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博多総合車両所

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博多総合車両所(はかたそうごうしゃりょうしょ)は、西日本旅客鉄道(JR西日本)の新幹線車両が配置されている車両基地および車両工場である。

概要
山陽新幹線が博多駅まで全線開業する前年の1974年に当時の日本国有鉄道(国鉄)により開設された新幹線用の車両基地である。山陽新幹線に付随する唯一の総合車両基地である。

開設当時は山陽新幹線にとどまらず、まだ計画段階だった九州新幹線の車両基地としても利用される事を想定していた。しかし国鉄分割民営化により山陽新幹線と(当車両所を含む)関連施設がJR西日本に承継された一方で、その後建設が始まった九州新幹線の運営主体は九州旅客鉄道(JR九州)となり、九州新幹線の車両基地は当車両所とは別途設けられることになった。

2004年の新八代駅以南の部分開業時は川内駅に隣接した川内新幹線車両センターが暫定的な車両基地となり(全般検査は鹿児島総合車両所まで輸送されて行われた)、2011年3月の全線開業後は、新たに熊本駅の南方に熊本総合車両所が建設されている。

本所
博多駅の南約9kmの場所に位置している。敷地の北半分が福岡県春日市、南半分が福岡県筑紫郡那珂川町にまたがっている(事務所が那珂川町側にあるため、所在地は那珂川町中原東2丁目となっている)。地元では地名にちなみ「那珂川新幹線基地」と呼ぶこともある。構内の一角に1990年開設の博多南線博多南駅があり(駅舎が春日市側にあるため、駅住所は春日市上白水8丁目となっている)、本車両所への出入庫列車を利用して営業運転が行われている。九州新幹線の本線とは当車両所北側の福岡市南区弥永4丁目で分岐する構造となっているが、JR西日本とJR九州の管理境界は博多駅構内ではなくこの場所となっている。

本所では、全般検査・台車検査・交番検査・仕業検査およびATC特性検査などの各種車両検修を行う。総務科・車両科・技術科・試験科・設備科・構内運転科・電車センター・台車センター・運用センターの各科・各センターに分かれており、3センターが現場作業を行っている。また博多駅構内には博多駅ホーム派出があり、九州新幹線を含めた博多駅で折返し運転を行う列車の折返し検査等を行っている。
着発線21線、組替・電留・通路線9線、検修庫線7線、台車振替線2線、車輪研削線2線を備えている

JR西日本所属の山陽新幹線用車両の全車が本所に配置されている(一部の事業用車両は登記上は本所所属のまま管内の各駅に常駐している)。運用的には、東海道新幹線との直通運用に供される16両編成と、九州新幹線との直通運用に供される8両編成、山陽新幹線内に限定して運用される8両編成に分かれている。

東海道・山陽・九州新幹線系統に供される車両のうち、JR九州のみが保有する800系電車以外の全系列が当車両所に配置されている。

車籍は抹消されているが、500系電車900番台 (WIN350) の先頭車などが保存されている。

一般公開
毎年10月の鉄道の日付近に「新幹線ふれあいデー」と称して一般公開が実施される。かつては「新幹線サマーファミリーフェア」と称して7月20日前後に一般公開と新幹線車両の試乗会を実施していたが、2005年に発生した福知山線脱線事故の影響で同年以降中止され、2008年から開催時期を10月とし、一般公開のみとして再開している。

1974年(昭和49年)
4月20日 - 新幹線総局博多総合車両部が発足。
7月 - 博多総合車両部開設。
11月 - 仕業検査開始。
12月 - 交番検査、車輪研削業務の開始。
1975年(昭和50年)
4月 - 台車検査開始。
1976年(昭和51年)2月 - 全般検査開始。
1977年(昭和52年)9月 - 912系ディーゼル機関車要部検査開始。
1978年(昭和53年)
6月 - 全般検査1,000両達成。
9月 - 931形貨車全般検査開始。


1979年(昭和54年)9月 - 935形貨車全般検査開始。
1981年(昭和56年)1月 - 全般検査2,000両達成。
1983年(昭和58年)7月 - 全般検査3,000両達成。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、博多総合車両部から西日本旅客鉄道福岡支社博多総合車両所になる。
1990年(平成2年)4月1日 - 博多南線および博多南駅開業。
1999年(平成11年)8月31日 - 環境関係の国際標準規格のISO14001を取得。
2006年(平成18年)6月23日 - 広島新幹線運転所(検修部門)と岡山新幹線運転所をそれぞれ広島支所・岡山支所として統合。
2007年(平成19年)7月1日 - 新幹線管理本部の発足に伴い、福岡支社から同本部の管轄に移行。


特急ゆふ(キハ185系気動車)

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特急ゆふ(キハ185系気動車)

ゆふは、九州旅客鉄道(JR九州)が博多駅 - 大分駅・別府駅間を、鹿児島本線・久大本線・日豊本線経由で運転する特急列車である。

特急「ゆふ」は、1992年7月15日にそれまで博多駅 - 別府駅間で運行されていた急行「由布」(ゆふ)を、四国旅客鉄道(JR四国)から購入したキハ185系気動車を投入の上で特急に格上げする形で運行を開始した。「由布」自体が運行開始したのは1961年10月1日に博多駅 - 由布院駅 - 別府駅 - 門司港駅間で運転開始した準急列車としてで、この運転区間から分かるように循環列車に近い性格を持った列車であったが、1968年10月1日に博多駅を起終点とする循環急行「ゆのか」を吸収して2往復体制となった際に博多駅 - 別府駅間運転の急行に改められた。

1980年10月1日には別府駅 - 長崎駅・佐世保駅間を運行していた急行「西九州」を博多駅発着に変更のうえで「由布」に編入し、「由布」は3往復体制となった。以降、「ゆふ」への変更を経て2013年現在まで3往復体制で推移している。なお2004年3月13日から2011年1月10日まで、「ゆふ」の一部はキハ183系気動車を充当した「ゆふDX」(ゆふデラックス)として運行されていた。

特急「ゆふいんの森」は1989年3月11日に運転開始した観光列車で、現在九州各地で運行されている「D&S列車」(デザイン&ストーリー列車)の嚆矢となった。当初から専用編成に予備がない関係で臨時列車として運行されている。

なお、2017年7月に発生した九州北部豪雨により光岡駅 - 日田駅間の鉄橋が流出し、復旧のめどが立っていないため、当面「ゆふ」「ゆふいんの森」は本来と別の区間で臨時運転を行う。
列車名の由来
「由布」→「ゆふ」は、豊後富士とも呼ばれる大分県由布市にある由布岳が由来となっている。「ゆふいんの森」は由布岳と湯布院町(当時)にちなんでおり、牧歌的な風景をイメージしたものである。

基本的には「ゆふ」、「ゆふいんの森」と2系統の特急列車として運転されているが、「ゆふいんの森」の運休時には同一ダイヤで「ゆふ」が運転されている。由布院駅・大分駅方面への列車が下り、博多駅方面への列車が上りとして扱われている。

九州新幹線鹿児島ルートの全線開業以降は、日中に鹿児島本線鳥栖駅 - 久留米駅間を運行する唯一の特急列車になっている。

ゆふ
博多駅 - 別府駅間2往復(下り1・3号/上り4・6号)、博多駅 - 大分駅間1往復(下り5号/上り2号)の計3往復が運行されている。列車番号は号数+80Dである。

1992年の特急格上げ時点では3往復とも別府駅発着で運行されていたが、2001年に1往復が大分駅発着に変更され、さらに2008年3月15日からは大分駅高架化事業に伴い大分駅 - 別府駅間が臨時列車扱いになり、同年8月24日からは運行自体を休止していた。しかし高架化事業の進捗により、2008年3月ダイヤ改正以前に別府駅発着だった列車に関しては、2012年3月17日のダイヤ改正で別府駅発着に戻されている。

 

キハ185系気動車(キハ185けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が開発し、1986年(昭和61年)から四国地区に投入された特急形気動車である。

1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化に際しては、全車が四国旅客鉄道(JR四国)に引き継がれ、同社によっても増備が行われた。その後、一部の車両が九州旅客鉄道(JR九州)に譲渡されている。

製造者は、日本車輌製造、新潟鐵工所・富士重工業である。

1986年11月1日のダイヤ改正から営業運転を開始した。


JR九州
山岳路線におけるローカル特急に使用されている。2009年3月からは、車内にあった喫煙コーナーを撤去して全面禁煙としている。

九州横断特急とゆふ用の車両は大分鉄道事業部大分車両センター(分オイ)に、A列車で行こう用の車両は熊本鉄道事業部熊本車両センター(熊クマ)に配置。ただし、運用は久大本線系統・豊肥本線系統・三角線系統で分離されている。


豊肥本線系統:「九州横断特急」
2011年3月 - 5月末までは観光特急「あそぼーい!」の代走として「阿蘇ゆるっと博号」に使用された。
2016年3月25日までは肥薩線人吉駅まで乗り入れ、特急「九州横断特急」の熊本駅-人吉駅間及び特急「くまがわ」にも使用されていた。
久大本線系統:「ゆふ」
三角線系統:「A列車で行こう」 - 改造された特別仕様編成(キハ185-4 + キハ185-1012)が使用される。
所有車両
キハ185形0番台 (Mc) 定員60名
5両(1・3・5・7・15)
キハ185形0番台 (Mc) 定員52名
6両(2・4・6・8・10・16)※車販準備室と電話室を設置。
キハ185形1000番台 (Mc') 定員64名
5両(1001・1004・1008・1011・1012)
キハ186形(元キロハ186形) (M) 定員56名
4両(3・5 - 7)(改番なし)

JR九州のキハ185系
2000系の増備でキハ185系は余剰気味となったことから、急行「由布」・「火の山」の車両置き換えを検討していたJR九州に20両が売却され、1992年に機関車牽引で小倉工場へ甲種輸送された。1992年7月ダイヤ改正より、特急「ゆふ」・「あそ」での運用が開始された。

JR九州への売却車両
JR九州に売却された車両は、以下のとおりである。いずれもJR四国の車籍抹消は1992年2月12日付、JR九州の再登録は営業運転開始と同日の同年7月15日付である。

キハ185-1 - 8・10・15・16・1001・1004・1008・1011・1012
キロハ186-3・5 - 7(譲受後全車キハ186形に改造)
JR九州での改造工事
JR九州へ売却された車両は「ゆふ」・「あそ」用に赤と銀を用いた塗色へと変更され、キハ185形の一部(-2、4、6、8、10、16)は電話室、車販準備室を設置した。また先述のように譲受したキロハ186形は豊肥本線や久大本線の勾配対策でエンジンを1基追加して2基搭載し、グリーン席を廃止したキハ186形に改造した。 このとき車内は787系とあわせた、グレーを基調とした内装に変更。シートモケットも787系にあわせた黒色ベースのものとなり、車内の雰囲気は大きく変化している。

さらに2004年には「あそ」の廃止と「九州横断特急」・「くまがわ」の運転開始により該当車両ではワンマン運転対応工事[が施工されるとともに、客室内装は木材を多用した明るい雰囲気へと再リニューアル、あわせてフォグランプ設置、外板塗装の変更といった改装が施された。 加えて2008年からは、順次エンジンを低公害のDMF11HZ系エンジン(コマツ製SA6D125HE-1,355ps)に換装、液体変速機もあわせて新型のものに交換されている。また、ATS改造工事を受けて、ATS-S形からATS-SK形に更新。その後、ATS-DK形への更新を受けている。

九州横断特急
特急「九州横断特急」は、2004年3月13日の九州新幹線鹿児島ルート部分開業の際、前述の特急「あそ」と、熊本駅 - 人吉駅間で運行していた急行「くまがわ」を系統統合する形で運行を開始した。この時に「あそ」と統合されなかった「くまがわ」に関しては同列車名・同区間のまま特急に格上げとしたため、熊本駅 - 人吉駅間には「九州横断特急」「くまがわ」の2系統の特急列車が運行されるようになった。

豊肥本線は古くから観光路線としての位置づけが強く、1954年に熊本駅 - 別府駅間運行の快速「火の山」(ひのやま)が設定されたのを端緒として多くの優等列車が設定された。それらの優等列車は、2006年に廃止された三角島原フェリーを介して阿蘇山と島原半島が観光ルートとして一体化してとらえられていたことから、三角線三角駅まで直通する列車も多く設定されていた。その後、豊肥本線の優等列車は1975年3月10日に急行「火の山」に一本化され、三角線への直通を終了した1986年11月1日以降は熊本駅 - 別府駅間で3往復の運行となり、四国旅客鉄道(JR四国)から購入したキハ185系気動車を充当して1992年7月15日に特急「あそ」に格上げされ[1]、九州新幹線鹿児島ルート部分開業までこの体制で推移していた。

「九州横断特急」は2011年3月12日のダイヤ改正で人吉駅発着列車の約半数について熊本駅 - 人吉駅間を「くまがわ」として系統分離し、2013年3月16日のダイヤ改正で「くまがわ」を再統合していた。2016年3月26日のダイヤ改正で「九州横断特急」の熊本駅 - 人吉駅間および「くまがわ」が廃止され、「九州横断特急」の運行区間は「あそ」と同様になったが、その直後の4月14日夜から発生した一連の熊本地震の影響で、現在も熊本駅 - 阿蘇駅間が運休中である

運行概況
阿蘇駅 - 大分駅間1往復、阿蘇駅 - 別府駅間1往復の計2往復が運行されている。号数は71 - 74号が与えられている。

「あそ」時代は3往復、全列車3両編成での運行で、号数は熊本駅発が下り、別府駅発が上りとなっていたが、「九州横断特急」に改組された際に4往復、全列車2両編成での運行となり、JRグループの特急としては異例のワンマン運転が導入された(多客期など、3両以上で運転する際には車掌が乗務していた)。また号数は鹿児島本線・肥薩線内での方向に合わせて、別府駅発が下り、人吉駅・熊本駅発が上りと改められた。2016年3月26日のダイヤ改正で全列車熊本駅 - 別府駅間の運行になったのに合わせて3往復、全列車3両での運行となり、車掌乗務開始、号数も「あそ」時代と同様に戻されていたが、約半月後の4月14日に熊本地震が発生して全区間運休となった。7月9日に阿蘇駅以東で運行を再開した際は全列車2両での運行となり、ワンマン運転が復活している。2017年3月4日のダイヤ改正では2往復に削減され、さらに「九州横断特急」としては初めて大分駅発着の列車が設定された。なお、2016年7月9日の運行再開時点では阿蘇駅 - 宮地駅間は快速列車扱いで、この区間は「九州横断特急」以外の列車は運行されていなかったが、2017年3月4日より普通列車の運行が再開されたことを受けて阿蘇駅 - 宮地駅間も特急列車として運行されるようになった。

大分駅は高架化工事により高架化されたが、工事進捗の都合により2008年3月15日から2012年3月16日までは日豊本線は地上ホーム、豊肥本線・久大本線は高架ホームと分けられていた。そのため日豊本線と豊肥本線・久大本線の直通運転は中断されていたが、「九州横断特急」のみは別に設けられた渡り線を経由して地上ホームに発着しており、この期間も別府駅発着で運行されていた。


立野駅は本線自体がスイッチバック構造となっており、下り列車の場合、肥後大津方面から走って来た列車は立野駅構内に入線した後、いったん逆方向に走ってスイッチバックの頂点で停車し、方向を元に戻して赤水方面へと出発していく。
人吉駅に乗り入れていた時期は、熊本駅 - 人吉駅間は熊本駅 - 松橋駅 - 新八代駅 - 八代駅 - 坂本駅 - 球泉洞駅 - 一勝地駅 - 渡駅 - 人吉駅に停車していた(松橋駅・球泉洞駅は一部のみ停車)。また人吉駅発着列車は熊本駅で列車の進行方向を変えていた。


