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東高須駅(広島電鉄宮島線)

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東高須駅(ひがしたかすえき)は、広島県広島市西区庚午北二丁目にある広島電鉄宮島線の駅である。広電西広島からもほど近いためか、利用客は少ない。

駅周辺は住宅地です。

当駅はホームが地面に接する地上駅である。ホームは2面あり、2本の線路を挟み込むように置かれている。ただし互いのホーム位置は斜向かいにずれていて、起点から見て手前に広電西広島駅方面へ向かう上りホームが、奥に広電宮島口駅方面へ向かう下りホームがある。

広電西広島方面ホーム入口のスロープは狭いスロープです。両ホームの間には道路が通っていて、踏切が設置されている。

両ホームにはは電照式の列車近接案内、長椅子も設置されています。広電宮島口方面ホーム脇には駐輪場が設置されています。


1922年(大正11年)に宮島線が開業した際、当地に駅は開設されておらず、東高須駅が開業したのはそれから40年ほど経過した1964年(昭和39年)のことである。

当駅の広電西広島寄りで、宮島線は国道2号の西広島バイパスと交差している。

1964年(昭和39年)12月1日 - 開業。

『広島市統計書』によると、2015年度の年間乗車人員の総数は推計で352千人であった。参考として、日数で除して1日当たりの平均乗車人員を算出すると962人となる。

駅番号 ●M20
所属事業者 広島電鉄
所属路線 ■宮島線
キロ程 1.0km(広電西広島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 962人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1964年(昭和39年)12月1日

 


英国ブリストル社製・オーフュースMk.805エンジ

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オーフュースMk.805(推力1,815kg)

ブリストル・エンジン社
ブリストル・エンジン社は、もともとは第一次世界大戦以前からあった自動車メーカー、ブラジル・ストレイカー社の後身のコスモス・エンジニアリングという別個の会社だった。1917年に、コスモス社は空冷式星型エンジン開発の依頼を受けた。それは後にブリストル マーキュリーとなる、14気筒の複列のものであった。彼らはこれを1918年に完成させたが、注文はわずかだった。しかしより小型でよりシンプルな9気筒のタイプは大きな成功を収めた。このエンジンはブリストル ジュピターとして知られている。

第一次世界大戦後、軍需が急速に減ったことによりコスモス・エンジニアリングは経営危機に瀕した。航空省はブリストル飛行機がコスモス社を買収するように促した。ジュピターは1920年代を通してアームストロング・シドレー・ジャガーと争ったが、ブリストル社はその設計により多くの力をつぎ込み、結果として、1929年にはジュピターが明らかに優位に立っていた。1930年代には、彼らはスリーブバルブ原理にもとづく新たな星型エンジンの系列を開発し、それは世界で最も強力なピストンエンジンに発達して、1960年代まで販売されていた。

1956年にエンジン部門は「ブリストル・エアロ・エンジン(Bristol Aero Engines)」と名を変えたが、ブリストルの機体製造部門が他社と合併してBACをつくったのと同じように、1958年にアームストロング・シドレー社と合併して「ブリストル・シドレー」となった。1966年、ブリストル・シドレーはロールス・ロイスによって買収され、ロールス・ロイスはイギリス唯一の大規模航空エンジン企業となった。ロールス・ロイスは、ブリストル・シドレーによって開発されたエンジンについてもロールス・ロイス・ブランドで生産することとしたため、オリンパス・ターボジェットエンジンやペガサス・エンジンもみな「ロールス・ロイス」の名を冠することとなった。ブリストルによって与えられた古典的な名称は、イギリスの河川の名前から付けられるロールス・ロイス社の製品の中で、かろうじてその由来を示している。


ブリストル・シドレー オーフュース(Bristol-Siddeley Orpheus)はブリストルエアロエンジンが開発した一軸式のターボジェットエンジンである。フォーランド ナットやフィアット G.91のような軽戦闘機や練習機向けではあるが、後にはオーフュースはホーカー・シドレー ハリアー(別名「ジャンプジェット」)向けのロールス・ロイス社の推力偏向式ターボファンエンジンであるペガサスエンジンの最初のコアに使用された。

名前の由来はオルペウス(オルフェウス)の英語読み。

このエンジンは1952年、フォーランド・エアクラフト社向けの推力5,000ポンド級の練習機や軽戦闘爆撃機向けのエンジンを開発を求められた事に始まる。 スタンレー・ホーカーはロールス・ロイス社での初期の経歴の後、新しい会社を立ち上げて計画を立てた。彼は単純で整備が容易なエンジンをフォーランド ナット用に納入して1955年、飛行した。海面高度での静止推力は4,520ポンド(6,128 N・m)でオーフュース701は1段式のタービンで駆動される7段式の軸流式圧縮機を持っていた。

他のも主に練習機に搭載され、富士重工T-1A、ヒンドスタンHF-24マルートや実験機ハンティング H.126 やショート SB.5(英語版)がある。1957年、 NATOは軽戦闘機のエンジンと機体の設計コンペを行った。オーフュースはエンジン部門で勝ちフィアット G.91RとG.91Tにフィアット製造の派生型が搭載された。

1950年代、多くの会社が垂直離着陸機を開発しようとした。マイケル・ワイボールト(Michel Wibault)はターボシャフトエンジンで4機の大型の遠心式圧縮機を用いて推力を偏向させようとした。 ホーカー社の技術者達はオーフュースで大型のファンを回転させて空気を回転する噴射口から噴射する事を決めた。この実験システムの開発はペガサスエンジンへ繋がる。

オーフュースは1967年、コニストン湖でドナルド・キャンベル(Donald Campbell)によって水上速度記録に挑んだブルーバード K7ハイドロプレーンの動力として使用された。

また、まだ破られていないイギリスでの地上速度記録を樹立した自動車ヴァンパイアにも使用された。

フェラーリ・F355

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フェラーリ・F355
F355は、イタリアの自動車メーカーのフェラーリが1994年から1999年にかけて製造、販売したリアミッドシップエンジン・後輪駆動のスポーツカーである。

初代(1994-1999年)
1994年5月、マラネッロのフェラーリ本社にて発表された。「F355」の車名は排気量約3,500cc・5バルブのパワーユニットを搭載していることに由来する。

美しいラインを持つクーペ(ベルリネッタ)ボディのスタイリングは先代348シリーズに続き、イタリアのカロッツェリア「ピニンファリーナ」が手がけたもの。348のラインを受け継ぎながらも、フィンなどの余計な突起を廃した、より曲線的で艶やかなデザインを採用している。

348シリーズで採用されたセミモノコックフレーム構造は継承され、より改良されたものが採用されていた。

縦置きに搭載されるパワーユニットは5バルブ化された新開発の90度 3,495cc V型8気筒DOHC「F129B」型で、ボッシュ社のモトロニック(前・中期型はM2.7、後期型はM5.2)で制御され、最大出力380PS/8,200rpm、最大トルク36.7kgf·m/5,800rpmを発生。ギアボックスはフェラーリ初の6速MT。高回転化に対応するべく、鍛造アルミ製ピストンやチタン製コンロッドなどの贅沢な素材が多く使用されていた。また、高回転化は数値だけでなく、フェラーリの持つ魅力のひとつである「音色」にも貢献。348と比較して、より官能的なエキゾーストノートを奏でることが可能になっていた。

スーパーカーの代名詞とも言える角型2灯式のリトラクタブル・ヘッドライトは健在。テールエンドは空力を意識してダックテール状に処理されている。テールランプは348の異形タイプからフェラーリ伝統の丸型4灯に変更されている。

ボディタイプは当初、前述の「ベルリネッタ」、デタッチャブルトップ(タルガトップ)の「GTS」の2種類で、1年後の1995年4月に電動ソフトトップを持ったフルオープンボディの「Spider」が追加された。日本に上陸した車両の多くはベルリネッタボディだった。

横置きされるトランスミッションは当初リジッドロッド式の6速MTのみだったが、1997年にマニエッティ・マレリ社と共同開発したパドルタイプの2ペダル・セミオートマチックシステムである「F1マチック」搭載車が追加され、よりイージーにフェラーリのドライブが楽しめるようになった。

足回りは前後ともダブルウィッシュボーン式。電子制御式の可変ダンパーを装着しており、「スポーツ」と「コンフォート」の2種類のプログラムが選択できた。また、タイヤも18インチにサイズアップが図られ、フロント225/40ZR18、リア265/40ZR18のピレリ製ハイグリップラジアルタイヤを装着していた。

とかくエクステリアやパワーユニットといったメカニズムに注目が集まるが、F355は内装も従来型に比べ改良されている。F355でフェラーリ初採用となったレカロシートもあいまって、より近代的なドライビングポジションが取れるようになったシートポジションや運転席SRSエアバッグの標準装備化、前面が本革で覆われたダッシュボードなど、質実ともに向上している。

また、パワーアシスト付きのステアリングが標準仕様になっていた(レスオプションも可能だった)。

日本には1994年に正式輸入が開始された。当時の販売価格はそれぞれベルリネッタが1,490万円、GTSが1,550万円、Spiderが1,625万円だった。

1997年、コーンズは、フェラーリのビジネスパートナーとなって20周年を迎えた記念として、フェラーリによって製作された20台のF355「コーンズ・スペシャル・エディション」を販売した。内訳は、ロッソコルサ/ネロ7台、ロッソフィオラノ/ネロ6台、ブルーツールドフランス/タン7台である。

1999年、後継車の360モデナを発表し、生産・販売を終了する。

2010年6月30日、燃料パイプの不具合による火災の恐れがあるということで、FerrariJapanは国土交通省にリコール(回収・無償修理)を届け出た。

モータースポーツへの参戦
ワンメイクレースの「F355チャレンジ・レース」が世界各地で行われ、その年間上位ドライバーが年一回の世界一決定戦に出場し、覇を競っていた。レース車両は一般公道走行可なF355チャレンジが販売され、リアエンドにはカーボングリル、運転席にはロールケージが装着される。

また、全日本GT選手権(JGTC・現SUPER GT)のGT300クラスにもエントリー経験がある。

1997年と1998年にはフェラーリ・クラブ・オブ・ジャパン・チームがF355を走らせ、ドライバーには「日本一のフェラーリ使い」と呼ばれた太田哲也とアンダース・オロフソンのコンビを起用した。尻上がりに調子を上げた2人のF355は、1997年の第4戦では2位、同年のオールスター戦ではGT300のクラス優勝を果たしている。しかし、飛躍を期した1998年、豪雨の富士スピードウェイでの第2戦のローリングラップ中のアクシデントによりマシンは爆発炎上・大破。ドライバーの太田哲也が瀕死の重傷を負い、一時参戦を見合わせた。

またワイ・ジー・ケーも、1998年~1999年に「クラブイエローマジック」名義で参戦。1999年にはドライバーに元F1ドライバーの井上隆智穂を起用したが、同年にわずか3ポイントを獲得したのみにとどまった。

ちなみにこのF355チャレンジを冠した同名のゲームがセガ(後のセガゲームス並びにセガ・インタラクティブ)から発売されている。

販売期間 1994年 - 1999年
デザイン ピニンファリーナ
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドア クーペ(ベルリネッタ)
2ドア タルガトップ(GTS)
2ドア スパイダー(Spider)
エンジン 90度V8 DOHC 5バルブ
駆動方式 MR(縦置きエンジン・横置きミッション)
最高出力 380PS/8,200rpm
最大トルク 36.7kgf·m/5,800rpm
変速機 6速MT
6速セミAT(F1マチック)
サスペンション 前後:ダブルウィッシュボーン式
全長 4,250mm
全幅 1,900mm
全高 1,170mm
ホイールベース 2,450mm
車両重量 1,440kg(ベルリネッタ)
ブレーキシステム 前・後共にベンチレーテッドディスク式
先代 348GTB
後継 360モデナ

 

F-35B ステルス戦闘機

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F-35 ライトニング II(英: F-35 Lightning II)は、アメリカ合衆国の航空機メーカー、ロッキード・マーティンが中心となって開発している単発単座の多用途性を備えたステルス戦闘機である。
開発計画時の名称である統合打撃戦闘機(英: Joint Strike Fighter)の略称JSFで呼ばれる事も多い。

統合打撃戦闘機計画(JSF)に基づいて開発された、第5世代ジェット戦闘機に分類されるステルス機である。ロッキード・マーティン社はF-35を輸出可能な最初の第5世代ジェット戦闘機と位置付けている。
概念実証機のX-35は2000年に初飛行を行い、競作機となったX-32との比較の結果、X-35がJSFに選定される。量産機のF-35は2006年に初飛行し、現在でも開発は継続中である。アメリカ空軍への本機の納入は2011年5月から開始され、初期作戦能力(IOC)獲得は2015年7月31日のアメリカ海兵隊のF-35Bが初となった。2015年内には一年間で45機としていた量産目標を初めて達成した。
JSFの名の通り、ほぼ同一の機体構造を用いながら、基本型の通常離着陸(CTOL)機であるF-35A、短距離離陸・垂直着陸(STOVL)機のF-35B、艦載機(CV)型のF-35Cという3つの派生型を製造する野心的なプロジェクトである。戦闘機のマルチロール機化は、現代の戦闘機開発の主流となっているが、1960年代には空軍の戦闘爆撃機と海軍の艦隊防空戦闘機を兼務するF-111の開発において、機体が大型化し想定した任務の全てを果たせず、失敗している。対してF-35は、比較的小型の機体で多任務とステルス能力の付加、さらには基本設計が同一の機体でCTOLとVTOLを派生させるという前例の無い多任務能力を達成し、採用予定国も複数に上る。また、F-35Bは世界初の実用超音速VTOL戦闘機となる。
アメリカ空軍・海軍・海兵隊、イギリス空軍・海軍、トルコ空軍、航空自衛隊、ノルウェー空軍などが採用を決定している。アメリカ軍はF-35を2,443機配備することを予定しており、さらに現在F-16などの旧世代戦闘機を使用している国でも採用される可能性が高いため、最終的な製造数は5,000機以上にのぼることも予測されている。しかし開発の遅延や当初予定より大幅なコスト高などの課題も抱え、2014年3月時点で開発総額は3,912億ドル(40兆円)に達すると判明している。一方で今後半世紀程は世界中の空軍や海軍で各仕様が運用されることが決まっており、オーストラリア空軍などは既にF-35Aを受領している。2016年1月にはイギリス海軍に、アメリカ以外では初のF-35Bが引き渡され、今後もA型を中心に順次各国へ引き渡される。
運用期間については、2070年までの使用が想定されている。
なお、F-104同様に最後の有人戦闘機と呼ばれることがあるが、これは地対空ミサイルの発達によるものではなく、無人戦闘機の開発によるものである。

