争以外の作戦の偵察任務用機器を追加装備。
RC-12H
RC-12Dの改良型。電子情報収集機器を追加装備。
C-12J

C-12J
ビーチクラフト 1900Cをベースとした汎用輸送機型。
RC-12K
RC-12Dの改良型で、電子/通信情報収集の両方が実施可能になった。また、PT6A-67エンジンに換装され最大離陸重量が増加。イスラエルにも引き渡されている。
C-12L
当初U-21シリーズの1タイプとされていた電子偵察機型RU-21Jを汎用輸送機に転換した型。
UC-12M
仕様の共通化が行われたUC-12B/F。一部は太平洋ミサイル試験センターの安全監視機として改修され、RC-12Mとなった。
RC-12N
RC-12Kの派生型で、EFISや改良型の電子機器制御システムを装備。
RC-12P

RC-12P
RC-12Nとほぼ同様のシステムを搭載しているが、改良型データリンクが採用されるなどの改良が行われている。
RC-12Q
直接航空衛星中継能力を付加したRC-12P。
C-12R
アメリカ陸軍予備役部隊及び州航空隊向けの汎用輸送機で、EFISを装備。キングエアB200C相当。
C-12S
キングエア350をベースにしたアメリカ陸軍向け汎用輸送機。
C-12T/U
アメリカ陸軍のC-12Fの改修型で、コックピット機器を改善。
C-12V
C-12Rのコックピットをグラスコックピット化した機体。
MC-12W リバティ

MC-12W リバティ
キングエア350をベースにしたISR(諜報/監視/偵察)機型。
UC-12W
キングエア350をベースにしたアメリカ海軍向け汎用輸送機。

スペック(モデル350)
出典:分冊百科「週刊 ワールド・エアクラフト」No.55 2000年 デアゴスティーニ社
全長:14.22 m
全幅:17.65 m(ウィングレット含む)
全高:4.37 m
翼面積:28.80 m2
空虚重量:4,132 kg
最大離陸重量:6,804 kg
エンジン:プラット・アンド・ホイットニー・カナダ PT6A-60A 1,050shp(783kW) × 2
最大速度:584 km/h=M0.48(高高度)
巡航速度:558 km/h=M0.46(高度24,000 ft)
実用上昇限度:10,670 m以上
航続距離:3,672 km(乗客4名、最大航続仕様時)
ペイロード:乗客最大16名
乗員:2名

 

トラバーサー  遷車台

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トラバーサー (Traverser)、は、重量物を水平方向に平行移動(長尺物を横移動)させるための装置。一般には、鉄道の工場、検査場、車両基地などで複数線路間で鉄道車両を移動させる遷車台(せんしゃだい)を指すが、ロケット基地でロケットを発射台に移動させる装置等もトラバーサーと呼ばれる。

矩形坑の中に敷設された軌条の上を可動桁が平行移動する構造になっている。

車両の入換を行う際に、奥にある車両も効率よく引き出せるために考案されたという。敷地の形や広さに制約のある大都市における路面電車の基地などに見られることがある。
また、ラック式鉄道のうち、ロヒャー式ラックレールでは分岐器が作れないため、複線区間の折り返し駅ではこれを使って車両を移動させることになる。スイスのピラトゥス鉄道では駅構内の他、信号場でトラバーサーを採用している。

鉄道工場などには機関車や電車を載せる大型の遷車台があるが、駅の貨物側線に設置された2軸貨車入れ換え用の小型のものである。遷車台の使用により、荷役線(貨物ホームに面する線)での貨車の整理が容易になる。

目黒駅 東日本旅客鉄道(JR東日本)

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目黒駅(めぐろえき)は、東京都品川区上大崎にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京急行電鉄(東急)・東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)の駅である。

乗り入れ路線
4社4路線が乗り入れ、接続駅となっている。
JR東日本 : JY 山手線 - 電車線で運行される環状線としての山手線電車のみが停車し、それ以外の列車は通過する。また、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。駅番号は「JY 22」。
東急 : MG 目黒線 - 当駅が起点。下記2路線と相互直通運転が行われている。かつては「目蒲線」と称していた。駅番号は「MG01」。


東京メトロ : N 南北線 - 当駅が起点。開業当初から多くの列車が赤羽岩淵駅から埼玉高速鉄道線への直通運転を実施している。駅番号は「N 01」。
都営地下鉄 : I 三田線 - 当駅が起点。駅番号は「I 01」。
東急・東京メトロ・都営地下鉄の駅は、目黒線と南北線および三田線の間で相互直通運転を行っているため、3社局で構内を共用する共同使用駅(東急の管轄)となっている。
また、南北線と三田線は、当駅から白金高輪駅までの区間で駅・線路設備を共用している。当該区間については、南北線を運行する東京メトロが第一種鉄道事業者として施設を保有しており、三田線を運行する東京都交通局は第二種鉄道事業者となる。

駅名は目黒駅であるが、駅の所在地は目黒区ではなく品川区である。開設時に遡っても目黒村でなく大崎村に位置している。このような「駅名と市区町村名が一致しない」その他の例は、品川駅、厚木駅、習志野駅、志木駅などがある(それぞれ港区、海老名市、船橋市、新座市に位置している)。
駅名選定の経緯は残されていないが、目黒不動尊や目黒川など周辺には「目黒」を冠する名称が多い。設置場所については、蒸気機関車の煙や振動が農作物に悪影響を与えると心配した地元農民の反対運動のため、目黒川沿いに鉄道を建設する当初計画が変更されたとする伝承(目黒駅追上事件と称される)がある。一方、地理学者の青木栄一はこうした伝承のほとんどは文献資料などの根拠を欠いたものであると述べている。
こうした通説の否定を踏まえ、杉山淳一は、目黒駅が大崎から渋谷までのほぼ直線上になった路線上にあることに着目し、目黒川沿いに鉄道を敷いた場合のコストを考慮した上で路線が計画され、結果的に現在の設置場所に目黒駅が設けられたのではないかと推測している。
このような経緯から、当駅周辺では「目黒のさんま」にちなんで、品川区側と目黒区側の両方で「目黒のさんま祭り」がそれぞれ別の団体によって異なる日に、それぞれ開催されるという珍しい現象が起きている。


島式ホーム1面2線を有する地上駅。改札は橋上と地下の2か所にある。
山手線では2012年(平成24年)度から2017年(平成29年)度にかけて各駅にホームドアを設置する計画があり、目黒駅では2010年(平成22年)8月28日から他駅に先行して供用が開始された。目黒駅では過去、1992年(平成4年)にホームドアの設置試験が行われたことがあった。
2016年8月20日未明には、駅ナンバリング対応の看板に交換された。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 JY 山手線 内回り 品川・東京・上野方面
2 外回り 渋谷・新宿・池袋方面
地上駅ですが、人工地盤にすっぽり覆われて地下駅のような雰囲気です。

オープンカウンター式のみどりの窓口がありプラザも併設(休日休業)

発車メロディ

いずれも当駅初採用である。
1 JY Water Crown(東洋メディアリンクス製)
2 JY Dance on(櫻井音楽工房製)