編成
大分鉄道事業部大分車両センターに配置されているキハ185系気動車「九州横断特急」仕様の2両編成を充当している。普通車のみの編成で、指定席と自由席が1両ずつ設定されている。通常は九州横断特急ロゴ入りの専用塗装車が使用されるが、キハ186形が組み込まれた場合や専用塗装車が検査等の場合には「ゆふ」塗装車が運用に入ることがよくある。車体ロゴが「ASO YUFU」となっているが、この場合でも車内には差異はほとんどない。

製造所 日本車輌製造・新潟鐵工所・富士重工業
主要諸元
最高速度 110km/h
車両定員 60名(キハ185形0番台)
自重 39.0t(キハ185形0番台)
最大寸法
(長・幅・高) 21,300mm×2,903mm×3,845mm
車体材質 ステンレス
台車 円錐積層ゴム式ボルスタレス台車
DT55(動力台車)・TR240(付随台車)
機関出力 250ps(DMF13HS)×2(キハ185形)
変速段 変速1段・直結1段
駆動方式 液体式(TC2A/DF115A)
制動装置 電磁自動空気ブレーキ(CLE)
保安装置
ATS-SS(JR四国)

ATS-SK、ATS-Dk(JR九州)
備考
第27回(1987年)
ローレル賞受賞車両

「はやぶさ2」小惑星探査機(JAXA)

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はやぶさ2は、小惑星探査機「はやぶさ」(第20号科学衛星MUSES-C)の後継機として宇宙航空研究開発機構 (JAXA) で開発された小惑星探査機である。地球近傍小惑星 「リュウグウ」への着陸およびサンプルリターンが計画されている。「はやぶさ2」という名称は探査機を用いる小惑星探査プロジェクト名にも使われている。

2014年12月3日に種子島宇宙センター大型ロケット発射場からH-IIAロケット26号機で打ち上げられた。

世界で初めて小惑星の物質を持ち帰ることに成功した探査機「はやぶさ」の後継機で、初号機が小惑星往復に初めて挑んだ「実験機」だったのに対し、有機物や水のある小惑星を探査して生命誕生の謎を解明するという科学的成果を上げるための初の「実用機」として開発された。

基本設計は初代「はやぶさ」と同一だが、「はやぶさ」の運用を通じて明らかになった問題点を改良した準同型機である。サンプル採取方式は「はやぶさ」と同じく「タッチダウン」方式であるが、事前に爆発によって衝突体を突入させて直径数メートルのクレーターを作ることによって深部の試料を採取できるようにする。採取した物質は耐熱カプセルに収納されて地球に回収される。着陸用小型ローバーの「ミネルバ2」(2-1A, 2-1B, 2-2の計3基)、およびドイツとフランスが開発した小型着陸機「マスコット」も搭載されている。


先代が航行途中にトラブルに見舞われたため、安定航行を目的としてさまざまな変更がおこなわれた。「はやぶさ」のようなパラボラアンテナに代わり、「あかつき」と同様の高利得平面アンテナ(スロットアレイアンテナ)を使用し、破損があった化学燃料スラスタ配管の再検討や制御装置であるリアクションホイールの信頼性向上などの改良が行われた。イオンエンジンはμ10の推力を 8 mN から 10 mN へと向上させた改良型を使用する。

また、試料を取るための方法も大幅に改良される。まず新機能として、小惑星表面だけでなく小惑星内部の砂礫の採取のための衝突装置 (SCI:Small Carry-on Impactor) を搭載する。SCIは成形炸薬を内蔵しており、探査機本体から切り離された後本体が小惑星の陰に隠れる約40分後に起爆、重さ 2 kg の純銅製衝突体を爆圧によって変形させつつ目標天体に衝突させ、クレーターを作る。このクレーター内または周辺で試料を採取することにより小惑星内部の調査が可能となる。JAXAとしてこのような構造を持つ探査機は初めて[要出典]。SCI 全体の質量が 18 kg、爆薬の質量は 4.7 kgある。銅板の質量は 2.5 kg だが、発射時に一部がちぎれて弾丸としては約 2 kg になる[要出典]。衝突体の衝突時には本体は小惑星の裏側へ退避するため、衝突の様子を撮影するためにDCAM3と名付けた分離カメラを装備している。

初代はやぶさのように試料採取用の筒(サンプラーホーン)を小惑星の表面に当て、内部でプロジェクタイルと呼ばれる弾丸を打ち出し、それを小惑星表面に当てることで舞い上がった砂礫を採取する。プロジェクタイルの形状は「はやぶさ」の弾丸型から円錐型へと変更される。頂点の角度は90度に設定されており、プロジェクタイルが3g以上の質量をもつ場合には弾丸型よりも効率的な試料採取が可能となる。もし初号機と同じように弾丸が発射されなくてもサンプルを引っ掛けて持ち上げられる仕組みも追加された他、サンプルから発生したガスも採取できるように改良されている。2014年11月には、NASAのオシリス・レックスが小惑星で採取したサンプルとはやぶさ2が採取するサンプルを相互に提供し合うことで合意した。はやぶさ2には、サンプラホーンの先端を撮るカメラCAM-Cも搭載されており、これはJAXAへの寄付金で作られた。

満身創痍での運用となった初代と比べ、確実に運用する為の改良が行われた。たとえば、初代はやぶさにおいてイトカワに着地させることが出来なかった「ミネルバ」(着地探査ローバー)の搭載数は、1基から3基に増加、ドイツ航空宇宙センターとフランス国立宇宙研究センターが共同開発した着陸ローバー「マスコット」(MASCOT, Mobile Asteroid Surface Scout)と併せて運用される。同じく初代では信頼性強化の改造が裏目となり、3基中2基が運用不能となったリアクションホイールも3基から4基へと増加され、なおかつ最後の1基はなるべく着陸時までは温存するため、はやぶさ帰還時の運用経験を活かし可能な限り一基のリアクション・ホイールと太陽光圧を利用した運用を行っている。また、新たにKaバンド(32GHz帯)の高速通信が可能な平面アンテナを従来のXバンド(8GHz)アンテナに追加したことで、全般的な高速通信速度が可能な中で、極限時の指令運用(完全自律判断によるタッチダウンと比べた場合指令誘導とすると極端な高速化ができる)をより速やかに図ることができるようになった(従来のパラボラアンテナを小型軽量の平面アンテナに変えて同一面に2枚のアンテナを配置できた)。さらに、目標小惑星であるリュウグウが、自転速度7時間半長径920mのほぼ球形で、何より自転軸が黄道面に対して横倒しに近く、それが垂直であったイトカワが12時間の自転毎に天体全面を観察できた事と比べて極めて効率が悪いため、イトカワでの3ヵ月に比べて6倍にあたる1年半を費やして調査することにしている。

探査計画
「はやぶさ」がS型小惑星である (25143) イトカワを探査したのに続いて「はやぶさ2」ではC型小惑星であるアポロ群の (162173) リュウグウを探査対象とする。リュウグウは、現在軌道が判明している46万個の小惑星のうちスペクトル型が判明している3000個の物の中から、はやぶさクラスの推進力で探査可能でスペクトルがC型であり、タッチダウン運用が可能な自転6時間以上の対象としてほぼ唯一の候補に挙げられた。2014年は極めて望ましい打ち上げ期間(ウインドウ)であり、次回のウインドウは10年後となる。

はやぶさ2計画には新たな生命の起源についての新たな知見をもたらす可能性がある。アミノ酸は探査機スターダストで以前にも彗星の尾から採取されているが、はやぶさ2が目指すリュウグウはC型小惑星と呼ばれる炭素を多く含む炭素質コンドライト隕石と似た物質で出来ていると考えられる小惑星で、一部の炭素質コンドライトと同様に有機物を含有する可能性がある。地球近傍に存在する小惑星が有機物を含むことが実証されれば、これらが隕石として地球に落ち生命の起源に寄与したという仮説が成立することとなる。

 

2014年11月30日に打ち上げ予定が設定されたが、天候不良によって12月1日に延期され、ついで12月3日に再延期された]。
2014年12月3日13時22分、H-IIAロケット26号機により打ち上げ。その後、イオンエンジンやKaバンド通信系などの初期のチェックアウトを順調に終了。
2014年12月5日、本体および地上系一連の健全性を確立するクリティカル運用終了。
2015年3月3日、巡航フェーズへ移行。
2015年12月3日、地球スイングバイを実施。
2018年2月26日、小惑星リュウグウの点像を撮影(距離約130万km)。
予定
2018年6月から7月ごろ、小惑星リュウグウに到着、約18ヶ月間滞在する予定。
2020年末、地球へ帰還する予定。

所属 JAXA
主製造業者 NEC
公式ページ 小惑星探査機「はやぶさ2」
国際標識番号 2014-076A
カタログ番号 40319
状態 運用中
目的 C型小惑星からのサンプルリターン
観測対象 リュウグウ
設計寿命 7年
打上げ機 H-IIAロケット26号機
打上げ日時 2014年12月3日13時22分04秒
ランデブー日 2018年(予定)
物理的特長
本体寸法 1.0m × 1.6m × 1.25m
質量 600kg
主な推進器 μ10
姿勢制御方式 三軸制御方式

JR相生駅(JR西日本)山陽本線・赤穂線・山陽新幹線

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相生駅(あいおいえき)は、兵庫県相生市本郷町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。事務管コードは▲610623。

駅名について
JRのみならず日本の駅を五十音順に並べるとこの駅は一番先頭になる。(JR最後の駅は埼玉県の京浜東北線の蕨駅、日本最後の駅は石川県の北陸鉄道浅野川線の割出駅である。) ただし乗換案内などの路線検索では、他に同名駅の相生駅(岐阜県)があるが、【あいおい(ぎふ)】となるため最初には表示されない。

他、群馬県のわたらせ渓谷鐵道(旧:足尾鉄道→国鉄足尾線)・東武鉄道に読みが「あいおい」と同じで字が違う相老駅が存在する。この相老駅も開業時は「相生駅」であった(駅の所在地名は現在も桐生市相生町)が、山陽本線の当駅と駅名が重複することを理由に、開業翌年に「相老駅」と改称された。

岐阜県の相生駅は、もともと国鉄越美南線の駅であったため当駅との駅名重複を回避すべく、美濃相生駅を名乗っていた。越美南線が第三セクターの長良川鉄道に転換されたことで、重複を回避する必要がなくなり、現在名に改称されたものである。

山陽新幹線と、在来線における当駅の所属線である山陽本線、当駅を起点とする赤穂線の合計3路線が乗り入れている。現在、赤穂線は山陽本線の姫路方面と運用が一体化されており、全列車が同方面へ直通している一方、山陽本線上郡方面からの列車は朝晩を除き当駅で折り返す。

山陽本線姫路方面と、赤穂線の播州赤穂駅までは、ICOCAの利用エリア(近畿圏エリア)に含まれているが、山陽本線上郡方面と新幹線はサービスエリア外である。ICOCAの岡山・広島・山陰・香川エリア(山陽本線和気・赤穂線長船・山陰本線伯耆大山以西)まで乗車する場合もカードの利用は不可となっている。2016年(平成28年)8月 - 駅構内にあるkioskがリニューアルオープン。セブンイレブンkioskとなる。


駅構造
1階が在来線用地上ホーム、2階が改札・コンコース、3階が新幹線用高架ホームである。在来線のみでは橋上駅としての趣がある。新幹線専用の独立した改札口設置されておらず、一度在来線改札口を通る必要がある。橋上駅舎の南口には、造船の町らしく駅前には碇のモニュメントが設置されています。

当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として山陽本線の竜野駅・有年駅・上郡駅の3駅と、赤穂線の兵庫県内所在駅(西相生駅 - 備前福河駅間の各駅)を管轄している。

12両編成対応の単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅で、橋上駅舎を持つ。1番のりばが山陽本線下り本線、2番のりばが山陽本線中線、3番のりばが山陽本線上り本線となっている。但し、赤穂線の線路は1番のりば側からのみ分岐しているため、赤穂線からの上り列車は3番のりばへ入線できない。よって、赤穂線に入る列車については下りは1・2番のりば、上りは2番のりばへの停車に限定されている。1番のりばの南側には保線基地が併設され、赤穂線方面と直通した配線となっている。

新幹線接続駅だが、特急スーパーはくとは主に冬のかにカニ日帰りエクスプレス設定時に臨時停車が行われる。

のりば 路線 方向 行先 備考
1 A 山陽本線 下り 上郡・岡山方面 当駅始発は3番のりば
A 赤穂線 - 播州赤穂・岡山方面
2 A 山陽本線 上り 姫路・大阪方面 赤穂線からの直通
A 赤穂線 - 播州赤穂・岡山方面
3 A 山陽本線 上り 姫路・大阪方面 上郡・岡山方面からの直通
下り 上郡・岡山方面 当駅折返し
日中は、姫路方面から播州赤穂方面の系統が上下とも2番のりばから発車し、上郡方面は当駅発着で3番のりばで折り返す。姫路方面から上郡方面、上郡方面から播州赤穂方面へ上下とも対面乗換可能なダイヤが組まれている。1番のりばは、基本的に通過列車専用となる。

朝・夕時間帯は姫路方面行きの列車については、赤穂線からの列車が2番のりばに、岡山・上郡方面からの列車が3番のりばに入る(一部2番のりばに入っていたこともあった。)。また、上郡・岡山方面行きと赤穂線に入る列車については基本的に単式の1番のりばを使うが、一部の赤穂線 播州赤穂行きは、岡山方面からの姫路行き列車との発車時間が近いため、2番のりばに停車し、上郡方面→赤穂線への乗換の利便性を図っている。また、2番のりばから上郡方面へ発車する定期列車はかつてなかったが、播州赤穂行と接続する増発された上郡行の当駅始発便のみ2番のりばから発車するようになった。

3番のりばの北側には上り方面の待避線が設けられていたが、2000年以降に大半が撤去され、駅東側に残った部分が保線車両留置線として使用されている。事故や各種トラブルにより、ダイヤが乱れた場合には旅客列車の姫路方向への折り返しが行われることがある。

ダイヤ
日中時間帯は、山陽本線・赤穂線とも1時間あたり2本が停車する(山陽本線は当駅で乗り換え)。赤穂線と山陽本線姫路方面は直通運転をしている。朝晩は山陽本線上郡・岡山方面との直通運転が加わり、姫路方面は1時間あたり3 - 4本となる。

姫路方面から赤穂線へ直通運転する新快速は、西相生駅・坂越駅・播州赤穂駅のホーム有効長が8両分のため、赤穂線区間の12両編成での乗り入れができない。そのため事前に姫路駅で切り離し作業を行い、8両編成で当駅に停車する。

新幹線のりば
相対式2面2線の高架ホームを持ち、間に通過専用線が2線。なお、上下停車線をさらに1線ずつ増やして2面4線とすることも考慮に入れられている。

駅の両側に上り線と下り線間の渡り線が設置されているが、岡山側は通常は使用しない。これは山陽新幹線開業以前に検討されていた夜行新幹線の設備の名残である。

のりば 路線 方向 行先
11 ■ 山陽新幹線 下り 岡山・広島・博多方面
12 上り 名古屋・東京方面
1972年(昭和47年)3月15日に山陽新幹線が開業した当時は、東京駅 - 岡山駅間運転の「ひかり」が1時間あたり1本停車していた。また、朝晩時間帯を中心に「こだま」が運転される場合もあった。1975年(昭和50年)3月10日の山陽新幹線全線開通に伴い、当駅に停車する「ひかり」は広島駅まで延長された。

