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特急「A列車で行こう」 JR九州

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「A列車で行こう」は、九州旅客鉄道(JR九州)が熊本駅 - 三角駅間を、鹿児島本線・三角線(あまくさみすみ線)経由で運転している臨時特急列車です。

列車名の頭文字である「A」は、「南蛮文化が渡来した天草をモチーフに、ヨーロッパをイメージした大人の旅を演出」というコンセプトから、大人 (Adult) や天草 (Amakusa) の頭文字から取られました。車両デザインはJR九州の800系つばめやSL人吉などの多くのデザインを手がけられたドーンデザイン研究所水戸岡鋭治氏です。


特急「A列車で行こう」は、熊本市と天草諸島を結ぶルートの一角を形成する観光列車として2011年10月8日に運行を開始した。三角駅で、最寄りの三角港と下島にある本渡港を結ぶ定期航路「天草宝島ライン」と接続しています。

「A列車で行こう」の運行開始に伴い、運行区間の熊本駅 - 三角駅間に「あまくさみすみ線」の愛称が付けられ、列車の運行開始に先立ち2011年9月1日より使用している。また三角駅のリニューアルも合わせて行われました。


日本国有鉄道(国鉄)時代の三角線は、豊肥本線と三角島原フェリー(2006年廃止)とともに阿蘇と島原半島を結ぶ観光ルートの一翼を担っており、豊肥本線から直通する急行列車も設定されていたが、1986年11月1日のダイヤ改正で急行「火の山」(現在の特急「九州横断特急」の前身)の三角線直通は終了し、三角線から優等列車は消滅していました。「A列車で行こう」は三角線にとっては25年ぶりの優等列車で、初の特急列車です。

「16世紀大航海時代のヨーロッパ文化」と「古き良き“あまくさ”」をテーマにしたというデザインは黒とゴールドのツートンカラーで、車内は教会などをイメージしたというカウンターバーやステンドガラスで彩られています。

定員は1号車28人、2号車56人の計84人で、全席普通車座席指定席で運行される。1号車にはソファーやベンチのほか、カウンターバー「A-TRAIN BAR」が設けられる。2号車には4人用セミコンパートメント席が4区画設けられています。バーではビールやハイボールなどといったアルコール類が提供されている。車内での演出として、BGMに向谷実アレンジによるジャズのスタンダードナンバー「A列車で行こう」などが用いられています。

土曜・休日および長期休暇期間中の毎日、熊本駅 - 三角駅間に1日2往復が運行されている。2両編成のため「九州横断特急」や「はやとの風」と同様に、車掌は乗務せず車内改札は客室乗務員が行う方式のワンマン運転が実施されています。


三角駅で三角港を発着する天草宝島ラインの「シークルーズ号」と接続いたします。列車の運行開始に合わせて、「シークルーズ号」のダイヤも「A列車で行こう」の運行時刻に合わせたものに改正された。また、熊本駅 - 本渡港または松島(前島港)を利用区間として、往復とも「A列車で行こう」+「シークルーズ号」利用、もしくは片道を九州産交の快速バス「あまくさ号」の利用とする往復割引乗車券「A列車&SBきっぷ」が発売されています。SとBは「Seacruise」「Bus」の頭文字から取られています。


なお、1・4号に限り、博多駅始発・終着で延長運転される日があります。博多駅と三角駅を直接結ぶ優等列車は、1964年から1967年にかけて日豊本線・豊肥本線経由の博多駅 - 熊本駅間の急行「ひかり」(後に「くさせんり」→「九重」と改称。「九重」は長崎駅発着)のうち博多駅(長崎駅)行きのみ三角駅始発で運行された例があるが、鳥栖駅を経由するものは初めての設定となります。

停車駅は博多駅 - 鳥栖駅 - 久留米駅 - 大牟田駅 - 玉名駅 - 熊本駅 - 宇土駅 - 三角駅


155mm榴弾砲FH-70 /陸上自衛隊

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FH70(Field Howitzer 1970s)は、西ドイツ、イギリス、イタリアの3か国が共同開発した155mm榴弾砲。

FH-70は、1963年に合意されたNATO基本軍事要求39号によって「牽引・自走両用の近接支援用榴弾砲」として計画されました。
要求仕様は、分離可能なAPU( Auxiliary Power Unit 補助エンジン)を有し、通常弾で24 km、ロケット補助推進弾で30 kmの射程、最大連射速度は15~20秒で3発、持続連射速度は毎分2発とされた。弾薬は、NATO標準の155 mm砲弾に対応しつつ、新開発の長射程弾も計画されました。


これに基づき西ドイツ(当時)とイギリスは協同して研究開発を行い、1968年に細部仕様が決定された。イタリアは1970年から、この計画に参加しました。


当初の研究開発はイギリス王立兵器研究開発研究所(英語版)(RARDE)主導の下、イギリスのヴィッカーズと西ドイツのラインメタルによって行われ、後に参加したフォルクスワーゲンがAPU部分などを担当しています。


1978年に製造が開始され、西ドイツ・イタリアの旧式榴弾砲とイギリスのBL 5.5インチ砲を更新していきました。

砲身後端の下部に砲弾装填用トレイと半自動式装填補助装置を搭載している。このトレイに砲弾を乗せた状態で砲撃すると、砲身の前進運動と連動してトレイが持ち上がると共に尾栓が開き、素早い装填と高い連射速度を実現しています。尾栓と装填補助装置は、砲撃と連動しない状態にしてすべて手動で操作することも可能である。


砲架には1,800ccのフォルクスワーゲン製(日本のFH70は富士重工業製)水平対向型ガソリンエンジンと手動変速機を搭載しており、短距離であれば自走が可能であるため、発射位置までの牽引を要しない。このため、展開・撤収が従来の砲と比べて比較的早いという利点があります。ただし、速度は時速16km程度で、また運転手以外の操作要員や砲弾を運搬することは出来ないため、長距離の移動には大型軍用トラックで牽引する必要があります。陸上自衛隊ではFH70の牽引に74式特大型トラックをベースとした中砲けん引車を使用しています。

運用、整備(メンテナンス)の容易さと価格の安さから陸上自衛隊でも155mm榴弾砲M1と105mm榴弾砲M2A1の後継として155mmりゅう弾砲の名で制式採用されており、開発国での制式名FH70を略称としています。防衛庁(現在の防衛省)は愛称をサンダーストーンとしているが、この名は一般的に普及しているとは言い難く、FH70(えふえっちななまる)、または単にFH(えふえっち)の名で呼ばれるのが一般的です。
牽引車には7tトラックを改造した中砲けん引車を使用し、補助動力装置にはスバル製水平対向エンジン(1800cc)を搭載している。


