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運転指令所(列車乗務員、駅等に業務指示を行う現業機関)

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運転指令所(うんてんしれいじょ)とは、鉄道において列車乗務員(機関士、運転士、車掌)、駅等に業務指示を行う現業機関である。呼称は鉄道事業者や業務内容により異なる。運輸指令所(うんゆしれいじょ)と呼ぶ事業者や、漢字呼称に司令の字を充てる事業者もある。テロ対策等の観点から原則として所在地は明らかにされない。電話番号も電話帳には掲載されないが、踏切や架道橋には連絡先として明記されている。

列車乗務員や駅など現業に対する指揮、指示が業務であるが、事故など異常がなければ列車の運行状況や機器の動作の監視が主な業務となる。一旦ダイヤの乱れが発生すると、運転整理、振替輸送の依頼、設備の復旧作業指示、場合によってはバス代行の手配等多忙な状態となる。


指令所で指令業務を行う職員のことを、指令員という。特に、列車の運行に直接関わる輸送指令(後述)で従事する指令員を輸送指令員または運輸指令員という。輸送指令員は日本の場合乗務員経験者・助役出身者が多い。これは指令員が乗務員経験者であれば路線の線路配線や線形などに精通しており、迅速かつ的確に指令に関する判断ができるという考えからである。

日本国外(スペインなど)では“指令の仕事に乗務員の経験は必ずしも必要ではない”という考えから、乗務員の経験がない指令員も多い(ヨーロッパでは職種別に採用を行い、運転系と営業系、現場系や事務系は採用段階で分かれていることも多い)


指令業務は、内容によりセクションを細分化している事業者が多い。そのセクションの分け方や呼称は事業者により異なる場合があるが、代表的なセクションと業務内容は以下の通り。

輸送指令
駅や管下のCTCセンターなどから情報を得、列車がダイヤ通りに運行されているか常時監視。列車の遅れなど異常事態が発生した際には、臨時速度規制などの措置の指示を行い、平常ダイヤへの早期復旧調整などを行う。列車の運行に直接携わる、指令所の中で最も中心的なセクション。
旅客指令
列車の接続手配や乗客の忘れ物の捜索手配など、乗客からの問い合わせなどに対応。緊急時には車両手配、接続手配、代替輸送(振替輸送)の手配等を行う。また、他社鉄道の運行情報の収集(振替輸送の承認など)も行う。
運用指令
車両や乗務員の運用を監視・把握。ダイヤの乱れ等の緊急時には輸送指令などと検討のうえ、予備の車両や乗務員を手配する。
また車両故障発生時には、列車乗務員への応急処理のアドバイスも行っている。非常通報に運転士が対応できない場合に代わって応答するのがこの部署。
電力指令
変電所の動作監視や、駅などの鉄道関係施設への給電状況を常時監視し、停電など異常発生時には自家発電装置などからの電力確保やこれら設備の保守を行っている電力区などに復旧手配を行う。
信号通信指令
鉄道信号機や列車無線、CTC装置などの信号機器や通信施設の状態を常時監視し、故障発生時などにはこれら設備の保守を行っている信号通信区などに復旧手配を行う。略して『信通指令』(しんつうしれい)と呼ばれることもある。また、JRでは先述の電力指令と合わせて『電気指令』と呼ばれることもある。


施設指令
線路や沿線施設、沿線の気象状態を常時監視し、豪雨・強風・地震など異常発生時には運転見合わせ手配や速度規制の指示、線路設備や沿線設備の保守を行っている保線区などに巡回点検の指示や復旧手配を行う。
貨物指令
主に管内路線に貨物列車が運行されている指令所に設置され、検査貨車等の回送手配や、発送需要による全国的な空コンテナの操配、列車乱れ時の手配等を行っている。ただし日本では、貨物列車の運行主体会社が各旅客鉄道会社の線路を借りて運転する場合(JR貨物などが第二種鉄道事業者扱いとなる場合)には運行管理権が無いため、列車遅れ時でも旅客会社がダイヤを決定している。なお、機関車の運用手配は、貨物会社の機関車であっても各旅客会社が行っている。
日本の場合はJRグループのみに存在する。


京口駅(JR西日本)播但線

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京口駅(きょうぐちえき)は、兵庫県姫路市城東町字北神屋にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)播但線の駅。

現在駅の周辺はびっしりと住宅が建ち並んでいます。

播但線の起点駅である姫路駅が近畿統括本部(神戸支社)の管轄であるため、当駅が福知山支社管内では最も南にある駅である。

駅名の由来
山陽道が、姫路の町を出て京(都)に向かうことから、「京口」と名付けられた。

島式ホーム1面2線を持つ、行き違い設備を備えた高架駅。配線上は一線スルー化されておらずY字分岐となっており、上下線別で発着ホームが異なっている。

元は国鉄末期に高架化された線路下にある平屋のコンクリート造駅舎。地上駅であったが、播但線の高架化に伴い、現在の駅となった。

福崎駅管理の無人駅となっており、改札口などは残っているが、窓口はシャッターで閉鎖されている。直立式の自動券売機が改札前に設置されている。なお播但線が電化された1998年から一時期だけ駅員が配属された時期があったが、再び無人化された。

中2階のコンコースには椅子はなく空間が広がっています。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 J 播但線 上り 姫路方面


2 下り 寺前・和田山方面

ホームは。エレベーターなどのバリアフリー設備はありません。

高架下の駐輪場。無人駅としては利用は多く、駅前も自転車が散乱。


城下町時代の市街地からは東の外れに当たる。現在でも播但線の西側あたりがビル街と住宅地との境界である。

姫路城 - 当駅より徒歩約20分。
姫路市立城東小学校
姫路市立東光中学校
京口団地
京口ゴルフセンター
国道2号
国道312号
国道372号
姫路天満宮
淳心学院中学校・高等学校
姫路商工会議所
独立行政法人国立病院機構姫路医療センター - 当駅より徒歩約15分。
セブン-イレブン姫路京口店

バス路線
駅南西部に神姫バスの京口停留所がある。

大日東口 行・高木南口 行/姫路駅 行
姫路駅 行

兵庫県統計書によると、2015年(平成27年)度の1日平均乗車人員は1,037人である。


1898年(明治31年)2月18日 - 播但鉄道の姫路駅 - 野里駅間に新設開業。旅客と貨物の取り扱いを開始。
1903年(明治36年)6月1日 - 播但鉄道が山陽鉄道に営業譲渡。山陽鉄道の駅となる。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道国有化により、国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。播但線の所属となる。
1911年(明治44年)7月 - 貨物の集散激増につき、周囲の土地を買収し拡張工事に着手。
12月1日 - 駅舎改築。
1961年(昭和36年)10月1日 - 貨物の取扱を廃止。
1972年(昭和47年)2月1日 - 無人化。
1984年(昭和59年)10月1日 - 高架化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2016年(平成28年)3月26日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。

所属路線 J 播但線
キロ程 1.7km(姫路起点)
電報略号 キチ
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 1,037人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1898年(明治31年)2月18日
備考 無人駅(自動券売機 有)
* この間に近畿統括本部と福知山支社の境界あり(当駅から野里寄りは福知山支社管内)

ATLAS(日産自動車)U.S. Department of Defense(For Official Use Only)

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アトラス(ATLAS )は、日産自動車が販売する小型および中型トラックである。

1-1.5t積クラスと2-4t積がラインナップされる。欧州と台湾、シンガポールでは1tクラスの「アトラス10」が「キャブスター」の名で販売されている。

ギリシャ神話に登場する、「地球を双肩に担ぐ大力無双の巨人」、「アトラス」から。


日産・アトラス
F24型
乗車定員 3/6人
ボディタイプ 2/4ドアトラック
エンジン 直4 2L QR20DE
直4 3L ZD30DDTi
駆動方式 FR/4WD
変速機 5AT/6AMT/5MT/6MT
全長 4,455 - 5,990mm
全幅 1,695/1,885mm
全高 1,990 - 2,175mm
ホイールベース 2,270 - 3,355mm
車両重量 1,600 - 2,300kg

3代目 F24型系(2007年-)
アトラスF24
2006年(平成18年)9月20日
キャブスターとして、まず欧州で発表。
新会社「日産ライトトラック」が世界戦略車として開発し、プラットフォームは、新開発のLDTプラットフォームが採用された。
なお、欧州仕様車は日本仕様車よりもバンパーが大型化されており、2.5 Lと3 Lのコモンレールディーゼルエンジンが搭載される。
欧州ではボルボグループのルノートラックへ「マキシティ」という名称でOEM供給されている。また、インドではLCV事業で日産と提携を結んでいるアショック・レイランドが姉妹車を「パートナー」として発表している。
2007年(平成19年)6月14日
F24型として日本で発売開始。
エンジンは新長期規制対応ディーゼルエンジンのZD30DDTi型と、ガソリンエンジンのQR20DE型を搭載。トランスミッションは最大積載量、エンジンの種類により、5速AT、5速MT、6速MT、6速AMT(機械式AT)が設定される。
従来の最大積載量は1.5 tまでであったが、このモデルより1.75 - 2 t積みも追加された。なお、1.75 - 2 t積みは、6MTおよび6AMTとディーゼルエンジンのみが組み合わされ、6MTは1.15 - 1.5 t積みには用意されていない。さらに、1.15-1.5 t車と1.75 - 2.0 t積み車は、カタログや公式ウェブサイトが別々になっている。
2007年(平成19年)7月11日
OEM車のいすゞ・エルフ100がフルモデルチェンジ。
2007年(平成19年)7月20日
OEM車の日産ディーゼル・コンドル 1.0t - 2.0t車がフルモデルチェンジ。
2009年(平成21年)7月30日
2t系シングルキャブ車に平成27年度燃費基準達成車を追加。エンジン出力特性およびトランスミッションのギア比が変更され、燃費が向上された。
2009年(平成21年)11月12日
中国で鄭州日産汽車が「NT400キャブスター」として発売を開始[1]。
2010年(平成22年)3月1日
一部改良。
サイドターンランプの形状を変更し灯火器規制に適応し、加えてキー付グローブボックスの標準装備化やセットオプションの追加を行い、仕様向上。
2010年(平成22年)8月30日
一部改良(9月15日販売開始)。
1.5 t系ディーゼル車でエンジンの燃焼効率を改善したことで、「平成27年度燃費基準」を達成。同時に全車でシートの色味やデザインも変更された。


2011年(平成23年)3月
生産委託先を、UDトラックスからオートワークス京都に変更する。
2011年(平成23年)10月27日
東京トラックショーで電気自動車「e-NT400アトラスコンセプト」を参考出品。
2011年(平成23年)11月24日
1.5 t系ディーゼル車を一部改良。
ディーゼルエンジンの低圧縮比化、コモンレール式超高圧燃料噴射システムの採用、酸化触媒及びDPF容量の拡大化などで排出ガス浄化性能を大幅に向上。これにより、「平成22年基準排出ガスPM30%低減レベル」を達成するとともに、2WD車は「平成27年度燃費基準」も達成した。併せて、一部グレードではタイヤのサイズアップなどの仕様変更を行った。
2012年(平成24年)3月2日
2t系ディーゼル車を一部改良。
エンジンの低圧縮比化、コモンレール式超高圧燃料噴射システムの改良、酸化触媒及びDPF容量の拡大化などで排出ガス性能を大幅に向上したことで「ポスト新長期排出ガス規制(平成22年排出ガス規制)」に適合するとともに、エンジンの燃焼効率の改善とトランスミッションのギア比変更により燃費も向上され、「平成27年度重量車燃費基準」を達成した。
2012年(平成24年)6月22日
一部改良。
全車でシートベルトアンカーの強化要件への対応を行い、木製荷台仕様全車で後部反射板(シール)の追加設定を行った。また、ガソリン車においては「平成27年度燃費基準+5%」達成の対象車種が拡大し、「平成27年度燃費基準+10%」達成の対象車種が新たに設定された。併せて、2 t系には標準尺・1.85 t積みダブルキャブを追加設定した。


2013年(平成25年)1月15日
「キャンターガッツ」として三菱ふそうトラック・バスへOEM供給を開始。2010年(平成22年)4月にダイムラーAGとルノー・日産アライアンスとの戦略的協力関係に基づき、ダイムラーAGのトラック事業における戦略的提携パートナーである三菱ふそうトラック・バスとの間で2012年(平成24年)11月8日に締結された商品相互供給に関する基本契約に基づいて行われるものである。
2013年(平成25年)1月25日
特装車のドライバン、冷蔵・冷凍車を一部改良。
エルグランドやスカイラインクロスオーバーなどで採用されている「アラウンドビューモニター」をトラック用に進化させた「マルチビューモニターシステム」を世界で初めて搭載。
荷台上面4ヶ所に配置されたカメラで車両周囲の様子をとらえ、運転室内上部に設置されたハイマウントモニターにその様子を映し出すことで運転シーンにおける安全確認をサポートする。ドライブモードで運転している時はルームミラーで後方を見ているのと同様の映像「ルームミラービュー」が表示されているが、リバースモードでは駐車時に最適な、車両を上方から見下ろす映像の「トップビュー」に切り替わる。また、建物の軒下との干渉を確認できる車両後部上方の映像「ルーフビュー」や車両後方障害物の確認をサポートする「リアビュー」も設定されているほか、右左折の際のターンシグナルレバー作動時には車両前部から後部までの側面周囲の映像「サイドビュー」が表示され、特に左折時の巻き込み防止に効果的である。
2013年(平成25年)6月6日
一部改良。
1.5 t系のディーゼル2WD車においてポスト新長期排出ガス規制(平成22年排出ガス規制)に対してNOxを10 %低減させたことにより、「低排出ガス車(平成21年排出ガス基準10%低減レベル)」認定を取得した。
2015年(平成27年)4月1日
一部改良。
エンジンの仕様変更やタイヤサイズの変更によりディーゼル車の燃費が向上。これにより、1.5 t系のディーゼル・4WD車が新たに「平成27年度燃費基準」を達成し、「低排出ガス車(平成21年排出ガス基準10%低減レベル)」認定を取得した。