1980年(昭和55年)10月1日改正において、停車本数が1時間あたり2本に増やされた。これは、従来の東京駅 - 広島駅間「ひかり」に加えて、東京駅 - 博多駅間「ひかり」もしくは新大阪駅 - 博多駅間「こだま」のどちらかが運行されるようになったためである。

1986年(昭和61年)11月1日改正以降、山陽新幹線区間の「こだま」が増発され、「ひかり」の停車本数が順次削減された。1997年(平成9年)11月29日改正以降「ひかり」の停車駅からはずされたが、2001年(平成13年)10月1日に「ひかり」が1往復(東京駅 - 岡山駅間の「ひかり144・171号」・当時)ながら停車が復活し、2003年(平成15年)10月1日改正以降、姫路駅 - 博多駅間の「こだま」が岡山駅 - 博多駅間に短縮されたことを受け、1時間あたり1本の岡山駅発着の「ひかり」が停車するようになった。

停車列車としては「ひかり」(岡山駅発着、京都駅以西は各駅停車)が1時間あたり1本と「こだま」(時間帯によって設定なし。下り方面の始終着駅は時間帯によって異なる。上り方面は全列車新大阪止まり)がおおむね1時間あたり1本がそれぞれ設定されているほか、下り列車に、広島行き「ひかり」(「ひかり495号」)、博多行き「ひかり」(「ひかり441号」)各1本ずつが設定されている。また、当駅では「ひかり」同士で待避する列車がある。

2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正で西明石駅始発の「のぞみ」が設定されて以降、兵庫県内の新幹線駅では唯一、「のぞみ」が停車しない駅である。

駅弁
創業1890年(明治23年)の地元企業「エノキ」の駅弁が販売されていたが、2007年(平成19年)11月調製元が破産手続きに入ったため、販売停止となった。新幹線改札内の売店のみでの販売(在来線での弁当販売はなかった)であった。改札外のうどん・そば店でも注文すれば購入できたが、この場合は店員が新幹線改札内の売店 まで商品を取りに行ったので、数分待つことになった。

同社は当駅のほか播州赤穂駅でも駅弁を販売しており、赤穂にゆかりのある『忠臣蔵』にちなんだ商品もあった。

いかなごのくぎ煮めし 討入太鼓寿司 おむすびランチ かきめし 義士弁当 元禄勝鬨べんとう 元禄大名道中御膳 三色幕の内「忠臣蔵」四季彩幕の内「百花扇」 しゃこ舟すし 助六ずし 瀬戸内の味ままかり寿司 瀬戸のしゃこめし 早駕篭弁当 タイ風炒飯 地酒入りほろ酔ひ忠臣蔵 播州室津あなご弁当 幕の内「味ごよみ」幕の内弁当「華ごよみ」松茸弁当 洋風弁当

駅周辺
周辺は谷間のため、住宅や商店が密集している。駅前ロータリーが完成し、バス停留所が全て駅南側に移された。また南口には電車利用者のための時間貸し駐車場が数多く存在する。

国道2号

相生市民病院
相生郵便局
相生警察署相生駅前交番
相生ステーションホテル本館・アネックス
東横イン相生駅新幹線口
バス路線
ウエスト神姫のSPring-8・相生港・榊方面への路線が発着している。かつては竜野・姫路方面への路線もあった。

「兵庫県統計書」によると、2015年(平成27年)度の1日平均乗車人員は4,619人である。


1890年(明治23年)7月10日 - 山陽鉄道竜野駅 - 有年駅間の開通と同時に、那波駅(なばえき)として開業。
1907年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により日本国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
1942年(昭和17年)10月1日 - 相生駅に改称。
1951年(昭和26年)12月12日 - 当駅を起点とする赤穂線が播州赤穂駅まで開業、接続駅となる。
1972年(昭和47年)3月15日 - 山陽新幹線が新大阪駅 - 岡山駅間で開業し当駅に乗り入れ。同時に貨物の取扱を廃止。
新幹線駅が設けられた理由は、姫路駅 - 岡山駅間の駅間距離が長いことにより待避設備が必要になったと唱えた地元選出の河本敏夫衆院議員の政治力によるという説があるが、当時の国鉄は「夜行新幹線」の単線運転および、行き違い・夜間長時間停車のため必要と説明しており、姫路駅には行き違いの待避用に13番線が設置されている。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。
時期不詳 - 在来線改札を自動化。
1997年(平成9年)11月29日 - 「ひかり」の停車駅から外れる。
2001年(平成13年)10月1日 - 「ひかり」の停車が復活。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2004年(平成16年)3月20日 - エレベーター設置。
2005年(平成17年)3月1日 - ダイヤ改正に伴い、在来線のダイヤが、日中の山陽本線姫路方面からの列車は赤穂線播州赤穂駅への直通に置き替えられ、上郡・岡山方面の列車は当駅で折り返すようになる。同時に大阪方面から赤穂線へ直通する新快速が1時間に1本設定。朝は播州赤穂駅から大阪方面、晩は大阪方面から播州赤穂の電車も全て新快速になる。
2006年(平成18年)10月1日 - JR京都・神戸線運行管理システム導入。
2016年(平成28年)8月 - 駅構内にあるkioskがリニューアルオープン。セブンイレブンkioskとなる。

所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 アイ
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅(橋上駅)(在来線)
ホーム 2面2線(新幹線)
2面3線(在来線)
乗車人員
-統計年度- 4,619人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1890年(明治23年)7月10日
乗入路線 3 路線
所属路線 ■山陽新幹線
キロ程 112.4km(新大阪起点)
東京から665.0km
◄姫路 (20.7km)(67.9km) 岡山►
所属路線 A 山陽本線
キロ程 75.5km(神戸起点)
大阪から108.6km
◄竜野 (4.5km)(7.6km) 有年►
所属路線 A 赤穂線
キロ程 0.0km(相生起点)
◄**(竜野) (-km)(3.0km) 西相生►
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有
* 1942年に那波駅から改称。
** 山陽本線竜野方と一体運用

米軍 クーガー装甲車4✕4(MRAP車両)

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MRAP(英語:Mine Resistant Ambush Protected、エムラップ、耐地雷・伏撃防護車両)は、アメリカ国防総省がイラク駐留軍やアフガニスタンに配備するために大量購入を行っている装輪装甲車輌の一群である。

ハンヴィー等の軽装甲車輌の装甲脆弱性に対応するために計画された。

クーガー装甲車(クーガーそうこうしゃ)は、対戦車地雷とIED(即席爆発装置)に対応できるよう設計された装甲戦闘車両(MRAP)である。

対弾・対爆車輌メーカーであるフォース・プロテクション社(Force Protection, Inc.)が開発した対地雷伏撃防護装甲車(MRAP)の一つで、弾道兵器と地雷に対する防御を施された車輛である。車体の設計はスパルタンモーターズで完成された。小火器や対戦車地雷、IEDから防護するために特徴的な設計と素材が組み合わされており、広範囲からの攻撃に対しても乗員とエンジン区画の両方を守っている。1輌の単価は四輪仕様で47万5,000USドル、六輪仕様で64万4,000USドルである。

底面がV型成形されたモノコック構造の車体が機関室まで延長されており、車体下方からの爆風の直射を受け流す。本車の空調は二重化されており、イラクの気温摂氏37.8度以上の環境でも重装備した歩兵が熱中症を起こすことなく活動することができた。

クーガーは2004年、アメリカにあるフォース・プロテクション社の小さな開発チームによって設計された。これは、アメリカ海兵隊の緊急の要求に応えたものである。一般に信じられていることに反して、本車は南アフリカの車輛ではなく、また、南アフリカとは無関連にアメリカで開発された。ただし、1950年代からイギリス領ローデシアおよび南アフリカ国防軍で進化・発展した、車輛の対地雷防護技術を基にしている。これまでに4,000輌がアメリカ陸軍のMRAP(対地雷・奇襲防御)やその他のプログラムで配備された。

ロバート・ゲーツ国防長官は、クーガーが300回以上に上るIED攻撃を受けたにもかかわらず死者は無かったという2004年の海兵隊レポートに基づき、本車の大量発注を要求した。その後、イラクでもクーガーは多数のIED攻撃を受け、数例では犠牲者を出ている。イギリスではマスティフAPVとして、RG-31のかわりにクーガーを選定した。

アメリカ国防総省は将来的に、本車にCrows II(汎用遠隔操作兵器システム)の遠隔兵器ステーションとレイセオン・クイックキル能動型対RPGシステム、フラッグキット6対EFP 装甲などの追加を計画している。

派生型
クーガーには2種類の型式があり、四輪駆動または六輪駆動がある。本車は兵員と装備の輸送のために設計されており、IEDなどの爆発物に対応できる。

クーガーHEV(強化工兵車)
アメリカ海兵隊によって四輪駆動と六輪駆動が2004年に発注された。
クーガーJERRV(Joint EOD rapid response vehicle・統合型爆発物処理即応車輌)
アメリカ陸軍、空軍、海兵隊向けの四輪駆動または六輪駆動型。ほぼ200輌が2005年-2006年に発注された。また、他に200輌が2006年後期に発注された。犠牲者に対する大衆の懸念から、アメリカ軍の政治的な主導権を考慮して本車はMRAPと呼ばれた。
バジャーILAV(イラク軍軽量装甲車)
クーガーを基として、イラク陸軍向けにFPIIとBAEシステムズが生産したもの。
リッジバックPPV(防護警備車両)
イギリス軍の四輪駆動バージョン。FPIIの供給する基礎車体にイギリス軍の装甲と電装を施した。少数の車輛にはエンフォーサー遠隔兵器ステーションの装備が含まれる。
マスティフPPV(防護警備車両)
イギリス軍の六輪駆動バージョン。FPIIの供給する基礎車体に、イギリスのNPエアロスペース社の電子装備と装甲を施して完成させたもの。
ウルフハウンド(重補給支援車両)
クーガー六輪車をイギリス軍が改修したもの。FPIIの供給する基礎車体に、イギリスのNPエアロスペース社の電子装備と装甲を施して完成させている。90輌がMODに発注され、高度に防護された輸送車として供給された。砲の輸送と補給任務に用いられる。
テンペストMPV(地雷防護車輌)
南アフリカ軍仕様の車体を基とした旧型であり、2004年4月-9月にかけ、アメリカ海兵隊の要求に基づいて新造されたクーガーと混同されるべきではない。

クーガーは、アメリカ軍とイラク陸軍に用いられ、イギリス陸軍でも軍務に就いた。これらの国の任務では、クーガーは多様な作戦に投入された。アメリカ海兵隊、アメリカ海軍の建設工兵隊(シービー)、アメリカ空軍のレッドホース(高速展開可能な空軍の工兵部隊)などでは、HEV(Hardened Engineer Vehicle・強化工兵車輛)やJERRV(Joint Explosive Ordnance Disposal Rapid Response Vehicles・統合型爆発物処理即応車輌)として使用された。

イギリス陸軍の派生型であるマスティフは、原型のクーガーに対して貼視ブロックを大型化し、兵装の発射孔を防護する大きな垂直装甲板を追加している。これはイギリス陸軍のドクトリンにおける装甲兵員輸送車の役割に関し、特に対象から防御しながら兵員を輸送するときや、兵員の降車時に火力支援を行うときなどの要求に合わせたものである。マスティフの銃塔(OGPK)には、L7A2 汎用機関銃、FN MAG、ミニミ軽機関銃、L11A1 重機関銃、ブローニングM2重機関銃、40mm自動擲弾銃。もしくは50mm砲などが装備できる。イギリス陸軍の装甲兵員輸送車というものへの考え方の一面(これは、アメリカ軍とは異なる)として、移動中の装甲戦闘車両の銃眼から射撃する際に、歩兵の銃火が正確さを保っていられるかどうか、その平均的な能力に疑問が投げかけられたということがあげられる。また、大きな装甲板は、RPGやIEDの爆発に対する側面の防護能力を追加している。

イギリス陸軍では、初期の地雷防護車輌を運用した。これは、テンペストMPVと名付けられた。2008年11月、イギリス陸軍はイラクとアフガニスタンで用いる、400輌を越えるクーガーを発注した。これは、一連の緊急を要する作戦上の需要(UORs)に基づいていた。2007年2月に、最初のマスティフが86輌配備され、さらに22輌の発注が3月に追加された。総計で108輌が配備された。2007年10月、ゴードン・ブラウンは、兵員を地雷と道路脇の爆弾から防護するため、140輌のマスティフと157輌の四輪駆動バージョンのクーガー(リッジバックと命名された)の追加配備を計画していると伝えた。

カナダでは、アフガニスタンの作戦にクーガーを投入した。

登場作品
映画
『GODZILLA ゴジラ』
作戦本部付近に駐車していたり、核弾頭を輸送する列車を護衛するため、カリフォルニア州ローン・パインに出動したりと、随所に登場する。
『ダイ・ハード/ラスト・デイ』
アリク率いるチャガーリンの手下が序盤のカーチェイスシーンでデジタル迷彩を施したHE型を使用してジャック・マクレーンを追跡する。しかし、息子の危機を知って追跡してきた主人公、ジョン・マクレーンの策によって高速道路の中央分離帯に乗り上げ、そのまま下の道路に突っ込み、走行不能になる。
ゲーム
『コール オブ デューティ ブラックオプス2』
2025年のアメリカにてデジタル迷彩を施された軍用型と紺と灰に塗装されたFBI仕様の車両が登場する。派生型として、軍用型にはSAM ターレットが搭載された対空車両仕様も存在する。
『バトルフィールド4』
「MRAP」という名称で遠隔操作機銃が搭載されたクーガーHが登場する。

全長 7.08m
全幅 2.74m
全高 2.64m
重量 全備23.59t
マスティフ 24.5t
乗員数 2+10名
装甲・武装
主武装 OGPK、またはRWS Crows II
副武装 追加式の銃眼
機動力
速度 105km/h
エンジン キャタピラー C-7
ディーゼル
330hp
懸架・駆動 装輪式六輪駆動
行動距離 966km

 

 

 

ホンダ・トゥデイ2代目 JA4/5型(痛車やまじシスターズ:みったん)

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ホンダ・トゥデイ2代目 JA4/5型(痛車やまじシスターズ:みったん)
トゥデイ(Today)は、本田技研工業がかつて生産、販売していた軽自動車である。

先代の乗用モデルは軽ボンネットバンの派生モデルだったが、セカンドカー(特に女性の運転する車)として企画され、乗用専用設計としてフルモデルチェンジされる。初代よりロゴは英小文字を使用したデザインだったが、2代目ではさらに変更されより女性向けのおしゃれな感覚を表現したものとなる。サスペンションは方式(前:ストラット・後:車軸式・FF車)こそ変わらないものの、より乗用車らしい乗り心地に進化した。

1993年1月26日に2ドアモデルが発表され、次いで同年5月7日に「トゥデイ アソシエ」(Associe)と名づけられた4ドアモデルが発表された。先代のハッチバックとは異なり、独立した荷室となるトランクを採用したセミノッチバック形状となった。これは初代Miniやかつて同社から発売されていたN360(セダン)や初代ライフ(セダン)などで使われていた手法で、「ほとんどの積み荷が日常の手荷物程度である」ことを理由として、バンとは一線を画す乗用車を主張していた。しかし、このトランクは絶対的なスペースが小さく使い勝手も悪かったことから市場には不評であった。なお、パワーウィンドウは、前席のみであり、4/5ドアモデルの後席は手動式ウィンドウである。