1983年以来、日本製鋼所によるライセンス生産によって配備され、現在の陸上自衛隊の主力火砲の位置に付いている。同火砲を採用した国の中でも陸上自衛隊は最も調達数が多く、平成20年度時点で422門を配備しています。しかし、導入開始から30年近く経過しており、旧式化しているため火砲定数削減と合わせて順次退役が進められています。これに伴い防衛省は2013年度から2016年度までFH70の後継となる装輪式の火力戦闘車の開発を行う。

種別: 榴弾砲
口径: 155mm
砲身長: 39口径長
重量: 7,800 - 9,600kg
全長: 9.8m(牽引状態)
12.4m(射撃状態)
全幅: 2.56m(牽引状態)
全高: 2.56m(牽引状態)
砲員数: 8名


作動機構
砲尾: 垂直鎖栓式閉鎖機
反動: 液気圧式駐退機
2段式マズルブレーキ
砲架: 開脚式
1,800cc水平対向ガソリンエンジン装備
最大自走速度:20km/h


性能
俯仰角: -100ミル - 1,250ミル(-5.6°〜+70°)
旋回角: 左右に500ミルずつ(56°)
砲口初速: 827m/秒
最大射程: 24km(通常弾), 30km(RAP弾)
発射速度: 3発/15秒(最大)
3〜6発/分(持続射撃)


砲弾・装薬
弾薬: 砲弾・薬嚢分離装填式(NATO標準規格)
砲弾: L15榴弾, M107榴弾(英語版)など
製作:日本製作所

 

 

 

大安寺駅 /吉備線

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大安寺駅は、岡山県岡山市北区大安寺中町にあります。駅周囲は閑静な住宅地が広がっている場所です。南方ほぼ1キロの地点に山陽本線北長瀬駅があります。

西日本旅客鉄道(JR西日本)吉備線の駅で大正3年開業の吉備線のなかでは一番新しい駅です。当初、中国鉄道の株主だった畳表問屋の豪商間野氏により輸送の便宜を図るため自宅前に143mの長いプラットホームを持った貨物駅として開業しました。

島式ホーム1面2線を有し行違いが可能な地上駅。互いのホームは構内踏切で連絡している。
岡山駅管理の無人駅。

ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象であるPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)も利用可能。ホームから構内踏切を渡った先に待合スペース程度の駅舎があり、そこに簡易型の自動改札機と、ICOCAホルダー完備の自動券売機が置かれています。待合室程度の駅舎内にはわずかながらベンチがあります。駅舎側面に小さな駅名表示があります。また男女共用の水洗式便所が駅舎を出たところに設置されている。駅入口付近には自転車が整然と停められています。


ホームは幅が狭く、中央には申し訳程度小さな上屋が設置される他、何もありません。


大安寺駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
入口側 ■吉備線 上り 岡山方面
反対側 ■吉備線 下り 備中高松・総社方面

1914年(大正3年)2月25日 - 中国鉄道の株主でもあった畳表問屋の豪商間野氏によって仮停留場として開業。
1915年(大正4年)7月1日 - 停留場に格上げ。
1925年(大正14年) - 畳表輸送用に長いプラットホームを設置。
1928年(昭和3年)11月23日 - 正式な駅に格上げ。


1944年(昭和19年)6月1日 - 中国鉄道の鉄道部門が国有化され、国鉄吉備線の駅となる。
1971年(昭和46年)11月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)7月26日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機を設置(同年9月1日、ICOCA導入)。

電報略号 タア
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 256人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1914年(大正3年)2月25日*
備考 無人駅(自動券売機 有)
* 仮停留場として。停留場時代を経て1928年(昭和3年)11月23日に正式な駅へ格上げ。

 

島原外港駅 /島原鉄道島原鉄道線

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島原外港駅は、長崎県島原市下川尻町にある、島原鉄道島原鉄道線の駅。同線の終着駅です。
当初2008年(平成20年)の廃止予定区間の中に含まれていましたが、島原市の要望によって島原外港駅までが存続となりました。

相対式ホーム2面2線を有するが、1997年(平成9年)に交換設備が廃され、実態は1面1線の単式ホームを有する地上駅です。かつて存在した駅舎は南東側(海側)のホームの諫早方に置かれ、出札窓口を有しており、2008年3月31日までは駅員が配置されていました。

ホーム・線路は旧駅舎側のみ使用されていて、反対側のホームへ渡る構内踏切には立ち入りができないが、ホーム上には待合所が置かれたままとなっています。自動券売機の設置はありません。待合所にはプラスチック製の長いすと公衆電話、ドリンクの自販機があります。


2008年(平成20年)5月現在、列車停止標識が駅構内の終端部(かつての加津佐方)に設置されています。旧加津佐方面はカーブしており見えにくいが、車止めが設置されています。
列車の夜間停泊はなく、列車はそのまま折り返す。発着列車は毎時1本程度。

島原市内には大きく分けて、北から島原新港、霊南漁港、島原外港などがある。昭和54年、貨物船発着用の新港が完成、外港は客船中心となった。一日平均1800人(平成5年)の旅客が下り立つ、文字通り本県の東の玄関口です。外港のすぐ北側に、現在は漁船の係留地となっている「内港」があります。200年前の眉山崩壊後、島原ではこの内港が中心的役割を果たし、外港の辺りはまだ、山あり、住宅ありの変哲もない海岸線でした。戦後、定期貨物船や観光客の増加に伴って内港が手狭になったため、昭和31年から外港の整備をスタート。同34年、現在のターミナルビルが完成し、中心港は外港へと移っていきました。

1960年(昭和35年)11月11日 - 開業。
1973年(昭和48年)2月1日 - 業務委託化。
1997年(平成9年)4月1日 - 交換設備撤去。
2008年(平成20年)4月1日 - 島原外港 - 加津佐間の廃止で、この駅が島原鉄道線の終着駅となる。同時に駅無人化。
2010年(平成22年)11月2日 - 運転士の煙草の不始末により駅舎が全焼する(後に当該運転士は失火の疑いで書類送検された)。

キロ程 43.2km(諫早起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 235人/日
-2005年度-(島原鉄道線内44駅中第14位)
開業年月日 1960年(昭和35年)11月11日

