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春日町駅 静岡鉄道静岡清水線

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春日町駅(かすがちょうえき)は、静岡市葵区春日二丁目にある静岡鉄道静岡清水線の駅である。駅番号はS04。


駅構造
駅舎はホーム東端に設置されている。
島式ホーム(複線)


島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎もホーム幅分しかない。駅の出入口は踏切の中央にある。
駅の柚木駅寄りには非常用の上下渡り線があり、ポイントがある事から停車場扱いとなっている。

2011年10月1日のダイヤ改正より使用が開始された方向幕には新たに「春日町」の行き先も追加された。
便所はホーム新静岡寄りにある男女共用の水洗式。


切符売場に券売機は2台、改札口には改札機は2台設置されています。

のりば
1 ■静岡清水線(下り) 草薙・新清水方面


2 ■静岡清水線(上り) 音羽町・新静岡方面
上屋があるホームは非常に狭い。


安全柵(転落防止柵)が設置されています。

利用状況
「静岡市統計書」によれば、2014年度の一日平均乗車人員は731人、降車人員は790人であった。この乗降人員数は静岡清水線全15駅中13番目である。

駅周辺
静岡地方気象台
国道1号
ツインメッセ静岡
静岡県理容美容専門学校
歴史[編集]
1930年(昭和5年)4月2日 - 春日町駅として開業。
2005年(平成17年)4月 - 安全柵(転落防止柵)設置。


駅番号 S04
所属事業者 静岡鉄道
所属路線 静岡清水線
キロ程 1.5km(新静岡起点)
駅構造 地上駅


ホーム 島式 1面2線
乗車人員
-統計年度- 731人/日(降車客含まず)
-2014年度-
開業年月日 1930年(昭和5年)4月2日


連絡船うどん

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連絡船うどん店
JR四国グループの飲食チェーン「めりけんや」


オリジナルのだしを使用した定番メニューとは別に、かつて実際に岡山県・宇野と香川県・高松をつなぐ宇高連絡船のデッキで販売していたうどんだしがを再現した「連絡船うどん(きつね、鳴門わかめ、月見)」の3メニューを加える。店はJR高松駅構内、ホームだけでなく、外からも入れます。

 また、新たに券売機を導入。連絡船で使用していた舵輪や当時の写真、連絡船うどんだしの紹介など、当時の雰囲気を味わえる空間にしている。お出汁はちょっと薄めであっさり。太めの麺はコシのあり、もちもち!です。

店舗面積は約43平方メートル

<改札内>店内立席カウンター5~6人とホーム側椅子席(5~6席)
<改札外>テラス席(テーブル2つほど)と店内立席3~4人
駐車場 無
トイレ 無 
創業 2014.5.18

TEL 087-851-4952

営業時間

(平日) 07:00~21:00 
(土)  07:00~21:00 
(日・祝)07:00~21:00 

定休日

無休 

うどんメニュー(値段が変更される場合が有ります。2017年)
えび天うどん 600円
肉うどん 500円
かき揚げうどん 500円
きつねうどん 400円
えび天ぶっかけ 600円
かき揚げぶっかけ 500円
肉ぶっかけ 500円
(サイズは並と大です。)

サイドメニュー
ビール 350円
土産うどん 540円

一玉の重さ 250グラム
麺の太さ 4ミリ
自分で入れられる薬味 七味
うどんの地方発送 不可 
玉売り 不可 


讃岐うどん
香川県においてうどんは地元で特に好まれている料理であり、一人あたりの消費量も日本全国の都道府県別統計においても第1位である。料理等に地域名を冠してブランド化する地域ブランドの1つとしても、観光客の増加、うどん生産量の増加、知名度注目度の上昇などの効果をもたらし、地域ブランド成功例の筆頭に挙げられる。日経リサーチの隔年調査では地域ブランドの総合力において350品目中1位となり(2008年、2010年連続)、観光客は行き先選択の理由、香川の魅力の第一にうどんを挙げ、2011年には香川県庁と香川県観光協会はうどんを全面的に推しだした観光キャンペーン「うどん県」をスタートさせた。
古くから良質の小麦、塩、醤油、そして地元ではイリコと呼ばれている煮干しなどが、讃岐国(現香川県域の旧国名)の特産品であり、それらうどんの材料の入手が容易であった。元禄時代の一枚の屏風絵にも複数のうどん屋を認めることができる。時代が下り、現在の地域ブランド名称として広く知られるようになったのは、うどんを名物とし始めた1960年代頃と考えられている。


香川県のうどん店や家庭で作られるうどんを指すとともに、日本全国各地の飲食店でもうどん料理が当名称で供されていたり、冷凍食品など店頭で手軽に入手可能など、香川県外の地域でも容易に食せる料理として広まっている。代表的なうどんの一種として有名になったことや、2006年から開始された地域団体商標制度への登録は「地名+商品名」でも、一般的に使用されている名称で全国各地で作られている物は難しいという見解を特許庁は示しており、該当する商品(後述)において「本場」「特産」などと表示する場合のみ、公正競争の観点から規制を設けた程度にとどまっている。本場でしか味わえない点と、どこでも容易に触れ得る点の両面から、「本場の味を試したい」という欲求を呼び起こすことに成功している一方で、日本国外でのブランド防衛では後手に回った事例も見られる。
小麦粉の切り麺であるうどんは香川にしかないものではなく、古来全国にあるが、讃岐は特にうどんのトップブランドとして広く認知されており、各地のうどんを紹介する際に「第二の讃岐うどん」といった表現が用いられたり、特にゆかりはなくとも「讃岐」「讃岐風」を謳われたりしている。
香川県民の生活の中で、うどんは特別な位置を占めている。香川県におけるうどん生産量の推移(ゆで麺・生麺・乾麺の合計、香川県農業生産流通課調べ)は、1980年代は1万トン台中盤から2万トン台中盤、1990年代は3万トン強から4万トン台後半、2000年代前半は5万トン弱から6万トン台中盤であった。2009年の生産量は59 643トン(小麦粉使用量)、全国1位であり、2位の埼玉県の2倍以上となっている。1980年にはわずか5%でしかなかった日本国内シェアは、以後四半世紀で四半分に迫るほどの伸びを見せた。
香川県民を対象とした調査によると、うどんを「週に1回以上食べる」人の割合は90.5%、「まったく食べない」人は9.5%であり、「週1回」が最も多く50.8%であった。
うどんは観光客向けの名物というよりは、老若男女問わず県民の生活に密着した食物・食習慣となっている。うどん店は県全域に分布し、たとえば観光用に店鋪の特定集中区域はない。彼らは県外に出てもうどんへのこだわりを隠さず、里帰りにうどんを食し帰郷を実感するほどである。
うどんにまつわる地域行事も存在する。半夏生(7月2日頃)にうどんを食べるという慣わしがあり、この習慣に基づきさぬきうどん協同組合が毎年7月2日を「さぬきうどんの日」と制定しているほか、大晦日には年越し蕎麦ではなくうどんを食べる県民が一定の割合で存在しており(ただし2010年の四国学院大学の学生による調査では「年越し蕎麦派」が「うどん派」を上回っている)、玉売のうどん店や製麺所は多忙を極める。また新たな行事やイベントのプロモーション活動にも余念なく、2009年からは「年明けうどん」をプロデュースするなどしている。

ヤマハRSバイキングプロフェッショナルス(スノーモビル・砕氷艦・海自)

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海上自衛隊が運用し所属艦である「砕氷船しらせ」に装備されているスノーモビル(ヤマハRSバイキングプロフェッショナルス)です。

スノーモビル (英語:snowmobile, sled) とは、1人または2人乗りの小型雪上車である。積雪地域の日常的な交通手段として用いられるほか、スキー場を始めとする雪山での監視や捜索救難、冬季のアウトドア・レジャーなどにも広く用いられる。

操舵装置として前部にそりを、駆動装置として後部に無限軌道(トラックベルト)を備えている。跨座式の座席と棒形のハンドルを備え、乗員の乗車姿勢はオートバイなどの乗り物に近い。雪や氷の上を走行できる。エンジンは90cc前後から1,000cc近くの排気量となる大型の機種まで存在する。実用性を重視した車種だけでなく、レジャーユースに求められる性能を重視した車種も製品化されている。

軍用スノーモビル
20世紀初頭のロシア帝国では、無限軌道ではなくプロペラによって推進される動力ソリ『アエロサン』が独自に開発され、犬ぞりに代わる冬季間の移動手段として用いられていた。
第一次世界大戦および第二次世界大戦では軍用型が開発され、中には機銃や軽装甲まで装備した武装型までもが、冬季、氷雪上という運用上の大きな制限こそあったが、実用化されていた。
アエロサンは現在も運用されており、中にはボートとして夏季も使用できる水陸両用型もある。
なお、ソ連軍と対峙していた東部戦線のドイツ陸軍でも類似の雪上車両「タトラV855」が試作されたが、正式採用されなかった。

日本の法規における扱い
道路交通法施行規則によるとカタピラを有する自動車は大型特殊自動車に該当するが、スノーモビルは内閣府告示により普通自動車として扱われる。したがって、公道上を走行する場合は普通自動車免許や中型自動車免許、大型自動車免許で運転でき、ヘルメットの着用は義務づけられない。
公道以外でスノーモビルを運転する場合は法律上の免許は不要であるが、事故の防止や自然環境を保護を主眼とした講習が行われている。国立公園など、乗り入れを規制された場所に立ち入ると懲役や罰金などの処罰を受ける場合がある。
現在は型式認定を受けた製品は製造あるいは輸入されていないが、2011年の豪雪を機に、大規模な降雪で通行止めになった公道に限り、所管の警察署に届出を行なえば通行を認める例外規定が設けられている。


ENGINE BRAND NAME Genesis 120
ENGINE TYPE Horizontal In-line
CYLINDERS 3
ENGINE STROKE 4-Stroke
VALVE CONFIGURATION DOHC
DISPLACEMENT (CC/CI) 973 / 59.4
STARTER Electric
TURBOCHARGED No
CARBURETION TYPE Carburetor
長さ(フィート) 10.67
幅(インチ/ MM) 47.2 / 1201
高さ(IN / MM) 55/1390
最大スキースタンス(IN / MM) 38.4 / 975
最小スキースタンス(IN / MM) 38.4 / 975
燃料容量(GAL / L) 10.6 / 40
座席数 2
外観:
スキーマテリアル プラスチック
スカグ素材 炭化物
ドライブライン:
トラック長(IN / MM) 154/3911.6
トラック幅(インチ/ MM) 20/508
ラグ高さ(インチ/ MM) 1.375 / 34.9
利便性:
加熱ハンドグリップ 標準
ストレージ:
リアラック 標準
ガラス:
バックミラー 標準

 

安里駅 沖縄都市モノレール線(ゆいレール)

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安里駅(あさとえき)は、沖縄県那覇市安里にある沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は10。「ひめゆり通り」上に位置する駅です

駅構造
島式ホーム1面2線を有する高架駅である。改札内には階段のほかエスカレータおよびエレベーターが設置され、ホームとコンコースが結ばれている。


全線の駅をゾーン分けした「ステーションカラー」は、おもろまち駅・古島駅とともにオレンジ色を使用している。

のりば
安里駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
1 ■沖縄都市モノレール線             首里方面


2 那覇空港方面
駅到着時の車内放送チャイムは、八重山民謡の「安里屋ユンタ」を編曲したものが使用されている。

駅設備
コインロッカー : 改札内に設置。
公衆電話 : 改札外に1台設置。


自動販売機(飲料) : 改札外に1台(車椅子対応)、改札内に1台、ホームに2台設置。
トイレ : 改札内に設置。
駐輪場 : 駅東口・西口エレベータ横に設置。無料。

駅周辺
周囲は壺屋焼に関する施設・工房等が多い。
栄町市場
前島アートセンター
壺屋やちむん通り
那覇市立壺屋焼物博物館


栄町りうぼう(スーパーマーケット)
那覇市立真和志中学校
那覇市立大道小学校
大道郵便局
沖縄銀行 大道支店
国道330号(ひめゆり通り・安里バイパス)

路線バス
詳細は「沖縄本島のバス路線」を参照
安里駅前バス停(駅西口側に、安里十字路方面の片方向のみ設置)
31番 泡瀬西線(東陽バス) : 普天間・胡屋方面 行き
姫百合橋バス停(駅より南へ徒歩約2分)
17番 石嶺(開南)線(那覇バス)
30番 泡瀬東線(東陽バス、モノレールの沿線に設置)
31番 泡瀬西線(東陽バス)
55番 牧港線(琉球バス交通)
112番 国体道路線(琉球バス交通)

その他
牧志駅とは直線距離で約300mしか離れていない。開業当初は両駅間に高い建物がなくホームから同駅を見通すことが可能であったが、牧志・安里再開発事業によるマンション建設のため後に不可能となった。

歴史
2003年(平成15年)8月10日 : 沖縄都市モノレールの開業に伴い当駅が開業する。

駅番号 10
所属事業者 Okinawa City Monorail Logo.png 沖縄都市モノレール
所属路線 ■沖縄都市モノレール線
キロ程 8.20km(那覇空港起点)


駅構造 高架駅
ホーム 1面2線


乗車人員
-統計年度- 1,955人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 2003年(平成15年)8月10日

龍宮の潮吹

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龍宮とは、宇津賀半島北端の海蝕地形の総称のことをいい、この一帯は第4紀洪積世の玄武岩からなっており、玄武岩の横臥の奥に龍宮があると伝えられ、舟隠しといわれている場所もあります。


潮吹とは、打ち寄せる波が絶壁下海面近くの、わずか縦1m、幅20cmの穴に突入し、奥の空洞に圧縮された空気が海水を激しく外に出そうとして、上方に海水を噴出させる噴潮現象のことです。


北よりの風が吹き(冬が最良時)海がしけると潮が上がり、海水を最大30mも吹き上げ、遠くから眺めれば、まるで龍が天に向かって昇るありさまに似て、飛び散るしぶきは太陽を反射して銀の砂をまくような光景が見られます。
この奇観は、龍神のなせるわざとして、広く里人の間に信仰を集め、とりわけ干ばつの際には近郷より雨乞いに集まる人が多かったと言われています。


所在地
〒759-4712 山口県長門市油谷津黄
アクセス
・JR長門古市駅からタクシーで約20分 ※長門古市駅から運賃の目安 片道約2200円前後(交通状況によりますのであくまで目安です)
・JR長門市駅からタクシーで約40分
・中国自動車道美祢IC下車、国道316・191号・県道66号経由約65分

鹿児島中央駅 九州旅客鉄道(JR九州)

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鹿児島中央駅は、鹿児島県鹿児島市中央町にある、九州旅客鉄道(JR九州)・鹿児島市交通局の駅である。
鹿児島市交通局の電停の名称は鹿児島中央駅前電停である。

鹿児島県の県庁所在地である鹿児島市の代表駅。地元での通称(略称)は「中央駅」。
鹿児島における都市間移動の拠点駅であり、新大阪駅より当駅に至る山陽・九州新幹線の終着駅である。福岡・熊本両都市圏、本州方面とを結ぶ新幹線の発着駅である他、宮崎・霧島・指宿方面へ向かう新幹線に接続する特急列車や観光列車など在来線においても多数の列車が当駅を始発・終着とするターミナル駅である。事務管コードは▲940125を使用している。


鉄道以外では大隅半島や離島航路発着港湾とのバス路線や鹿児島空港行きのリムジンバスの発着地であり、鹿児島市のみならず鹿児島県全域とのアクセスの拠点である。
旧称の西鹿児島駅(にしかごしまえき。通称「西駅」)時代から寝台特急、特急などの優等列車をはじめほとんどの列車が当駅を起終点として発着する運行上の拠点であり、古くから鹿児島市の中心駅としての役割を果たしている。
駅敷地内にはアミュプラザ鹿児島やえきマチ1丁目などに大小250を超える店舗が密集しており、駅周辺の店舗と併せて鹿児島中央駅地区と呼ばれる商業エリアを形成し、鹿児島市の一大商業地区のひとつである。
2004年3月の九州新幹線の当駅乗入開始以後、当駅は日本最南端の新幹線停車駅である。


