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楽々園駅(広島電鉄宮島線)

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楽々園駅(らくらくえんえき)は、広島県広島市佐伯区楽々園二丁目にある広島電鉄宮島線の駅である。JR駅と離れているため、佐伯区内では利用客数最大となっています。

駅名は、1936年に広島電鉄の前身である広島瓦斯電軌が「電車で楽々行ける遊園地」として楽々園遊園地を開園し、その玄関駅となった事に由来する。

遊園地は1971年に閉園したが、その後実施された住居表示により「楽々園」の名は地名として残っている。

駅構造
楽々園駅はホームが地面に接して置かれた地上駅という形態をとる。線内では珍しく駅ビルを併設した駅舎です。

ホームは2面あり、2本の線路を挟み込むように配されているが、互いのホーム位置は斜めにずれている。

路線の起点から見て手前にあるのが広電西広島駅方面へ向かう上りホーム、奥にあるのが広電宮島口駅方面へ向かう下りホーム。

ホーム上屋は背が低く、少々圧迫感が感じられます。

両ホームは宮島口寄りにあったものが移されていて、かつてのホームは通路として利用されてラッチもなく広々としています。

下りホームには駅ビルがあり、定期券売場がある。かつては駅舎が存在したが、1980年(昭和55年)2月に焼失し撤去されている。上下線のホームは遮断機付きの構内踏切で結ばれています。

駅周辺
戦前は楽々園遊園地の南側に海岸線が迫り、遠浅の砂浜が広がっていた。

海水浴場としても利用されていたが、現在は500メートルほど沖合いまで埋め立てられている。

1971年に閉鎖された楽々園遊園地の跡地には翌年「ひろでん楽々園ショッピングタウン」が開業した。2017年現在はショッピングセンター「ファミリータウン広電楽々園」の敷地となっていて、マダムジョイ楽々園店・ナイスディ・ヤマダ電機テックランド佐伯店・ホームセンターダイキ楽々園店が置かれている。


当駅が含まれる宮島線の草津駅から広電廿日市駅までの区間は広島瓦斯電軌の手により1924年(大正13年)に開通した。ただしこの時当駅は開業しておらず、付近では三筋川の右岸(己斐町起点5M16C50L[4]≒8.4 km)に隅ノ浜駅(すみのはまえき)が中間駅の一つとして設けられていた。

当駅が開業したのは1935年(昭和10年)。まず8月に臨時の停車場「塩浜海水浴場前」が開設され、それを12月に塩浜駅(しおはまえき)と変更したことによって当駅は誕生した。この塩浜駅の開業と同日、隅ノ浜駅は廃止されている。

当時の地名に由来する駅名「塩浜」が「楽々園」に改められたのは翌年の9月、広島瓦斯電軌が楽々園遊園地を開園させたのと同日のことである]。

往時は各地の私鉄事業者が沿線に遊園地を作り旅客の誘致に努めていたが、楽々園遊園地もその例にもれず、広島瓦斯電軌が宮島線に対する需要を掘り起こすために開設した娯楽施設だった。

楽々園遊園地は昭和30年代まで広島を代表する遊園地として長きにわたり親しまれたが、レジャーの多様化や競合施設の登場によって客足が落ち込んだ結果、1971年(昭和46年)8月末をもって閉鎖された。

駅名は1965年(昭和40年)に楽々園遊園地駅(らくらくえんゆうえんちえき)と改称されていたが、閉園翌日の9月1日には楽々園駅へと戻されている。

1924年(大正13年)4月6日 - 宮島線の草津町駅 - 廿日市町駅間が開通、隅ノ浜駅が開業。
1935年(昭和10年)
8月 - 臨時停車場が「塩浜海水浴場前」の名で開設。
12月1日 - 臨時停車場に代えて当駅が塩浜駅として開業。隅ノ浜駅廃止。
1936年(昭和11年)9月8日 - 楽々園遊園地が開園。合わせて楽々園駅に改称。
1965年(昭和40年)7月20日 - 楽々園遊園地駅に改称。
1971年(昭和46年)


8月31日 - 楽々園遊園地が閉園。
9月1日 - 楽々園駅に再度改称。
1981年(昭和56年)1月31日 - ホームが改良される。
1986年(昭和61年)3月31日 - 楽々園駅ビル竣工。
2004年(平成16年)4月 - 定期券窓口での常備券の取扱いを終了。

駅番号 ●M30
所属事業者 広島電鉄
所属路線 ■宮島線
キロ程 8.2km(広電西広島起点)


駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 3,704人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1935年(昭和10年)12月1日
備考 1日当たりの乗車人員は、年間乗車人員を日数で除することで算出した参考値


《トヨモーターED型 60cc》1952年

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ED型は原動機付自転車の免許制度の法改正に対応して開発された60CCのバイクモーターで当時、無試験の許可制で乗ることができた。


株式会社トヨモータースは、1949年(昭和24年)から1958年(昭和33年)まで存在した日本のオートバイメーカーである。社名と同じトヨモーターという名称のオートバイ、およびエンジンを製造・販売していた。
戦前はオートバイレースのライダーとして活躍し、戦後はトヨタ自動車研究所に勤めていた川真田和汪(かわまだ かずお)が、1949年に愛知県刈谷町(翌年から刈谷市となる)に設立した。社名の「トヨ」はトヨタにあやかって付けられたものだが資本関係はない。ただし販売は日新通商(後の豊田通商)との提携によってトヨタ自販の販売網を通じて全国販売されており、事実上はトヨタグループの一員であった。

創業当初は自転車に取り付けるためのエンジン(バイクモーター)を単体で販売していたが、やがて型式認定を受けた完成品のオートバイを製造販売した。ただし、エンジン以外の部品は部品メーカーから購入して自社で組み立てるアッセンブリメーカーだった。
戦後の復興期においてトヨモーターのオートバイやバイクモーターは手軽な庶民の足として飛ぶように売れ、1953年には名古屋市熱田区に名古屋工場を、知立町(後の知立市)に鋳物工場をそれぞれ新設し、エンジンと完成車を合わせて月産6000台の規模を誇った。トヨモーターは他社製品に比べて特にこれといった特徴はなかったが、その分堅実な造りであったために耐久性に優れ、実用車として高い評価を得ていたのである。販売を担当していたトヨタ系ディーラーにとってもトヨモーターの好調な売り上げは歓迎され、中でも地元の愛知トヨタでは社内にトヨモーター部を設置するほど注文が殺到した。
ところが、やがてダイハツのミゼットに代表されるような軽3輪や軽4輪が普及しはじめて運送手段としての需要がそちらに移るに従い、オートバイには実用性よりもデザインや趣味性が求められるようになってきた。このような状況の移り変わりに実用一辺倒のトヨモーターは追従することができず、次第にホンダ、ヤマハ、スズキといった後発メーカーのスタイリッシュで高性能な製品にシェアを奪われていった。また、社長の川真田は周りの進言にもかかわらず部品を他社から購入するアッセンブリ方式に拘り、さらにその部品メーカーも「思い通りに動く」という理由で二流、三流メーカーを使い続けたために製品の品質低下を招き、1957年には生産台数は最盛期の7割までに落ち込んだ。

一方、トヨタ系ディーラーの中でもトヨモーターの売り上げ全国一位だった愛知トヨタでは、1953年からスズキのバイクモーター、ダイヤモンドフリーをトヨモーターと併売するようになっていた。スズキはオートバイメーカーとしては新興であったがトヨモータースとは対照的に自社生産方式を採っていたために徹底的な品質管理による高品質な製品を生み出しており、徐々に同ディーラー内でのトヨモーターの市場を奪っていった。なお、スズキ販売部門は後に「愛知スズキ販売」として独立し、現在も愛知トヨタの系列会社として健在である。

こうして業績が落ち込んだトヨモータースでは社長の川真田への内外からの風当たりが強くなり、川真田は1957年に社長の座を追われた。トヨモータースは人事一新で出直しを図るが、すでに製品には競争力はなくなっており、また頼みのトヨタ系ディーラーでは自動車販売が軌道に乗っていたことで以前のようにオートバイ販売に頼る必要がなくなっていた。こうしてトヨモータースはかつての勢いを取り戻すことはなく、1958年、ついに社内整理に入り倒産した。
トヨモータースを追われた川真田は名古屋市内で新会社を設立し、トヨモーター時代の実用主義をさらに進めた99ccのバイク用エンジンを発表したが、資金難のために2年ともたずに撤退した。

BK117 試作3号機 川崎重工/ATICの飛行実験機

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経済産業省主導で川崎重工が中心になって行われたATIC(コミューター・ヘリコプター先進技術研究所)の実験機、BK117P5です。 フライ・バイ・ワイヤ化され、視界が無くとも自動飛行で着陸が可能な高度なシステムを開発し、飛行実証を行いました。 右側コクピットの操縦装置は完全なフィールシステムが組み込まれたサイドスティックになっています。

BK117 は日本の川崎重工業と西ドイツのメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(MBB)社(1992年からユーロコプター・ドイツ社、2014年からエアバス・ヘリコプターズ社に社名変更)が共同で開発・製造した民間用ヘリコプター。消防や救急用の様々な拡張装備が用意されており、日本でも多くの自治体が採用している。

川崎重工業では KH-4 や KHR-1 研究機で得た技術力を持って、1960年代から7席クラスの民間用国産ヘリ KH-7 の開発を行っていたが、石油危機の影響で頓挫していた。一方、西ドイツ(当時)のMBB社では、1975年(昭和50年)ごろから7〜10席クラスの Bo 107 ヘリコプター開発を計画しており、両社の意図がほぼ同じところから、2年余りの交渉を経て、1977年(昭和52年)2月に「BK 117」の呼称で共同開発が合意された。

契約は経費、計画、製作、販売割当からなり、1980年(昭和55年)を予定した型式証明取得までは、開発資金と開発分担率を 50 : 50 パーセントの両社対等な関係とした。製造に際しては、主要装備品の重複生産は行わず、互いの生産品を輸出し合い、最終組み立ては別々に行うこととした。担当部位は、川崎が胴体・トランスミッション・降着装置など、MBBがメインローター・テールローター・テールブーム・尾翼・油圧系統・操縦系統などの開発を担当し、メインローターと油圧系統はMBBが開発したBo 105 のものを基本としている。エンジンはライカミングLTS-101-650B-1 (600shp) を2基搭載した。

最終組み立て工場はドイツのドナウヴェルト、日本の各務原市、アメリカ合衆国のコロンバスに所在しており、2010年8月までに800機以上が生産された。

1979年(昭和54年)6月13日にドイツ側で初飛行、日本でも8月10日に初飛行した。1982年(昭和57年)12月9日に西ドイツで型式証明を取得、日本も12月17日に「国産ヘリ」として初めて日本国内の型式証明を取得した。輸出に必要な米国連邦航空局(FAA)による審査はMBB側によって行われ、1983年(昭和58年)3月9日に型式証明を取得した。同時に量産型 BK 117A-1 の納入を開始し、その後に数々の派生型を製造、エンジンも途中からチュルボメカアリエル1E2に改められた。2005年(平成17年)3月までに日本国内で139機が生産され、国内の運航事業会社、各自治体の消防防災航空隊や、警察航空隊向けとして採用されているほか、アジア各国やオセアニア地域へと輸出されている。また、ユーロコプターによってドイツでも販売され、ヨーロッパを中心に500機余りを受注、450機以上を売り上げている。

自衛隊を含む軍隊については、日本政府の武器輸出三原則を考慮して、救難・救命を除く作戦運用目的としては、販売を控えてきた。ただし、ドイツ側では武装バージョンも開発されており、胴体下に固定された機関砲や吊り下げ式のパイロンにHOT対戦車ミサイルを装備した物であったが、実際には発注されなかった。なお、三自衛隊ではBK117は運用されていないが、防衛装備庁(旧・技術研究本部)が試験計測用に運用している[2]。

1997年(平成9年)からはフルモデルチェンジを行った BK117 C-2(ドイツ名 EC 145)の開発もはじまり、1999年(平成11年)6月12日にドイツで初飛行、2000年(平成12年)3月15日に日本でも初浮揚、3月21日に初飛行した。

機体
機体の特徴は、MBBの Bo 108(EC 135 の原型)と非常に似ているが、こちらのほうが一回り大きい。キャビン両側にはスライド式ドアを、キャビン後端に観音開きドアを設置し、救急用や輸送用など様々な顧客要求に対応できる多用途ヘリとした。機体は単純な構造を採用しながらも頑丈なつくりとし、操縦油圧・燃料・電源などの重要装備は二重化して、高い安全性と信頼性を確保した。無関節型ローター・ハブ・システムは操縦応答性に優れており、高い運動性と操縦性を確立している。また、ローター駆動系統は100万飛行時間を超える運用実績がある。追加装備により、計器飛行方式による運航も可能である。