駅周辺
「上大崎」、「西五反田」、「白金台」、「三田 (目黒区)」、「目黒 (東京都)」、および「下目黒」
権之助坂
駅西口側目黒通りの坂の名称で一方通行の上下線に分かれている。ただし下り線は上大崎交差点から目黒駅東口ロータリー出口まで相互通行。下り線は江戸時代に目黒の名主であった菅沼権之助によって開かれた。幕府の意向に反したとの冤罪で処刑されたが、慕う庶民がその名を付けて現在に至っている。上り線の"新坂"は当初存在していなかったが、増加する交通量などに対応するため、1965年(昭和40年)以後に住宅地を開いて開通した。


権之助坂商店街
駅西口前周辺から権之助坂一帯の加盟店舗数250を超える商店街で、権之助坂商店街振興組合として8つの商店会から成っている。
行人坂
江戸時代のこと、権之助坂ができる前は江戸府内に入るルートとして大鳥神社から太鼓橋を渡り、途中江戸三大大火の一つ、明和9年(1772年)明和の大火(行人坂の火事)の火元となった大円寺を右に見ながら江戸府内へ向かう主道であった。余りの急坂で大八車を引く人々からは不評であった。"権之助坂"が開通して庶民の苦しみは取り除かれた。


アトレ目黒
駅の地上に建設されたJRアトレビルの商業エリア。建物は1967年に建てられ、当時はJR目黒駅ビルが目黒ステーションビル、駅隣のビルが目黒ターミナルビルとなっていた。後年ステーションビルはサンメグロ、ターミナルビルはマイメグロとなり、さらにその後マイメグロはmicと呼称が変更された。2000年には2棟共に改装となり、改装中の休業期間を経て2001年10月には2棟あわせてヒルトップガーデン目黒(サンメグロはヒルトップガーデングリーン館、マイメグロはヒルトップガーデンオレンジ館と呼称変更)となった。その後、再び改装を経て2005年(平成17年)12月にこのヒルトップガーデン目黒をATRE1(グリーン館建物がA館、オレンジ館建物がB館となっている)となっていたが、2014年 (平成26年) 2月をもってB館は閉館し、3月にはA館がリニューアルオープンした。JR東急目黒ビルの地上はもともと2002年4月からATREとしてオープンしていたが、ATRE1のオープンにともなってATRE2となっている。ATRE2には目黒駅行政サービス窓口が設置されている。


目黒雅叙園
和風テイストのホテル、結婚式場、会議、宴会、各種レストラン、保存建築(登録有形文化財)などがある。アニメーション映画『千と千尋の神隠し』の湯屋などを思わせる造りが目を引く。駅から行人坂を下って徒歩で5分から6分程度。
大鳥神社
太鼓橋を渡って山手通りと目黒通りの立体交差点の横にある。2006年(平成18年)は鎮座1200年にあたっており、記念行事として、同年8月20日に稚児と大人の裃行列、同年9月3日の例大祭には60余年振りの神輿の宮入が執り行われた。初冬には、酉の市がある。
学校法人杉野学園
杉野服飾大学、杉野服飾大学短期大学部、ドレスメーカー学院。
日出中学校・高等学校
旧・日出女子学園中学校・高等学校、芸能コースが設置されており、在学生・卒業生に多くの芸能人がいる。
ホリプロ - 老舗芸能事務所。数多くの芸能人が所属している。
日の丸自動車学校
駅西口から徒歩6分。山手線から教習コースが望める。黒いビルに大きな目立つ赤い球がめり込んでいる。
EASE NEWYORK(イーズニューヨーク)・EASE PARIS(イーズパリ)
ニューヨーク・パリの町並みを模した撮影スタジオ。東急目蒲線線路跡地に建設された。
JR東急目黒ビル - アトレ目黒2やNTTアド、ビーコン・コミュニケーションズ本社
新目黒東急ビル(旧・パイオニア本社跡地) - スターバックスコーヒージャパン本社
パークタワー目黒
その他、久米美術館、東急ストアなどがある。


歴史
1885年(明治18年)3月16日:日本鉄道の駅として開業。旅客営業のみ。
1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道が国有化、国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により山手線の所属となる。
1923年(大正12年)3月11日:目黒蒲田電鉄(現在の東急)の駅が開業。
1929年(昭和4年):目蒲線目黒駅に東横第2食堂が開設される。


1936年(昭和11年):目蒲線駅舎が木造モルタル造2階建てに改築。
1942年(昭和17年):目蒲線ホームが3両編成対応になる。
1953年(昭和28年)12月12日:目蒲線駅舎が鉄筋コンクリート造地上2階・地下1階建てに改築。
1967年(昭和42年)4月1日:目蒲線ホームが4両対応に延伸され、3番線が廃止される。


1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本の駅(山手線所属)となる。
1992年(平成4年):山手線ホームに可動式ホーム柵を試験設置。
1997年(平成9年)7月27日:東急の駅が地下駅となる。
2000年(平成12年)
8月6日:目蒲線が目黒線と東急多摩川線に分割され、当駅は目黒線の駅となる。
9月26日:帝都高速度交通営団(営団地下鉄)・都営地下鉄の駅が開業。
2001年(平成13年)
4月28日:東急の駅とJRの駅西口とを結ぶ連絡地下道が開通。
11月18日:JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。


2004年(平成16年)4月1日:営団地下鉄民営化により、南北線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)の駅となる。
2006年(平成18年)4月28日:この日をもって、東京メトロの定期券うりば営業終了。
2010年(平成22年)8月28日:山手線ホームに可動式ホーム柵使用開始。


駅番号 □JY 22
所属事業者 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 JY 山手線
キロ程 4.1km(品川起点)


電報略号 メク
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 1面2線


乗車人員
-統計年度- 108,163人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1885年(明治18年)3月16日
備考 みどりの窓口 有
山区 東京山手線内・東京都区内駅

ラッピング列車 レノファ山口FC キハ40

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JR西日本は、平成30年の明治維新150年に向けて観光誘致などに取り組む山口市と連携し、山口市の新しい地域資源である「レノファ山口FC」をデザインに組み入れたラッピング列車を運行し、山口市の新しい魅力を広くPRしています。

1 運行時期
 平成28年4月3日(日曜日)から平成31年3月下旬までの3年間(予定)
2 ラッピング対象列車
 気動車キハ40系 2両
3 運用線区
 山口線を中心に山陰線、岩徳線、芸備線

新山口からはるばる100kmを超える回送を経て、共通運用になっている芸備線に入線することもあります。3年間(~平成31年3月末)ありますから、今後何度か芸備線運用に就くとおもいます。

JR西日本と山口市が連携して観光PRとして実施するもので、サッカーJ2「レノファ山口」のチームカラー・オレンジを基本に、同チームのマスコット「レノ丸」やチームエンブレムを配し、側面には「明治維新策源地山口市」といったPR文言も記されています。「おいでませ!維新劇場へ!レノファ山口FC」の文字が躍る。


 
国鉄キハ40系気動車(こくてつキハ40けいきどうしゃ)は、1977年から1982年にかけて日本国有鉄道(国鉄)が製造した気動車(ディーゼル動車)である。
これは国鉄の車両称号規程に則った制式の系列呼称ではないが、同一の設計思想により製造された気動車の形式を便宜的に総称したものである。