乗り入れ路線
鹿児島中央駅
九州新幹線および在来線の鹿児島本線、指宿枕崎線の3路線が乗り入れており、このうち九州新幹線は当駅を終点、指宿枕崎線は当駅を起点としている。在来線における所属線[2]は鹿児島本線である。
鹿児島本線と日豊本線の正式な終点は隣の鹿児島駅であるが、鹿児島本線の列車は大半が当駅で折り返すため鹿児島駅まで乗り入れる列車は少なく、逆に日豊本線の列車は全て当駅まで乗り入れているため、当駅は鹿児島本線と日豊本線の事実上の終点として機能している。鹿児島本線広木駅以遠と日豊本線を直通する列車と、鹿児島駅発着の指宿枕崎線の列車は、当駅で列車番号を変えている。このような運行形態のため、当駅 - 鹿児島駅間を運行する列車は、鹿児島駅発着の列車を除いて、列車番号は慣例とは逆に下りが偶数、上りが奇数となっている。


優等列車については、九州新幹線の「みずほ」「さくら」が山陽新幹線新大阪駅まで直通運転を行っており、始発終着駅となっている。また、山陽新幹線に直通する「みずほ」「さくら」は上り1本(熊本駅始発)を除き全て当駅発着である。在来線では日豊本線の特急「きりしま」、日豊本線・肥薩線直通の観光特急「はやとの風」、指宿枕崎線の観光特急「指宿のたまて箱」が乗り入れている。在来線に乗り入れている全ての優等列車が当駅発着で運行され、当駅を跨いで運転する優等列車は存在しない。


国鉄分割民営化以降、優等列車が当駅を跨いで運転されたのは、1992年(平成4年)の夏期における国分駅始発の上り臨時「つばめ」の1例のみである。
当駅では在来線のみ23時52分に全方向に向けて最終列車(鹿児島本線:川内行き、日豊本線:国分行き、指宿枕崎線:五位野行き)が発車する。


駅構造
JR九州
ホームは、在来線がほぼ南北方向に敷設された島式ホーム3面6線を有する地上駅、新幹線はその直上に直角の線形で敷設された島式ホーム2面4線を有する高架駅(3階)である。後者は海に向かって行き止まりとなっている。新幹線ホームは8両編成にまで対応し、可動式安全柵が設置されている。なお、10両分までは延伸が可能である。
駅東側の出口を桜島口(東口)、駅西側の出口を西口という。
駅本屋は在来線ホームと新幹線ホームの中間にあたる2階部分にあり、桜島口と西口はコンコースで結ばれている。改札外のコンコースにはみどりの窓口、JR九州旅行、キヨスク、ドラッグイレブン、総合観光案内所などがある。1階・2階部分の商業施設の集まりは「えきマチ1丁目鹿児島」と称され、土産物品店や飲食店、小売店などをはじめ、様々な商業施設が入居している。


関連施設として、桜島口側は「アミュプラザ鹿児島プレミアム館」、正面から見て右側(北側)に駅ビル「アミュプラザ鹿児島本館」、左側(南側)に立体駐車場、西口側は正面から見て左側(北側)にJR九州ホテル鹿児島、右側(南側)に立体駐車場が建ち、それぞれ駅構内からの連絡通路が設置されている。
改札口は、新幹線・在来線・新幹線⇔在来線乗換の各改札が1箇所に集中配置され、各改札口とも自動改札機が設置されている。在来線ではJR九州のICカード「SUGOCA」の利用が可能である。SUGOCAは新幹線では利用できない(川内駅 - 当駅間含む)。新幹線⇔在来線の乗り継ぎでSUGOCAを利用する場合は、一旦改札を出て再度入場し直す必要がある。


新幹線改札内には待合スペース、無線LANスポット、喫煙室の他、キヨスク、土産物店、飲食店などの商業施設が入居している。
在来線改札内には新幹線乗車券・自由席特急券券売機、ICカードチャージ機が設置されている他、みどりの窓口も設置されており、在来線から新幹線への乗り継ぎ客が多い週末などの多客期に営業する。
新幹線・在来線共に自動放送が導入されている。

新幹線ホームのみ、向谷実が作曲した発車メロディが導入されている。2011年の全線開業前は『風は南から』が使用されていたが、全線開業後は鹿児島県の民謡である『鹿児島おはら節』をアレンジしたものが使用されている。

のりば
在来線の特急列車は3 - 6番乗り場から発着する。
在来線の普通列車は1番乗り場が指宿枕崎線専用(日豊本線側に車止めがあり、架線が張られていない)として使用される他は、全ての乗り場を各線で兼用する。


九州新幹線が乗り入れる前にあった旧 1番乗り場は、鹿児島本線・日豊本線・指宿枕崎線すべての列車が発着可能であったほか、指宿枕崎線専用の0番乗り場(現 1番乗り場)があった。前者の跡地については2012年現在、隣接する駐車場の通路として使用されているが、ホームが設置されていた頃の面影がある。
3 - 6番乗り場の各ホームにはICカード専用自由席特急券売機が、1 - 6番乗り場の各ホームにはICカードチャージ機が設置されている。


九州新幹線の全線開業以降、在来線の最終列車は全線同時発車である。(鹿児島本線・川内行き、日豊本線・国分行き、指宿枕崎線・五位野行きの3本で23時52分。)
乗り場 路線 行先 備考
1 ■指宿枕崎線 谷山・喜入・指宿方面
2 - 4 ■日豊本線 鹿児島・隼人・吉松・宮崎方面 肥薩線直通列車を含む
■鹿児島本線 伊集院・串木野・川内方面
■指宿枕崎線 谷山・喜入・指宿方面


5・6 ■日豊本線 鹿児島・隼人・吉松・宮崎方面 肥薩線直通列車を含む
■鹿児島本線 伊集院・串木野・川内方面
11 - 14 ■ 九州新幹線 博多・新大阪方面

えきマチ1丁目鹿児島
駅構内の商業施設の総称であり、2012年現在は42店舗が営業をしている。全店でSUGOCAが使用可能である。
2011年(平成23年)3月の九州新幹線全線開業に先駆け、2008年(平成20年)から駅構内(フレスタ鹿児島)の増築工事が行われ、2010年(平成22年)2月18日に竣工した。これにより、駅の延べ床面積は8,400m2から1万3,000m2に拡張された。2014年10月14日、フレスタ鹿児島から『えきマチ1丁目鹿児島』へ名称変更。
店舗面積は7,300m2であり、そのうちの5,500m2がビックカメラ鹿児島中央駅店(ソフマップ鹿児島中央駅店併設)となっている。飲食・物販ゾーンは、「みやげ横丁」には27店舗が、「ぐるめ横丁」には県内初出店のシアトルズベストコーヒーなど8店舗が入居している。

アミュプラザ鹿児島
アミュプラザ鹿児島は、当駅に隣接する大型複合商業駅ビルであり、本館とプレミアム館がある。本館には187店舗(2014年4月現在)、プレミアム館には19店舗(2014年9月現在)が入居している。

駅周辺
若き薩摩の群像
2011年(平成23年)3月の九州新幹線の全線開業に伴い、駅周辺では再開発が進んでいる。
駅とその周辺は地下通路(つばめロード)が設置されており、地下を通じて鹿児島中央駅西口・桜島口、アミュプラザ鹿児島、キャンセビル、南国センタービル、鹿児島中央駅前電停と結ばれている。なお、地下通路内には広場や交番が設けられ、安心快適に通行できるよう工夫が成されている。


鹿児島中央駅に隣接する中央町19・20番街区にある「中央駅一番街」を再開発し、7階までは商業施設など・上階にマンションを含めた24階建ての再開発ビルを2020年までに完成させる。アミュプラザ鹿児島プレミアム館と当ビルを経由し南国センタービルまでつながるペデストリアンデッキも同時に設置予定。
桜島口広場には昭和57年(1982年)に建立された、彫刻家の中村晋也が制作した薩摩藩英国留学生17名の像『若き薩摩の群像』も建っている。


桜島口
駅関連施設
アミュプラザ鹿児島本館
アミュプラザ鹿児島プレミアム館
えきマチ1丁目鹿児島
アミュ広場(パブリックスペース)
鹿児島中央ターミナルビル(愛称:Reise(ライゼ))
2012年(平成24年)4月23日開業[39]。1階に南国高速バスセンター併設。
公共施設など
サンエールかごしま - 生涯学習・男女共同参画推進を目的とした複合施設。
鹿児島市立病院
鹿児島県医師会館
鹿児島中央警察署
文教施設
鹿児島女子短期大学
鹿児島県立鹿児島中央高等学校
鹿児島県立甲南高等学校
鹿児島高等予備校(河合塾提携)
北九州予備校鹿児島校
山川義塾予備校
企業・金融機関など
日本銀行鹿児島支店
鹿児島中央郵便局
南日本放送会館
南国センタービル


損害保険ジャパン日本興亜鹿児島支社・鹿児島中央支社
アエールプラザ・アエールタワー
石原荘(日本料理)
イオン鹿児島中央店(旧・ダイエー鹿児島中央店←ダイエー西鹿児島駅前店店)
ベスト電器鹿児島本店(閉店) → エディオン鹿児島本店
日本ガス本店
宿泊施設
鹿児島東急イン
ホテルタイセイアネックス
鹿児島パークホテル
ホテルガストフ
かごしま第一ホテル
東横イン鹿児島中央駅東口
ビジネスホテル すずや
ソラリア西鉄ホテル鹿児島(Reise(ライゼ)7F - 14F)


西口
駅関連施設
JR九州鹿児島支社
鹿児島鉄道警察隊
公共施設
鹿児島労働基準監督署
文教施設
鹿児島高等学校
鹿児島県立鶴丸高等学校
樟南高等学校
企業など
ビックカメラ鹿児島中央駅店
タイセイ交通
日能研九州鹿児島本部
宿泊施設
ホテルアービック鹿児島
ホテルクレスティア鹿児島
JR九州ホテル鹿児島
東横イン鹿児島中央駅西口
グッドイン鹿児島
ホテルユニオン
ホテルシティー

 

 

 

歴史
武駅
1913年(大正2年)10月11日に川内線(せんだいせん)として東市来駅から鹿児島駅までの区間が開通したのに伴い、鹿児島郡西武田村大字武に武駅(たけえき)として設置された。
設置時の初代駅舎は鹿児島駅で使用されていた木造駅舎を移設したものであった。また設置当時、武駅周辺には田園が広がっていたという。川内線開通の2年後には鹿児島電気軌道(現在の鹿児島市電)の高見馬場停留所から武駅付近までが延伸され武駅前に武駅前停留所(たけえきまえていりゅうじょ)が設置された。


西鹿児島駅
1927年(昭和2年)に川内本線(八代-鹿児島間、1924年に宮之城線が開通したのに伴い川内線から川内本線に改称)が全線開通し、川内本線は鹿児島本線に編入され、同時に武駅は西鹿児島駅(にしかごしまえき)に改称。
翌年に駅名の改称に伴い鹿児島市電の武駅前停留所は西鹿児島駅前停留所に改称された。1930年(昭和5年)12月7日には指宿線(現在の指宿枕崎線)として西鹿児島駅から五位野駅までの区間が開通し、西鹿児島駅は分岐駅となった。
第二次世界大戦中の鹿児島大空襲では駅本屋等が焼失する等の被害を受け、戦災復興事業により1950年(昭和25年)4月に駅舎が完成するまで仮設駅舎が使用され、完成した2代目駅舎は民間の資金による民衆駅として建設されたものであった。


1901年(明治34年)に鹿児島まで鉄道が開通して以降、優等列車の発着駅は鹿児島駅であったが、戦後の復興計画により鹿児島駅は貨物の集散駅、西鹿児島駅は旅客の発着駅としての位置付けにより事業が行われ、西鹿児島駅の駅前広場の拡張が行われた。これにより1971年(昭和46年)から優等列車は鹿児島駅から西鹿児島駅発着に変更され、鹿児島市の中心駅としての機能が移転した。
1996年(平成8年)に現在の駅舎(3代目駅舎)に建て替えられた。


鹿児島中央駅
2003年度中に新八代駅と西鹿児島駅間の九州新幹線(鹿児島ルート)が開通することが決定し、それに伴い西鹿児島駅駅名選定委員会が2002年8月に新駅名を公募した結果以下のようになった。
順位 候補駅名 票数 備考
1 鹿児島中央駅 735 採用
2 新鹿児島駅 535  
3 鹿児島駅 338  
4 西鹿児島駅 68 現状維持
上記の駅名の他にも、さつま駅、薩摩駅、鹿児島セントラル駅、桜島駅、さつま鹿児島駅、新かごしま駅といった案もあった。


改名する案の他に、西鹿児島駅のまま現状維持とする案もあったが、公募の結果1位であった「鹿児島中央駅」が第2回西鹿児島駅駅名選定委員会で新駅名として採用され、新幹線開通と共に鹿児島中央駅に改称することとなった。
2004年(平成16年)3月13日に九州新幹線が新八代駅-鹿児島中央間が開通し、同時に西鹿児島駅から鹿児島中央駅に改称、同時に鹿児島市電の西鹿児島駅前停留所が鹿児島中央駅前停留所に改称した。また、駅名の改称にかかった経費6,600万円については西鹿児島駅駅名改称推進協議会より、JR九州に提供された。


また、同年の9月17日にはJR九州の商業施設としてはJR博多シティに次ぐ規模となる複合商業駅ビルであるアミュプラザ鹿児島が駅敷地内に開業した。鹿児島中央駅に駅ビルを建設する計画については昭和40年代ごろには浮上しており、1984年には鹿児島市と当時の日本国有鉄道の協議会が再開発構想を発表し、国鉄分割民営化後の1990年(平成2年)にはJR九州と地元の百貨店山形屋が共同出店構想を打ち出して「ジェイアール九州山形屋」が核テナントとなることまで決定していたが、経済情勢等の理由で白紙撤回され実現されず、JR九州が独自に出店を行うこととなったという経緯がある。


2010年2月には翌年の九州新幹線全線開業を見据え、駅コンコースなどを拡張、併せてフレスタ鹿児島をリニューアルした。2012年5月には、桜島口大階段を撤去し、跡地を含む約2,000平方メートルの土地に地上7階建て、延べ床面積8,700平方メートルのアミュプラザ鹿児島の別館(アミュプラザ鹿児島プレミアム館)を建設する計画が発表された。建設地となる桜島口大階段の撤去工事が2013年(平成25年)6月10日より開始し、2013年10月には撤去が完了して建物本体の工事に着手した。大階段は、1996年6月に完成した3代目駅舎とともに建設されたもので、幅36メートル、奥行き20メートル、高さ最大7メートルあったが、アミュ広場が併設されたことで利用が減少していた。2014年9月26日にアミュプラザ鹿児島プレミアム館が開業した。主なテナントとして東急ハンズなどが入店している。


沿革
1913年(大正2年)10月11日 - 川内線武駅として国有鉄道(当時・鉄道院)により開設される。
1915年(大正4年)12月17日 - 鹿児島電気軌道(現・鹿児島市交通局)の武駅前停留場開設。
1927年(昭和2年)10月17日 - 八代駅 - 川内駅 - 鹿児島駅間の川内本線(通称:海岸線)が全通し鹿児島本線に編入され(八代 - 川内間はのちに肥薩おれんじ鉄道に移管)西鹿児島駅に駅名改称。
1928年(昭和3年)8月7日 - 武駅の改称に合わせ鹿児島市電武駅前停留場を西鹿児島駅前停留場に改称。


1930年(昭和5年)12月7日 - 指宿線(現・指宿枕崎線)の西鹿児島駅 - 五位野駅間が開業。
1945年(昭和20年)6月17日 - 鹿児島大空襲被災により駅本屋構内他焼失。
1950年(昭和25年)10月1日 - 鹿児島市電唐湊線として西鹿児島駅前 - 中洲通間が開業
1971年(昭和46年) - 優等列車の発着駅が鹿児島駅から当駅に変更され、中心駅としての機能が移転する。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)が継承。
1996年(平成8年)6月19日 - 現3代目駅舎完成。9月下旬より旧駅舎解体開始。
2002年(平成14年)12月7日 - JRの駅に自動改札機設置。