開発の経緯
アメリカのF-16、A-10、F/A-18、AV-8B、およびイギリスのシーハリアー、ハリアー GR.7/GR.9、カナダのCF-18などを含む、多種類な戦術航空機を同じ原型の機体により代替する新型機の開発を目的とした「統合打撃戦闘機計画」に基づき、ボーイング社のX-32とロッキード・マーティン社のX-35の2種の概念実証(CDP)機が開発された。
開発競争の結果、全体として完成度が高く、目標性能に合致またはそれを超えた性能を持ち、計画の次の段階に入るための基準と技術的熟成を達成されており、STOVL型でリフトファンを採用した、X-35がシステム開発実証(SDD)の段階へ進む機体として2001年10月26日に選定された。その後、X-35にはF-35の制式名称が与えられた。SDDの段階では飛行試験機が製作され、最初に完成した機体は、さまざまな基本的要素を試験・確認するCTOL仕様のAA-1として製作されており、それ以降は実用機に近い形で製作され、CTOL型のF-35AのSDD機であるAF-1〜4の4機、STOVL型のF-35BのSDD機であるBF-1〜5の5機、CV型のF-35CのSDD機であるCF-1〜3・5(CF-4はキャンセル)の4機の合計して14機が製作された。また、飛行試験を行わない試験機を8機製作しており、その中には、レーダー断面積やレーダー波反射特性を調べる「シグネチャー・ポール」機が1機製作されている。

量産計画
量産型の生産計画についてアメリカ軍では、2006会計年度に第1期低率初期生産(LRIP(Low Rate Initial Production)1)の長期先付け(LL)品の購入が認められ、また、2007会計年度には完全な予算が承認されたことで、2機のF-35Aの製造が開始された。2010会計年度のLRIP5からは対外有償軍事援助(FMS)機の製造を組み込むことも可能とされた。このLRIPは2013会計年度のLRIP7まで続けられる予定で、その後の2014会計年度より多年度調達(MYP)計画に移行するとされていた。しかし開発の遅れに伴い現在もLRIPは続いており、2016会計年度のLRIP10以降も続けられる見込み。第1期全規模生産(FRP1)は2026会計年度を予定している。

海外での生産・整備施設
大量の製造が見込まれるため、米本国のテキサス州フォートワース工場以外ではイタリアのカーメリと日本の名古屋近郊にFACO(最終組立・検査:Final Assembly & Check Out)施設が設置されており、さらにトルコにも設置が検討されている。また、ステルスを始めとした各種性能の維持やブラックボックス等のロッキード・マーティンしか触ることのできない部分のメンテナンス・修理、オーバーホール、今後のアップグレード作業を目的とした国際整備拠点MRO&U(Maintenance Repair Overhaul and Upgrade)の設置が予定されており、米本国、欧州ではイタリアとトルコ、アジア圏では北半球に日本、南半球にオーストラリアが検討されている。運用機数の多い欧州では、これらのMRO&U拠点で十分な運用体制が確立できない場合、追加でイギリス、オランダ、ノルウェーにもMRO&U拠点を設置することになっている。ほか、F-35を導入予定の韓国では日本での整備を拒否しており、ロッキード・マーティン社から重整備を国内のみでできるとの説明を受けたとしていたが、2014年に韓国向けの整備をオーストラリアで行うことが報じられた。
2013年7月17日にはイタリアのカーメリ工場のFACOが米本国に次いで稼働。このFACOは、イタリア国防省が保有しており、アレーニア・アエルマッキとロッキード・マーティンが運営する。今後イタリア空軍及び海軍が運用するすべてのF-35A/Bをノックダウン生産(契約条件で順次ライセンス生産に移行する場合もある)する能力を持ち、オランダ軍向けの機体等の海外へ販売される機体の製造も行う。また、アメリカ国防総省から欧州地域におけるMRO&U拠点にも指定されている。他にも、翼の生産も行っており、完成品はロッキード・マーティンのフォートワース工場に納品されている。
2015年12月15日には日本の三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所小牧南工場(愛知県西春日井郡豊山町)のFACOが稼働。ノースロップ・グラマン製の中央部胴体、ロッキード・マーティン製の前部胴体・コックピット・主翼、BAEシステムズ製の後部胴体、IHIのノックダウン生産したエンジンを組み上げ、エレクトリック・メイト&アッセンブリー・ステーション(EMAS)での行程を経て機体をロールアウトする。また、2014年にアメリカ国防総省からアジア地域の北半球を担当するMRO&U拠点をここに設置することが発表された。現時点で生産されているのはA型のみで、初期に後部胴体を含む4割近いライセンス生産も検討されたが、三菱重工業側から採算性の問題から断っており、国内生産は部分的なパーツ生産に留まっている。
搭載されるF135ターボファンエンジンは現在の所、米本国のコネチカット州ミドルタウン工場とフロリダ州ウエスト・パームビーチ工場で製造されているが、日本のFACOでの使用分はプラット・アンド・ホイットニーからIHIが請け負っており、2017年3月28日にF135専用施設が瑞穂工場(東京都瑞穂町)内で稼働。この施設では組立と試運転が可能で、防衛省はF-35を年に6機程度導入する計画のため、これに合わせて年間6基前後の生産能力を持っており、一部部品は相馬工場(福島県相馬市)と呉第二工場(広島県呉市)等で生産される。これらの工場は将来MRO&U拠点が設置される際のエンジンの担当も期待されている。エンジン組み立て工場は他にもMRO&U拠点が設置予定のイタリアとトルコにも建設が検討されている。
部品供給
機体の維持については、ALGS(英: Autonomic Logistics Global Sustainment)と呼ばれる国際的な後方支援システムが導入される。これはアメリカ政府の管理の下、全ての運用国が共通の在庫プールを通じて交換部品の融通を行うもので、各国は保有する部品の在庫を最小限に抑制できる。ただし部品はF-35運用国以外への移転が厳しく制限され、また移転は国連憲章の目的と原則に従うF-35運用国に対するもののみに限定される。

外形
F-35はF-22と同様に機体形状と縁の角度の統一が図られており、ステルス性に優れた主翼の菱形翼と水平尾翼は、前縁に33度の後退角と後縁に14度の前進角を有しており、菱形翼には操縦翼面として、前縁に前縁フラップ、後縁にフラッペロンが装備されているが、F-35Cでは後縁外側に補助翼が装備されている。水平尾翼はF-22と同じく全遊動式であり、2枚の垂直尾翼は42度の前縁後退角を有しており、機体の中心線から左右に25度外側に傾けられている。
主翼付け根前縁から機首先端まで続くチャインは機体の上面と下面を明確に分けており、エアインテーク(エアインレット)はチャインの下、コックピット後方の左右にある。従来の超音速ジェット機にあったような境界層分離板が無く、胴体側面の出っ張りによって境界層を押しやる仕組みになっており、ダイバータレス超音速インレット(DSI)などと呼ばれている。
空中給油受油装置として、A型は背部に空軍式(フライング・ブーム方式)のリセプタクル、B/C型は機首右側に海軍式(プローブ・アンド・ドローグ方式)のプローブを装備する。
コックピットには前方ヒンジ方式の一体型キャノピーを採用した。これによりアクチュエーターの小型化と重量の軽減が可能となった。合わせて、整備の際のアクセスも容易となった。電気システムのユニットや整備アクセス関連のユニットを、それぞれ胴体側面に配置したことにより、今までと比べて少ないアクセスパネルで対応できるようになっている。
一つの基本設計を基に、通常離着陸(CTOL)型、短距離離陸・垂直着陸(STOVL)型、艦載機(CV)型と3タイプの開発・製造を目指すものの、設計の共通性は高い。各タイプの設計に占める独自設計部分はA型が19.8%、B型が32.6%、C型が43.1%と、艦載機用の追加パーツが多く最も共通性の低いC型においてすら50%以上の完全な共通設計、もしくは同類設計が用いられている。複座の練習機型は存在せず、パイロットの教育はフルミッション・シミュレーター(FMS)と呼ばれるフライトシミュレーターを使って行われる。このFMSは360度のドーム型スクリーンを備え、実機と同じソフトウェアを搭載し、A/B/Cの3タイプいずれにも設定可能である。また整備士の教育用として兵装搭載トレーナー(WLT)、射出システム整備トレーナー(ESMT)と呼ばれる実物大モックアップが用意されており、前者は胴体と主翼を再現した兵器類の搭載訓練用、後者は機首とコックピットを再現した射出座席・キャノピー投棄システム整備訓練用となっている。これらもパーツの組み換えなどで3タイプ全てに対応可能である。
ステルス性については詳細が公表されていないものの、機体表面のほとんどに用いられるカーボン複合材には、カーボン素材の段階からレーダー波吸収材(RAM)が混合されているという新しい手法が用いられており、その上で要求されたステルス性を満たすべくRAM塗料による塗装を行っている]。これには、従来のステルス機より維持や管理が低コストで済むという利点がある。機体の製造においては、外部シールドライン制御と呼ばれる工法を使用しており、機体各部の繋ぎ目をほとんど無くして、そこにRAMでシールすることにより、繋ぎ目での段差や溝を無くすことで、そこからのレーダー反射を防いでいる。機内には大容量の燃料タンクが搭載されており、F-22と同様にアンテナやセンサー類の張り出しを極力設けない設計を採用して、内蔵アンテナとセンサーを一体化させ、それを機体フレーム内に埋め込むことで、その効果を高めている。単発のF-35の機体サイズ自体もF-22と比べて小型化したことで、目視での発見を困難とする(低視認性)。
なお、機体形状についてX-35から変更された点は以下の通り。
電子機器の搭載スペース確保のため前部胴体を12.7cm延長
胴体延長に伴う安定性と操縦性の維持のため水平安定板を5.1cm後方へ移動
機内燃料搭載量増加のため胴体背部を2.5cm上昇
胴体内兵器庫のスペース確保のため主脚の取り付け位置を胴体から主翼付け根へ変更


操縦系統
操縦系統にはパワー・バイ・ワイヤを導入している。これは従来のフライ・バイ・ワイヤで使われていた油圧アクチュエータを極力廃止し電気系統に置き換え、軽量化・整備性の向上を図ったもので、F-35では冗長化のため電気と油圧どちらでも駆動するEHA(英: Electro Hydrostatic Actuator:電気油圧アクチュエータ)を採用している。これにより純粋な油圧系統が使用されているのは、降着装置、ウェポンベイ扉、A型の固定機関砲駆動システム、B型のロールポスト、C型の主翼折り畳み機構のみとなった。

エンジン
F-35ではその開発に際し、各軍からの要求の多くを実現しようとしたため、単発戦闘機としては大型な重量級の機体となった。それにあわせてエンジンも、F-22向けのP&W F119の派生形にあたる強力なP&W F135を搭載している。その推力はドライ出力でも125kN、アフターバーナー使用時には191kNにも達し、比較的小型な第4.5世代双発戦闘機の合計推力に匹敵・凌駕するものとなった。
以下に比較例を挙げる。
F/A-18C/D(F404、ドライ出力:48.9kN×2=97.8kN、A/B出力:78.7kN×2=157.4kN)
ラファール(M88、ドライ出力:50.04kN×2=100.08kN、A/B出力:75.62kN×2=151.24kN)
ユーロファイター(EJ200、ドライ出力:60kN×2=120kN、A/B出力:89kN×2=178kN)
F/A-18E/F(F414、ドライ出力:62.3kN×2=124.6kN、A/B出力:97.9kN×2=195.8kN)
この大型・高推力エンジンと固定エアインテークの取り合わせにより、騒音が大きくなってしまったとされるが、アメリカ国防総省が2014年に公開した調査報告書によると、F-35Bの騒音は既存の戦闘機とほぼ同じ水準であるという。エンジンはプラット・アンド・ホイットニー以外からの供給も考慮され、GEアビエーションおよびロールス・ロイスそれぞれがF136を開発していたが、2011年12月2日に開発は中止された[23]。代替エンジン自体は、1996年11月より検討作業が行われていた。
STOVL機であるF-35BではV/STOL能力のために軸駆動式リフトファン方式とジェット推力を下方に偏向させる特殊な排気ノズル"3BSM"を採用している[24]。この"3BSM"は真下方向を越えて中心軸方向に対して最大95度まで2.5秒で角度変換でき、作動中はアフターバーナーは使用できない[24]。V/STOL時に発揮されるすべての推力を合計した最大垂直推力は180.8kNであり、その内訳は、ノズルを90度下方に偏向させた場合のエンジン推力最大値である83.1kN、リフトファンの最大83.1kN、左右それぞれのロールポストからの最大14.6kN(2基計)、である。 ちなみに、V/STOL時の姿勢制御は、機体のローリング制御をロールポストからの吹き出し量により、また、ヨーイング制御をエンジン排気ノズルの角度調節により、それぞれ行う。軸駆動式リフトファンはロールスロイスが開発したものであり、リフトファンは二重反転型となっている。リフトファンはエンジンの低圧タービン・クラッチ・減速機を介して接続されたドライブシャフト[27][28]で駆動される。ドライブシャフトの出力は最大29,000馬力である。 リフトファンの吸気口と排気口に加えて左右のロールポストにも蓋が備わっており、リフトシステムの不使用時にはステルス性を保つために閉じられる。