JR西日本225系電車 紀州路快速

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JR西日本225系電車 紀州路快速

西日本旅客鉄道(JR西日本)の直流近郊形電車で1994年から2008年まで製造された223系の次世代車両にあたる車両で、2009年9月16日の定例社長会見において新造が発表されました。初回製造分は、約300億円をかけて東海道本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)・山陽本線(JR神戸線)・湖西線・北陸本線・赤穂線の新快速・快速などで運用される0番台が110両と、阪和線・関西空港線の関空快速・紀州路快速などで運用される5000番台116両の、合計226両を製造する。新快速用の車両としては6代目、関空快速・紀州路快速用の車両としては2代目の形式となります。2009年10月23日に神戸駅と大阪駅で、24日に天王寺駅と京都駅でそれぞれ車両展示会が開催されました。日本産業デザイン振興会の2011年度グッドデザイン賞を受賞しています。

JR西日本が所有する従来車両に比べて、さらに安全性向上を図るとともに、車内設備や旅客サービスを改善しています。ステンレス鋼 (SUS301, SUS304) を使用した連続溶接構造である。ただし、運転台部分は鋼製である。全電動車編成とすることによって、車両構体の共通化によるコスト削減が図られています。
2005年4月25日に発生したJR福知山線脱線事故を受け、列車が衝突した際、運転席周りに比べて相対的に強度を低くした先頭上部が先につぶれることで力を上方へ逃がし、乗客への衝撃と客室の変形を抑える構造(クラッシャブルゾーン)をJR西日本の車両で初めて採用しています。この衝撃吸収の仕組みはJR西日本が独自に開発したもので、「ともえ投げ方式」と呼ばれます。これらを採用したことによって、前面形状が223系までと異なっている。このほかにも、床・側板・屋根の接合を強固にし、前面方向以外からの衝突に対しても変形を少なくする設計となっています。

また、223系2000・2500・5500番台同様、コストダウンの一環としてメーカーごとの工法の差がある程度許容されており、製造メーカーによって妻面のビードの有無(川崎重工業製はあるが、近畿車輛製はない)など、細部が異なります。車体前面はガラス周辺部を黒い塗色とし、前照灯およびフォグランプにはHIDが使用されている。車体塗色は223系と同様で、0番台は車体側面と正面に白・茶・青・薄茶の帯を、窓部分に茶色の幅広帯を配しており、5000番台は車体側面に白と青のグラデーションの帯とペールブルーの幅広帯を配しています。本線用0番台とは異なり、223系0・2500番台に準じて帯は正面まで回りこんでいません。側窓は、223系と比較すると最終増備車の2000番台7次車では座席の列数に合わせて5枚あったのに対し、225系では3枚に減らされ、中央部は大型のガラスが採用されています。207系と同じ調律のミュージックホーンが引き続き採用されている。他系列車と同様にペダルを軽く踏むとミュージックホーンだけが、強く踏むと通常の空気笛が同時に鳴る仕組みです。

基本構造は223系と同じシートピッチ910mmの転換クロスシートが扉間に5列(扉横は固定式)、車端部(運転台およびトイレ設置部を除く)に向かい合わせ式の固定クロスシートが設置されている。座席配列についても223系と同様で、0番台には補助席を設けているが、5000番台は空港輸送を考慮して1人+2人席とし補助席は設置されていない。座席のモケットは、0番台が暖色系、5000番台が寒色系のシートを使用しています。
つり革や手すりは大型化され、緊急時につかまりやすく考慮されており、オレンジ色に変更されている。225系ではつり革の数を増やし、1両につき223系の80個からおよそ1.5倍となる124個を設置しています。また、手すりの端部を曲線化することにより、乗客が手すりに衝突した時でも衝撃力が集中しないように配慮されています。
優先座席付近については、つり革を緑色化することによりそのエリアを明確化させている。また、バリアフリー新法の施行により、トイレの形状の変更が行われ、223系では編成に1箇所であった車椅子スペースを2箇所に増設している。客用ドアの室内側には黄色のラインを追加し、ドア開閉ランプを設置している。また、JR西日本の車両では初めてとなるドアエンジンの戸締め力弱め機能が追加されています。トイレの汚物処理方式は、223系1000・2000番台では浄化式(カセット式)、223系0・2500番台は循環式であったが、225系では0・5000番台とも真空吸引式に変更されている。運転室背面の仕切り構造はワンマン運転対応の125系3次車・223系5500番台・521系・キハ122・127系などと共通です。案内装置については、自動放送装置と、321系で採用実績のある車内旅客案内装置「WESTビジョン」を導入し、19インチの液晶ディスプレイを、乗降扉間に1台4面を、車内両端に1台2面を、それぞれ2箇所ずつ設置している。この装置では日本語と英語の表示に対応しているほか、225系では途中で増解結を伴う運用にも投入されるため、それに関する案内にも対応しています。

備前三門駅 /吉備線

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備前三門駅の駅前には新見・米子方面へ向かう国道180号線が走り、賑やかな立地である岡山県岡山市北区下伊福上町です。西日本旅客鉄道(JR西日本)吉備線の駅です。駅の周囲に学校や公共施設等が多いため、狭いホームは朝夕は利用が多く、狭いホームは人で溢れています。岡山駅との間は一部区間高架線になっています。

総社方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。棒線駅のため、総社方面行きと岡山方面行きの双方が同一ホームに発着する。

ホーム有効長が4両分しかないため、朝ラッシュ時に4両を越える列車が到着した際にはドアカットが実施される。その際には一部の車両が駅横にある踏切上で停車してしまい、列車が発車するまで遮断機が下りたままになっている。ホームは嵩上げした跡がありありと窺えます。


岡山駅管理の無人駅であり駅舎はなく、ほんのおしるし程度の待合所(コンクリートブロック造り)が設置され直接ホームに入る形になっています。駅舎の背に小さな駅名表示があり右手側にはスロープがあります。待合室は扉のないオープン構造。ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象であるPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)も利用可能。入口の上屋下には簡易型の自動改札機と、自動券売機(ICOCA用のカードホルダーあり)が設置されています。かつては駅前の雑貨屋さんで乗車券を発売していました。ホーム待合所には3人分だけしか椅子が設置されていません。駐輪場は設置されていませんが、ホームに沿った砂利道に、整然と自転車が停められています。

周辺高校の生徒などの利用マナーの悪化(定期券、乗車券の無所持・改札機を通らず駅横の踏切から侵入等)が増加した結果、2007年頃から朝夕の登下校時間帯には岡山駅などからJRの職員が監視に来ています。

1904年(明治37年)11月15日 - 中国鉄道吉備線開業と同時に、三門駅として開業。
1944年(昭和19年)6月1日 - 中国鉄道の鉄道部門が国有化され、国有鉄道吉備線の駅となる。備前三門駅に改称。
1971年(昭和46年)11月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)7月23日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機設置(同年9月1日よりICOCA導入)。

電報略号 ミカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 994人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1904年(明治37年)11月15日
備考 無人駅(自動券売機 有)
* 1944年に三門駅から改称。