1977年から1982年にかけて計888両が製造され、日本全国の非電化路線に投入された。電車に近い車体構造の気動車で、当時の在来気動車に比し、客室設備の改善や走行機器の刷新などが図られている。一方、在来の気動車よりエンジン出力は若干増加したものの重量も増加しており、動力性能はあまり向上していない。
本系列は客用の片引き戸を車端部2か所に設置したキハ40形(両運転台)、キハ48形(片運転台)と、都市近郊向けに両引き戸を車体中央に寄せて2か所に設置した片運転台のキハ47形に大別され、各形式共投入線区の気候に応じた仕様の違いと便所の有無によって番台区分される。国鉄分割民営化後は、JR各社が使用線区の事情に応じた改造を実施し、区分番台が多くなっている。2017年時点でもJR東海を除く旅客鉄道各社が保有し、主に普通列車用として用いているが、近年では事故や災害、地方路線の運用見直しや、新型気動車への置き換えにより、廃車や保留車が発生している。

新幹線500系電車900番台 / WIN350

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新幹線500系電車900番台/WIN350

新幹線500系900番台電車(しんかんせん500けい900ばんだいでんしゃ) は西日本旅客鉄道(JR西日本)が1992年(平成4年)に開発した、最高速度350km/hでの営業運転に必要なデータを収集するために運用された6両編成の高速試験電車であり、新幹線500系電車の原型となった試作車である。ただし、形式称号こそ500系900番台の車両番号が付与されているが、外見的・構造的に共通点はあまりない。
またWIN350という愛称がある。これはWest Japan Railway's Innovation for the operation at 350km/h(350km/h運転のためのJR西日本の革新的な技術開発)の略である。

JR西日本の所管する山陽新幹線は東海道新幹線ほど鉄道のシェアが高くなく、航空路線に対抗するため列車の速度向上が不可欠だったことが、この電車の開発の背景としてある。そのため、JR西日本では1990年(平成2年)に新幹線高速化プロジェクトを立ち上げ、技術的検討を行ってきた。目標速度は350km/hであり、その技術的検証を実車により行うことを目的に製造された。
歴代新幹線唯一の“900番台試作車”
この電車は将来量産車が500系として登場することを前提として製造されたため、形状等がかなり違うものの500系の試作車という扱いになっている。そのため、純然たる試験車両として9XX形を名乗ることはなく、また量産車とは形態がかなり異なるため量産先行車としての(500系)9000番台を称することもなかったため、歴代新幹線車両の中では唯一“試作車”としての900番台となっている。一般的に在来線車両の場合、900番台の試作車は量産車登場後に量産車化改造などを行い営業運転で使用されるケースがほとんどであるが、その開発目的の特殊性および、外観や編成両数などの量産車との余りに多い相違点から、営業運転に就くことは最初から考慮されておらず、試験を終えると500系量産車就役前に廃車となった。
設計上の基本方針
WIN350は、将来の16両編成運転時に想定されるあらゆる技術的問題点の検証を可能とするため、最低6両編成が必要であるとの結論により、6両編成で製作された。また、環境に対する配慮がWIN350の開発目的の最重要項目の一つであることから、各車とも車体形状の変更など、あらゆる仮設ができる構造としている。
JR西日本の経営上、高速化に対するニーズが非常に大きいため、早期に営業用量産車の投入が可能なよう、未解明な技術は使用せず、既に確立されている技術を基本に開発が行われた。しかし、将来の高速車両のための技術開発も必要であることから、翼型パンタグラフや台車へのアクティブサスペンションなどの取付けも考慮している。機器構成も、量産車でも同じ部品を使用することにより、設計作業を効率化し、早期の量産車投入に資するよう配慮されている。


車両の概要
主回路制御方式は、300系と同じGTOサイリスタ素子によるVVVFインバータ制御である。量産車では4両で1ユニットとされたが、WIN350は6両編成であることから3両を1ユニットとした全電動車方式である。編成は、博多方から1号車とし、500-901 (M'1C) - 500-902 (M'1p) - 500-903 (M1) - 500-904 (M2) - 500-905 (M'2p) - 500-906 (M2C) である。
車体形状は、試験車であり営業用には使用しないことから、高さを大幅に縮めて車体高3,300mmとしており、300系と比べて35cmも低い。最大幅は3,380mmで、高さよりも幅の方が広いという平たい車体である。ただし、車体高さによる影響を調べるため、屋根上に模擬屋根を仮設することも可能だった。
車体構造は、アルミニウム合金の大型押し出し形材を使用したアルミハニカム構造を採用しており、軽量化を図っている。床下の機器は車体の床に取り付け後、塞ぎ板でカバーされており、本体の構造も含めて300系に近い構造である。車体は、窓や扉の段差の騒音への影響を調査するため、窓のほとんど、または全くない車両と窓をフル装備した車両(4号車)を設定している。側扉は、3号車と4号車に1対ずつ設備する。先頭部の形状は両端で異なる形状とし、比較検討ができるようにしている。1号車は極力平滑化したタイプ、6号車はさらに先頭部の勾配をなだらかにして、運転台部をキャノピー状に張り出させた形状である。

台車は、軸箱支持方式の異なる3種類(901と905がWDT9101、902と906がWDT9102、903と904がWDT9103)を装備している。電動機の軽量化ともあいまって、100系に比べて約4割の軽量化に成功している。台車では、曲線で空気バネにより車体を傾斜させる制御と、アクチュエーターによって振動を防ぐ制御の2種のアクティブ制御の試験を行なった。電動機はWMT923とWMT924の2種、歯車比は2.64である。
パンタグラフは、3種3基を搭載 (901, 902, 905) できるようにしていたが、集電性能の向上ではなく、低騒音パンタグラフの試験・開発が主な目的である。走行試験は2基または1基のパンタグラフを上げて行われた。
試験の経過
1992年4月の落成後、博多総合車両所に配置され、6月8日に試験走行を開始した。編成番号はW0となった。さらに6月22日からは、地上設備を350km/h運転対応に整備した小郡駅(現在の新山口駅) - 新下関駅間で高速試験を開始した。8月8日には、同区間で当時国内最高速の350.4km/hを達成し、基本的な性能面では350km/hでの運転に支障がないことが確認された[2]。8月下旬からは、300km/h速度域での騒音関係の試験とアクティブサスペンション関係の試験を実施した。
騒音低減のため、後のN700系において採用される全周幌(通称:成田幌)が試験されたが、耐久性などの問題から量産車には採用されなかった。
集電装置周囲の変化
低騒音形パンタグラフの開発に当たっては、ドイツ・シーメンスのシングルアーム型パンタグラフ(初代V型)に翼型舟体を搭載して試験を行った。しかし、負の揚力によって走行中に折りたたまれるという事態も発生した。量産車に採用される翼型パンタグラフの他に、後に700系で採用されるシングルアームパンタグラフ(2代目V型)も試験され、耐久試験も行われていた。しかし、高速度領域における騒音低減効果が小さいため、採用されなかった。
集電装置からの騒音を低減するため、新造時には300系に似た箱型のカバーが搭載されていた。集電装置からの騒音は低減できたものの、カバーが大きくなったために、カバーそのものから発せられる騒音とトンネル微気圧波が増加した。その後、カバーから発せられる騒音を減らすために、集電装置の前後をできるだけ長いスロープとしたカバーが試験された。これを使用することによって、ひし形パンタグラフの場合でも300km/hにおいて環境基準を満たすことができたが、重量増加という問題が解決できず、低騒音形パンタグラフを使用することによってカバーの小型化・軽量化を図る方向に方針転換した。
量産車で採用された碍子カバーの他にも、700系で採用された側面にディフレクターを追加したタイプも試験された。