米国政府の情報の中で、FOUOは主に米国国防総省が情報の自由法(FOIA)の2から9までの免除の対象とならない免除された非機密情報(CUI)の取り扱い命令として使用されています。2012年2月24日に公式にCUIとして統合された、厳密に分類されていない情報のための様々なサブカテゴリーの1つです。

米国国防総省
2012年2月24日、インテリジェンスディレクターは、米国防総省が使用している情報のすべてのマーキングを統合した4ボリュームのマニュアルDoD 5200.01を公表しました。「For Official Use Only」情報のマーキング、アクセス、および保護に関するさらに多くの情報があります。

近江鉄道804 (近江鉄道800系電車)

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近江鉄道804は近江鉄道800系電車です。近江鉄道の通勤型電車である。

は西武401系を1990年(平成2年)から1997年(平成9年)にかけて譲り受け、自社彦根工場にて改造の上で登場したもので、近江八幡・貴生川寄りからモハ800形(820形)-モハ1800形(1820形)の順に編成されている。

ワンマン運転対応工事施工(車外バックミラー・料金表・運賃箱設置等)
空気制動の電気指令ブレーキ化
連結面寄り裾角の切り欠き
電気連結器の撤去
モハ800形の連結面寄りのパンタグラフ撤去
主要機器に関しては上述制動装置の改造以外はほぼ西武在籍当時のまま使用されている。車体塗装は西武時代と変わらず黄色一色とされており、本系列全編成の標準塗装となっている[注釈 4]。また現在、従来ステンレス地むき出しで無塗装とされていた客用扉の黄色塗装化およびシートモケットの更新、つり革の交換が順次施工されている。

15編成計30両を数えた元401系譲受車のうち大半が本系列に改造され、2015年(平成27年)3月現在13編成26両が在籍している。

2015年(平成27年)後半から扉の開閉時に鳴動するドアチャイムの新設が行われている。

800系
本系列のうち11編成22両を占める基幹形式である。正面形状が220形類似の額縁タイプの三面折妻形態に、前照灯および標識灯が角型タイプの一体ケース収納型に改造されているが、本形式では非貫通構造とされた点が異なる。また、種車401系の形態上の相違点の存在や、改造が長期にわたっていることから、編成ごとに形態の差異が見られる。
竣工に際しては全編成とも近江鉄道従来車の改造扱いとされ、西武鉄道時代からの車籍は継承されていない

804F
モハ804-モハ1804
1999年(平成11年)登場。種車は元423Fである。本編成は普通屋根・埋め込み型雨樋縦管の中期型車体を持つが、客用扉窓固定支持が金属押さえタイプである他、座席肘掛が網棚一体型である等、後期型との折衷設計となっていることが特徴である。

車番モハ:804-モハ1804 西武時代の旧番:クモハ424-クモハ423 屋根構造:普通 雨樋縦管:埋込 行き先表示器:LED 客用扉窓:金属 座席肘掛:網棚一体型 ドアチャイム:有
運用者 近江鉄道
製造所 西武所沢車両工場[注釈 1]
種車 西武401系
改造所 近江鉄道彦根工場
改造年 1993年 -
改造数 22両
運用開始 1999年

戦闘糧食II型 (自衛隊)

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戦闘糧食II型(せんとうりょうしょくにがた)は、自衛隊で使用されているレーション。通称「パックメシ」。

1990年に自衛隊が採用した新しい戦闘糧食で、従来の戦闘糧食I型が缶詰であるのに対して、II型は全てレトルトパウチ包装である。ゆえにI型に比べて持ち運びと調理が容易になっている。I型では25分であったご飯の湯煎時間が、II型では10分になっている。しかし、レトルトパウチは金属缶に比べて強度の面で劣り、保存期間も短い。そのため今後もI型と併用される。 しかし2016年2月、陸自は1型の新規購入を停止し来年度以降はすべてレトルトパウチ型のレーションに一本化することを決定した。


保存方法と内容物が異なるのみで、基本的には戦闘糧食I型と同様、湯煎して数日間食べられる状態にしてから配給される。運用に関する詳細は戦闘糧食I型を参照。

I型に比べてメニューが増えており、中華丼もあり、おかずは筑前煮、チキンステーキ、肉団子、塩鮭などもある。また、フリーズドライ食品を採用し、スープや味噌汁が付く場合もある。また、ご飯に漬物が添付されることもある。自衛隊カンボジア派遣中に行われたUNTAC参加国の戦闘糧食コンテストで1位を獲得したことがあり、レーションとしては比較的評判が良い。

パックの外装は基本的に戦闘糧食I型と同様オリーブドラブ色で、行動中に草むらに廃棄しても目立たないようになっている。ただし、オリーブドラブ色に黒い文字で内容物が書いてあるため見分けが付きづらい白飯と赤飯を区別するため、ご飯パックのみ端のほうが透明になっている。また、I型と違いII型は、主食が一合ずつ2パックに分かれており、白米2パックや白米とドライカレーという組み合わせで供給されることもある。

指揮官クラスは食器に盛りつけ、一般隊員はそのまま絞り出すように食しており、特に状況中においては僅かな時間で食せるうえゴミもかさばらない事から缶飯と違い行動中の隊員からは人気があった。

加熱時は必要に応じて携帯加熱剤(大型のカイロタイプおよび水を使う発熱剤)などで加熱して食しており、特にカイロタイプは挟んでタオルにくるんでおけば休憩時にそのまますぐに食すことができた。

改良
適時隊員の希望やアンケートを元にして改良されており、特に日本人の食生活が洋食傾向にある傾向を踏まえ、副食がハンバーグやカレーといった隊員に人気の物が納入されていた。パンを希望する隊員からのアンケートを元に大型乾パンを納入した時期もあったが、最終的に不評が出た事もありクラッカータイプに変更になるなど適時その内容も変更している。

2009年度より一般部隊に配分された改良型ではフリーズドライによる汁物が廃止になり、米飯はレトルト米飯パックから民間で一般的なトレー入りの無菌包装米飯に変更されて食べやすさと美味しさが大きく向上している[1]。また、米飯パック2個と副食1種類または2種類を一つの真空包装パックに入れて1セットとしており、プラスチックの先割れスプーンも封入されるなど食事が取りやすい状態の物が導入されている。

従来品と比べ種類も豊富であり、ハヤシハンバーグやウインナーカレーなどの洋食から野菜麻婆などの中華系総菜、かも肉じゃがや秋刀魚蒲焼きなどの和食と従来の1.5倍にメニューが増えている。

従来のフリーズドライ型スープやみそ汁の代わりに、パックに入ったコーンスープ類が導入されており、利便性は向上している。

米飯は一般的なパックご飯と同様の1パック一膳相当分を2つ、副食は食事の嗜好を考慮して通常2種類入っており、ハンバーグと手羽先といった肉類から始まり、野菜や魚を主体としたメニューが組まれている。

一食あたりの摂取カロリーはおよそ1100キロカロリーとなる。

トレーニングレーション
派生型として銀色のパックに入った携行食(和風御飯・ベーコン御飯・ピラフ・ドライカレー・五目御飯・帆立御飯など)もある。これには1個400gの米飯が入っている。こちらは民間で流通しているレトルト食品と同様であるが、防衛省専用に近い形で流通している。

他には、300g入りの米飯(JA製)とカレーや丼の素、あるいはうどんのパックなど市販タイプのレトルト食品を詰め合わせ、プラスチック製のスプーンも封入された廉価な訓練用携行食も多く使用されている。

リーフ(LEAF )電気自動車 日産自動車

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リーフ(LEAF )は、日産自動車が2010年から販売している5ドアハッチバック型の電気自動車である。
リーフは2010年12月より日本およびアメリカ合衆国で販売が開始され、他にも欧州市場、中国市場などに投入されている。

2017年9月6日に、2代目へのフルモデルチェンジを発表した。
型式のZEはZero Emissonの頭文字から取られている。

初代 ZE0型(2010年-)
2009年8月に発表され、2010年12月に発売となった。日本、アメリカ、ヨーロッパをはじめ、グローバル市場に投入されており、2014年1月には世界累計販売台数10万台を[1]、2015年12月には世界累計販売台数20万台達成している。

 

2017年6月23日に、公式発表に先駆けて2代目リーフのティーザーキャンペーンが開始された。

プラットフォームとフロント左右ドアは初代ZE0型のキャリーオーバー。今回のフルモデルチェンジによりバッテリースペース確保を行い、更に大容量バッテリーモデルをラインナップに加える予定で、現行型と同じく2種類のバッテリー容量から選択できる。 上級仕様の新型リーフは具体的には現在のモデルの倍となる60kWh駆動用バッテリーを搭載し、 JC08モード550kmとなる予定。エントリーモデルも容量アップをし48kWh駆動用バッテリーを搭載し、JC08モード400kmとなる。また、アクセルペダルのみの操作で、発進、加速、減速、停止保持が可能な「eペダル」や、国産車初の本格的自動駐車システムでアクセル、ブレーキ、ハンドル・シフト、パーキングブレーキまでを自動制御する「プロパイロット パーキング」を搭載する。

公開前の8月5日、新型リーフの車体の画像が追浜工場よりTwitter上で流出した。すでにアカウントは削除されているが、画像を公開した人物は新型リーフの画像と共に「私は日産系の職場に勤務しているのですが、追浜工場の検査ラインで新型リーフ発見しました!」とツイートし、多く拡散された。自身の生年月日や勤務先等かなり多くの情報を公開してのリークになっているため、アカウント主の今後を心配する声も多く上がっている。

2017年9月6日にフルモデルチェンジを公式発表し、同年10月2日に日本で発売を開始することを発表したが、後に発覚した完成検査員不正問題により納期に遅れが生じている。なお、大容量バッテリーモデルの追加設定や、海外(米国・カナダ・欧州)へのデリバリーは2018年予定とアナウンスされた。

尚、日産のグローバル生産台数が2017年9月19日に1億5000万台を突破したが、その記念すべき1億5000万台目はオフラインされたばかりの当車両であった。

2018年1月9日に初代モデルを含めた全世界で約30万台の販売を発表した際に、米国とカナダは同年1月、欧州へは同年2月初旬にそれぞれデリバリーを開始することと、今後60ヶ国以上で販売する予定であることを明らかにした。

車名の由来
車名の「リーフ(LEAF)」は、英語で「葉」を意味する「leaf」が由来となっており、植物の葉が大気を浄化することから車名に選ばれた。しかし、アメリカやドイツなどでは「LEAF」という名が他社によって既に商標登録されていたため、それらの企業と交渉して商標権利を取得し、世界統一名としている。

製造国:
日本 アメリカ イギリス
販売期間 2017年-
乗車定員 5人
ボディタイプ 5ドアハッチバック
駆動方式 FF
全長 4480mm
全幅 1790mm
全高 1540mm
ホイールベース 2700mm
車両重量 1520kg

荒田八幡停留場(鹿児島市電谷山線)

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荒田八幡停留場(あらたはちまんていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市荒田一丁目にある鹿児島市電谷山線の電停。使用する系統は鹿児島市電1系統のみである。停留所名の由来である荒田八幡宮は、かつての鹿児島総廟とされる平安時代創建の由緒ある神社です。

併用軌道上、2面2線の相対式ホーム。各のりばは電車が通過しない限りいつでも行き来できる。
両のりばに電車接近表示機及びアナウンスがある。
両のりばとも車椅子及び、電動車椅子はホーム幅が規定に足りないため不可。


のりば
1番のりば 停留所標識は電照式です。
1系統 - 郡元、脇田、谷山方面
2番のりば
1系統 - 二中通、天文館、鹿児島駅前方面
停留所入口へは横断歩道が車止めを回り込むようにスロープ入口に繋がっています。
※1番のりば、2番のりばの表記は当記事でのみのりばを分かりやすくするために記したものであり、実際には決められてはいない。

周辺
荒田八幡宮
ふく福 荒田本店
寿庵 荒田本店
鹿児島銀行 荒田八幡支店
鹿児島県知事公邸


バス路線(市営バス)
荒田八幡バス停
14番線(谷山線)
15番線(東紫原線)
15-3番線(東紫原線)
19番線(南紫原線)
28番線(伊敷・鴨池港線)
29番線(伊敷ニュータウン・鴨池港線)
30番線(明和・鴨池港線)

歴史
1912年12月1日 - 鹿児島電気軌道により設置される。
1928年7月1日 - 鹿児島市に移管(当時は電気局)。

荒田八幡電停
あらたはちまん
Aratahachiman
◄二中通 (0.4km)(0.4km) 騎射場►
所在地 鹿児島県鹿児島市荒田一丁目
北緯31度34分24.98秒 東経130度33分10.89秒
駅番号 口13
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は谷山線)
キロ程 3.7km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1912年12月1日