エンジンは、先代から継承するE07A型 3気筒12バルブエンジンで、全グレードPGM-FI仕様となった。さらに、「ビート」に搭載されたMTRECと呼ぶツインマップ燃料噴射制御&各気筒独立スロットル機構をもつエンジンをデチューンし(58PS)搭載したモデル(前期「Xi」、後期「Rs」)もあった。このMTRECは、同機構のスロットル開度とエンジン回転数とで燃料噴射量を制御方法(θTH-Ne)は、F1エンジンなどでも使用されているものである。またMTREC車のみ3本スポークステアリング、タコメーターが装備される。

1996年2月16日にマイナーチェンジが行われた。不評だったトランクがオーソドックスなハッチバックに変更され、前期型の2ドアモデルは3ドアに、4ドアモデルは5ドアとなった。

1974年以来の名前を復活し1997年4月18日に発表された2代目「ライフ」には、当代の主要コンポーネントが流用され、型式も同じJA4であった。

軽自動車規格が変更される直前の1998年9月に、3代目「ライフ」に事実上統合されるかたちで製造・販売を終了した。この事を機に、ホンダのラインアップにおいて、機械式立体駐車場に入庫可能な軽自動車(4人乗り)が、2015年7月にN-ONEのマイナーチェンジで低全高タイプの「G・LOWDOWN」・「Premium Tourer・LOWDOWN」が設定されるまで一時消滅していた。

代モデルは、軽さ、重心の低さ、デザインに加え、チューニング用パーツにビートや2代目のものが数多く流用できるため、軽のレースでは人気が高かった。

2代目の前期モデルは、開口面積が小さいためボディ剛性は後期型(他メーカーのハッチバックモデルに比べても)より高く、スポーツ走行に向いていると言われ、現在行われている軽カーのレースでは前期型をベースにした車両が多い。

 2009年、岡山国際サーキットで行われるアマチュアドライバーレースの祭典に1台の1990年モデルが出場し、ポルシェやフェラーリなどを抜き去る姿が大きな話題になった。オーナー・メカニック・ドライバーは自動車修理販売業の近藤智。初期に比べスパルタン化してきたこの大会で、日常のお買い物車の装いをそのままに、並み居る超高級市販スポーツカーと同等に渡り合う姿はなぜか涙を誘うとyoutube動画などで世界中にファンがいる。卓越したチューニングとドライビングテクニックで2014年には予選4位、決勝4位と大健闘した。

その他 
ホンダ車向けアフターパーツを手掛ける無限からJW1向けのRoopaというボディキットが発売されていた。ウーパールーパーをモチーフにしたデザインで、後部の灯火機類はマツダ・ポーターキャブのものが流用されていた。

ホンダ・トゥデイ(2代目)
JA4/5型
製造国 日本
販売期間 1993年-1998年
乗車定員 4人
ボディタイプ 2/4ドア セミ・ノッチバック (前期型)
3/5ドア ハッチバック (後期型)
エンジン E07A型:直列3気筒 SOHC 656cc(58/48PS)
駆動方式 FF/4WD
変速機 5速MT/3速AT
サスペンション 前:マクファーソンストラット
後(FF):車軸式
後(4WD):マクファーソンストラット
全長 3,295mm
全幅 1,395mm
全高 1,350-1,370mm
ホイールベース 2,330mm
車両重量 680-760kg
生産台数 不明

やまじシスターズ
やまじシスターズは、日本の醸造業・小原久吉商店(和歌山県有田郡湯浅町)のマスコットキャラクター群の総称。キャラクターデザインは玖珂つかさ。
小原久吉商店の8代目当主・小原良樹の発案により、2005年に有田産ミカンを使用したゼリー及びオレンジジュースのブランド「とれたてみったん」のイメージキャラクター・みったんが誕生。以後、醤油・タレ担当のやまじちゃん、果物詰め合わせ担当の和歌ちゃん、地サイダー「ゆあさいだぁ」担当の宮ちゃんも登場し、この4名を総称して「やまじシスターズ」と呼ばれるようになった。「やまじ」は「∧」(山)の下に「治」と書く小原久吉商店の屋号のことで、初代当主・山家屋治兵衛(やまがや じへえ)の名を略したものである。なお、4人は「シスターズ」を称しているものの姉妹関係ではない。

学研『メガミマガジンクリエイターズ』Vol.9(2007年10月発売)の「地方キャラ特集」で紹介されたことを契機に知名度が上がり、2009年9月発売の同誌Vol.17よりイラストストーリー「やまじシスターズ ふんわりびより」の連載が開始されている。
やまじシスターズの関連商品は湯浅町の小原久吉商店・国道店(国道42号沿い)や同社のネット通販で取り扱っている。また、一部の商品については秋葉原のコトブキヤ・ラジオ会館店でも扱っている。


キャラクター
みったん
みかんゼリー・オレンジジュース担当。ミカンをイメージした髪型とリボンに和装が特徴。「とれたてみったん」と呼ばれることもあるがこれは商品のブランド名であり、玖珂つかさの描いたイラストでは「みったん」ないし「Mittan」と書かれていることから「みったん」が正式名称と見られる。
型式/コンポーネント共有車種 ホンダ・ライフ(2代目)
後継 ホンダ・ライフ(3代目)に統合

騎射場停留場(鹿児島市電谷山線)

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騎射場停留場(きしゃばていりゅうじょう)は、鹿児島県鹿児島市荒田二丁目にある鹿児島市電谷山線の電停。使用する系統は鹿児島市電1系統のみである。かつて付近に薩摩藩の時代に流鏑馬など薩摩藩の騎射場があったことが駅名の由来。

併用軌道上、相対2面2線の相対式ホーム。狭いホームに上屋が設置されています。
両のりばに電車接近表示機及びアナウンスがある。
両のりばとも車椅子及び、電動車椅子はホーム幅が規定に足りないため不可。

乗り場
東側乗り場。中央には折りたたみ式の長椅子が設置されています。
1系統 - 郡元、脇田、谷山方面
西側乗り場
1系統 - 二中通、天文館、鹿児島駅前方面
駅施設
谷山方に渡り線を有する。
*渡り線の先に折り返し用停止位置表示板が設置されている。

停留所入口へは横断歩道が車止めを回り込む構造

周辺
鹿児島大学下荒田キャンパス
鹿児島大学郡元キャンパス
タイヨー騎射場店
あさひ騎射場店(旧ニシムタ騎射場店跡)
騎射場商店街
ファミリーマート荒田二丁目店
鹿児島銀行鴨池支店
鹿児島県総合体育センター体育館

バス路線(市営バス)
騎射場バス停
10番線(高麗橋線)
11番線(鴨池・冷水線)
14番線(谷山線)
15番線(東紫原線)
15-3番線(東紫原線)
19番線(南紫原線)
20番線(緑ヶ丘・鴨池港線)
28番線(伊敷・鴨池港線)
29番線(伊敷ニュータウン・鴨池港線)
30番線(明和・鴨池港線)

歴史
1912年12月1日 - 鹿児島電気軌道により設置される。
1928年7月1日 - 鹿児島市に移管(当時は電気局)。

騎射場電停
きしゃば
Kishaba
◄荒田八幡 (0.4km)(0.5km) 鴨池►
所在地 鹿児島県鹿児島市荒田二丁目
北緯31度34分10.47秒 東経130度33分7.30秒
駅番号 口14
所属事業者 鹿児島市交通局
所属路線 鹿児島市電1系統
(線路名称上は谷山線)
キロ程 4.1km(鹿児島駅前起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1912年12月1日

航技研VTOL実験機 フライングテストベッド(FTB) 

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航空宇宙技術研究所(現JAXA)がVTOL研究のために
試作・飛行試験を行ったフライングテストベッド(FTB)

普通機の高速 飛行性 とヘ リコプタの垂直離着陸能力を兼ね備えた航空機 の理想 とす る能力 を発揮 で き るVTOL機 の研究が本格的に取 り上げ られたのは1950年代に入 ってか らで あるが,現 在までに世界各国で20機種を超 える試作が行 なわれ,そ の一 つで ある英国ホーカー・シ ドレー社 のハ リヤー軍用機 は英 ・米両国で制式機 として採用 され るまでになった.こ れ らの試作 と併行 して進 め られた試作研究によってVTOL機 の基礎技術 に関す る多 くの問題は解 明されて来 たが,VTOL機が航空輸送 とその他 の分野で実用機 として活躍する場 を確立す るには,さ らに多 くの問題を克服する必要が ある.今 後の研究 開発で は,VTOL機 の飛行の安全性信頼性を向上 させ,ま た経済性を高 める というようなVTOL機 の実用性 に直結 した問題 に焦点 が置かれよ う.
戦後の航空技術 空白期 間の影響を受 けて諸 外国に遅れを とったわが国の航空工業 は最近 目覚 しい発展 をとげつつあるが,VTOL技 術 について も着実 に先進諸国 との格差 を縮 めつつ ある.


航空宇 宙技術研究所で は昭和37年 以来,JRシ リーズ と呼 ばれるVTOL機 用 リフ ト・エ ンジ ンの研究開発 を進 め,す で にJR100お よびJR200エ ンジン(推力重量比10お よび15)を 完成 し1,2),リ フ ト・エ ンジン技術 に関 して は英国 とな らんで世界 の先端を行 く水準 に到達 した.VTOL機 の操縦 システムに関 して も,シミュ レータによ る安定操縦性 の基礎研究を進めるのと併行 して,姿 勢制御用空気 ジェッ ト・ノズル3)・自動安定装置等のハー ド・ウェアの研究開発を進め,昭和40年 にはVTOL機 の垂直離着陸 ・ホバ リング飛行 の研究のための実験機 フライ ング ・テス ト・ベ ッ ドの試作 が開始 され た.
フライ ング ・テス ト・ベ ッドは わ が 国 で の最初 のVTOL飛 行を 目指 した研究機 で あ り,垂 直離着陸 ・ホバ リング時の飛行性 の研究 とともにVTOL機 を構成 する各ハ ー ド・ウ ェアの設計製作 に関す る技術獲得をも目標 として計画 されたもので ある.

1. フライ ング ・テス ト・ベ ッ ド)

機体構造 ・脚 操縦席 ・エ ンジン ・補助 動力装 置 ・自動安定装置等 を収容 する機体中央部分は特殊鋼管溶接 によ る トラス構造 を,中 央部か ら前後左右に伸 びる
部分 は軽合金板材 による トラス構造を採用 した.本 機の荷重は着陸荷重 ・エ ンジ ン推力荷重が主要 な もので
あるが,脚 を含 めた機体構造の大部分は制 限着陸荷重倍数3(相 当す る着陸接地時降下 率5m/s)で 設計 されている.
エン ジン 機体中央部に前後に5度 傾 けて配 置された リフ ト・エ ンジ ンJR100F型 はJRシ リーズの4号および5号 機 に当た るもので,原 型 エ ンジ ンの燃料制御器 とその他 に機体側か らの要求 による改修を加えた もので ある.エ ンジン始動 は外部 か らの 圧縮空気(4.5kg/cmcm2G以 上)を タービ ン部に 吹 きつける方式を採用 している.エ ンジン圧縮機か らは姿勢制御 ・補助動力駆動用の抽気(エ ンジン空気流量の約7%)が行なわれる.燃 料 は機体中央部分 の左右にあ る円筒形の燃料タ ンク(容 量619ltr.)か らブース ト・ポ ンプによってエ ンジ ンに供 給 される.
補助動力系統 操縦席の後下部 に補助動力駆動用 の空気 ター ビンが あり,エ ンジ ン抽気で駆動 される.空気 ター ビンには直流発電機(30V, 200A)お よび油圧ポ ンプ(1,000psi, 29gpm)が 直結 されて いる.空 気タービンは抽気圧力0.8kg/cmcm2G以 上 で 一定回転数を保持す るよ うな自動調速機構 を備 えてい る.こ の系統 に故障が発生 した場合には第2図 に示 したよ うなバッテ リによる故障補償 システムが自動的に作 動する.
操縦席まわ り 本機の操縦特性 はヘ リコプ タと同等以上 とい うことを目標 とし,ヘ リコプタ ・パ イロッ トが操縦す ることを想定 して計画を進 めた.し たが って操縦席まわ りはほぼヘ リコプ タに準 じた もの とな った.エ ンジン始動 および調整運転 は操縦席左側のス ロットル ・レバー2個 によ って各 エ ンジ ン別々に行なわれ るが,飛 行 中のエンジン推力制御 はヘ リコプタの コレクテ ィブ ・レバ ーと同形の高度制御用操縦桿で両 エンジン同時に行 なわれ る.機 体 の姿勢制御 はステ ィック形式の操縦桿で行なわれる.
操縦席 前面にはエ ンジン計器および警報灯を主体 とした計器板があ り,こ れ にはエ ンジン始動用 スイ ッチ類,各 機能系統 の故障表示盤 も組み込 まれて いる.操縦席右側には各機能系統 のス イッチ類 を収 めた コ ンソールが配置されて いる.


姿勢制御 システム 飛行中の姿勢制御モーメ ン トはエ ンジ ン抽気 を配管 によって機体の前後 ・左右先端 に設 けた空気 ジェッ ト・ノズルに導き下 向きに噴出させ,ピ ッチおよび ロールに関 しては前後 あるいは左右ノズルの開孔面積を差動的 に変化させ,ヨ ーに関 しては前後 ノズ ルの噴出方 向を差動的に左右 に傾 けることで発生す る方式 を採用 した.コ ン トロール ・パワはおおよそ,ピ ッチ:1rad/ss2,ロ ール:1.3rad/ss2,ヨー:0.7rad/ss2で ある.
VTOL機 のホバ リング飛行時には空気力 に よ る姿勢安定効果(複 元力,ダ ンピング)は 期待できないので,安 定性 を付与す るための自動安装置を備 えることが望ま しい.本 機 の ピッチ ・ロール姿勢制御系統 には複元力 とダ ンピングを,ヨ ー系統 にはダンピングを与え るよ うな自動安定装 置を採用 した.第2図 に姿勢制御系統を も示 したが,自 動安定装 置の機能によ って ピッチ ・ロール運動 に関 しては操縦桿操作量に比例 したピッチ ・ロール角 が自動的に保持 され,ヨ ー運動 に関してはペダル操作量 に比例 した ヨー角速度が保持される.ま た本 機では リフ ト・エ ンジンのロータの回転 に起因す るピッチ ・ロール運動の干渉 があり姿勢制御を難 しくしてい るが,自 動安定装置には この干渉を消去す る機能を も与えている.な お,自 動 安定装 置の故障時 には機体の操縦 が困難 とな り操縦不能 といいう危険状態 にもな りかねないので,主 要部 分には3重 系,2重系を採用 し信頼 性向上 をはか った.
高度制御 システム 本機の離着陸 を含めた上昇 ・下降は リフ ト・エ ンジ ンの推 力制御 によって行なわれ る.この場合 も上下運動 に対す る空力ダ ンピング効果 は期待で きな いので,機 体上下 加速度 の近似積分値を推力制御系統 にフィー ドバ ックする機能を果 たす 自動安定装 置を組み込んで,機 体の安定 をはか ると同時 に操縦特性 の向上 をはか った.こ の系統についても信頼性 向上 のための多重系を採用 した.
その他 機体 のエ ンジ ン後部 には機上計測装 置の主要部(電 源部,増 幅器部,テ レメー タ部)が 置かれている.内 蔵 されてい るテ レメータは15チ ャンネルのFM-PM方 式で,サ ンプ リング装 置を併用す ることで同時 に27種 類のデ ータまで送信可能で ある.な お,パ イロ ットと地上の交信は機上 に装備 した携帯用HF無線通信機によ った.