車両の保存
1995年(平成7年)に本車を使用した試験は終了し、量産先行車(W1編成)の登場後、博多総合車両所にてお別れセレモニーを行った後、1996年(平成8年)5月31日付けで廃車となり、両先頭車両を除いて解体された。残った先頭車は、博多方の500-901がJR米原駅近くの鉄道総合技術研究所(JR総研)風洞技術センターの敷地内に、新大阪方の500-906が博多総合車両所に保存されており、いずれもイベント時を除き非公開である。
なお、営業車両での500系の最高速度を350km/hとした場合パンタグラフから発生する風切り音のため騒音が環境庁(現在の環境省)の騒音基準(線路中央から20メートルで75デシベル以下)を超えてしまうことが判明した。車体傾斜装置が未搭載で曲線区間通過時の遠心力の問題が未解決だったことも考慮され、1994年夏に量産車での営業最高速度は320km/hに改められた。その後、阪神・淡路大震災の発生によって非常制動距離の厳守が必須となったことと、総合的な費用対効果の検討から更に300km/hに改めている。

基本情報
製造所 川崎重工業
日立製作所
主要諸元
編成 6両(全電動車)
軌間 1,435 mm
電気方式 交流 60Hz 25,000V
(架空電車線方式)
最高速度 350km/h
編成定員 非営業車両
編成重量 252 t
全長 26,000 mm(先頭車)
25,000 mm(中間車)
全幅 3,380 mm
車体高 3,300 mm
車体材質 アルミニウム合金
台車 軸箱支持方式ボルスタレス台車
WDT9101(軸梁式)
WDT9102(コイルばね+円錐積層ゴム式)
WDT9103(ミンデン式)
主電動機 かご形三相誘導電動機
WMT923, WMT924
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 2.64
編成出力 300kW×24 = 7,200kW
制御装置 VVVFインバータ制御(GTOサイリスタ素子)
制動装置 回生併用電気指令式空気ブレーキ(応荷重装置付き)
保安装置 ATC-1型

 

恵比寿駅 東日本旅客鉄道(JR東日本)

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恵比寿駅(えびすえき)は、東京都渋谷区恵比寿南一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。

乗り入れ路線
JR東日本の各線、東京メトロの日比谷線が乗り入れ、接続駅となっている。また、JR東日本の駅には「 EBS 」のスリーレターコードが付与されている。
JR東日本 : 各線
東京メトロ : H 日比谷線 - 駅番号「H 02」
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は山手線のみである(詳細は各路線の記事および「鉄道路線の名称」を参照)が、運転系統としては電車線を走行する環状線としての山手線電車のほか、山手貨物線を走行する埼京線と湘南新宿ラインが停車し、旅客案内ではそれぞれ別路線として扱われている。
JY 山手線 : 電車線を走行する環状路線 - 駅番号「JY 21」
JA 埼京線 : 山手貨物線を走行。大宮駅方面(北行)の川越線と大崎駅方面(南行)のりんかい線との相互直通運転も実施 - 駅番号「JA 09」
JS 湘南新宿ライン : 山手貨物線を走行する中距離電車。当駅を経由し、大宮駅方面(北行)の宇都宮線・高崎線と横浜駅方面(南行)の東海道線・横須賀線を相互直通運転 - 駅番号「JS 18」
東京メトロ日比谷線は、終着駅である北千住駅より、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)を経由して日光線南栗橋駅まで相互直通運転を実施している。
また、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。

駅名の由来
ヱビスビールを製造・販売していた日本麦酒醸造会社(現在のサッポロビール)の工場(恵比寿ガーデンプレイスの場所に存在していた)に隣接する山手線上に、1901年、ビール出荷専用の貨物駅として開設されたことによる。ビールの商標にちなみ、駅名も「恵比寿」(当初「ゑびす」と表記)と命名される。駅開設当時の地名は「下渋谷」であった。後に、工場周辺を「ゑびす」と呼ぶようになり、1928年に駅周辺の地名も「恵比寿通」と名付けられた。駅前の恵比寿神社は、戦後に成立したものである(駅周辺の節も参照)。
商品名のヱビスと恵比寿ガーデンプレイスのローマ字表記は「YEBISU」であるが、地名と駅名の表記は「EBISU」である。

島式ホーム2面4線を有する高架駅である。ホーム上の大部分は駅ビルの「アトレ恵比寿」に覆われており、1階に西口、3階に東口、それぞれの改札口が設置されている。なお、現行の駅舎が建設される前は、西口・東口とも地平部に駅舎があり、東口とホームは山手貨物線を跨ぐ橋で連絡していた。
エスカレーターは改札内コンコースとホームを連絡するほか、東口には出入口と改札外コンコースを連絡するものも設置されている。エレベーターは西口改札内コンコースとホームを連絡している。
山手線の駅で埼京線・湘南新宿ラインが停車する駅としては規模は大きくないが、山手線ホームと埼京線・湘南新宿ラインホームが並んでいるため、両ホーム間での乗り換えにあまり時間が掛からず、これらのホームが遠く離れている新宿駅や渋谷駅を避けて当駅で乗り換える者も多い。ただし、湘南新宿ラインの特別快速は当駅には停まらないので注意が必要である。


山手線のホームには2010年6月26日初電より、山手線の駅として、またJR東日本としては初となるホームドアの設置・運用が開始されている。発車案内の上部に列車の現在位置を表示する大型の液晶ディスプレイが2006年10月から2007年2月まで試験的に設置されていた。その液晶ディスプレイは、改札口付近に異常時の運転情報を表示するものとして移設された。


埼京線の列車が当駅を終着駅としていた時期は(ATOS未導入の時期でもある)、埼京線各駅において当駅行の電車を「渋谷方面恵比寿行き」という言い回しで案内していた。また、3番線を乗車専用、4番線を降車専用(ホリデー快速を除く)としていたが、湘南新宿ラインの運転開始に伴って目黒方にホームが延伸され、乗車・降車専用の扱いはなくなった。


サッポロビール恵比寿工場が付近にあった時は貨物扱い施設も設置されていた。それが廃止された後、埼京線延長前の1987年から1993年頃までこの施設を利用して行楽シーズンに九州や北海道方面へのカートレインが発着していた(後に浜松町駅発着に変更)。サッポロビール恵比寿工場の跡地は再開発され恵比寿ガーデンプレイスとなった。