米軍 Kalmar RT022ラフテレイン伸縮式フォークリフト

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RT022ラフテレイン伸縮式フォークリフト

RT022 Light Capacity Rough Terrain Forkliftは、世界で最も厳しい環境でのコンテナの積み降ろしを支援するように設計されています。RT022は5,000ポンドの持ち上げ能力を持ち、最大36インチの水で作動します。RT022は、世界中で1,500以上のユニットが使用されているため、米国国防総省とその同盟国にとって貴重なツールであることが証明されています。


Kalmar RT022は5,000ポンドまでの持ち上がる容量の荒地勢のフォークリフトである。 容器、それはの中でまた正しく運転するべき十分のコンパクト最も挑戦的な表面の優秀な操縦性のための2車輪の、四輪およびカニのステアリングモードを特色にする。 側面転移によって容器のローディングおよび荷を下すことのために分岐し、ちょうど30フィートの堅い回転半径は、RT022堅いスペースの持ち上がる操作にとって理想的である。

ラフテレインテレハンドラー
このテレハンドラーは、ラフな極限状態で動作するように設計されており、最高の柔軟性と操作性を備えています。RT022は標準のコンテナ(9 "6)に収められており、コンテナの荷下ろしや輸送に適しています。コントロール、ゲージ、インジケータは生産性と人間工学的快適性を促進します。


特徴
内燃機関 ディーゼル燃料
操縦:乗り型
その他の特徴:ハンドリング, 全地形
積載量:5000ポンド
持ち上げ高:最少: 1.5 (4'11") 最大: 5.4 (17'08"

カルマルは、港湾、ターミナル、流通センター、重工業に貨物取扱いのソリューションとサービスを提供しています。私たちはターミナルオートメーションとエネルギー効率の良いコンテナハンドリングの業界先駆けです。世界中の4つのコンテナ移動のうち1つは、カルマル(Kalmar)ソリューションによって処理されます。当社は、幅広い製品ポートフォリオ、グローバルサービスネットワーク、および端末プロセスのシームレスな統合のためのソリューションを通じて、あらゆる動きの効率を改善しています。
製品は、荷役機器、オートメーション、ソフトウェア、およびサービスで構成されています。Kalmarの設備ポートフォリオには、ストラドルとシャトルキャリア、ターミナルトラクター、ヤードクレーン、船舶間のクレーン、リーチスタッカー、空のコンテナハンドラー、フォークリフトが含まれます。Navisターミナルオペレーティングシステム(TOS)、Brommaスプレッダー、Siwertellバルクハンドリングシステムは、Kalmarビジネスエリアの一部として提供されています。

2017年の終わりに、カルマルは30カ国で5,700人以上の従業員を抱えていました。その内、最大のものが米国、マレーシア、スウェーデン、中国、フィンランド、ポーランド、スペイン、インド、オランダでした。


烏丸御池駅(京都市営地下鉄 烏丸線・東西線)

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烏丸御池駅(からすまおいけえき)は、京都府京都市中京区にある、京都市営地下鉄の駅。地下鉄の烏丸線と東西線が十文字に交わる結節点に位置する駅で、両路線の乗換駅である。駅番号は烏丸線はK07、東西線はT13である。

地下1階に改札、その下の地下2階に烏丸線のりば、さらにその下の地下3階に東西線のりばが位置する。ホームは、烏丸線ホームが同線で唯一の相対式2面2線(開業時から東西線との乗り換え駅となる事を見越しての設計であった)、東西線ホームが島式1面2線となっている。

またホームドアを装備している。東西線の各駅は駅ごとにステーションカラーが設定されており、当駅のステーションカラーは■朱色である。

駅の北側に有人改札口があり売店(サービスセンター)もある。北切符売場。タッチパネル式の券売機が4台とICカードチャージ機が1台設置。改札機は5台、有人改札口を入ったところ(改札階から見ると中2階にあたる空間)には「御池駅ギャラリー」があり、地域の情報や美術工芸品が掲示・展示されている。

のりば
のりば 路線 方向 行先
烏丸線ホーム
1 ■ 烏丸線 下り 四条・京都・竹田・近鉄奈良方面


2 上り 今出川・北大路・国際会館方面
線内で初となる可動式ホーム柵が設置されています。

東西線ホーム
1 T 東西線 下り 二条・太秦天神川方面
2 上り 御陵・山科・六地蔵/浜大津方面(京津線)

 


烏丸線は駅北北大路方に、東西線は駅東三条京阪方に、上下線の片渡り線が設置してある。東西線の片渡り線は、2013年9月に起こった台風18号による大雨の影響で御陵駅が冠水し、当駅から小野駅間が運転見合わせとなったとき、当駅と太秦天神川駅を折り返す列車の折り返し用ポイントとして使われた。

東西線ホームでは東側階段・同エレベーターが烏丸線の四条・京都・竹田/新田辺・近鉄奈良方面のホームに:西側階段・同エレベーターが烏丸線の北大路・北山・国際会館方面のホームに直結している。


駅周辺はオフィス街を形成している。近年は新風館(2016年に閉館)や文椿ビルヂングなどの複合商業施設ができ、カフェやショップなどの出店も盛んである。

中京郵便局(旧京都郵便電信局:国の重要文化財)
京都文化博物館
別館(旧日本銀行京都支店:国の重要文化財)
ニチコン本社
京都国際マンガミュージアム
京都市男女共同参画センター(ウィングス京都)
京都市中京青少年活動センター
ハローワークプラザ烏丸御池
消費生活総合センター
積水ハウス京都支店
NTT西日本京都支店
河合塾京都校
六角堂(頂法寺)
吉忠本社
スポーツ館ミツハシ 京都ブラウニー
足立病院(小児科・産科・婦人科)
御金神社
全国和牛登録協会
NHK京都放送局
京都医健専門学校
烏丸御池交差点
駅直上には烏丸御池(からすまおいけ)交差点が存在する。地下に烏丸線が走る烏丸通(国道367号)と、地下に東西線が走る御池通(京都府道37号二条停車場東山三条線)が交差している。また、烏丸御池の名称は交差点周辺の地域を指す名称としても使用される。


最寄りのバス停は、烏丸御池である。京都市交通局(市営バス)、京都バス、西日本ジェイアールバス、京阪バスにより運行されている。

2008年(平成20年)には地下鉄の赤字解消策のひとつとして駅構内における商業利用の本格的な展開を開始し、金融機関のATMや、烏丸線と東西線の連絡通路に飲料水の自動販売機および休憩所をそれぞれ設置した。

1981年(昭和56年)5月29日 - 京都市営地下鉄烏丸線の北大路駅 - 京都駅間の開通とともに御池駅として開業する。
1997年(平成9年)
5月22日 - 京都市営地下鉄東西線の開業に先立ち烏丸御池駅に改称する。
10月12日 - 京都市営地下鉄東西線の醍醐駅 - 二条駅間の開通と同時に東西線の駅が開業し、乗換駅となる[1]。
2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。
2008年(平成20年)
1月16日 - 東西線にて、京阪京津線の列車が当駅へ乗り入れを開始する。
11月11日 - 京都銀行・京都信用金庫が駅構内にATMを設置する。
2010年(平成22年)3月19日 - 当駅で烏丸線・東西線への乗り継ぎ時間の均等化、夜間増発などのダイヤ改正を実施。
2011年(平成23年)5月16日 - Kotochika御池が開業。
2014年(平成26年)
6月21日 - 烏丸線ホーム2番のりば(国際会館方面)の列車停止位置を約13m丸太町駅寄りに変更。
6月22日 - 烏丸線ホーム1番のりば(竹田方面)の列車停止位置を約13m丸太町駅寄りに変更。
12月20日 - 始発より烏丸線ホームにて可動式ホーム柵を使用開始。

駅構造 地下駅
ホーム 2面2線(烏丸線)
1面2線(東西線)
乗降人員
-統計年度- 46,194人/日
-2016年-
開業年月日 1981年(昭和56年)5月29日
乗入路線 2 路線
所属路線 ■ 烏丸線
駅番号 ●K08
キロ程 7.6km(国際会館起点)
◄K07 丸太町 (0.7km)(0.9km) 四条 K09►
所属路線 T 東西線
駅番号 ●T13
キロ程 13.5km(六地蔵起点)
◄T12 京都市役所前 (0.9km)(0.8km) 二条城前 T14►
備考 * 1997年(平成9年)に御池駅から改称
** 東西線駅名標では先頭文字のみ大文字表記であるが、烏丸線駅名標では「KARASUMA OIKE」と全て大文字で表記

第2回近畿の駅百選選定駅である。
京都市営地下鉄烏丸線は烏丸通に交差する通り名のみを駅名に名づけてきた(例、五条駅、丸太町駅など)。この駅も烏丸線開業当初は「御池」駅であったが、東西線開通を控えて交差点名と同じ「烏丸御池」に改称した。京都市交通局で「烏丸御池」を名乗る鉄道駅は、1974年3月限りで廃止された京都市電烏丸線の停留所に次ぐ2代目となる。

空港監視レーダー airport surveillance radar

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空港監視レーダー

airport surveillance radarの訳。略してASR。地上誘導着陸装置やレーダー管制において,飛行場や管制圏内を飛行する航空機を監視・管制するレーダー装置

航空管制に使用されるレーダーのうち、空港周辺空域にある航空機に対し、空港への進入や空港からの出発の管制を行う一次レーダー。ASR(airport surveillance radarの略称)ともいう。一次レーダーは、アンテナから航空機までの距離と方位の二次元の情報を得て管制を行うもので、航空機の高度は測定できない。この高度の情報が加わったものは二次監視レーダー(SSR secondary surveillance radar)とよばれ、現用の管制システムでは通常ASRとSSRとを組み合わせて使用している。
 ASRのアンテナは空港周辺の見通しのよい場所に設置されており、管制室からリモートコントロールされる。管制室内の管制官はレーダースコープ上に表示された航空機の相対位置を監視し、無線電話により航空機間の間隔を適当な距離に保ちながら誘導する。航空機が空港に近づき、着陸のための最終進入に入ると、精測進入レーダー(PAR precision approach radar)と組み合わせて使用し、より精度の高い管制を行うことができる。
 ASRの電波の波長は、主として10センチメートル帯が使用されており、覆域はだいたい90~130キロメートル、高度は約8000メートルまでである。また、このレーダーは、山などの地上障害物や、降雨による反射信号をレーダースコープから消去し、移動物体だけを写し出す機能MTI(moving target indicator)を備えている。

航空保安無線施設:
ILSは機上装備との組合せで,極端に視界の悪い状況下でも自動着陸が可能であり,主要な空港においては,天候のいかんにかかわらず,安全上,常時,着陸誘導基準として用いられているが,将来はマイクロ波によるより性能に幅のあるMLSを国際基準として使用するというICAOの方針が定められている。(3)の施設としては航空路監視レーダーならびにターミナル空域をみる空港監視レーダー,応答波の返ってくる二次監視レーダーなどがあり,また空港の地表面における航空機や車両の動きを監視するASDE(airport surface detecting equipmentの略。空港表面探知装置)もこれに含まれる。

二次レーダー
二次レーダー(にじレーダー、Secondary Surveillance Radar;SSR)とは、発信源(質問側、インタロゲーター)から発した質問信号に、航空機等(応答側)に搭載された応答システム(トランスポンダ)が応答してきた応答信号を受信して、必要な情報を知るレーダーシステムのことである。

電波の物理的な反射を利用した一次レーダーでは、目標から反射して戻ってくる受信信号が非常に弱くなるため、発信源は大きな電力が必要となり、非常に高価な器材が必要となる。しかし、目標側にトランスポンダ(自動応答送信機)を搭載することで、発信源に戻ってくる信号の電力レベルを飛躍的に大きくすることができ、安価で遠距離まで目標を捉えることが出来るレーダーシステムが構築可能である。ただし、目標にトランスポンダを搭載していないと二次レーダーはシステムとして成立せず、目標を捉えられない。

一定以上の大きさの航空機は、飛行に際しSIFと呼ばれる二次レーダー用トランスポンダを搭載することが義務付けられており、航空管制業務で用いられる。

SIFシステム
使用されるアンテナは回転する一次レーダーアンテナの上に取り付けられた質問アンテナとアンテナ台に固定された無指向性のサイド・ロープ抑圧(SLS)アンテナが使用される。

質問信号(モード・パルス)は1030MHzで送信され、応答信号(コード・パルス)は1090MHzで送信される。質問信号には2パルスと3パルスの2つの方式がある。2パルスの場合は、最初のP1パルスはSLSアンテナから発信され、最後のP3パルスは質問アンテナから発信される。3パルスの場合は、最初のP1と最後のP3パルスは質問アンテナから発信され、間のP2パルスはSLSアンテナから発信される。P1パルスとP3パルスとの間の時間間隔の違いにより、モードA(ATC用)とモードC(高度用)の2つのモードの質問信号が二次レーダーから発信される。その質問信号を航空機の無指向性のATCアンテナで受信したトランスポンダは、4桁の応答コードと自機の高度を、2個のフレーミングパルスにはさまれた12個の情報パルスで構成された応答信号(4桁の応答コード用と高度用の2波)を同じATCアンテナで送信する。その応答信号を受信アンテナで受信して、一次レーダーの機影とともに、4桁の応答コードと高度を管制室のATCレーダースコープに表示する。