2004年(平成16年)1月11日 - 鹿児島市電西鹿児島駅前停留場を駅前広場内に移設。
3月13日 - 九州新幹線鹿児島ルート新八代駅 - 当駅間開業。同時に西鹿児島駅を鹿児島中央駅に、西鹿児島駅前停留場を鹿児島中央駅前停留場にそれぞれ改称。
9月17日 - 駅ビル「アミュプラザ鹿児島」が開業。
2009年(平成21年)1月31日 - 駅構内増床工事のため、西口サンフレスタ営業終了(翌日より該当部分通行不可)。


2010年(平成22年)
2月 - 駅舎が赤色の塗装から黒色の塗装にリニューアルされる(駅名の文字色は銀から金へ変更)。
2月18日 駅構内「フレスタ鹿児島」が増床し再オープン。
2011年(平成23年)3月12日 九州新幹線の全線開業に伴い、「みずほ」「さくら」の新大阪直通運転開始。在来線の最終列車が全線同時発車となる(23時54分)。


2012年(平成24年)12月1日 在来線のみでICカードSUGOCAの使用が開始される。
2013年(平成25年)6月10日 - 大階段の撤去工事開始。
2014年(平成26年)
9月26日 駅ビル「アミュプラザ鹿児島プレミアム館」が開業。
10月14日 駅構内「フレスタ鹿児島」が「えきマチ1丁目鹿児島」へ名称変更。


所属事業者 九州旅客鉄道(JR九州)
電報略号 カオ
ニマ(西鹿児島駅時代)
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅(橋上駅)(在来線)
ホーム 2面4線(新幹線)
3面6線(在来線)


乗車人員
-統計年度- 20,153人/日(降車客含まず)
-2015年-
乗降人員
-統計年度- 39,978人/日
-2015年-
開業年月日 1913年(大正2年)10月11日
乗入路線 4 路線
所属路線 ■ 九州新幹線(鹿児島ルート)
キロ程 288.9km(博多起点)
新大阪から911.2km
東京から1463.8km
◄川内 (46.1km)

所属路線 ■鹿児島本線
(日豊本線直通含む)
キロ程 46.1km(川内起点)
門司港から395.3km
◄広木 (4.6km)(3.2km) 鹿児島►
所属路線 指宿枕崎線
キロ程 0.0km(鹿児島中央起点)
郡元
備考 直営駅
みどりの窓口 有
楽チャリ 有
* 改称経歴
- 1927年 武駅→西鹿児島駅
- 2004年 西鹿児島駅→鹿児島中央駅

コナンのラッピング列車

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青山剛昌氏のふるさと「北栄町」を通るコナン列車。
代表作の「名探偵コナン」は、国内外でも有名ですね。
コナンのラッピング列車は、4月3日から山陰線の鳥取~米子駅間で快速や普通列車として活躍しています。

鳥取県では8月から11月にかけて「国際まんが博」が、11月には「国際マンガサミット鳥取大会」が開催。http://manga-tottori.jp/?id=204 これらイベントに呼応したラッピング列車です。

平成15年秋、山陰本線鳥取⇔米子の高速化に合わせて導入されたキハ121/126をラッピングしていると思います。ローカル線区の地方都市間輸送に使用する初めての車両です。

キハ121/126は島根県・鳥取県の資金援助を受けて製造された西日本旅客鉄道(JR西日本)の一般形気動車です。高速化された線区での高速走行ができる下回りと、同社が新造電車で行っている車両システムの統一や省力化、また交通バリアフリー法への対応などを盛り込んで設計され、0番台は全車が新潟鐵工所で、10番台とキハ121形は全車が新潟鐵工所を引き継いだ新潟トランシスで製造されました。

車体は軽量ステンレス製で、ラッピング前の車体塗装は側面には赤色の帯を中央に配しコーポレートカラーの青色が巻かれており、前面は黒色としつつも、高速運転のため警戒性を高めるため赤色が使用されています。外観は機能的な無駄のなさから美しさを見出せるようにデザインされています。

本系列の製造に当たり、1つの機能に対して1つのスイッチ、1つの指令線が必要であった従来の考えを払拭し、デジタル化して伝送することにより引き通しの配線量を減らすことができるとともに、ガイダンスモニタの画面により制御することができる列車情報制御装置 (TICS) が搭載されています。
ブレーキは機関ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキを採用し、雪の多い区間を走行することから耐雪ブレーキも装備されている。電車との共通化と、配管の減少および TICS の導入による配線の簡素化のために、JR西日本の気動車としては初めて電気指令式ブレーキが採用されました。
ディーゼルエンジンはキハ187系で採用されたコマツ製の SA6D140H (450PS/2,100rpm) を1基搭載し、片方の台車に動力を伝達する(2軸駆動)。最高速度は100km/hであるが、起動加速度および中高速域での加速性能は従来車より向上している。台車は223系に準拠したボルスタレス式 WDT60A および WTR244A で、最高速度は100km/hであることからヨーダンパは準備工事となっている。変速機はDW21(変速1段・直結4段)を採用し、これもキハ187系と共通する。なお、将来の130km/h運転に対応した設計となっています。
また、制御回路も223系などの同社の電車に準拠したものとなっており、冷暖房装置や制御装置、補助電源用の三相交流電源や列車やエンジンを制御する直流電源をエンジンに直結した発電機で発電し供給する「電気駆動方式」を取り入れています。

シコルスキー S-62(単発1軸ローター式のヘリコプター)

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シコルスキー S-62(Sikorsky S-62)は、単発、1軸ローター式のヘリコプター。アメリカ沿岸警備隊や海上自衛隊、航空自衛隊によって救難機として使われたほか、民間でも広く輸送用に使用された。

S-62の開発に当たっては、シコルスキー S-55のダイナミック・コンポーネントを可能な限り再使用している。また、その機体設計はシコルスキー S-61の縮小版といえるもので、機体の底面が舟型に整形されていることから、水上での離着陸能力を有する。また、エンジンもS-61と同じ1,250 hp (930 kW) ゼネラル・エレクトリックT58-GE-8だが、機体が小型であることから単発配置となった。この強力なエンジンにより、S-62は原型機であるとともにこの時期に広く使われていたS-55よりも高速で、載荷性能も優れている。


この特性に注目して、アメリカ沿岸警備隊はS-62Cを購入し、当初はHU2S-1G シーガード(Seaguard)として運用していたが、1962年にHH-52A シーガードとして制式化した。HH-52Aは99機が生産され、長く運用されたが、1985年より後継のHH-65 ドルフィンが運用を開始するとともに退役していった。なお、うち1機はアイスランドに輸出された。
また、日本では航空自衛隊と海上自衛隊が救難ヘリコプターとして採用し(航空自衛隊は1963年-1983年まで9機、海上自衛隊は1965年-1986年まで9機)、運用していた。これにともなって、三菱重工業で1961年-1970年まで25機(うち民間7機)をノックダウン生産した。この民間向け生産分のうちの1機であった朝日ヘリコプター当時所属機は、その上昇性能をいかして富士山レーダー建設時にレドーム骨格輸送作業を行い、後にNHKの『プロジェクトX』でも取り上げられた。


バリエーション
S-62
プロトタイプ。1958年5月22日に初飛行。
S-62A
水陸両用型の輸送ヘリコプター。ゼネラル・エレクトリックCT58-110-1 ターボシャフトエンジンを搭載し、11名の人員を輸送可能。
S-62B
シコルスキー S-58のメインローターシステムを採用した機体。1機のみ製作。
S-62C
アメリカ沿岸警備隊向けの機体の社内名称。
HU2S-1G
HH-52A シーガードの当初の名称。1962年にHH-52Aに名称変更。
HH-52A シーガード
アメリカ沿岸警備隊向けの捜索救難ヘリコプター。99機が生産されたが、のちに1機がアイスランドに輸出された。
採用国
軍用型
アイスランドの旗 アイスランド
インドの旗 インド
日本の旗 日本
海上自衛隊、航空自衛隊
フィリピンの旗 フィリピン
タイ王国の旗 タイ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アメリカ沿岸警備隊
要目 (HH-52A)
出典: http://www.aviastar.org/helicopters_eng/sik_s-62.php
諸元
乗員: 3名
全長: 13.58m (44ft 7in)
全高: 4.33m (14ft 2in)
ローター直径: 16.15m (53ft)
空虚重量: 2,248kg (4,956lb)
有効搭載量: 1,382kg
最大離陸重量: 3,630kg
動力: ゼネラル・エレクトリックT58-GE-8 ターボシャフト、500kW (1,250shp(730shpに減格使用)) × 1
性能
最大速度: 200km/h=M0.16 (108ノット)
巡航速度: 163km/h=M0.13
航続距離: 743km
実用上昇限度: 3,570m (11,700ft)
上昇率: 5.8m/s (1,142ft/min)

登場作品
映画
『戦国自衛隊』
中日本航空所属機が、戦国時代にタイムスリップした陸上自衛隊のヘリコプターとして劇中に登場しており、戦国武者たちに上空から乗員が11.4mm短機関銃M3A1による機銃掃射を行う。
なお、実際の陸上自衛隊では同機は採用されていない。また、撮影で用いられた機体は同作の撮影を最後に退任し、その後は千葉真一・真田広之・薬師丸ひろ子のサインが記念に書かれた上で中日本航空専門学校敷地内に展示されているが、書かれたのがどの箇所かは不明となっている。

用途:救難機/輸送機
製造者:シコルスキー・エアクラフト社
運用者:
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国(アメリカ沿岸警備隊)
日本の旗 日本(海上自衛隊、航空自衛隊)他
初飛行:1959年
生産開始:1961年


儀保駅 沖縄都市モノレール線(ゆいレール)

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儀保駅(ぎぼえき)は、沖縄県那覇市首里儀保町三丁目にある沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は14。

立地は急な上り勾配途中にある駅です。駅周辺は人家が多い。

駅構造
島式ホーム1面2線を有する高架駅。エスカレータ・エレベーター設置。

のりば
儀保駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
1 ■沖縄都市モノレール線 首里方面


2 おもろまち・牧志・県庁前・小禄・那覇空港方面

駅設備
コインロッカー - 改札内に設置。
小型(最初の8時間300円、以後2時間毎に100円追加)20個
公衆電話 - 改札外に1台設置。


自動販売機(清涼飲料水) - 改札外に2台、改札内に1台(バリアフリー対応)、ホームに1台設置。
トイレ - 改札内に設置。

駅周辺
県道82号(環状2号線)の急坂を首里へと登っていく途中に位置するため、ホームから那覇市街・那覇港を遠望することができる。また、南方の山上には首里城も望まれる。周囲は予備校や学習塾が林立する文教地区であり、また琉球大学の最寄り駅でもある。大学までは路線バスで25分程度の所要である。


金融機関
琉球銀行儀保出張所(ATMのみ) - 駅前
沖縄銀行首里支店 - 徒歩2分


観光
首里城公園 - 徒歩約15分、バス約8分(17番・石嶺(開南)線が停車。ただし、首里駅に停車する8番・首里城下町線とは違い首里城前バス停には停車せず、首里城付近(首里城公園入口バス停)のバス停に停車)

バス路線
儀保バス停
行き先毎に合計4つのバス停留所があるので、利用の際には注意を要する。
各印は停車するバス停を示す。
●印は北口より1階へ、儀保十字路を横断・右折してすぐの所(駅前交番近く)
■印は北口より1階へ、下りた階段から首里駅向けに歩いてすぐの所
★印は南口より1階へ、十字路を市立病院前駅方向に渡った所
▲印は南口より1階へ、十字路を左折してすぐの所(沖縄銀行首里支店斜め向かい)
9番・小禄石嶺線 (那覇バス) 石嶺方面● 小禄方面▲
11番・安岡宇栄原線 (那覇バス) 石嶺方面● 小禄方面★
13番・石嶺おもろまち線 (那覇バス) 石嶺方面● 那覇新都心方面▲
17番・石嶺(開南)線 (那覇バス) 石嶺方面● 開南・具志方面■
25番・普天間空港線 (那覇バス) 石嶺方面● 那覇バスターミナル方面▲
33番・糸満西原(末吉)線 (那覇バス) 西原方面● 糸満方面★
91番・城間(南風原)線 (東陽バス) 城間方面● 南風原・馬天方面■
97番・琉大(首里)線 (那覇バス) 石嶺・琉球大学方面● 那覇バスターミナル方面▲
191番・城間(一日橋)線 (東陽バス) 城間方面● 南風原・馬天方面■


その他
駅到着時の車内チャイムは、沖縄を題材としたフォークソング『芭蕉布』を編曲したものが流れる。
改札付近での沖縄方言による案内放送では「じーぶ」と発音される。


歴史
2003年(平成15年)8月10日 - 開業。

駅番号 14
所属事業者 Okinawa City Monorail Logo.png 沖縄都市モノレール
所属路線 ■沖縄都市モノレール線
キロ程 11.84km(那覇空港起点)
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線


乗車人員
-統計年度- 1,563人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 2003年(平成15年)8月10日

おもろまち駅  沖縄都市モノレール線(ゆいレール)

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おもろまち駅(おもろまちえき)は、沖縄県那覇市おもろまち四丁目にある沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の駅である。駅番号は11。


計画当時の仮称は「真嘉比駅(まかびえき)」であった。

駅構造
相対式ホーム2面2線。エスカレーター・エレベーターあり。モノレールと並走する国道330号(安里バイパス)の上に建つ。駅出口はおもろまち駅前交通広場、DFSギャラリア・沖縄への連絡通路となるペデストリアンデッキと接続している。

のりば
おもろまち駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
1 ■沖縄都市モノレール線 首里方面


2 牧志・県庁前・小禄・那覇空港方面

駅設備
コインロッカー - 改札内に設置。
中型6個
小型25個


公衆電話 - 改札外に1台設置。
自動販売機(飲料) - 改札外に2台(内1台は車椅子対応)、改札内に2台、各ホームに1台設置。
トイレ - 改札内に設置。
売店 - 改札外(改札口横)にコーヒーショップ「35コーヒー」がある。

駅周辺
駅西口に広がる「おもろまち」は、米軍基地返還後の用地を再開発した新商業地区で「那覇新都心」「天久新都心」とも呼ばれている。おもろまち交通広場にあるおもろまち駅前広場は沖縄本島中南部方面および那覇バスターミナルからの一部路線バスの起点・終点でもある。
一方、駅東口の真嘉比地区は静かな住宅地であるが、ゆいレールの開通で利便性が増したことから現在再開発が進みつつある。
交通広場
バス乗り場(おもろまち駅前広場)
タクシー乗り場
駐輪場(無料)
公共機関・公共施設
新都心公園(霧の噴水) - 徒歩約1分
天久公園 - 徒歩約8分
那覇公共職業安定所(ハローワーク那覇) - 徒歩約7分
沖縄労働局(那覇第2地方合同庁舎1号館) - 徒歩約15分
内閣府沖縄総合事務局(那覇第2地方合同庁舎2号館) - 徒歩約15分
那覇市銘苅庁舎
那覇市上下水道局
沖縄県立博物館・美術館
教育機関
那覇市立真嘉比小学校
金融機関
日本銀行那覇支店
沖縄海邦銀行真嘉比出張所 - 徒歩約5分
沖縄海邦銀行新都心支店 - 徒歩約6分
沖縄振興開発金融公庫 - 徒歩約6分
沖縄県労働金庫おもろまち支店
郵便局
那覇東郵便局真嘉比分室
那覇新都心郵便局
店舗
DFSギャラリア・沖縄 - 駅前
沖縄レンタカー・ジャパンカーシェアリングおもろまちステーション-徒歩約1分
ホームセンターサンキュー真嘉比店 - 徒歩約14分
ゲオ(GEO)那覇新都心店 - 徒歩約3分
TSUTAYA那覇新都心店 - 徒歩約4分
サンエー那覇メインプレイス - 徒歩約5分
沖縄県立博物館 - 徒歩約8分
沖縄県立美術館 - 徒歩約8分
コープあっぷるタウン - 徒歩約10分
天久りうぼう楽市 - 徒歩約12分
洋服の青山
紳士服のはるやま
ヤマダ電機テックランド那覇本店
ローソン 駅前
飲食
フードコロシアム(DFSギャラリア・沖縄3階)
ジョイフルおもろまち店 - 徒歩約4分
ガスト那覇新都心店 - 徒歩約4分
サンエー那覇メインプレイス内にも飲食店あり
コープあっぷるタウン内にも飲食店あり
娯楽施設
シネマQ(シネマコンプレックス) - 徒歩約5分、サンエー那覇メインプレイス内
宿泊施設
リブレガーデンホテル - 徒歩約2分
ホテル法華クラブ那覇・新都心 - 徒歩約2分
東横イン那覇新都心おもろまち - 徒歩約7分
ザ・ナハテラス - 徒歩約10分  
東横インおもろまち駅前 - 徒歩約1分
新聞社
沖縄タイムス社 - 徒歩約7分
放送局
NHK沖縄放送局 - 徒歩約13分
道路
国道330号