1995年11月から導入されている、JR東日本の傾斜式・タッチパネル式自動券売機も、当駅東口が最初の導入場所だった。導入当初はディスプレイが小さい四角形で、かつ目の不自由な利用者のためのテンキーが設置されていなかったが、後の小改良で設置された。また、同じタイプのボタン式自動券売機も設置されていた。2010年時点では、ディスプレイが大きい四角形のものに交換されている。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 JY 山手線 外回り 渋谷・新宿・池袋方面
2 内回り 目黒・品川・東京方面


3 JA 埼京線 北行 新宿・池袋・大宮方面
JS 湘南新宿ライン 大宮・宇都宮・高崎方面
4 JA 埼京線 南行 大崎・りんかい線方面
JS 湘南新宿ライン 横浜・大船・小田原・逗子方面

発車メロディ
恵比寿ガーデンプレイスの所在地はかつてサッポロビールの恵比寿工場だったことから、全ホームで「ヱビスビール」のCM曲となっている映画『第三の男』のテーマ曲が発車メロディとして採用されている。このメロディは2005年6月6日から使用されているがそれ以前にも2004年10月21日から同年12月25日にかけてアレンジの違うメロディが流れていた。一時期は五感工房製の発車メロディを使用していた。

駅周辺
当駅の開業後、当駅とビール工場の周辺が「恵比寿」と呼ばれるようになり、後に正式な地名になった。
恵比寿ガーデンプレイス - サッポロビールの恵比寿工場が千葉県船橋市に移転し、跡地再開発として複合施設が建設された。
恵比寿ガーデンプレイスタワー
恵比寿ガーデンプレイス郵便局
東京都写真美術館
ヱビスビール記念館(旧・恵比寿麦酒記念館)
恵比寿ガーデンホール・恵比寿ガーデンルーム
恵比寿ガーデンシネマ1・2
ウェスティンホテル東京


恵比寿三越
サッポロホールディングス・サッポロビール本社・ポッカサッポロフード&ビバレッジ東京本社
アトレ恵比寿 - 駅ビル
恵比寿駅ビル内郵便局
恵比寿神社 - 近くに天津神社(通称・大六様)という神社があったが、戦後の区画整理で現在の場所に移った時、町名に合わせて兵庫県西宮市の西宮神社から商売繁盛の神である恵比寿を勧請してこれを合祀し、名前を「恵比寿神社」に改めた。


渋谷城址
総合病院厚生中央病院
東京都立広尾病院
東京都立広尾高等学校
防衛省目黒地区
渋谷区新橋区民施設
渋谷区役所 新橋出張所
渋谷区地域交流センター新橋
渋谷区ひがし健康プラザ
恵比寿駅前郵便局
渋谷恵比寿郵便局
渋谷橋郵便局
山種美術館
日仏会館
駐日チェコ共和国大使館
駐日クロアチア共和国大使館
駐日ペルー共和国大使館
駐日ポーランド大使館
LIQUIDROOM ebisu
ピーコックストア
BAGEL&BAGEL


1901年(明治34年)2月25日:日本鉄道の貨物駅として開業。ビール出荷専用の駅であった。
1906年(明治39年)
10月30日:旅客営業開始。
11月1日:日本鉄道が国有化、鉄道院の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により山手線の所属となる。
1927年(昭和2年)3月29日:玉川電気鉄道(後に都電へ併合)の恵比寿駅前電停が開業。
1945年(昭和20年)5月24日:太平洋戦争中に空襲を受け、駅舎が全焼。
1964年(昭和39年)3月25日:帝都高速度交通営団(営団地下鉄)日比谷線の駅が開業。


1967年(昭和42年)12月9日:都電恵比寿駅前電停が廃止。
1974年(昭和49年)3月:営団地下鉄日比谷線の駅に自動改札機を設置。
1982年(昭和57年)11月15日:貨物取り扱いを廃止。同時にサッポロビール東京工場専用線も廃止。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本の駅(山手線所属)となる。
1996年(平成8年)3月16日:埼京線運転区間が当駅まで延長[1]。当時は当駅付近に引き上げ線がなかったため、4番線到着の列車は大崎駅構内(当時はホーム未設置)まで行き、そこで折り返すという形態だった。
2001年(平成13年)
11月18日:JR東日本でICカードSuica供用開始。
12月1日:湘南新宿ラインの運行開始。


2002年(平成14年)12月1日:埼京線運転区間を大崎まで延長、同時にりんかい線と相互直通運転開始。同時に当駅始発・終着の定期列車が消滅した。これ以降、JR・営団(→東京メトロ)に当駅始発・終着の定期列車は存在していない。
2004年(平成16年)4月1日:営団地下鉄民営化により、日比谷線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)の駅となる。
2005年(平成17年)6月6日:サッポロビール「ヱビスビール」のテレビCMで使用されている、映画『第三の男』のテーマ曲が発車メロディとなる。1・2番線と3・4番線のパートで一つのサビ(各番線で異なるタイプ)。同曲は、2004年10月21日から12月25日までの間にも、期間限定で使用されていたが、編曲は現在のものと異なっていた。


2007年(平成19年)3月18日:東京地下鉄でICカードPASMO供用開始。
2008年(平成20年)2月25日:カラー電子ペーパーを使用した広告実験を開始。
2010年(平成22年)6月26日:JRグループの在来線としては史上初となる可動式ホームドアの使用を開始、7号車・10号車部分は一部のE231系編成で6ドア車が4ドア車に変更されていないため、全編成が4ドア車に変更された後に設置される。


所属事業者 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 エヒ←ヱヒ
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 139,882人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1901年(明治34年)2月25日


乗入路線 3 路線
所属路線 JY 山手線
駅番号 □JY 21
キロ程 5.6km(品川起点)
◄JY 22 目黒 (1.5km)(1.6km) 渋谷 JY 20►
所属路線 JA 埼京線
JS 湘南新宿ライン
(いずれも正式には山手線)
駅番号 □JA 09
□JS 18
◄JA 08 JS 17 大崎 (3.6km)(1.6km) 渋谷 JS 19 JA 10►
備考 みどりの窓口 有
山区 東京山手線内・東京都区内駅

刺巻湿原 (秋田県 田沢湖)

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刺巻湿原(さしまきしつげん)は、秋田県仙北市田沢湖にある湿原である。

田沢湖線刺巻駅から徒歩15分の場所にあり、毎年4月中旬から5月上旬にかけては、3haのハンノキ林に6万株のミズバショウとザゼンソウが咲く。 湿地帯一面に白く花が咲くのは珍しく、道路や駅に近い山間に、群落とハンノキ林があるのは学術上でも貴重である。


湿地内には木道が整備されており、毎年ミズバショウの開花に合わせて「刺巻水ばしょう祭り」が開催され、郷土料理や特産品の販売、イベントなどが行われている。

ミズバショウ(水芭蕉、学名: Lysichiton camtschatcense Schott)は、サトイモ科ミズバショウ属の多年草。

湿地に自生し発芽直後の葉間中央から純白の仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ばれる苞を開く。これが花に見えるが仏炎苞は葉の変形したものである。仏炎苞の中央にある円柱状の部分が小さな花が多数集まった花序(かじょ)である。開花時期は低地では4月から5月、高地では融雪後の5月から7月にかけて。葉は花の後に出る。根出状に出て立ち上がり、長さ80 cm、幅30 cmに達する。
和名の「バショウ」は、芭蕉布の材料に利用されているイトバショウ(Musa liukiuensis (Matsumura) Makino)の葉に似ていることに由来する。

