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掩体壕 帝国海軍高知飛行場

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2号掩体壕

南国市ののどかな農村風景を見ながら車で走っていると、黒い口を開けたかまぼこ型の人工物が突然目に飛び込んできます。掩体壕または掩体と呼ばれ、戦時中に航空機を空爆から守るために造られました。鉄筋コンクリート造りで頑丈に出来ています。戦後、木造などで撤去可能なものは撤去されたものの、幅42メートル、奥行き22メートル 、高さ10メートルの大型の掩体壕をはじめ、全部で7基がそのまま残されています。

2号掩体壕
2号は前浜公民館のすぐ近くにあります。

掩体壕は、航空機を敵の攻撃から守るための格納庫。掩体、掩蔽壕(えんぺいごう)、掩壕とも言う。 通常は、コンクリート製で、少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしており、内部に航空機を収納する。

1号掩体壕:他の6基が南向きに対しこの掩体壕だけ西向きです。アメリカのグラマン戦闘機による機銃掃射により大小60個の弾痕がついています。

簡易なものは爆風・破片除けの土堤のみであり、屋根(天井)が無いものもある。なお英語ではBunker(バンカー)と呼ばれ、名称上は武装拠点であるトーチカと区別されていない。

陸上自衛隊では「掩体」、航空自衛隊ではこれを行政上は「えん体」、運用上は「シェルター」と呼称されます。戦争遺跡のイメージが強い掩体壕ですが、この種の格納庫は現在も自衛隊や各国の軍の飛行場に存在します。

1944(昭和19)年、当地に開設された高知海軍航空隊の飛行場の格納庫として有蓋型9基・無蓋型32基、合計41基が建設されました。戦後、同飛行場は民間の高知空港になって掩体壕一帯は農地に戻されますが、7基の有蓋掩体壕が現存しています。

7号掩体壕
戦後、後部を打ち抜いて道と水路が通っています。
南国市の掩体壕には「むしろ」やセメント袋の後が付いています。

これは壕と同じ大きさの土饅頭を作り近所の中学生やお母さん高知刑務所の受刑者などで踏み固めその土の上に「むしろ」やセメント袋を敷き詰め、その上にセメントを流し込み塗り固める。

そしてセメントが固まったら中の土を全て取り除きドームを作っていたため「むしろ」やセメント袋の後が付いているのです。

高知海軍航空隊は偵察搭乗員を養成する部隊であり、白菊という機体で訓練を行っていました。しかし大戦末期には訓練機をも特攻に使用。同航空隊からも神風特別攻撃隊菊水部隊白菊隊として26機が鹿児島県の鹿屋基地を経て沖縄へ出撃し、52名が戦死しました。

4号掩体壕
国内最大の掩体壕、四号掩体です。一式陸攻が格納されていたとされている。

その為、後部の作りが他の掩体壕と形が違っています。戦時中には芝生をひいてカモフラージュしていたとのこと。


高さ10m・幅45m・奥行22m

3号掩体壕
県道のそばにあり前面にツタが生えている。


5号掩体壕
農道に接近しています。

 

 


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