武装
本機の高ステルス性能を維持するためには、ミサイルや爆弾類の機外搭載は避けて胴体内兵器倉(ウェポンベイ)の中に隠し持つようにして搭載する必要がある。隠密性より兵器の搭載能力が優先される場合には、機外に7ヶ所あるハードポイントにパイロンを装着し、合計で約8tの重さの兵器が搭載できる。
ウェポンベイは内部天井と内側扉内部に1ヶ所ずつ、左右合わせて4ヶ所のハードポイントを備え、空対空ミッションでは左右で最大4発のミサイルを、空対地ミッションでは2,000lb JDAM 2発と中距離空対空ミサイル2発を搭載可能である。空対艦ミッションでは、ウェポンベイには搭載できないハープーンなどの対艦ミサイルを主翼下に搭載して運用するが、これではステルス性を損ねるため、代わりにF-35に搭載するためにノルウェーのコングスヴェルグ社がロッキード・マーティンと共同開発している、JSM(Joint Strike Missile)と呼ばれるステルス性のある形状の空対艦ミサイルをウェポンベイに搭載することとなる。また、F-35Bではホバリング時に内側扉を開き揚力増強装置としても使用する。
ロッキード・マーティンは、ウェポンベイ内部のハードポイントを現状より増やす研究を行っており、ブロック3以降の機体からそれが可能になるとしている。ステーション数は、内部天井ステーションは1つもしくは2つを交換式で選択できるようにし、外側扉の内側に2ヶ所増設することで、最大5ヶ所、左右合わせて10ヶ所となる。また、内側扉内部ステーションにAIM-9を搭載する際には専用の2連装ランチャーを用いるとしており、この場合だとAIM-9を2発搭載しつつ4ヶ所のステーションが使用可能となる。
なお、F-35は日本の次期戦闘機に選定されたが、日本が独自に運用するAAM-4(中距離対空ミサイル)は、AIM-120に比べ太く、兵器システムの大部分を担任しAIM-120のメーカーでもあるレイセオンによれば、F-35のウェポンベイへの装着は極めて困難で、機体側の改修は可能だろうが、加えて兵器システム用ソフトウェアの書き換えなどの手間と費用を考慮すれば、実績のあるAIM-120をF-35と共に導入することが合理的との見解を示している。それに対して、ロッキード・マーティンのスティーブ・オブライアン副社長は、長さがほぼ同じであればスペース的な問題は生じず、太さ1インチ(=2.54cm)の差というのは大した差ではなく、装着用アタッチメントを変更するだけで済むので、このことが大きな問題になることはないとの見解を示している(ただし、指令誘導装置J/ARG-1の搭載が必要であるという点や大型の制御翼については触れていない)。これに関してはMBDAのミーティアを共同で改良の上搭載するという案が挙がっている。
主翼にある翼下パイロンは左右に3ヶ所ずつあり(一番外側は空対空ミサイル専用)各種ミサイル・爆弾が搭載可能である。胴体の下にも1ヶ所あり、ステルス性を犠牲にする代わりに機関砲ポッドまたはドロップタンクが搭載可能である。
固有武装は、F-35A型のみが GAU-22/A 25mm機関砲を機内に固定装備しており、B型とC型では機外搭載オプションの1つとしてステルス性を備えた機関砲ポッドが用意される。
SDB
小直径爆弾と呼ばれる「SDB」は、開発段階から第五世代戦闘機のウェポンベイに合わせて小径に設計された爆弾である。戦闘機としての空戦能力と高いステルス性能を維持したまま、A-10の後継機として爆撃任務にも対応する必要から、ウェポンベイ内に制限された狭い爆弾槽をより有効に活用する要請に応えて開発されている。
ミッションソフトウェア
本機のミッションソフトウェアは800万行を超える膨大なソースコードを有するため、SDD作業において3つのブロックに区分して製造され、完成度を段階的に高めていくことが計画されている。またSDD作業以降の発展版も計画されている。
ブロック0
初期のSDD機には、基本的な機体管理ソフトウェアしか搭載されておらず、ブロック0とも呼ばれるが正式なバージョンとして存在するものではない。
ブロック1
ブロック1A
限定的ながらセンサーの動作が可能[60]。基本的な戦闘能力を持ち、兵装はAIM-120 AMRAAM・JDAM GPS誘導爆弾の搭載能力を持つ。専らボーイング737を改造したアビオニクスのテストベッド機「CATバード(英語版)」にて使用され、F-35ではオランダ向けの初号機「AN-1」のみが搭載。
ブロック1B
EOTSのサポート機能や兵装シミュレーション機能の導入、レーダーモードの追加により、空対空・空対地戦闘訓練が可能なようにされた。
ブロック2
ブロック2A
初期的なデータリンクシステムが導入され、EOTSやEO-DASの操作が可能となった。LRIP4の生産機体から搭載。
ブロック2B
阻止攻撃能力・限定的な空対空能力・近接航空支援能力・敵防空網制圧能力を持ち、JDAM以外の空対地攻撃兵器の搭載も可能となる。F-35Bはこのバージョンで初期作戦能力を獲得した。
ブロック3
ブロック3I
ブロック3の初期版。ハードウェアの更新[62]に伴い、ブロック2Bの演算能力を強化。LRIP6~8の生産機体がこのバージョンにアップグレードされるが、ハードウェアが旧型のLRIP2~5の生産機体については、代わりに同等の機能を持つ新バージョンのブロック2Bが搭載される。F-35Aはこのバージョンで初期作戦能力を獲得した。
ブロック3F
ブロック3の完全版にしてSDD作業での最終仕様。完全な戦闘能力を持ち、あらゆるミッションをこなすJSFとなり、計画されているあらゆる兵装の搭載を可能としている。また、ネットワークを利用した情報共有などを行う、ネットワーク・セントリック・オペレーション(NCO)構想に完全に適合する機能を有する予定である。F-35Cはこのバージョンで初期作戦能力を獲得する予定。
ブロック4
ブロック3の機能強化版。JSMやB61核爆弾の運用能力付加、データリンクシステムの強化が行われる予定。
ブロック5
AN/APG-81レーダーへの海洋モードの追加、電子戦システムのアップグレード、AIM-120の6発同時携行能力の付加などを予定。
ブロック6
推進システムの管理機能、電子攻撃機能、友軍の追跡能力、全方位での脅威のパッシブ探知/反応機能を強化する予定。
ブロック7
生物/化学戦環境下での防護機能強化などを予定。

愛称
本機につけられている愛称である「ライトニング II(英: Lightning II)」は、かつてロッキード社によって開発され、第二次世界大戦で活躍したP-38 ライトニングに因んだものである。また、共同開発の最大のパートナーであるイギリスの、自国で開発した唯一の超音速戦闘機イングリッシュ・エレクトリック ライトニングに因む愛称でもある。なお、YF-22がF-15の後継機の座をYF-23と争った際、この愛称を名乗っていた時期もあった。
派生型
以下に各タイプの概要を挙げる。なお、F-35は現在開発中の機体であり、細かいスペックなどは発表されていない。 当初より多数の国に配備されることもあり、型式番号やシリアルナンバーとは別に販売先ごとの固有のナンバーが設定されており、派生型アルファベット+販売先アルファベット+生産順番で表されている(例:アメリカ空軍向けF-35A初号機ならば「AF-1」)。
AA:F-35開発実証機
AG:F-35A地上試験機
BG:F-35B地上試験機
CG:F-35C地上試験機・落下試験機
AJ:F-35A耐久試験機
BH:F-35B耐久試験機
CJ:F-35C耐久試験機
AF:アメリカ空軍向けF-35A(AF-1〜4はSDD機)
BF:アメリカ海兵隊向けF-35B(BF-1〜5はSDD機)
CF:アメリカ海軍向けF-35C(CF-1〜3・5はSDD機 CF-4はキャンセル)
BK:イギリス空軍・海軍向けF-35B
AN:オランダ空軍向けF-35A
AU:オーストラリア空軍向けF-35A
AM:ノルウェー空軍向けF-35A
AS:イスラエル空軍仕様F-35I
AL:イタリア空軍向けF-35A
BL:イタリア海軍向けF-35B
AX:航空自衛隊向けF-35A

F-35B
垂直着陸中のF-35B
F-35Bは、アメリカ海兵隊のハリアー IIの後継機として使用するためのSTOVL[72]タイプ(短距離離陸・垂直着陸)。2008年7月11日初飛行。2015年7月31日に初期作戦能力を獲得した[73]。2015年12月とされていた期限を前倒しで達成している。
エンジン後方にある排気ノズルを折り曲げて下方に向けることができ、その際には機体後方下部に装備された二枚扉を開けてから行う。エンジンから伸びるシャフトはクラッチを介して前方のリフトファンを駆動する。リフトファンの吸気ダクト扉はX-35Bでの二枚扉から変更され後方ヒンジによる一枚扉となっている。コックピットのキャノピーの形状はA/Cと違い、その直後の胴体背部がリフトファンを装備している関係で盛り上がっているため、完全な水滴型(バブルキャノピー)にはなっていない。リフトファンの吸気ダクト扉後部には二枚扉のエンジンの補助インテークがあり、低速になるSTOVL飛行時でもエンジンへの充分な吸気を行えるようになっている。また、主翼内翼部中央下面には、エンジンの圧縮機からの抽出空気を利用して垂直離着陸時やホバリング時の姿勢安定に使用するロールポストが装備されている。リフトファンから噴出される空気は熱せられていないため、エンジンの後部排気口から発生する高温・酸素不足の空気流が前方に流れるのをせき止めて、エアインテークからエンジンに入り込むことを防いでおり、ホバリング時も高いエンジン運転効率を維持している。降着装置はA型と共通であるため、ハリアーにはできなかったCTOL運用も可能である。
F-35Bの複雑な構造は整備性を悪化させており、またF-35Bの航続距離はF-35A/Cに比べて約2/3〜3/4と、かなり短くなっている。これは、リフトファンとシャフトが垂直離着陸時や短距離離着陸時にのみ使用されるため、水平飛行の際には単なる死重となること、およびそれらを機体内部に収容する空間を燃料搭載量を削減して確保したことによる。また同様の理由で兵装搭載量も20%ほど低下している。
アメリカ空軍は、攻撃機A-10の後継機にA型ではなく短距離離着陸型のB型を充当することを検討していたが、結局はA型に一本化された。
イギリス海軍、イギリス空軍もクイーン・エリザベス級STOVL空母の就役を前提に、シーハリアーやハリアー GR.5/7の後継機としてB型の配備を計画していたが、2010年10月25日のストラテジック・ディフェンス・アンド・セキュリティー・レビューに伴い、これをC型(CTOL艦載機向け仕様)に変更すると発表。しかし、2012年にはC型の開発の遅れや、空母に装備するカタパルトやアレスティング・ワイヤーの高価格などを理由に、再びB型に変更した。
2012年1月11日にF-35Bの完成機2機が、パイロット養成用として初めてアメリカ海兵隊に納入された。同年8月8日には、F-35Bの試験機である「BF-3」が大西洋のテストレンジで、高度4,200フィート、速度400ノットで飛行しながら1,000ポンドのGBU-32(JDAM)を胴体内兵器倉から初の投下試験に成功した。2013年5月10日には、メリーランド州パタクセント・リバー海軍航空基地で垂直離陸試験に成功した。
2011年11月22日にはイギリス向けのF-35B「BK-1」がロールアウト、翌年4月16日に初飛行し、最初に完成した海外向けの機体となった。2017年5月5日には上述したイタリア国内のカーメリFACOでイタリア海軍向けF-35B「BL-1」がロールアウト、海外生産初のF-35Bとなり、8月頃の初飛行が予定されている。
ノーマン・ポーマーの主張
海軍評論で知られ、権威と影響力を持つ著述家ノーマン・ポーマーの主張によれば、F-35BとF-35Cは戦力的には同等であり、高価な原子力空母1隻を建造するよりも、同価格で6隻建造できる強襲揚陸艦を建造し、それぞれにF-35B20機とヘリ12機を運用した方が良い、つまり、本機を主力艦載機とすべきであるという。

 

アメリカ海兵隊
アメリカ海兵隊は、F/A-18とハリアーIIの後継機として、F-35B 340機に加えて、F-35Cを80機導入し海軍の空母航空団に派遣する計画となっている。
アメリカ海兵隊でF-35Bを最初に装備を予定しているのは、第501戦闘攻撃訓練飛行隊(VMFAT-501)である。この部隊もエグリン空軍基地を拠点とする。
また、アメリカ国防総省は、2012年12月に最新鋭のF-35を海外の基地としては初めて山口県の岩国基地に配備することを決定、2017年1月18日に最初の2機が到着した。

 


