宮浜温泉への玄関駅でもある。大野浦駅(おおのうらえき)は、広島県廿日市市塩屋一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅。近くには上田宗箇の墓、今川貞世歌碑、千人塚、妹背の滝前などがあります。かつては「広島シティ電車」の折返し電車がありましたが、今は全列車岩国直通となりました。
宮浜温泉は1964年(昭和39年)の開湯で、宮島を望む浜辺にあることから「宮浜」と名付けられた。以後は宮島観光の拠点、または広島の奥座敷として発展。瀬戸内海の沿岸に旅館が立地し、日本三景で知られる宮島を望む。カキやアナゴ、アサリなどが名物となっています。
大野駅前に所在する石碑、一里塚跡と今川貞世歌碑。今川貞世(今川貞世(号は了俊・りょうじゅん)は応安4年(1371)足利義満から九州探題に任ぜられ、その任地に下がるとき大野を通過したとき景色を詩に詠んだ。)は数多く歌を詠んでいるが、そのうち三首が歌碑としてある。「おおのうらをこれかととえばやまなしのかたえのもみじ 色に出でつつ」。
写真は駅前の一里塚の跡
千人塚。慶応2年(1866)6月12日幕府軍が大竹村に向かって大野村を通過した時から8月8日幕府軍が敗れて大野村を総退却するまでの二ケ月間、ここで激戦が繰り返され、最も激しかった合戦は、6月19日の払暁戦で紀州新宮藩士 橋本角兵衛ほか6名が、戦死しています。これらの戦士の墓は、この戦いで戦死した無名戦士の墓と同じところ(大頭神社の入口)に葬りました。
駅の構造ですが高低差と、ホーム・駅舎の位置の関係でちょっと変わった構造になっています。改札を出ると、上りの階段と下りの階段があります。右側、下りの階段は広島方面。左側、上りの階段は岩国方面のホームへ繋がっています。
単式・島式の複合型2面3線のホームを持つ地上駅。2・3番線が島式ホームです。駅舎は1番ホーム側にあり、島式ホームへは跨線橋で連絡しています。ICOCA利用可能駅。西広島駅が管理し、ジェイアール西日本広島メンテックが駅業務を受託する業務委託駅です。
大野浦駅プラットホーム
1■山陽本線上り宮島口・広島方面
2■山陽本線上り宮島口・広島方面当駅始発のみ
3■山陽本線下り岩国・柳井方面
上り本線は1番のりば、下り本線は3番のりば。2番のりばは上下共用の待避線(中線)である。
広島方面から来ると、当駅は五日市駅の次に折り返し設備のある駅である。かつては国鉄のフリークエンス化対策で広島駅 - 当駅間で折り返し運転を行う列車が多く設定されていた(その後岩国駅まで延長)。なお2009年(平成21年)8月時点では下り定期列車が1日1本、2番のりばに入線するのみであった。
大野浦駅 - 五日市駅間で列車事故等が発生した際は、岩国方面からの列車が2番のりばで折り返し運転を行う。
宮島水中花火大会に伴い、宮島口駅止まりの臨時列車が設定される際、当駅まで回送され2番のりばで折り返し運転を行う。
広島車両所を出たDLの試運転が2番のりばに入線することもある。
2010年(平成22年)3月13日のダイヤ改正より、平日のみ夕方の通勤時間帯に岩国駅発着列車の運転区間を短縮する形で、当駅折り返し運転を行う定期列車が設定された。同時に下り定期列車の発着は3番のりばに統一されたが、現在も臨時列車がある場合は下り列車でも2番のりばを使用するケースがある。南側に行くには出口がないので離れた踏み切りを利用しなくてはいけません。
1917年(大正6年)7月13日 - 国有鉄道山陽本線の宮島駅(現・宮島口駅) - 玖波駅間に大野浦信号場として設置。
1919年(大正8年)3月16日 - 駅に昇格、大野浦駅として開業。旅客営業のみ。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2005年(平成17年)4月1日 - 駅業務をジェイアール西日本広島メンテックに委託。
2007年(平成19年)
6月18日 - ICOCA対応簡易型自動改札機導入。
9月1日 - ICカード乗車券『ICOCA』使用開始。
2010年(平成22年)3月13日 - 老朽化を理由に、字幕式の発車案内を撤去。
電報略号ノラ
駅構造地上駅
ホーム2面3線
乗車人員
-統計年度-1,654人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日1919年(大正8年)3月16日
備考業務委託駅
みどりの窓口 有