 

 

 

8月18日(日)のつぶやき

古津賀駅 土佐くろしお鉄道中村線

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古津賀駅(こつかえき)は、高知県四万十市古津賀にある土佐くろしお鉄道中村線の駅です。

最近では付近の国道沿いに郊外型店舗が増加し賑わってきているに対し旧中村市街が寂れてきている様子。駅番号はTK39。特急は「南風28号」のみ停車。

単式ホーム1面1線の棒線地上駅。無人駅で駅舎は無く、ホームに待合室のみ設置されている。待合室にはFRP製の椅子が設置されています。駅前には駐輪場が整備されています。ホームへは歩道橋のような造りの階段で連絡します。ホームは緩やかにカーブしています。駅周辺に高い建物がない為、ホームからの見晴らしがとても良くなっています。

1988年(昭和63年)4月1日:土佐くろしお鉄道転換と同時に開業。
2010年(平成22年)3月13日:通学の利便性向上のため、夕方に上り1本のみ特急列車の停車を設定。

ホーム 単式 1面1線
開業年月日 1988年(昭和63年)4月1日
備考 無人駅


陸上自衛隊 野外手術システム

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野外手術システム
後方支援連隊衛生隊に装備し、師団収容所において初期外科手術及び応急治療に使用し、戦闘傷者の救命率の向上を図ります。手術に必要な4機能をシェルター化し、大型トラックに搭載して機動性容易な動く手術(治療)室です。

手術車は、手術所要面積を確保するため約2倍に拡幅でき、術者の術前準備等のための手術準備車と連結して使用する。システムには手術及び応急治療に必要な医療器材が搭載されています。

システムに必要な電源・水は、15KVA発動発電機2台、1t水タンクトレーラ1台を手術車を除く各車でけん引しています。1988年から導入が開始されたもので、後方支援隊(連隊)衛生隊に装備し、師団収容所において初期外科手術および応急治療に使用し、戦闘傷者の救命率の向上をはかる。

手術に必要な4機能をシェルター化し、大型トラックに搭載した機動性豊かな動く手術室である。手術車は、手術所用面積を確保するためにシェルターを約2倍に拡幅でき、術者の術前準備等のための手術準備車と連結して使用します。

衛生科の装備は災害派遣などでもおおいに役に立つものだが、これほどに整った移動手術システムである本装備は、その最たるものと言えるでしょう。2005年には海上自衛隊の輸送艦「しもきた」の甲板上に本手術システムを展開し、病院船として活用する試験が実施されました。

システムの構成
手術に必要な機能を4分割し、手術車、手術準備車、減菌車、衛生補給車として手術システムを構成。
重量
手術車、手術準備車、減菌車、衛生補給車各車3.5t
手術能力
開胸、開腹、開頭術など救命のための初期外科手術ができ、1日10〜15人の手術が可能。
手術等要員
手術要員は、手術者(執刀医)、同助手、麻酔係、機器係の計4人。手術準備要員は、X線係、臨検係、準備係計3人を基準とする。
製作
日本トレクス等|東芝メディカル

JR西日本287特急「くろしお」

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JR西日本287特急「くろしお」

287系電車は、川崎重工業・近畿車輛が車両の製造している西日本旅客鉄道(JR西日本)の直流特急形車両です。南紀方面の特急「くろしお」用として、6両編成6本(36両)と、3両編成5本(15両)の計51両も製造し運転開始。2012年3月17日のダイヤ改正より、12両(6両編成2本)が「くろしお」の4往復で営業運転を開始し、同年6月1日に9両(6両編成1本、3両編成2本)が追加投入されました。2012年6月1日現在、京都駅 - 白浜駅間で運用されています。

2009年6月1日から特急「サンダーバード」で営業運転を開始した683系4000番台の設計概念が踏襲されており、全電動車編成とすることによって、車両構体の共通化によるコスト削減が図られています。具体的には、パンタグラフ搭載スペースは全車種に2か所ずつ設けられたほか、どの車種にも車両制御装置・空気圧縮機・蓄電池を搭載できる。
アルミダブルスキン構造を採用し、オフセット衝突対策や衝撃吸収構造によって構造が強化されています。これは、2010年5月に落成した近郊形電車である225系電車に続き2例目です。車体配色も683系に準じているが、客室側窓下部のラインカラー帯については北近畿方面用の車両は、「北近畿」で馴染みがあり沿線の緑豊かな地域に映えるダークレッドを採用し、「くろしお」用の車両は283系電車で既に採用されているオーシャングリーンを採用しています。681系と同じ旋律のミュージックホーンが引き続き採用されています。

客室内にLED式の車内案内表示装置が設置され、グリーン車の全席と普通車の車端部座席にモバイル機器などの使用に対応したコンセントが設置されています。
3両に2両の割合で便所(小便器1か所と洋式大便器1か所)が設置。そのうち、編成中に1か所、女性専用トイレが設けられています。さらに、バリアフリー設備として多目的室や車いすスペースを編成中に1か所設置されています。
座席は683系4000番台に準じた回転リクライニングシートを採用し、グリーン車は茶色表地の1+2列配置で1,160mmピッチ、普通車は青色表地の2+2列配置で970mmピッチで展開しています。

「くろしお」で運用される車両は3両編成と6両編成です。

125系や321系、225系で採用された、0.5Mシステムと呼ばれる、運転に必要な機器類を1両にまとめて搭載する考え方を基本とし、すべての車両が電動車である。そのため、全車両に車両制御装置を搭載するが、集電装置・空気圧縮機の有無によって287形と286形の区別を行っています。車両制御装置 (WPC15A-G2) は東洋電機製造と東芝が製造を担当した。主回路部はIGBT素子による2レベル電圧形PWMインバータ1基で2基の電動機を制御する、いわゆる1C2M構成のVVVFインバータを搭載し、速度センスレスベクトル制御および純電気ブレーキに対応している。これに対し補助電源部は三相交流440V、75kVAの容量を有しています。主回路部と同じくIGBTを用いた2レベル電圧形PWMインバータをCVCF制御し、他車の補助電源部と並列運転を行うことで故障時の編成全体での冗長性を確保する設計です。集電装置はシングルアーム型パンタグラフ (WPS28C) が採用され、287形に搭載されています。バネ上昇、空気下降式で電磁カギ外し装置および上昇検知装置を備える。北近畿方面の特急列車用として落成した3両編成の一部と4両編成では、各車あたり2基搭載されるが、それ以外の編成では各車あたり1基搭載されています。なお、中間車両(モハ287形)では、集電装置の関節を車端側に向けているが、先頭車両(クモハ287形)の場合は、城崎温泉側に向けています。
主電動機は、センサレスベクトル制御を採用した1時間定格出力270kWのかご形三相誘導電動機 (WMT106A-G1) が1両当たり2基搭載。電動空気圧縮機は、285系、223系2000番台などの実績である除湿装置一体型の低騒音形スクリュー式 WMH3098-WRC1600 を採用し、モハ287形・クモハ287形に1基搭載されています。車両情報システムとして、321系・225系と同様のデジタル転送装置を採用した。伝達速度の高速化・高容量化を図っています。空調機器は、集中式の WAU704E が1両あたり1基屋根上に搭載される。冷凍能力は39,000kcal/hであり、フロン規制対応冷媒 (R407C) を使用しています。