日本向けのF-35A
2011年12月に航空自衛隊のF-4EJ改の後継としてA型を選定する]。導入予定機数は42機とされる。F-4だけでなく、F-15Jの初期型(Pre-MSIP)分の100機も代替する案もあり、購入数は42機以上となる可能性もある。防衛省は2011年度の概算要求で最大10億円をFMS契約による「米政府への情報開示請求費用」として計上。また、武器輸出三原則の緩和によって、日本企業が他国の企業が行うF-35の部品製造へ参加が可能となる見通しが出ている。
詳細は「F-X (航空自衛隊)#現在のF-X (第4次F-X)」を参照
当初は、2016年度期限内に1号機の納入をアメリカが確約した旨が伝えられた。だが、その直後に機体強度に関する不具合が確認されたため、アメリカ政府高官や軍関係者からは2年程度の配備の遅れを容認する声が上がり始めた。これを受けて、2016年度中の取得は難しくなる見方が強まっていた]。2014年10月27日、アメリカ国防総省とロッキード・マーティン社は43機分のF-35の契約を結んだと発表。この内の4機が2017年3月までに航空自衛隊へ引き渡される予定である。
防衛省は、F-35Aの調達価格は2012年度予算ベースで1機あたり本体のみ約89億円、補用部品などを含めた場合約99億円としていた。2012年度予算案においては、FMSを利用し調達される4機分が395億円(1機あたり98.75億円)、訓練シミュレーター整備費として205億円が計上された。ただし、将来的には日本国内でライセンス生産をする予定であるため、ライセンス料が加算されて1機あたりの価格上昇は確実である。2012年5月3日にはアメリカ国防総省が、日本が導入を予定している42機の売却額が計100億ドル(約8千億円)との見通しを発表したが、これには補用部品および15年のサポートが含まれており、機体のみの価格は不明である。
同年6月29日に日本政府は、米国防総省と2016年度に導入する4機について、正式契約を交わした。1機当たりの価格は約96億円(補用部品を含め約102億円)である。補用部品の購入を減らすなどしたものの、2012年度予算に計上した89億円(同99億円)と比較して、約7億円(同約3億円)の上昇となった[100]。ただし、上記の通り、価格は今後下がる可能性が出ている。
2013年度からの調達では、国内企業参画を前提にIHIがエンジン、三菱電機がレーダーなどを製造して、三菱重工が国内FACOで機体組立を行うこととなり、3社でのこれらの製造作業に必要な設備投資費などは防衛省側が全額負担しており、13-16年度で計約1716億円を負担している。
2014年12月18日、日米両政府は、F-35の国際整備拠点の一つを日本に置くと正式に発表した。
2016年4月25日にIHS Jane's 360は、航空自衛隊向け初号機が2016年9月26日にロールアウト予定であると報じた[156][157]。
2016年8月24日、フォートワース工場で生産された航空自衛隊向け初号機「AX-1」が初飛行したことが発表され、また自衛隊機としては初めて、機体の日の丸(国籍マーク)がロービジ(低視認性)迷彩仕様を採用することも、併せて発表された。この初号機は2016年9月23日にロールアウトした。
2012年度予算発注されて完成した4号機「AX-4」までの4機は、ルーク空軍基地にて空自パイロットの訓練プログラムに使用されており、2017年5月18日には2名のパイロットが空自で初めてF-35の訓練課程を修了した。
6月5日、三菱重工の国内FACOで航空自衛隊向け5号機「AX-5」をロールアウト。年内には「AX-6」も完成し、29年度中に2機が防衛省に引き渡される予定である。

A型とB型とC型の比較表
F-35A F-35B F-35C
乗員 1名
全長 15.40m 15.50m
全幅 10.67m 13.11m
※折りたたみ時:9.10m
全高 4.60m
翼面積 42.73m² 62.1m²
空虚重量 13,200kg 14,700kg 15,800kg
機内燃料重量 8,390kg 6,045kg 8,900kg
兵装搭載量 8,165kg 6,804kg 8,165kg
最大離陸重量 31,800kg 27,200kg 31,800kg
エンジン F135-100 F135-600 F135-400
ターボファン
推力 19,500kg
最大速度 M1.6
航続距離 >2,220km >1,670km >2,220km
戦闘行動半径 1,158km 865km 1,167km
実用上昇限度 15,240m
荷重制限 +9.0G +7.0G +7.5G
翼面荷重: 526 kg/m²
最大推力重量比 0.87 0.90 0.75
運用状況 実用試験中

兵装
固定武装
GAU-22/A 25mm ガトリング砲(A型 180発)×1
各種ミサイル
空対空ミサイル
AIM-120 AMRAAM
ミーティア
AIM-9X サイドワインダー
IRIS-T
AIM-132 ASRAAM
パイソン 6
空対地ミサイル
AGM-88E AARGM
AGM-65 マーベリック
AGM-88 HARM(対レーダーミサイル)
AGM-154 JSOW
MBDA ブリムストーン/SPEAR-3
空対艦ミサイル
Joint Strike Missile (JSM)
LRASM
巡航ミサイル
SCALP-EG ストーム・シャドウ
SOM-J
AGM-158 JASSM

 

舟入南町停留場(広島電鉄江波線)

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舟入南町停留場(ふないりみなみまちていりゅうじょう、舟入南町電停)は、広島市中区舟入南四丁目・五丁目にある広島電鉄江波線の路面電車停留場である。

停留場周囲には集合住宅が多い場所に立地しています。

江波線の軌道は道路上に敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが設けられている。ホームは低床式で2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟んで配置されている。

ただし互いのホームは斜向かいに位置していて、北に土橋方面へ向かう上りホームが、南に江波方面へ向かう下りホームがある。かつては両ホームが線路を挟んで向かい合う相対式ホームであった。

江波方面乗場先端には簡素な上屋が設置されています。

両ホームともに、連接車両に対応した長さを持つ。ホーム幅は広く、点字ブロックも設置されるなど、バリアフリー対応。ホームへのスロープには手すりが設置されています。

運行系統
当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、6号線、8号線、9号線が乗り入れている。

上りホーム 6号線 広島駅ゆき
8号線 横川駅ゆき
9号線 白島ゆき
下りホーム 6号線8号線9号線 江波ゆき

周辺
停留場名になっている「舟入南町」という町名は1968年(昭和43年)に廃止されていて、現在は「舟入南」となっている。
広島県立広島商業高等学校
広島市立江波中学校
舟入神社
広島県総合グランド
広島ヘリポート(旧広島西飛行場)
マリーナホップ
ボートパーク広島


1943年(昭和18年)12月に土橋から舟入本町までの区間が開通した江波線は、その半年後の1944年(昭和19年)6月に舟入本町から延伸、舟入南町停留場はこのとき路線の終点として開業した。

しかしその翌年の1945年(昭和20年)8月6日には広島市に原爆が投下され、江波線をはじめとして広島電鉄の市内電車は全線が不通となる。
江波線が被爆から復旧したのは1947年(昭和22年)11月のことで、このとき停留場名は江波口停留場(えばぐちていりゅうじょう)へと改称された。

路線はその後1954年(昭和29年)には当停留場から延長され、新たに江波口停留場(現在の江波停留場)が開業、このころ当停留場はグランド口停留場(ぐらんどぐちていりゅうじょう)へと改称された。

この「グランド」は西区観音新町にある広島県総合グランドを指す。その後1960年(昭和35年)ころには舟入南町へと改称され、開業時の停留場名に戻っている。

1944年(昭和19年)6月20日 - 江波線が舟入本町から延伸、舟入南町停留場が開業。

1945年(昭和20年)8月6日 - 原爆投下により、市内電車は全線不通となる。
1947年(昭和22年)11月1日 - 江波線が運転再開、江波口停留場に改称。

1954年(昭和29年)1月 - 軌道が延長され、新たに江波口停留場が開業。このころ、代わってグランド口停留場に改称。
1960年(昭和35年)頃 - 舟入南町停留場に再改称。

2002年(平成14年) - 舟入南6丁目交差点の改修工事に伴い、上りホームが広島市道霞庚午線北側に移設、下りホームは拡張され上屋が設置された。

2013年(平成25年)2月15日 - 9号線の運行が八丁堀から江波まで延長され、当停留場にも乗り入れる。
2014年(平成26年)2月 - 舟入南6丁目交差点 - 広電江波終点前交差点間の道路拡幅工事に伴い、下りホームがリニューアル。ホームが拡張され、上屋がホーム全体に延長された。

駅番号 ●E5
所属事業者 広島電鉄
所属路線 ■江波線
キロ程 2.3km(土橋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1944年(昭和19年)6月20日

 

米軍 Terex-Demag MAC-50(軍用全地形クレーン) 

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MAC 50t クレーン

Terex-Demag MAC-50(軍用全地形クレーン)は、USMC要件を満たすために開発されました。現在、Terex-Demagは他のメーカーと比較して最も幅広いクレーンを生産しています。MAC-50クレーンは軍用バージョンで、AC-50-1商用設計のコンポーネントをベースにしています。

米国海兵隊は、100機のMAC-50クレーンの最初のバッチを、可能性のあるフォローアップを可能にして命じました。このクレーンは、追加の30台の車両を注文します。2009年に出荷が開始されました。

この軍用全地形クレーンの持ち上げ能力は45トンです。建設資材、橋梁、コンテナ、車両、その他の貨物などの重い物を持ち上げるために使用されます。この軍用クレーンは、迅速な配備に適しています。 MAC-50はそのタスクを実行し、次のミッション・サイトにすばやく再デプロイできます。

この軍用クレーンは、2人の男性のための座席を提供する標準的な商用のタクシーを使用しています。動作時には、MAC-50は別個の1人乗りタクシーから制御されます。必要に応じて、追加装甲キットを取り付けることができます。

MAC-50はCummins QSCマルチ燃料ディーゼルエンジンを搭載し、305馬力を開発しています。これはアリソンの伝送に結合されています。4つの車軸すべてが駆動され、操舵される。

この全地形クレーンは、水深1.5mまでの水面に障害物を設けることができます。Terex-Demag MAC-50は-32℃〜+ 50℃の気候条件で動作します。この軍用クレーンは、 C-17 または C-5貨物航空機によって運航できます。


全長 約11.5m
全幅 約2.58m
全高 3.59m
車輌重量 約31660kg
クルー 1 + 1人
寸法と重量
重量 31.7トン
パフォーマンス
吊り上げ能力 45トン
ブームの長さ 25メートル
モビリティ
エンジン カミンズQSCディーゼル
エンジンパワー 305馬力
最大道路速度 68 km / h
範囲 〜700 km
機動性
勾配 60%
サイドスロープ 30%
垂直ステップ 約0.5m
溝 〜1.2m
フレーズ 1.5メートル
備考 TEREX社の開発した商用クレーンをベースに、海兵隊の要求に適合するように改修した軍用クレーン。60インチまでの塩水を含む浅瀬を渡河する能力がある。

ターレットトラック(構内荷役用、運搬車)

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ターレットトラック(英: Turret Truck)は、日本の卸売市場[1]をはじめ、工場や倉庫、鉄道駅の構内などで荷役用として広く利用されている運搬車の総称で、円筒形の動力部が回転する構造(ターレット)からこの名が付いた。株式会社朝霞製作所の登録商標であったが、普通名称化して他社製のトラックも同様に呼ばれるようになった。なお、朝霞製作所は破産により2012年に消滅し、商標権がどこにも承継されなかったため、商標登録は取り消された。道路運送車両法上ではターレット式構内運搬自動車として定義される。ターレット、ターレ、ターレーと略して呼ばれる場合や、市場関係者は「ぱたぱた」もしくは「ばたばた」と呼ぶ場合もある。

一方、英語のTurret forklift truckは、前方のフォーク(つめ)機構が左右に旋回する機能をもつフォークリフトを指し、ターレットトラックとは別の輸送機械である。

ターレットトラックの主要な構造は、動力源となるエンジンまたはモーター、操舵装置、駆動輪の全てが車台前部に回転可能に保持されたターレットに納められている。ターレットのすぐ後方に運転台があり、運転者はターレット全体を回転させて操舵する。駆動輪となる前輪は360度回転するため最小回転半径は小さく、狭い場所での運用にも適している。前輪を90度横に向けた場合、内側の後輪を軸とした旋回が可能で、そのときに最も回転半径が小さくなる。重量のあるユニットごと回して操舵する必要があるため、他の乗り物に比べると取り回しが重い。

定員は1名で、ターレット後部に立った姿勢で運転操作を行う。一部の車種には簡素な椅子を備えたものもある。操舵用のハンドルはターレットの上縁に沿って、手すり状に直に取り付けられている。その内側のやや小さい同心円のハンドルがアクセルスロットルになっており、押し下げる(軸を傾ける)ことで加速する。速度は機種により異なるが、最高でも時速15km程度しか出ない。ブレーキは右足操作のフットブレーキ式で、その他にレバーを引いて操作するパーキングブレーキも備えている。

ほとんどの機種は小型特殊自動車として登録が可能で、登録すれば公道走行も可能である。

ガソリンエンジンを搭載した機種の他、生鮮食品を扱う現場などでは低公害の天然ガスを燃料とするエンジンを搭載した機種が用いられる例が多く、構内や冷蔵設備を備えた倉庫では排気ガスを出さない電動式の車種に限定して用いられる場合もある。しかし、電動式は充電時間が長く、一回の充電で運用できる時間が短いため、2006年からは燃料電池を搭載した機種の開発が進められている。

ホイールベースが長く、後部に荷台を有して荷物を直接積載する機種と、ホイールベースが短く、牽引専用で荷台を有しない機種(ターレットトラクター)が存在する。市場や工場、倉庫などの構内運搬用としては、前者が主流である。後者はかつて、旧国鉄や旧郵政省の鉄道郵便において、駅構内での荷物や郵便物を運搬する台車の牽引に用いられていた。運搬台車を吊ってプラットホームの間を移動させるテルハと組み合わせて利用する駅も多数あった。

朝霞製作所「ターレットトラック」
富士重工業「モートラック」
ニチユ三菱フォークリフト「エレトラック」
関東機械センター「マイテーカー」

 

商工センター入口駅・旧名「荒手車庫前」(広島電鉄宮島線)