性能・主要諸元
乗員: 2名(操縦士)
定員: 乗客 7 - 10人
全長: 9.91 m (35 ft 6 in)
全高: 3.83 m (12 ft 7 in)
ローター直径: 11 m (36 ft 1 in)
空虚重量: 1,650 kg (3,630 lb)
最大離陸重量: 2,850 kg (6,270 lb)
動力: アブコ・ライカミング LTS101-650B-1(en) ターボシャフトエンジン、410 kW (550 shp) × 2
性能

最大速度: 262 km/h=M0.21 (141 knots, 163 mph)
巡航速度: 250 km/h=M0.20 (135 knots, 154 mph)
航続距離: 541 km (292 nm, 333 mi)
実用上昇限度: 4570 m (14,990 ft)
空中停止高度: 2530 m (8,300 ft)
用途:一般航空, 汎用
分類:小型ヘリコプター
製造者:川崎重工業・MBB(現エアバス・ヘリコプターズ)
運用者:各国消防など
初飛行:1979年6月13日(西ドイツ)
生産数:生産継続中

登場作品
映画
『ゴジラvsメカゴジラ』
Gフォースの特殊部隊が使用。
『ステルス』
朝鮮人民軍のヘリコプターとして登場。
『よみがえる空 -RESCUE WINGS-』
石川県の防災ヘリコプターとして登場。
テレビドラマ
『仮面ライダークウガ』
第1話にて、長野県警のヘリコプターとして登場。一条刑事が搭乗し、仮面ライダークウガとグロンギのズ・グムン・バが戦う現場に駆けつけるが、ズ・グムン・バとそれを追ってクウガも乗り込んで来たことで、飛行中の機上で戦闘が展開されていく。その後の物語でも、警視庁のヘリとして度々登場している。

浜松町(JR東日本・東京モノレール)

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浜松町駅(はままつちょうえき)は、東京都港区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京モノレールの駅である。ただし、東京モノレールでは、モノレール浜松町駅(モノレールはままつちょうえき)が正式な駅名である。

所在地は、JR東日本が海岸一丁目、東京モノレールが浜松町二丁目となっている

JR東日本の各線(後述)と、東京モノレールの東京モノレール羽田空港線が乗り入れている。また、JR東日本の駅には「 HMC 」のスリーレターコードが付与されている。

JR東日本:各線
東京モノレール:MO 東京モノレール羽田空港線 - 駅番号「MO 01」
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線1路線のみである(詳細は路線記事および鉄道路線の名称参照)が、当駅には電車線を走る京浜東北線電車および山手線電車のみが停車し、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されていない。このほか、東京貨物ターミナル駅方面への東海道本線支線(東海道貨物線)の起点駅となっているが、現在、当駅 - 東京貨物ターミナル駅間は休止中である。

JK 京浜東北線:電車線を走行する東海道本線・東北本線の近距離電車。横浜駅から根岸線への直通運転も実施している。 - 駅番号「JK 23」
JY 山手線:電車線を走行する環状路線 - 駅番号「JY 28」
また、当駅はJRの特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する。

駅構造:JR東日本
島式ホーム2面4線を有する地上駅である。

出入口は、新橋寄り地上階の北口、ホーム中程の階段・エスカレーター・エレベーターを上がった場所にある中央口、同じくコンコース経由で東芝ビルや日の出桟橋方面および金杉橋方面への南口の3か所である。中央口と南口はホームの上層にある橋上駅舎で、改札口から世界貿易センタービルとの連絡通路やその北側にある通路を通って東京モノレールへの乗り換えが可能である。

2002年にJR東日本が東京モノレールを買収してからは、コンコースの改修工事によってエスカレーターの増設やエレベーターの新設、それに東京モノレールの駅に直結する連絡通路と出口専用の改札口を新設し、JRから東京モノレールへの乗り換えの円滑化が図られた。

のりば
番線 路線 方向 行先
1 JK 京浜東北線 北行 新橋・東京・上野・大宮方面
2 JY 山手線 内回り 新橋・東京・上野・池袋方面
3 外回り 品川・渋谷・新宿方面
4 JK 京浜東北線 南行 品川・横浜・大船方面


小便小僧
山手線外回り・京浜東北線南行ホーム(3・4番線ホーム)の田町寄りに像がある。名称は「小便小僧」で、季節によって衣装を変えることで知られ、通勤・通学客の目を楽しませている。

1952年(昭和27年)10月14日の鉄道開通80周年に際して、当時の浜松町駅長の椎野栄三郎が、何か記念になるものはないかと新橋駅の嘱託歯科医だった友人の小林光に相談し、小林の長男誕生記念に作られて診療所の庭に置かれていた白い陶器製の小便小僧が寄贈されたのが最初である。このホームは当時未供用で、1956年(昭和31年)の山手線と京浜東北線の分離運転開始でようやく利用が開始されている。1955年(昭和30年)5月にプラットホームの改修工事が行われ、小林から新たにブロンズ製の小便小僧が寄贈された。

当初は衣装はなく、裸の状態であった。ある寒い日に女の子が毛糸の帽子を被せたのが衣装を着せる最初であったとされている。その後、浜松町の会社に勤務していた田中栄子という女性が衣装を作成して着せるようになった。1955年のブロンズ製の像の除幕式でも、田中の作った衣装でキューピッド姿で現れている。その後30年あまりに渡って田中が200着以上の衣装を作り続けてきたが、田中の死去により再び裸に戻った。

1986年(昭和61年)には、東京消防庁芝消防署から防災PR用に小便小僧に着せる消防服を作って欲しいと港区の手芸グループ「あじさい」に依頼があった。それをきっかけとして同年11月から再び着せ替えが始まり、それ以降は「あじさい」により衣装が毎月変更されている。像は動かせないので、人間のように衣服を着用することはできず、仮縫いまで済ませた服を持ち込んで現地で縫い合わせることで着用させている。

当初の白い陶器の小便小僧が作られたきっかけであった小林光の長男・小林光道は、現在も駅近くの世界貿易センタービル14階で歯科医院を開いている。

利用状況
JR東日本 - 2016年度の1日平均乗車人員は155,294人であった[。
JR東日本の駅の中では大崎駅に次いで第17位。

駅周辺:周辺は大企業から中小企業のオフィスが建ち並ぶ都内有数のオフィス街である。駅に隣接して西側に世界貿易センタービル、東側には旧芝離宮恩賜庭園がある。北口は汐留シオサイトの南の玄関口で、大型のオフィスビル、汐留芝離宮ビルディング、汐留ビルディングの完成により、乗降客が増加している。

東京都交通局(都営地下鉄)の大門駅が近く、大江戸線では副名称が「浜松町」となっている(建設時の仮称も「浜松町」)。

また、伊豆諸島や小笠原諸島へ向かう定期船の出港地である竹芝桟橋、水上バスや海上バスの出港地である日の出桟橋や、東京タワー、芝公園、増上寺、港区役所まで徒歩でアクセスすることが可能である。

世界貿易センタービル
KYB本社
オリックス東京本社
富士通東京オフィス
世界貿易センター内郵便局
みずほ銀行 浜松町支店
三井住友銀行 浜松町支店
港浜松町郵便局
芝公園郵便局
芝大神宮
東京ガス 本社
浜松町ビルディング
東芝 本社
コスモ石油 本社
東芝ビル内郵便局
シーバンス
シーバンスN館内郵便局
セイコー
清水建設
宇部興産
シャープ東京支社
JR東日本アートセンター四季劇場[春]・[秋]・自由劇場
文化放送メディアプラス
文化放送
浜松町スクエア
汐留芝離宮ビルディング
T&D保険グループ
汐留ビルディング
NTTコミュニケーションズ
ハマサイト・グルメ
ニューピア竹芝
港竹芝郵便局
ホテルアジュール竹芝
ホテルインターコンチネンタル東京ベイ
旧芝離宮恩賜庭園
東京都立芝商業高等学校
東京都立産業貿易センター浜松町館
大門駅(都営地下鉄浅草線・大江戸線) - 世界貿易センタービルの連絡通路を経由して乗り換えができる。
竹芝駅(ゆりかもめ) - 北口から東へ徒歩10分

周辺整備計画
駅周辺は都市再生緊急整備地域の指定を受け、国土交通省、東京都、港区、JR東日本、東京モノレールの5者による浜松町周辺地区の交通施設整備計画が進められている。これは、2008年1月に完了した汐留再開発(汐留シオサイト)による同地への訪問を含めた乗降客の増加、そして2010年10月21日に予定されている羽田空港国際線定期便就航および新駅「羽田空港国際線ビル駅」開業によるモノレールの乗り換え客の増加に対応するものである。

港区は当駅周辺の交通結節機能を強化するため、駅北口から汐留方面へ延長約75m・幅員約20mの「浜松町駅東西自由通路」の整備を計画している。これは京浜東北線・山手線・東海道本線・東海道新幹線を跨ぐものであり、世界貿易センタービルのデッキ・文化放送側デッキおよび汐留のペデストリアンデッキに接続する。2009年度内に事業費負担をJR東日本と協定を結び、概略設計に着手する予定である。これに併せてJR東日本も北側に駅舎などの関連設備を整備し、以前の東京モノレール新駅予定地に設置する計画である。東京モノレールについても現行の駅位置において軌道を1本増設して複線化する2面2線化とコンコースの拡幅の実現を図り、1時間あたりの最大運転本数を現在の18本から24本に増やす予定である。

2012年10月に当駅周辺の交通施設整備計画の概要が発表され、コンコースを大幅に拡幅するほか、2014年度から世界貿易センタービルの建て替えを行い、2024年度に完成させるなどの施策が行われる。2013年2月のJR東日本の定例会見によれば、JR駅、モノレール両浜松町駅全体の改築が発表された。

現在山手線各駅ではホームドアの設置を進めているが、当駅への設置は大規模改良工事後に行われる。

2013年9月現在、北口付近と竹芝通りをまたいだ汐留ペデストリアンデッキ接続ブリッジの工事が、2014年3月末竣工の予定で進められている。


当駅付近では日本の鉄道開業当時から列車の運行が行われていたが、この時点ではまだ当駅は開設されていなかった。開設されるのは、市街高架線の部分開通に伴って国有鉄道東海道本線の品川 - 烏森(後の新橋駅)間が開通する1909年(明治42年)12月16日のことであった。鉄道開業当初の新橋駅は後に貨物駅となる汐留駅で、また東京から北へ鉄道網を伸ばしていた日本鉄道のターミナル駅は上野駅となっていたが、この間を結ぶ鉄道がなく、連絡が課題となっていた。このため、この間を連絡する高架鉄道の建設が行われることになった。この際に当駅付近で旧線から分岐する形で高架橋を建設した。この時点では旧新橋駅が東海道本線の起点で、当駅は東海道本線支線上の駅であった。開業時点では山手線の電車のみが停車する駅で、島式プラットホーム1面2線が設置され、プラットホームの長さは約93.6 mあった。すぐ東側には竹芝や芝浦など東京港の桟橋があり、伊豆七島へ向かう航路などへの連絡駅でもあった。

1914年(大正3年)12月20日に東京駅が開業し、これに合わせて東京駅を起点とする市街高架線が東海道本線となり、当駅も東海道本線上の駅となった。東海道本線の長距離列車の運転もこの際に開始されたが、当駅には長距離列車用のプラットホームは無く、引き続き近距離の電車のみの停車する駅であった。東京駅開業に合わせて京浜線電車(後の京浜東北線)が運転を開始し、当駅にも停車するようになった。

山手線と京浜東北線は田町 - 田端間で同一の線路を共用して運転してきたが、旅客の増加に伴い捌ききれなくなってきたため、線路を増設して分離する工事が行われ、1956年(昭和31年)11月19日に供用開始された。これにより、当駅のJRホームは現在に見るように島式ホーム2面4線の駅となった。

1964年(昭和39年)9月17日には東京モノレールが乗り入れて空港連絡のターミナル駅となり、さらに2000年(平成12年)12月12日には近くに都営地下鉄大江戸線の大門駅が開業している。

かつては東海道新幹線のさらに海側に東京貨物ターミナル駅につながる貨物線(通称:大汐線)が通っていたが、都営地下鉄大江戸線の工事に伴い休止となった。なお、行楽シーズンには貨物線上に設置した当駅の特設ホームから九州や北海道方面へのカートレインが1990年から末期の1998年まで発着していた(それ以前の恵比寿駅から移転)。