フ ライング ・テス ト・ベ ッ ド試作研究 は昭和40年か ら46年 にわた る長期研究で あったが,こ の間,設計製作 の主担当会社である富士重工業株式会社をは じめ,石 川島播磨 重工業,日 本電気,三 菱重工業,大 和製衡,日 本航空電子等 の各会社 の絶大な協力の もとに完遂で きた ものである.こ こに改めて深甚 の謝意を表する次第である.
航空宇宙技術研究所で はフライング ・テス ト・ベ ッド試作研究に続 く次段階 のVTOL技 術研究 として,遷移飛行の研究を目標 としたVTOL実 験機 の試作研究 について検討 をは じめてい る.

FTBは、鋼管を溶接した骨組み構造で、JR100Fリフトジェットエンジン2基と300リットルの燃料タンクを配置しています。全長10m、幅7mの機体で、乗員は1名です。実験は角田支所(現角田宇宙推進技術研究所)で実施し、垂直昇降、ホバリング、水平移動などの操縦安定性を確認しました。

 


フェリーせと 四国汽船

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宇野港 - 直島(風戸)
所要15分、1日8往復を運航、「せと」が就航する。
車なしの徒歩、二輪車、自転車での利用は不可(2012年5月31日までこの航路と並行して運航していた津国汽船も同様だった)。日曜・祝日運休。1往復は危険物車両優先便。

船名 総トン数 主機関馬力 航海速力
せと 635.00 1,300×2 14.0
旅客定員 積載可能車両数 就航年月日
400 トラック20(54) 2003.09
2003年9月就航、藤原造船所建造
所属:四国汽船

宇野港(うのこう)は、岡山県玉野市にある港湾である。港湾管理者は岡山県、港湾法上の重要港湾、港則法上の特定港に指定されているほか、取扱貨物の9割をフェリー輸送が占める。

宇野港は岡山県の中南部に位置し、瀬戸内海の島々に囲まれ、南北に長い港域をもつ港湾である。フェリー貨物の拠点港と鉄鉱石・木材・砂糖等を取り扱う外貿港の機能に加え、県の防災拠点港に位置付けられ防災機能と水深10mの耐震強化岸壁が整備されている。また、宇野港湾事務所は岡山県内の港湾整備を管轄し水島港においても直轄事業を行っている。

宇野駅と高松駅を接続する宇高連絡船やフェリー航路によって四国への玄関口として発展してきた宇野港は1988年(昭和63年)の瀬戸大橋の開通、そして、最近の高速道路無料化問題により高松港を結ぶ宇高航路が中心であることにより大きな影響を受け旅客の激減のため航路の存続が危ぶまれている。

宇野地区
宇野地区は築港地区とも呼ばれ、フェリーが多数発着する旅客ターミナルのある当港の中心地区である。宇高連絡線跡地に24時間活動型のウォーターフロントを志向する再開発事業が計画され、整備済みの水深10m岸壁は大規模地震時に緊急物資輸送に対応できる耐震強化岸壁である。3万トン級の外航旅客船が着岸できる公共岸壁にはぱしふぃっくびいなすやクリッパーオデッセイなどの客船に、「たまの・港フェスティバル」では日本丸が寄港している。

2015年(平成27年)には、プレジャーボートなどの係留用の浮桟橋と産業振興ビル(玉野市築港)が「たまの・うの港海の駅」として岡山県内4か所目の海の駅に認定された。

主な施設
第一突堤
大型客船バース 10.0 m 水深×280 m (1バース)
第三突堤
5.5 m 岸壁 5.5 m 水深×90 m (1バース)野積場
(-)10.0 m 岸壁 10.0 m 水深×185 m (1バース)上屋・くん蒸上屋・野積場
宇野港産業振興ビル
中国地方整備局宇野港湾事務所
玉野港湾合同庁舎
第六管区海上保安本部玉野海上保安部
中国運輸局岡山運輸支局玉野庁舎
神戸税関宇野税関支所
岡山県備前県民局建設部宇野港管理事務所

宇野港は、本州と四国を結ぶ鉄道連絡船の港湾として建設され、1909年(明治42年)に竣工した。翌1910年(明治43年)に宇野線が開通すると、対岸の高松港との間に宇高連絡船が就航した。以後、長らく四国から本州へ渡る窓口港として機能してきたが、1988年(昭和63年)、瀬戸大橋完成に伴って宇高連絡船が廃止されると、フェリーターミナルとしての整備が進んでいった。

旅客フェリー航路

宇高国道フェリー専用バース
四国・高松方面の宇高航路だけではなく、小豆島など瀬戸内海の離島との航路がある。

高松市(四国)方面
宇高国道フェリー : 宇野港 - 高松港 ※ 航路休止
四国フェリー : 宇野港 - 高松港
両社の乗り場は異なる場所にある。国道フェリーは玉野市役所などに近い港の西側に専用の発着所を、四国フェリーは他航路とともに宇野駅近くのフェリーターミナルに設置。
小豆島、豊島方面
小豆島豊島フェリー : 宇野港 - 豊島 - 土庄港(小豆島)
直島方面
四国汽船 : 宇野港 - 直島(宮浦港、本村港、風戸港)
津国汽船 : 宇野港 - 直島(風戸) ※ 経営破綻による航路休止

吉野町駅 横浜市営地下鉄ブルーライン(1号線)

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吉野町駅(よしのちょうえき)は、神奈川県横浜市南区吉野町三丁目にある、横浜市営地下鉄ブルーライン(1号線)の駅である。駅番号はB14。当初構想では神奈川新町~屏風浦を結ぶ地下鉄2号線との接続駅となる予定でしたが、2号線は計画段階で中止。駅周辺には集客施設はない。

1972年に廃止された横浜市電の吉野町三丁目電停と同じ場所にある。

駅名の由来
地名から採られた。「吉野町」の由来は楠木正行の故事から採ったとされている。

駅構造
島式ホーム1面2線を持つ地下駅。

のりば
ホーム 路線 行先
1 B ブルーライン 上大岡・湘南台方面
ホーム中央には自動販売機が設置されています。


2 横浜・あざみ野方面
ホームは広い。

切符売場に券売機は4台。改札口の改札機は3台。天井が低いためか頭上に通行案内は設置されていません。

利用状況
2017年(平成29年)度の1日平均乗降人員は15,402人(乗車人員:7,794人、降車人員:7,608人)である。

駅周辺
南太田駅(京浜急行電鉄本線)
国道16号
神奈川県道21号横浜鎌倉線(鎌倉街道)
横浜市立共進中学校
横浜市立日枝小学校
日枝神社(通称:お三の宮)

路線バス
最寄りの停留所は、吉野町駅前となる。横浜市営バス、神奈川中央交通、江ノ電バス横浜によって運行されている。


1972年(昭和47年)12月16日 - 開業。
2007年(平成19年)6月9日 - ホームドアの使用を開始。
2012年(平成24年)4月10日 - docomo Wi-Fiによる、無線LANサービス開始。

駅番号 ●B14
所属事業者 横浜市交通局(横浜市営地下鉄)
所属路線 ■ブルーライン(1号線)
キロ程 17.6km(湘南台起点)
駅構造 地下駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 7,794人/日(降車客含まず)
-2017年-
乗降人員
-統計年度- 15,402人/日
-2017年-
開業年月日 1972年(昭和47年)12月16日
備考 業務委託駅(京王設備サービス)

航空自衛隊 自走式スイ-パ-

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航空自衛隊 山崎産業(コンドル) オートマチックロードスイーパーCSR-1200BD

自走式スイ-パ-
小回りのきく搭乗式。長時間の連続作業も楽に対応できる。

<用途>
施設や広い格納庫内を清掃する機材です。
<特長>
・ゴミ捨ても簡単、100l車輪付大型ホッパー。
集塵フィルターを内蔵した100lの大型ホッパー(集塵箱)は、本体から簡単に取り外せるので、ゴミ捨て作業もラクラクです。
・小回りがきく前輪ステアリング方式。
車体の回転半径が小さいので、Uターンや、狭いスペースやコーナーでの清掃もスムーズに行えます。

●サイズ 幅930×奥行1500×高さ1260mm
●電源 DC24V/196Ah
●清掃能力 7500m2/h(理論値)
●騒音 74dB
●集塵容量 100l
●清掃幅
メインブラシ:700mm
サイドブラシ 1ヶ使用時:900mm、2ヶ使用時:1000mm(ブラシ1ヶは別売品)
●走行速度 0~7.5km/h
●連続使用時間 約3時間
●充電時間 約10時間
●重量 約360kg(バッテリー付・ホッパーは空)
●付属品 サイドブラシ1ヶバッテリー
バッテリー


(ブランド) コンドル(CONDOR)
(メーカー) 山崎産業株式会社(YAMAZAKI)

谷町四丁目駅 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)

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谷町四丁目駅(たにまち4ちょうめえき)は、大阪市中央区にある大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅。谷町線と中央線の2路線が乗り入れる。駅周辺は大阪府庁の別館をはじめとして行政機関が集中する官庁街であるとともに、大阪城公園への最寄駅の一つです。


谷町線・中央線ともに相対式2面2線ホームの地下駅。谷町線ホームの方が中央線ホームより下層にあり、中央線ホーム本町寄りに、谷町線ホーム天王寺寄りに通じる連絡階段が設けられている。改札口は中央線ホーム双方の本町寄りに1ヶ所ずつあるほか、森ノ宮寄り付近と東梅田寄り付近にも1ヶ所ずつあり、合計4ヶ所。

当駅は、阿波座管区駅に所属しており、阿波座副管区駅長により当駅および森ノ宮駅を管轄している。

のりば
谷町四丁目駅プラットホーム
ホーム 路線 行先
谷町線ホーム
1 T 谷町線 天王寺・平野・八尾南方面
2 東梅田・都島・大日方面


中央線ホーム
1 C 中央線 森ノ宮・長田・生駒・学研奈良登美ヶ丘方面
2 本町・阿波座・弁天町・コスモスクエア方面

 

特徴
当駅付近に谷町線〜中央線の短絡線が存在する。谷町線の車両の森之宮検車場への回送時などに使用されている。
中央線・谷町線ともに、車内放送では「たにまちよんちょうめ」と、京阪式アクセントでアナウンスされている。
駅名・所在地ともに谷町四丁目となっているが、谷町線の駅施設は大半が谷町三丁目に位置する(中央線の駅施設は大手前四丁目に所在)。

バス
駅東側の上町筋には馬場町停留所と国立病院大阪医療センター停留所があり(62号系統:上本町六丁目経由住吉車庫前行きと天満橋経由大阪駅前行きが停車)、バスの車内放送では「地下鉄谷町四丁目」と案内されているが、駅からは離れている。2008年3月29日まで赤バス(中央ループ)の谷町四丁目停留所が8号出入口付近に設置されていたが、路線廃止とともに停留所も廃止された。2014年3月31日まで4号出入口付近に 105号系統天満橋行きの停留所(谷町三丁目)が存在していた。

1967年(昭和42年)
3月24日 2号線(現在の谷町線)の東梅田〜当駅間開通時に開業。開業当初の終着駅であった。
9月30日 4号線(現在の中央線)の当駅〜森ノ宮間が開通、乗換駅かつ同線の終着駅となる。
1968年(昭和43年)12月17日 谷町線が当駅から天王寺まで延伸、同線の途中駅となる。
1969年(昭和44年)12月6日 中央線が当駅から本町まで延伸し大阪港まで直結、同線の途中駅となる。
2018年(平成30年)4月1日 - 大阪市交通局の民営化により、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅となる。


所属事業者 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)
駅構造 地下駅
ホーム 相対式 各2面2線
乗車人員
-統計年度- 44,740人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 90,131人/日
-2016年-
開業年月日 1967年(昭和42年)3月24日


乗入路線 2 路線
所属路線 T 谷町線
駅番号 T23
キロ程 14.2km(大日起点)
◄T22 天満橋 (0.9km)(1.0km) 谷町六丁目 T24►
所属路線 C 中央線
駅番号 C18
キロ程 11.1km(コスモスクエア起点)
◄C17 堺筋本町 (1.0km)(1.3km) 森ノ宮 C19►
備考 キロ程は営業キロ

トヨモーターFJ型 220CC 1959年

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トヨモーターの最大排気量モデルで、1954年に150CC、55年に180CC、56年に200CCを開発してきたトヨモータースの集約的なオートバイといえる。

1958年から続くFH型シリーズと同じ万能タイプでレジャーで楽しく乗れ、荷物運搬にも使える快適な実用車とした。デザインはヘッドライト、ガソリンタンク、エンジンを吊り下げるバックボーンフレーム、マフラーなど、全体的に調和がはかられているがフロントフォークが太く武骨な印象も漂う。

フロント周りは、高速や悪路、荷物搭載時でも安定性と快適さを求めた仕様で、ステアリング・ダンパーが付いていた。エンジン始動もセルダイナモ付のFJA型220CCも販売された。

空冷2サイクル単気筒エンジン 総排気量216CC 最高出力13HP/5500RMP 最大トルク1.9KG・M/4000RPM 始動方式キック 変速機4段 最高時速110KM/H 燃料消費率45KM/L(40KM/H)

米軍 GAU-8Avenger 30mm ガトリング砲

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GAU-8 Avenger(アヴェンジャー)は、GE製の30mm ガトリング砲である。アメリカ空軍のA-10 サンダーボルトIIなどに搭載され、アメリカ軍の航空機搭載機関砲のなかで最大・最重そして、攻撃力の点で最強を誇る。主に対戦車攻撃に利用され、強力な30mm弾を高初速・高サイクルで発射する。この火器に冠されている"Avenger"との語は「復讐者」を意味する。

GE製の30mm ガトリング砲である。アメリカ空軍のA-10 サンダーボルトIIなどに搭載され、アメリカ軍の航空機搭載機関砲のなかで最大・最重そして、攻撃力の点で最強を誇る。主に対戦車攻撃に利用され、強力な30mm弾を高初速・高サイクルで発射する。
この機関砲は現在では生産されておらず、生産したGEに代わってマーティン・マリエッタ(現ロッキード・マーティン)によって保守整備されている。
GAU-8単体の重量は281kgであるが、給弾システムやPGU-14(焼夷徹甲弾)を満載したドラムマガジンなどを含めた全備重量は1,830kgにもなる。

GAU-8は、A-X(次期攻撃機計画)と並行して開発が進められた。1970年に計画段階の諸元がGEとフィルコ・フォードによって計画された。

A-Xの機体として開発されたA-10 サンダーボルトIIとYA-9は、初期段階の時期にGAU-8を搭載することができず、その間はM61 バルカンが暫定的に使用され、GAU-8が装備されたA-10は1977年に就役した。GAU-8は、A-10の機体の1/3ほどの大きさ・空虚重量の1/4もの重量があり、専用のドリー(台車)が作られている。GAU-8は、機体中心線から少しだけずらして設置されているが、これにより弾丸発射の際に砲身が機体の中心線に位置する配置となっている。また、GAU-8が装備された航空機の前部降着装置(ランディング・ギア)は、GAU-8の右側にずらして取り付けられている。

GAU-8は現在では生産が行われておらず、生産したGEに代わってマーティン・マリエッタ(現:ロッキード・マーティン)により保守整備が行われている。

GAU-8単体の重量は281kgであるが、給弾システムやPGU-14(焼夷徹甲弾)を満載したドラムマガジンなどを含めた全備重量は1,830kgにもなる。また、銃口から機関部までの長さは5.81mであり、ドラムマガジン単体では長さが1.82m、直径が86cmある。このドラムマガジンには最大で1,350発の30mm機関砲弾を搭載できるが、1,174発がごく一般的な搭載量となっている。焼夷徹甲弾(API)の初速は990m/sであり、GAU-8の小型版ともいえるM61 バルカンの20mm機関砲弾とほぼ同一の初速を得る。