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商工センター入口駅(しょうこうセンターいりぐちえき)は、広島県広島市西区草津南三丁目にある、広島電鉄宮島線の駅である。旧名「荒手車庫前」

隣接して西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の新井口駅があり、当駅とは跨線橋によって直結している。

当駅はホームが地面に接する地上駅である。2号線からは三角屋根の橋上駅舎に見えますが、ただの跨線橋です。

ホームは2面あり、2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームという形態をとる。

線路の南側に広電宮島口駅方面へ向かう下りホーム、北側に広電西広島駅方面へ向かう上りホームがあって、このうち下りホームからは国道2号(宮島街道)へ直接出られるようになっている。

また、下りホームの広電宮島口寄りは床の位置が他より高い。これはかつて宮島線内で運行されていた鉄道車両専用の高床ホームの名残である。

国道2号線側の入口からホームにはスロープで連絡します。アルパーク方面の連絡通路からのホーム入口があります。


駅に隣接したビルには西広島運転係があり、乗務員の交代が行われる。駅東方には荒手車庫があり、この駅が始発となる電車も設定されている。

また、草津南寄りに上下渡り線と荒手車庫への引き込み線がある。

当駅止まりの電車は2009年(平成21年)10月のダイヤ改正をもって1日1本のみ(ただし臨時扱いで時刻表には未掲載)となったが、宮島花火大会の開催時や正月三が日には臨時便として大量に運行される。

『広島市統計書』によると、2015年度の年間乗車人員の総数は推計で1335千人であった。

参考として、日数で除して1日当たりの平均乗車人員を算出すると3,648人となる。


駅周辺
JR西日本山陽本線 新井口駅
広島電鉄荒手車庫
広島サンプラザ
広島西警察署
広島市中小企業会館
草津病院


商工センター
広島中央卸売市場
早稲田自動車学園
鈴が峰団地
アルパーク(ショッピングセンター) - 駅からは動く歩道で連結している。
ヤマダ電機 テックランドアルパーク前店
COCO'S 井ノ口店(旧・サンデーサン井ノ口店)

 

当駅は1960年(昭和35年)に井口病院前駅(いのくちびょういんまええき)として新規に開業した駅である。同年には宮島線の車両基地が己斐から当地に移され、荒手車庫として運用を開始している。

当駅も1971年(昭和46年)ころから一時期は荒手車庫前駅(あらてしゃこまええき)と称したことがあった。駅名が商工センター入口駅に改められたのは1979年(昭和54年)のことである。

駅は1989年(平成元年)、翌年に開業を控えたショッピングセンターアルパークへアクセスするためのペデストリアンデッキが整備されると、これに合わせて改良が施された。

1960年(昭和35年)9月1日 - 井口病院前駅として開業。
1971年(昭和46年)頃 - 荒手車庫前駅に改称。
1979年(昭和54年)11月1日 - 商工センター入口駅に改称。
1989年(平成元年)11月30日 - 駅とアルパークへ至るペデストリアンデッキが接続。

駅番号 ●M25
所属事業者 広島電鉄
所属路線 ■宮島線
キロ程 4.2km(広電西広島起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 3,648人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1960年(昭和35年)9月1日
乗換 山陽本線(西日本旅客鉄道)新井口駅


近江鉄道800系電車(801F)モハ801-モハ1801 がん検診啓発広告編成

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近江鉄道800系電車(801F)モハ801-モハ1801がん検診啓発広告編成

近江鉄道800系電車(おうみてつどう800けいでんしゃ)は、近江鉄道の通勤型電車である。

本系列は西武401系を1990年(平成2年)から1997年(平成9年)にかけて譲り受け、自社彦根工場にて改造の上で登場したもので、近江八幡・貴生川寄りからモハ800形(820形)-モハ1800形(1820形)の順に編成されている。

ワンマン運転対応工事施工(車外バックミラー・料金表・運賃箱設置等)
空気制動の電気指令ブレーキ化
連結面寄り裾角の切り欠き
電気連結器の撤去
モハ800形の連結面寄りのパンタグラフ撤去
主要機器に関しては上述制動装置の改造以外はほぼ西武在籍当時のまま使用されている。車体塗装は西武時代と変わらず黄色一色とされており、本系列全編成の標準塗装となっている。また現在、従来ステンレス地むき出しで無塗装とされていた客用扉の黄色塗装化およびシートモケットの更新、つり革の交換が順次施工されている。

15編成計30両を数えた元401系譲受車のうち大半が本系列に改造され、2015年(平成27年)3月現在13編成26両が在籍している。

2015年(平成27年)後半から扉の開閉時に鳴動するドアチャイムの新設が行われている。

800系
本系列のうち11編成22両を占める基幹形式である。正面形状が220形類似の額縁タイプの三面折妻形態に、前照灯および標識灯が角型タイプの一体ケース収納型に改造されているが、本形式では非貫通構造とされた点が異なる。また、種車401系の形態上の相違点の存在や、改造が長期にわたっていることから、編成ごとに形態の差異が見られる。

なお、竣工に際しては全編成とも近江鉄道従来車の改造扱いとされ、西武鉄道時代からの車籍は継承されていない。


801Fがん検診啓発広告編成モハ801-モハ1801
1999年(平成11年)登場。種車は元403Fである。普通屋根・露出型雨樋縦管の初期型車体を持ち、本系列のトップナンバー編成として1993年(平成5年)に竣工していたが、落成当初は1801が電装解除されて1M1T編成であったことや、パンタグラフが2基搭載のままとされていたこと、車体塗装が220形と同じライオンズカラーであったこと等がその後に登場した編成と異なっていた。しかし、竣工後八日市線の車両限界に抵触することが判明し、改良工事が完了するまで約6年もの間使用されることなく彦根工場構内に放置されていたという経歴を持つ。1999年(平成11年)にようやく営業運転を開始したが、その際801のパンタグラフを1基撤去し、1801を再度電装して他編成と仕様を揃えている。

長らく本系列唯一のライオンズカラー編成として使用されていたが、2009年(平成21年)の定期検査の際に黄色一色塗装化され、同時に客用扉の黄色塗装化も実施されている。なお、本編成は2代目ギャラリートレインとして使用されていたが、塗装変更を機にその座を805Fに譲っている。ちなみに塗装変更前のライオンズカラーでギャラリートレインだった時はギャラリートレインのヘッドマークが取り外されることがなかったため近年、デビュー時には見られた貫通扉に描かれているヘッドマークの下の「レオ」が見られることはなかった(同様のものは220形で見られる)。 2012年(平成24年)には特定健康診査・がん検診の受診を啓発する広告編成となり滋賀県のキャラクター「キャッフィー」をメインに、ピンク色を基調としたデザインになっている。また801Fは、本線走行中に雷による制御器等故障に伴い走行不可となり彦根工場にて除籍扱いで片隅に展示扱いで留置されている。今後動く目処は計画等立ってない。 最初に廃車または、除籍された800系となる。

運用者 近江鉄道
製造所 西武所沢車両工場
種車 西武401系
改造所 近江鉄道彦根工場
改造年 1993年 -
改造数 22両
運用開始 1999年
主要諸元
編成 2両編成
軌間 1,067 mm
電気方式 直流 1,500 V
車両定員 136 名(座席56名)
自重 37.8 t
全長 20,000 mm
全幅 2,937 mm
全高 4,150 mm
主電動機 直巻電動機HS-836-Frb
主電動機出力 120 kW / 個
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 15:84=1:5.60
編成出力 960 kW
制御方式 抵抗制御
制御装置 MMC-HT-20A
制動装置 HRD電気指令ブレーキ
備考 数値はモハ800形のもの。

 

寺町停留場(広島電鉄横川線)

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寺町停留場(てらまちていりゅうじょう、寺町電停)は、広島県広島市中区十日市町二丁目および寺町にある広島電鉄横川線の路面電車停留場。停留所名の示す通り、付近には寺院が集中しています。

横川線の軌道は道路上に敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが置かれている。ホームは低床式で2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配置されている。

ただし互いのホーム位置は斜向かいに離れていて、北に横川駅方面へ向かう下りホーム、南に十日市町方面へ向かう上りホームがある。ホームには折りたたみ式の椅子が設置されています。

運行系統:当停留場には広島電鉄で運行されている系統のうち、7号線と8号線が乗り入れている。

下りホーム 8号線8号線 横川駅ゆき
ホーム幅も広く、手すりや点字ブロックが整備されるなど、バリアフリー対応も万全です。


上りホーム 7号線 広電前ゆき
8号線 江波ゆき
連接車対応の長いホームの全面に上屋が整備されています。

周辺
付近はおおむね住宅街である。西にしばらく行くと天満川、東にしばらく行くと本川が流れる。北隣の別院前停留場まで東側一帯に寺院が立ち並ぶ。

南西には広瀬神社が鎮座しており、1942年(昭和17年)までは当停留場の南隣に広瀬神社停留場(ひろせんじんじゃていりゅうじょう)が存在していた。

広島市立広瀬小学校
広瀬北町公園
広瀬町バス停 - 広島交通の路線や広電バスの北方面の郊外線・JRバス高陽線(バスセンター方面のみ)・大朝線・広島バス横川線が停車する。

 

 


当停留場は横川線が開通した1917年(大正6年)に開業した。開業当時の停留場名は西の小路停留場(西ノ小路停留場[2]、にしのこうじていりゅうじょう)で、これは横川線の軌道が西の小路と呼ばれる細街路と交差していたことに由来する。当時の横川線の軌道は道路から軌道敷が独立した専用軌道であり、雲石街道の西側に敷かれていた。停留場の北側の街道沿いには寺院が立ち並び、軌道はその裏手を抜けていたため、停留場名は1921年ころ寺町裏停留場(てらまちうらていりゅうじょう)へと改称された。専用軌道であった横川線はその後、都市計画道路の建設により1938年(昭和13年)に併用軌道化されている。

1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により横川線をはじめ広島電鉄の市内電車は全線が休止されるが、当停留場を含む十日市町 - 別院前間は同年末に運転を再開している。寺町停留場と改称されたのは1965年(昭和40年)のことである。なお、軌道が敷かれている電車通りは戦後の都市計画により拡幅されてかつての雲石街道より大規模な道となったほか、かつて西の小路と呼ばれた細街路も城南通りの一部となり広島市のメインストリートへと変貌している。

1917年(大正6年)11月1日 - 横川線が開通、同時に西の小路停留場として開業。
1921年(大正10年)以前 - 寺町裏停留場に改称。
1945年(昭和20年)
8月6日 - 原爆投下により休止。
12月26日 - 横川線の十日市町 - 別院前間が復旧。
1965年(昭和40年)4月1日 - 寺町停留場に改称。


駅番号 ●Y2
所属事業者 広島電鉄
所属路線 ■横川線
キロ程 0.4km(十日市町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1917年(大正6年)11月1日

自動車専用船 さやま 2

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Purpose / 自動車専用船
Overall Length / 115.5M
Breadth / 17.2M
Capacity / 557 台
Main Engine / MAKITA B&W 7LC35MCMK6
Shipyard / 警固屋船梁㈱
Built / 1995年 9月
所属:斉藤海運㈱

斉藤海運㈱は1934年に斎藤海運回漕店として発足、海運業を中心に港湾に携わる。時代の推移とともに、発展的に港湾運送、倉庫業、陸運へと海陸一貫体制を整備し、と同時に建設資材としての細骨材(海砂・砕石)を供給する。ほか外航部門及びセメント販売部門へと業容を拡大。グローバルな視点で輸送の近代化や様々なニーズに対応。

内航運送業 内航運送取扱業
㈱ホンダロジスティクスと商用車の効率的な内航輸送を実現するために、長期運送契約を締結している。海上輸送サービスの向上に積極的に貢献する為、支配船3隻を配し運行。
航路としては、関東・四日市・博多を主として、仙台・苫小牧・坂出・広島等における本田技研工業(株)の商品車の内航輸送を担当。商品車輸送業務に取り組んでいる。

外航船舶貸渡業
現在自社船3隻を保有し、各国傭船社と長期の用船契約を締結している。現在、世界各地に向けて、石油製品や化学原料等の品質維持が重要な貨物を最新の設備を備えた船舶により輸送しており、多彩に拡がる世界各国への航路に対応。

港湾運送事業
博多港 箱崎埠頭 のモータープールを利用し、海上輸送された商品車の荷役業務・保管業務・出荷業務に取り組んでいる。
海上輸送と陸上輸送をつなぐ港湾作業を安全・確実に行うことにより、本田技研工業(株)の商品車輸送業務に対して積極的に貢献している。

セメント販売業
自社保有のセメントローリー車を駆使して、九州各地のお客様のもとへセメント等を輸送。
サービス拠点を陸上・海上輸送どちらにも対応できる好立地な博多港 須崎埠頭に構え、安全・確実・迅速に輸送できる体制を整え、物流サービスの向上に努めている。また、生コンクリート・2次製品に使用できる石灰石も併せて取り扱っており、幅広いサービスをご提供。

 

斎藤海運株式会社 / SAITO SHIPPING CO.,LTD.
〒810-0072 福岡県福岡市中央区長浜2-3-6 三陽長浜ビル 8F
Tel: 092-737-0061
Fax: 092-737-0062
E-mail: saito@saito-shipping.co.jp

那の津営業所
〒810-0071 福岡県福岡市中央区那の津3-5
Fax: 092-715-5354

箱崎営業所
〒812-0051 福岡県福岡市東区箱崎ふ頭6-10-1 ポートオフ博多1F
Tel: 092-651-0835
Fax: 092-651-5068

 