おもろまち交通広場
バス乗り場をはじめ、タクシー乗り場、自転車置き場などモノレールへの乗り継ぎを促進するために設置されている。また、路線バスだけでなく観光車両も待機できるスペースがある。
モノレール開通時には交通広場は整備中であった。これは、モノレールの開通が2003年(平成15年)12月から同年8月に早まったためである。その後、同年12月に当初の予定通り整備が完了し、本格供用が開始された。
駅に近い部分はバス乗り場が大部分を占めるが、本島中部地区へ向かう路線の本数は少ない。モノレール開通前は那覇バスターミナル発着だった路線をおもろまち駅前広場発着に振り分けて成立した路線がほとんどである経緯から、ダイヤ編成は時間帯によってまばらで、夕方時間帯の発着は特に少ない。利用客はさほど多くない。
バス停名は「おもろまち交通広場」ではなく「おもろまち駅前広場」である。

バス路線
おもろまち駅前バス停
安里バイパスに面している。おもろまち交通広場(駅前ロータリ)からは、モノレールの高架橋を利用して移動できる。
かつては駅前広場発着の路線よりも運行本数は多かったが、市内線や南部方面からの駅前広場への路線新設、延長などにより、現在は駅前広場発着の路線の方が運行本数は多い。但し、中部方面への路線に関しては、依然こちらの方が本数は多くなっている。
11番・安岡宇栄原線 (那覇バス) - 新都心廻り、1日1便のみ
21番・新都心具志川線 (琉球バス交通)
33番・糸満西原(末吉)線 (那覇バス)
55番・牧港線 (琉球バス交通)
56番・浦添線 (琉球バス交通)
88番・宜野湾線 (琉球バス交通)
90番・知花(バイパス)線 (琉球バス交通)
98番・琉大(バイパス)線 (琉球バス交通)
112番・国体道路線 (琉球バス交通)


駅到着時の車内チャイムは、沖縄民謡「だんじゅかりゆし」を編曲したものが流れる。
那覇市役所建て替えに伴う仮庁舎時代は、自動放送に市役所の案内が追加されていた。
駅前広場には、「天野株」と命名されたトックリキワタが植えられている。これは、琉球政府の農業技術者であった天野鉄夫がボリビアのオキナワ移住地を訪問した際に種子を持ち帰り、自宅で発芽に成功し、日本で初めて栽培に成功したものである。
当駅は沖縄都市モノレールの駅で唯一、中国語(簡体字・繁体字)での公式表記が存在せず、案内では英語表記の「Omoromachi」がそのまま用いられている。

歴史
2003年(平成15年)8月10日 - 開業。


駅番号 11
所属事業者 沖縄都市モノレール
所属路線 ■沖縄都市モノレール線
キロ程 8.95km(那覇空港起点)
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 5,199人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 2003年(平成15年)8月10日

 

日吉町駅 静岡鉄道静岡清水線

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日吉町駅(ひよしちょうえき)は、静岡県静岡市葵区鷹匠二丁目にある静岡鉄道静岡清水線の駅である。駅番号はS02。新静岡からは500mと至近に位置する。乗降人員数は静岡清水線全15駅中14番目。

 

相対式2面2線のホームを持ち、平屋の鉄骨造駅舎の地上駅。ホーム間の移動は、構内踏切を利用する。便所は改札内、上りホーム踏切脇にある男女共用の水洗式。

駅舎は1番線の新清水寄りにあるが、2番線の新清水寄りにも降車専用の「ICカード専用改札口」がある。月~金曜日(祝日を除く)の、7:30~9:00まで利用可能で、朝ラッシュ時に上り電車(新静岡行き)で到着し、当駅南側地区へ向かう乗客の利便性向上が図られている。この改札口は、2013年4月1日に供用が開始された。

切符売場にICカード対応機を含め券売機は2台。改札口には改札機は2台とICカードチャージ機が設置されています。

のりば
1 ■静岡清水線(下り) 草薙・新清水方面
構内踏切で結ばれています。

2 ■静岡清水線(上り) 新静岡行
上屋は新清水方の一部に設置され


駅前の駐輪場は自転車が溢れ路上を占拠しています。

駅周辺
エスパルスドリームハウス
しずおか信用金庫本店
国道1号
玉桂山華陽院 - 華陽院墓所


パサールカードには、「日吉」と表示される。
日吉町という地名は、1970年11月の住居表示実施により、旧鷹匠町二丁目と併せて鷹匠二丁目に改称されて消滅した。


1996年(平成8年)3月31日以前のダイヤにおいては急行通過駅であったが、2011年(平成23年)10月1日のダイヤ改正により、通勤急行(新静岡行き)が停車するようになった。急行(新清水行き)は以前と同様、通過する。

 


歴史
1908年(明治41年)12月9日 - 台所町駅(だいどころまち)として開業。
1945年(昭和20年)6月 - 廃止。
年月日不詳 - 日吉町駅として復活

駅番号 S02
所属事業者 静岡鉄道
所属路線 静岡清水線
キロ程 0.5km(新静岡起点)
駅構造 地上駅
ホーム 相対式 2面2線


乗車人員
-統計年度- 715人/日(降車客含まず)
-2015年-
乗降人員
-統計年度- 1,451人/日
-2015年-
開業年月日 1908年(明治41年)12月9日

ハイエース (米国海軍飛行場岩国 NAF Iwakuni)

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ハイエース(HIACE )は、トヨタ自動車で生産されている、キャブオーバー型の商用車及び乗用車。

車名の由来
語源は「トヨエース」に由来し、英語で「高級な」「より優れた」という意味の「High」と「Ace」の合成語。

製造
トヨタ車体いなべ工場(三重県いなべ市)
岐阜車体工業(岐阜県各務原市)
タイオートワークスサムロン工場(タイ王国の旗 タイサムットプラーカーン県ムアン郡)

1967年に初登場。かつてはショートホイールベース(標準ボディ)やトラックもラインナップされていたが、現在それらは消滅しており、ロング、スーパーロング、ワゴン、ライトバン、コミューター(マイクロバス)のみとなっている。日産・キャラバンが長年の競合車種。
価格はやや高いが、耐久性、エンジンパワー、積載量など貨物車としての性能が高く、宅配業を始め多くの企業に小型貨物車・社用車として広く用いられる他、運転手を含めた10人乗りの特徴を活かし、送迎バス・乗合タクシー(知多つばめタクシーなど)・ジャンボタクシー・ハイヤー・路線バス・コミュニティバスといった乗用、さらには救急車・寝台車・現金輸送車・福祉車両など特種用途自動車のベースとしても利用されている。また、過去には特定日のみながら高速バスに使用されたこともある(広島つやまエクスプレス)。
個人ユースでは、公道を走行できない競技用オートバイ(ロードレーサー・モトクロッサー)、競技用自転車(ロードバイクやトラックレーサー)、大型のラジコン飛行機やマルチコプターなど、趣味の機材を輸送するトランスポーター(トランポ)として利用されている。またバニングやキャンピングカーのベース車としても重宝されている。
事業用・自家用共にニーズがあるため、専門の中古車店や社外品のパーツなど、ハイエース単体で市場が形成されている。
耐久性が高いことから新興国や開発途上国、テロリストなどにはトヨタ・ハイラックスと共に需要が高い。それに関連して自動車窃盗団による日本国内での盗難と密輸出も後を絶たず、日本損害保険協会による保険金支払い事案を対象とした調査結果で、2007年から7年連続で自動車盗難のワースト1(特にバンの最上級グレードである「スーパーGL」が、最も被害に遭う率が高い)であるため、メーカーでも対策を行っている。

製造国 日本の旗 日本
タイ王国の旗 タイ
販売期間 2004年8月 -
乗車定員 2人(バン・特設車・キャンパーベース車)
2/5人(バン・スーパーGL)
3, 3/6, 3/6/8/9人(バン・DX)
10人(ワゴン)
14人(コミューター)
ボディタイプ 5ドア/4ドアミニバン
駆動方式 FR/4WD
最高出力 98kW/5600rpm(1TR-FE)
111kW/4800rpm(2TR-FE)
100kW/3600rpm(1KD-FTV(~平成22年))
106kW/3400rpm(1KD-FTV(平成22年~))
80kW/3400rpm(2KD-FTV)
最大トルク 182N・m/4000rpm(1TR-FE)
241N・m/3800rpm(2TR-FE)
300N・m/1200-2400rpm(1KD-FTV(~平成22年))
300N・m/1200-3200rpm(1KD-FTV(平成22年~))
260N・m/1600-2600rpm(2KD-FTV)
変速機 4AT/6AT/5MT
サスペンション フロント
ダブルウィッシュボーン
リア
車軸式
全長 4,695mm、4,830mm、5,380mm(バン)
4,830mm、5,380mm(ワゴン)
5,380mm(コミューター)
全幅 1,695mm、1,880mm(バン)
1,880mm(ワイドボディ)
全高 1,985mm、2,285mm(バン)
2,105mm、2,285mm(ワゴン)
2,285mm(コミューター)
ホイールベース 2570-3110mm(バン)
2,570-3,110mm(ワゴン・コミューター)
車両重量 1,610-2,030kg(バン)
1,910-2,170kg(ワゴン・コミューター)
ブレーキ 前
ベンチレーデットディスク

リーディングトレーリング
ハイマウントストップランプ ハイエースバン(グレードによる)ではハイマウントストップランプが装備されていないグレードがある

 

ムーニーM20(低翼プロペラ機)

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ムーニーM20はピストン駆動式、プロペラ駆動、一般的な航空 航空機、全室に低翼と三輪車ギア製、ムーニー・インターナショナル・コーポレーション。

M20はアルムーニーの 20番目のデザインであり、最も成功しました。シリーズ、木製の翼M20およびM20Aモデルから1955年の、過去60年間に多くのバリエーションで生産されている 、合計で2016年に11,000人以上の航空機をデビューM20VアクレイムにUltraは、生産されています。

2008年11月、同社は2000年代後半の景気後退によりすべての生産を中止したと発表しましたが、既存の艦隊の部品とサポートを提供します。買収後の中国の資本注入に伴い、2014年2月にM20の生産が再開された。それ以来、同社はさらに2つのM20モデルをリリースしている

アルムーニーは、4人乗りのM20用の予備デザインをしばらくは開発していましたが、1940年代後半から1950年代初めには、シングルシートM-18 Miteが生産されていました。初期の1953年に同社は、から移動するとウィチタ、カンザス州に、カーヴィル、テキサス、そしてそれはダニは、その生産の終わりに近づいたことが明らかになったとき、M20の開発が加速しました。最初のM20飛行は1953年9月3日に行われ、1955年8月24日に認可された。

1955年、同社はM20機10機を販売しました。スタートアップ費用のために、彼らは各航空機で約3000ドルを失った。1956年には51機の飛行機を納入し、1957年には合計が105機となりました。飛行機は150馬力(110kW)のリーチ O-リングで270マイル/時(270 km / h)320エンジン。速度と効率の組み合わせは注目に値する。 1958年M20Aが大きく180馬力(130キロワット)ライカミングO-360-A1Aエンジンとラインナップに参加し、1959年によって、これは231単位の合計売上年間で、提供される唯一のモデルでした。これは、同社が利益を上げた最初の年でした。M20Aは、166が納入された1960年に生産を続けました。これらは、翼と尾に木構造を持つムーニーの最後のものでした。モデルの歴史の早い段階で、飛行中に破損したいくつかの木の尾が、水の損傷とその結果として生じた腐敗のために発生しました。その結果、Mooney Service Bulletin M20-170AおよびFAA Airworthiness Directive 86-19-10で要求されるように、現在ほとんどのテールが全金属コピーに置き換えられています。金属疲労の可能性がなければ、木製の翼は無期限の寿命を持ち、いくつかのパイロットは乱気流に滑らかな乗り心地を提供すると考えられています。

M20は木製のフレームで翼と尾を持っていた最も初期のモデルを除いて、完全に金属製です。すべてが低翼の航空機で、翼のスキンはアルミニウムです。スリット付きフラップは、後縁の70%を覆う。以前のモデルは、油圧式ハンドポンプを使用してフラップを伸張し、後のモデルは電気的に作動するフラップを有する。前方胴体には、アルミニウム製の肌に覆われたスチール製のチューブキャビン構造があります。胴体の後部は半モノコック設計である。飛行機の肌の多くの場所では、水面に取り付けたリベットを使用して抗力を軽減します。

ムーニーM20の着陸装置の脚は、熱処理されたクロム - モリブデン鋼製です。主ギアレッグは主翼スパーに取り付けられ、ノーズギアはスチールキャビンフレームに取り付けられます。足の周りのゴム製のディスクの積み重ねがショックアブソーバとして働く。すべてのモデルは、M20Dマスターを除き、リトラクタブルランディングギアが付属しています。これらのモデルでは、ノーズホイールが後方に後退し、メインホイールが内側に後退します。初期のモデルでは、手で操作するレバーシステムを使用して歯車を上下させます。1969年以降、電気式着陸装置が標準化された。

ムーニーM20は、1.5度のウォッシュアウトと5.5度の二面体を備えた中位のアスペクト比テーパードウィングを備えています。後のモデルにはストール特性を改善するストールストリップが装備されていた。

ムーニーM20 の尾翼は、垂直な前縁を持つユニークなテールフィンによって容易に認識できます。(テールフィンは「前方に傾いているように見えますが、トリム設定によってはほぼ水平になっています」)。固定スタビライザーとトレーリングエレベーターで構成された水平テールプレーンにはトリムタブがありません。尾翼アセンブリ全体が胴体の後部でピボット回転してピッチを調整します。

すべてのM20は燃料を2つの別々の「ウェットウィング」タンクに貯蔵しています。これらのタンクは各ウィングのインボードセクションにあります。燃料は、電気ブーストポンプでバックアップされたエンジン駆動ポンプによって、タンクからインジェクタまたはキャブレタに送られます。

パワーを高めるために、多くのM20にはムーニーパワーブーストと呼ばれるラムエア誘導システムがあります。通常の運転では、吸入空気は吸気系に入る前に濾過される。ラムエアが選択されると、部分的に濾過されていない空気がより高い圧力で誘導システムに入り、その結果、平均海抜7500フィートを飛行する約1インチの水銀がマニホールド圧力を増加させ、より大きな出力をもたらす。ターボチャージャは、マニホールド圧力ではるかに大きな増加を提供するようにターボチャージ変異体は、この機能を省略します。

ムーニーM20シリーズは、「ショートボディ」(M20〜M20E)、「ミディアムボディ」(M20F〜M20K)、「ロングボディ」(M20L〜M20V)の3つの胴体長さで生産されています。すべてのM20は4つの座席を持っていますが、胴体の長さが増えれば後部座席の座席は増えますが、性能はわずかに低下します。同様のエンジンとヴィンテージの場合、長いボディプレーンは短いボディプレーンよりも4〜6ノットほど遅くなります。

2016 M20 Acclaim Ultraの仕様

特性

乗組員:パイロット1人
能力: 3人の乗客
長さ: 26フィート8インチ(8.13メートル)
翼スパン: 11.125m(36フィート6インチ)
高さ: 8フィート4インチ(2.5 m)
空重量: 2380 lb(1080 kg)
有用な荷重: 1000 lb(454 kg)
積載重量: 1533 kg(3380 lb)
マックス 離陸重量: 3368ポンド(1528 kg)
パワープラント: 1×コンチネンタルTSIO-550-G空冷式、6気筒、水平対向ピストンエンジン、280 hp(209 kW)
プロペラ: Hartzell Scimitar Three-Blade