1909年(明治42年)12月16日 - 鉄道院東海道本線品川 - 烏森間開通と同時に開業。旅客営業のみの旅客駅。
1914年(大正3年)12月20日 - 京浜線電車(現在の京浜東北線)が運転開始。
1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道発足。
1956年(昭和31年)11月19日 - 京浜東北線と山手線の分離運転開始。
1964年(昭和39年)
9月17日 - モノレール浜松町駅が開業。
10月1日 - 都営地下鉄浅草線の大門駅が開業し、乗り換え業務を開始。
1965年(昭和40年)11月 - 東京モノレールの全額負担で国鉄南口改札および国鉄とモノレールとの連絡跨線橋が開設。
1968年(昭和43年)10月1日 - 国鉄駅での荷物取り扱いを廃止。

浜松町構内跨線人道橋
1974年(昭和49年)9月 - モノレールのホーム有効長を90mに延伸し、現行の長さになる。
1984年(昭和59年)
3月 - 国鉄浜松町駅に橋上駅舎が設置される。
4月21日 - モノレール浜松町駅改修工事が完成し、供用開始、エスカレーターや階段などが新設された。
1985年(昭和60年)前年竣工した浜松町構内跨線人道橋が土木学会田中賞を受賞。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 京浜東北線の快速運転開始により、日中は同線が通過するようになる。
1989年(平成元年)7月 - モノレール浜松町駅にホームに冷房装置が設置される。
1990年(平成2年)5月21日 - 営業キロの設定により、東海道貨物線が当駅経由扱いとなる。これはカートレインの運行に伴うもので、実際にカートレインの浜松町発着が開始されたのはこの年の12月21日からであった。
1996年(平成8年)7月18日 - モノレール浜松町駅に南口が開設。
1998年(平成10年)
1月30日 - 都営地下鉄大江戸線の工事のため、東海道貨物線 浜松町 - 東京貨物ターミナル間(通称「大汐線」)休止。
11月15日 - モノレール浜松町駅3階にMCAT(モノレールシティエアターミナル)が開設。
この年、カートレインの浜松町発着中止。
2000年(平成12年)12月12日 - 都営地下鉄大江戸線の大門駅が開業。
2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
2002年(平成14年)
4月21日 - 東京モノレールでICカード「Suica」の利用が可能となる。
7月14日 - ダイヤ改正で京浜東北線の快速電車停車駅となる。駅設備を改善。
2003年(平成15年)7月19日 - JRと東京モノレールとの連絡通路新設。
2008年(平成20年)11月27日 - MCAT閉店。
2012年(平成24年)10月31日 - びゅうプラザ閉店。

所属事業者 JR logo (east).svg 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 ハテ
駅構造 地上駅(一部橋上駅)
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 155,294人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1909年(明治42年)12月16日
乗入路線 3 路線
所属路線 JK 京浜東北線*
駅番号 □JK 23
キロ程 3.1km(東京起点)
大宮から33.4km
◄JK 24 新橋 (1.2km)(1.5km) 田町 JK 22►
所属路線 JY 山手線*
駅番号 □JY 28
キロ程 3.1km(東京起点)
◄JY 29 新橋 (1.2km)(1.5km) 田町 JY 27►
所属路線 東海道本線貨物支線*
(東海道貨物線)
キロ程 0.0km(浜松町起点)
(7.1km) 東京貨物ターミナル►
備考 みどりの窓口 有
山区 東京山手線内・東京都区内駅
*いずれも正式には東海道本線

T58-IHI-10M2 ターボシャフト・エンジン

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T58-IHI-10M2 ターボシャフト・エンジン

米国ゼネラル・エレクトリック社が米軍のヘリコプター用に開発したものを原型とし、技術提携により開発された。
国産化にあたっては工作機械の開発など独自の工夫が凝らされ後のT64エンジンなどの加工技術の基礎となった。
形式:ターボシャフトエンジン
重量:152Kg
製造:石川島播磨重工業(ライセンス生産)
搭載機:KV-107、s-42など

ゼネラル・エレクトリックT58は、アメリカのあるターボシャフトヘリコプターの使用のために開発されたエンジン。1955年に初めて稼働し、1984年まで生産に残り、6,300台が建設されました。1959年7月1日、民生用ヘリコプターの使用に関するFAA認証を取得した最初のタービンエンジンとなりました。エンジンは、ライセンス組み込み、さらにによって開発されたデハビランドとして英国でノームに、西ドイツによってKlöckner-フンボルト-ドゥーツ、 、また製アルファロメオ及びIHI社。

開発は、ヘリコプターのターボシャフトの重量が180ポンド(800ポンド)を下回り、800馬力(600キロワット)を提供する1953年の米海軍の要件に始まりました。エンジンゼネラルエレクトリックは、最終的に250ポンド(110kg)の体重を計量し、1,050馬力(780kW)を納入し、すぐに生産を開始しました。最初の飛行は1957年に変更されたSikorsky HSS-1で行われ、CT58-100変異体の民間認証は2年後に取得されました。

T58には多くの珍しい機能が組み込まれています。

1)全軸圧縮機。このパワーブラケットの他のほとんどのターボシャフトは、最終コンプレッサーステージとして遠心ユニットを備えています。その結果、圧縮機の後部にあるブレードは非常に小さく(0.5インチ未満)非常に薄くなります。

2)部分速度での圧縮機の取り扱いは、ユニットの前部にある複数の可変ステータの列によって容易になる。これは、エンジンが初めて導入されたときにはかなり新しい機能でした。

3)単一段パワータービン。エンジンの後部に動力を供給します。熱い排気流は、斜めのジェットパイプによって、出力軸から離れて横向きに転向される。

4)燃焼器は、逆流ではなく直線状の環状設計である。

エンジンの主な生産バージョンは1,400馬力(1,044kW)を開発しているT58-GE-10でした。最も強力なバージョンであるT58-GE-16は、1,870馬力(1,390kW)を生産しています。


ターボシャフトエンジン(Turboshaft engine)はジェットエンジン/ガスタービンエンジンの一種。ジェットエンジンが排気の噴出力を推進力として利用するのに対し、タービン排気より軸出力を取り出し、それを用いる方式である。戦車や船舶用ガスタービンなども軸出力を用いている点では同等であるが、航空機用エンジンとして用いられている場合、ターボシャフトエンジンと呼ばれる。特にヘリコプター向けとして用いられている。

ターボシャフトエンジンのエンジンの構造は、燃焼部と出力部に分けられる。燃焼部はターボジェットエンジンと同等の構造であり、圧縮機、燃焼室、タービン[1]と吸排気口などからなる。出力部は、タービン部に付加されており、排気はフリータービンにより回転軸出力として取り出される。圧縮機・タービン軸と連結されていないフリータービンを用いることにより、安定した軸出力が得られ、クラッチや変速機を介してローターなどを回転させる。また、圧縮機には、小型のものには遠心式を、大型のものには軸流式が使用されている。

ターボシャフトエンジンには次のような特性がある。

出力当たりの重量が小さい
出力当たりの容量が小さい
エンジン自体の振動が少ない
エンジン自体のオーバーホールの間隔が長い
エンジン自体の冷却装置が必要ない(エンジン周りの換気やエンジンの滑油温度を調整するための滑油冷却器は必要である)
エンジン自体が高価である
エンジンの空気流量が多い
吸入口での着氷やエンジンから排出される排気ガスによる取入れ空気の汚染
地上の塵埃・海上での空気に含まれる塩分や異物の吸入による圧縮機のブレードの腐食劣化や損傷
ターボシャフトエンジンの中には「逆流型燃焼室」を備えたタイプもある。

ターボプロップエンジンとの比較
ターボプロップエンジンでは、軸出力のほか、排気を一部推進力に利用しているが、ターボシャフトエンジンでは排気を推進力としては用いない点が異なる。ターボプロップエンジンではフリータービンを用いたものもあるが、圧縮機・タービン軸と連結された回転軸より軸出力を取り出している。

最初の実用的なターボシャフトエンジンはフランスのチュルボメカ アルトウステであり、1947年に開発された。ターボシャフトエンジンは、それまでヘリコプターに用いられていたレシプロエンジンに比較して、燃費の悪化こそあるものの、最近の技術の進歩により、タービン入口温度と圧縮機の圧縮比の増大により熱効率が改善しており、あまり問題ではなくなってきている。また、小型・軽量で安定した高出力を有し、振動も少ないという利点がある。チュルボメカ アルトウステを搭載したアルエット II(1955年初飛行)はヘリの高度記録を樹立するなど、良好な性能を発揮し、ターボシャフトエンジンの有効性を示した。

 

炭車

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田川・平山・赤池・鯰田・高松各鉱山に使用されたものです。
初期は0.6立方ぐらいの大きさでした。
出炭量の増加と坑道の鉄代により坑道も順次大きくなり1.2~5立方の鉄製炭車が使用されるようになりました。

採掘した石炭を運ぶ箱車。鉱車の一種です。
鉱山や炭鉱において,主として鉱石,石炭,廃石などを運搬するのに使うトロッコ様の車両。炭鉱では一般に炭車と呼ぶ。これを何台か連結して列車編成とし,機関車,ロープなどにより牽引する。形,容積,材質にはいろいろあるが,鉱石や石炭の粉があまり底に残らず,掃除も容易なことから,丸底鋼製鉱車が好んで用いられる。

また,運搬の能率をよくするため積載物を降ろす際に鉱車を回転させる装置があり,チップラーと呼ばれる。一般に軌条を持つ鉱製円筒形の枠組みに鉱車を載せる構造のもので横に回転させ積載物をあける機構になっているものが,多く使用されている。

なお労働人員の輸送専用に利用される鉱車を特に人車と呼ぶ。車箱は木製,製鋼製などのものがあるが,規格は一定していない。

岡山県警 警備艇「はやなみ」

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海上パトロールによる犯罪の予防・検挙活動のほか、有人島への巡回連絡、捜査活動、不法入国の警戒活動、水難者の捜索等を行っています。

所属:玉野警察署

警察用船舶の概要
犯罪検挙人員数:189人
(漁業法違反、海事法違反等)
指導・警告:252件
保護救助人員数:96人
遺体の収容数:230体
警察用船舶は、全国に159隻 配備されており、
・ 水上パトロール
・ 水難者の捜索・救助
・ 水上レジャーに対する安全指導等
・ 密入国・密輸、密漁事犯等の水上犯罪の取締り
・ 遺体の収容、漂流物の回収
・ 災害発生時の捜索・救助、輸送等
・ 重要施設に対する警戒警備
・ 離島連絡(警察職員、被疑者等の輸送等)
等の水上警察活動を行うことにより、国民の安全・安心を確保している。

12m型
沿海区域より平水区域の多い水域(波風中程度の水域)
出動日数:約160日 出動時間:約900時間
用途:水上パトロール、水上レジャー対策、沿岸警備・警戒活動、密漁、水難者救助、遺体収容・漂流物回収(8m型、12m型)等の水上警察活動全般に使用
船体材質:軽合金製又はFRP製
全 長 :13.4m
総トン数:10トン
最大速力:40ノット(約74km/h)
定員:14名
トランサムリフト装備

日本の警察においては、水上警察活動は通常、管轄区域に水上を含む警察署の地域課が所掌している。管轄水域が小規模である場合は可搬式の舟艇や借上げ船舶により業務が実施されるが、水域が大きくなると専用の船舶(警備艇。公式には「警察用船舶」と称される)が配備される。本署から管轄水域が離れている場合や業務の増大等により、警備艇繋留施設の近隣で勤務するほうが効率的である場合は、水上派出所・水上警備派出所等が設置される。更に水上警察活動に特化した警察署として水上警察署が設置されることもあったが、近年は警察署の再編に伴って陸上の警察署との統合等が進められる傾向にあり、水上警察署の数は減少している。

また、都道府県警察によっては、警察本部の生活安全部等の執行隊として水上警察隊を設置し、警察署ではなくこの隊で警備艇を集中運用する場合もある。

警備艇の運航は、資格を有する警察官自身によって行われる場合もあるが、一般的には固有の乗員(船長・機関長等)として技官等の職員が配置される場合が多い。この場合は更に、正規職員である場合と嘱託職員である場合がある。固有の乗員が配置される場合も、乗員だけでは警察官としての職務執行はできないため、警ら活動等は警察官を乗船させて実施される。

水上警察は沿岸警備隊と同一の組織、または同一の性格を持つ組織であると思われがちであるが、沿岸警備隊は準軍事組織であり、水上警察は文民警察組織である。

水上警察の船舶は、活動範囲が主に内水面で、近距離である反面狭隘・浅水深であることから沿岸警備隊の船舶に比較して小型の船舶が多い。また、隊員や船舶の武装の面においても水上警察は陸上における警察活動の延長線上にあることから、主に拳銃(あるいは拳銃弾を発射する短機関銃や船舶に設置する放水銃)などに留まる。
沿岸警備隊の船舶の場合は武装した船舶・航空機に対処する必要もあり、拳銃・短機関銃といった小型武器や放水銃のみならず、機関銃等の重火器ないし機関砲などの強武装が通常である。例えばアメリカ沿岸警備隊のハミルトン級やベア級カッターはフリゲートと同じMk.75 76mm単装速射砲を装備しており、日本の海上保安庁でも「しきしま」や高速高機能大型巡視船など大型巡視船(PLH, PL)ではエリコン 35mm機関砲やボフォース 40mm機関砲、とから型など中・小型巡視船(PM, PS)では20mm多銃身機関砲を装備するなど、その最大火力は警察を大きく上回っている。
また、両者の権限が競合する場合もあるが、沿岸警備隊の性質をもつ海上保安庁及びその職員には条約により付与された特殊な権限がある。