東郡家駅 /因美線

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東郡家駅(ひがしこおげえき)は、国道53号線と並走した小さな峠、鳥取県八頭郡八頭町堀越字堀越にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)因美線の駅です。戦後に設置された線内では新参駅の一つで、朝夕は通勤通学客で賑わいます。

智頭方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。ホーム上の待合室の背に駅名表示があります。棒線駅のため郡家方面行きと鳥取方面行きが同一ホームを共用します。鳥取鉄道部管理の無人駅で駅舎はなく、ホーム上に待合所が置かれていて、かつては待合所内部に自動券売機が設置されていたが、現在は撤去されています。国道に面したホームは幅も狭く、延伸された跡が見られます。

1956年(昭和31年)11月1日 - 日本国有鉄道因美線の津ノ井 - 郡家間に新設開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。

年月日不明:自動券売機撤去。

電報略号 ヒケ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1956年(昭和31年)11月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

久手駅 山陰本線

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久手駅は、大正4(1915)年7月開業。島根県大田市久手町波根西にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅です。

駅前には商店や民家が建ち並んでいます。駅前はかなり広いスペースがあります。

夏の久手港では打ち上げ数約4,000発、おおよそ4万人を動員する久手港花火大会が行われます。近くには1982年の国民体育大会(くにびき国体)のトラックレース会場となった大田自転車競技場があります。

大田市方面に向かって右側に単式1面1線のホームをもつ木造駅舎の地上駅です。


浜田鉄道部管理の無人駅であり、駅舎内に乗車駅証明書発行機が設置されています。


駅舎は木造で線路から見て海側の大田市寄りに位置している。

待合室には木製の長椅子が設置されています。


かつては1面2線の島式ホームだったが、2001年の山陰線高速化に伴い駅舎側の線路が撤去され、停留所構造となります。

ホームには瓦屋根の木造待合室。

1915年(大正4年)7月11日 - 国鉄山陰本線の小田駅 - 石見大田駅(現・大田市駅)間延伸時に開業。客貨取扱を開始。
1982年(昭和57年)11月7日 - 貨物取扱を廃止。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1990年(平成2年)3月10日:無人駅になる。

電報略号 クテ
駅構造 地上駅


ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 62人/日(降車客含まず)
-2009年-

開業年月日 1915年(大正4年)7月11日
備考 無人駅(乗車駅証明書発行機 有)



 

 

78式 戦車回収車

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74式戦車の導入に伴って開発された車両で、戦後の国産戦車回収車としては70式戦車回収車に次いで2車種目にあたる。74式戦車の車体を流用して、ブームクレーンや各種の回収/整備機材を搭載したもので、1978年に制式採用され、約50両が生産された。

74式戦車を装備する戦車部隊のある師団/旅団の後方支援部隊整備隊の戦車直接支援隊の他に、戦車教導隊、武器学校等に配備されている。90式戦車は重量が50tと74式戦車より重くなったため、これを支援するには78式戦車回収車では能力不足となる。そのため、90式戦車を装備する部隊には90式戦車を元に開発された90式戦車回収車が配備されている。

74式戦車から砲および砲塔を取り除いた車体部に回収装置を取り付けた車輌で、戦車や装甲車等の野外回収作業および整備に使用する。車体右側についている吊上げ能力20tの巨大なクレーンで、戦車のエンジン交換を行なう事ができるほか、38tの牽引能力を持つウインチも備えている。以前は戦車部隊に直接配備されていたが、最近では後方支援連隊の戦車直接支援中隊に移管しているようだ。74式戦車の女房役としてなくてはならない存在である。

車体前部右側にブームクレーン、車体前面にはウィンチを装備し、車体前部左側は戦闘室となっている。自衛用に戦闘室天面には12.7mm重機関銃M2 1丁を搭載し、車体前面左右には3連装煙幕弾発射器をそれぞれ装備している。車体前面下部にはドーザープレートを装備するが、これは主に作業時の駐鋤(ちゅうじょ、スペード)として車体を安定させるために用いられる。クレーンは20トン、ウィンチは38トンの吊り下げ/牽引能力を持つ。車体後部上面のエンジンデッキ上には、予備、もしくは故障/損傷車両から取り外したエンジンや変速装置等を搭載して運搬することが可能である。
74式戦車と同じく油気圧式懸架装置を備えており、作業の際には車高を下げることによって重心位置を下げ、安定した作業を行うことができる。変速装置は6速セミオートマチックであるがクラッチがあり、クラッチは一速と後退へ変速する際に使用する。


2009年の陸上自衛隊「協同転地演習」では、本来鉄道輸送を前提としていない78式戦車回収車が、その履帯を取り外した状態で、JR貨物の機材輸送列車にて、試験的に鉄道輸送された(往路のみ)。2011年東北地方太平洋沖地震による福島第一原子力発電所事故の対応作業上、障害となるがれきの除去のため派遣された74式戦車2両へ、駒門駐屯地より1両が付随した。

乗員数 4 名
速度 約53km/h
全長 7.95m
全幅 3.18m(スペードを取り外した状態)
全高 2.40m
全備重量 約38.9t
牽引力 38t
つり上げ力 約20t
最高速度 53km/h
武装 12.7mm重機関銃M2×1
エンジン 三菱10ZF22WT
空冷2ストロークV型10気筒
ターボチャージド・ディーゼル
720hp / 2,200rpm
製作 三菱重工

 

吉備津駅 /吉備線

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吉備津駅は、備中国一の宮の吉備津神社最寄駅で、備前一宮駅最寄の吉備津彦神社と併せて周遊する観光客の姿も見られ車窓からは吉備津神社の大鳥居を望むことができます。

岡山県岡山市北区吉備津にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)吉備線の駅です。駅前通りは旧山陽道にでした。