パフォーマンス

巡航速度: 242ノット(278mph、447km / h)
ストール速度: 53ノット(61mph、98km / h)
範囲: 1100 nm(標準タンク)(1266 mi、2037 km)
サービス上限: 25,000フィート(7625 m)

舟入川口町停留場(広島電鉄江波線)

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舟入川口町停留場(ふないりかわぐちちょうていりゅうじょう、舟入川口町電停)は、広島市中区舟入川口町にある広島電鉄江波線の路面電車停留場である。

通勤客の他、広島市立舟入高等学校などの朝夕は学生の姿も多く見られます。停留所の周囲は高層の住宅が建ち並んでいます。


江波線の軌道は道路上に敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが置かれている。ホームは低床式で2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームである。線路の東に江波方面へ向かう下りホームが、西に土橋方面へ向かう上りホームがある。

線内では珍しく相対式2面2線のホームです。ホームはいずれも連接車両に対応した長さを持つ。

広島市立舟入高等学校が近くにあることから利用客は多く、2013年(平成25年)には改良工事により上屋が20メートルほど延長され、ホームも拡幅された。

運行系統
当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、6号線、8号線、9号線が乗り入れている。
上りホーム 6号線 広島駅ゆき
8号線 横川駅ゆき
9号線 白島ゆき
下りホーム 6号線8号線9号線 江波ゆき


周辺
付近は西を天満川、東を旧太田川(本川)に囲まれた地区で、そのほとんどが住宅街である。
広島市立舟入高等学校
広島市立舟入小学校
もみじ銀行舟入支店
舟入第二公園
広島舟入川口郵便局


舟入川口町停留場は1944年(昭和19年)6月、江波線の舟入本町 - 舟入南町間の開通と同日に開設された。しかし、開業から1年も経たない1945年(昭和20年)2月には営業を休止する。半年後の同年8月6日には広島市に原爆が投下され、江波線をはじめ広島電鉄の市内電車は全線が不通となった。江波線が被爆から復旧したのは2年後の1947年(昭和22年)のことで、当停留場もこのとき営業を再開している。
1944年(昭和19年)6月20日 - 江波線の舟入本町 - 舟入南町間が開通、同時に開業。
1945年(昭和20年)2月1日 - 営業休止。
1947年(昭和22年)11月1日 - 営業再開。
2008年(平成20年)3月 - ホームの延長工事が行われ、連接車両に対応した長さになる。
2013年(平成25年)
2月15日 - 9号線の運行が八丁堀から江波まで延長され、当停留場にも乗り入れる。
3月18日 - 停留場の改修工事が完了する。

駅番号 ●E4
所属事業者 広島電鉄
所属路線 ■江波線
キロ程 1.7km(土橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1944年(昭和19年)6月20日

 


ビーチクラフト バロン(双発レシプロ軽飛行機)ビーチ・エアクラフト社

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ビーチクラフト バロン(Beechcraft Baron) はビーチ・エアクラフト社が開発した双発レシプロ軽飛行機。この機体は明星号と呼ばれ毎日新聞社の取材用として活躍していました。

モデル95 トラベルエアの発展型として開発された機体で、試作型であるモデル95-55の初飛行は1960年2月29日。トラベルエアとの大きな違いは、エンジンを強化した点と、後退角付きの垂直尾翼を装備した点である。バロンは双発軽飛行機として最も成功したものの1つであり、各国の軍隊や航空会社などでも練習機や連絡機として使用されている。高速で丈夫な造りと信頼性に富んだ設計は現在でも評価が高く、半世紀以上に渡って生産が続けられている。

ビーチクラフト(Beechcraft )はアメリカの飛行機メーカー。セスナ、パイパー・エアクラフトと並ぶ軽飛行機の世界3大ブランドの一つ。

1932年設立。1980年からレイセオン社の子会社となり、2006年からホーカー・ビーチクラフト社のブランドとなっていたが、現在はセスナ、ホーカーと共にテキストロン傘下となっている。

1932年にカンザス州ウィチタで「ビーチ・エアクラフト・カンパニー」(Beech Aircraft Company )として設立される。創業者はウォルター・ビーチで、設計はテッド・ウェルズ。同年11月に最初の機体である「スタッガーウィング」(Model 17 Staggerwing)の初飛行に成功。第二次世界大戦中には軍用機も生産した。

戦後の1947年より主力商品となる軽飛行機「ボナンザ」(Bonanza)を販売。1964年にはビジネス用途の双発ターボプロップ機「キングエア」(King Air)を市場に投入した。

1980年からは軍需企業レイセオン傘下となり子会社として事業を継続。1993年にレイセオンがブリティッシュ・エアロスペースの一部事業を買収したことに伴い、1994年に「ビーチ・エアクラフト・コーポレーション」は「レイセオン・エアクラフト・カンパニー」の事業部に組み込まれた。さらに2006年にはゴールドマン・サックスとオネックスが共同で事業を買収し、ホーカー・ビーチクラフトに社名を改め、ビーチクラフトは同社の一ブランドとなった。

2012年3月にホーカー・ビーチクラフトが連邦倒産法第11章の適用を受けた後、2013年2月より再びビーチクラフトの社名で経営再建を目指していた。

後にテキストロンの航空機部門テキストロン・アビエーションの傘下となり、ビーチクラフトのブランド名で継続している。

スペック(バロン58)
全長:9.09 m
全幅:11.53 m
全高:2.67 m
翼面積:18.51 m2
空虚重量:1,619 kg
最大離陸重量:2,495 kg
エンジン:テレダイン・コンチネンタル IO-520-C 水平6気筒ピストンエンジン(285hp) × 2
最大速度:386 km/h(海面高度)
巡航速度:376 km/h(高度5,000 ft)
実用上昇限度:6,300 m
航続距離:2,917 km
ペイロード:乗客最大5名
乗員:1名


国鉄D51形蒸気機関車 (D51592) 山口下松市笠戸島

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D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。
主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、その所属両数は総数1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数では最大を記録した。

1929年(昭和4年)に始まった世界恐慌、その影響で日本国内で発生した昭和恐慌により、1930年代前半の日本における鉄道輸送量は低下していた。そのため、恐慌発生以前に計画されていた貨物用の新形機関車の製造は中断されていた。
その後、景気が好転して輸送量の回復傾向が顕著になってきたため、改めて新形の貨物用機関車が求められた。そこで1936年(昭和11年)から製造されたのが本形式である。C11形のボイラーで実用化された電気溶接技術を応用して製造され、当時の設計主任である島秀雄は「多くの形式の設計を手掛けた中でも、一番の会心作」として同形式を挙げている。

設計の基本となったのは、同じく軸配置2-8-2(1D1=ミカド)のテンダー式機関車であるD50形で、三缶胴構成の燃焼室を持たない広火室構造のストレートボイラーを搭載し、棒台枠を採用するなどの基本設計は共通である。ボイラー使用圧力は当初D50形の13 kg/cm2に対して14 kg/cm2と1 kg/cm2昇圧、シリンダー径を縮小しつつ牽引力の若干の増大を図っている。
また、リベット接合部を電気溶接で置き換えるなど、構造と工法の見直しを行って軸重の軽減と全長の短縮を実現し、全国配備が可能となった。最大動軸重を14.3 tに引き下げ、これによりD50形では入線が困難だった丙線への入線が可能とされた。ただし、標準形以降は最大・平均共に動軸重が増大し、特に最大動軸重は最終的に15.11 t(第4動軸)とD50形(14.99 t(第1動軸))以上の値となっている。全長は初期形でD50形より571 mm短縮された。フロントオーバーハングの大きいD50形は、退行運転や推進運転時に、軽量な二軸車を中心として連結相手を脱線させてしまう事故をしばしば起した。この問題は本形式で前部デッキと先台車の設計変更により改善が図られたが、その反面、先台車周辺の保守が困難になり、検修陣にはD50形と比して本形式を嫌う者も少なくなかった。また、先台車からテンダーの第4軸までの長さが17 mを、前部端梁からテンダー後部端梁までが19 mを、それぞれ超過するD50形は60フィート (18.3 m) 転車台での転向が難しく、通常は20m転車台での転向を必要としていた。この短縮により亜幹線クラス以下の路線に多数存在した60フィート転車台での転向が可能となったことは、本形式の運用範囲拡大に大きく貢献している。
戦時形ではボイラー使用圧力15 kg/cm2への引き上げがなされ、動軸重の増加も行って牽引力を増大した。初期形、標準形についても戦後に缶圧の引き上げと輪重増大改造が行われた。但し、燃焼室を装備していない為、他国の蒸気機関車と比較すると熱効率が良いとは言えない。
電気溶接の全面的な採用と共に動輪輪芯は箱形化され、形態的には同時期設計のC57形との共通点が多い。

標準形
D51 720 (標準型)
D51 720 (標準型)
標準型D51の運転席
標準型D51の運転席
D51 86 - 90・101 - 954
先台車:LT126、従台車:LT154B、テンダー:8-20A・B、動力または手動(ねじ式)逆転機搭載
8-20Aは86 - 90・101 - 106・199 - 211に連結。AとBの相違点は炭水車の台車で、Aは軸ばねにコイルばねを用い、側枠を一体鋳鋼製としたTR24形類似のもの、Bは軸ばねに重ね板ばねを用い、側枠を鋲接板台枠構造としたものである。
逆転機は134号機以降、微妙な操作が行いにくい動力式から手動式に戻された。
前述のとおりナメクジ形は重量配分が悪く、重量列車牽き出し時に空転が多発する傾向があり、牽き出し時の重心移動を考慮すると本来一番重く設定されてしかるべき第1動軸の軸重が13.17tと第2 - 第4動軸に比して1t以上軽く、適正な重量配分ではなかった。そのため、1937・1938年に浜松工場で製造された86 - 90号機において改良試作が行われ、給水暖め器を煙突前に枕木方向に載せ、担いばねの釣合梁(イコライザー)の支点位置を変更して動輪重量の配分を可能な限り修正する、動力式逆転機を手動式に変更する等の設計変更が行われた。これによりナメクジ形で問題とされた点は概ね改善された。ただし、ナメクジ形と比較すれば改善されてはいたものの、先行形式であるD50形と比較すると動輪、とくに牽き出し時に実効軸重が低下する第1動輪の粘着性能が劣り(標準形の昇圧後で動軸重は第1動軸から順に14.73t・14.77t・14.95t・15.11t。つまり、1次形と比較して多少の改善はあったものの第1動軸から順に第4動軸まで軸重が順に増えていくという、重量列車や勾配線での列車の牽き出し時に問題となる軸重の配分状況に変化はない)、ボイラー圧力の引き上げなどによりシリンダー出力が増大していたこともあって、空転多発の一因となっていた。そのため、粘着性能の良否が直接列車の定時運行に影響する北陸本線や信越線などの勾配線では、敦賀機関区を筆頭に改良版であるこの標準形さえ忌避し、額面上の性能では劣るが空転しにくいD50形の配置を強く要望する機関区が少なからず存在した。これらの機関区に本形式が配置されるようになるのは、当時在籍していたD50形が戦時中の酷使で疲弊、老朽化し、他区からの転入による代替車両の確保が事実上不可能となってから、つまり本形式以外の選択肢が消滅して以後のことである。なお、本形式については戦時中以降、輸送力増強を図って動軸重の引き上げが許容され、フロントデッキなどにコンクリート塊の死重を搭載することで空転癖の改善が実現を見ている。


その後1938年6月竣工の101号機以降はこの仕様で新製され、この姿が広くD51のイメージとして流布することとなった。
なお、このグループでは一部に台枠が圧延鋼板をくりぬいた棒台枠ではなく、D51 354 - 359・403 - 405など、鋳鋼製台枠を採用したものが存在する他、1943年度製造分以降では、除煙板やナンバープレート、テンダーの石炭庫側板を木材で代用し、また煙室前部上方と煙室扉上部の丸みを省略するなど、金属資源節約と各部工程の簡略化が順次推し進められ、準戦時形と呼ぶべき仕様に移行した。戦後はこれらも徐々に標準形と同等の仕様となるように改修が行われている。

量産を進める段階で国内情勢が戦時体制へと突入し、貨物機である本形式に対する需要が非常に大きくなったため、国内の大型機関車メーカー5社と国有鉄道の工場(工機部)のうち8工場が製造に参加し、1936年から1945年(昭和20年)までの間に1,115両もの多数の車両が製造されることとなった。そのうちの8両については、国有鉄道の発注ではなく、私鉄の戦時買収や南樺太の内地化にともなって鉄道省へ編入されたもの、外地向けのものが戦況の悪化にともなう制海権喪失により発送できなくなり、国有鉄道籍を得たものである。また、955 - 1000は欠番となっているが、戦時型を1001から付番し番号で区別したためである。そのため、国有鉄道所有機のラストナンバーは1161である。
これらの他、戦前から台湾総督府鉄道向けに製造されたものが32両(1944年製の5両は、一時的にD51 1162 - 1166として借入使用された)、戦後にソビエト連邦サハリン州鉄道向けに輸出されたものが30両、国連軍に納入されたものが2両、さらに1951年に台湾鉄路管理局向けに輸出された5両が存在する。これらを合わせると、D51形は1,184両製造されたことになる。

全国の幹線・亜幹線に普及し、至る所でその姿は見られた。ただし、四国では土讃本線限定で使用された。貨物用のため地味な存在だったが、中央本線(中央東線・中央西線とも)や函館本線の“山線”区間(長万部 - 小樽間)などのように急勾配区間の多い路線では、急行をはじめとする優等列車を含む旅客列車の牽引に使われることも多く、羽越本線などのような平坦路線でも旅客列車牽引に使われた例があった。D51形は軸重が重いため、多くは東海道本線や山陽本線、東北本線などの幹線の貨物列車を中心に牽引した。中にはお召し列車を牽引した車両や、先述のD5165のように新鶴見操車場や吹田操車場などの基幹ヤードでハンプ押上げ用として使用された車両もある。
運転・保守両面では一部勾配線を除き概ね好評を博し、全国的に鉄道車両の保守状態が劣悪だった第二次世界大戦終結直後でも、D51形は9割を超える車両が稼働状態にあったといわれる。


しかし、本来の使用目的である重量貨物列車牽引においては、出力の増大と入線範囲拡大を目的とした動軸重の減少、それに車体長短縮などの設計上の無理に起因する不適切な動軸重配分によって、上り勾配での牽き出し時に生じる重心移動で空転しやすい傾向があり、勾配線では基本となったD50形の方が有利な局面が多々存在した。また、車体長短縮のために生じた前後方向の重心位置のアンバランスを運転台の小型化で是正しようとするなど、乗務員の作業環境を無視した設計となっていたため、運転台が広くしかも乗り心地に優れるD50形を運用していた各区からは酷評を受けた。中でも初期型(ナメクジ型)の評価が特に低く、事例として1・2号機をはじめとする初期型の新製配置先だった敦賀機関区や松本機関区、それに木曽福島機関区などの各機関区は一旦は初期型を受け入れたものの、ほぼ例外なく2年前後、最短では約10か月で他区へ転出させ、その後は他に選択肢が存在しない状況になるまで初期型を受け入れない対応を行っていた。標準形が浜松工場で急遽試作され、重心位置を修正し、空転問題を多少なりとも改善した背景には、これら勾配線担当各区の受け取り拒否に等しい厳しい対応が影響している。
さらに前記の各区は標準形についても否定的で、一例として上諏訪機関区では1941年にD51形が3両新製配置されたが、その年のうちに全数を他区へ転属させてD50形に戻している。これに対して平坦線を担当する各区は稲沢機関区を筆頭に否定的な反応を示しておらず、高速走行時の脱線対策が採られていたこともあって比較的スムーズに導入が進んだ。
戦時中には輸送力増強のためボイラー増圧に伴う空転対策が必要となったことから、平坦線各区に配置された車両を含め、本形式は初期形を中心にコンクリート製の死重をフロントデッキに搭載するなどの対策が講じられている。
1941年から生産されたC59形は、当初の計画では本形式とボイラ-を共通設計として量産効果や保守の容易化といったメリットが出る予定だったが、本形式において前後方向の重心問題が解決しなかったことで共通設計を断念し、対策として本形式のものを基本としつつ煙管長を500mm延長して重心を前方にシフトさせた専用ボイラーを別途設計することを強いられている。しかも、それでさえ従軸の軸重が過大で列車牽き出し時に車輪の割損事故を引き起こすなど、ボイラー火室付近の重量が過大であることを示すトラブルが頻発しており、この点からも、本形式のボイラーは機関車の重心設計という点で決して好ましいデザインではなかったことが見て取れる。
国鉄形蒸気機関車の中でも特にその末期まで残存した両数の多さと、知名度の高さにより、「名機」[要出典]、「代表機」[12]、「代名詞」[12]などと表現されることもある本形式であるが、実際には前述のように基本設計レベルで深刻な問題を抱えており、その広範な運用と知名度は、戦時体制に伴う貨物機大量需要から来た膨大な量産の結果に過ぎなかった。