日本の場合、海上保安庁が外洋、沿岸及び内海(東京湾、大阪湾など)、港湾を管轄区域とするのに対し、水上警察は港湾地区(陸上地域を含む。)、内水(運河、河川、湖沼など)を管轄区域とする。したがって、海の存在しない滋賀県警察にも琵琶湖を管轄する水上派出所が存在する。また、一般的に水上警察署は地上の管轄区域も存在する事が多い。
警察官は一般司法警察職員であるため、海上保安庁の管轄区域と競合する場合でもその権限を行使することができる。しかし、日本においては都道府県警察単位で警察業務を実施していることから、当該警察の管轄範囲を超えた警察業務は原則としてできない(警察法第36条第2項・第60条の2・第61条・第61条の2・第65条参照)。これに対して、海上保安庁は国家行政機関であるとともに海上保安官は海上においては完全な司法警察権を有しており(海上保安庁は「海上において」司法警察権を行使する組織であることから海上保安官は「特別司法警察職員」という位置付けになっているにすぎず、麻薬取締官や労働基準監督官のように司法警察権の行使できる対象が限定されているわけではない)、管轄に関して柔軟な対応が可能であるといった特徴がある。
また、条約によって海上警備機関に対してのみ特別の権限が付与された事項(公海上における海賊の拿捕や船舶の臨検など)に関しては海上保安官のみ管轄権を持つことになる(この部分においては、軍艦の享有する権限と競合する)。


ちなみに、海上保安庁の船舶は公海に関する条約及び海洋法に関する国際連合条約による特権を享有する。具体的には、政府公船(非商業的目的のために運航する軍艦以外の政府船舶)として、軍艦に準ずる特権(臨検からの自由など)を享受することができる(海洋法条約第32条参照)。また、公海上においては旗国以外のいかなる管轄権にも服しない(公海条約第9条・海洋法条約第96条)。さらに、海上保安庁の船舶及び航空機は日本国の領海のみならず、公海その他いずれの国の管轄権にも服さない場所において海賊船の拿捕権(公海条約第21条・海洋法条約第107条)・船舶の臨検を行う権利(海洋法条約第110条第5号)・外国船舶の追跡を行う権利(公海条約第23条第4号・海洋法条約第111条第5号。ただし追跡開始場所について制約がある。)を行使することができるが、都道府県警察の船舶及び航空機には、そのような特権は及ばない。

 

美章園駅(JR西日本)阪和線

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美章園駅(びしょうえんえき)は、大阪府大阪市阿倍野区美章園一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。駅番号はJR-R21。駅周辺には高校が多く、朝夕は多数の通学生で賑わいます。

駅名の由来は、大阪の財界人である山岡美章が大正年間に設立した美章土地株式会社がこの駅の付近の土地を住宅地として開発したことに由来する。ただし、開発したときの美章土地の経営者は大阪商工会議所第8代会頭、大阪商船(現在の商船三井)や日本電力(現在は解散)の社長などを務めた息子の山岡順太郎である。

駅構造
相対式ホーム2面2線を持つ高架駅。三角屋根が特徴の駅舎です。分岐器や絶対信号機がない停留所に分類される。駅前広場などはない。

通常使用される改札口は東側のみだが、平日の朝ラッシュ時には西側の改札口も利用できる。2008年3月にエレベーターが整備され、歩道と改札口の段差にもスロープが設置されるなど、バリアフリー化が進んでいる。東側改札口に改札機は4台。

天王寺駅が管理している直営駅で、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属する駅である。ICOCAが利用することができる。切符売場。タッチパネル式の券売機が2台。2015年に対話型指定席券売機が導入され、みどりの窓口は廃止されています。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 R 阪和線 下り 鳳・関西空港・和歌山方面


上屋はありますがホーム全体ではありません。
2 上り 天王寺・大阪方面


2013年9月までは、「鳳方面行き」「天王寺行き」に行先が固定された簡易型自動放送だった。
ダイヤ
当駅をはじめ、これより先和歌山方面の快速通過駅全駅共通で、主に日中時間帯を中心に上下線とも1時間あたり4本の停車である。阪和線内では各駅停車区間になる鳳駅 - 日根野駅間の「区間快速」・日根野駅 - 和歌山駅間での「紀州路快速」の停車駅は4本に統一されている。

利用状況
付近に学校が多く、学生の利用者がかなりの部分を占める。

駅周辺
河堀口駅(近鉄南大阪線)
スーパーサンコー 美章園店
阿倍野美章園郵便局
明浄学院高等学校
あべの翔学高等学校
大阪府立天王寺高等学校
大阪市立工芸高等学校
大阪芸術大学附属大阪美術専門学校
ハローワーク阿倍野(文の里庁舎)
美章園温泉(登録有形文化財)※現在は無い。
このほか、駅の東側は古くからの商店や住宅が所狭しと軒を連ねている。阪和線の高架下には商店が軒を連ねている。周辺道路は交通量が多い上に歩道が狭い。

バス路線
大阪市営バス(美章園停留所)
東行のりば
6号系統 杭全・白鷺公園前・湯里六経由 住道矢田 行
西行のりば
6号系統 あべの橋 行
1990年代まで近鉄バスもあべの橋と志紀車庫・国分方面を結ぶ路線が停車していた。


1931年(昭和6年)6月3日 - 阪和電気鉄道の阪和天王寺駅(現在の天王寺駅) - 南田辺駅間に、停留場として新設。
1940年(昭和15年)12月1日 - 南海鉄道への吸収合併により、同鉄道山手線の停留場となる。
1944年(昭和19年)5月1日 - 戦時買収により国有化され、鉄道省(国鉄)阪和線所属となる。同時に駅に昇格。
1945年(昭和20年)2月14日 - 空襲の被害を受け、営業休止。
1947年(昭和22年)4月15日 - 営業再開。
1958年(昭和33年) - 駅舎改築。
1958年(昭和33年)5月13日 - 改良工事竣工。
1969年(昭和44年)8月 - 西口完成。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1993年(平成5年)7月1日 - 阪和線運行管理システム(初代)導入。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2013年(平成25年)9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2015年(平成27年)
3月8日 - みどりの窓口の営業を終了。
3月9日 - みどりの券売機プラスが稼働。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始する。
空襲による当駅付近の被害
1945年(昭和20年)2月14日午後8時過ぎ、アメリカ軍による空襲で、B29が阿倍野区内だけに3発の爆弾を投下した。そのうち1トン爆弾1発が当駅構内に落下し阪和線の鉄筋コンクリート橋脚を粉砕、付近の民家20件ほどを破壊し死傷者30余名を出した。運悪く和歌山行きの電車が発車した直後でホームに多くの人がいたため、多くの死者が出た。1951年(昭和26年)8月24日、駅東側に当時の駅職員によって「遭難供養之碑」が建てられた。

この時に明浄高等女学校(現・明浄学院高校)裏にも爆弾が落下し、同校生も犠牲になった。近くの文の里公園に「慰霊塔」がある。それには大阪市最初の被爆地と書かれているが、実際には2月14日より前から大阪市内に空襲が行われている。

大阪市内で空襲慰霊碑のある駅としては、他に1945年8月14日の京橋駅空襲で被害を受けた大阪環状線京橋駅がある。

駅番号 JR-R21
所属事業者 JR logo (west).svg西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 R 阪和線
キロ程 1.5km(天王寺起点)
電報略号 ヒシ
駅構造 高架駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 5,365人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1931年(昭和6年)6月3日
備考 直営駅
みどりの券売機プラス設置駅
阪 大阪市内駅


1007号(横浜市電1000型)

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1928年(昭和3年)に市電初のボギー車として登場した車両。この車両は馬力が小さいため、主に10系統や6、8系統などの平坦な路線を中心に運用された。中央扉は1枚戸の時と2枚戸の時があった。1970年(昭和45年)廃車。

横浜市電としては初の大型半鋼ボギー車で1928年(昭和3年)に1000号から1019号までの20輛製造されています。500型と同様に関東大震災の復興事業の一環でもあるとの事。

一段下降窓で、顔つきも 500形に似ています。

横浜市電は単車の比率が高く六角橋線などでは最末期に至るまでボギー車は入線しなかったようです。

電車の長さ13.4m定員は120名

出入り口が前後と真ん中(中央扉)にありまます。

ボギー台車(ボギーだいしゃ)とは、車体に対して水平方向に回転可能な装置をもつ台車の総称である。またボギー台車を装備した車両をボギー車と呼ぶ。

車体の短い小型車では、車体と2本の車軸を直接サスペンションでつなぐ固定二軸車で対応できたが、次第に大量輸送手段として鉄道が普及してくると、車体長を大型化しても曲線通過に支障がないよう、車体とは独立してある程度回転できる機構を採用した台車が登場した。これがボギー台車である。ボギー台車の回転軸として、または台車から車体に牽引力を伝えるため、伝統的には中心ピン(心皿)や枕梁(ボルスタ)が設けられていたが、現在では空気バネの横剛性を利用し、それらを省略して軽量化したダイレクトマウント台車やボルスタレス台車が主流となっている。

ボギー台車には台車の車軸数によって一軸台車から各軸数ごとに種類があるが、二軸ボギー台車が圧倒的多数を占めている。また、重量貨物を積載する大物車には4軸以上のものも存在する。通常は前後に2個装備されるが、軌道検測車や大物車には3個以上のボギー台車を装備するものがある。この場合、中間台車には回転の他、左右動も許されている。大物車等で4個以上のボギー台車を備える場合、枕枠を介して複層的に連結するものがあり、「複式ボギー」と称する。ボギー台車と固定式の一軸を備えた「片ボギー」と呼ばれる方式も存在する。また、連接車(特に路面電車)の中には、車輪が車体に固定されており、水平方向の回転は車体そのものが担う例がある。

長所
車体と独立して回転するため、曲線通過が容易になる。
台車間の間隔を広げても曲線通過に支障が出にくいため、車体長を増大できる。
二軸車に比べて台車に十分なばねやダンパーを組み込みやすいので、高速走行でも安定しており、乗り心地もよい。
車軸数が増えるため、軸重(一軸あたりにかかる荷重)を軽くでき、軌道への負担が少ない。
短所
小型化しづらいため、小型車には採用しにくい。
二軸車に比べて構造が複雑で、製造、保守コストがかかる。
現在日本では、二軸車は小型の貨車、旧型レールバスに採用されるのみであるが、ボギー台車は新幹線から路面電車、大型貨車にいたるまで幅広く採用されている。

 

中島駅(JR西日本)可部線

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中島駅(なかしまえき)は、広島県広島市安佐北区可部南一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅である。

可部方面に向かって左側に単式ホーム1面1線を持つ地上駅(停留所)。
可部駅管理の無人駅で駅舎はなく、直接ホームに入る形になっている。入口付近に自動券売機と簡易式自動改札機が設置されている。

小さいながらもホームには待合所があり、風雨をしのぐ事はできる。ホーム上の待合所には、狭いながらも椅子は複数設置されています。

なおトイレは、待合所の隣に独立して設けられている。
ホームはカーブになっており転落防止のために端は赤く彩られています。列車とホームの間が広く開いているところがある。2005年10月から2008年3月14日までは、4両編成の列車の広島側1両が締め切り扱いとなっていたが、同年3月15日以降は七軒茶屋駅および上八木駅が4両編成の列車に対応するためホームの延伸工事を行い、全てのドアが開くようになった。

駅入口からホームまではバリアフリー対策でスロープ化されています。

ICOCAが利用可能。JRの特定都区市内制度における「広島市内」の駅である。
当駅周辺はかつては可部方面から太田川の河岸に向けて直線的に線路が敷かれていたが、当駅休止中に行われた太田川の改修にともなう線路付け替えにより曲線区間となり、カーブ途中に復活した中島駅が設置された。当駅駅前の駐輪場は、かつて可部方面から直線的に伸びていた線路跡の敷地を利用したものと思われる。

南東の芸備線の下深川駅からはわずか1.5kmに位置し、かつては両線の環状化構想もありました。

駅周辺
国道54号
中島駅口バス停留所(広島電鉄・広島交通・中国ジェイアールバス)
可部自動車学校
可部公共職業安定所
広島市立安佐市民病院
広島文教女子大学
広島文教女子大学附属高等学校
広島市立可部南小学校
可部中島郵便局
広島銀行可部支店可部南出張所
JR西日本広島支社可部変電所