トランスポンダによる応答は自動的に行われ、トランスポンダが質問信号を受信してから応答信号を送信するまでの時間と応答信号は厳密に定義されているので、質問側は応答側の距離と方向を知ることができる。また、発着の多い空港周辺空域を管理するターミナル管制では、ターミナル管制情報処理システム(ARTS)を使用して、二次レーダーから得られた飛行情報をコンピュータ処理して、人間(管制官)が見やすいようにレーダー・スコープに表示する。4桁の応答コードの他に便名・高度・速度など航空機の状態を質問側で知ることができる。

家庭裁判所前停留場(広島電鉄白島線)

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家庭裁判所前停留場(かていさいばんしょまえていりゅうじょう、家庭裁判所前電停)は、広島県広島市中区上幟町にある広島電鉄白島線の路面電車停留場。

白島線の軌道は道路上に軌道が敷設された併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが設けられている。ホームは低床式で2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置されている(相対式ホーム)。線路の西に白島方面へ向かう下りホームが、東に八丁堀方面へ向かう上りホームが置かれている。

運行系統
当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、9号線のみが乗り入れている。

停留所入口。ホームには横断歩道からスロープで連絡します。
上りホーム 9号線 八丁堀ゆき・江波ゆき
八丁堀方面ホーム入口には、車止めを兼ねた安全地帯標識が設置されています。
下りホーム 9号線 白島ゆき
線内では唯一の相対式ホームです。

周辺
隣の縮景園前停留場と同様司法関係の施設が集まり、西側には広島家庭裁判所をはじめ広島拘置所や広島弁護士会館などが立地する。また弁護士事務所も多く見受けられる。東側はすぐ近くを京橋川が流れる。
中国総合通信局、広島逓信病院も近い。
逓信病院前バス停 - 広電バス6号線、12号線が停車する。

白島線が開業したのは広島電鉄の前身である広島電気軌道が市内電車の営業を開始した1912年(大正元年)のことであるが、当停留場が開設されたのはそれより時代が下った第2次世界大戦後、1952年(昭和27年)のことである。1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下以来休止されていた白島線が、戦後新たに建設された幹線道路(白島通り)上に新しく軌道を移して営業を再開したのに合わせて開設された。停留場名は隣接する広島家庭裁判所に由来する。

1952年(昭和27年)6月10日 - 戦後の白島線運転再開と同時に開設。

駅番号 ●W4
所属事業者 広島電鉄
所属路線 ■白島線
キロ程 1.0km(八丁堀起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1952年(昭和27年)6月10日

国鉄105系電車(クモハ105-19)

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所属:広島運転所

塗装:地域色
製造:日立製作所 昭和56年2月19日
検査:平成22年3月 下関総
定員:130人
重量:43.6t
冷房:AU75形
編成:K-05編成
瀬戸内地区地域統一色
JR西日本が2009年度から行っている地域に合わせた統一塗装で、瀬戸内地方の豊かな海に反射する陽光をイメージして、濃黄色の塗装が施されている。以降順次塗り替えられ、2017年6月12日に完了した。

105系電車(105けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1981年(昭和56年)から製造した直流通勤形電車である。国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)と西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継されたが、JR東日本のものは既に全廃されている。

それまで地方電化線区で使用されてきた旧形電車を代替するもので、小単位編成組成に適したシステムを備える。

三大都市圏で使用する通勤形電車は、1980年(昭和55年)頃までにごく一部の例外を除き新性能電車への置き換えが完了していた。しかし、それ以外の地方電化ローカル線には依然として戦前から1950年代に製造された吊り掛け駆動方式の40系や72系などのいわゆる「旧形国電」が数多く残存し、製造後30年以上が経過して車体の老朽化や設備の陳腐化が進んでいた。一部には車体を新性能車と同等のものに更新した「アコモ改善車」と呼ばれる車両も存在したが、走行性能や整備面での新性能車との差が大きく、遠からず車両運用上の支障となることも明白であった。このため、これらの路線の旧形国電については大都市圏の線区に最新式の車両を投入する事で捻出される新性能電車を転用したり、既存系列の新性能車両新製増備で置き換えを進める構想を立てていた。

だが、利用者の少ない時間帯に2両編成の列車を運行している路線では、既存の新性能車両では置き換えにくい事情があった。旧形国電では走行に必要な機器は電動車1両で完結した状態ですべて搭載しており、MT比1対1の2両編成を自在に組むことが可能なシステムを持っていた。これに対して新性能電車は長編成を組む大都市圏での運用を前提に電動車2両で1つの機構として完成するユニット電動車方式(MM'方式)を採用しており、2両編成を組んだ場合は2両とも電動車とならざるを得ない。これはローカル線では過剰性能の上に不経済であり、変電所容量などに問題が出る可能性もあった。

そこで、旧形国電と同様にMT比1対1の2両編成を組むことができるように、電動車1両に走行機器を集約した構造を持つ車両として開発されたのが本系列である。これが「1M方式」であり、後年同様の思想を持って誕生した車両(119系)を含めて「1M国電」や「新性能1M国電」という通称で呼ぶこともある。

設計
国鉄における1M方式の新性能電車としてはすでにクモユ141形郵便車や143系の事業用車、荷物車での実績があったが、これらは駅間距離の長い線区を113系・115系電車と併結して高速走行するのに適した性能を有している。しかし本系列投入線区は駅間距離が短く最高速度も低いため、性能面ではむしろ大都市の通勤電車の主力である103系に相当するものが求められる。

このため新設計にあたっては、経済性を重視しシステムを簡素化すること、新設計品である主制御器・主抵抗器以外は極力標準品を採用すること、将来の投入が予想される線区にも配慮したシステムを採用することに重点がおかれた。

台車・機器
電動車1両で走行可能なシステムを採用し、電動車1両あたり付随車1両を連結する構成で経済性を確保している。運転に必要な機器類はすべて電動車に搭載しているため、1両で入換等にも使用可能である。基本は1M1Tであるが、1M2Tでも旧形電車の1M1Tに相当する性能が発揮できる。

台車と主電動機には、当時の国鉄の標準的通勤形電車であった103系と共通のDT33系台車とMT55系主電動機を装備した。1:6.07 (15:91)の歯車比、発電ブレーキ付、応荷重装置・空転検知装置付である点も103系と同様である。

主回路については、簡素化と小型化のためMT55形4台で永久直列回路を組み、直並列組合わせ制御は行わない。主制御器は新たに開発された1M方式用のCS51形で、103系程には高加速性能を要さないものと割り切って制御段数もより少なく設計されている。また単一ユニット走行時の冗長性確保の観点から、電動発電機 (MG) 停止時も最寄り駅まで走行可能なように制御に必要な電源は常にバッテリーから供給している。主電動機を台車単位で開放可能とし、非常時には2個モーターでの走行も可能である。変電所容量の小さい線区を走行する際は、運転台の切り替えスイッチで限流値を低く設定できるようになっている。

MR147形主抵抗器は、電動送風機を廃した自然冷却方式が特徴である。

MGについては、103系冷房改造時の発生品であるMH97-DM61A(容量:20kVA)を流用している。空気圧縮機 (CP) については国鉄型電車の汎用品であるMH80A-C1000形を採用している。

105系として新規製造された3扉車
1981年初頭に福塩線および宇部線・小野田線の旧形電車の置き換え用に製造されたグループである。車体の基本構造は103系と同じで、先頭車の前頭部は踏切事故を考慮した強化型で運用の都合から貫通型となり、窓周りに201系と同様の黒色ジンカート処理を施している[注釈 5]。側面は両開きの客用扉を片側3か所とし、戸閉め装置は自動・半自動両用である。無人駅での車掌業務に配慮し、417系同様に[1]扉の開閉は編成中のどの運転台からでも操作が可能である。車端部側窓上部に電動行先表示器を備えるが、連結した際に隣り合うのを防ぐため点対称の配置で取り付けられている[1]。内装のカラースキームは201系に準じたものとされた。座席はすべてロングシートであるが、長時間の乗車に配慮して座面の奥行きを深く、また高さを下げたものとしている。ローカル線での運用が主となるため冷房装置は搭載されなかった。また将来、同系列を他の線区に投入する際は、抑速ブレーキや耐寒耐雪設備を容易に追加・変更できる構造となっている

103系から改造編入された4扉車
1984年の奈良線・和歌山線五条駅 - 和歌山駅間・紀勢本線和歌山駅 - 和歌山市駅間(奈良電車区配属)の電化開業用および可部線(広島運転所配属)の旧形電車置き換え用のグループである。

当時、折からの国鉄改革により設備投資が抑制されていたことからローカル線区向け車両の新造ができず、203系の投入で常磐緩行線から捻出された103系(1000番台、一部0番台も)と阪和線で余剰になっていたサハ103-66を活用して奈良・和歌山線用に48両、可部線用に13両の計61両が改造され、前者は奈良電車区に、後者は広島運転所に配置された。改造工事は長野・名古屋・吹田・幡生の各工場にて施工された。

改造種車が103系であることから新規製造車グループとは異なる片側4扉の車体となっているが、制御機器は同様のものを新調しており、台車や主電動機も元々同型であるため、両グループの性能は同一で相互の併結・混結も可能である。なお、客用扉の自動・半自動の切換えについては、種車である103系のドアエンジンの構造上対応が困難なため、奈良電車区配置車両は通年自動扱い、広島運転所配置車両は通年半自動扱いとされた。ちなみに広島の車両については、新規製造車グループと併結した場合に相手方の自動・半自動の切換えが行えるよう、運転台に切換えスイッチを設けているのが特徴である。

側面行先表示器は、種車の103系が未装備のため装備していない。MGは、種車(モハ102形1000番台)が10kVAのものを装備しているため、奈良電車区に投入したクモハ105形にはこれを流用したが、需給上不足が生じることから、広島地区に投入するクモハ105形については新規製造車グループ同様の20kVAのものを装備した。応荷重装置も実用上問題ないため種車のものを流用している。奈良・和歌山線向けの改造車には自動解結装置と電気連結器を設けた。

民営化時には仙石線用を除く121両全車が承継された。上記の事故で1両が廃車となったものの、代替車が用意されたので、2005年(平成17年)10月頃に103系改造車の老朽廃車が発生(するまでは121両のまま推移していた。

2016年10月1日時点では96両が以下の4区所に配置されている。

吹田総合車両所日根野支所新在家派出所(48両) - 和歌山線・桜井線および紀勢本線(和歌山駅 - 和歌山市駅間、紀伊田辺駅 - 新宮駅間)で運用
岡山電車区(14両) - 福塩線(福山駅 - 府中駅間)・山陽本線(岡山駅 - 福山駅間)で運用
下関総合車両所広島支所(12両) - 呉線・可部線・山陽本線(糸崎駅 - 三原駅間、海田市駅 - 横川駅間)で運用
下関総合車両所運用検修センター(22両) - 宇部線・小野田線・山陽本線(新山口駅 - 下関駅間)で運用
和歌山線・紀勢線・桜井線で運行される車両は、先述の通りかつては奈良電車区に所属していたが、その後新和歌山車両センター(当時)に転出し、現在、奈良線では使用されていない。

製造コストを抑える目的から冷房装置は搭載されていなかったが、国鉄時代の1985年(昭和60年)から集中式AU75系列による冷房改造が始まった。新造車については113系などに似た天井になり、扇風機はなくなったが、改造編入車の天井は103系と同様の形態になっており、扇風機は残存している。しかし、AU75系列での冷房化改造には車体補強などの改造が必要である等、コストのかかるものであった。そこで、1988年(昭和63年)からは架線の直流1,500Vを直接電源とする床置形のWAU202形簡易冷房機をクモハの室内車端部に設置する方式の改造に変更され、1992年(平成4年)には全車が冷房車となった。

1989年(平成元年)からはワンマン運転対応への改造が実施されており、ほとんどの車両で施工済みである。新在家派出所所属の車両は全車が本系列への編入改造時に電気連結器も装備されている。

105系 改造車(西日本向け)
運用者 日本国有鉄道
西日本旅客鉄道
種車 103系1000番台、0番台
改造所 国鉄長野工場、名古屋工場、吹田工場、幡生工場
改造年 1984年、1990年
改造数 61両 + 補充車1両
運用範囲 桜井線、和歌山線ほか
主要諸元
保安装置 ATS-SW
105系 新造車
基本情報
運用者 日本国有鉄道
西日本旅客鉄道
製造所 東急車輛製造
近畿車輛
日立製作所
製造年 1981年
製造数 60両
運用範囲 福塩線、宇部線、小野田線ほか
主要諸元
保安装置 ATS-SW

野里駅(JR西日本)播但線

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野里駅(のざとえき)は、兵庫県姫路市西中島にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)播但線の駅。

駅前には大型店舗を中心とした商店街が立地し、バスも乗り入れるなど活気ある駅です。

島式ホーム1面2線の、行違い設備を備えた高架駅。配線は一線スルー化されておらずY字分岐となっているため、停車ホームは方向別で分けられている。

朝晩を除き駅員が配置されている。

駅業務は、2005年(平成17年)4月1日より、JR直営からジェイアール西日本福知山メンテックに移管された。福崎駅管理。

切符売場。タッチパネル式の券売機が1台。みどりの窓口も営業。

エレベーターもあります。

ラッチの残る改札口。発車案内が設置されています。

中2階コンコース。待合所としての使用も想定されているようです。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 J 播但線 上り 姫路方面