夕張線(現・石勝線)・室蘭本線の貨物列車牽引では、夕張方面の炭鉱から室蘭港へ向かう2,400tの運炭列車をD50形とともに単機で牽引する運用をしていたことがあった。1953年(昭和28年)時点では本形式で函館本線小樽築港 - 滝川間と室蘭本線岩見沢 - 追分間で牽引定数が換算185両 (=1,850t)、追分 - 室蘭間で換算260両 (=2,600t) を設定。1952年(昭和27年)2月に追分 - 室蘭間で3,000tの牽き出し試験をしたところ、成績は良好だったものの単線区間の線路有効長の関係で実施に至らなかった。ここは従輪を持たず牽き出し性能で有利な9600形が2,000t牽引を行っていた区間であるが、夕張方面の炭坑から追分駅を経て苫小牧駅付近までの片勾配のゆるい下り坂区間においては、いかに長大とはいえセキの積車状態の編成であれば走行抵抗が小さく、D51形の単機でも牽き出しさえすれば、後は室蘭港まで引っ張っていけた。なお、牽き出しは非常にゆっくりしたもので、一両ずつ連結器がぶつかる音をたてながら行われた。この列車の尋常ではない長さは、空車のときにはゆるい上り勾配であることとあわせ、多く連なるセキが空気を巻き込んで抵抗が増え、速度が上らなかったほどである。大戦中は10‰勾配区間でD51形に8620形を補機としてつけることとして1,200t列車の計画が立てられたが、機関車の所要数の増加を招くことから中止となった。
旅客列車の牽引では、函館本線の急行の牽引が特筆される。これは函館 - 長万部を単機で、長万部 - 小樽の通称「山線」を重連で牽引するも、高速運転で各部の損耗の速さによる検修の負担と、振動の激しさと連続力行で助士2人乗務で投炭することによる乗務員の負担過大からC62形への転換が行われ、1971年にはDD51形ディーゼル機関車に置き換えられた。山線区間の仕業は機関車、乗務員共に限界に挑むものであり、牽引機が更新されるたび、運転時分も短縮していった。
電化やディーゼル化の影響による余剰廃車が本格的に出始めたのは1967年頃からのことで、蒸気機関車の最後の時期まで多くのD51形が残っていた。特に1960年代から1970年代にかけて石北本線、東北本線、奥羽本線、伯備線などの急勾配区間において重連や3重連などで活躍する姿は当時の「SLブーム」の波に乗り、鉄道ファンや写真家、マスコミ関係者などの間で大変な人気を集めた。


また、羽越本線をはじめとする日本の原風景が残っていた線区を走る雄姿を撮影する鉄道ファンの姿も多かった。
しかし、製造両数が多いこともあって、当然蒸気機関車の中でも残存両数が多く、他の機関車よりも多く見ることができたため、鉄道撮影を主とするファンの中には他の少数派形式が来ることを期待していて、D51形が来ると「またD51か」とため息を漏らす者や、D51形牽引列車の場合はシャッターを切らない者も少なからず居たという。
最後に残ったのは北海道の追分機関区に所属していた5機で、C57 135牽引(現:鉄道博物館所蔵)の国鉄最終蒸機牽引旅客列車運転から10日後の1975年12月24日まで使用され、この日は241号機が担当した。これが国鉄における蒸気機関車牽引の最終貨物列車(夕張線6788列車)並びに国鉄最後の蒸機本線走行となった。
これらの国鉄蒸気機関車の最後を飾った追分区所属のD51形は、地元、追分町(現・安平町)(241号機)や東京都台東区上野の国立科学博物館(国鉄工場最終出場蒸気機関車603号機)などといった各地に保存が決定していたが、1976年4月13日深夜に発生した追分機関区扇形庫火災により、国鉄最後の蒸気牽引入れ換え運用機79602号機や、配属されたばかりの新鋭ディーゼル機関車(DD51形)8両と共に4両(241・465・603・1086号機)が焼失した。現在、安平町の鉄道資料館には旧追分機関区の機関庫の火災で焼失した当初の静態保存予定機である241号機他の代わりとして、小樽築港機関区や追分機関区などで使用されていた320号機が静態保存されている。320号機は、本来は静態保存を予定していなかったが、急遽、静態保存機となったものである。また、国立科学博物館には同じく予定されていた603号機の代替として231号機が保存された。なお、最終5機の内、916号機のみが前橋市前橋こども公園に保存されている。
日本国外では、台湾でDT650形として37両が使用された。台湾で使用されていたものは既に全車廃車となっているし、うち4両が静態保存されていたが、2011年11月に、DT668は動態保存にして復活された。これから観光用、イベント用として運用する予定。
サハリンで使用されたものは引退後6両 (1・2・23・25・26・27) が帰国し、各地に保存されているほか、現地でも4号機が観光列車として運行されている。


本形式の愛称としては「デコイチ」、「デゴイチ」ともに用いられている。現在は「デゴイチ」が多く見られるが、過去には、各鉄道趣味誌においても「デコイチ」の表記が多く存在していた。なおこの愛称については、本来は「デコイチ」だがSLブーム以降「デゴイチ」の方が一般的になった、という見解もある。竹島紀元は、戦前の蒸気機関車のニックネームとして鉄道現場に存在したのは自分が知る限りではD50形の「デコマル」とD51形の「デコイチ」であるとし、「鉄道現場のスラングのようなものでその発生や普及変遷について確実な状況はつかめない」と断った上で、以下のような点を指摘している。
戦前の鉄道趣味雑誌の『鉄道趣味』には「凸丸」「凸一」という表記もあったと記憶している。
「デコイチ」は「デコマル」の伝でつけられたと推察される。
鉄道の現場用語ではたとえば「架線」を「ガセン」、「パンタグラフ」を「パンダ」のように濁る場合が多いため、本来「デコマル」だったものが「デゴマル」と呼ばれるようになった可能性がある。
一方、1950年頃の国鉄職員が、Dの51だから「デゴイチ」だと言ったとする記述もあるため、少なくともこの頃に「デコイチ」のみだったと言えない。
初期形(半流線形)の愛称の「なめくじ」は、1936年3月発行の『鉄道趣味』で宮松金次郎が「上から見た処は丁度ボイラーの上に這い廻るなめくじです」と記したものが始めで、後年になって広まったものとされる。

運用者 鉄道省→日本国有鉄道
製造所 川崎車輛・汽車製造
日立製作所・浜松工場
日本車輌製造・大宮工場
鷹取工場・小倉工場
長野工場・土崎工場
郡山工場・苗穂工場
三菱重工業
製造年 1935年 - 1950年
製造数 1,115両
引退 1975年12月24日
愛称 デゴイチ・デコイチ
主要諸元
軸配置 1D1
軌間 1,067 mm
全長 19,730 mm
全高 3,980 mm
機関車重量 78.37 t(運転整備)
炭水車重量 47.40 t(運転整備)
総重量 125.77 t
動輪径 1,400 mm
軸重 14.30 t
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程) 550 mm × 660 mm
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 14 kg/cm2(初期型)
15kg/cm2(標準型)
ボイラー水容量 6.0 m3
大煙管
(直径×長さ×数) 140 mm×5,500 mm×35本
小煙管
(直径×長さ×数) 57 mm×5,500 mm×94本
火格子面積 3.27 m2
全伝熱面積 221.5 m2
過熱伝熱面積 41.4 m2
全蒸発伝熱面積 168.8 m2
煙管蒸発伝熱面積 147.4 m2
火室蒸発伝熱面積 17.5 m2
燃料 石炭
燃料搭載量 10.0 t
水タンク容量 22.0 m3
制動装置 自動空気ブレーキ
最高運転速度 85 km/h
最大出力 1,400 PS
定格出力 1,280 PS

D51592
1940-11-25/月 日立製作所笠戸NO.1423 新製 配属 広島局 配置 広島区
1944-04-20/木 広島区→広島第一区(機関区分割による)
1948-07-01/木 現在 広島第一区 
1948-12-01/水 現在 柳井区
1952-11-01/土 現在 柳井区
1956-11 柳井区→出水区
1961-04-01/土 現在 出水区
1966-03-31/木 現在 出水区
1970-10-17/土 出水区→下関運転所 入換専用機
1972-03 この頃 下関運転所→厚狭区 正確な時期不明
1972-12-01/金 廃車(厚狭区)
1973-03-12/月 広島鉄道管理局長と下松市長との間で無償貸与契約締結
1973-12-01/土 現在 笠戸島大城岬よいこの広場にて保存
2015 現在 笠戸島大城岬よいこの広場に露天で定期的整備をうけつつ保存継続中。


場所:下松市笠戸島大城岬よいこの広場

保存:笠戸島D51592を燦かせる会

玉桂寺前駅(信楽高原鐵道信楽線)

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玉桂寺前駅(ぎょくけいじまええき)は、滋賀県甲賀市信楽町勅旨にある信楽高原鐵道信楽線の駅。駅名由来の玉桂寺には吊橋で連絡しています。


ホームが1面1線の無人駅です。駅舎はなくホームに待合所が設置されています。

ホームには鉢植えのプランターの他、特産の狸の置物が設置されています。

ホームには階段で連絡します。待合所裏手の入口があり、階段脇からスロープで結ばれています。

信楽方面のホームは大きく右にカーブしています。

駅周辺は人家が少なく利用者もわずかです。
玉桂寺
保良(ほら)の宮橋
保良の辺の小径


甲賀市立信楽図書館
滋賀県立陶芸の森
国道307号


1987年(昭和62年)7月13日 - 信楽線の信楽高原鐵道への転換に伴い、開業。

所属事業者 信楽高原鐵道
所属路線 信楽線
キロ程 13.4km(貴生川起点)
駅構造 地上駅
ホーム 単式1面1線
開業年月日 1987年(昭和62年)7月13日

痛車『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』SUBARU(LEGACY )

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『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』は、伏見つかさによる同名のライトノベルを原作とした日本のテレビアニメ作品。

垢抜けていて勝ち気な妹が隠し続けてきた「実は隠れオタク」という秘密を知ってしまったことから、不仲だった妹に振り回されることになった兄の奮闘を描いている。
2010年10月より12月まで、TOKYO MXほかにて深夜アニメ(UHFアニメ)として放送された。番組のインターネット配信も行われている。放送直前には、他番組とのコラボレーションCMや新聞一面広告など、大がかりな宣伝による話題作りが行われた。
2012年4月1日に開催された『アニメ コンテンツ エキスポ』でのイベント、および公式サイトにて第2期の制作が発表された。
第2期放送に先駆けて、テレビ未放送の映像を再編集した『俺の妹がこんなに可愛いわけがない TRUE ROUTE スペシャル版』(おれのいもうとがこんなにかわいいわけがない トゥルー・ルート スペシャルばん)が2012年10月より12月まで朝日放送、TOKYO MX、とちぎテレビ、群馬テレビ、BS11にて放送された。全13話。
第2期『俺の妹がこんなに可愛いわけがない。』(おれのいもうとがこんなにかわいいわけがない)は、2013年4月から6月までTOKYO MX・チバテレビ・tvk・テレ玉・とちぎテレビ・群馬テレビ・朝日放送・テレビ愛知・テレビ北海道・TVQ九州放送・BS11にて第13話までが放送され、同年8月18日に第14話から第16話を全世界同時公開で配信して完結した。全16話(TV版全13話+WEB版3話)。
なお伏見の次作『エロマンガ先生』も2017年にテレビアニメが放送予定だが、Twitterの公式アカウントは本作と共通(正確には統合)である。
内容
一人称小説である原作は、語り手である京介のモノローグによる内心の表現が多用されているが、アニメではそうした表現を省く方針が企画初期から決められ、モノローグの多用で成功した『涼宮ハルヒの憂鬱』のアニメ版などとは違った方向性が志向された[7]。結果的には主人公の印象も原作と違ったものとなり、京介が背負った年相応の欠点の部分が隠され、ヒロインから見た主人公像が表に出るような内容となっている。また、いけださくらによる漫画版の描写に準じた描写も取り入れられている。
アニメは原作に沿った形で物語が開始されたが、一部エピソードの順序が原作から変更されることもあり、またアニメオリジナルのエピソードも用意されている。例えば原作3巻におけるケータイ小説の書籍化を描いたエピソードは、第8話ではライトノベルのアニメ化という内容に置き換えられ、原作の風味を残すことを意図しつつもアニメ独自の内容となっている。
TV放送版(第1期)の最終回である第12話では、原作第4巻までの内容を元に、原作とは異なり桐乃が予定していた留学を取りやめるという結末が描かれた。一方、BD/DVDやインターネットでは第12話の途中から2通りの異なる展開へと分岐し、原作同様に桐乃が留学し、もうひとつの最終回である第15話へと続いていく展開も描かれている。これはTV放送版が1クール全12話で終了する上で独自の結末を描く必要があるためで、原作における第5巻以降の内容が第4巻のアンケートで決まる「読者投票型のルート分岐シナリオ」であったことや(詳細は「各巻の構成」を参照)、作中における物語の軸でもある美少女アドベンチャーゲームのストーリー分岐にならった展開である。


レガシィ(LEGACY )は、SUBARU(旧・富士重工業)が生産・販売する乗用車。同社の看板車種であると共に、アルシオーネSVXの販売終了以降はスバルの旗艦車種となった。

スバル・1000から始まる水平対向エンジン、レオーネで実現された4WDといったスバル独自の機構を採用し、ツーリングワゴンをはじめ、アッパーミドルサルーン(当初はスポーツセダンとして展開)のB4、ステーションワゴン型SUVのアウトバックなど、いずれのバリエーションも日本国内外で高い人気を誇っている[2]。
しばしば「レガシー」と誤記される事もあるが、カタカナ表記は「レガシィ」である。