シベリア東部、サハリン、千島列島、カムチャツカ半島と日本の北海道と中部地方以北の本州の日本海側に分布する。南限の兵庫県養父市の加保坂峠にも隔離分布している。山地帯から亜高山帯の湿原や林下の湿地に分布する。学名の種小名は「カムチャツカ半島」に由来する。基準標本は、カムチャツカ半島のもの。

日本の各地に多数の群落がある。「夏の思い出」(作詞:江間章子、作曲:中田喜直)で歌われているが、実際に尾瀬沼でミズバショウが咲くのは5月末ごろ、これは尾瀬の季節でいうと春先にあたる。江間はミズバショウが夏の季語として歳時記に掲載されていることから夏と表現した。また二十四節気においても夏にあたる。北海道南部の大沼国定公園においても群落が多数あり場所により開花の時期が違う、駒ヶ岳の噴火によってできた湿地であったり水の溜まる地形が多い為にミズバショウには適した地といえる。田中澄江が『新・花の百名山』で、薬師岳と北ノ俣岳の間にある「太郎兵衛平」を代表する花の一つとして紹介した。

1つの肉質の花序(肉穂花序)には数十から数百の小花があり、それらすべてが雄蕊(ゆうずい)と雌蕊(しずい)を持つ両性花である。仏炎苞が開いた時点で、多くの小花は雌蕊が露出しており受粉可能である。雄蕊は花序の表面には現れていない。開花の後数日すると、花序の表面を押し上げるようにして雄蕊が出現し、多くの花粉を放出する。この際、自花受粉することがある。その後は雄蕊からの花粉の放出が続く。このように、最初は雌蕊だけが機能し、やがて雄蕊が機能を始めるという開花システムを「雌性先熟」と呼び、イネ科などの風媒花によく見られる。
受粉後、花序は大きく成長し、緑色の肉質の果穂(かすい)になる。種子が完熟した果穂は、ぼろぼろと崩れ、果肉をつけたままで種子が散布される。果肉は軽くスポンジ状であり、種子が水に流される(水散布)のを助ける。種子自体も軽く、水に浮く。種子は褐色で大きさ約5 mmの半球型をしている。種子はしばしば野ネズミによって食害される。実生は条件の良い場所に定着すると3年程度で開花するまでに成長する。
種子には休眠性はなく、湿らせた状態で温度条件が良ければ簡単に発芽する。いっぽう乾燥に弱く、乾いた状態で貯蔵すると短期間のうちに死亡する。発芽率は高い。
また、大きく成長した個体の塊茎から、細長く短い地下茎が生じ、栄養繁殖することがある。栄養繁殖による子は親個体のすぐそばに見られるため、しばしば数個体がまとまって株立ちする。

葉などの汁にはシュウ酸カルシウムが含まれ、肌に付くとかゆみや水ぶくれを起こすことがある。
根茎はかつて腎臓病や便秘などの民間薬として利用されたこともあるが、薬効についての根拠はなく、逆にアルカロイドが含まれているため、服用すると吐き気や脈拍の低下、ひどい時には呼吸困難や心臓麻痺を引き起こす危険があるので利用は禁物である。ツキノワグマはミズバショウの葉や花を食用とする場合があるが、これは冬眠後などに体内の老廃物等を排出するための嘔吐剤・下剤として食べるためであり、人間は絶対に真似してはならない。
切手の意匠になった。
1967年(昭和42年)5月15日発売 45円普通切手
2007年(平成19年)5月1日発売 50円ふるさと切手 関東花だより

 

 

 

 

 

 


小岩駅(JR東日本)総武本線

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小岩駅(こいわえき)は、東京都江戸川区南小岩七丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号はJB 26。

乗り入れ路線
乗り入れている路線は総武本線であるが、当駅には緩行線を走る中央・総武線各駅停車のみが停車する。
特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。東隣の市川駅が千葉県であることから、当駅が総武本線における東京都区内の東限となる。また、武蔵野線の西船橋駅以遠・京葉線の南船橋駅以遠から葛西臨海公園駅経由で東京都区内に直通する場合でも、東京都区内発着の乗車券と当駅発着の乗車券を併用することで乗車可能となっている(旅客営業取扱基準規程155条)。
また当駅は、総武本線の貨物列車用の支線である越中島支線・新金貨物線の書類上の起点駅となっているが、物理的には当駅 - 新小岩駅間にある新小岩信号場駅構内から分岐している。当駅が起点になっているのは、本来の起点駅であった新小岩操駅(現在の新小岩信号場駅)が1986年(昭和61年)にいったん廃止された際に、起点が当駅に変更され、翌1987年(昭和62年)に新小岩操駅が再開された後も、起点は当駅のままとなっているためである。当駅 - 新小岩信号場駅間(2.3km)は本線と重複扱いとなったため、貨物線および設備は一切ない。同様の理由により、総武快速線は当駅を通過するが、日本貨物鉄道(JR貨物)による第二種鉄道事業区間は当駅以東となっている。

駅構造
島式ホーム1面2線を有する高架駅である。駅下は1階・地階の2層構造のショッピングセンターShapo小岩になっている。みどりの窓口(営業時間 7:00 - 21:00)びゅうプラザとの併設で、Suica対応自動改札機、指定席券売機が8台設置されている。
駅構内の改札の前には、かつての大相撲の横綱であった栃錦の像があり、待ち合わせ場所の目印にもなっている。栃錦は東京都江戸川区小岩出身の力士であり、当駅近くの江戸川区立下小岩小学校の卒業生である。
駅はバリアフリー化が進んでおり、エレベーターやエスカレーターが至る所に設置されており、階段を使わなくても駅内及び地下ショッピングセンターを自由に移動することが可能である。ずらり並んだ改札機は10台です。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 JB 総武線(各駅停車) 西行 秋葉原・新宿・中野方面
2 東行 市川・船橋・千葉方面

駅周辺には学校が多いため、登・下校時には学生らで賑わう。なお、強風が発生すると安全のために当駅から市川駅の間で徐行運転が行われることがある。駅周辺は歓楽街、商店街が密集している。駅前広場には多数の路線バス、タクシーが乗り入れています。京成本線京成小岩駅までは徒歩で20分程、京成バス利用で10分程である。

駅東側を通る小岩中央通りの北口側にはハングルの看板を掲げた韓国料理店や韓国物産店が立ち並び、小規模ながら「コリア・タウン」の様相を呈している。
フラワーロード商店街の中にエフエム江戸川(84.3MHz)がある。
ショッピングセンター「Shapo小岩」は、1972年(昭和47年)7月15日に「小岩PoPo」としてオープンし、2007年(平成19年)3月23日にリニューアルオープンした。リニューアルオープン後の店舗面積は1万3559平方メートル、店舗数は103。全店舗がSuicaショッピングサービスに対応している。駅改札口を中心に東西方向に細長く展開し、東西線路方向の通路延長は約380m。各店舗にはシャッターが取り付けられ、館内営業時間内に限られていた東西方向の通路の開放が初電から終電までに拡大された。地階では南北方向の横断通路も新たに開放された。地階にはイメージマスコット「ポポちゃん」を模った子供向けの「ぽぽちゃん広場」、水で安らぎを演出する休憩スペース「ぽぽの泉」、休憩所、抽選会など催し物に使用できる「ぽぽちゃんの森」が新設された。  2016年(平成28年)4月15日に「Shapo小岩」となった。Shapoとして統合されたことにより、JR東日本の駅ビル共通のポイントカード「JREポイントカード」が利用可能となった。