相対式ホーム2面2線を有し列車同士の行き違いが可能な地上駅。上屋を組み合わせただけの、非常に簡素な駅舎です。互いのホームは構内踏切で連絡しています。
岡山駅管理の無人駅(但し、年末年始は臨時に駅員配置)。ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象であるPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)も利用可能。総社方面行きホーム側に簡易型の駅舎があり、簡易自動改札機や自動券売機が置かれています。待合所には長椅子が設置されていて待合所自体も広いスペースがあります。

吉備津駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
駅舎側 ■吉備線 下り 備中高松・総社方面
反対側 ■吉備線 上り 岡山方面
プラットホームは6両分ほどあります。

1904年(明治37年)11月15日 - 中国鉄道吉備線開業と同時に設置。
1944年(昭和19年)6月1日 - 中国鉄道の鉄道部門が国有化され、国有鉄道吉備線の駅となる。
1971年(昭和46年)11月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)7月15日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機設置(同年9月1日、ICOCA導入)。

電報略号 キヒ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 579人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1904年(明治37年)11月15日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 

備中高松駅 /吉備線

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備中高松駅の駅名の由来は地元にある城名です。備中高松と言えば豊臣秀吉の備中高松城水攻めが思い浮かぶ方も多いかと思います。香川県の高松駅とは一切無関係です。区別をつけるために「備中高松」としています(もっとも、岡山駅では高松行き列車を「四国高松行き」と案内することがある)。


日本三大稲荷に挙げられる最上稲荷の最寄駅で、最上稲荷への初詣参拝客の輸送対策として、12月31日、1月1日は備中高松駅止まりの地方ローカル線にしては珍しく「終夜臨時列車」が運行されています。なお中国鉄道時代の1911年(明治44年)から1944年(昭和19年)まで、ここから最上稲荷門前の稲荷山駅へ至る稲荷山線(2.4km)が分岐していました。
備中高松駅で岡山方面に折り返す列車も設定されています。岡山県岡山市北区高松にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)吉備線の駅です。

相対式ホーム2面2線を有し、列車交換が可能な地上駅。コンクリート一階建ての駅舎が置かれる。互いのホームは古い跨線橋で連絡しています。なお、この駅は駅舎側が2番のりば、反対側が1番のりばとなっている。1番のりば側には初詣客対応のための臨時出入口が設置されています。


岡山駅が管理し、ジェイアール西日本岡山メンテックが駅業務を受託する業務委託駅です。みどりの窓口は、2007年(平成19年)2月15日から営業開始。ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象であるPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)も利用可能。

2007年(平成19年)7月に自動改札機が設置されたが、簡易型であるため、降車客の乗車券は駅係員が集札する(窓口営業時間外は改札機出場側の集札箱に乗車券を投入する)。自動券売機設置駅。男女共用の簡易水洗式便所(但し、小便器は非水洗式)を備える。

待合室には椅子が少数設置されています。


備中高松駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■吉備線 上り 岡山方面 ただし当駅始発は2番のりば
2 ■吉備線 下り 総社方面
高松最上稲荷への参道にあるかつて大きさ日本一だった大鳥居へは徒歩約5分。駅のホームからも見ることができます。

1904年(明治37年)11月15日 - 中国鉄道吉備線開業と同時に稲荷駅として設置。
1911年(明治44年)5月1日 - 中国鉄道稲荷山線が開業し、接続駅となる。
1931年(昭和6年)2月9日 - 備中高松駅に改称。
1944年(昭和19年)
1月10日 - 中国鉄道稲荷山線休止。
6月1日 - 中国鉄道の鉄道部門が国有化され、国有鉄道吉備線の駅となる。同時に稲荷山線が正式に廃止される。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)
2月15日 - みどりの窓口営業開始。
7月12日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機設置(同年9月1日、ICOCA導入)。

電報略号 カマ←ヒカマ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,245人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1904年(明治37年)11月15日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

 

 

 


93式 近距離地対空誘導弾

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対空ミサイル防衛網を突破して地上部隊直上に接近した低空域の敵航空機を撃墜するための地対空ミサイルで、高射機関砲L-90の後継として高射特科部隊に配備が進んでいる近距離防空ミサイル・システム。外見は米軍のアベンジャーとよく似たシステム構成だが12.7mm機関銃は装備されておらず、発射機内にて操作員が直接操作する方式ではない。1990年(平成2年)に試作車が完成し、1992年(平成4年)に実用試験を開始。1993年(平成5年)に「93式近距離地対空誘導弾」として制式採用され、翌1994年(平成6年)に部隊配備が開始された。システムの生産は東芝が担当している。

高機動車の車体に91式携帯地対空誘導弾と同じミサイルを使用する4発×2基の発射機と射撃統制装置を搭載している。荷台の部分に旋回式の発射機を設置しているため、ミサイル発射時のブラストから乗員を護る目的で、乗員室の上面と背面を金属板のカバーで覆っている。
陸上自衛隊で同じく使用されている、トヨタ自動車が開発した高機動車の車体をベースに、通信アンテナの前部バンパーへの移動、操縦席幌のFRP化などの改造を施した上で、車体後部の荷台に91式携帯地対空誘導弾(SAM-2)の8連装発射装置を搭載している。ミサイルは赤外線誘導方式+画像誘導方式なので赤外線妨害手段を有する目標に対しても優位に攻撃できる。発射機の間にはTVカメラや赤外線センサー、レーザー受光部を収めたボックス、IFFアンテナなどが配置されている。

普段助手席側のダッシュボードにセットされている射撃操作器は、取り外して車外での使用も可能であり、発射機から離れる事で射手の安全性をはかる事ができる。射撃操作器にはコントロール用のジョイスティックとモニタが付いており、ゲームの世界のような印象を受ける。直上の低高度目標への対空戦闘を任務とするため固有のレーダーは持たない。そのため戦闘情報は上部指揮所から入手するほか、鉄帽に装着するタイプの目視誘導装置を使用して目標の捜索や射撃諸元の測定を行なう。射撃コンソールは、車外に設置することも可能で、車外から遠隔操作をすることによって発射機への攻撃に対して操作員の生存性を向上させることができる。


車内には3人が乗り込む事ができるが、運転席と助手席に挟まれた中央の席の人(一般には指揮官)は足を伸ばすスペースがなく、常に体育座りのような姿勢を保つ必要があるとか。「長時間だとキツいです」とは隊員の弁。公募によって「クローズドアロー」というニックネームがついているが、たぶんそんな名前で呼んでいる隊員はおらず、「近SAM(きんサム)」が通称となっている。

愛称 クローズドアロー
全長 約1,430mm
直径 約80mm
重量 約11.5kg
誘導方式 画像+赤外線誘導方式
製作 東芝

 