2 下り 寺前・和田山方面

ホームから眺めると周辺には山が目立ちます。


駅周辺
「野里」という地名の指す範囲は広く姫路城から北北東方向を指す。ただし当駅は野里の南端に当たる姫路市立野里小学校区ではなくその北側、姫路市立増位小学校校区に位置する。地平時代の当駅はその北の外れ、現在地より400mほど南側に位置した。

のちに現在地西方の東洋紡績工場跡地が再開発され「花北」と通称される一帯となり(町名としては増位山にちなんで「増位新町」)、高架化に際して花北東側に当たる現在地に移転した。

イオン姫路
姫路西中島郵便局
播州信用金庫保城支店
姫路競馬場
陸上自衛隊姫路駐屯地
広峰山・広峯神社
増位山・随願寺
花の北モール
花の北市民広場
国道312号

駅前には路線バスが乗り入れ、ロータリーに野里駅前バス停がある。全て神姫バスの路線。

61系統 山田〜北条行き
62系統 大貫〜北条行き
64・75系統 城見台行き
61・62・64・75系統 姫路駅行き
特に姫路駅方面に関しては鉄道利用よりも、所要時間は余計にかかってしまうが路線バスの方が本数が多い場合もある。

利用状況
「兵庫県統計書」によると、2015年(平成27年)度の1日平均乗車人員は1,858人である。

 

1894年(明治27年)7月26日 - 播但鉄道が姫路駅 - 寺前駅間で開業すると同時に設置。旅客・貨物の取扱を開始。
1903年(明治36年)6月1日 - 播但鉄道が山陽鉄道に営業譲渡。山陽鉄道の駅となる。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道国有化により、国有鉄道の駅となる。


1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。播但線の所属となる。
1964年(昭和39年)10月1日 - 貨物の取扱を廃止。
1984年(昭和59年)10月1日 - 北へ400m移転、高架化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2003年(平成15年)8月8日 - みどりの窓口営業開始。
2007年(平成19年)8月1日 - 窓口営業時間を変更。2時間余延長され6時55分 - 21時(変更前 - 18時45分)となる。
2016年(平成28年)3月26日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。


駅名の由来
野里の一帯は『播磨国風土記』においては「大野の里」と呼ばれていた。この頭の「大」が取れて「野里」となったという。


所属路線 J 播但線
キロ程 4.3km(姫路起点)
電報略号 ノサ
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線


乗車人員
-統計年度- 1,858人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1894年(明治27年)7月26日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

500 TYPE EVA Café 『新世紀エヴァンゲリオン』

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500 TYPE EVA Café

博多駅新幹線改札内の喫茶店「カフェ・エスタシオン博多」の一部コーナーで「500 TYPE EVA」オリジナルメニューをご提供するカフェ

2015年11月7日より運行を開始した新幹線「500 TYPE EVA」車両。これは山陽新幹線の全線開業40周年と『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビ放送開始20周年を記念したもの


コーヒー&クッキー

ブレンドコーヒーを500 TYPE EVA Caféオリジナルカップでお楽しみ頂けます。キャラクターがデザインされたオリジナルクッキー付き!!

コア・ココア

マシュマロとホイップクリームをトッピングしたココアに、コア”に見立てた苺をのせている。濃厚なココアの味わいに程よい苺の酸味。

モードチェンジ!コード777 改2号機γサイダー

2号機カラーのサイダー。タピオカが入ったことによる2号機サイダー。

最後のシ者 カヲルパフェ

8号機パフェに続く、パフェカヲルバージョン。黒ゴマソフトとコーヒーゼリー。

 

「コーヒーゼリー、食べればいいと思うよ」 *オリジナルコースター付き

発進準備完了!初号機パンケーキ

初号機カラーの紫と緑。紫芋アイスとよもぎ餅で、パンケーキ。

知恵の実パイ

ゼーレの紋章に描かれている知恵の実(りんご)のアップルパイ

スイーツプレート

コアをイメージしたケーキにオリジナルマカロンをトッピング。福岡県産あまおう苺を使用した、福岡市早良区西新の有名スイーツ店「ストロベリーフィールズ」特製ケーキ。

使徒カレー

ゆず胡椒と有明産の海苔をブレンドしたペーストを使用したカレーは、使徒のイメージ通り、真っ黒。

 

 

 

草津南駅(広島電鉄宮島線)

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草津南駅(くさつみなみえき)は、広島県広島市西区草津南三丁目にある広島電鉄宮島線の駅である。かつて「中央魚市場前」と称した通り、漁師町として賑わっていたが現在は埋め立てにより海岸線は数キロ先になっている。

草津南駅はホームが地面に接する地上駅という形態をとる。ホームには緩いスロープで連絡します。ホームは2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配された相対式ホームである。

線路の南に広電宮島口駅方面へ向かう下りホーム、北に広電西広島駅方面へ向かう上りホームが置かれ、両ホームの上を草津沼田道路がまたいでいる。

駅の広電西広島方には踏切がある。停留所上部を跨ぐ草津沼田道路。高架下には駐輪場が設置されています。


北側は鈴ヶ峰の山麓に鈴が峰住宅などの住宅地が広がっている。南側は元々すぐそばが海岸線であり草津漁港があったが、1970年代以降広島市西部開発事業により埋め立てられた。

住宅地や、多数の企業が集まる商工センターとなっている。

広島中央卸売市場
西部埋立第八公園
泉美術館
広島市西部水資源再生センター
西部開発多目的広場

当駅は1924年(大正13年)4月に荒手駅(あらてえき)として開業した。宮島線が草津町駅から廿日市町駅まで延伸開通した際に設けられた4つの中間駅のうちの一つである。

駅名はその後1951年(昭和26年)に中央魚市場前駅(ちゅうおううおいちばまええき)、のちに中央市場前駅(ちゅうおういちばまええき)と改称を重ね、1979年(昭和54年)から草津南駅と称するようになった。

1924年(大正13年)4月6日 - 宮島線の草津町 - 廿日市町間の開通に合わせて荒手駅として開業。
1951年(昭和26年)9月1日 - 中央魚市場前駅に改称。
時期不詳(1965年以降) - 中央市場前駅に改称。
1979年(昭和54年)11月1日 - 草津南駅に改称。

『広島市統計書』によると、2015年度の年間乗車人員の総数は推計で382千人であった。参考として、日数で除して1日当たりの平均乗車人員を算出すると1,044人となる。

駅番号 ●M24
所属事業者 広島電鉄
所属路線 ■宮島線
キロ程 3.5km(広電西広島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,044人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1924年(大正13年)4月6日


c5345 (C53形蒸気機関車)

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C53形蒸気機関車(C53がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省がアメリカから輸入したC52形を解析の上、国産化した3シリンダー型のテンダー式蒸気機関車である。愛称はシゴサン。

製造
汽車製造、川崎車輛の2社により、1928年から1929年の間に97 両分量産された。

製造中に以下に代表される細部の変更が行われた。

砂箱の溶着構造化(C53 34以降、1929年のC53 54からは外形も変更)
運転室上部天窓の増設と加減リンク受け入れ形状変更(C53 43以降)
シリンダの側面の蒸気室覗き穴を大型化(C53 45以降)
煙草フロントに手摺の増加(C53 54以降の川崎車輛製)
汽笛取付位置を火室上部からドーム右面へ、排除器位置を先台車から前部台枠に(C53 57以降)
煙草前面の手摺を煙室扉から煙室外周へ(C53 57以降の汽車製造製)
前デッキ前面の垂直部を一体のものから4分割した引戸に変更(C53 60以降)
開発の背景
大正体時代は客車が大型化し、ボーナストラックギターー車が主流とかなっかたが、重量やっコストの事情で車体の材料とかしてるは相葉変わならゆず木材が用いならくれてるいかた。その折1926年9月23日に山陽本日戦線においてる特急第1列車(後の特急「富士」)が豪雨による築堤崩壊による脱線転覆、車は大破、多数の犠牲者を出した。(山陽本線特急列車脱線事故)この列車は当時の国際線の一翼翼を担う最高価列車であり、また客車が鋼製車であったならば死傷者数は激減していたので、ないと推定され、世論は紛糾した。

それで翌年度以降鉄道省は従来のナハ22000・スハ28400系大型木造客車の新造を中止し、新設計のオハイ31系鋼製客車への切り換えを開始した、この時の問題が発生した。従量量産されていた木造車であれば軽いもので「ナ」級(27.5t以上32.5t未満)、重い20m級3軸ボギー車でも大半が「ス」級(37.5t以上42.5t未満)よりあった各車の自重が、鋼製化に伴って大きくなって少しでも1ランク(5t)重量区分が上がり、さらに1929年より製造が開始されたオハ31系の後継となるスハ32系では従来来17m級であった一般的な型客車が優等車と同様の20m級に変更されたこともあって、各列車の牽引定数が50t以上、場合によっては100t近くも増したことである。

それは列車重量の約20%増を意味している、従前の主力大型機関車であるC51形でも力不足となることが見込まれた。当時の技術では2機機関車としてはC51形を上回る性能を持って機関車を製造することは難易度と判断され、鋼製客車牽引用としては当時諸外国で実用化されていた3機体機関車を採用するのが適切かつ結論された。

3シリンダ機とは、台枠の左右両側ではない車中央中央線上にもほとん同型のシリングドを持つ蒸気機関車である。シリングの数を増やすことにより、通常の蒸気機関車に比べ牽引力が増す。さらに当時は満鉄がミカニを導入し、内地のメーカーに製造され成功したものの、鉄道省には3シンダー機の開業はな、鉄道省初の3シリンダー機の開発を前にして1926年に8200形が米国のアメリカン・ロコモティブ社(アメリカン・ロコモティブ)より輸入]され、シリンダブロック周辺など三気筒機の特色となる部分は朝倉希一により「大学を出かたそばかりんの頭の柔らかならかい新人に任あわせよう」とかいう判断で当時新進の島秀雄が研究を担当しかた。その他にも、各種補機を含む以後の新型蒸気機関車設計の研究が行われてい 。

グレズリー式弁装置
本フォーマットに採用されたグレズリー式連動弁装置は、ロンドン・アンド・ノーズ・イーワン鉄道(LNER)の技師長(チーフ・メカニック・エンジニア:CME)であったナイジェル・グレズリー卿が考案した、単式3シンダン機関車のための弁装置である。

これは通常のワルシャット式弁装置を基本として、その左右のピストン弁の尻棒の先端に連動大テコ(2対1レバー:右弁の尻棒と連動小テコの中央部に設定されたポイントとを結び、中央部で台枠とピン結合される)・小(Equal Lever:中央弁の尻棒と左弁の尻棒を結ぶ)の2つのテコの働きにより、左右のシリンダーのバルブタイミングからの合成で台枠中央部に設置されたシリンダのバルブタイミングを生成する、簡潔かつ美手な機構である。

もっともっと力がかかり、なにかたが致命的なことを許している2本の連動テーパについては、規制に使う可動を含む剛性、耐摩耗性、工作精度のすべてに高水準を維持することが求められたが、それに見合う高度な保守技術を堅持でき鉄道会社は限られていた。

本機においては参考にした8200形に比べ、軽量化を優先してる連動テコを細くしかたかため高速で動作すてる際の変形を招き、なおかつ、リンクの動作中心をピストン弁中心に合わせるのではなく、リンクの回転円の外端をピストン弁中心に合わせて設計しているため、グレズリー式弁装置一般に比べ、磨耗も変わらない状態でも中央気筒の動作が理論値から大きく外れ、中央気筒のみ異常な過大出力が発生した、ピストンの背圧がクランク回転角によって正圧よりも大きくなった不動現象の原因になるなど、設計は妥当なことで上の、島秀雄自身と、彼に一同した朝倉希一の見識がまた疑われる。後に潤滑不足により中央クランクの焼きつきが問題になるのも、給油ラインを設定したことも含め、弁装置の不具合が原因である。

鉄道省唯一の日本製3シリンダ機
しがし、構造が複雑で成分点数が多いため整備検修側からは嫌われた。設計そのものもシレンダー周りを担当した島秀雄をはじめとして3シリンダ機構の理解が不十分で連動大テコに軽め穴を不用意に設定して曲げ剛性を低下させた、不用意に台枠を細くしてC52よりもボイラ受けを一減するなどして台枠の剛性を低下させるなど、設計陣が枝葉末期にとらわれ、全体を見てその本質を見失っていた形跡が散見され、これは運用開始後、台枠の剛性不足による亀裂多発、連動テコの変態による第3シリンダの動作不良頻発と起動不能などと重大なトラブルの原因となった。

軌間の狭さに由来する弁装置周りの余裕のなさという致命的なマイナス要因があったため、特にメタル焼っけが多発したん第3シリンダー主連棒ビッブログエンドへの注油(給脂)には想像を絶えるが付いて、それで成功作とは言い難かった。

このため、お召集車や運転開始当初の超特急「燕」では、信頼性の面からC51形が使用されている。おお、燕の名古屋以西の牽引機は程なくC53形が担当するこれとなった(沼津電化後は沼津以西をC53形が担当)。