通常のミッションにおいては、対装甲用焼夷徹甲弾PGU-14/B(弾頭重量425g)と焼夷榴弾PGU-13B(弾頭重量360g)が4:1の割合で使用される。PGU-14/B弾の弾頭は劣化ウラン合金製である。この焼夷徹甲弾は、対戦車戦において非常に強力な武器となる。なお、劣化ウラン弾については、攻撃を受けた生存者、弾丸の装填要員に放射線の影響を与えるとし、使用反対を訴える団体などが「湾岸戦争の直後、イラクの様々な場所での出産障害が急増した原因は、作戦中に放たれ土中に残留した劣化ウランである」と主張する一方、出産障害と劣化ウラン弾の関連性を示す根拠が薄弱(統計学的な有意差が出ていない)であることから、WHOなどは健康被害との因果関係を否定する見解を発表している。

GAU-8の発射速度は、毎分1,800発と4,200発の選択式であったが、後に改修されて最高発射速度が毎分4,200発から3,900発になった。後に最低発射速度である毎分1,800発の発射レートも取り消された。これは敵発見時に、できるだけ高サイクルで砲弾を発射することで敵を瞬時に殲滅し(低サイクルなら敵に十分なダメージを与えられず再び射撃地点に旋回して敵上空を飛行しなければならない可能性があるため)、作戦機の生存性を上げる狙いがあった。実際にGAU-8を使用する際は、砲身の過熱や砲弾の無駄遣いを防ぐために1-2秒のバースト射撃をするようになっている。また、砲身の寿命も重要な要素である。アメリカ空軍では各砲身において21,000発の発射回数をもって、砲身の交換をすることとしている。

各砲身は非常にシンプルな構造であり、砲身と砲尾そして、遊底からなっている。GAU-8の構造の基礎となったガトリング砲と同様に、砲身の回転によるカムの動きで発射速度が変化する(つまり、砲身の回転が速いほど発射レートも早くなり、遅いほど遅くなる)。砲身は、油圧モーターで駆動する。

GAU-8は、リンクレス給弾方式である。これは、リンクがない分携行弾薬を軽量化でき、リンクとの分離不良による弾詰まりの可能性を減らすためである。また、発射前後での機体バランスの悪化を防止する目的もあり、空薬莢は機外に放出せず、弾倉に回収する。

GAU-8に関する都市伝説として、「飛行速度の低下」が挙げられる。砲の反動が機体の推進力に匹敵し、飛行速度が機関砲の発射によって落ち、撃ち続けると機体が失速して墜落してしまうというものである。中には機体が後方に進みだすといった滑稽な伝説もある。もちろん、これらの話はあくまで冗談の域に過ぎない。

毎分4,200発で弾丸が発射される場合、毎秒70発が発射される。425gの砲弾はおよそ1/200秒で1,067m/sにまで加速され、これによる反動はおおよそ39kNである。GAU-8/Aのホームページでは砲の反動が45kNとされている(上記計算値(39kN)との違いは、砲身からの発射ガスの力が加味されているからと推測できる)。それに対してA-10 サンダーボルトIIの両エンジンからの最大出力は80kNである。よって、発射反動はエンジン出力の半分よりわずかに強い程度であるといえる。言い方を変えれば、機関砲を発射することは前方に向けて搭載されたジェットエンジンを全出力で駆動させることと同じであり、この反動で飛行機を止めることはできないが、わずかな速度低下を引き起こすことができる驚くべき力を持っているという事である。実際にアメリカ空軍は、GAU-8の砲身先端にマズルブレーキをつけて反動を低減する仕様が試されたが、試験の結果、保有する機体にこの種の改造をする必要はないと結論付けられたという。また、発射反動は砲の取り付け位置にも影響を与えている。機関砲弾はGAU-8を正面から見て凡そ九時の方向(向かって左側)に砲身が到達した際に発射されるので、そのリコイルが丁度機体中心に来るように機関砲全体を少々左側にずらして設置している。これは、開発中にGAU-8を機体の中心に据え付けたところ、上記の発射特性のため反動で機体の姿勢が乱れた結果、着弾点がずれてしまったことに起因している。

アリゾナ州ツーソンのデビスモンサン空軍基地の第335戦術飛行隊隊長によると、GAU-8発射時の反動に起因する問題は無いという。GAU-8には機関砲格納庫と取り付けマウントの間にリコイルアダプターと呼ばれる反動吸収装置が組み込まれており、発射時の反動を軽減する働きがある。

また、A-10のエンジンに砲の発射ガスが入り込むことでエンジンがストップしてしまうのではないかという疑惑もある。これは、発射ガスに酸素が含まれていないからで、エンジン内部での燃焼の妨げになるという意見に起因するものであるが、発射ガスは機体下部を通るように設計されており、たとえ機体にマイナスGが掛かる機動中であっても、発射ガスが機体上部のエンジンに入り込まないよう考慮されている。

登場作品
映画
『トランスフォーマー』
出動したA-10 サンダーボルトIIが、スコルポノックへの攻撃に使用する。
ゲーム
『Wargame Red Dragon(英語版)』
NATO陣営のアメリカ軍デッキで使用可能なA-10A サンダーボルトIIの武装として登場する。
『バトルフィールドシリーズ』
『BF2』
A-10 サンダーボルトIIに搭載されている。
『BF3』
A-10に搭載されている。
『BF4』
A-10に搭載されている。
『メタルギアソリッド』
メタルギアREXに搭載されている

砲身数:7本
精度:4,000フィート(約1,333m)で射撃して直径20フィート(約6m)の範囲内に80%の弾丸が到達する。
砲弾
PGU-14/B 焼夷徹甲弾
PGU-13/B 焼夷榴弾
PGU-15/B 練習用模擬弾
PGU-15A/B
装甲貫徹力
500mで69mm
1,000mで38mm

 

平成筑豊鉄道500形気動車「へいちく浪漫号」(平成筑豊鉄道400形気動車

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平成筑豊鉄道500形気動車「へいちく浪漫号」(平成筑豊鉄道400形気動車)

平成筑豊鉄道が運営する列車の車両名。レトロ調の内装で、貸切用やビール列車などのイベント用車両として運行。新型レトロ調車両500型「へいちく浪漫号」は、国・福岡県・沿線9市町村などの支援により、2008年3月に導入しました。

 導入にあたっては、車両の愛称について一般公募を行い、地域の皆様により親しみを持っていただけるものとしました。

 筑豊・京築地域の活性化につながる鉄道にふさわしく、昨年より導入を進めている400型「なのはな号」と同じく、振動・車両騒音の低減、空調の改善バリアフリースペースの設置など乗り心地の向上を目指したほか、床、手すりを木目調で仕上げた豪華な雰囲気としました。

 また、平成筑豊鉄道初となるミニテーブル付きの転換クロスシート、テレビ・カラオケなどのAV装置を設置しました。

 車両の外装は、マルーンにゴールドのラインを施したデザインとしました。

カラオケ無料!ご希望の駅から、ご希望の日に運転いたします。出発日の1ヶ月前までにお申し込み。

新型レトロ調車両500型
「へいちく浪漫号」
★貸切料金1両 約3時間コース 60,000円(税込)
宴会の舞台は、田川線と伊田線の風景です。
車窓に映る風景を満喫しながらの宴会が楽しめる。平成ちくほう鉄道の貸切列車!
目的にあわせてご利用できる。

希望の駅から、ご希望の日に運転。時間帯につきましてはご相談の上で決定。

★乗車人員 1両当たり41名
(400型の場合は最大50名様まで乗車可能)
カラオケを搭載!!同窓会、歓送迎会、お誕生会、忘年会、新年会、お花見の宴、
シルバークラブ、同好会の集いなどなど・・・企画しだいで楽しみ方いろいろ。

(2列シート・ミニテーブル) (4列シート・ミニテーブル)(4列シート・別テーブル取付)

(標準装備)
○ カラオケ(clarion HDDカラオケ 3500曲搭載)
○ ビンゴゲーム・おみくじゲーム
  ○ CD/DVDデッキあり(ディスク持ち込み可能です)
○ ワイヤレスマイク 2本搭載
○ テレビモニター 2台搭載(SHARP AQUOS)
○ ミニテーブルサイズ (48cm×12cm)
○ 別取付テーブルサイズ (84cm×24cm)

500形は車体・台車・機器などの基本構造を400形と共通とし、内外装をレトロ調とした車両で、2008年に1両 (501) が製造された。

平成筑豊鉄道400形気動車(へいせいちくほうてつどう400がたきどうしゃ)は、平成筑豊鉄道が2007年(平成19年)から2010年(平成22年)にかけて導入した鉄道車両(気動車)である。

平成筑豊鉄道の第三セクター転換開業時から使用している100形・200形・300形の取替えを目的として2007年から製造された。

新潟トランシスが製造しているNDCと呼ばれる地方鉄道向け軽快気動車で、車体長さは従来の200形、300形と同じ18m級とされ、車内はセミクロスシートとなっている。ワンマン運転に対応した構造である。

2007年4月8日に401 - 403、2008年2月23日に404・405、同年12月20日に406・407、2009年3月14日に408、同年12月14日に409・410、同年12月21日に411、2010年12月18日に412が運用を開始している。この412の製造をもって400形の製造は終了し、同車の運用開始とともに300形以前の車両はすべて定期運用を終了した。

いずれも伊田線、糸田線、田川線で運用されている。

トイレの有無の差はあるものの、ほぼ同型の車両が錦川鉄道や肥薩おれんじ鉄道などで使用されている。


車体
普通鋼製車体で、車体形状は2004年に導入された肥薩おれんじ鉄道HSOR-100形に類似し、前面には貫通扉を設けている。前面左右の窓の上部に前照灯と尾灯を1個ずつ設置しており、貫通扉の上部にLED表示式の行先表示器を設けている。側面は両端部に引き戸の出入口扉を設け、側窓は固定式としている。

車体塗装は従来車両と異なる。401 - 407は黄色地に青色・緑色・空色の斜めのストライプを入れた塗装となっており、「なのはな号」の愛称が付けられている。黄色は沿線の菜の花を表し、青色・緑色・空色は水・緑・空を表している。408は平成筑豊鉄道のマスコットキャラクター「ちくまる」をテーマとしたラッピング車両「ちくまる号(ブルー)」となっている。409は沿線の行橋市にあるゆめタウン行橋の広告ラッピングを施した「ゆめタウン号」、410は石炭産業全盛期の筑豊の風景を描いた「炭都物語号」となっている。411は408と同様「ちくまる」を描いたラッピング車両であるが、デザインと地色は408と異なり「ちくまる号(グリーン)」の愛称が付けられている。412は100形と同様の旧標準色を施した。

台車・機器
エンジンは出力(330PS/2000rpm)、直列6気筒横形ディーゼルエンジンのコマツ製SA6D125で、台車は動台車2軸駆動方式のボルスタレス空気バネ台車となっている。

なお、400形同士や500形との連結はシステム上は最大6両までできるが、100形・200形・300形との総括制御はできない。

車内
座席は両側に二人掛けの座席を向かい合わせに配置した固定クロスシート(ボックスシート)を1組ずつ(計8席)設置しているほかはすべてロングシートとなっている。運転室は従来車両と同じく半室式で、運転室脇には運賃箱を設置し、運転室の横のスペースはバリアフリースペースとなっている。車内にトイレは設置されていない。なお、410のクロスシートは撤去された。

運転装置は列車情報制御装置TICSを装備したワンハンドルマスコンとなっている。

冷暖房装置として、機関直結方式の冷房装置と、温水温風ファン方式の暖房装置を備える。

製造所 新潟トランシス
主要諸元
最高速度 95 km/h
車両定員 119人(101人)
座席定員48人(41人)
自重 31.5t(30.5t)
車体長 18,500 mm
車体幅 3,188 mm
車体高 4,038 mm
機関 コマツSA6D125
機関出力 330PS (2000rpm)
変速機 TACN-22-1612B
制動装置 電気指令式・直通空気ブレーキ
備考 ( )内は500形のデータ


八王子駅(JR東日本)(JR貨物)

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八王子駅(はちおうじえき)は、東京都八王子市旭町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。駅番号は中央線がJC 22、横浜線がJH 32。古くから交通の要衝として栄え、乗降客こそ立川に譲るものの、多摩地区の中心都市として全特急列車が停車する運行上の中心駅です。


駅構造
島式ホーム3面6線を有する地上駅。横浜線乗り場のみ南側に離れている。橋上駅舎を持ち、北側の北口駅ビルにつながっているほか、南側にも自由通路の跨線橋が伸び、南口駅ビルとつながっている。

直営駅であり、みどりの窓口(びゅうプラザ八王子駅内)および指定席券売機、VIEW ALTTEが設置されている。

駅敷地内にはJR東日本八王子支社がある。駅構内にはかつてJR貨物八王子総合鉄道部(旧・八王子機関区)があり、後に新鶴見機関区八王子派出に組織変更されたが、2008年には新鶴見機関区甲府派出と統合され、廃止された。機関区時代の名残りで多数の側線や機関車留置線が存在していたが、それらは2011年12月までにほぼ撤去されている。

八王子総合鉄道部には、八高線が開業した1931年3月に完成し、かつて高尾以西の中央線山岳地帯に向かうために平坦線区の機関車と山登りの機関車を頻繁に付け替えていたことの名残りである転車台が残されていたが、こちらも2013年2月に解体され消滅した。また、駅構内東側、中央本線に沿った場所には保線基地がある。

のりば
ホーム 路線 方向 行先 備考
1 ■八高線 - 拝島・高麗川・高崎方面 高崎方面は高麗川で乗り換え
■川越線 拝島・高麗川・川越方面 大宮方面は川越で乗り換え
2 JC 中央線 上り 立川・新宿・東京方面 当駅始発は3番線
3 ■(路線表記なし) 中線(通常は中央線の当駅始発新宿・東京方面が使用)
4 JC 中央線 下り 高尾・甲府・松本方面
5・6 JH 横浜線 - 橋本・町田・東神奈川方面 東神奈川駅から JK 京浜東北・根岸線へ直通
■相模線 橋本・海老名・茅ケ崎方面 朝晩のみ運転

 

貨物列車等の待避・機回し・入換に使用するため、1番線の脇と4番線と5番線の間、6番線の脇には、それぞれ側線がある。また3番線も始発列車がない時間帯は主に上り方面の貨物列車の待避・機回し・入換に使用される。また、「あずさ」「スーパーあずさ」 「かいじ」・「はまかいじ」「成田エクスプレス」の全特急列車が当駅に停車する。

横浜線ホームの5・6番線の線路は行き止まりとなっている。そのため、横浜線から中央本線に直通する特急「はまかいじ」は上下列車とも中央本線のホーム(上り3番線・下り4番線)を使用する。すなわち、「はまかいじ」運転時には3番線から横浜線に入る列車が存在することになるため、中央線の当駅始発新宿・東京方面の電車が使用する3番線の方面案内は、路線名・方面とも未記入になっている。

八高線のホームである1番線は2番線(中央線上りホーム)の東側前方(高麗川・東京寄り)であり、このため1番線の西側後方には柵が設置されている。また、4両編成が停車できる留置線がある。

中央線で進められているATOS放送のプログラム更新は、他駅よりも大幅に遅れて2014年1月22日に行われた。隣の駅である西八王子駅も2015年1月23日に行われた。また同年6月16日より、横浜線ホームの5・6番線にもATOS放送が導入され、こちらは当初から上野東京ライン開業に合わせて導入された宇都宮線で使用している最新型アナウンスとなっている。

