唐津市民生活や産業界を財政面で支え、また西洋文化の象徴であった旧唐津銀行本店。建築を発注したのは、弱冠26歳にして唐津銀行を開業し、初代頭取になった大島小太郎。
大島は藩の洋学校「耐恒寮」のかつての同窓生、建築家の辰野金吾に設計を依頼しますが、辰野は国家プロジェクト「東京駅」設計工事の真っ只中。そこで辰野は愛弟子の田中実に設計を委ねました。辰野は監修者として設計を見守り、田中は師匠の故郷を前に、崇高な使命感と意欲で建築に挑んだのです。
旧唐津銀行は、まさに3人の情熱が生んだ珠玉の作品。彼らの情熱を無駄にしないよう、復原修復においては、最先端技術を駆使しながらも、職人たちの手によりディテールの一つ一つに至るまで徹底して忠実に再現されています。
シックでモダンな受付カウンター
1854年、唐津藩に生まれた辰野金吾は大変な努力家として知られています。工部大学校造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)入学時には学力不足で下位入学でしたが、猛勉強の末、主席で卒業。のちにロンドン留学を通じて建築学を究めます。留学後、同大学校の日本人初の教授として日本建築教育の礎を築き、また日本人初の建築設計事務所を開設して日本に初めて“建築家”という職能を確立させました。生涯で携わった設計は、日本銀行本店や奈良ホテルなど200余り。明治20年には日本建築学会を設立し、会長に就任しています。
かつては行員が忙しく行き交っていた空間も、今では多目的ホールとして一般に広く利用されています。市民ギャラリーや音楽演奏会、公開講座などの文化イベントが不定期で開催される。
赤レンガと白御影石によるコントラストが印象的な旧唐津銀行は、「辰野式」と呼ばれるデザインが特徴。辰野は晩年、赤レンガスタイルの建築をこよなく愛したといいます。設計スタイルは、まちを賑やかに飾ることを意図したイギリスの「クイーンアン様式」を日本化したもので、アーチ窓や王冠のような尖塔などに辰野式の特徴を見ることができます。田中実は、師の故郷に対する思いを汲み取り、全体に辰野式を取り入れながらも独自のモダンな感覚をプラス。当時最新の建築材料であるタイルをはじめ、飾り柱、壁の漆喰仕上げなども最新の器具・意匠で仕上げられています。
旧唐津銀行
所在地:佐賀県唐津市本町1513-15
竣工:1912年(明治45年)
設計監修:辰野金吾(唐津市出身)
設計者:田中実(辰野金吾の愛弟子、清水組技師)
敷地面積:1,431.73㎡
延床面積:906.99㎡
階数・高さ:地上2階、塔屋、地下1階
建築構造:煉瓦造り
用途:2F:展示施設
1F:多目的ホール、休憩スペース
B1F:レストラン唐津迎賓館
営業時間:午前9時~午後6時
休館日:12月29日~12月31日
施設観覧料:無料
展示施設観覧料:常設展示:無料