1911年(明治44年)6月12日 - 大日本軌道広島支社線(当時)の太田川橋(現在の上八木駅) - 可部駅間の延伸時に中島停留場(なかしまていりゅうじょう)として開業。旅客駅。
1919年(大正8年)3月11日 - 大日本軌道広島支社線が可部軌道へ譲渡され、同社の停留場となる。
1926年(大正15年)5月1日 - 可部軌道が広島電気に合併され、同社の停留場となる。
1931年(昭和6年)7月1日 - 広島電気線が広浜鉄道へ譲渡され、同社の停留場となる。
1936年(昭和11年)9月1日 - 広浜鉄道国有化、国有鉄道可部線所属となる。同時に駅に昇格し安芸中島駅(あきなかしまえき)に改称。
1943年(昭和18年)10月1日 - 営業休止。
1956年(昭和31年)6月1日 - 中島駅(なかしまえき)に改称し営業再開。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)が継承。
2005年(平成17年)10月1日 - 4両編成の列車の広島側1両でドアカットを開始。
2007年(平成19年)
7月28日 - ICOCA対応簡易型自動改札機設置。
9月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2008年(平成20年)3月15日 - 4両編成の列車のドアカット解消。
2014年(平成26年)8月20日 - 平成26年8月豪雨により広島市で土砂災害が発生。緑井駅 - 可部駅間で8月31日まで運転を見合わせた。

所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 B 可部線
キロ程 12.6km(横川起点)
広島から15.6km
電報略号 ナカ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度- 631人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1911年(明治44年)6月12日
備考 無人駅(自動券売機 有)
広 広島市内駅
* 1936年-1956年は安芸中島駅

 

衛星単一通信携帯局装置 JPRC-C1 自衛隊

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衛星単一通信携帯局装置 JPRC-C1(えいせいたんいつけいたいきょくそうち ジェイピーアールシーシーワン )は、陸上自衛隊の装備。主に通信科に配備され、方面隊および師団・旅団などの上級部隊(一部例外あり)において音声、データ通信などの衛星中継通信に使用する。携帯の名の通り複数のハードケース内蔵型であり、重量も9kgと可搬性がある。円盤状のアンテナを組み立て、衛星方向に向けて通信を行なう。車載の衛星単一通信可搬局装置 JMRC-C4に比べて性能は劣る。

諸元
周波数:Xバンド
全長:約500mm
全幅:約200mm
全高:約500mm
総重量:約9kg
電源:DC24V/12V、AC100V
製作
日本無線

石川島播磨重工業 T64-IHI-10Jターボプロップ

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対潜哨戒機PS-1・US-1飛行艇用にゼネラル・エレクトリックのT64-GE-10を石川島播磨重工業(現・IHI)でライセンス生産したT64-IHI-10Eターボプロップエンジン

ゼネラル・エレクトリック T64はフリータービン方式のターボシャフトエンジン/ターボプロップエンジンである。


元々はヘリコプター向けに開発されていたが、のちに固定翼機でも使用されるようになった。1964年に登場し、その当時としては革新的である腐食防止・耐熱コーティングが施されていた。

性能面では14段の圧縮機が用いられ、高い総圧力比を発生させながらも、低い燃料消費率を実現させた。圧縮機操作には4列の可変静翼が使用されている。

T58と異なり、出力タービンは二段階からなっている。後期のバージョンでは3,925~4,750 shp (2,927~3,542 kW)の出力を発生させる。

型式
T64-GE-1
初期のバージョン。LTV XC-142Aに4基搭載。出力は3,080 hp (2,300 kW)。
T64-GE-2
ターボシャフト、出力は5,200 rpmにて2,810 hp (2,100 kW)。
T64-GE-3
YCH-53A、HH-53B/Cに二基搭載。出力は2,850 hp (2,130 kW)。
T64-GE-4
ターボプロップ、減速歯車ケースが中心線に配置された。プロペラブレーキとボルト固定制御ユニットを搭載。YCV-7Aに搭載。出力は1160 rpm(プロペラ)にて 2,850 hp (2,130 kW)。
YT64-GE-6
VTOL実験機のヒューズ XV-9に搭載。出力は2,850 hp (2,130 kW)。
T64-GE-6
ターボシャフト、CH-53Aに2基搭載。出力は13,600 rpmにて2,850 hp (2,130 kW)。
T64-GE-7
HH-53B/Cが搭載していたT64-GE-3がのちにこの型に換装された。3,925 hp (2,927 kW)
T64-MTU-7
ドイツのMTUフリードリヒスハーフェンがライセンス生産したモデル。ドイツ向けCH-53、CH-53Gに2基搭載。
T64-GE-7A
CH-53C、HH-53Cに搭載。出力は3,936 hp (2,935 kW)。
T64-GE-8
T64-GE-4と同様
T64-GE-10
CV-7A、C-8A、DHC-5に搭載。出力は2,970 hp (2,210 kW)。
T64-IHI-10E
T64-GE-10を石川島播磨重工業(現・IHI)がライセンス生産したモデル。川崎 P-2Jに2基搭載。新明和 PS-1、US-1に4基搭載。出力は3,060 hp (2,280 kW)。
T64-IHI-10J
T64-IHI-10Eを改修し、新明和 US-1Aに4基搭載。航空自衛隊向けの日本航空機製造 YS-11EA/EB(スーパーYS-11)に2基搭載。出力は3,493 hp (2,605 kW)。
T64-GE-16
CH-53Aに2基、ロッキード AH-56A シャイアンに1基搭載。出力は3,485 hp (2,599 kW)。
T64-GE-100
T64-GE-7Aに性能向上したタービンを搭載した型。MH-53J、TH-53A、S-65Aに2基搭載。出力は4,330 hp (3,230 kW)。
T64-GE-412
CH-53Dに2基搭載。また、イスラエル航空宇宙軍向けCH-53、S-65C-3 Yas'urの能力向上型であるYas'ur 2000に搭載される予定であった。出力は3,695 hp (2,755 kW)。
T64-GE-413
CH-53D、RH-53A、VH-53Dに2基搭載。出力は3,925 hp (2,927 kW)。
T64-GE-413A
CH-53D、RH-53A、VH-53Dに2基搭載。出力は3,936 hp (2,935 kW)。
T64-GE-415
シコルスキー CH-53E スーパースタリオン、MH-53Eに3基搭載。出力は4,380 hp (3,270 kW)。 - [2]
T64-GE-416A
CH-53E、MH-53Eに3基搭載。
T64-GE-419
MH-53Eに3基搭載。また、CH-53Kの計画段階である「HLR計画」時代に提案されたエンジンの一つ。出力は4,750 hp (3,540 kW)。
T64-GE-423
3,925 hp (2,927 kW)
T64-GE-716
T64-GE-P4C
DHC-5Bに搭載される予定であった。
T64-GE-P4D
ターボプロップ。アエリタリア G.222に2基搭載。出力は 3,400 hp (2,500 kW)。
T64-GE-P4D-1
G.222のアメリカ空軍向け納入型C-27Aに2基搭載。
T64-GE-S4D-1
S-64Bに1基搭載。
T64-GE-T4C-2
T64-BS-12
T64-BS-16
CT64-820-1
2,850 hp (2,130 kW)
CT64-820-2
CT64-820-3
3,130 hp (2,330 kW)
CT64-820-4
デ・ハビランド・カナダ DHC-5Dに2基搭載。出力は3,133 hp (2,336 kW)。
CT64-P4C
デ・ハビランド・カナダ DHC-5Bに搭載される予定だったが、機体自体が計画中止になった。
T64/P4D
3,400 hp (2,500 kW)

搭載機
アエリタリア G.222
デ・ハビランド・カナダ DHC-5
ロッキード AH-56A シャイアン
川崎 P-2J
LTV XC-142A
新明和 PS-1
新明和 US-1/1A
日本航空機製造 YS-11EA/EB(スーパーYS-11)
シコルスキー CH-53 シースタリオン
シコルスキー CH-53E スーパースタリオン
シコルスキー HH-53/MH-53E ペイブロウ
仕様諸元(T64-GE-100)

形式: ターボシャフト
全長: 79 in (2,007 mm)
直径: 20 in (508 mm)
乾燥重量: 720 lb (327 kg)
構成要素

圧縮機: 14段軸流式圧縮機
燃焼器: アニュラ型
タービン: 2段軸流式ガス発生出力タービン + 1段式軸流フリー出力タービン
使用燃料: 航空用ケロシン
潤滑システム: 圧縮噴霧/飛沫式
性能

出力: 4,330 hp (3,228.88 kW)
全圧縮比(英語版): 14.9:1
タービン入口温度: ジェット パイプ 温度: 1,180 °F (638 °C)
燃料消費率: 0.48 lb/hp-hr (0.292 kg/kW-hr)
出力重量比: 6.014 hp/lb (9.887 kW/kg)

太郎坊宮前駅(近江鉄道八日市線)

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太郎坊宮前駅(たろぼうぐうまええき)は、滋賀県東近江市小脇町にある近江鉄道八日市線の駅。駅名由来でもある山岳信仰の霊地として知られる太郎坊宮の最寄駅です。

通勤通学など一般の利用の他、参拝客もいる。

1面1線の地上駅。終日無人駅である。入口周りの色分けは、太郎坊宮の鳥居を意識したと思われる。

戦前には太郎坊宮(阿賀神社)と八日市飛行場が湖南鉄道、後の八日市鉄道(現在の八日市線)随一の観光名所であり、沿線案内図でも共に大きく描かれていた。

1927年(昭和2年)には参詣客の激しい増加に対応するため、地元の寄付により駅舎建設を含めた改良工事が行われ、無人駅から有人駅となった。

年始には未明に太郎坊宮初詣のための臨時列車が運行され、太郎坊駅への往復割引乗車券が発売された。昭和30年代後半頃に老朽化によって取り壊されるまで、木造の駅舎があった。1940年頃までは売店もあり、駄菓子や紙風船、セルロイド製の天狗のお面を扱うなど、太郎坊宮の土産物店的な役割だったようだ。駅舎が解体され、八日市線内ではいちはやく無人駅となった。

駅名標や近江鉄道の公式サイトでは「たろぼうぐうまえ」と表記されている。駅名は付近の阿賀神社の通称の「太郎坊宮」に由来するものであるが、阿賀神社の公式サイトには「太郎坊宮」の読みは「たろうぼうぐう」と書かれている。

開業から1998年までの駅名は「太郎坊」だったが、戦前の八日市鉄道時代の車内補充券には当駅のみ「たろぼう」と振り仮名があり、読み方を間違えられやすかった事が伺える。

駅入口に掲げられている筆書きの駅名表示は、太郎坊宮宮司の手によるものである。
駅の入り口近くにあるトイレが設置されている。

 

歴史
1913年(大正2年)12月29日 - 湖南鉄道の太郎坊駅として開業。
1927年(昭和2年)5月15日 - 琵琶湖鉄道汽船に合併され、同社の駅となる。
1929年(昭和4年)4月1日 - 八日市鉄道に譲渡され、同社の駅となる。
1944年(昭和19年)3月1日 - 近江鉄道に合併され、同社の駅となる。
1998年(平成10年)4月1日 - 太郎坊宮前駅に改称。

駅周辺
田畑と住宅が混在している。駅から太郎坊宮がよく見える。
阿賀神社(太郎坊宮)
国道421号


所属事業者 近江鉄道
所属路線 ■八日市線(万葉あかね線)
キロ程 1.3km(八日市駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 片式1面1線
乗車人員
-統計年度- 106人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1913年(大正2年)12月29日

飛鳥STOL(短距離離着陸)航空宇宙技術研究所

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飛鳥(あすか)は、航空宇宙技術研究所(NAL、現 JAXA航空技術部門)が1962年(昭和37年)から1989年(平成元年)にかけて開発したSTOL(短距離離着陸)飛行実験機の機種名。実験機であるため、製造は1機のみである。名称は公募により決定された。

1962年(昭和37年)末頃から、航空宇宙技術研究所では今後取り上げるべき重点課題について議論がなされた。この中で、V/STOL機の研究開発が最重点課題として取り上げられ、実験機研究開発を含む具体的な研究を開始した。

1963年(昭和38年)からVTOL(垂直離着陸)機用超軽量リフトジェットエンジン(JR100)の研究開発に着手し、推力制御による高度制御試験、VTOL機の離着陸を想定したFTB試験(ホバリング試験)、着陸前に航空機の脚に替わるリフトジェットエンジンを空中で起動させるエンジン再起動試験まで進められたが、当時は空港周辺の騒音が社会問題となっており、VTOL機の研究開発は断念された。