北口
イトーヨーカドー小岩店
愛国中学校・高等学校
愛国学園短期大学
ワイズマート小岩店
ライフ西小岩店
南口[編集]
江戸川女子中学校・高等学校
警視庁小岩警察署
江戸川区小岩事務所
東京文化美容専門学校
小岩駅前交番
フラワーロード
サミットストア小岩駅南口店
江戸川病院
業務スーパー小岩店
田子ノ浦部屋

歴史
1899年(明治32年)5月24日 - 総武鉄道の駅として開業。
1907年(明治40年)9月1日 - 鉄道国有法により買収、国有化。
1909年(明治42年)10月12日 - 国有鉄道線路名称設定により、総武本線所属となる。
1945年(昭和20年)6月10日 - 空襲による被害を受ける。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道に承継。
1990年(平成2年)12月25日 - 改札前に設置された栃錦像が除幕される。
2001年(平成13年)11月18日 - ICカード「Suica」供用開始。

所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 コワ
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 64,565人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1899年(明治32年)5月24日
乗入路線 旅客線1路線 合計3 路線
所属路線 JB 総武線(各駅停車)
(正式には総武本線)
駅番号 □JB 26
キロ程 12.8km(東京起点)
千葉から26.4km
◄JB 25 新小岩 (2.8km)(2.6km) 市川 JB 27►
所属路線 総武本線(貨物支線)
(越中島支線・新金貨物線)
キロ程 0.0km(小岩起点)
(2.3km) 新小岩信号場►
備考 みどりの窓口 有
区 東京都区内駅

 

駒込駅(JR東日本)・(東京メトロ)

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駒込駅(こまごめえき)は、東京都豊島区駒込二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。豊島区最東端の駅

JR東日本の山手線、東京メトロの南北線が乗り入れ、接続駅となっている。1923年から1971年までの間は都電19系統(駒込線・飛鳥山線)との接続駅でもあった。
JR東日本の駅には環状線としての山手線電車のみが停車し、それ以外の列車は通過する。また、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。駅番号は「JY 10」。
東京メトロの駅には「N 14」の駅番号が付与されている。

業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。地形が傾斜しており、西側が掘割、東側が盛土上にホームがある構造となっている。山手線ホームの最東端は北区中里に位置している。
可動式ホーム柵が設置されている。


改札は2か所ある。西側(池袋方)の改札は、山手線ホームから階段、エスカレータまたはエレベータで上った先にあり、線路を渡る南北の通路に接しており北口と南口につながる。東側(田端駅寄り)には、階段を下りた先の改札を経て東口がある。北口には、オープンカウンター式みどりの窓口が存在していたが撤去され、多機能券売機数機が設置されている。北口切符売場に券売機は3台。東口と出入口に販売機がそれぞれ分散設置されています。
北口改札に改札機は5台。シースルー式の有人通路があります。


駅構内の掘割の斜面にあるつつじの植栽が有名で、これにより関東の駅百選にも認定されている。バリアフリー対応のためエレベーターやエスカレーターの設置工事が行われた際、工事の支障となる北側斜面のつつじの一部が伐採された。その後、可能な範囲でのつつじの新規植栽がされた。
山手線唯一の踏切である第二中里踏切が駅から田端側へ約400m程度行ったところにある。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 JY 山手線 外回り 上野・東京方面
2 内回り 池袋・新宿方面

発車メロディは「さくらさくら」である。当駅近くがソメイヨシノの発祥の地であることから、地元の商店街が地域活性化の一環として2005年に実現させたものである。2005年と2006年は3月中旬から5月上旬までの期間限定で使用されていたが、2007年以降は通年で使用されている。内回りと外回りでは曲のアレンジが異なり、2006年度のみ内回りと外回りの組み合わせが入れ替わっていた。

駅周辺
区境に位置する住宅街で、周囲には教育機関や庭園が多い。
北口側
旧古河庭園
妙義神社妙義神社公式HP
豊島区立駒込図書館
豊島区区民ひろば駒込
豊島区駒込地域文化創造館
東京都赤十字血液センター駒込出張所
染井霊園
染井吉野記念公園
大國神社
駒込二丁目アパート(都電車庫跡地)
女子栄養大学短期大学部
本郷中学校・高等学校
中央聖書神学校
宗教法人日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団本部
東京スイミングセンター
南口側
大和郷と呼ばれる地区。
六義園
駒込警察署
東洋文庫 - 国立国会図書館の支部図書館
駒込駅前郵便局
本駒込二郵便局
文京グリーンコート
駒込すくすくルーム
文京学院大学女子中学校・高等学校
日本医師会
フレーベル館
芥川製菓本社
東口側
ほぼ谷田川の暗渠に沿って、北方向には駒込さつき通り、しもふり銀座、染井銀座、南方向にはアゼリア通り、田端銀座、と複数の商店街が南北に連なっている。
中里郵便局
日枝神社
学校法人聖学院本部
聖学院中学校・高等学校、女子聖学院中学校・高等学校

1910年(明治43年)11月15日:国有鉄道の駅が開業。山手線所属の駅で、旅客営業のみ。
1917年(大正6年)6月6日:東京市電駒込線・駒込橋電停が開業。
1922年(大正11年)4月10日:駒込橋停留所を駒込駅方面に0.1km移設。
1923年(大正12年)4月12日:市電飛鳥山線開業。駒込駅隣接地に市電巣鴨車庫駒込分車庫が開設。1939年に独立車庫となる。
1945年(昭和20年)4月13日:太平洋戦争中に空襲に遭い、駅舎が全焼。
1971年(昭和46年)3月17日:都電19系統(駒込線・飛鳥山線)廃止。これより20年間接続路線がなくなる。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR東日本の駅(山手線所属)となる。
1990年(平成2年)4月21日:JR東日本(東口)に自動改札機導入。
1991年(平成3年)11月29日:帝都高速度交通営団(営団地下鉄)7号線・南北線の駅が開業。当初は始発駅であった。
1996年(平成8年)3月26日:四ツ谷駅 - 当駅間の開業に伴い、南北線の駅も途中駅となる。
2001年(平成13年)11月18日:JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
2004年(平成16年)4月1日:営団地下鉄民営化により、南北線の駅は東京メトロに継承。
2006年(平成18年)12月23日:JR東日本の駅舎改装工事が完了。エスカレーター・エレベーター・駅ナカ施設が設置される。
2013年(平成25年)12月14日:みどりの窓口営業終了。

駅番号 □JY 10
所属事業者 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 JY 山手線
キロ程 19.0km(品川起点)
電報略号 コメ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 46,998人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1910年(明治43年)11月15日
備考 業務委託駅
山区 東京山手線内・東京都区内駅

 