JR中央線は、2020年代前半(2021年度以降の向こう5年以内)をめどに東京駅 - 大月駅間のオレンジ帯で運行する列車に2階建てグリーン車を2両連結させ12両編成運転を行うが、特急停車駅のため 2 - 4番線は既に12両編成の列車の停車に対応している。そのため、信号設備改良やグリーン車Suicaシステム設置に伴う券売機設置工事などが行われる。

発車メロディ
2005年12月25日から全ホームの発車メロディが八王子市内出身の中村雨紅作詞の「夕焼小焼」となった。ホームごとにアレンジが異なる。コンコースにはこの歌をイメージした壁画と歌碑が屋根の段差部分に取り付けられている。

駅構内設備
エレベーターおよびエスカレーターは全ホームに設置。
トイレ(車椅子対応)は改札口付近に設置(2017年2月より改修工事が行われ、2017年6月30日に使用開始された)。
コインロッカーは南北自由通路の途中に設置。
駅レンタカーは南口入口付近に設置。
KIOSK(売店、全ホーム)
駅弁屋(売店、2階コンコース)
宝くじ売り場(2階コンコース)
駅そば あじさい茶屋(そば・うどん店、3~6番線ホーム)、清流そば(同、1・2番線ホーム)、いろり庵きらく(旧:いちょう庵)(同、2階コンコース)
ハニーズバー(八王子店・八王子中央店、ジューススタンド、1・2番線ホーム、2階コンコース)
メープルハウス(八王子中央店、2階コンコース)
BECK'S COFFEE SHOP (コーヒーショップ、2階コンコース)
NEWDAYS(コンビニ、2階コンコース)
マンスリースイーツ(2階コンコース)
ギフトガーデン(八王子店、2階コンコース)
やまたまや(山梨・多摩地域の地産品ショップ。2階コンコース)
みずほ銀行(八王子駅出張所ATM。2階コンコース。なお、NEWDAYS内にも設置されている。)
ビューカード(改札内連絡通路ATM、改札口横ATM)
貨物取扱
JR貨物の駅は、コンテナ貨物(12ftコンテナのみ)と車扱貨物の取扱駅となっている。車扱貨物を輸送するための貨物列車は設定されているが、コンテナ輸送はすでにトラック代行化されている。駅の業務は神奈川臨海鉄道が受託している。

貨物側線
駅構内東側で、八高線から分岐し中央本線に沿って東進、途中で保線基地線を分岐させ、浅川西岸にある日本オイルターミナル八王子営業所(油槽所)へ至る側線がある。この線路は油槽所への石油搬入に使用されており、末端に石油荷役線2線と留置線1線がある。この油槽所へ石油を輸送するため、根岸駅や千葉貨物駅から石油輸送用貨物列車が運行されている。

八王子オフレールステーション
八王子オフレールステーション(略称:八王子ORS)は、JR貨物の施設の通称。旅客駅の中央本線に沿った東側、八王子市北野町600にある。2012年現在はコンテナ集配基地として機能しており、貨物列車の発着はない。列車代替のトラック便が、1日3往復、梶ヶ谷貨物ターミナル駅との間で運行されている。

かつては貨物列車の発着があり、コンテナは列車で輸送されていたが、1998年10月よりトラック代行になり、自動車代行駅となった。また、2006年3月の貨物駅の名称整理の際に、「オフレールステーション」の通称の使用を開始している。2012年時点ではコンテナヤードが置かれているのみだが、列車の発着があった時期は1面2線のコンテナホームを有していた。すでに荷役線は撤去され、山田川を渡る橋のみ残っている。

利用状況
JR東日本
2016年度の1日平均乗車人員は85,093人であり、JR東日本の駅では第51位。中央快速線内は12位、横浜線内は町田駅に続き2位である。

JR貨物
2011年度は、コンテナ貨物の取扱量が発送19,996トン、到着64,405トン、車扱貨物の取扱量が発送37,849トン、到着394,361トンだった。

駅弁
以前は八王子駅(高尾駅)に玉川亭という業者が駅弁を販売していたが、既に撤退している。現在は、日本レストランエンタプライズ (NRE) の駅弁(新宿駅・大宮駅・水戸駅・いわき駅と全く同じ)が「駅弁屋」で販売されている。その後、2階コンコースのギフトプラザ売店にて崎陽軒の弁当の取り扱いが開始されている。


駅周辺
北口
京王電鉄 京王八王子駅 - 駅北口より北東約400m、徒歩5分。
公的施設
八王子市夢美術館 八王子市生涯学習センター(クリエイトホール)八王子市消費者センター 八王子市生涯学習センター図書館 八王子市芸術文化会館 いちょうホール 八王子市こども科学館 サイエンスドーム八王子 八王子簡易裁判所 八王子区検察庁 八王子市保健所 東京都八王子合同庁舎 八王子労働基準監督署 日本年金機構 八王子年金事務所 東京都立産業技術研究センター 警視庁第九方面合同庁舎 警視庁八王子警察署 東京消防庁八王子消防署
主な商業施設 セレオ八王子 北館(旧・八王子ナウ) 京王百貨店(セレオ八王子店)イセタンミラー(セレオ八王子店。同店にナチュラル派ブランドを併設し「イセタン コスメティクス」として展開)成城石井(セレオ八王子北館店) 無印良品(セレオ八王子。「Cafe&MealMUJIセレオ八王子」併設) 八王子ロフト アカチャンホンポ(セレオ八王子店) Victoria(セレオ八王子店。アウトドア専門店「L-Breath」併設) ボーネルンド(あそびのせかい セレオ八王子店) 有隣堂(セレオ八王子店) よみうりカルチャー八王子 bloomingbloomy(セレオ八王子店) 八王子東急スクエア 富士ガーデン(八王子東急スクエア店) ユザワヤ(八王子店) しまむら(八王子東急スクエア店) セリア(八王子東急スクエア店) デコホーム - ニトリ(八王子東急スクエア店) ライトオン(八王子東急スクエア店) 八王子市学園都市センター 八王子駅前郵便局 ゆうちょ銀行 八王子店 かんぽ生命 八王子支店 ヨドバシカメラ 八王子店 ドン・キホーテ 八王子駅前店(元・長崎屋 八王子店) 京王八王子ショッピングセンター 京王アートマン(京王八王子店) タワーレコード(八王子店) GU(京王八王子店) シマムラミュージック(八王子店) 文教堂 / ゲオ / アニメガ(京王八王子店)グランド東京ビル(八王子西武百貨店跡)
八王子温泉やすらぎの湯(ホテルグランスパ併設)八王子ツインタワー(丸井八王子店跡)ゴールドジム八王子 セントラルフィットネスクラブ(八王子)デイオス24(京王八王子駅前店。24時間営業スポーツクラブ) 八王子エルシィ(まるき百貨店・八王子岡島百貨店跡) ビュータワー八王子 スギ薬局(八日町店) 主な宿泊施設京王プラザホテル八王子 ザ・ビー 八王子 R&Bホテル八王子 東横イン東京八王子駅北口 八王子ホテルニューグランド マロウドイン八王子 八王子スカイホテル シーズイン八王子 三恵シティホテル八王子 千代田ホテル ホテルグランスパ八王子

医療機関
仁和会総合病院 多摩相互病院 主な文教施設 東京都立南多摩中等教育学校 八王子中央自動車学校 駿台予備学校八王子校 四谷学院八王子駅前教室

南口 八王子駅南口 名勝・旧跡 信松院 富士森公園 公的施設 八王子市 八王子駅南口総合事務所(サザンスカイタワー八王子内) 八王子市民会館『オリンパスホール八王子』 八王子税務署 八王子市民会館 八王子市郷土資料館 八王子公共職業安定所(ハローワーク八王子) 八王子子安郵便局 JR東日本八王子支社 東京電力多摩支店 八王子医療刑務所 主な商業施設 サザンスカイタワー八王子 スーパーアルプス 八王子駅南口店 多摩信用金庫 八王子駅前支店 他飲食、物販店舗等 セレオ八王子 南館 ビックカメラ JR八王子駅店 ソフマップ 八王子店 他飲食物販店舗、保育園・学童施設等 クリエイト(八王子万町。元「丸正八王子店」) セイムス(子安町店)マツモトキヨシ(八王子万町店)メガロス八王子 ラウンドワン 八王子店 エニタイムフィットネスセンター八王子店(24時間営業のフィットネスジム) キャスティング八王子店(釣用品の販売。元コジマ New八王子店) 主な宿泊施設 ホテルリブマックス八王子駅前 サンホテル八王子 八王子アーバンホテル セントラルホテル八王子 医療機関 八王子消化器病院 南八王子病院(元「聖八王子病院」) 清智会記念病院 八王子脊椎外科クリニック 主な文教施設 アポロ美容理容専門学校 国際電子会計専門学校 八王子実践中学校・高等学校 東京都立八王子特別支援学校 ランビエンテ修復芸術学院

 


北口周辺の商業施設・開発について
1970年代、北口周辺から甲州街道(国道20号)沿道にかけては江戸時代の宿場町を基礎とする商店街と百貨店等を中心とした商業地域が栄え、丸井・西武百貨店・大丸・伊勢丹・岡島百貨店・長崎屋・忠実屋本店、さらにまるき百貨店やイノウエ百貨店といった地元百貨店があった。

1990年代、家電量販店のヨドバシカメラ八王子店が1991年にオープンした。ファッションビルFAMは忠実屋がダイエーに吸収合併されたことにより忠実屋本店とともに1994年に閉店する。同年、1994年に京王八王子駅の駅ビル、京王八王子ショッピングセンターがオープン(旧称・KEIO21=ケイオウ ツーワン)。1997年には八王子駅北口再開発が竣工し、八王子東急スクエアがオープンした。

北口周辺を中心とした中心市街地では1995年以降、一貫して人口が増加している。近年においてもマンション建築が盛んであり、市総人口に対する中心市街地シェアも徐々に高まっている。


北口側には「マルベリーブリッジ」(マルベリーは「桑」の意)という名のペデストリアンデッキがあり、駅ビル・駅舎内の自由通路により南口側とも連絡している。1990年代以降、駅前の再開発計画によって整備がされており、1999年のロータリー部への一般車進入禁止、バスターミナル・タクシー乗り場の整備、北口2階部分の歩行者専用通路(ペデストリアンデッキ)の建設、地下駐車場の建設などの北口駅前ロータリーの整備によって、駅前の道路混雑が緩和された。

なお2012年秋より、北口より京王八王子駅方向への延伸工事が開始され、2014年3月30日に延伸部131.7mが開通した。

今後、西放射線ユーロード方面への延伸工事及び八王子東急スクエアへ接続する計画があり、2018年度の着工予定、2019年度の完成予定である。

マルベリーブリッジの整備により、1997年には1960年以来駅前に設置してあり「織物タワー」の愛称があった「織物の八王子」モニュメントが撤去され、代わりに絹の布をイメージした虹色の板が架かるモニュメントがマルベリーブリッジの間に設置された。「織物タワー」とは、八王子駅北口の出口の目の前にあり、1960年に八王子の「買継商組合」によって作られ、1962年に同組合から八王子市に寄贈された。タワーの上部には八王子市の市章があり、その下に「織物の八王子」と大きな字で表記されていた。なお、「織物タワー」とは正式な名称でなく、市民からの愛称である。

南口周辺の商業施設・開発について
1991年から再開発計画はあったものの、長らく着工には至れず南口駅前はバスロータリーに小規模商店、空地などが点在する状態が続いた。

2008年「八王子駅南口地区市街地再開発事業」が着工、同年1月から41階建ての再開発ビル「サザンスカイタワー八王子」の建設および駅前広場の整備を行い、2010年11月に竣工、同年12月1日に開業した。再開発ビルには、市民会館「オリンパスホール八王子」(4 - 10階・上野町のものを移転)や八王子駅南口総合事務所(4階)などの公共施設や、商業施設(1 - 3階)、業務施設(5 - 7階)、住宅(9 - 41階・390戸)、地下駐車場が入居する。2階に地元スーパーのスーパーアルプスが入居した他、カフェやドラッグストアが。3階には飲食店等のテナントが入居している。

再開発ビルの下に整備された駅前広場には、「とちの木デッキ」という名称のペデストリアンデッキやバスロータリーが新設され、バスロータリーには八王子みなみ野駅から発着している近隣大学の通学バス専用発着場も整備された。2010年11月20日より「とちの木デッキ」およびバスロータリーの完全供用開始に伴い、北口発着分を含めたバス路線の整理が行われた。

また、駅自由通路東側にはJR東日本がビックカメラ、保育所、飲食店等が入居する地上6階・地下2階建ての駅ビル(商業施設)「セレオ八王子南館」を建設し、2010年11月11日に開業した。さらに、駅自由通路西側ではJR貨物による地上5階建て6層の立体駐車場が開業した。

2016年、駅自由通路西側にJR貨物と住友不動産の共同開発で地上26階建て、地下1階建て住宅商業の複合ビルが着工した。地上6階建ての商業施設部分にはオーパ(OPA)が出店を決定。2018年秋に開業予定。

 

歴史
年表
1889年(明治22年)8月11日:甲武鉄道立川 - 八王子間開通と同時に開業。一般駅。
当時は現在の場所より北東、八王子合同庁舎付近の位置にあった。
1901年(明治34年)8月1日:官設鉄道が上野原駅まで開通。それに伴い、現在の場所より西へおよそ150m先の地点へ移動。
1906年(明治39年)10月1日:甲武鉄道が国有化。
1908年(明治41年)9月23日:横浜鉄道線が東神奈川駅から開通。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により中央東線の所属となる。
1910年(明治43年)4月1日:内閣鉄道院が横浜鉄道線を借り上げ。鉄道院八濱線(はっぴんせん)となる。
1911年(明治44年)5月1日:中央西線宮ノ越 - 木曽福島間延伸開業に伴い、中央東線は中央本線となる。
1917年(大正6年)10月1日:横浜鉄道線が国有化、鉄道院横浜線となる。
1930年(昭和5年)12月20日:中央本線の立川 - 浅川間が電化される。
1931年(昭和6年)12月10日:八高線開業。
1937年(昭和12年):中央本線の複線化に伴い現在地に移設。旧駅跡地は現在東京都立産業技術研究所八王子庁舎として利用されている。
1941年(昭和16年)4月5日:横浜線の原町田 - 八王子間が電化される。
1945年(昭和20年)
8月2日:八王子空襲にて焼失。
8月3日:運転再開、8月5日に全面開通。
10月6日:仮駅舎竣成[2]。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道発足。
1952年(昭和27年)4月15日:新駅舎竣成。
1971年(昭和46年)12月23日:日本オイルターミナル八王子営業所開所。
1983年(昭和58年)11月:5代目の駅舎となる駅ビル「八王子ナウ」が竣工し、核テナントとして「八王子そごう」がオープン。
1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR東日本・JR貨物の駅となる。
1991年(平成3年)ごろ:横浜線ホーム島式化。6番線を増設。
3月16日:相模線電化に伴い、相模線の朝夕八王子乗り入れ開始。
1996年(平成8年)3月16日:八高線の八王子 - 高麗川間が電化される。
1998年(平成10年)10月3日:コンテナ輸送自動車代行化。
1999年(平成11年)11月21日:中央線上りホームを3番線から2番線へ変更。
従来は朝夕ラッシュ時に2番線を使用。これは中央線上下線が同一ホームで発着するための混雑緩和であったが、これにより終日分離となった。当初は3番線が本線のまま運用されていたが、下記改良工事後は2番線が本線となっている。
改良工事後の3番線は八王子起・終点の列車、また貨物列車の留置に使用されている。
この頃 中央線上り本線を2番線へ変更する分岐器等の改良工事実施。
この頃 旧乗換専用通路と出口を結ぶ通路が新設され、新たな乗換専用通路も新設。
2001年(平成13年)
5月:みどりの窓口・びゅうプラザ・併設店舗をリニューアル。
11月18日:ICカード「Suica」の利用が可能となる。
2005年(平成13年)12月25日:発車メロディに「夕焼小焼」を導入。
2006年(平成18年)3月18日:オフレールステーションの名称使用開始。
2007年(平成19年)3月:再びみどりの窓口・びゅうプラザ・併設店舗をリニューアル。
2009年(平成21年)8月11日:開業120周年。記念式典が行われ、八王子市長が1日駅長を務めた。また記念入場券などが発売された。
2010年(平成22年)11月11日:2つ目の駅ビル「セレオ八王子」が南口にオープン。
2012年(平成24年)
1月31日:「八王子ナウ」に入居していた「そごう八王子店(旧・八王子そごう)」が閉店。
10月25日:「八王子ナウ」が「セレオ八王子北館」としてリニューアルオープン(従来の「セレオ八王子」は「セレオ八王子南館」となる)