「飛鳥」のベース機であるC-1戦術輸送機
1975年(昭和50年)に航空技術審議会(現科学技術・学術審議会)の建議「我が国に適したSTOL輸送システムの具体的推進方策について」を受けて、具体的にSTOL技術の検討がなされた。昭和60年代以降に民間機の主力となると考えられた低騒音ファンジェットを使用したSTOL旅客機の開発に必要な技術を研究することを目的として、それまでに進めていた空力、構造、エンジン等の要素技術研究成果を基にSTOL機の詳細な検討がなされ、航空自衛隊のC-1輸送機をベースに、当時開発中だったFJR710エンジンを4基搭載したSTOL実験機を研究開発することが決定された。

1977年(昭和52年)には、航空宇宙技術研究所内に横断的組織として「STOLプロジェクト推進本部」が設置された。また、C-1輸送機の開発メーカである川崎重工業に関係機体メーカを横断的に組織する「STOL実験機開発チーム(NASTADT)」が発足し、STOL実験機の研究開発実施体制が整った。1978年(昭和53年)度からC-1の機体製造5社による開発が開始され、1979年(昭和54年)に川崎を主契約企業、三菱・富士・新明和工業・日飛を協力企業として、機体の試作が始まった。また、このSTOL実験機が国民から広く親しみを持ってもらうことを期待し、その愛称を日本全国の小中学生から募集したところ、4,563通の応募があり、その中から「飛鳥」が採用された。

「飛鳥」は1985年(昭和60年)10月28日に初飛行し、1989年(平成元年)3月まで、3年半の間に97回、計167時間10分の飛行実験を行なった。この間、同じUSB方式の高揚力装置を持つQSRA(関連PDF)の研究開発を行っていたNASAと国際共同研究を行い、相互の実験機の飛行性の評価を行った。この実験機はHUDやSCASなど、当時の最新技術が採用された。

研究成果を踏まえて量産化との期待もあったが、地方空港にも長い滑走路が整備されるようになったため、国策としてSTOL旅客機の開発の必然性が薄れたことや、STOL機は、開発技術力はあったとしても、個別機体開発ごとに多額の費用が掛かることが判明したため、実用化は見送られた(在来機は着陸時機首を下げると高度が下がり速度が上がるがSTOLは機首を下げると高度速度とも上る、高揚力時の揚心の後方移動など、特性が異なりSCASやFBWなど電子的補正が必要で開発費が掛かる)。※ 飛鳥の飛行特性資料 ちなみにアメリカ空軍においても、同形式のSTOL輸送機としてYC-14が、いささか方法は異なるが同じくSTOL輸送機としてYC-15が競争試作されているが、いずれも高コストを理由に不採用に終わっている。現時点において同様の形式のSTOL機として実用化されているのはアントノフ設計局 An-72/74のみである。

プロジェクト終了後、「飛鳥」は岐阜県各務原市のかかみがはら航空宇宙科学博物館に展示されている。

機体
実験機である「飛鳥」はC-1輸送機をベースに新造し、NALが開発した日本初の低騒音ターボファンエンジン「FJR710」4発をUSB(Upper Surface Blowing)方式で搭載し、(コアンダ効果による揚力増加を得るために)主翼上面に排気口を主翼に接して搭載されている。

エンジン排気を主翼上面に流し、フラップを下方へ曲げることで大きな揚力を生み出してSTOL性を確保した。また、境界層制御のために主翼前縁および補助翼前縁から空気を噴き出している。

エンジン配置以外は、C-1とほぼ外形が同じであり、T字尾翼を有し、主脚は胴体脇のバルジに収納している。なおエンジンを主翼上面に配置する事は、地上への騒音低減効果もあった。


スペック
全長 - 29.0m
全幅 - 30.6m
全高 - 10.2m
主翼面積 - 120.5m2
全備重量 - 38,700kg
エンジン - FJR710/600S ×4
推力 - 4,290kg
最大速度 - 600km/h
航続距離 - 1,600km
着陸距離 - 480m


用途:STOL研究機
分類:研究機
製造者:川崎重工業
運用者:航空宇宙技術研究所
初飛行:1985年10月28日
生産数:1機
運用状況:退役

鹿児島本線生みの親(串木野駅舎前) 長谷場 純孝

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串木野駅舎前に、鉄道国有化と鹿児島本線敷設の功績を讃え、胸像が建っている。国道3号線(鹿児島~熊本間)や鹿児島本線(鹿児島~川内間)敷設等の功績がある。
長谷場 純孝(はせば すみたか、嘉永7年4月1日(1854年4月27日) - 大正3年(1914年)3月15日)は、日本の政治家。

衆議院議員(11期)。

薩摩国日置郡串木野村(現在の鹿児島県いちき串木野市)出身。父は鹿児島藩の郷士。1871年に東京に上京。1872年、警視庁の羅卒(巡査)となり、少警部に進む。1877年、故郷へ戻って私学校に入り、西南戦争には西郷隆盛方として参加し、捕虜となる。1880年、特赦により出獄。

出獄後より国会開設運動に携わり、1885年から1887年まで鹿児島県会議員、1887年から1890年まで鹿児島の4郡の郡長となる。1890年の第1回衆議院議員総選挙で鹿児島県から当選し、以降11回連続当選。のち政友会設立に関わる。1908年から1911年にかけて1度目の衆議院議長を務めた。また、1911年の第2次西園寺内閣で文部大臣を務めるが、翌年病にかかり辞任。1914年、2度目の衆議院議長に就任し、シーメンス事件での混乱の中、議会の運営に当たるが、就任わずか9日で動脈瘤破裂のため急死する。

栄典
1910年(明治43年)12月27日 - 従四位
1912年(大正元年)12月18日 - 勲三等瑞宝章
1914年(大正3年)3月15日 – 従三位・勲二等旭日重光章

8620形蒸気機関車は日本で初めて本格的に量産された国産旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車。「ハチロク」と愛称され、国鉄蒸気機関車の末期まで全国で使用された。


68660号は大正12年につくられ鹿児島本線開通後の大正から昭和にかけて急行列車などに使用されていました。


王寺駅(JR西日本・関西本線:和歌山線)(近鉄)

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王寺駅(おうじえき)は、奈良県北葛城郡王寺町久度にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。

奈良県の西部に位置し、以下に挙げる2社4線が乗り入れている奈良県有数のターミナル駅である。駅周辺には商業施設や教育機関なども多数ある。

JR西日本の王寺駅に乗り入れている路線は、当駅の所属線である関西本線と、当駅を起点とする和歌山線の2路線である。和歌山線の列車には高田駅から桜井線(万葉まほろば線)に直通するものも存在する。アーバンネットワーク内にあり、関西本線は「大和路線」の路線愛称設定区間に含まれている。関西本線(大和路線)の駅番号はJR-Q31。

近畿日本鉄道は、王寺駅に生駒線が、隣接する新王寺駅に田原本線が乗り入れている。両路線とも当駅が起終点となっている。生駒線王寺駅の駅番号はG28、田原本線新王寺駅の駅番号はI43。

単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、計3面5線のホームを有する地上駅で、橋上駅舎である。

改札口は東側の橋上部と西側の地平部にあり、西側は近鉄生駒線の改札口に近接している。ホームにはエレベーターが設置されているが、エスカレーターは設置されていない。

日中のJR難波駅方面からの普通電車は当駅で折り返す。奈良・加茂・高田方面への快速列車は当駅より各駅に停車する。

構内には電留線が多く設けられ夜間留置が行われるほか、車両基地の吹田総合車両所奈良支所王寺派出所もあるため仕業検査も行われている。また、駅南側には保線基地の大和路線保線区と、和歌山線の畠田駅 - 五条駅間各駅と桜井線のすべての中間駅を管轄する王寺鉄道部が置かれている。

かつては、1番のりばに売店(幕の内ではあるが駅弁も販売、時刻表にも記載されていた)、ハンバーガーショップ(ドムドム→マクドナルド。中に仕切りがあり、改札外からも店に入ることができた)などがあったが、駅前広場改良工事に伴い解体された。なお、マクドナルドについては駅前再開発ビルの「りーべる王寺」地下に移転して営業を続けている。同じく1番のりば東端にはコンビニエンスストア(ハートイン)への入口があり簡易的に改札を兼ねていたが、自動改札機設置に伴い廃止された。その後、同ホームには証明写真撮影機と待合室が設置された。

駅長が配置されている直営駅であり、管理駅として関西本線の郡山駅・大和小泉駅・法隆寺駅・三郷駅の4駅を管轄している。アーバンネットワークエリアに属しており、ICOCA利用可能駅でもある。

のりば
のりば 路線 行先 備考
1 Q 大和路線 奈良・加茂方面
T 和歌山線 高田・五条・和歌山方面
2・3 Q 大和路線 天王寺・JR難波・大阪方面 一部4番のりば
4・5 T 和歌山線
U 万葉まほろば線 高田・五条・和歌山方面
桜井・天理・奈良方面
上記の路線名は旅客案内上の名称(「大和路線」・「万葉まほろば線」は愛称)で表記している。
基本的には上記のように案内されているが、ラッシュ時や運用上の都合から、大和路線天王寺方面の列車は一部4番のりばから発車する。 2012年3月のダイヤ改正以前は、万葉まほろば線の早朝1本だけの電車が3番のりばから出発していた。

和歌山線方面の列車は、日中はすべて大和路線JR難波駅からの直通列車となっているため、4・5番のりばから発車する旅客列車はない。

1番のりばが単式、2・3番のりばと4・5番のりばがそれぞれ島式となっている。2・3番のりばでは緩急連絡(主に2番乗り場に先発の快速列車、3番に後発の各駅停車)が行われる。JR難波駅 - 当駅間の系統の折り返しは3番のりばから行われる。1・2番のりばの間には2本の留置線が設けられている。

利用状況
JR西日本
2016年度の統計では1日平均乗車人員は24,369人(同社の駅の中では第38位)で、奈良県内のJR駅として、また、日本の郡部にある駅しては最多である。そして、和歌山駅よりも多い。

駅周辺
当駅は北側を流れる大和川と南側の丘陵地帯に挟まれた狭い平地に立地する。同平地は当駅の他、工場などが密集しており、住宅、駅前には商業施設、金融機関などが立地している一方、商業地の広がりは小さく、大半が住宅地となっている。周辺ニュータウンなどを駅勢圏に含む。2014年7月1日から駅周辺が路上喫煙禁止条例による対象区域に指定。

北側
JRの西・北口及び近鉄両駅側。西友を核店舗とし東西2棟で構成される複合ビル「りーべる王寺」が駅前広場を挟んで立地する。銀行や飲食店なども入居している。

三室山
王寺駅前交番
リーベル王寺
西友
王寺町地域交流センター
三菱UFJ銀行
南都銀行
奈良中央信用金庫
王寺駅前郵便局
王寺町中央公民館
奈良県西和医療センター
南側
JRの南口側。駅前広場周辺にはスーパーマーケットや飲食店、自転車駐車場などがある。

奈良交通王寺案内所
西日本旅客鉄道王寺鉄道部・大和路線保線区
ニチアス王寺工場
恵王病院
王寺町役場
王寺町やわらぎ会館
奈良県広域消防組合 西和消防署
西和警察署
王寺交番
王寺アリーナ
王寺町立図書館
王寺郵便局(集配局)
奈良県立王寺工業高等学校
三井住友銀行
京都銀行
南都銀行
岡安証券
バス路線
バスロータリーは、駅の北口と南口にあり、停留所名は王寺駅となっている。路線バスは、奈良交通が運行している(奈良交通西大和営業所の項を参照)。高速バスは、奈良交通と京成バスが共同運行しているやまと号や、西日本JRバスとJRバス関東が共同運行しているドリーム号が乗り入れる。