UC-35D 輸送機 米国第1海兵航空団

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UC-35D 輸送機
〈MWHS-1(第1海兵航空団司令部飛行隊)(普天間)
UC-35D サイテーション・アンコールのアメリカ海兵隊型

セスナ サイテーション (Cessna Citation)はセスナ社が生産するビジネスジェット機。当初ひとつのモデルの名称であったが、続々と開発された新設計の機体もサイテーションと命名され、現在ではセスナ社の生産するジェット機は全てサイテーションと呼ばれている。初代サイテーションは先進のコンセプトが多くの追従者を生んだ小型ジェット機。

サイテーション・アンコール (Model 560 Citation Encore) 1998年初飛行、型式証明1999年、2000年引渡。価格は688万ドル。ウルトラより30万ドル高い。アンコールはウルトラを基本とし、効率の良い新世代のエンジンPW535Aへ換装することによって、より少ない燃料(推力10%増、燃料消費率16%低減)で長い航続距離(VFR 1,850km、IFR 3,150km)が可能になった。

高効率化によって燃料搭載量(2,637kg→2,403kg)を減らし、その分ペイロードを増加することが可能になった。機体構造は変更がないので着陸重量は不変であるが、出力向上の恩恵で最大離陸重量は150kg増加し、満タン時のペイロードは110kg増加している。高度13,700mまでの上昇時間は31分。トレーリングリンクのランディングギアを搭載。


乗員 乗員2名・乗客8名
全長 14.90m
全幅 15.91m
全高 4.64m
自重 4,196kg
最大離陸重量 7,484kg
最大速度 796km/h
航続距離 3.628km


エンジン 名称:P&Wカナダ JT15-5D×2基
備考 民間で使用されているビジネスジェット機セスナ560サイテーションVアンコールを軽輸送機として採用した機種。在日米軍では以前は普天間基地の第1海兵航空団司令部飛行隊で1機を運用していたが、現在では第36海兵航空群/司令部飛行隊で3機を運用している。

 

水口駅(近江鉄道本線)

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水口駅(みなくちえき)は、滋賀県甲賀市水口町新町にある近江鉄道本線の駅。旧水口町の代表駅的存在。日野~貴生川間開業時の駅です。


市街地の北外れに位置する。のちに、より市街地に近い場所に水口石橋駅と水口城南駅が開設されている。

駅利用者のメインは付近の滋賀県立水口東中学校・高等学校・甲賀市立城山中学校・甲賀市立水口小学校への通学生です。

千鳥配置の相対式2面2線の地上駅。平日の朝夕のみ有人(7:00~8:55・15:55~17:50)。大きな瓦屋根を持つ木造駅舎です。屋根には雪止めが2段設置されています。

貴生川方面に駅舎があり、米原方面へのホームへの構内踏切がある。トイレ、誘導ブロック、ホームには上屋があります。

切符売場は平日の朝夕のみ窓口が営業しています。待合室には造り付けの長椅子が設置されています。

2015年3月16日までは当駅~貴生川駅間において、当駅発着の列車が運行されていた。水口駅には折り返し設備がないため、折り返す際は一旦上り方面に出て、それから下りホームに入線する方式をとっていた。

 

駅前には利用者の多い駐輪場があります。


駅周辺
国道307号
旧国道1号
関西アーバン銀行水口支店
滋賀県立水口東中学校・高等学校
甲賀市立城山中学校
甲賀市立水口小学校
アル・プラザ水口
公立甲賀病院 - 徒歩約15分(1.5km)
株式会社ネクストイノベーション(警備会社)

1900年(明治33年)12月28日 開業。

所属事業者 近江鉄道
所属路線 ■本線(水口・蒲生野線)
キロ程 43.8km(米原駅起点)
駅構造 地上駅
乗車人員
-統計年度- 416人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1900年(明治33年)12月28日

かしわめし弁当・東筑軒

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かしわめし弁当(かしわめしべんとう)は、九州・山口の郷土料理である鶏(かしわ)料理の流れをくむもので、鶏の炊き込みご飯・かしわめしを主とした弁当・駅弁である。郷土料理がもとになっているため、複数の業者が同系列の駅弁を発売しているほか、コンビニエンスストアでも売られている。

スタイルはどれも類似しており、鶏の出汁で炊き込んだ米飯の上に甘辛く煮た鶏肉・錦糸卵・海苔を斜めの線を描くように載せている。鶏肉については、北部九州と中・南九州で大きく姿が異なり、福岡や佐賀など北部九州では細かく刻まれているのに対し、大分以南の中・南九州では比較的大きめのまま乗せているところが多い。また、山口や島根では、鶏肉はそぼろになっている。


複数のグレードが用意されている場合があり、グレードによっておかずが異なるが、基本的な構成はおおむね同じである。また、かしわめしをご飯として幕の内系に発展させたものなどを見出すこともできる。
東筑軒(折尾駅他)、中央軒(鳥栖駅)、北九州駅弁当(小倉駅他)では、かしわめしの具(鶏肉)を駅うどんに載せた「かしわうどん」を販売している。該当企業が経営するうどん・そば店では通常のうどん・そばにかしわ肉(かしわめしの具)が載る。

東筑軒
折尾駅・黒崎駅・八幡駅・戸畑駅・小倉駅・若松駅・直方駅・赤間駅・福間駅で発売している。折尾駅5番のりばでは、近年珍しくなったホームでの立ち売りが行われている。駅構内以外の売店もあり、福岡市内・北九州市内の一部のデパートなどに常時出店している他、九州各地や大阪、東京の百貨店での臨時販売も行われる。
1921年(大正10年)に、折尾駅・直方駅の弁当業者・筑紫軒として創業。1942年(昭和17年)に戦時国策により弁当業者の整理統合が行われ、真養亭・東洋軒・吉田弁当などと合併して東筑鉄道構内営業有限会社となる。1955年(昭和30年)に 株式会社東筑軒となり、現在に至る。
かしわめし弁当は筑紫軒時代からのもので、「画一化した駅弁から脱却した郷土色豊かな駅弁」として、水炊きなどの鶏肉料理を参考に、鉄道省門司運転事務所長であった本庄厳水が開発した。鶏肉は細かく刻んで入れ、やわらかさより歯ごたえを追求している。炊き込みご飯の味付けは本庄の妻スヨが開発し、門外不出の一子相伝の味として代々女性のみに受け継がれている。内容と価格の異なる複数のグレードがある。

株式会社東筑軒(とうちくけん)は、福岡県北九州市八幡西区堀川町4番1号に本社を置く日本の食品会社。弁当(主に駅弁)の製造販売・飲食店経営・売店の運営などを行っている。
折尾駅をはじめとする鹿児島本線・筑豊本線の9か所の駅でかしわめしをはじめとする駅弁の販売と駅うどん店の運営を行っている。
駅構内以外の売店もある。ヤフオクドームでも弁当を販売している。
なお折尾駅4・5番のりばでは、ホームでの立ち売りが行われている。2011年6月に販売員が体調を崩して自宅療養となり中止されていたが、2013年2月から新たなスタッフで再開された。九州で立ち売りが残るのは他に人吉駅と吉松駅のみで、常時立ち売りを行っているのは折尾駅だけだという。

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