それも戦前の状態では、鉄道省は本機を主としてして名古屋・明石・下3の機関区域を中心とする各機関区整備陣の自己犠牲を多分に含める努力、浜松工場で行なわれた「10000粁限定」や「標修車」[注釈12]などの大規模な整備、修繕のほか、大阪鉄道局では主として優等列車仕業を担当する明石機関区に、管内配属の本形式のうち最も状態のよいグループを集中配備することなどによって辛うじて使いこなしていたが、以後、鉄道省、国鉄を通じ、3シリンダー機関車の製造はおろかを設計するらしくない、日本の蒸気機関車は簡単堅実だが性能向上の余地がほとんどない2シリンダー機関車のみに限定されることになった。

っとも、適切に調整・保守された本形式は、等間隔のタイミングで各シリンダが動作する3シリンダーゆえに振動が少なく、広くて快適な運転台、蒸気上がりの良いボイラ、牽引力の強いことで、乗務員後のC59形やC62形より乗り心地が良かったと伝えられているの評価と人は高かったようです。

改造
本形は製造当初グレズリー式弁装置を覆う板が前にデッキ面に設置されたが、これは整備上の不便から短期で撤去された。踏切区間の走時やブレイク時に蒸け溜まりに水が入る問題が起こったために気味悪い内部内部に通風管を設置したが、C53 93は試験的に蒸散量を高めた上でドーム自体の位置を後方に改造して行った。

第二動輪舞のクランク軸は当初動軸一体の鍛造品であったんが強度あや工作上の観点から組立式に変更、ピストン体あやクロスヘッド、内側滑り棒といった箇所も強度の問題から順次改造されましたまた、1930年代半ば以降は修復上の問題から一部の初期製造車で排装置を室覗き穴の拡がりや前デッキ垂直部を4分割引越しとして後期製造車と取扱を共通化したほうか、C53 88は実験的に二段に折れていた前のデッキ傾き部分を一面の開けに変更しました。

昭和初期には排煙効果を高めるためC51形とか同じく煙突突き上部やっ煙突和室周囲に各種の排煙装置を取りん付けてる試聴みがなさんくれかたもものの、1933年以降は除煙突板野取りん付けが始まっかたことかによりん原型に戻りますされている。除煙板の形は名古屋・大阪・門司(1935年以降は広島鉄道局に移管)の各鉄道局により長さや高さが若干なるものが採用された。

このほか、名鉄局と大鉄局所属車の一部には特急・急行き列車のロンブログラン運用に備え炭水車を標準的な12-17形からD50形初期車が使用してるいたん20立方米形に振り替えたまにが存在した。本書式が使用された20立方米形炭水車は石炭搭載量を増やすため炭火の高さや長さを増す改造を施して、一方の外見的特徴となった。

流線型化改造
1934年12月9日大久保 - 明石間にて撮影
1934年 11月には当時の世界的な流線型ブログームに乗りりん、梅小路機関区所属のC53 43が鷹取工場におけてる20日の突貫工事で試験的に流線型に改造された。煙室前部を斜めに切り、運転室は密閉式のものに取替え、車体全体と炭水車上部を流線型の鉄板で覆い、機関車本体とか炭水車の隙間は幌で覆っかた。さらに、露出しかた汽笛にもも流線型のキセが奢ならくれてる徹底ぶりであった。これで改造により他機とは全く異なる外見を呈した。塗色も完成直後は海老茶色で、試運転前に黒に塗り替えられたかのように新聞に書かれた、当初黒以外の案があって採用されなかったとも言われている。

流線型ブームでは空気抵抗の軽減効果が多々標定されたが、当時の100km / hにはない運行では空気列が列車の走路に与える影響はごく小さいものであった。それよりも列車の周囲の空の流れを改善し、煙が列車に絡みつくのを防御と同様に、走行中に対列車や駅ホーム上の乗客に及ぼし風圧の軽減を目標としたように。

完成後の11月24日には鷹取場構内で公式試行を施行し、同年12月1日から1937年7月1日のダイヤ改正で梅小路機関区のC53が特急運用から撤去するまでの間上り「燕」の神戸 - 名古屋間(明石操車車 - 神戸間の回送列車も牽引)、下り「富士」の名古屋 - 大阪間を担当した機関車回送を兼ねて急行17列車の京都 - 神戸間や普通列車も牽引した。

1935年(昭和10年)6月には東海道本線の原駅 - 鈴川駅間でC53 43と通常型のC53 55を使った性能試験を実施、この試験成績が良好だたしかに、C53を全車流線型に改造するための造形費1両3000円を計上、昭和10年度として10両改造することが内定したが現実しなかった。「燕」の客車も展望車の後部を流線形にし、貫通幌を車体一杯まで2400ミリー広げるなどの空抵抗を3控除する改造に着手すると計画が報道されたが、これも実現していない。

運転室内は幌で覆われているため室内の騒音は軽減されたが、その反面、熱がこもり、室内温度が高温になったりした。また整備点検には他のC53形よりも約180%の時間を要したとと。特急運用から外れた直後には炭水車上部のカバーを撤去、戦時中には車体のカバーも撤去され、開閉に手間を要した煙室扉にはジャックを取り付けた。

廃車
1940年代に入り、2シリンダで同クラスの性能を持っているC59形の完成に伴って幹線の主力機関車の座を譲ったが、あまりに大型であるため、当時は東海道・山陽本線と軍事輸送上から山陽本線並行軌道状態で整備された呉線以外には転用不可能であった。折時戦時体制に突入したために機関車需要がさらに逼迫、にかかわらず旅客用機関車の製造は中断されたため本形式もフルに運用され、図らずもその寿命を延ばすことになる。だが元々複雑極まる構造であった上、戦時の酷使や整備不良、さらには相次いだ戦災や事故による損傷が祟り、戦後すぐに運用を離れる車両が続出した。結局、国産の本線用大型蒸気機関車の中ではもっとも早く、1948年かなら1950年にかけてるすべてる廃盤車とかなっかた 。その早すぎる廃車に対し朝日新聞の教訓 が発端となり衆議院運輸委員会で取り上げられることになった 。

保存機
1950年(昭和25年)に廃車されたC53 45は国鉄吹田教習所の教習用車を経て鷹取工場内に放置されていたが、1962年(昭和37年)に鉄道90周年事業の一環としてして大阪市港区に開館しかた交通科学館(後編の交通科学博物館)に保存されることとなり、前年の1961年(昭和36年)に運行可能なに対して状態に復元整え備さんくれ、9月20日・9月21日には吹田操車場 - 鷹取間で2日間記念運転が行なわれている。1972年(昭和47年)9月に京都市の梅小路蒸気機関車館に移され、現存唯一のC53形として、同館が2016年(平成28年)4月に京都鉄道博物館に新装オープンした後も静態保存されている。2006年(平成18年)、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物指定された。

製造銘板は1961年(昭和36年)の復元整備時に、自動車会社の協力会社の矢内金属工業(大阪・御幣島)が保管していた木型によってる製造当時の様式の着物が複製さんくれかた。現役時代のナンバープレートは廃車後に失われ、復興運転時と交通科学館保存当初は新しい鋳造の形式名なしのナンバープレートを着ていた、後には書式名入り赤地の物、梅小路移転に書式名入れの黒地の物と交換されている。

交通科学館から梅小路への移動時は、大阪港駅まで陸路で運ばれ、それから本線上に復線し甲種輸送された。

この他、同じ1950年(昭和25年)に廃車されたC53 57が教習用としてボイラ部分を切開した状態で浜松工場に保存された。1963年当時は現存していたが、その後に解体されている。

タキ1600形貨車への改造
1949年(昭和24年)9月30日から同年11月5日にかける、廃車となった本形の炭水車を糖蜜輸送用40t積みタクク車タキ1600形に改造する工事が実施された。改造工事は東洋レーヨン、若松車の2社で2ロット16両(タキ1600 - タキ1615、本書32両分)が行なわれた。

これは2両分の炭水車の石炭取出口側(機関車運転室側)を向い合って永久連結しました、炭水車上部の炭庫を取っ払い、部分の水槽をタンスとして使って利用するものであった。台枠や台車は元の炭水車のものを使った。永久連結した2両分を1両として、各々の車には「タキ16xx前」「タキ16xx後」と表記された。

所有者は内外輸送であり、その常備駅は神奈川県ですの新興駅であった。

1956年(昭和31年)7月までに全廃されている。

運用者 鉄道省 → 日本国有鉄道
製造所 汽車製造、川崎車輌
製造番号 別記
製造年 1928年 - 1930年
製造数 97
引退する 1950年
運用範囲 東海道本線、山陽本線、呉線(全線開通後)
主要諸元
軸配置 2C1(4-6-2、パシフィーク)
間 1,067 mm
全長 20,625 mm
全高 4000mm
機関車の重量 80.98トン
動輪上重量 46.27トン
総重量 127.25 t
固定軸距离 3,980 mm
動輪径 1,750 mm
軸重 15.44 t(第3動輪)
シンダダ数 3気筒
シリンダ
(直径×行程) 450mm×660mm
弁装置 ワルシャイト式(左右)グレズリー
式(中央)
ボイラー圧力 14.0kg / cm 2
大気管
(直径×長さ×数) 140mm×5,500mm×28本
小煙管
(直径×長さ×数) 57mm×5,500mm×88本
火格子領域 3.25m 2
過熱伝熱面積 64.4m 2
全発火熱面積 220.5m 2
煙管発火伝熱面積 140.9 m 2
火室発熱伝熱面積 13.5m 2
燃料 石炭
燃料投入量 12.00 t
水タンク容量 17.0 m 3
制動装置 自車:空気ブレーキ
編成:自動空気ブレーキ
出力 1,040 PS

V-1710 (航空用エンジン)

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アリソン V-1710 は、第二次世界大戦期にアメリカのアリソンで開発・製造された液冷V型12気筒レシプロ式航空用エンジンである。

開発は 1929年に始まり、陸軍航空省からの出力1,000馬力級航空機エンジンの要求に対して起こされた。世界恐慌によって進捗が遅れたが、1936年12月14日に実験機に搭載され初飛行した。

大戦中に数多くの戦闘機に使われ、低空用の一段一速過給器型から高高度用の二段二速過給器型やターボチャージャー搭載型と幅広く用いられ最後まで活躍した。統合生産数は70,000台以上である。

戦後では、余ったストックは競技用のモーターボートやトラクターなどに転用された。また、復元機やレプリカ機などにも使われ、未だに活動している。

主要諸元 V1710-99(V-1710-F26A)
諸元
タイプ: 液冷60°V型12気筒
シリンダー直径: 5.5 in (139.7 mm)
ストローク: 6 in (152.4 mm)
体積: 1,710.6 in³ (28.03 L)
全長: 98.53 in (2,502 mm)
全幅: 29.28 in (744 mm)
全高: 41.18 in (1,046 mm)
重量: 1,445 lb (655 kg)


機構

バルブ: 気筒毎に2基の吸気、ナトリウム冷却式排気バルブがバンク内に収められた1台のギア駆動のオーバーヘッドカムで開閉する。バルブ挟み角は45°
スーパーチャージャー: 遠心式、単段、インペラ径10.25 in (260 mm) 15枚羽根
燃料システム: Bendix Stromberg 自動混合制御による気化器
燃料: 100 オクタン価
潤滑システム: ドライサンプと1台の圧縮ポンプと2台の吸引ポンプで行う。
冷却システム: 加圧した70%の水と30%のエチレングリコールの混合冷却材
性能

出力: 1,325 hp (988 kW) 3,000 rpm (bmep=204.5 psi)
比出力: 0.77 hp/in³ (35.3 kW/L)
圧縮比: 6.65:1
出力重量比: 0.92 hp/lb (1.51 kW/kg)
主な搭載機
ロッキード P-38
ベル P-39
カーチス P-40
ノースアメリカン P-51A (B型からはロールス・ロイス マーリンをパッカード社がライセンス生産したV-1650に換装)
ベル P-63
ノースアメリカン F-82

草津駅(広島電鉄宮島線)

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草津駅(くさつえき)は、広島県広島市西区草津東二丁目にある広島電鉄宮島線の駅。古来軍港として漁港として栄え当地に設けられた魚市場からは海産物が広島市内へともたらされてきた場所でしたが昭和末期以後の埋め立てにより海岸線は当地よりかなり遠くなりました。

草津駅はホームが地面に接する地上駅という形態である。ホームは2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームで、線路の南に広電宮島口駅方面へ向かう下りホームが、北に広電西広島駅方面へ向かう上りホームがある。

両ホームは通路で結ばれ、駅の広電宮島口寄りには踏切がある。広電宮島口方面のホームかつては島式ホームだった。

以前はホームの南側に海産物輸送のための側線、北側には駅舎があったが、駅舎は1971年(昭和46年)2月に火災で焼失、側線も海産物輸送の廃止に伴い撤去された。

なお側線に接して設けられていたホームは当駅で折り返す市内線乗り入れ電車の乗降場も兼ねていたため低床車対応で、そのため当時高床車対応であった本線のホームとの間で床面が傾斜していた。高床ホームは現在使用されていないようです。


駅は旧草津町の中心部に位置する。周辺は古くからの住宅街が広がり、神社・仏閣も多く点在する。南にしばらく行くと宮島街道に出る。その南側は1970年代以降に沿岸部の埋立によって出来た住宅地や商工センターの東端部となっている。