1890年(明治23年)12月27日 - 大阪鉄道 (初代)が奈良駅 - 王寺駅間を開業した際に、同路線の駅(一般駅)として設置。当時は奈良方面からの終着駅であった。
1891年(明治24年)
2月8日 - 大阪鉄道線が当駅から稲葉山仮停車場(現在の三郷駅 - 河内堅上駅間に存在)まで延伸。途中駅となる。
3月1日 - 大阪鉄道線が当駅から高田駅まで延伸(現在の和歌山線にあたる)。
1892年(明治25年)2月2日 - 大阪鉄道線の稲葉山仮停車場と亀瀬仮停車場間の開業(両仮停車場はこの時に廃止)により、奈良駅 - 湊町駅(現在のJR難波駅)間の路線が直結する。
1900年(明治33年)6月6日 - 大阪鉄道の路線を関西鉄道が承継。同社の駅となる。
1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、関西本線所属となる。
1920年(大正9年)10月 - 駅舎改築。橋上駅舎化まで使用。
1945年(昭和20年)7月24日 - 王寺駅を狙った空襲を受ける。
1974年(昭和49年)4月 - みどりの窓口の営業を開始。
1978年(昭和53年)
1月26日 - 橋上駅舎に改築。それ以前に王寺町により建設されていた駅南北をむすぶ歩道橋(久度大橋)に直結される。
10月25日 - 地平の旧駅舎が改装され、日本旅行がミディショップを開店。
1982年(昭和57年)8月2日 - 集中豪雨による大和川の氾濫により構内電留線が水没し、停留していた101系60両が被災、54両が廃車になる。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物の営業が廃止され、旅客駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、関西本線で「大和路線」の愛称を使用開始。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2008年(平成20年)3月15日 - おおさか東線の放出駅 - 久宝寺駅間の部分開業によるダイヤ改正に伴い、新設された直通快速の停車駅となる。
2009年(平成21年)10月4日 - 大阪環状・大和路線運行管理システム導入。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
電報略号 オシ
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 3面5線
乗車人員
-統計年度- 24,369人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1890年(明治23年)12月27日
乗入路線 2 路線
所属路線 Q 関西本線(大和路線)
駅番号 JR-Q31
キロ程 149.3km(名古屋起点)
加茂から28.4km
◄JR-Q32 法隆寺 (3.6km)(1.8km) 三郷 JR-Q30►
所属路線 T 和歌山線
キロ程 0.0km(王寺起点)
(2.6km) 畠田►
備考 直営駅(管理駅)
みどりの窓口 有

458スペチアーレ(フェラーリのミッドシップスポーツカー)

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458スペチアーレ
2013年8月20日、458スペチアーレを発表。458イタリアの570PSから35PS増え605PSとなり、0-100km/h加速は3.4秒から3.0秒に短縮された。フロントバンパーとリアデュフューザーは専用のものが奢られた。日本での価格は3,290万円。限定生産モデルではないが、イギリスに割り当てられたオーダー枠は受け付け締め切り後に注文したジェームズ・メイのために1台増やされている。

458イタリア(458 Italia )は、イタリアの自動車メーカー、フェラーリのミッドシップスポーツカーである。

車名の458は4.5Lのエンジン排気量と8気筒を表す。発売当時の税込み価格は、本国イタリアで19万7,000ユーロ 、日本では2,830万円。

シャーシ、ボディ、エンジンは総アルミ製でサスペンションアームも鍛造アルミ製。車体重量は1,380kgに収まっている。ブレーキはブレンボ製モノブロックキャリパーでブレーキローターはセラミックカーボン製。 タイヤはブリヂストンポテンザS001、ピレリP ZERO、ミシュランパイロットスーパースポーツの中から発注時に選択する。ピレリとミシュランの指定空気圧は同一だがポテンザのみ指定空気圧が高い。ミシュランとブリヂストンの重量を比較すると、タイヤ一本あたり約2kgミシュランが軽い。このため正規ディーラーの中には軽量なミシュランとオプションの鍛造ホイール装着を推薦することが多い。タイヤの空気圧が低下した場合にタイヤがたわみ、リムがサイドウォールを押し潰すと全周が断裂する事故が生じるので、これを防ぐために、オプションの空気圧センサーの装備も推奨されている。


F430の後継として2009年7月28日にデザイン・主要諸元が公開され、同年9月15日のフランクフルト・モーターショーにて正式に発表された。2010年8月までに製造された1,248台のうち、エンジン断熱材固定用接着剤が可燃性であったために車輌が炎上する事故が、カリフォルニア州、パリ市、スイス、中華人民共和国などで5件以上相次いだ。これを受けて同年9月にフェラーリは458の全車をリコールし、断熱材はリベットによって固定するように改善された。なお、中華人民共和国向けのモデルに限り、右リア上部に「458 Italia」のロゴバッジ(シール対応)が付く。

2010年12月からは、日本やイギリス、オーストラリアや香港などに向けた右ハンドル車も注文可能となり、2012年4月からは458スパイダーの右ハンドル車も受注が開始された。なお右ハンドルはオプションではなく左ハンドルの場合と同一価格である。シートは標準品のほか、デイトナシートとセミバケット式レーシングシートを選択することができる。レーシングシートのシート幅は3種類用意されているが手動式調整機構になる。標準シートとデイトナシートでは、3つまでポジション記憶させられるフル電動式機構のオーダーが可能で、プリセットボタンを押すとシート位置やバックレスト角度のほか、ステアリング上下・前後位置も自動調整される。

スパイダーの登場に伴い、クーペについては磁性流体ダンパーのソフトウェアが改められた他、センサーが一個追加され、走行特性可変システム“マネッティーノ“のRACEモード実行時にDCTとトラクション制御システム“F1トラック”のレスポンスがさらに上がるという変更が施され、既存のオーナーも希望をすれば同じプログラムが書き込まれた新CPUユニットの換装とセンサーの有料でのレトロフィットが可能となった。


製造国 イタリア
販売期間 2009年 - 2015年
デザイン ピニンファリーナ
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドアクーペ
スパイダー
エンジン 4.5L V型8気筒 DOHC
駆動方式 MR
最高出力 425kW (578PS) /9,000rpm
最大トルク 540N·m (55.1kgf·m) /6,000rpm
変速機 7速DCT
サスペンション 前: ダブルウィッシュボーン
後: マルチリンク
全長 4,527mm
全幅 1,937mm
全高 1,213mm
ホイールベース 2,650mm
車両重量 1,380kg
先代 F430
後継 488GTB

PC-39巡視艇、3代目たまなみ(玉野海上保安部)

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ことなみ型巡視艇(ことなみがたじゅんしてい、英語: Kotonami-class patrol craft)は、海上保安庁の巡視艇の船級。区分上はPC型、公称船型は23メートル型。

2010年7月1日に港則法および海上交通安全法の一部が改正され、海上交通センターは、各種船舶の位置・動向に関する情報提供にとどまらず、必要に応じて勧告や航路外での待機指示を行うようになった。

また監視対象船舶の下限が引き下げられ、自動船舶識別装置(AIS)非搭載の小型船も多く対象に含まれるようになったことから、体制の強化が求められていた。

これに応じて、航路哨戒にあたる巡視艇の増強・老朽更新が必要となり、その第1陣として建造されたのが本型である。

船質はアルミニウム合金製であるが、操舵室は防弾仕様となっている。

航路哨戒という業務から、後方を含めて操舵室には全周に窓が設けられており、大型船のウイングに相当する部分は外側に張り出すなどして視界を確保している。

なお吃水線直下の船体側面には、船首付近から船尾までフィンが設置されているが、これはビルジキールやトリム・タブほどではないものの、減揺・防振効果に優れているとされる。

主機関はMTU製で、コンパクトかつ静音性にも優れる。推進器は、平成22年度計画艇ではウォータージェット推進器とされていたが、平成24年度補正計画艇では固定ピッチ・プロペラとされている。なお本型のような小型艇の場合は、造水装置をもたないことから、清水の搭載量が連続行動時間の目安となり、本型の場合は1泊2日が基本となる。また、船体が小さいことから、操舵室後方の階段が座席を兼ねるように設計されている。

操舵室上にはレーダーと夜間監視装置が備えられており、また上部構造物側面には発光ダイオードを用いたハードタイプの停船命令等表示装置(電光掲示板)が設置されている。なお停船命令等表示装置については、1・2番船の運用実績を踏まえて、平成24年度補正計画艇では装備位置を一段高めているほか、呼称も防災情報等表示装置に改められた。また海中捜索装置(ソナー)も装備された。

船首甲板には放水銃が設置されている。なお上部構造物後方右舷には複合艇が搭載されているが、平成24年度補正計画艇ではその揚降用クレーンが多目的クレーンと位置づけられており、操舵室後方に救援物資用スペース、また船尾甲板も災害対応用デッキとされた。さらに、排ガス規制の強化に伴い浄化装置を設けている。

 艇記号・番号・艇名   竣工   造船所    管区   配置
 PC-39 たまなみ    H29.03.22  長崎     第六管区  玉野

新巡視艇は全長27メートル、幅5・6メートル。高性能レーダーや夜間監視装置、啓発用の電光掲示板などを搭載


遠方への派遣にも備え、個室2室、相部屋は2人用2室、4人用1室を備え、居住環境も充実。シャワーやトイレも女性専用があり乗組員9人のうち、2人が女性となった。

老朽化した巡視艇(しきなみ型、あきづき型)の代替船で、両型が航路哨戒を主務としていたことから本型も操舵室からの全周の視界を確保するなど任務に適した設計がなされています。


航走中の安定性に優れ(あきづき型)では無理だった海象下でも最高速力が出せるようになっています。
本型は航路哨戒を主務とする巡視艇ですが、操舵室は防弾仕様となっており、乗務員は乗務の際、自動小銃と拳銃を携行。


湘南工作所が開発した「停船命令等表示装置」は3色の発光ダイオードの集合体で、パソコンのソフト次第でさまざまな言語のメッセージをカラー表示することが出来ます。
船底には船首付近から船尾までぐるりと囲んでいる”ヒレ”があり、驚くほど減揺、防振効果がある。

艦種 23メートル型PC
就役期間 2012年 - 現在
前級 なつぎり型
次級 -
要目
総トン数 64トン
全長 27.0メートル (88.6 ft)
最大幅 5.6メートル (18 ft)
深さ 2.8メートル (9.2 ft)


主機 ディーゼルエンジン×2基
推進器 2軸
速力 25ノット以上
搭載艇 3.8メートル型複合艇
レーダー 航海用×1基
光学機器 夜間監視装置
ソナー 海中捜索装置

 

 

杉本町駅(JR西日本)阪和線

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杉本町駅(すぎもとちょうえき)は、大阪府大阪市住吉区杉本三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線の駅である。駅番号はJR-R26。副駅名は、大阪市立大学前。大阪市立大学の最寄り駅で学生の利用が多く、阪和線の大阪市内では最大の利用者数の駅です。

概要
かつては、八尾駅が起点の関西本線貨物支線(阪和貨物線)の終点であり、2004年までは線路保全のために1日1往復運行する回送列車(錆取り列車)が運転されていた。同線は2004年7月1日に営業が休止され、2009年3月31日付で正式に廃線となった。

またかつては、当駅で天王寺駅方面へと折り返す普通も運行されていた。

駅構造
島式ホーム2面4線を有する地上駅で、快速電車および特急列車の待避が行われている。有効長は6両編成分。駅舎は上り線西側の天王寺寄りにあり、各ホームへは跨線橋で結ばれている。

跨線橋は旧阪和電鉄創業当時の面影を色濃く残しているが、ホーム幅員の狭さ(4.5m)とともに当駅のバリアフリー化を阻む要因となっている。改札口に改札機は3台。頭上の発車案内は2列車表示です。

堺市駅が管轄している直営駅で、JRの特定都区市内制度における「大阪市内」に属しており、阪和線の大阪市の駅としては最も南に位置している。切符売場に券売機は3台。みどりの窓口も営業しています。

のりば
のりば 路線 方向 行先
1 R 阪和線 上り (通過列車のみのため閉鎖)
2 R 阪和線 上り 天王寺・大阪方面

3 R 阪和線 下り (通過列車のみのため閉鎖)
4 R 阪和線 下り 鳳・関西空港・和歌山方面
奇数番線(1・3番のりば)が本線、偶数番線(2・4番のりば)が待避線であるが、2006年7月29日付で1・3番のりばにステンレス製の安全柵が整備された。現在停車列車はすべて2・4番のりばを使用している。


線路配置
西側から1番線(上り本線)、2番線(上り待避線)、3番線(下り本線)、4番線(下り待避線)、5番線(阪和貨物線)となっている。

阪和貨物線へ送り込むための待避線である6番線が駅の南側の上下線の間にあり、駅構内の上り待避線の2番線へとつながっている。かつては、駅南の踏切あたりでバラストによって2番線につながる部分が塞がれており(天王寺方面からの杉本町行きの列車に対する安全側線の意味もあった)、待避線は阪和貨物線のためだけに使われていた。しかし、関西空港線の開業に合わせてバラストは撤去され、阪和貨物線に入る列車がいない時は6番線経由で2番線に入るようになった。これにより、僅かではあるが普通列車の待避時間が短縮された。踏切部分にあるポイントは、6番線 - 2番線間をバラストで塞いでいた当時の名残で阪和貨物線が廃止になった現在では不要とも言えるが、異常時に備えて現在でも線路磨きを兼ねてこのポイントを通る列車がある。なお、6番線から5番線へのポイントはすでに使用停止になっており、5番線も阪和線から分かれるあたりに簡易な車止めが設置されている。