5代目 BM/BR系(2009年-2014年)
スバル・レガシィ(5代目)
BM9/BMG/BMM/BR9/BRG/BRM型
ツーリングワゴン(後期型、2.0GT DIT)
SUBARU LEGACY BRG GT DIT 01.jpg
ツーリングワゴン(前期型)
5th Subaru Legacy 2.jpg
B4(前期型)
Subaru Legacy B4 BM.jpg
販売期間 セダン:2009年5月 - 2014年10月
ワゴン:2009年5月 - 2014年6月
乗車定員 5人
ボディタイプ 5ドアステーションワゴン
4ドアセダン
エンジン 水平対向4気筒
EJ25型 2.5L SOHC 16バルブ i-AVLS(前期型)
FB25型 2.5L DOHC 16バルブ AVCS(後期型)
EJ25型 2.5L DOHC 16バルブ デュアルAVCS ターボ(後期型はシングルスクロールターボと改称)
FA20型 2.0L DOHC 16バルブ 直噴 デュアルAVCS ツインスクロールターボ(2.0GT DIT / 後期型)
EZ36型 3.6L DOHC 24バルブ デュアルAVCS(日本仕様アウトバック,海外仕様)
駆動方式 4WD
変速機 リニアトロニック
E-5速AT(2.5GT系)
6速MT(2.5GT S Package / 前期型のみ)
サスペンション 前ストラット/後ダブルウィッシュボーン
全長 ワゴン:4,775mm
セダン:4,730mm
全幅 ワゴン&セダン:1,780mm
全高 ワゴン:1,535mm
セダン:1,505mm
ホイールベース 2,750mm
車両重量 1,480 - 1,550kg
後継 スバル・WRX S4(B4のターボ搭載車)
スバル・レヴォーグ(ツーリングワゴン)
-自動車のスペック表-
2009年春に開催されたニューヨークオートショーにて5代目となる新型レガシィのプロトタイプが公開された。プロジェクト・ゼネラルマネージャーは、2009年4月より富士重工業執行役員・スバル商品企画本部長、STI社長兼任の日月(たちもり)丈志。
北米からの要望に応え、先代に比べ車体を大きくしたことで、室内長・室内幅・室内高が広くなり、十分にゆとりがある室内空間を確保。最小回転半径5.5mと取り回しの良さも実現している。車体の大型化にあたっては、標準ボディを車幅1,780mmで設計し、北米仕様およびアウトバックはフェンダーの拡張で1,820mmとしている。一方で、各グレードにおいて先代より約100kgの重量増となった。
生産国は日本の旗 日本とアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国。
また、電動パーキングブレーキの採用(インパネ右端に装備、6速MTを含む全車に採用)でハンドレバーがなくなり、センターコンソールのレイアウトに余裕を持たせた。レオーネ以来の伝統であったサッシュレスドアが廃止され、一般的な窓枠(サッシュ)付きのドアになったことでドアの剛性アップと開口部の拡大に繋がっている。またドアノブもこれまでのフラップ式からバーグリップ式に変更された。ツーリングワゴンにおいては同じくレオーネ時代からの伝統であったDピラーのブラックアウトが廃止され、ボディ同色とされた。また、エンジンフードはコストを削減するためアルミ製ではなく鋼板製となった。 エンジンは4代目モデルから大型化し、2.0Lは廃止され、2.5L水平対向4気筒SOHCエンジン、2.5L水平対向4気筒DOHCターボエンジン、アウトバックのみに設定する3.6L水平対向6気筒DOHCエンジンの3種類とした。2.5LのSOHCエンジンには縦置きパワーユニットを搭載する量産四輪駆動車としては世界初のチェーン式のバリエーター(主変速機機構)を採用したCVT「リニアトロニック(6速マニュアルモード付)」を新たに設定し、オーバードライブ走行時の燃費向上や、パドルシフトの採用で0.1秒以下の素早い変速を実現した。 このモデルから、MT車が2.5Lターボ車(2.5GT S Package)のみの設定となった。
シリーズ全グレードオーディオレス(日本国内仕様に限り)であるが、メーカーオプションのHDDカーナビゲーションシステムについては、高精彩8型VGAワイド液晶ディスプレイに、高速CPUと大容量HDDの採用により、快適な操作性を実現。またセットとして、オーディオリモートコントロールスイッチやリアビューカメラ、AV入力端子(後期型はUSBとミニジャック端子に変更)などが装備された。またメーカーオプションのナビ選択時に2種類のオーディオから選べるようになる。
米国IIHS(道路安全保険協会)は、2009年8月27日、スバル『レガシィ』(日本名:『レガシィB4』)と『アウトバック』(日本名:『レガシィアウトバック』)を「2009トップセーフティピック」に選定した。前面衝突の各項目、側面衝突、ボディ構造での各項目に置いて全て「優」の評価となった。
2010年1月21日 スバルコリアを通じて韓国で発売を開始することを発表(車名は同じ。韓国語:레가시、発音的にはレガシ)。同年4月末より発売を開始。なお、投入されるのはB4のみで韓国内においてツーリングワゴンは人気薄のジャンルであるため投入されない(同様の理由でBMWやメルセデス・ベンツ、アウディなどもワゴンモデルは韓国未導入)。ただし、ツーリングワゴンと共通のボディを有するアウトバックは投入される。
ヨーロッパ仕様においては、2.0LのDOHC自然吸気ガソリンエンジン、2.5LのSOHC自然吸気ガソリンエンジン、2.0LのDOHCディーゼルターボエンジンが設定されており、MT車のラインナップが豊富である。
キャッチコピーは、前期型が「Love Your Life.」、後期型が「全レガシィ、全性能進化。」と謳っている。
また、EyeSightの試乗体験キャンペーンのプレゼント商品「ぶつからない!?ミニカー」のパッケージ内で、箱に写真が掲載しているグレードは、ツーリングワゴンの「2.5GT EyeSight」(D型)である。
スバル車種としては初めて、2013年にBM9後期型の2.5GTが一般警ら用のパトカー(クラウンのカテゴリー)として警察庁に全国規模で一括採用された。東京都内においては規制緩和の流れを受けて、ツーリングワゴン・B4・アウトバックとも個人タクシーが存在する。
年表
2009年5月20日 - (A型)ツーリングワゴン・B4・アウトバック共にフルモデルチェンジ(3タイプが一斉にフルモデルチェンジ・同時発売するのは初めてのこと)。3タイプ合わせて月間販売目標は3,000台と発表されている。ターボ車を含め全車「平成17年排出ガス基準75%低減レベル(☆☆☆☆)」を達成すると共に、ツーリングワゴンとアウトバックの2.5Lの一部グレード(ツーリングワゴンはオプション装着により、車両重量が1,520kg以上)で「平成22年度燃費基準+15%/+20%」を達成した。
2009年10月23日 - 2009-2010日本カー・オブ・ザ・イヤー特別賞「Best Value」を受賞。この受賞を記念し、同年11月4日にツーリングワゴンとB4に2種類の特別仕様車「2.5i L Package Limited」、「2.5i S Package Limited」を発売。前者は「2.5i L Package」をベースに、17インチアルミホイール、フロント16インチブレーキ、オートライト&オートワイパー、ヘッドランプウォッシャーなどを装備。一方の後者は「2.5i S Package」をベースに、専用ハイラスター塗装を施した18インチアルミホイール、フロント17インチブレーキ、助手席8ウェイパワーシート、キーレスアクセス&プッシュスタートなどを特別装備した。
2010年4月21日 -自動車アセスメントにおける衝突安全性調査においてグランプリを受賞した。スバルとしては2007年度のインプレッサに次いで二度目の受賞である。
2010年5月18日 - 一部改良(B型)。先代に装備されていた「EyeSight」の進化版である「EyeSight(Ver.2)」をツーリングワゴン・B4の「2.5i」と「2.5GT」、アウトバック「2.5i」と「3.6R」の全6タイプに設定。「EyeSight(Ver.2)」は衝突回避性能を向上した“プリクラッシュブレーキ”、渋滞走行時などにおける追従性を高め、先行車が停車した時には自車も停車し、停止保持状態を維持する“全車速追従機能付クルーズコントロール”、前方で障害物を検知した状態で、ペダルの踏み間違いによる誤発進を抑制する“AT誤発進抑制制御”など、先進の機能を備える。これ以外にも「L Package」では17インチアルミホイール、オートライト&オートワイパー、ヘッドランプウォッシャーなどを、「S Package」では左右独立温度調整機能付フルオートエアコン、助手席パワーシートなどをそれぞれ装備し機能を充実。「EyeSight(Ver.2)」非搭載グレードにもクルーズコントロールを標準装備した。また、ツーリングワゴンとアウトバックの「2.5i L Package」と「2.5i EyeSight」は「平成22年度燃費基準+25%」を達成した。さらに、ツーリングワゴンとB4には「2.5i」をベースに専用16インチアルミホイール、HIDロービームランプ、本革巻ステアリングホイールなどを装備した特別仕様車「2.5i S-style」を同時発売した。なお、グレード体系が整理され、ツーリングワゴンとB4は「2.5GT」の「L Package」と「SI-Cruise」を廃止。アウトバックの3.6L車は「3.6R Eyesight」に一本化された。
2010年6月8日 - モータースポーツ統括会社のスバルテクニカインターナショナル(STI)より、ツーリングワゴンとB4の「2.5GT S Package」をベースに、専用チューニングのサスペンション、フレキシブルタワーバー・フロントなどを装備して路面追従性を高め、しっかり感のある乗り味としなやかな乗り心地を実現した他、STI製のフロントアンダースポイラー、リアスポイラー、18インチアルミホイール、アルカンターラ/本革シートなどを採用した特別仕様車「2.5GT tS」を発売(発売は同年6月25日より、同年11月7日受注分までの600台限定販売)。
2010年11月16日 - 「EyeSight Sport Selection」を発売[42]。ツーリングワゴンとB4の「2.5i S Package」、「2.5GT S Package」をベースに、運転支援システム「EyeSight (ver.2)」、シルバーアルカンターラ/ブラック本革シート、シルバーアルカンターラのドアトリム、ハイラスター塗装のアルミホイールを装備した特別仕様車「2.5i EyeSight Sport Selection」、「2.5GT EyeSight Sport Selection」を設定した。
2011年6月14日 - 一部改良(C型)。ツーリングワゴンとB4に特別仕様車で発売されていた「EyeSight Sport Selection」の装備内容を見直し、「2.5i EyeSight S Package」・「2.5GT EyeSight S Package」としてカタロググレード化。さらに、足回りの見直しによる走行性能の強化、「EyeSight」の性能向上、室内側から確認できるターンインジゲーター付ドアミラーの採用、ボディカラーに新色「アイスシルバー・メタリック」の追加などを実施。なお、2010年5月の一部改良時に発売されたツーリングワゴンとB4に設定の特別仕様車「2.5i S-style」はベース車の改良を受け販売を継続する。
2011年11月22日 - ツーリングワゴンとB4の「2.5i」をベースに、先進運転支援システム「EyeSight(ver.2)」を標準装備するとともに、「2.5GT」に装備されているスリムスポークタイプの17インチアルミホイール、「2.5i S Package」に相当する外観(フロントグリル・フロントバンパー・サイドシルスポイラー)、ブラックベゼル仕様のHIDロービームランプ、キーレスアクセス&プッシュスタートを装備しながらも購入しやすい価格設定とした特別仕様車「2.5i EyeSight B-SPORT」を発売。併せて、メーカーセットオプションとして「2.5i S Package」相当のアルミパッド付スポーツアルミパネルやカーボン調加飾パネルを採用するとともに、シートはファブリック(スポーティクロス)と合成皮革の専用仕様とするとともに前席はパワーシート(運転席10ウェイ・助手席8ウェイ)仕様に変更。左右独立温度調整機能や後席ベンチレーションを備えるフルオートエアコンやSRSサイドエアバッグ・SRSカーテンエアバッグも装備し付加価値を高めた「G Package」も設定される。なお。「G Package」は「平成22年度燃費基準+25%」を達成している。
2012年5月8日 - マイナーチェンジ(D型)。外観はフロントフェイスを一新して引き締まったスポーティーデザインとなり、内装は加飾パネルをダークメタリック調に変更し、新デザインのシート表皮を採用。電動パーキングブレーキはセンターコンソールのシフトレバー後方に、SI-DRIVEのスイッチをステアリングスイッチの右下に移設したことで操作性を向上させた。「2.5i」を除く全グレードでルミネセントメーター中央部に3.5インチカラー液晶のマルチインフォメーションディスプレイが設けられ、各種情報を的確に読み取れるようになった。NAエンジンは新世代ボクサーエンジンであるFB25型に置換(併せて、車両型式をBMM/BRM型に変更)し、「リニアトロニック」はパーツやレイアウトを最適化することで小型・軽量化。さらに、一部グレードでシリーズ初となるアイドリングストップシステムも搭載。これにより、全タイプの「2.5i L Package」と「2.5i EyeSight」は「平成27年度燃費基準」を達成した。「EyeSight(ver.2)」はカメラ画像認識処理の変更により、遅い車両への追いつき時の応答性改善やカーブ時の前走車認識性能が向上して衝突回避性能が高められた、アイドリングストップ搭載車では協調制御を行うことにより燃費と利便性向上の両立が図られた。また、一定車速以上走行時にブレーキとアクセルが同時に踏まれた場合にはエンジン出力を絞ってブレーキを優先させる「ブレーキオーバーライド」も採用した。これにてレガシィは発売23年目で全車DOHC化になった。併せて、ツーリングワゴンとB4には新グレードとして「2.0GT DIT(Direct Injection TURBOの略)」を追加。BRZに搭載されているFA20型エンジンに直噴ターボを組み合わせたものである。同時に「リニアトロニック」は高トルクに対応するため、ケースの強度アップやトルクコンバーターの変更などを行い、AWDはリニアトロニック搭載車では初となる「VTD-AWD(不等&可変トルク配分電子制御AWD)」を採用。「SI-DRIVE」は「スポーツ#(S#)」モード時に8段ステップ変速を設定。ハイパフォーマンスでありながら、燃費性能も高く、「平成22年度燃費基準+25%」を達成している。シャシーにおいてはサスペンション剛性の強化やダンパーチューニングやスタビライザー径のサイズアップを行い、高速領域や車線変更時、連続コーナー走行時においての安定性を高めた。なお、グレード体系の見直しも行い、ツーリングワゴンとB4は「2.5i S Package」[44]を廃止するとともに、「2.5GT」系は「2.5GT EyeSight」に一本化。またエンジンはシングルスクロールターボ(前期型と同一の仕様)と改称し、このグレードのみ価格改訂を行い、ツーリングワゴン、B4共に値上げを実施した。これにより、「2.5GT S Package」のみに設定されていた6MT車を廃止した。「2.5i」はS-styleと統合し、同等の装備が付くようになった。ちなみに、メーカーオプションのHDDカーナビゲーションシステム装着車に地上デジタル放送のチューナーとアンテナが装備され、さらにマッキントッシュ・サウンドシステムは10スピーカーから12スピーカーになるなどの大幅な改良を施した。「2.5i L Package」でのマッキントッシュ・サウンドシステムのオプション設定がなくなった代わりに、プレミアムサウンドシステムのオプション設定を全グレードに拡大した。
ボディーカラーは、「サテンホワイト・パール」と「クリスタルブラック・シリカ」以外全て差し替えとなり、「ダークアメジスト・ギャラクシィ」を廃止した。
2012年9月4日 - ツーリングワゴンとB4に設定されている直噴ターボエンジン車「2.0GT DIT」に運転支援システム「EyeSight(ver.2)」を標準装備した「2.0GT DIT EyeSight」を追加発売。
2012年11月13日 - 2011年11月に開催された「第42回東京モーターショー」に参考出品された「レガシィB4 2.5GT EyeSight S Package 〜Premium Leather Selection〜」を忠実に再現した特別仕様車「Premium Leather Selection」を発売。ツーリングワゴンとB4の「2.5i EyeSight S Package」、「2.0GT DIT EyeSight」をベースに、ハイラスター塗装の18インチアルミホイール、サテンメッキドアミラー、シルバー&クロムメッキドアハンドル、専用ブライトパールレザーシート、専用シルバーカーボン調加飾パネル (スクエアバイアス)、USB電源(フロント・リアに2口ずつ)を装備した。ボディーカラーは、「ヴェネチアンレッド・パール」以外の5色を展開。併せて、スバルテクニカインターナショナルからはツーリングワゴンとB4の「2.5i EyeSight S Package」をベースにSTIによるチューニングを施し、STI製18インチアルミホイールやスポイラー(フロントアンダー・リア)などを装備した「2.5i EyeSight tS」を発売。こちらは2013年3月12日受注分までの300台限定販売である。
2013年5月14日 - 一部改良(E型)。新たに、2.5L・NA車の最上位グレードである「2.5i EyeSight S Package」と共通デザインの専用フロントグリルやブラックベゼルのHIDロービームランプ等の外装を採用するとともに、マルチインフォメーションディスプレイやフルオートエアコン(左右独立温度調整機能、後席ベンチレーション)も装備した充実仕様のエントリーグレード「2.5i B-SPORT」、「2.5i B-SPORT」の装備内容に「EyeSight(Ver.2)」とオールウェザーパックを追加装備した「2.5i B-SPORT EyeSight」、「2.5i B-SPORT EyeSight」に運転席10ウェイパワーシート/助手席8ウェイパワーシートやSRSサイドエアバッグ+SRSカーテンエアバッグ等を追加し、アルミホイールを17インチにサイズアップした「2.5i B-SPORT EyeSight G Package」を新設。同時に、グレード体系の整理を行い、「2.5i」、「2.5i L Package」、「2.5i EyeSight」およびシングルスクロールターボ車の「2.5GT EyeSight」を廃止。これにより、初代から搭載されてきたEJエンジン搭載車はラインナップから消滅することとなった。
2013年10月29日 - ツーリングワゴン・B4の「2.0GT DIT EyeSight」をベースに、18インチアルミホイール(ブラック塗装+切削光輝)、電動格納式リモコンドアミラー(ブラック)、カラードリアゲートガーニッシュ(ツーリングワゴンのみ、B4はベース車に標準装備)、260km/h表示のマルチインフォメーションディスプレイ付ルミネセントメーター、シルバーカーボン調加飾パネル(スクエアバイアス)、ブラックルーフトリム&ピラートリムを装備した特別仕様車「2.0GT DIT spec.B EyeSight」を発表(11月28日販売開始)。
2014年4月25日 - 現行型の受注を6月末日を以て終了することを発表。併せて、次期モデルの年内発表がアナウンスされているが、次期モデルではセダンモデルのB4とクロスオーバーSUVモデルのアウトバックの2タイプのみの設定になり、ツーリングワゴンは後継車レヴォーグの登場により廃止となり、一方、B4のターボエンジン搭載モデルはWRX S4に統合される形で廃止となった。