ジョン・ディア・ゲーター XUV560 S4

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クロスオーバユーティリティービークル

四人乗りのマルチ乗客能力、優れた乗り心地とハンドリングのための4輪独立サスペンション
使いやすいコントロールを備えた人間工学的なオペレータステーション、多彩なカスタマイズ。

迅速な加速を実現し、最高速度は28mph(45km / h)です。
コンバーチブルの貨物ラック設計により、追加の貨物量が提供されます
四輪独立サスペンションは、挑戦的な地形に比類のない乗り心地とコーナーでの優れたハンドリングを提供します
多くの乗り物の便利さを備えた終日の快適さのために設計されています。
XUV560 S4とXUV590i S4の貨物容量を48%拡張して、2人乗りのリアシートとレバーのフリップを備えたコンバーチブル専用の貨物ラック設計。


コンバーチブル貨物ラックのデザインは、多人数着座容量と実用性に究極の柔軟性を提供します。
大半の時間を考慮すると、車両は1人または2人しか運搬していませんが、任意の時点で3人または4人の乗客が来ることがあります。クイックでシンプルなコンバーチブル貨物ラックは、レバーのフリップで数秒で前後に切り替えることができます。十分なレッグルームまたは48%以上の貨物容量を選択できる快適なリアシート。

コンバーチブル貨物ラックの重要なポイント:
快適な操作ステーションを補完するために、XUV560とXUV590iは4輪独立サスペンションを装備しています。このユニークなサスペンションのセットアップは、挑戦的な地形に比類のない乗り心地とコーナーを通しての優れたハンドリングを提供します。
エンジニアリングチームは、Formula1®、NASCAR®、およびINDYCAR®チームと協議するエンジニアリング企業と協力して、地形に関係なくクラス最高のオペレータの快適性を実現するサスペンションシステムを構築しました。

デュアルAアームフロントサスペンション機能:
デュアル、ワイドアーチのAアーム設計により、最大の前輪制御、正確なステアリング、最大の地上クリアランスがホイールに提供されます
走行距離が8インチ(203mm)であれば、十分な圧縮と車輪の伸長が可能で、4つの車輪をすべて地上に置いて優れた牽引力と車両制御を実現します
ショックを吸収する調節可能なコイルは最も要求の厳しい地形を吸収します
完全にゴムで絶縁された接続リンクとピボットを備えたソリッドアンチロールバーは、最も機敏で予測可能なハンドリングを提供するように調整されています
ボディロールを補正し、コーナリンググリップを改善するために最適なタイヤ接触パッチを維持するための圧縮中のキャンバー
付加的な安定性のために、圧縮中に車両の幅を広げる。
高強度ASTM 80-55-06ダクタイル鋳鉄製のナックルと上部Aアームは、ショック、定速(CV)シャフト、およびホイールの高い応力をサポートします
ばね下の質量を最小限に抑えて強度を最大限にするために、自動車スタイルの完全に箱詰めされ溶接された高強度鋼の下部Aアーム
メンテナンスフリーのゴム製ねじりAアームピボットにより、長寿命と静粛性を実現
ゴム製のブーツを穿刺する可能性のあるスティックからのCVシャフト保護
アンチダイブフロントサスペンションジオメトリは、確実なブレーキングのためのしっかりしたプラットフォームを提供します
ADAMS CARシミュレーションを使用してステアリングジオメトリを最適化し、ステアリングの労力を最小限に抑え、地形のフィードバックを最大化
4.3フィート(0.12m³)および200ポンド(90.7 kg)の追加貨物量を提供します。
後部座席から貨物ラックへの効率的な1ステップ変換を1〜2秒で(またはその逆)、1人で簡単に行うことができます
長さ 23.5インチ(59.7 cm)
幅 38.8インチ(98.6 cm)
深さ 8.1インチ(20.6cm)
ボリューム 4.3 ft 3(0.12m³)
重量容量 200 lb(90.7 kg)
大型で丈夫で丈夫なワンピースの貨物箱により、性能と寿命を向上させます


エンジン
タイプ 4サイクルガス、Vツイン、動的に調整された炭、オーバーヘッドバルブ(OHV)
変位 570cc
力 11.9 * kW
16馬力
冷却システム 空冷式
パワートレイン34.8インチ(570cm 3)のガソリンエンジン
パワートレイン34.8インチ(570 cm 3)ガソリンエンジン
Gator™XUV560クロスオーバ・シリーズ・ユーティリティ・ビークルは、570 cm3(V-Twin)ガソリン・エンジンを搭載しています。キャブレターは、迅速なスロットルレスポンス、信頼性の高い寒い気候の始動、滑らかなミッドレンジのパワーデリバリー、静かなアイドリングのために調整されています。
3600 rpmで16 hp *
3.5秒で0〜15mph(0〜24.1km / h)の加速を実現するように調整
28 mph(45 km / h)の最高速度
ダイナミックに調整されたキャブレターで、要求に応じてスロットルレスポンスが速くなります。
Vツイン、90度オーバーヘッドバルブ設計により、出力とトルクを最大にし、バルブ寿命を延長
寒冷地の始動のために設計されています(-20°F [-28.9°C]まで試験済み)
全圧潤滑システム
ドレンブラケットとオイルドレンバルブを備えたスピンオンオイルフィルターにより、簡単に整備できます
高空気流エアーフィルター
ラミネートされ輪郭を描かれたエンジンブロワーハウジングは、オイル温度を25〜30℃
T6熱処理アルミニウム合金コネクティングロッドとピストンリングパッケージ
アクセサリ機能用200-W(最大アンプ数16)の固定子充電システム
デュアルヘッダーパイプ - マフラーは空気の流れを最大限にし、ユニークなVツインサウンドを提供します
スパークアレストマフラーはUSFS承認済みです
低燃費と大型4.9 USガール。(18.9L)燃料タンク
環境保護庁(EPA)とカリフォルニア大気資源局(CARB)に準拠


ドライブトレイン
送信 クラッチエンクロージャを用いたCVT(Continuously Variable Transmission)
ファイナルドライブ ハイ、ロー、ニュートラル、リバーストランスアクスル
四輪駆動 リミテッド・スリップ・フロント・ディファレンシャルを備えたダッシュ・レバー作動式4輪駆動システム、ロック・リヤ・ディファレンシャル
トラクションアシスト ポジティブロック、機械式(ハンドレバー式)リアディファレンシャルロック
降下制御 利用不可
最大移動速度 0〜28 mph(0〜45 kph)高い順方向、0〜21 mph(0〜34 kph)低い順方向、0〜16 mph(0〜26 kph)逆方向

ジェネレータは主に農場で、時には軍隊で使用されますが、ほとんどの人はそれらを農家車と呼んでいます。しかし、特定のオフロード機能で注文することは可能です。1992年に、車両は、1987年に導入され、三、五輪John Deere社AMTSを置き換え。
ゲーター車は、芝刈り機に搭載されている小型で強力な4ストロークエンジン(0.341 L)、または一部のディア芝刈り機やユーティリティートラクターにも使用されるオプションのディーゼルエンジンを使用しています。彼らは、連続可変トランスミッションベルトとコニカルプーリーシステムを採用しています。したがって、それらは作動するためにクラッチまたはギヤシフトを必要としない。スノープラウ、サンダー、ガンラックなど、Gatorにはサードパーティの添付ファイルが多数あります。推奨される最大積載量は600 lbs(272 kg)です。AMTのサイズは、(1日の)ピックアップトラックの後部に容易に装てんできるように設計されていて、トレーラーを牽引するなどの従来の手段が危険または厄介なことを証明するような様々な遠隔および/ 。第1および第2オール・マテリアル・トランスポーター(AMT)の全体的な設計は、シンプルで維持しやすく、現場で簡単に修正することができました。

Gatorファミリーの車の中で、John Deereはいくつかのラインを生産しています。これらは、従来のシリーズ、ハイパフォーマンス(HPX)シリーズ、コンパクトシリーズ、およびXUVシリーズです。また、オフロード向けトレイルゲーターを含むいくつかの特殊車両を提供しています。トレイルゲーターは、レクリエーションやスポーツ用途に適したカラーのオリーブです。 Turf Gatorは、ゴルフコースに特化して設計されています。 M-Gatorは、米軍によって使用される軍用機種です。

 

川崎 P-2J 4782号機

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川崎 P-2J 4782号機
用途:対潜哨戒機
製造者:川崎重工業(ロッキード)
運用者:日本の旗 日本(海上自衛隊)
初飛行:1966年7月21日(P2V-7改)
生産数:83機(1機はP2V-7からの改造)
運用開始:1971年2月
退役:1994年5月26日

P-2J(ピーにジェイ)は、日本の海上自衛隊が採用した対潜哨戒機。原型はアメリカ合衆国の航空機メーカー、ロッキード社が開発したP2V-7で、川崎重工業が改造開発した。愛称はP2V-7と同じく「おおわし」

海上自衛隊では1956年(昭和31年)からアメリカ海軍に供与されたロッキードP2V-7ネプチューン対潜哨戒機60機を使用してきたが、飛行性能は優秀であったものの、すでにアメリカ合衆国では、脅威を増しつつあったソ連の原子力潜水艦に対抗出来ないとして、1962年(昭和37年)からP-3Aへと更新を行っていた。

海上自衛隊部内に於いても昭和30年代中頃(1960年頃)から次期対潜哨戒機P-Xの研究と機種選定を開始し、P2V-7のエンジンをレシプロエンジンからターボプロップエンジンに換装し、日本の状況に合わせて対潜機器を更新した機体を開発することに決定、日本が独自に開発・生産を行うことになった。

P2V-7の4637号機から改造されたP2V-7改は1966年(昭和41年)7月21日に初飛行し、技術的試験、実用試験の好成績により、まだ試験中の段階で量産化が決定され、P-2Jとして制式採用された。量産初号機(4702号機)は1969年(昭和44年)8月8日に初飛行、10月7日に海上自衛隊に納入され、第51航空隊による実用試験を行い、1970年(昭和45年)4月から部隊配備が始まった。なお、同時期に新明和工業が独自開発したPS-1哨戒飛行艇も海上自衛隊に配備されている。

 

エンジン
P-2Jは、P2V-7が搭載していたライト R-3350レシプロエンジンから、PS-1用にゼネラル・エレクトリックのT64-GE-10を石川島播磨重工業(現・IHI)でライセンス生産したT64-IHI-10Eターボプロップエンジンに換装してタービン化を図り、プロペラも4翅から径を大きくした3翅のものに変更、補助ジェットエンジンはウェスティングハウス航空ガスタービン部門(英語版)のJ34からT-1B練習機搭載エンジンをベースに耐食性を向上させた、同じく石川島播磨重工業のJ3-IHI-7C(後に推力を増大させた-7D型)に転換した。これにより巡航速度が上昇、性能も向上し、タービンエンジンのみになったことから整備性も大幅に向上した。

なお、P-2J退役後にT64-IHI-10は再利用され、航空自衛隊のYS-11EA/EBに搭載された(スーパーYS)。

機体の改造
ラダーの増積に伴って垂直尾翼の形状を変更、重量増とエンジン排気管の変更に対応して、主車輪はシングルタイヤから直径の小さいダブルタイヤとなった。

胴体は居住性に問題があり、隊員に不評だったP2V-7を改め、胴体を1.3m延長、機内の床が30cm下げられ、機内の空間拡大に努め、隊員は通路を立って歩けるようになった。洋上哨戒時の熱気を考慮して、胴体上面の白色塗装を残す一方で新たに冷房装置が装備された。また、1回の任務が10時間を越える哨戒飛行に備え、機内には冷蔵庫も設置された。これらの大幅な改良により、任務の成果に影響する隊員の士気の向上が図られた。

哨戒機器
潜水艦の能力向上に合わせて、哨戒用電子機器も最新の機器に更新された。洋上索敵レーダーは、P2V-7のAN/APS-20から小形かつより強力なXバンドのAN/APS-80に換装。潜水艦探知音響システムは新鋭のAN/AQA-5ジェゼベル・パッシブ・ソノブイ・システムになり、索敵海域に撒かれたブイによって、潜水艦の音を感知して上空のP-2Jに送信、レコーダーに記録し潜水艦を特定するものとなった。米国のP-3Bと同等の能力を保有していたと言われる。

また、P2V-7には無かったTACCO(戦術航空士)席が新設され、より効率的に対潜任務がこなせる様になった。TACCO席は後継のP-3CおよびP-1にも引き継がれており、成功であったと言える。

派生型
派生型である多用途機 UP-2J は用途の違う機体が2機ずつ計4機ある。最初に、標的曳航型の多用途機S2F-Uの後継機として1機のP-2Jが改造を受け、1979年(昭和54年)12月19日に UP-2J として納入され、後にもう1機が改造されて2機となった。

続いて別の2機が電子戦データ収集(ELINT)機に改造されたが、こちらも名称はUP-2Jであった。これら4機は全て第51航空隊で試験を受けた後、1983年(昭和58年)3月30日、第31航空群隷下に第81航空隊が編成されると同時に岩国航空基地に移動した。後に標的曳航機はU-36Aへ、ELINT機はEP-3に更新され、1991年(平成3年)12月13日に全機が退役した。

これらとは別に、1機が可変特性実験機(VSA:Variable Stability Test Aircraft)に改造されたが、機首に試験用の標準ピトー管が設置された以外に外見上の違いは無く、P2V-7によるVSAのような派手さや宣伝は無かった。