足守駅 /吉備線

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足守駅(あしもりえき)の周辺は小さな集落を形成するのみで閑散としています。所在地は岡山県岡山市北区福崎にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)吉備線の駅です。吉備線の線路は駅の東側で南へ流れる足守川を渡る。

駅の対岸では国道429号が足守川に沿って南北に走っています。足守駅は本来の足守にはなく北区役所高松地域センター管内(旧吉備郡高松町)にあり、足守の町へは駅から足守川をさかのぼる形で北へ約4km進むと至る。
吉備線の前身である中国鉄道は足守地区までの免許も保有していたが、実現されることなく失効しています。

総社方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。ホームは線路の北側に置かれており、駅の出入口はホームの備中高松方に置かれた待合所に設けられています。ホームは嵩上げ痕が大きく段差として残り、実質的にはあまり幅がありません。足守川の土手の続きのような区間に駅が設けられているため、集落よりもやや高い位置に駅があります。


待合所の椅子だけでは少ないのか入口上屋下にも椅子が設置されています。
新見駅管理の無人駅。ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象であるPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)も利用可能。待合所の内部には簡易型の自動改札機と自動券売機が設置されています。駅左には特改係員の詰所があります。駅前には送迎者の駐車場程度くらいのスペースがあります。

1904年(明治37年)11月15日 - 中国鉄道吉備線開業と同時に設置。足守駅の名称は、足守に居を構える中国鉄道社長藤田連蔵の命による。
1944年(昭和19年)6月1日 - 中国鉄道の鉄道部門が国有化され、国有鉄道吉備線の駅となる。
1971年(昭和46年)11月1日 - 無人駅化(簡易委託駅化)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)7月24日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機を設置(同年9月1日、ICOCA導入)。

キロ程 13.4km(岡山起点)
電報略号 アモ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 586人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1904年(明治37年)11月15日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 

服部駅 /吉備線

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服部駅は、田が広がる中に住宅などが立地する。岡山県立大学が駅の東に位置し、その最寄り駅となります。また駅の北側を岡山自動車道が高架で走っており、駅前から望むことができます。

駅前には簡単な自転車置き場が整備されています。岡山県総社市北溝手にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)吉備線の駅です。

総社方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を有する地上駅(停留所)。線路の北側にホームがあり、そのホームに接して鉄骨造の簡易な駅舎が置かれています。また男女別の水洗式便所が改札内ホーム上の東総社方に置かれています。


新見駅管理の無人駅。ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象であるPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)も利用可能。駅舎内にはわずかながらのベンチ、簡易型の自動改札機と自動券売機が設置されています。無人駅なのですがですが、特改用の係員詰所が設置されています。

ホーム待合所は背中合わせに設置された駐輪場と同様の仕様です。中には椅子が設置されています。

1908年(明治41年)4月20日 - 中国鉄道吉備線の足守 - 総社(現・東総社)間に新設開業。
1944年(昭和19年)6月1日 - 中国鉄道の鉄道部門が国有化され、国有鉄道吉備線の駅となる。


1968年(昭和43年)10月1日 - 無人駅化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2007年(平成19年)7月18日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機設置(同年9月1日、ICOCA導入)。

電報略号 ハト
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 736人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1908年(明治41年)4月20日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

東総社駅 /吉備線

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東総社駅は、総社市の中心市街地東に位置し、総社とは若干の差ながら市役所には東総社駅が最寄となっています。また駅前には国道が通っています。国道は通行量が多く、商店や住宅が多い。岡山県総社市総社二丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)吉備線の駅です。

相対式ホーム2面2線を有する行違い可能な地上駅。コンクリート駅舎は総社行きホーム側にあり、互いのホームは屋根無し跨線橋で連絡しています。駅前広場は比較的スペースが確保されています。


新見駅(管理駅)管理・総社駅(地区駅)傘下の無人駅。ICOCA利用可能駅であり、ICOCAの相互利用対象であるPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)も利用可能。ICOCA対応の簡易型自動改札機が一台設けられています。自動券売機も設置。

待合室の側面にも出入口が設置されています。椅子は少ないですが長椅子タイプのものが設置されています。


東総社駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
駅舎側 ■吉備線 下り 総社方面
反対側 ■吉備線 上り 備中高松・岡山方面
構内は大きくカーブしています。

1904年(明治37年)11月15日 - 中国鉄道吉備線開業と同時に、総社駅(初代)として設置。
1925年(大正14年)
2月17日 - 湛井駅までの旧線が廃止され、一時的に吉備線の終着駅となる。
8月7日 - 伯備南線(現在の伯備線)の西総社駅(現在の総社駅)までの新線が開業し、再び途中駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日 - 中国鉄道の鉄道部門が国有化され、国有鉄道吉備線の駅となる。
1959年(昭和34年)10月1日 - 東総社駅に改称。この一ヵ月後の11月1日に、西総社駅が総社駅(2代目)に改称されている。


1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2004年(平成16年)4月1日 - 業務委託駅から無人化。
2007年(平成19年)7月29日 - ICOCA対応の簡易型自動改札機を設置(同年9月1日、ICOCA導入)。

電報略号 ヒソ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 781人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1904年(明治37年)11月15日
備考 無人駅(自動券売機 有)
* 1959年に総社駅から改称。

 

 

宿毛駅 土佐くろしお鉄道宿毛線

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宿毛駅(すくもえき)は、高知県宿毛市駅前町一丁目にある土佐くろしお鉄道宿毛線の駅で、同線の終着駅です(ただし書類上は起点駅)。駅番号はTK47。四国最南端かつ高知県最西端の駅です。

当初、現在の東宿毛駅を宿毛市の中心駅として予定し、愛媛県側への延伸も考慮した中間駅として計画されていました。ところが建設時に宿毛駅は市の中心部から西方に約1km程離れた現在の位置へと変更されました。 人口分布から見ればいささか不便と思われたが、市中心部と臨港部の片島地区の双方に便宜を図ったためともいわれる。


現在の駅舎は当駅より西方の城辺(愛媛県南宇和郡愛南町)・宇和島方面への線路延長を前提としない構造であるため、延長するには頭端部分を撤去しなければならない。
市中心部へは、隣接の東宿毛駅が近いが、当駅開業後周辺がにわかに発展し始め、逆に今までの市中心部が寂れるという現象が生じ始めています。

駅にはバス乗降場があり高知西南交通と宇和島自動車が使用しています。片島岸壁・中村・足摺岬・土佐清水・宇和島方面への路線があります。
高速バスは神戸(三宮)・大阪駅・京都駅方面行「しまんとブルーライナー」、繁忙期期間に限り東京(新宿)行の夜行高速バス「しまんとエクスプレス」号が乗り入れています。