かつては天王寺寄りに上下渡り線があったが、高架工事を機に撤去された。

開かずの踏切
この駅の南北に踏切があり、それらの踏切はラッシュ時には最大40分間も遮断機が上がらない「開かずの踏切」と呼ばれている。また、待ちきれなくなった通行人が遮断機を越えて渡ろうとし電車にひかれてしまうといった痛ましい事故もたびたびおこっており、これらの踏切が駅の利用者や地元住民を悩ませている。2004年に阪和線美章園駅 - 我孫子町駅間の上り線(天王寺方面)が、2006年には下り線も同区間で高架化されたが、着工当時は関西本線貨物支線(阪和貨物線)に列車が走っていたため、杉本町駅の高架化は見送られた。

東口
この駅の改札口は西側にしかなく、大阪市立大学など駅の東側に行くには前述の踏切を渡らなければならなかった。停留場としての開業当時は東側(大阪市立大学がある側)に改札口が設けられたが、第二次世界大戦後にGHQが大阪市立大学を全面接収すると、セキュリティ上の理由から現在の位置に改札口が移設された。MBS『VOICE』の「憤懣本舗」ではGHQの時代で話が終わっているが、昭和30年頃に国鉄が改めて東側に改札を開設しようとしたところ、今度は西側出口周辺の商店街店主を中心とした反対活動が起こり、国鉄側も設置に消極的な状況が続いていた。

2008.年7月「JR杉本町駅東口設置推進の会」が大阪市立大学の教員有志や地域自治会の賛同者などで設立され、以後活発な東口設置運動が展開された。 数度にわたるシンポジュウムで理解を深め賛同者を増やし、バリアフリー法による住民提案を行ったが大阪市の受け入れるところとならず、推進の会を中心とする東口設置に関する協議会が作られ、地域住民も一体になって1万3千名にもの署名を集めるなど、危険な踏切を渡らずに駅東側への安全な東口設置への促進が強力に行われた。 そして、ようやく2011年6月に東口改札の工事が着工された。(工事の着工当時はJR西日本と大阪市は2012年度7月30日を完工予定と発表していた)

その後、当初発表されていた予定よりも大幅に前倒しされ、2012年3月11日(既存西口のバリアフリー化「エレベータ新設・階段昇降機新設 等」と合わせて)供用が開始された。

この東口開設に伴い、大阪市立大学は「北西門」を新設した(北西門は学生・教職員からの名称募集を行い、のちに「杉本門」と決定される)。また大阪市建設局は東口から杉本町駅南踏切東側(大阪市立大学本館地区側)へのアクセスを改善するため、駅東側に「歩行者用南北通路(住吉区第2564号線)」を着工し、2012年12月19日に開通した。

しかし、根本的解決の南北2踏切撤去には駅の高架化が必要であり、杉本町駅のバリアフリー化が完成された訳ではない。JR西日本としても、過密ダイヤの阪和線の安全運行のためには高架化が必須と考えており、東口の新設も高架化工事を前提として行われており、地域住民と大阪市の高架への努力が待たれるところである。

利用状況
大阪市立大学杉本キャンパスの最寄り駅であり、特に学生利用が終日多い駅である。阪和線の普通列車のみ停車する駅では利用者数が最も多い。

駅周辺
大阪市立大学杉本キャンパス
浪速高等学校・中学校
大阪市立山之内小学校
建国小学校・中学校・高等学校
山之内保育園
バス路線
大阪市営バス(杉本町駅前停留所)
65号系統 矢田行基大橋行、府立総合医療センター行


1929年(昭和4年)7月18日 - 阪和電気鉄道が阪和天王寺駅(現在の天王寺駅) - 和泉府中駅で開業した際に、同線の停留場として開業。
1932年(昭和7年)1月23日 - 認可により駅(停車場)に昇格。
1940年(昭和15年)12月1日 - 阪和は南海鉄道へ吸収合併され、南海山手線の駅となる。
1944年(昭和19年)5月1日 - 戦時買収により国有化され、鉄道省(国鉄)阪和線の駅となる。
1952年(昭和27年)9月1日 - 関西本線貨物支線(八尾駅 - 杉本町駅間)が開業し、当駅に乗り入れる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
1993年(平成5年)7月1日 - 阪和線運行管理システム(初代)導入。
2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
2006年(平成18年)7月29日 - 1・3番のりばにステンレス製の安全柵を設置。
2009年(平成21年)3月31日 - 関西本線貨物支線(八尾駅 - 杉本町駅間)廃止。
2012年(平成24年)3月11日 - 東口改札を新設。既存の西口をバリアフリー化(エレベーター新設・階段昇降機新設 等」を含む)。
2013年(平成25年)9月28日 - 阪和線運行管理システムを2代目のものに更新。
2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

駅番号 JR-R26
所属事業者 JR logo (west).svg西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 R 阪和線
キロ程 6.9km(天王寺起点)
電報略号 スキ
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線(乗降は2面2線のみ)
乗車人員
-統計年度- 9,245人/日(降車客含まず)
-2016年-
開業年月日 1929年(昭和4年)7月18日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
阪 大阪市内駅

杉本町駅
すぎもとちょう

◄八尾 (11.3km)
所属事業者 西日本旅客鉄道
所属路線 関西本線(貨物支線)
キロ程 11.3km(八尾起点)
開業年月日 1952年(昭和27年)9月1日
廃止年月日 2009年(平成21年)3月31日


ドクターイエロー( 3000番台)

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ドクターイエローとは、新幹線区間において、線路のゆがみ具合や架線の状態、信号電流の状況などを検測しながら走行し、新幹線の軌道・電気設備・信号設備を検査するための事業用車両の愛称である。

「ドクターイエロー」は通称であり、正式名称は「新幹線電気軌道総合試験車(しんかんせんでんききどうそうごうしけんしゃ)」である。通称は、車体色の黄色に由来している。
東北新幹線区間などでは、白ベースに赤の塗装の編成である東日本旅客鉄道(JR東日本)E926形が使用され、「East i(イースト アイ)」(正式名称は「電気軌道総合試験車〈でんききどうそうごうしけんしゃ〉」)と呼ばれる。。
これらの試験車による検測結果は、東海道・山陽新幹線においては新幹線情報管理システム (SMIS)、東北・上越・北陸・北海道新幹線においては新幹線総合システム (COSMOS) に送られ、それぞれ乗り心地の向上や安定した集電、信号トラブルの未然防止などを目的とした保線作業のデータとして使用される。
これらの非営業用車両の車両形式は、「系」や「型」ではなく「(900系)○○○形=がた(○○○○番台)」と表記する(例:900系923形3000番台=T5編成)。
運行は10日に1回程度であり、走行時刻も非公開であるため、鉄道ファンを中心に「見ると幸せになれる」など、縁起物のような扱いをされる。
基本的には路線の点検作業のみに使用されるが、阪神・淡路大震災では建設資材輸送に使われるなど、緊急時には例外的な運用も行われる。

922形T2・T3編成の老朽化や、300系以降の250km/h超の車両増加などにより、270km/hでの走行が可能な車両として700系をベースに開発された。

1 - 3号車は日立製作所笠戸事業所、4 - 7号車は日本車輌製造豊川製作所で製造された。
T3編成までの軌道検測車(付随車)は、3台車の相対変位を測定する方式であり車体長も短かったが、T4編成以後はレーザー光を使用した方式に改良され、他の車輌と同じ2台車で車体長も同じになっている。形式も他号車と同じく923形に含まれている。
先頭部には、前照灯の下方、車体中央に前方監視カメラが設置されている。また、尾灯がこのカメラの左右に配置されており、営業用の700系では尾灯となっている左右の2灯も前照灯(この灯火のみ、キセノンやHIDライトと呼ばれることもある、白色のディスチャージヘッドランプ)となっている。このため、前照灯は700系の4灯に対し6灯となり、視認性の向上が図られている。
車体色の黄色が、T3までの編成(黄色5号)に比べて明るく鮮やかなもの(マリーゴールドイエロー)となっている。また、2号車と6号車にはそれぞれ集電用1基、検測用1基のパンタグラフが搭載され、1両に2基のパンタグラフが並んでおり、営業車には例のない長大なパンタグラフカバーと相まって、ユニークな外観となっている。
なお測定走行時には、測定用パンタグラフは進行前方の車両、集電用パンタグラフは進行後方の車両のものを使用し、同一車両の2基のパンタグラフを同時に上げて走行することはない(試運転等、測定以外の特殊な運転の場合は除く)。
走行機器もベースとなった700系に準じているが、編成が短くなったことから、1ユニットを構成する車両数が4両から3両(M1c+M'+M2)に減らされている。それに伴い、新たに制御電動車 (M1c) が設定されたほか、従来は付随車に搭載されていた空気圧縮機や補助電源装置といった補機類が電動車に集約して搭載された。また、計測機器などの電源用および停電対策用として、M'車車内に210kVA電源装置および鉛蓄電池を搭載する。
1号車:変電/電車線/信号/通信測定台・電気/施設測定機器
2号車:高圧室・電気関係測定機器
3号車:観測ドーム・電気倉庫・電力データ整理室
4号車:(軌道検測車)軌道検測室・施設データ整理室・施設倉庫
5号車:多目的試験・電源供給・観測ドーム・休憩室
6号車:ミーティングルーム・高圧室・電気関係測定機器
7号車:電気/施設測定機器(添乗室があり700系普通車と同様の車内。カラーの大型プラズマディスプレイも備える)
なお、923という形式称号は2代目にあたる。先代はレール探傷車が名乗っており、2代目923形が登場した時点ではJR西日本に923-2が在籍していた。


3000番台
2003年のダイヤ改正で高速化された東海道新幹線において、922形T3編成の210km/hでの検測運転では営業車両との性能差からダイヤに支障し、またT3編成自体の老朽化も進んでいたことから、これを置き換える目的で2005年に登場した。JR西日本博多総合車両所に所属し、T5編成と呼ばれる。2005年3月上旬にそれぞれのメーカーから陸上および海上輸送により博多総合車両所に運ばれた。


仕様は923形0番台T4編成とほぼ同一である。T4編成との外観上の差異は、車体側面に博多総合車両所でメンテナンスを行う際のジャッキアップ時にリフトを差し込むための穴があること、および7号車屋根上のアンテナの有無(T4編成にはない)のみである。


博多総合車両所所属でありながら普段は東京に常駐しているため、保守を容易にするため台車もT4編成と同一にしてある。また、定期検査はJR東海に委託し、交番検査が東京交番検査車両所、台車検査・全般検査が浜松工場の施行となっている。

運用
主要駅停車の「のぞみ」(「ひかり」)検測と、各駅に止まる「こだま」検測の2種類があり、通常各タイプとも同じダイヤで営業時間帯に運転される。
「のぞみ」タイプと「こだま」タイプのどちらも、基本的に2日かけて検測を行い、1日目に東京 → 博多、2日目に博多 → 東京となることが多い。ただし、新大阪駅到着時にいったん大阪仕業検査車両所に入区することが多い。


東海道新幹線開通間もないころは、営業列車のない深夜に検測を行っていたが、営業列車と同じ速度で検測可能なT2編成(922形10番台)が1974年に登場してからは昼間に検測を行うようになった。当時は「ひかり」検測は3日かけて、「こだま」検測は4日かけて行った。
ドクターイエローの運用について、区間や走行時刻などの詳細は全く公表されないため、「ドクターイエローを目撃すると幸せになれる」という都市伝説がある。このため、プラレールや鉄道模型(関水金属・トミーテックが発売)といった関連商品が多く売れている。

1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では、東海道新幹線の復旧工事で必要なモルタル輸送にドクターイエローが用いられた。車内いっぱいに積み込まれた200袋のモルタルと24人の作業員を東京から京都まで輸送する任に当たった。
2008年5月26日、JR東海はN700系に上下方向のみの軌道検測システムを取り入れると発表した。

製造所 日立製作所笠戸事業所(1 - 3号車)
日本車輌製造(4 - 7号車)
主要諸元
編成 7両(6M1T)
軌間 1,435 mm
電気方式 交流25,000 V 60Hz
最高速度 270 km/h
起動加速度 2.0km/h/s
編成定員 非営業車両
全長 27,350 mm(先頭車)
25,000 mm(中間車)
全幅 3,380 mm
車体高 3,650 mm
台車 コイルばね+円錐積層ゴム式ボルスタレス台車
TDT204(電動車), TTR8001(付随車)(T4編成)
WDT206(電動車), WTR8001(付随車)(T5編成)
主電動機 かご形三相誘導電動機
TMT6A,TMT7A,TMT8(T4編成)
主電動機出力 275kW/基
駆動方式 WN駆動方式
歯車比 2.96
編成出力 6,050kW 
制御装置 VVVFインバータ制御 (IGBT)
制動装置 回生併用電気指令式ブレーキ(応荷重装置付き)、渦電流ブレーキ
保安装置 ATC-1型、ATC-NS

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