運用
P-2Jは、P2V-7より大幅に性能が向上し、同時期のアメリカ海軍のP-3B対潜哨戒機と同程度の能力を有していた。しかし、P2V-7より改善されたとはいえP-3に比べると機体に余裕が無く居住性に劣った。そもそもP2Vでは機体規模が不足していたのが、アメリカ海軍がP-3を開発した動機であり、海上自衛隊はそれを承知で不便を忍んでいた事になる。また、原子力潜水艦への対処能力も不足していた。よって1968年(昭和43年)から選考が始まった次期対潜哨戒機PX-Lを導入するまでの繋ぎと見なされていた。しかし、PX-Lの選定に手間取ったことや、PX-Lに最有力視されていたP-3Cの導入がロッキード事件の煽りを受けて白紙に戻されたこともあり、主力対潜哨戒機として1979年(昭和54年)3月14日までに82機が生産(1号機はP2V-7から改造、計83機)され、6個対潜航空隊に配属された。第十雄洋丸事件にも出動した。

1981年(昭和56年)からはP-3Cが導入され始めたが、その後も能力向上を図り改造が加えられ、P-3Cの戦力が整備されるまで第一線で使用された。1994年(平成6年)5月26日付で全機退役した。上述の通り機体規模の不足から、乗組員は不自由を強いられたものの機体の安全性は極めて高かったため、総飛行時間が61万時間におよぶにもかかわらず、軍用機としては珍しい事に生産・配備された全機が無事故で無事に退役した。

配備部隊
P-2J
第1航空群:第1航空隊、第7航空隊
第2航空群:第2航空隊、第4航空隊
第4航空群:第3航空隊
臨時沖縄航空隊→沖縄航空隊→第5航空群:第5航空隊
航空集団直轄:第51航空隊第511飛行隊
鹿屋教育航空群:第203教育航空隊
下総教育航空群:第205教育航空隊
UP-2J
航空集団直轄:第51航空隊→第31航空群:第81航空隊
VSA 可変特性実験機
航空集団直轄:第51航空隊第511飛行隊



スペック
乗員:12名
全長:29.7m
全幅:30.9m
全高:8.9m
翼面積:
全備重量:36,288kg
エンジン:IHI(GE) T64-IHI-10E×2・IHI J3-IHI-7D×2
出力: T64 - 3,060馬力×2、J3 - 1,550kgf×2
最大速度:635km/h=M0.52(高度3,050m)
航続距離:
実用上昇限度:
武装:Mk44ホーミング魚雷×4、150kg対潜爆弾×16、127mmロケット弾×8
登場作品
『日本沈没』
原作で空中からの地質探査に活躍。
『大鉄人17』
実写で登場。巨大ロボットをロケット弾で攻撃。
『西部警察 PART-III』
地方ロケ福島編にて「防衛隊」の哨戒機としてライブフィルムで登場。

砥堀駅(JR西日本)播但線

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砥堀駅(とほりえき)は、兵庫県姫路市砥堀字高田にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)播但線の駅。かつては普通列車も大半が通過する小駅でしたが、周囲の人口増加により利用者も増加し、現在では全普通列車が停車しています。

駅名の由来
『播磨国風土記』に、応神天皇が道の雑草を切り払ったときに刃が鈍ったので「砥掘り来(とほりこ、砥石を掘って持って来い)」と言ったことによるという。

駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。駅舎はなく、ホーム上に小さな待合所が設置されています。ホームには簡易型の券売機が設置されています。また上りホームに駐輪場が隣接しています。


2番線を上下本線とした一線スルーとなっており、特急が通過するときは両方向とも2番線を通過するが、停車列車のホームは方向別で固定されている。停車ホームは多くみられる左側通行方式ではなく、右側通行方式で、西側の1番線が上り停車ホーム、東側の2番線が下り停車ホームである。

播但線の電化区間(姫路駅 - 寺前駅間)の途中駅では京口駅・鶴居駅・新野駅とともに無人駅(福崎駅管理)であり、当駅については駅舎も設けられていない。1番線のホーム上に直立式の自動券売機がある。当初は片面ホーム1面1線だったが、新野駅とともに交換駅化された。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 J 播但線 上り 姫路方面
2 下り 寺前・和田山方面
ホームにはバリアフリー対応のスロープで連絡します。

駅周辺
播但線の高架が山陽自動車道との交差部で地上に降り、踏切を二つほど超えた所に位置する。山陽道付近より姫路市の郊外に入る。周辺は田畑が多く見られるが、宅地化が進んでいる。

国道312号(姫豊バイパス)
ショーワグローブ株式会社(手袋製造で国内最大手)本社


そうめん滝(増位山北麓の渓谷)

「兵庫県統計書」によると、2015年(平成27年)度の1日平均乗車人員は677人である。

1935年(昭和10年)11月20日 - 日本国有鉄道播但線の野里駅 - 仁豊野駅間に新設開業。旅客営業のみ。
1951年(昭和26年)6月25日 - 旅客営業を再開。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1998年(平成10年)3月14日 - 電化に伴い行き違い設備を設置。
2016年(平成28年)3月26日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
電気運転の開始までは1面1線で、1970年代頃までは多くの列車が通過していた。

所属路線 J 播但線
キロ程 6.0km(姫路起点)
電報略号 ホリ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 677人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1935年(昭和10年)11月20日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

HUGHES MODEL500C HELICOPTER(ヒューズ 500 ヘリ)米国ヒューズ社

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この機種は、アメリカのヒューズ社が1963年(昭和38年)から生産した7人乗りヘリコプターです。
この機体は、新日本ヘリコプターで、農薬散布などに使用されていました。

スピード:時速230km
エンジン:ターボシャフトエンジン 1台(270馬力)
機体全体の重さ:1.2トン
運べる重さ:0.6トン
価格:5,600万円 (昭和56年当時)
当機が飛行していた期間:1970~1990
(寄贈 新日本ヘリコプター)

MD500は、アメリカのMDヘリコプターズで製作された、軽量多目的ヘリコプターである。練習機などとして民間や軍隊などで使われている。

MD 500は、ヒューズ500 OH-6Aカイユースの民間向けとして始まった。シリーズは現在500E MD、520N MDと530F MDを含む。

ヘリコプターとして成功したヒューズ500/MD 500シリーズは、当初米軍の軽量観測ヘリコプター開発要求に応じて設計試作が開始され、ベルとヒラーとの審査を勝ち抜き、ヒューズモデル 369として生産を開始した。OH-6Aカイユースとしての初飛行は、1963年2月。

ヒューズ/MD 500
OH-6最初の飛行の前に、ヒューズ社は民間向けの機体を開発していると発表を行い、そしてヒューズ500(基本的に5席と7席の構成を選択し利用できる)として市場に出した。また、より強力なエンジンによる実用の機体は500Uと呼ばれ、後に500Cとして市場に提供された。

より強力なエンジン、T型の尾翼と新しい5枚のメインローターブレードで改良されたヒューズ500Dは、1976年の主要な機種となり、4枚のテールローターブレードは選択装備であった。500Dは、機首部分を鋭利な形状としたり、いろいろな内部の改良を施され(操縦室の面積拡大など)、1982年から500Eへと生産が移行した。530Fは500Eをさらに改良した高出力仕様で、より高負荷での飛行を可能とした仕様である。

マクダネル・ダグラスは、1984年1月にヒューズ・ヘリコプターズを買収し、1985年8月から従来のヒューズ500Eを MD 500Eとして、そして、530FはMD 530Fとして製造を継続することになる。 1997年のボーイング/マクダネル・ダグラス合併により、1999年前半に民間向けのヘリコプター製造はMDヘリコプターズが継続する事になる。

軍用はMD 500 ディフェンダーと呼ばれ、供給されている。

MD 520N
MD520Nは、ヒューズ/マクダネル・ダグラスが開発した、ヘリコプター設計上の革命である従来のテールローターが不要な方式であるノーターを装備したヘリコプターである。

マクダネル・ダグラスは当初、520N(従来のMD500Eに基づき1989年1月に開始されていた)より強力でな高性能に改良された標準的なMD530Nを開発する予定であった。MD530Nの初飛行は1989年12月29日で、520Nの初飛行が1990年5月1日であったが、マクダネルダグラスはMD520Nが大部分の顧客が必要な要求を満たすと判断し、MD 530Nの開発は中止された。520Nは1991年9月13日FAA(連邦航空局)の型式証明を取得し、最初機体がその年の12月31日工場より初出荷された。

MDヘリコプターズは2000年に、改良されたRR 250-C20R+エンジンを搭載し、デュフューザとファンを強化し、外気温が高い場合にも3-5%性能が向上した520Nを発表した。

ノーターは、警察などの法執行機関にも人気がある。それは従来のテールローターに比べ騒音が低いためである。

民間用
500
民間事業用向け仕様 369/OH-6A。エンジンはアリソン 250C-18B。出力317shp(236kW)。
500C
民間事業用向けの性能向上型。エンジンはアリソン 250C-C20。出力400shp(298kW)。
500D
1976年の新しい民間事業用向け仕様。エンジンはアリソン 250-C20B。出力420shp(313kW)。
500E
機首形状を変更した最新の仕様。
NH-500E
イタリアで製作された500E。
520N
500Eにノーターを装備した機種。
530F
500Eの上位機種。エンジンはアリソン 250-C30B。出力650shp(485kW)。

軍用

軍隊向け仕様はディフェンダー(Defender)と呼ばれ、輸出もされている。

詳細は「MD 500ディフェンダー(英語版)」を参照
500M
500MD
500MG
530MG
500 ASW
ディフェンダーにソナーなどを搭載した対潜ヘリコプター型。機体下に短魚雷1基を搭載可能。
台湾海軍、スペイン海軍が採用。


モデル 500C
乗員:1-2名
席数:全5席
全長:30ft 10in(9.4m)
主回転翼直径:26ft 4in(8.03m)
全高:8ft 2in(2.48m)
空虚重量:1,088lb(493kg)
最大離陸重量:2,250lb(1.157t)
発動機:アリソン250-C20 ターボシャフトエンジン1基 出力 278hp(207kW)
超過禁止速度:152knots=M0.23(175mph, 282km/h)
巡航速度:125kn=M0.19(144mph, 232km/h)
航続距離:335NM(605km)
実用上昇限度:16,000ft(4,875m)
上昇率:1,700ft/min(8.6m/s)
MD 520N
乗員:1-2名
席数:全5席
全長:33ft 2in(9.78m)
主回転翼直径:27ft 4in(8.33m)
全高:9ft 0in(2.74m)
円盤面積:586.8ft²(54.5m²)
空虚重量:1,636lb(742kg)
最大離陸重量:3,350lb(1.52t)
発動機:アリソン250-C20R ターボシャフトエンジン1基 出力 375hp(280kW)
超過禁止速度:152knots=M0.23(175mph, 282km/h)
巡航速度:135kn=M0.20(155mph, 250km/h)
航続距離:267mi(429km)
実用上昇限度:14,175ft(4,320m)
上昇率:1,850ft/min(9.4m/s)
MD 530F
乗員:1-2名
席数:全5席
全長:32ft 7in(9.94m)
主回転翼直径:27ft 4in(8.33m)
全高:8ft 9in(2.48m)
円盤面積:587.5sq ft(54.6sq m)
空虚重量:1,591lb(722kg)
最大離陸重量:3,100lb(1.61t)
発動機:アリソン 250-C30 ターボシャフトエンジン1基 出力 375hp(280kW)
超過禁止速度:152knots=M0.23(175mph, 282km/h)
巡航速度:135kn=M0.20(155mph, 250km/h)
航続距離:232nmi(267mi, 430km)
実用上昇限度:18,700ft(5,700m)
上昇率:2,070ft/min(10.5m/s)


空爆の碑(川西航空機姫路製作所跡地)姫路空襲

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 この地は川西航空機姫路製作所跡地である。昭和二〇年(一九四五)六月二二日午前十時三〇分頃、米国B二九爆撃機九機の空爆により一瞬に焦土、死礫の山と化した。川西航空七四名、周辺住民六七名、等三四一名の死者、行方不明一〇名重軽傷三五〇名、罹災者一〇、二二〇名の被害を受けた。又同年七月三日深夜焼夷弾による姫路大空襲により死者一七三名行方不明四名、重軽傷一六〇名、罹災者四五、一八二名の被害を受け市内が焦土と化した。尚当時の人口は一〇七、六四三名であった。私たちは犠牲者の霊を慰めると共に人命の尊厳と平和を希求し、戦爭が地球上からなくなる事を心に念じ平成八年中核都市指定を記念してこれを建立する。

平成九年(一九九七)三月 城東地区連合自治会

基本情報
所在 JR京口駅前ロータリー
住所 兵庫県姫路市城東町字北神屋418-2
(JR京口駅 徒歩1分)
連絡先 都合により記載せず
建立者 城東地区連合自治会
建立年 平成9年3月

姫路空襲(ひめじくうしゅう)は、1945年6月22日と7月3日深夜から7月4日未明にかけて兵庫県姫路市が受けた2度の空襲のこと。

6月22日の姫路空襲
1945年6月22日9時50分ごろ、B-29爆撃機約60機が飛来し、播但線京口駅西にあった川西航空機姫路製作所を中心に約1時間爆撃を続けた。爆撃の目的地である製作所は全壊したほか、周辺の民家や道路、上下水道なども甚大な被害を受けた。製作所にいた徴用や学徒動員、社員など多くの従業員や周辺住民を含めた人的被害は、死者341人、被災者10220人。

アメリカ軍の作戦任務報告書による6月22日の爆撃データ
ミッション217
爆撃日時
1945年6月22日午前9時46分から同10時37分(日本時間)

爆撃部隊
アメリカ陸軍航空軍、第21爆撃集団所属、第58爆撃団

B-29爆撃機数
52機

投下した焼夷弾の種類、量
AN-M64 350.7米トン

計 350.7米トン

姫路大空襲
1945年7月3日16時23分(日本時間)、マリアナ諸島のグアム・サイパン・テニアンの3島4基地から、徳島・高松・高知、そして姫路への爆撃のため501機のB-29が出撃し、硫黄島を経由して、それぞれの都市へと向かった。同日深夜から翌未明にかけての約2時間、姫路市街地全域に焼夷弾が降り注いだ。火の手は姫路駅前から上がり、順次周辺へと拡大、町は火の海と化し、総戸数の40%が焼失。飾磨でも一部が被災した。