6代目 BN/BS系(2014年 - )
スバル・レガシィ(6代目)
BN9型
B4
The frontview of Subaru LEGACY B4 (BN9).JPG
B4 リミテッド
The frontview of Subaru LEGACY B4 Limited (BN9).JPG
B4 カナダ仕様車
'15 Subaru Legacy.jpg
販売期間 2014年10月 -
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドアセダン
エンジン FB25型 2.5L DOHC 16バルブ AVCS
EZ36型 3.6L DOHC 24バルブ デュアルAVCS(北米,豪州仕様)
駆動方式 4WD(シンメトリカルAWD)
変速機 リニアトロニック(マニュアルモード付)
サスペンション 前ストラット/後ダブルウィッシュボーン
全長 4,795mm
全幅 1,840mm
全高 1,500mm
ホイールベース 2,750mm
車両重量 1,530kg
-自動車のスペック表-
6代目ではツーリングワゴンが後継車種のレヴォーグに継承されたことで、セダンタイプのB4とクロスオーバーSUVタイプのアウトバックの2タイプとなった。車体寸法は先代よりもさらに大型化しアッパーミドルクラスのボディサイズに移行するとともに5代目以前のスポーティーセダン路線から一転し、トヨタ・カムリや日産・ティアナ、ホンダ・アコードなどに通じるプレステージ風アッパーミドルサルーンへ路線変更、北米仕様と国内仕様がほぼ共通となり一本化された。
フロントはバンパー一体型ヘキサゴングリルとホークアイヘッドランプによってスバル車のファミリーフェースを構築し、リアコンビランプはヘッドランプと共通のモチーフを採用。また、塊感のあるフォルムとのびやかなキャラクターラインにより、たくましさと機敏な走りの両面を表現した。内装では筒型2眼メーターを採用し、メーター中央にEyeSightやSI-DRIVEの作動状況を表示するマルチインフォメーションディスプレイを搭載し、上級グレードはメーターリング照明も装備した。また、ダッシュボードをソフトパッド化し、アームレストのクッション厚を増すなどインテリアの品質も向上。内装色はブラックとアイボリーの2色展開とした。さらに、国内のスバル車で初めてharman/kardonサウンドシステムを搭載したハーマンカードンサウンドシステム&SDナビゲーションをメーカーオプションに設定した。
Aピラーの付け根を前出しすることでキャビンを拡大するとともに、ドアミラーをショルダーマウント化してフロントパーテーションガラスを追加することでドアミラー前方の死角を減らして前方視認性を向上。また、前席はシート間距離を広げ、ドアトリム構造を見直すことで着座時のスペースを拡大。後席も前後席間距離の拡大により足元スペースを拡大した。
ボディやサスペンション取り付け部の剛性を高めることでサスペンション部がしなやかに動く質感の高い走りを実現し、サスペンションはスタビライザーの改良やショックアブソーバーの減衰特性を最適化し、上級グレードにはコーナリング時の安定性と乗り心地を両立する「STABLEX-Ride(スタブレックス・ライド)」を採用。ステアリングには小型・軽量・高出力設計のコントロールユニットを内蔵した電動パワーステアリングを採用し、ブレーキには高応答性のブースターを搭載することで応答性やコントロール性を高めた。
足回りについては、PCDが初代から続いていた100に代わり、WRXやレヴォーグと同じ114.3へと変更された。
エンジンは5代目・後期型のFB25型を踏襲するが、約8割の部品を新設計とした改良型を搭載し、チェーンの騒動音、ピストンやオルタネーターの作動音を低減することで静粛性を高め、吸気音にもチューニングを施した。リニアトロニックにも改良が施され、アクセル開度によって変速特性を切り替えるオートステップ変速制御や6速マニュアルモードのパドルシフトを採用。また、トランスミッション内部のフリクション低減により燃費性能を向上し、ダイナミックダンパーなどを追加することで振動騒音も低減した。
安全性能も強化し、既採用のEyeSightは広角且つ遠方まで認識し、カラー認識も実現したEyeSight(ver.3)となり、旋回時のトレース性を高めるアクティブトルクベクタリングを採用。また、ホットプレス成形材をはじめとする高張力鋼板の採用範囲を拡大することで軽量化を図りながら全方位からの衝突に対してトップレベルの安全性も両立した。
年表
2013年11月14日 - 2013年ロサンゼルスオートショーに、「レガシィコンセプト」を世界初公開することを発表。2014年でレガシィ生誕25周年を迎えるに当たり、次期モデルのデザインの方向性を提示するミッドサイズセダンのコンセプトモデルである。
2014年2月7日 - 2014年シカゴオートショーで6代目レガシィの米国仕様を世界初公開。
2014年4月25日 - 同年内に日本で発売予定であることを発表。
2014年10月1日 - ティザーサイトを同日付で公開し、日本では同年10月24日にフルモデルチェンジすることも発表される。
2014年10月24日 - アウトバックと共に、B4をフルモデルチェンジ[50]。ツーリングワゴンは正式に廃止となり、レヴォーグへ継承された。また、B4のグレード体系は標準仕様の「B4」と上級仕様の「B4 Limited」の2グレードに集約、2.5L・NA車のみのラインナップとなった(なお、アウトバックも標準グレードと上級グレード「Limited」の2グレート体系に集約し、2.5L車のみの設定となっている)。
2015年9月10日 - アウトバックと共に、B4を一部改良(10月1日販売開始)。死角検知機能(BSD)・車線変更支援(LCA)・後退時支援(RCTA)の3つで構成され、ドアミラーに装備されたLEDランプを点灯又は点滅させることでドライバーに注意を促し、RCTA作動時には警報音も発する後側方警戒支援機能「スバルリアビークルディテクション」とルームミラー一体型の単眼カメラを採用したことで先行車や対向車を検知してヘッドライトのロービームとハイビームを自動切替し、後続車のヘッドランプなどの強い光をセンサーが検知すると自動的に反射率を下げて眩しさを抑える「ハイビームアシスト(自動防眩インナーミラー付)」で構成された「アドバンスドセイフティパッケージ」を新たに標準装備したほか、上級仕様の「B4 Limited」は本革仕様のアイボリー内装の設定を追加し、「STABLEX-Ride(スタブレックス・ライド)」の減衰特性見直しにより乗り心地を向上。メーカーオプションのハーマンカードンサウンドシステム&SDナビゲーションはSiri対応の音声認識機能「Siri Eyes Free」に対応した。ボディカラーを一部変更し、「ディープシーブルー・パール」に替わり「ダークブルー・パール」を新たに設定した。
2015年9月29日 - B4・アウトバック共に2015年度グッドデザイン賞を受賞し、併せて、搭載されている「アイサイト」も運転支援システムで初めてとなるグッドデザイン賞受賞とグッドデザイン賞特別賞候補(グッドデザイン・ベスト100)に選出されたことを発表した。
2016年9月8日 - アウトバックと共にB4を一部改良(10月3日販売開始)。標準装備されている「EyeSight(ver.3)」を改良し、車線中央維持機能の追加とアクティブレーンキープ機能の作動速度の拡大(65km/h以上から60km/h以上に変更)を行った。また、10分でおよそ38度まであたため、約30分後に自動的にオフとなるタイマー機能を備えたステアリングヒーターを新たに標準装備した。併せて、特別仕様車「SporVita(スポルヴィータ)」を発売。2015年10月に発表された「WRX S4 SporVita」に続くイタリアの老舗革製品サプライヤーであるマリオ・レヴィ社とのコラボレーションの第2弾として発売されたもので、「Limited」をベースに、専用本革シート・ドアトリム・本革巻ステアリングホイール(高触感革タン/ブラック・ステアリングヒーター付)などにタンカラーを採用するとともに、シートとドアトリムにはステッチを波型に並べて立体感を出す「カーブキルト」を、インパネやシフトノブにはピアノブラック調パネルや金属調をそれぞれ施した。外観はブラックに変更したフロントグリル、ピアノブラック調のフロントフォグランプカバー、リアガーニッシュに高艶ベロアメッキを施し、サテンメッキドアミラーとブラックハイラスター塗装を施した18インチアルミホイールを装備した。受注期間は同年12月12日まで、300台の台数限定販売である。


生産工場
日本(群馬県太田市・大泉町)
太田市(社内呼称:矢島工場 ボディプレス、溶接、ペイント、トリム)
邑楽郡大泉町(社内呼称:大泉工場 パワーユニット(エンジン・トランスミッション 加工・組立))
アメリカ合衆国インディアナ州
スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ・インク (SIA)
車名の由来
「レガシィ(LEGACY)」とは、「大いなる伝承物」、「後世に受け継がれてゆくもの」、もしくは「遺産」の意。
オーストラリアのみ「LEGACY」という単語が戦争を想起させる[55]という理由から、現地名は「リバティ(LIBERTY)」となる。また、日産・リバティと現地名は無関係である。

レース活動
2009年途中からSUPER GT GT300クラスに参戦しており、車両製作およびチーム運営はR&D SPORTが行っている。
2009年は、第6戦鈴鹿・第7戦富士・第9戦もてぎに参戦し、第7戦富士では完走した。
2010年は、各種改良を施しフル参戦体制となる(第4戦セパンは不参加)。エンジンはWRC用をベースとしたEJ20 DOHC 16バルブのターボエンジンで、駆動方式が前年までの4WDからFRに改められている。第6戦鈴鹿でGT300クラス初優勝を飾る。
2011年は、メインフレームの大改造が施され、ステアリングレスポンスやコーナリングスピードが向上しトラクションも増した。第5戦鈴鹿でGT300クラス優勝(夏の鈴鹿2連勝)、第7戦オートポリスでも優勝(ポールトゥウィン)して、シリーズ2勝を挙げた。最終戦ツインリンクもてぎはトップが見える位置まで順位を上げたが、ナットが緩むというトラブルによって3勝はならなかった。なお、この年がレガシィでの活躍の最後の年となり、2012年からはBRZで参戦することとなった。

西観音町停留場(広島電鉄本線)

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西観音町停留場(にしかんおんまちていりゅうじょう、西観音町電停)は、広島市西区西観音町にある広島電鉄本線の路面電車停留場。

なお、ここでは当停留場が開業する前に存在していた都町停留場(みやこまちていりゅうじょう)についても取り扱う。

本線はほぼすべての区間で軌道が道路上に敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが置かれている。ホームは低床式で上下2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置されている(相対式ホーム)。線路の北側に広島駅方面の上りホーム、南側に広電西広島駅方面の下りホームがある。

1979年(昭和54年)には乗り場の安全性を確保するため、安全柵の設置が行われた。上屋は単車が停車したときの乗車口あたりにしかない。ホームには横断歩道からスロープで連絡します。両ホームには上屋が設置されています。

運行系統
本線には広島電鉄が運行するすべての系統が乗り入れているが、当停留場にはこのうち2号線、3号線、それに0号線が乗り入れる。

上りホーム 0号線 日赤病院前ゆき・広電前ゆき
2号線 広島駅ゆき
3号線 宇品二丁目ゆき 朝時間帯は広島港ゆき
下りホーム 2号線 広電宮島口ゆき
2号線3号線 広電西広島ゆき

周辺
停留場は平和大通り上に位置する。通りに面してビルや店舗も点在するが、周辺はおおむね住宅街となっている。南西には広島工業大学専門学校が立地する。広島駅方面ホームが若干長くなっています。
広島中央保健生活協同組合総合病院福島生協病院
広島市西消防署
また、現在の本線は当停留場を出ると広島駅方面に向けて北に左折するが、平和大通りを東へ向かって直進する新路線を敷設する構想がある


西観音町停留場は1964年(昭和39年)、本線の天満町 - 己斐間の軌道が平和大通り上の新線に移設された際に開業した。開業日である9月1日は下り線が新線に移設された日で[2]、上り線は6日後の9月7日に移設されている。

軌道が新線に移設し西観音町停留場が開設される前、旧線の天満町 - 福島町間には都町停留場が存在した。この停留場は1960年(昭和35年)に福島病院前停留場(ふくしまびょういんまえていりゅうじょう)として開業、都町停留場に改称されたのは2年後の1962年(昭和37年)のことである。停留場が置かれた場所は太田川放水路の造成工事の一環で誕生した埋め立て地で、かつては福島川が流れており、本線は軌道専用橋にて渡河していた。都町停留場は天満町 - 己斐間の軌道が上下とも新線に移設した1964年9月7日をもって廃止されている。

1960年(昭和35年)2月10日 - 旧線上に福島病院前停留場が開業。
1962年(昭和37年)2月12日 - 都町停留場に改称。
1964年(昭和39年)
9月1日 - 下り線が新線に移設され、西観音町停留場が開業。
9月7日 - 上り線が新線に移設。都町停留場は廃止される。
1979年(昭和54年)5月11日 - 安全柵が設置される。

駅番号 ●M17
所属事業者 広島電鉄
所属路線 ■本線
キロ程 4.5km(広島駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1964年(昭和39年)9月1日

ムクジマルホープ(旅 客 船

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ムクジマルホープは児島観光港~本島を結ぶ定期船です。瀬戸大橋遊覧に塩飽勤番所、笠島地区の街並み、咸臨丸など文化財が沢山ある本島への観光船として活躍しています。

本島(ほんじま)は、香川県丸亀市に属する島。面積6.74km2、周囲16.4km。塩飽諸島の中心で、四人の年寄が勤番で政務を行った塩飽勤番所、敵襲からの防御を考え細い路地が入り組んだ古い町並みが残るかつての塩飽水軍の本拠「笠島」などが見られる。今も塩飽諸島の中で最も人口が多い。1954年(昭和29年)3月31日に丸亀市へ編入されるまでは、仲多度郡本島村に属していた。笠島 - 「丸亀市塩飽本島町笠島伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている
塩飽勤番所 - 寛政10年(1798年)築、文久2年(1862年)改築。国の史跡。
千歳座 - 文久2年(1862年)築の芝居小屋。木烏神社境内にある。
正覚院 - 木造観音菩薩像および両脇侍像(不動明王像・毘沙門天像)、線刻十一面観音鏡像は国の重要文化財
東光寺 - 木造薬師如来坐像は国の重要文化財
夫婦倉 - 市指定文化財。江戸時代末期築の二連式蔵。
本島泊海水浴場 - 環境省選定「快水浴場百選」・「島の部特選」
水見色小学校 - 旧本島小学校西分校、映画「機関車先生」のロケ地

 


船舶番号:273-12074

船主 (国籍) (独)鉄道建設・運輸施設整備支援機構、六口丸海運有限会社(Japan)

建造所 瀬戸内クラフト株式会社(No.S-251)

起工 05.11.3

進水 06.2.3

引渡 06.2.14

船級 JCI

航行区域 Smooth water

全長 19.75m

垂線間長 17.10m

全幅 3.70m

深さ 1.65m

計画満載喫水 dmld(design))0.75m

国内総トン (JG)19T

試運転最大速力 28.55kn

速力 21.50kn

航続距離 600海里

主機関 6CZAP-GT×1

出力 (M.C.R.)389kW×2,229min-1 (N.O.R.)311kW×2,069min-1

プロペラ 5Blades×2(5翼一体型)

主発電機 (Prime Mover:4JHL-TN 19.1kW×1)TWY20B×20KVA×1

乗組員数 2

旅客数 74

船型 半滑走型V底ハードチャイン艇

燃料油槽 2.90立方メートル

清水槽 0.50立方メートル

燃料消費量 80.5kg/h×2

その他 運航者:六口丸海運有限会社

特記事項 船質は軽合金製。

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