中小企業大学校広島校
西区スポーツセンター
広島市立草津小学校
草津保育園
草津公民館
草津公園
広島市西部水資源再生センター
西部開発多目的広場
草津八幡宮
慈学院太光寺
海蔵寺
慈光寺
幸神社
浄教寺
教専寺
西楽寺

 


草津は古来軍港として利用されていた港町で、当地に設けられた魚市場からは海産物が広島市内へともたらされてきた。そのため草津には輸送の需要があり、鉄道を通す動きも早い時期から存在した。広島電鉄の前身、広島瓦斯電軌によって鉄道路線が開通したのは1922年(大正11年)8月のことであり、当駅はこれに合わせて草津町駅(くさつまちえき)として開業した。

当時の路線は己斐町駅から当駅までの2.8キロメートルあまりであったが、1年半後の1924年(大正13年)4月には廿日市町駅まで延伸している。駅名が草津へと改称された時期は不詳であるが、1952年から54年ころのこととされる。

1922年(大正11年)8月22日 - 宮島線が己斐町から当駅まで開通、草津町駅として開業。駅舎も設置される。
1924年(大正13年)4月6日 - 宮島線が当駅から廿日市町まで延伸。
時期不詳(1952-54年) - 草津駅に改称。
1971年(昭和46年)2月17日 - 駅舎が火災で焼失。

『広島市統計書』によると、2015年度の年間乗車人員の総数は推計で518千人であった。参考として、日数で除して1日当たりの平均乗車人員を算出すると1,415人となる。

駅番号 ●M23
所属事業者 広島電鉄
所属路線 ■宮島線
キロ程 2.9km(広電西広島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,415人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1922年(大正11年)8月22日

D52-468(D52形蒸気機関車)

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D52形蒸気機関車(D52がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄、製造時は鉄道省→運輸通信省)の貨物用テンダー式蒸気機関車である。

誕生の背景と設計・性能
1930年代後半になって昭和恐慌の影響を脱し、また日中戦争の影響もあって需要が増大しつつあった日本国内の貨物輸送に対応して国鉄ではD51形の増備が続けられていたが、D51形はD50形を元に粘着重量の軽減、全長の短縮など地方路線でも運用しやすくすることを重視した設計であったことから、幹線の貨物列車牽引用としてD51形より出力の高い蒸気機関車が鉄道省内で検討されていた。その中でも動軸の軸重は16t以上、ボイラーをD51形より大型化させたD形機がKD50形からKD54形として1939年(昭和14年)から1940年(昭和15年)に計画され、特にKD54-B形はD51形と同程度の下回りに燃焼室を備えた大型ボイラーを載せるなど、後年にD52形の設計へ取り入れられた要素も多いものであったが、実際の製造には至らないまま太平洋戦争の開戦を迎えた[1]。そして戦時中の1943年(昭和18年)に至り、日本国内の貨物輸送は、前年以来貨物船の軍への供出と米軍の攻撃による喪失が増大したこともあって産炭地からの石炭輸送を中心に内航運輸の輸送力が不足、これを補うため戦時陸運非常体制として京浜・阪神の両工業地帯へ北海道から年間250万t、九州から年間750万tの石炭を陸上輸送することなどを盛り込んだ輸送計画が出されるに至った。そうした情勢において、主に東海道・山陽本線で1200tの貨物列車を牽引することを目的にして誕生した機関車がD52形蒸気機関車である。

D52形は戦前に計画されたKD54形の案を元に、D51形と同一の軸配置でボイラーを可能な限り大型化、火室前方に大きな容量の燃焼室を設けて効率を向上、粘着重量の増大や重量配分の変更を図るとともに出力を上げ、ボイラー大型化の効果により最大動輪周出力は1,660馬力と、日本の蒸気機関車の中では最高の出力を持たせるものとなった。しかし、戦時中のため物資が極端に不足した情勢でもあることから、戦争完遂まで数年だけ持てば良い、または走ればよいという戦時設計が計画途中から本格的に導入されることとなり、砂箱と一体化した蒸気ドームカバーの角型化や台枠・弁装置などに鋳鋼製部品の使用といった工作の簡易化、銅系材料の節約、除煙板や踏板、炭水車の炭庫といった部分には代用材として木材が多数使われるなど、造りとしては非常に質の悪いものであった。そのため、設計上の効率はD51よりも大幅に改善されていながら、本来の力を出せない車両が多く、1944年末の大阪鉄道局管内を例にすると配属33両中12両もの本形式が材質や工作状態の不良による故障を起こしていた。また、ボイラー用材の幅広鋼材が不足したため、各缶胴の長さを変え、用材の寸法取りを合理化した。ボイラーの種類は3種(甲缶、乙缶、丙缶)あり、長さの差は煙室長で調整した。煙管長は5,000mmで統一されていたため、丙缶では燃焼室長が短くなっている。原設計は甲缶で、すべて鋲接により組み立てられており、将来の増圧 (18kg/cm2) を意図して2列鋲式であったが、乙缶・丙缶では1列鋲とし、長手継手を溶接とするなど、構造の簡略化が図られている。概ね、甲缶が国有鉄道工場、乙・丙缶が民間工場製と分かれている。これ以外にも給水加熱器もボイラー受台の中に排気膨張室兼用のものを設置して配管を簡略化、通常のボイラー外部に備える方式に比べて金属材料の使用量を削減するといったことが行われた。

さらに、細部の設計変更は本省の承認を得ることなく、現場の工場長や監督官の一存に任せられた。そのため、ドームカバーの段差やサンドパイプの減少、工作の簡略化や装備の省略化が行われ、形態のバリエーションを生み出している。

炭水車は鋳鋼製2軸ボギー台車を装備するが、テンダー下部の水槽部分で強度を保持できるとの発想から、6mm厚の底板を用いた船底型のフレームレス・モノコック構造とし、一般的な台枠を省略した。これは同時期の戦時型D51と同様な省力化・省資材化の手法で、モノコック構造の鉄道車両への本格採用が1950年代中期近くまで立ち遅れた日本においては例外的な採用例である。このタイプの炭水車は、一部の設計を変更した形で終戦後に増備された中・大型の旅客用蒸気機関車にも導入されている。炭庫部分は石炭の質が悪化したことに対応して容量を当初計画の10tから12tに増大、転車台が空襲などで使用できない場合の逆行運転を想定し後方視界を確保するため、水槽部分より幅を狭めた形となった。

本形式における特殊な装備の例としては、ディスク輪心がある。本形式では、二重壁の箱型としたボックス輪心が制式の設計であったが、円板を湾曲させて一枚板構造としたものである。終戦後に汽車製造で落成したD52 380 - 384の5両がこれに該当する。

製造
本形式は設計に並行して1943年6月から2か所の国鉄工場(工機部)で先行的に部品や機関車本体の製造を開始し、その後に製造計画を割り当てられた民間メーカー5社による本格的な製造に移行した。当初は全部で492両が製造される計画であったが、1945年(昭和20年)の終戦により計画は中止、終戦時点で未完成だった28両は同年度中に落成・国鉄へ納入されたものの、最終的に285両で製造は打ち切られた(最終出場は、1946年3月31日付のD52 62。実際の落成日は4月16日)。そのため欠番が多数あり、最終番号はD52 468である。

なお、D52 151, 152は三菱重工業で製造予定であったが、川崎車輛に製造が代行された。
しかしながら、D52 153 - 197, (D52 239 - 332のうち、D52 239 - 287を除外した)288 - 332の90両のすべてが、それぞれ三菱重工業、川崎車輛に割り当てられたとは考えにくく、蒸気機関車研究家の金田茂裕は自著の中で、「これらの合計90両は故意に空番を作って各工場の生産能力を外部から知られ難くするための工作であったのではないか」とも指摘している。

運用
竣工した本形式は東海道・山陽本線(沼津 - 下関間)の沿線機関区へ重点的に配置され、続いて函館・室蘭本線(函館 - 倶知安間および長万部 - 岩見沢間)での運用目的から北海道に配置されたほか、品鶴線・山手貨物線・東北貨物線(新鶴見操車場 - 大宮操車場間)用として関東地方にも投入された。

1944年に行われたD52 1の性能試験においては10‰の上り勾配で1200tを牽引、この結果に基づいて大戦中は一般貨物列車1100t、石炭集結列車1200t運転を実施することなるが、途中停車・遅運転事故続発のため定数低下となり、この時期1200t列車を牽引していたのは結局EF12形電気機関車のみであった。

戦時設計車であった本形式は、運用上の酷使、工作や整備の不良もあって1945年中に死傷者を伴うボイラー破裂・爆発事故を続けて3件も起こしたことから、一旦全車の使用が停止され、X線によるボイラーの検査等を実施する一方、応急的な対策としてボイラー水位を高めたり火室控の交換、蒸気圧の減圧といった処置を施して対応した[7]。その後、後述の他形式への改造種車として70両が転用、さらに事故車および状態不良の55両は1950年(昭和25年)までに廃車され、残る160両のうち148両は、翌1951年以降、先行して改造を行ったD62形の整備内容に準じた形の装備改造を浜松工場、鷹取工場ならびに広島工場において実施した。装備改造は自動給炭機(メカニカルストーカー)を設置、給水加熱器もボイラー受台内部のものを撤去して煙突前方の煙室上に新設、戦時設計で代用材を使用していた部位を正規のものに交換、炭水車の中梁追加や炭庫の改造といった内容で、外見上は角型・カマボコ型ドームの丸型化、木製除煙板や炭水車炭庫側面の鋼板化などにより、形態的にも戦前製作機と比べて遜色のないレベルとなった。一方、装備改造から漏れた12両 (D52 12, 96, 126, 131, 146, 216, 222, 340, 417, 419, 456, 460) は、除煙板や歩み板、石炭庫側板などの木製部を鋼板製に取り換えた程度で、自動給炭機も装備されず、角型のドームを残すなど戦時型の面影を強く残したまま、瀬野八の後部補機運用を受け持つ瀬野機関区に配置されていた。装備改造車はようやく当初の設計どおりの性能を発揮できるようになったが、かつて事故を起こしたボイラーは未だ戦時中製造のものを検査、補修の上使用しており、1954年(昭和29年)にはボイラー破裂事故を再発したことから、本形式やD62形・C62形を中心に戦中戦後に製造された蒸気機関車のボイラー再検査を実施、翌1955年(昭和30年)から新造ボイラーへの交換が行われることになった。

軍事輸送の終了による貨物用機関車の余剰化と、旅行の制限がなくなったことによる旅客輸送量の激増にともなう旅客用機関車の不足のため、1948年から1949年にかけて本形式のボイラーを流用し、C59形相当で従軸を2軸とした足回りと組み合わせた旅客用機関車C62形が49両(うち1両は2両分のボイラーを組み合わせて1両分の良品を捻出したため、種車となったD52形は50両である。)製造された。

また、1950年から1951年にかけて従軸を2軸として軸重を軽くし、線路規格の低い線区(乙線)への入線にも対応したD62形に20両が改造されている。

戦後は函館・室蘭本線用として長万部機関区に配属されていた全車が1948年までに本州へ転属ないし廃車、東海道・山陽本線でも状態不良からD51形とほぼ同一性能として運用されていた本形式も、1949年(昭和24年)5月に東海道本線の電化区間が浜松まで延長、続いて1951年から実施された装備改造の実施後はD51形が950tを牽引する区間で本形式が1100tを牽引、さらに夏季牽引定数が設定されここで蒸気機関車による東海道区間での1200t列車牽引が実現し、EF12形・EF13形・EF15形の牽引定数1200tに追いついて、新鶴見操車場 - 稲沢操車場間で1200t列車を通し運転することが実現した。その後も本形式は関ヶ原や船坂峠といった10‰勾配の連続する区間で牽引性能を最大限に発揮し、東海道・山陽本線全線での1200t貨物列車運転を実現させているだけでなく、ワキ1形やワキ1000形などで編成された急行貨物列車も牽引している。また、山陽本線の難所である瀬野 - 八本松間(瀬野八)の補助機関車としても使用され、同区間を通る上り旅客列車と軽量の貨物列車には単機、重量貨物列車には重連で充当された。

本形式は東海道・山陽本線以外に御殿場線、岩徳線で旅客列車や貨物列車を牽引したほか、梅田貨物線や城東貨物線でも少数が運用されていた。また1955年(昭和30年)末以降は東海道本線の電化により余剰車が延べ9両鹿児島本線(門司 - 鳥栖間)用として門司機関区に転属、同線で貨物列車を牽引したが、1961年(昭和36年)の門司 - 久留米間電化により全車が休車、現地で廃車となった1両を除き翌年までに本州へ転属している。その後1964年(昭和39年)に山陽本線が全線電化、御殿場線も1968年(昭和43年)に電化が完了したことによりそれらの路線で運用されていた本形式も全車運用を離脱、後述する北海道地区へ転属した一部を残して廃車となった。

最終的には再度北海道地区の函館・室蘭本線(函館 - 東室蘭間)への充当を目的として、山陽本線の電化に伴い余剰機となった姫路第一機関区所属の8両 (D52 56, 136, 138, 202, 204, 235, 404, 468)と岡山機関区所属の5両 (D52 140, 201, 217, 400, 414) 計13両が1960年(昭和35年)度に、1968年(昭和43年)度に吹田第一機関区の142、糸崎機関区の28の延べ15両が五稜郭機関区に転属し、函館・室蘭本線で1972年(昭和47年)まで使われた。本機の最終使用は1972年12月で、稼動状態で最後まで残ったのはD52 202である。国鉄最強の称号で名高い本形式であり、SLブームの中での引退であったものの、軸重の重さゆえ運行できる路線が限定されたこと、貨物機であったことから一般のなじみが薄かったため、その引退はひっそりとしたものであった。