死者173人、重軽傷者160人余、全焼家屋約1万300戸、被災者45182人。

姫路城は天守に命中した焼夷弾が発火せずに焼失を免れ、その姿に勇気づけられた被災者もいたようである。

アメリカ軍の作戦任務報告書による姫路大空襲の爆撃データ
ミッション249
爆撃日時
1945年7月3日午後11時50分から翌日午前1時29分(日本時間)

爆撃部隊
アメリカ陸軍航空軍、第21爆撃集団所属、第313爆撃団

B-29爆撃機数
106機

投下した焼夷弾の種類、量
E46 546.6米トン

AN-M47A2 220.5米トン

計 767.1米トン

 

仁豊野駅(JR西日本)播但線

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仁豊野駅(にぶのえき)は、兵庫県姫路市仁豊野にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)播但線の駅である。駅周囲は一般住宅が建ち並んでいます。

駅名の由来
仁豊野は古図には「ニウノ」とある。「丹生野」、あるいは水辺を意味する「ミブ」が転じたものか。

駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。古い木造駅舎の駅舎は姫路方面行きホーム側にあり、反対側の寺前方面行きホームへは跨線橋で連絡している。配線上では姫路寄りの分岐がY字になっている関係で、停車列車のホームは方向別に分かれている。

切符売場にはタッチパネル式の券売機が1台。委託の窓口も営業しています。待合室には壁沿いに椅子が設置されています。改札ラッチは簡素な金属パイプ製です。

福知山支社管内にありながら、ジェイアール西日本交通サービス受託の業務委託駅であったが、2005年(平成17年)10月改正からジェイアール西日本福知山メンテックに移管された。福崎駅管理。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 J 播但線 上り 姫路方面
2 下り 寺前・和田山方面
下りホームにはオープン構造の待合室が設置されています
両ホームは跨線橋で結ばれています。

駅前広場はそれほど広くはありませんが、客待ちのタクシーが常駐しています。

駅周辺
和辻哲郎の出生地である。かつてはベトナム戦争の難民の定住センターが置かれていた。

国道312号
聖フランシスコ病院修道女会・姫路聖マリア病院
姫路セントラルパーク 当駅からタクシーで10分。姫路駅から神姫バスで約30分とされているが運行本数が少なく、市内の道が渋滞することもあり、仁豊野から姫路セントラルパークまでの道のりは比較的交通量が少ない。そのため、当駅からタクシーを使うほうが最速でつく場合もある。特に8月は入園者が多く、姫路城に観光する人も8月はやや多いため、8月は渋滞する傾向にある。
姫路ばら園 (姫路市豊富町) 開園期間は5月~6月と10月~11月で、国道312号線が毎年渋滞している。当駅から北へ徒歩12分

利用状況
「兵庫県統計書」によると、2015年(平成27年)度の1日平均乗車人員は1,055人である。

1896年(明治29年)8月19日 - 播但鉄道の野里駅 - 香呂駅間に新設開業。旅客・貨物の取扱を開始。
1903年(明治36年)6月1日 - 播但鉄道が山陽鉄道に営業譲渡。山陽鉄道の駅となる。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道国有化により、国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。播但線の所属となる。


1971年(昭和46年)12月1日 - 貨物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2007年(平成19年)8月1日 - 窓口営業時間を変更。3時間40分延長し、7時10分 - 21時(変更前 - 17時20分)となる。
2016年(平成28年)3月26日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。

所属路線 J 播但線
キロ程 8.2km(姫路起点)
電報略号 ニノ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 1,055人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1896年(明治29年)8月19日
備考 業務委託駅

JRバラスト更新車

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バラストクリーナーはバラスト更新およびクリーニングを行なう、言わばレールに乗った道床バラスト工場です。作業開始、作業終了時および稼働率は目を見張るものです。

 コンパクトでハイパーフォーマンス。その迅速な作業 開始で作業時間が短いケースにおいても 優れた効率を発揮致します。 優れたパーフォーマンスのガイディングシステムに より 作業開始時においても作業限界をフルに活用して高精度の作業を安全に行なうことが可能です。 マティサ バラストクリーナーC75は適度な長さで毎時750立米のバラストのふるい分けができ、掘削量は 毎時1000立米以上に及びます。 適度な大きさであるために作業計画も無理なく行なえ、作業現場付近に留置させておきやすくなっています。 マティサバラストクリーナーC75はスタンダード部品で構成されているため、部品調達はスムーズでコスト削減にも繋がります。 作業ユニットは堅牢ながら柔軟性に優れているため、皆様のニーズに合わせた作業現場の最適化が可能です。

バラストの運搬および更新のための掘削などを行います。
マティサ バラストクリーナーC75は、軌道更新機によるマクラギ交換直後にその威力を発揮します。作業現場の状況に合わせて軌道を0~150mm下げることが可能です。 ディーゼルエンジンが2基搭載されており、この2基を交互に使用することによって100%の稼働率を発揮致します。

車内は作業および運転が効率よく行えるよう設計されています。各装置への視認性は優れており、人間工学に基づいたコマンド、更には一目で完璧に読み取れる機能チェック表示や主要インジケーターなど。カメラを使用すればいつでも作業装置を監視することが可能です。安全性が多大に増し、損傷リスクは最低限に抑えられます。
全てをお手元にキャビンは作業中を通じてオペレーターの方々にパーフォーマンスを発揮していただけるべく人間工学的に完璧な設計がされています。

バラスト掘削
この掘削部は軌道下のバラストを掻き出し、ふるいにかけてからメインコンベアに送られます。道床掘削先端部は油圧制御の伸縮自在なシステムのよってニーズに合わせた使用が可能です。
カント取付け部及び反曲線を含めてどんな状況においても軌道曲線を制御するために深い位置まで傾斜をつけて掘削します。


道床ふるい分け
道床バラストの自由振動で、高稼働率且つ優良なふるい分けが得られ、互換性のある3タイプの網を使用することでどんな大きさのバラストにもどんなバラスト回収器にも対応いたします。更にはハイパーフォーマンスな電動ブレーキシステムでふるいを迅速に停止させることも可能です。
バラスト散布
きれいにふるい分けられたバラストは、バラスト散布用のコンベアにてバラスト補填プラウに運ばれていきます。バラスト補填プラウはリアクランプと一体化しています。クランプがガイダンスシステムから受けた指示により軌道を正しい位置に決め、バラスト補填プラウがマクラギ下およびマクラギ両端部にバラストを補填していきます。軌道から見たプラウの横移動および縦移動を調整することにより、作業現場の条件に応じたバラスト散布が可能です。
水平化装置
フロントボギーおよびセンターボギーに設置された電気式ペンドラム2基により、10%のカント矯正が可能です。

 A点・B点・C点の3点
およびペンドラムから収集したデータを基に高度なガイダンス
を行なうコンピュータガイダンス装置CATTを搭載しています。
これによってバラストクリーナーによって下がった道床の高さ
を管理します。
機械停止時間を軽減する 優れたアクセスの良さエンジン室へのアクセスは、このメンテナン
ス操作を容易にするパネルのおかげで、特に簡単です。
定められた軌道線形をベースに ガイダンスコンピュータは機械の作業ユニットの精確な位置を制御します。オペレーターの方はいつでも手動で矯正を加えたり、価値を指定したりすることが可能です。

香呂駅(JR西日本)播但線

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香呂駅(こうろえき)は、兵庫県姫路市香寺町中屋にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)播但線の駅である。

旧香寺町の代表駅であり、線内中間駅では福崎、野里に次いで利用客の多い主要駅です。

駅前広場は広く、タクシー乗り場にタクシーが常駐しています。

駅構造
単式2面2線のホームを持つ交換設備を備えた地上駅である。木造駅舎の有人駅舎は1番のりば側にあり、2番のりばとの間は跨線橋で連絡している。

有人駅舎に付けられた建物財産票には「明治27年8月」と記されている。播但線鶴居駅も同年築。2012年現在、兵庫県最古の駅舎である山陽本線有年駅(橋上駅化工事中)に次いで古いものである。

駅舎外に追いやられた待合室に冷暖房はありません。改札口にあったはラッチは撤去されました。

配線上は1番のりばを上下本線とした一線スルーとなっており、特急「はまかぜ」は両方向とも1番のりばを通過していく。停車列車も行き違いがない場合は、両方向とも1番のりばに停車する。

切符売場には旧型のボタン式券売機が2台。みどりの窓口が設置されている。駅業務は2005年(平成17年)4月1日にJR直営からジェイアール西日本福知山メンテックに業務委託された。福崎駅が当駅を管理する。駅を出てすぐの所にキヨスクがあったが、2016年1月20日限り営業を終了した。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1・2 J 播但線 上り 姫路方面


下り 寺前・和田山方面
原則両方向とも1番のりばを使用するが、福崎・寺前方面への下り列車のうちラッシュ時ならびに停車列車同士の行き違い時には2番のりばに停車する。


姫路行きでは19時台の1本のみ2番のりば停車(対向列車である特急はまかぜ5号と行き違い。はまかぜは1線スルーの1番線を通過のため)。出発信号機はかつて3番線で使用されていたものを流用している。
なお、以前は2番のりばの反対側に3番のりばが存在し、かつて特急の待避に使われていたが長らく使用停止状態だった。架線・線路は2015年12月に撤去され、2016年3月27日から西改札口および自転車駐輪場として使用されている。

 


利用状況
「兵庫県統計書」によると、2015年(平成27年)度の1日平均乗車人員は1,595人である

 


1894年(明治27年)7月26日 - 播但鉄道が姫路駅 - 寺前駅間で開業すると同時に設置。旅客・貨物の取扱を開始。
1903年(明治36年)6月1日 - 播但鉄道が山陽鉄道に営業譲渡。山陽鉄道の駅となる。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道国有化により、国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。播但線の所属となる。
1980年(昭和55年)4月1日 - 車扱貨物の取扱を廃止。駅舎南側に有蓋車用の貨物ホームが設置されていた。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2007年(平成19年)8月1日 - 窓口営業時間を変更。1時間延長し、7時15分 - 21時(変更前 - 20時)となる。
2015年(平成27年)12月5日 - 姫路市により駅前広場が完成する。
2016年(平成28年)
3月26日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
3月27日 - 西改札口(無人、ICカード対応)の使用開始。


所属路線 J 播但線
キロ程 11.2km(姫路起点)
電報略号 コロ


駅構造 地上駅
ホーム 2面3線(実質2面2線)
乗車人員
-統計年度- 1,595人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1894年(明治27年)7月26日
備考 業務委託駅
みどりの窓口 有

ベル47G3B-KH-4

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KH-4は、日本の航空機メーカー、川崎航空機(現川崎重工業)がベル・エアクラフト製ベル47G3Bをベースに改造開発した4人乗り単発ヘリコプター。KHは川崎ヘリコプターの略、4は4人乗りの意味。通常はベル47G3B-KH-4と呼ばれている。

用途:汎用機
分類:ヘリコプター
製造者:川崎重工業
運用者:陸上自衛隊など
初飛行:1962年8月2日
生産数:203機

川崎は1954年(昭和29年)から47Gのライセンス生産を行いつつ、ヘリコプターの独自開発の機会を常に狙っていたものの、独自の技術を持っていなかったため、計画は進まなかった。その中、エンジン強化型の47G3B(H-13)の生産を行う際、エンジンの余力を利用して、多用途性を持たせた4人乗り汎用ヘリコプターに改造する計画が発案された。

4人乗りとするために客室は大きく改造され、47Gまで操縦席の両脇が開いていたのをドア方式とした。中央フレーム、燃料タンクなども全面的に再設計され、動力系も独自開発の新技術を採用し、上昇力や航続力も向上している。

改造初号機「摩那」は1962年(昭和37年)8月2日に初飛行、11月4日にヘリの改造開発としては日本で最初に運輸省の形式証明を取得した(初号機はJA7340)ベルのライセンスを受けて販売され、翌年に警視庁に納入されて以降、海上保安庁、読売新聞社、中日新聞社、東北電力、農林水産航空協会、人員や物資の輸送として運行事業会社に採用されたほか、海外へも販売した。生産は1975年(昭和50年)まで続けられ、総生産数は203機にのぼる。陸上自衛隊では、ベル47Gを汎用ヘリコプターH-13として使用していたが、KH-4もH-13KHとして採用した。

また、川崎ではKH-4をベースとして、無関節型ローター実験機のKHR-1を開発し、研究に用いた。KHR-1は1968年(昭和43年)から実験を開始し、研究の成果を7人乗りのKH-7として量産する計画だったが、石油危機の影響を受けて中断された。KH-7計画は1977年(昭和52年)にドイツMBB社との共同開発によってBK117となったが、KHR-1の成果はBK117や後のOH-1に生かされた。


搭乗人数 - 乗員1名/乗客3-4名
構造特徴 - 鋼管製枠組構造、半関節型ローター
全長 - 13.30m
全幅 - 11.32m
全高 - 2.84m
主回転翼直径 -
円板荷重 - 12.9kg
馬力荷重 - 4.97kg/HP
自重 - 777kg
最大重量 - 1,293kg
搭載重量 - 480kg
旅客搭載量 - 231kg/3名
発動機- ライカミングTVO435-AIA/BIA/DIA/DIB 水平対向6気筒(過給器付)各1
出力 - 260shp
超過禁止速度 - 169km/h=M0.14
巡航速度 - 146km/h=M0.12
航続距離 - 325km(後に399km)

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