相対式2面2線の高架ホーム(頭端式構造)を持ち、夜間滞泊が設定されています。ただし特急列車は中村駅まで回送されています。レールの終点には車止めが置かれ、その先に位置する2本のホームの連結部に駅舎1階と連絡する階段及びエレベーターが設置。みどりの窓口設置駅です。


のりば
番線 路線 方向 行先
1・2 宿毛線 上り 中村・窪川・高知・高松・岡山方面

当駅の発車メロディはかつてJR東日本府中本町駅で使用されていたものと同じ曲を使用しています(ちなみに同じ土佐くろしお鉄道の阿佐線ではJR四国管轄の後免駅以外でこの曲は接近メロディとして使われている)。

1997年(平成9年)10月1日 - 開業。駅舎は波形の屋根が特徴。
2005年(平成17年)3月2日 - 岡山発の特急「南風17号」が車止めを乗り越えて駅舎の壁に衝突する事故が発生し、宿毛線が全線不通になった。
4月7日 - 東宿毛〜中村間で普通列車のみ営業運転再開。宿毛〜東宿毛間はバスによる代行輸送。
宿毛駅構内の線路が使用可能になり、列車は宿毛〜中村間で運転再開していたが、当駅の改札がまだ使用不能なため、宿毛〜東宿毛間は回送扱いで運転されていた。
6月13日 - 東宿毛〜中村間で特急列車営業運転再開。宿毛〜東宿毛間は回送扱い。
8月22日 - 駅舎復旧工事が本格的に着工。
10月28日 - 駅舎復旧工事完成。駅舎の屋根は平形に。
11月1日 - 営業再開。同時に宿毛線全線で営業運転を再開

電報略号 スク
駅構造 高架駅
ホーム 相対式 2面2線
開業年月日 1997年(平成9年)10月1日
備考 有人駅・みどりの窓口設置

宿毛線(すくもせん)は、高知県宿毛市の宿毛駅から高知県四万十市の中村駅に至る土佐くろしお鉄道が運営する鉄道路線。日本鉄道建設公団建設線(宿毛線)を引き継ぎ、開業した路線である。
改正鉄道敷設法別表第103号「愛媛縣八幡濱ヨリ卯之町、宮野下、宇和島ヲ經テ高知縣中村ニ至ル鐡道及宮野下ヨリ分岐シテ高知縣中村ニ至ル鐡道」のうち、前段の「…宇和島ヲ經テ高知縣中村ニ至ル鐡道」の一部である。その関係で、起点は中村線と接続する中村ではなく、宿毛です。

四国における鉄道建設は遅れていたが、1900年(明治33年)に愛媛県北宇和郡の有志によって四国循環鉄道建設促進運動が起こされ、この際に初めて宿毛が鉄道の経路として挙げられた。この運動の影響もあって、1922年(大正11年)4月の改正鉄道敷設法別表第103号に予定線として掲載されることになった。1945年(昭和20年)には予讃本線(後の予讃線)が、1951年(昭和26年)には土讃本線(後の土讃線)が全通するが、その後の建設をめぐって争いが展開されることになった。私鉄の宇和島鉄道が建設した路線は国鉄が買収して宇和島線(後の予土線)となり、1953年(昭和28年)に江川崎まで完成していた。これをそのまま窪川まで延長して四国循環鉄道を完成させる「窪江線」の構想と、中村・宿毛を経て海岸沿いに宇和島までを結ぶ構想が対立した。しかし最終的には両者とも建設する方針となり、1970年(昭和45年)に中村線(後の土佐くろしお鉄道中村線)が、1974年(昭和49年)に予土線が全通した。
宿毛線は四国循環鉄道の海岸周りの路線の一環として計画されたもので、宇和島 - 中村間が1962年(昭和37年)3月29日に調査線、1964年(昭和39年)6月25日に工事線となった。発足したばかりの日本鉄道建設公団(鉄道公団)に対して、9月28日に運輸大臣が宿毛 - 中村間について基本計画の指示を行った。1972年(昭和47年)に工事実施計画の認可が行われ、着工は1974年(昭和49年)2月1日となった。当初の仮称駅名は宿毛、平田、有岡、東中筋(国見)、中村で、後に請願駅として東宿毛、工業団地、具同の3駅が追加された。
当初、平田駅付近から有岡駅付近までは、実際に建設された路線よりも1 kmほど北側を経由することが予定されていた。国道56号と2回交差し、東中学校と宿毛工業高校の間を通過する計画であった。しかし中筋川の影響で軟弱地盤となっている地帯を通過することから、1978年(昭和53年)に計画変更された。これと同時期に有岡駅は周辺の開発計画に合わせて起点側(宿毛側)へ120 m移動された。しかしこれに関して軽微な変更として工事実施計画の添付書類の変更として運輸省に報告したところ、工事実施計画の変更として認可を得る必要があるとされ、最終的にはこの変更は1987年(昭和62年)の土佐くろしお鉄道による工事実施計画認可によって承認されることになった。この経路変更により約300 m路線長が短縮された。
しかし、日本国有鉄道(国鉄)の経営悪化が進んだことから、1980年(昭和55年)12月27日に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)が施行された。この法律では建設中の地方鉄道新線について、予想輸送密度が4,000 人/日を下回るものについて建設凍結を定めており、これに該当した宿毛線は1981年(昭和56年)10月に工事凍結となった。この時点で宿毛線の工事は用地の46%、路盤の29%まで進捗していた。
国鉄再建法では建設中の地方鉄道新線の第三セクター方式での引き受けが可能であると定めており、1986年(昭和61年)2月8日に地元首長らが宿毛線と阿佐線(ごめん・なはり線)を統一した第三セクターで引き受けることで合意した。同年4月7日に中村線が第三次特定地方交通線に選定され、これの引き受けも行うことで合意されて、5月8日に土佐くろしお鉄道株式会社が発足した。1987年(昭和62年)に宿毛線の鉄道事業免許が交付され、3月12日に工事が再開された。この際の工事施行計画により、宇和島起点54k000mから78k134mまでの工事であったものが、宿毛起点に変更されることになった。
建設再開当初は最高速度100 km/hで計画されていた。しかし高速道路の建設が進展して、高速バスとの競争が見込まれることから、四国旅客鉄道(JR四国)が振り子式の2000系を導入して高速化を図っていたことに合わせて高速化事業を行うことになった。もとより直線主体の線形であったこともあり、緩和曲線の延長や分岐器の改良など小規模なもので済み、計画で2億円、実績で1億8500万円の高速化事業で120 km/h対応とされた。
1997年(平成9年)10月1日に開業を迎えた。

 

 

 

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