所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
日本貨物鉄道(JR貨物)
電報略号 ハチ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 3面6線
乗車人員
-統計年度- 85,093人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1889年(明治22年)8月11日
乗入路線 3 路線
所属路線 ■中央本線(中央線)
駅番号 □JC 22
キロ程 47.4km(東京起点)
◄JC 21 豊田 (4.3km)(2.4km) 西八王子 JC 23►
所属路線 ■横浜線*
駅番号 □JH 32
キロ程 42.6km(東神奈川起点)
◄JH 31 片倉 (2.6km)
所属路線 ■八高線
キロ程 0.0km(八王子起点)
(3.1km) 北八王子►
備考 直営駅(一部業務委託駅)(管理駅)
みどりの窓口 有
37.1km(新宿)起点
この他、■相模線一部列車(朝夕のみ)も当駅を発着。

KAT-1(川崎航空機)

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KAT-1(ケイエイティー・ワン)は日本の航空機メーカー、川崎航空機(現在の川崎重工業)が試作したレシプロエンジンの練習機。K・Aは川崎航空機、Tは練習機の略。

保安庁(後に防衛庁、現在の防衛省)の航空隊発足に際して、国産の練習機を採用することとなったため、航空各社に対して募集をかけることとなった。富士重工業や新立川飛行機、東洋航空工業とともに、川崎航空機も応募することにし、2機の試作練習機「KAT-1」を製作した。

しかし、川崎の製作中に、保安庁は富士重工業がライセンス生産することを決定したT-34 メンターを、運動能力の高さなどを理由に採用した。それでも、川崎はKAT-1を完成させ、何とか販売網に乗せようと売り込みを図ったが、まだ戦後間もなく、経営基盤が危うい状態での売り込みは企業生命にかかわると感じた通商産業省(当時)によって作業停止を命じられた。結局KAT-1は2機の製作にとどまった。

試作した2つの機体は運輸省(当時)航空大学校の練習機として採用された。用途廃止後は1号機(JA3084)が北海道滝川市こども科学館へ、2号機(JA3100)は東京都立科学技術大学へ引き取られて展示された。1993年(平成5年)に2号機が博物館を計画していた岐阜県各務原市に引き取られたが、状態が悪いために倉庫に保管された。1号機も2002年(平成14年)10月にかかみがはら航空宇宙科学博物館へ移され、2003年(平成15年)4月から屋内で展示されている。

同社の試作連絡機KAL-1から大幅に変更を加えられた。キャビンをタンデム複座に変更、尾輪式から近代的な首輪式へ変更、エンジンの転換のほか、KAL-1で問題となった翼端失速の解決の為、主翼の翼型を三式戦闘機「飛燕」と同系列のものに形状変更することによって運動能力を大幅に向上させた。初号機の初飛行は1954年(昭和29年)2月11日。

スペック
乗員 - 2名
全長 - 8.5m
全幅 - 11.5m
全高 - 2.8m
全備重量 - 1,385kg
エンジン - ライカミング GO-435-C2B
出力 - 260hp
最大速度 - 298km/h
航続距離 - 1,140km
実用上昇限度 - 6,000m


用途:練習機(試作)
製造者:川崎航空機
運用者運輸省航空大学校
初飛行:1954年2月11日
生産数:2機
運用状況:退役

戦術浄水システム(米国海兵隊)

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逆浸透水浄化ユニット(ROWPUは)、ポータブル、自己完結型であり、水処理プラント。軍事用に設計されているため、ほぼすべての水源から飲料水を提供することができます。米国軍隊とカナダ軍によって使用されている多くのモデルがあります。いくつかのモデルはコンテナ化されており、いくつかはトレーラーであり、一部は車輌である。

合衆国軍隊の各支部には独自の一連のROWPUモデルがありますが、それらはすべて似ています。水は、その生の供給源からROWPUモジュールにポンプで送り込まれ、そこでポリマーで処理されて凝固が開始される。次に、イオン交換を受けるマルチメディアフィルタを通過させる。それは、通常、スパイラルに巻かれた綿であるカートリッジフィルタを通してポンプで送られる。このプロセスは、5マイクロメートル(0.00020インチ)より大きい任意の粒子の水を明確にし、濁りをほとんど排除する。

次いで、清澄化された水は、高圧ピストンポンプを通って一連の容器に供給され、そこで逆浸透を受ける。生成水は、原水のの90.00から99.98パーセントの自由である総溶解固形分と軍の基準では、これ以上の1000から1500以上持つべき百万分の一をの尺度によって電気伝導度。その後、塩素で消毒し、後で使用するために保管します。

米国海兵隊内では、ROWPUは軽水浄化システム(LWPS)と戦術浄水システム(TWPS)の両方に置き換えられました。 LWPSはHumveeによって輸送され、1時間に125 USガロン(470 l)を濾過することができます。TWPSはミディアムタクティカル・ビークル交換トラックに搭載することができ、1時間に1,200〜1,500 USガロン(4,500〜5,700 l)を濾過することができます。

江坂駅 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)・北大阪急行電鉄

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江坂駅(えさかえき)は、大阪府吹田市豊津町にある大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)・北大阪急行電鉄の駅である。両社局共通の駅番号はM11。駅周辺はオフィス街です。

大阪市高速電気軌道の管轄駅(Osaka Metroと北大阪急行電鉄の共同使用駅)である。

駅構造
島式ホーム1面2線を有する高架駅。2階に改札・コンコース、3階にホームがある。改札口は南北に各1か所ある。

昇降設備は、改札からホームは北改札内が上りエスカレーター、南改札内がエレベーターがあり、地上から改札は8番出入口横にエレベーターがあり、エスカレーターはない。


トイレは北改札内、南改札内のそれぞれにあり、南改札内にはオストメイトに対応した多機能トイレがある。

当駅は、梅田管区駅に所属し、駅長が配置され、東三国駅を管轄している。切符売場では両社局の券売機が設置されています。北南改札には10台の改札機

のりば
江坂駅プラットホーム
番線 路線 行先
1 M 御堂筋線 梅田・なんば・天王寺・あびこ・なかもず方面
2 □北大阪急行南北線 緑地公園・桃山台・千里中央方面


当駅の梅田側には上下線の片渡り線が設置されている。朝と夜間に設定されている御堂筋線からの当駅折り返しの列車の3本と初電1本の計4本は、それを使用して2番線から逆線発車をする。
深夜のみ1本設定されている北大阪急行線からの当駅終着の終電は1番線に到着し、当駅折り返しのなかもず行き終電と連絡する。終電発車後しばらく停車してから大国町に回送される。

特徴
運転士・車掌は当駅でそれぞれの社員(職員)に交代する。

ホームの千里中央側先端に北大阪急行、なかもず側先端には大阪市交通局それぞれの乗務員詰所がある。

共同使用駅であるので、両社の自動券売機が設置されている。

利用状況
大阪市高速電気軌道(大阪市営地下鉄) - 2016年11月8日の乗降人員は83,204人(乗車人員:41,665人、降車人員:41,539人)である。
北大阪急行南北線への直通人員は118,206人であった。


駅周辺
周辺は吹田市の西の中心、江坂である。大阪市の副都心的機能を有し、本社を置く有名企業も目立つ

バス路線
江坂駅と交差している国道479号(内環状線)上に阪急バス江坂駅前停留所がある。

1970年(昭和45年)2月24日:大阪市営地下鉄御堂筋線の新大阪駅 - 当駅間、および北大阪急行電鉄南北線の当駅 - 千里中央駅(仮駅) - 万国博中央口駅間の開通と同時に開業。大阪市営地下鉄初(谷町線の守口駅が開業した1977年(昭和52年)までは唯一)の大阪市外にある駅となった。
1978年(昭和53年):南改札口が設置され、使用を開始[1]。
2018年(平成30年)4月1日:大阪市交通局の民営化により、御堂筋線の所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に変更(北大阪急行電鉄の所属は継続)。

歴史
1970年(昭和45年)2月24日:大阪市営地下鉄御堂筋線の新大阪駅 - 当駅間、および北大阪急行電鉄南北線の当駅 - 千里中央駅(仮駅) - 万国博中央口駅間の開通と同時に開業。大阪市営地下鉄初(谷町線の守口駅が開業した1977年(昭和52年)までは唯一)の大阪市外にある駅となった。
1978年(昭和53年):南改札口が設置され、使用を開始。
2018年(平成30年)4月1日:大阪市交通局の民営化により、御堂筋線の所属事業者・管轄が大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)に変更(北大阪急行電鉄の所属は継続)。

駅番号 M11
所属事業者 大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)
Kitakyu-logo.svg 北大阪急行電鉄(北急)
駅構造 高架駅
ホーム 島式1面2線
乗車人員
-統計年度- 41,665人/日(降車客含まず)
-2016年-
乗降人員
-統計年度- 83,204人/日
-2016年-
開業年月日 1970年(昭和45年)2月24日
乗入路線
所属路線 □北大阪急行電鉄南北線
キロ程 0.0km(江坂起点)
◄M10 緑地公園 (1.9km)
所属路線 M 御堂筋線
キロ程 0.0km(江坂起点)
(2.0km) 東三国 M12►
備考 共同使用駅(大阪市高速電気軌道の管轄駅)
両線は直通運転実施。

米軍 米軍 M1151(OGPK装着車)

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M1151は、拡張能力武装キャリアIAP / Armor Ready HMMWVです。軍用キャリアとして設計されたM1151は、360度の弧でリングマウントされたさまざまな武器システムの取り付けと発射を提供します。オプションの銃弾防御キットと手動牽引ユニットも装備しています。

Humvee(ハンヴィー)の名で知られるアメリカ軍を象徴する汎用輸送車両。
HMMWVとはHigh Mobility Multipurpose Wheeled Vehicle(高機動多用途装輪車両)の略称。
現在は地雷やIEDに対する脆弱性や装甲の脆弱性が問題となり、それらに対応したMRAP(耐地雷待ち伏せ防護)車両への置き換えが進められている。

主な特徴
すべての気象条件で使用するために設計されています
すべてのタイプの道路と国境を越えた地形に対応
ペイロードの範囲は3,340〜5,100ポンドです。鎧構成と断片化キットに基づいて
航空輸送可能であり、ヘリコプターを介してスリングを積み込むことができる
2種類の装甲キット:
工場出荷時にインストール可能な「A」キット
オプションの "B"キット。これは、 "A"キットと組み合わされたときに、弾道保護を提供します
重装備を必要としないミッションに柔軟性を持たせるために、追加装甲およびフラグメンテーションキットは現場に設置可能で取り外し可能です
最適なクルーの快適性を提供し、ミッションの準備を向上させるための空調システムを装備

OGPK(Objective Gunner Protection Kit, オブジェクティブ・ガンナー・プロテクション・キット)は、2000年代後半にアメリカ合衆国で開発された、ハンヴィーやMRAPの機関銃手を防護する目的で開発された装甲銃塔キットの名称である。

2003年3月に発生したイラク戦争において、アメリカ軍は短期間に侵攻作戦を進め、5月にはブッシュ大統領により大規模戦闘の終息宣言が出された。しかしながら、その後もイラクのフセイン大統領の行方は判らず、旧フセイン政権を支持するイスラム教スンニ派のバース党構成員や支持者からなる民兵組織や、元々はフセイン政権とは敵対的であったはずのイスラム教シーア派民兵組織、更には大規模戦闘後イラク国内に流入し勢力を伸ばしたアルカイダ系の民兵組織により、アメリカ軍や駐留軍に対する攻撃は収まる事がなく、アメリカ軍の死者も、最初の2ヶ月の大規模戦闘での136名に対し、その後の駐留時の死者はその10倍を超える規模となっていた。

こういった環境下において、イラク国内でのパトロール活動を行うハンヴィーや軍用トラックは装甲防御力がほとんど無く、小銃の攻撃を受けても乗員が死傷するという状況で、これらの車両の乗員は車両のドアや運転席周辺、あるいは銃座の周囲に鉄板を切り出した即製の装甲板を取り付けて運用していた。2005年に提出された報告書には、こういった車両の射手に対する360度全周の防護と、視認性の維持の重要性が記されていた。

アメリカ軍はこの報告を重要なものと認識し、アメリカ軍の兵器研究、開発を行うニュージャージー州ピカティニー・アーセナルの陸軍兵器研究開発技術センター(英語版)(Armament Research, Development and Engineering Center, ARDEC)が、OGPK(Objective Gunner Protection Kit)と呼ばれる装甲銃塔キットの開発を主導する事になった。ARDECはそれまでに培った各種兵器開発の経験を生かし、迅速に開発、試作を進めた。OGPKには、機関銃手が周囲の状況を把握し素早く射撃を行うという機能と、敵の攻撃に対する充分な防御力を持つという、場合によっては相反する2つの性能が求められた。ARDECの開発チームはイラクの戦地から帰国した兵士の意見を聞いたり、4種類の試作品をイラク国内に持ち込んで実際の作戦に投入し、開発へのフィードバックを行うなどして、前述の目的に適う装甲キットを開発開始から6ヵ月後に完成させた。OGPKはかなりの重量があったため、旋回を容易にする目的で、同じアメリカ軍の戦車・車両研究開発技術センター(英語版)(Tank Automotive Research, Development and Engineering Center,TARDEC)によって開発された電動式旋回装置(Battery Powered Motorized Traversing Unit, BPMTU)の機能を組み込まれたものとなった。


OGPKは同じ年内(2007年)に実戦配備が始まり、その年のアメリカ陸軍の優秀発明品トップ10に数えられる事となった。OGPKはその後も改良されており、建物の密集した街路での市街戦に対応するため、銃手の頭上を防護する装甲屋根の追加、装着した機関銃の仰角を約80°まで付けられる新型マウントが開発され、それぞれ2008年度、2009年度の優秀発明品トップ10となっている。

OGPKは2011年1月時点で、45,000セットがイラクおよびアフガニスタンに展開するアメリカ陸軍に実戦配備された。また、アメリカの主導により再編された新生イラク軍や、その他MRAP系の対地雷装輪装甲車を導入した国々でも広く使用されている。

アメリカ海兵隊では、BAEシステムズによって開発された、O-GPKに類似するMCTAGS(Marine Corps Transparent Armor Gun Shield)や、MCTAGS-R(Marine Corps Transparent Armor Gun Shield - Reducible)と呼ばれる装甲銃塔キットを調達、配備している。

種類 装甲銃塔キット
原開発国  アメリカ合衆国
運用史
配備期間 2007年~
配備先 アメリカ陸軍

関連戦争・紛争 イラク戦争
アフガニスタン紛争
開発史
開発者 ピカティニー・アーセナル
ARDEC
開発期間 2007年
製造数 45,000以上

 

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