保存機
京都市の京都鉄道博物館(旧梅小路蒸気機関車館)をはじめとして、7両が静態保存されている。同機の活躍舞台として知られた御殿場線の縁から、神奈川・静岡両県での保存が極めて多い。

D52 1:広島市東区「日本貨物鉄道(JR貨物)広島車両所」(準鉄道記念物)
D52 70:神奈川県足柄上郡山北町「山北鉄道公園」(山北駅前)
2016年3月、圧縮空気による動態運行が可能な状態に整備され、同年10月14日の「D52 奇跡の復活祭」にて十数メートル自走した。動態運行は定期的な運行が予定されている。復元と稼動に中心的な役割を担っていた国鉄OBが直後に急逝し、次回の運行を中止すると報じられたが、役割については国鉄OBと交流があった男性に引き継がれている。有火ではないものの、自走可能な唯一のD52である。
D52 72:静岡県御殿場市御殿場駅前ポッポ広場
保存当初は同市内の湯沢平公園で展示されていた。2010年9月28日に公園での展示を終了し、同年11月28日から現在地で展示されている。
D52 136:静岡県沼津市「高沢公園」
D52 235 (138) :神奈川県相模原市「鹿沼公園」
現車はD52 138ではないか、との説があるが、2009年8月、「相模原D52保存会」の手により整備された際、現車のロッドにD52 235の刻印があるのが発見された。蒸気機関車ほか 鉄道保存車両について D52型data)
相模原D52保存会の2010年3月ブログには、「138号機の刻印が複数個発見されている」との記述と刻印の写真が掲載されている。
D52 403:神奈川県平塚市「平塚市博物館」
D52 468:京都市下京区「京都鉄道博物館」(準鉄道記念物)

運用者 運輸省→日本国有鉄道
製造所 浜松工機部・鷹取工機部
汽車製造・日本車輌製造
川崎車輛・日立製作所
三菱重工業
製造年 1943年 - 1946年
製造数 285両
引退 1972年
愛称 デゴニ
運用範囲 東海道本線・山陽本線
函館本線・室蘭本線
東北本線
主要諸元
軸配置 1D1 (2-8-2、ミカド)
軌間 1,067 mm
全長 21,105 mm
全高 3,982 mm
機関車重量 74.42 t(空車)
85.13 t(運転整備)
動輪上重量 66.29 t(運転整備)
炭水車重量 19.74 t(空車)
51.76 t(運転整備)
総重量 94.16 t(空車)
136.89 t(運転整備)
動輪径 1,400 mm
軸重 16.63 t(最大・第3動輪上)
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程) 550 mm × 660 mm
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 16.0 kg/cm2
ボイラー水容量 9.87 m3(過熱式)
大煙管
(直径×長さ×数) 140 mm×5,500 mm×35本
小煙管
(直径×長さ×数) 57 mm×5,500 mm×94本
火格子面積 3.85 m2
全伝熱面積 167.1 m2
過熱伝熱面積 77.4 m2
全蒸発伝熱面積 167.1 m2
煙管蒸発伝熱面積 147.4 m2
火室蒸発伝熱面積 17.5 m2
燃料 石炭
燃料搭載量 10.0 t
水タンク容量 22.0 m3
制動装置 自車: 空気ブレーキ
編成: 自動空気ブレーキ
最高運転速度 85 km/h
最大出力 1,949 PS
動輪周出力 1,660 PS

IKAROS 小型ソーラー電力セイル実証機(JSPEC/JAXA)

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IKAROS(イカロス)とは独立行政法人宇宙航空研究開発機構・宇宙科学研究所(ISAS/JAXA)及び月・惑星探査プログラムグループ(JSPEC/JAXA)が開発した小型ソーラー電力セイル実証機である。名称は「太陽放射で加速する惑星間凧宇宙船」を意味する英語の「interplanetary kite-craft accelerated by radiation of the Sun」にちなむものであり、森治により、ギリシア神話の登場人物の一人イカロスにちなんでつけられた。

金星探査機「あかつき」と共に、2010年5月21日に種子島宇宙センターから打ち上げられ、6月3日から6月10日にかけてセイルを展開、7月9日に太陽光(太陽風ではない)による光子加速の実証が確認された。12月8日には金星フライバイを行っている。

IKAROSはソーラーセイルを主推進として利用する世界初の惑星間航行宇宙機であり、主に以下の4つの項目について技術実証を行う計画である。

大型膜面及び展開機構の開発と展開制御技術の確立
太陽電池セルを搭載したソーラー電力セイルからの集電
光子セイルによる加速実証と加速性能の推定
操舵装置の搭載による光子セイルを用いた航行技術・方向制御技術の確立
打ち上げ後数週間で上記2項目(ミニマムサクセス)を達成し、その後約半年かけて下記2項目(フルサクセス)を達成した。 2010年12月8日には金星フライバイを行い、当初予定していたミッションをすべて成功させた。 今後も更なる技術検証および習得を目指して運用が行われる予定である。

本体とセイルに大別される。スピン安定であり、セイルの展開もスピンを利用して行われる。

本体
直径1.58m高さ0.9454mの円柱状であり、主に構造部、太陽指向面、ミッション部、バス部から構成される。構造部はロケット結合部、ロケット結合部と太陽指向面を接続し全体の構造強度を保つスラストチューブから構成される。太陽指向面には補助用太陽電池が配置される。ミッション部はセイルの収納、テザーの結合、ブラシレスモータを用いたセイルの展開等を行い、セイルとバス部の電気的接続を担う。バス部はスラストチューブ内に配置され、CPUなどの演算制御機器で構成される。バス部については、れいめいやはやぶさ、あかつき等で開発した部品を使用したり、開発が中止になったLUNAR-A母船の部品の一部を流用することで、リスクやコストの低減をはかっている。また2個のスプリング射出式分離カメラ(DCAM1, DCAM2)を装備しセイル展開状態の本体を撮影できるようになっている。

通信アンテナは、地球との通信用に低利得アンテナ (LGA) が表と裏に2基搭載されている。中利得アンテナ(MGA)も1基搭載しているが、金星フライバイまでに使われることはなかった。このほかVLBI用・DCAM用アンテナを別途搭載している。

セイル
ポリイミド製のセイルは膜厚7.5μmで14m四方の正方形であり、4枚の台形ペタルから構成されている。それぞれのペタルはブリッジで結合されており、本体とは16本のテザーによって結合されている。4つの頂点にはそれぞれ500gの重りが取り付けられており、スピン展開時には遠心力によって先導的な役割を果たす。薄膜太陽電池セルは膜厚25μmでセイルの半ばに本体を囲むように正方形に配置され、面積比ではおよそ10%を占める。セイル片面にはアルミ蒸着が施されており、電位差や電流分布から太陽風プラズマの観測が可能である。他に8ヶ所にダストカウンタが搭載され、宇宙塵の観測を行う。操舵装置として液晶を利用した電気式の調光フィルムが各頂点両側、合計8ヶ所に搭載される。これは、反射率を変化させることで光圧のバランスを崩し、発生したトルクによってセイルの姿勢制御を行うものである。


「IKAROS」は、2010年5月21日6時58分22秒(以下全て日本時間)に、種子島宇宙センターから金星探査機「あかつき」及び小型副衛星4機とともにH-IIAロケット17号機により打ち上げられた。ロケットは順調に飛行しあかつきは所定の軌道に投入された。IKAROSも計画通り分離信号を受け無事に分離された。5月24日、初期動作チェックを終え、実証実験へ移行した。

定常運用
6月3日にセイルの展開を開始し、6月10日に地球からの距離約770万kmにて、セイルの展張、及び薄膜太陽電池による発電を確認した。これによってミニマムサクセスは達成された。6月15日には分離カメラDCAM2を射出し、セイルを展張したIKAROS全体の撮影に成功した。6月19日にはもう一方の分離カメラDCAM1をより低速度で射出し、方向制御用の液晶デバイスの作動を確認した。

6月21日にはIKAROS本体に搭載されたガンマ線バースト観測器(GAP)が稼動し、22日にはセイルに搭載されたダスト検出器(ALADDIN)に電源が入った。7月7日にはGAPが運用開始後初めてガンマ線バーストを観測した。

セイル展開の成功を受け、7月よりフルサクセスの光子加速実証フェーズへと移行、7月9日、以前よりとれていたドップラー効果を利用した地球に対するIKAROSの相対加速度のデータに加え、新たに算出されたレンジアンドレンジレート(RARR)によるIKAROSの軌道決定により、IKAROSが太陽光を受けて光子加速を行っていることを確認した。その力は地球上で0.114グラムの重りがぶら下った程度の力とされる(約1.1×10−3 ニュートンに相当)。続けて7月13日に姿勢制御デバイス(液晶デバイス)によるセイルの姿勢制御実験が行われ、想定通りの姿勢制御性能を達成していることが確認された。

12月8日、日本標準時16時39分、IKAROSは金星から80,800kmの地点を通過。ソーラーセイル宇宙機としてははじめて、他の惑星の近傍に到達した。機体は良好な状態を保っている。

後期運用
2011年1月には、約6ヶ月間の定常運用を終了し、後期運用に入ったと報告された。期間は2012年3月末までで、後期運用終了時に継続運用の是非を判断する。 2011年10月には「膜面挙動・膜面形状の変化を積極的に引き出して展張状態の力学モデルを構築する」ことを目標に機体の回転方向を反転させる逆スピン運用が実施され、問題なく逆スピン状態になった。 2012年1月には、運用状況からIKAROSが冬眠モード(発生電力低下による搭載機器シャットダウン)に移行したことが確認された。

2012年3月の報告では後期運用中の低スピン運用や逆スピン運用、大姿勢変更運用によって膜面形状や膜面姿勢運動に関する想定外の現象が見られたことが報告された。また、2012年度の運用では6月から10月には冬眠モードから復旧しデータ取得ができる可能性が報告されていたが、9月6日に電波を発見し8日にIKAROSが冬眠モードから明けた(復旧)ことが確認できた。

その後まもなく、11月22日には再び冬眠モードに入ったことが確認された。その間はビーコン運用だけだったため、画像などの詳細なテレメトリこそ得られなかったが、それまでに得られたデータをまとめるため、翌2013年3月28日にプロジェクトチームの解散が発表された。なお同年初夏に予想されるIKAROSの冬眠開けに向け、運用継続が発表され、その後、予定通り電波の捕捉ができていることが報告された。9月には3度目の冬眠モードへ移行した。

2014年5月22日にも3回目の冬眠モード明けで電波の受信に成功し、8月7日には4回目の冬眠モードへ移行した。

2015年4月23日、4回目の冬眠モード明けで電波の受信に成功した。

ミッション終了後のイカロスは太陽の周りを約10ヶ月で公転しているが、姿勢制御をしていないため太陽電池に日が当たる期間に地球が電波の届く位置にないとテレメトリは得られない。今後も冬眠と冬眠明けを繰り返す事になる。

公式Twitterにおいて、運用チームのメンバーがIKAROSの擬人化キャラクター「イカロス君」としてミッションの進行状況を広報している。2010年9月9日、「イカロス君」が第8回Webクリエーション・アウォードにおいて一般投票の最多得票者に贈られる「気になるWeb人で賞」を受賞した。 2010年12月12日、IKAROSのミッションをわかりやすく解説した政府公刊物「イカロス君の大航海」が発行、2012年3月10日には東日本大震災復興支援プロジェクトとして「イカロス君のうた」(歌:間宮くるみ、作詞:ゆうきよしなり、作曲/編曲:真鍋旺嵩、中沢昭宏 (WEEAST)、ディレクション/ミックス:安保一生、イラスト/映像:みみみみドイツ)がIKAROS専門チャンネルにて公開された。子供から大人まで楽しめる内容になっている。

所属 宇宙航空研究開発機構(JAXA)
主製造業者 NEC東芝スペースシステム
公式ページ 小型ソーラー電力セイル実証機「IKAROS」
国際標識番号 2010-020E
カタログ番号 36577
状態 運用中
目的 ソーラー電力セイルの実証
計画の期間 半年
打上げ機 H-IIAロケット 17号機
打上げ日時 2010年5月21日
6時58分22秒(JST)
物理的特長
本体寸法 直径1.58 m × 高さ0.9454 m (円筒型)
最大寸法 直径20 m (約14m×約14mの四角型ソーラー電力セイル展開時)
質量 (打上げ時)310 kg
(ドライ)290kg
(膜面) 15kg
主な推進器 200m2ソーラー電力セイル
23NHFC-134a気液平衡スラスタ
姿勢制御方式 スピン安定制御
軌道要素
周回対象 太陽
軌道 地球-金星遷移軌道
近点高度 (hp) 0.7 au
遠点高度 (ha) 1 au
観測機器
ALADDIN 大面積薄膜ダスト検出アレイ
GAP ガンマ線バースト偏光検出器
DCAM1 スプリング射出式分離カメラ1
DCAM2 スプリング射出式分離カメラ2

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